1—4 一人と一匹と一艦

 お風呂を出た後、僕は治療室に連れて行かれた。

 今度は野良ネコさんも一緒だ。

 野良ネコさんがベッドの上でくつろぐかたわら、イーシアさんはわざわざ白衣とメガネを身につけ、薬を手に僕の前に座る。


「傷口にお薬、付けるわよ。ちょっと痛いかもだけど、我慢してちょうだい」


 そう言いながら、ガーゼに薬を染み込ませるイーシアさん。

 服を捲し上げた僕は、ふと思ったことを質問する。


「その薬って、もしかして1100年前の薬とかじゃないよね?」

「大丈夫よ、新しいお薬だから、安心して。1100年前のお薬なんて、そんな毒物をレンくんに触れさせたりしないわ」


 ニコッと笑って、イーシアさんは僕の右脇腹にガーゼを当てた。

 ピリッとした痛みに耐える僕は、白衣姿のイーシアさんを眺める。


 イーシアさんは空中戦艦の意思そのものであるプロテクター・オートマタらしい。となると、イーシアさんは人間ではないということになる。

 信じられない。抱きしめられたときに感じたあたたかみは、人間のそれだった。お風呂場で見たタオル一枚のイーシアさんは……その……〝人間の魅力〟に溢れていた。


 いろいろな疑問を抱いて、僕は首をかしげる。

 一方のイーシアさんは、なんだか楽しそう。


「フフフ、お風呂に入ってる最中にね、多目的ドローンちゃんたちに薬草を集めてもらって、新しいお薬を用意しておいたのよ。レンくんの怪我が早く治るようにね」

「そうだったんだ。ありがとう」

「どういたしまして。フフ、レンくんに感謝されちゃったわ」


 上機嫌に笑って、イーシアさんは鼻歌を歌い出す。

 こんなに優しいお姉さんが伝説の空中戦艦の意思そのものなんて、やっぱり信じられないよ。


 右脇腹に大きなガーゼを貼ってもらえば、治療は終わり。

 僕が濡れた髪を結んでいる間、イーシアさんは白衣を脱ぎ、野良ネコさんを抱きかかえた。


「よしよし、いい子ね」

「にゃ~ん」

「あなたもレンくんを守ってくれたのかしら?」

「にゃ!」

「フフ、勇敢なネコちゃんね。レンくん、この子の名前は?」

「実はその子、ベルティアの街ミレーで懐かれちゃって、勝手についてきたんだよ。だから、まだ名前はないんだ」

「あら、そうなの。そうね……じゃあこの子の名前は、ミードンちゃん!」

「にゃ? にゃ~!」

「気に入ってくれたみたいね! 良かったわ! それじゃあレンくん、ミードンちゃん、夕ご飯にしましょう。ついてきてちょうだい」

「うん」

「にゃ」


 野良ネコあらためミードンを抱いたまま、イーシアさんは治療室を後にした。だから僕もイーシアさんの後を追い、治療室を出る。


 長い廊下を歩き、いくつかの階段を上れば、今度はたくさんの椅子とテーブルが並んだ広い部屋にやってきた。


「この席で待っててちょうだいね。すぐに夕ご飯を持ってくるから」


 それだけ言って、跳ねるように部屋の奥へ消えていくイーシアさん。

 残された僕とミードンは、言われた通り、大人しく席に座った。

 テーブルの上で丸まるミードンを撫でながら、僕はキョロキョロする。


「この部屋、食堂だよね。広いなぁ。お皿とかもいっぱい積まれてるし、たくさんの人が食事できそうだね。僕とイーシアさん、ミードン以外、誰もいないけど」


 そう、空中戦艦に人の気配はなく、イーシアさんがいるだけ。

 しかも厳密には、イーシアさんは空中戦艦の意思そのもの。だから、空中戦艦に人は一人もいない。

 当然だよね。1100年間も死なない人間なんて、いないもんね。


 でもそうなると、昔はもっとたくさんの人が空中戦艦にいたのかもしれない。それこそ、食堂を埋め尽くすくらいの人が。

 急に寂しい気持ちになって、僕は黙り込む。


 直後、満面の笑みを浮かべたエプロン姿のイーシアさんが、カートを押してやってきた。


「お待たせ。今日の夕ご飯は、レンくんのために特別に用意しておいた食材を使った、空中戦艦シェパーズクルーク特製フルコースよ」


 すっごく魅力的な言葉。辺りにはいい香りが漂っている。

 イーシアさんは次々とカートからお皿を取り出し、テーブルの上に置いていった。


「これは季節の野菜をふんだんに使ったスープ。こっちは小麦からこだわって作った麺に、優しいクリームソースをかけたパスタ。そしてこれが、1100年前に流行っていたサラダの盛り合わせね」

「おお~」

「にゃ~」

「お次はドローンちゃんたちにお願いして獲ってきてもらった、新鮮なお魚のムニエル。お米と一緒に炒めたパエリアもあるわよ。こっちは最高級レベルのお肉を使ったステーキね」

「お、おお~」

「にゃ~ん」

「石窯で作った、出来立てのふかふかパンもあるわ。これは東方の料理で、お豆腐とひき肉を使ったお料理。あと、このお鍋にお肉を入れて食べる、ピリ辛お料理。それから――」


 多いよ! これ、村長の子供の結婚式とかで出てくる量だよ!


 とはいえ、イーシアさんが一生懸命作ってくれた料理だし、何よりイーシアさんの笑顔を見ていると、文句なんて言えない。


――ここ数日まともなものを食べてなかったし、これはお腹いっぱいになるいい機会かな。


 だいたい、料理自体はどれも美味しそうなんだ。量は気にせず夕ご飯を食べよう。

 なんやかんやとテーブルがパーティー状態になり、イーシアさんが僕の対面に座れば、僕はお肉料理に手を伸ばした。

 フォークに刺したお肉を口に運ぶと、舌がとろけていく。


「すごい! このお肉、すごく美味しい!」


 今までに食べたことのない柔らかさ。それでいて、しっかりとした肉の味。ちょっと薄めのソースも、肉の味を引き立てている。

 あまりの美味しさに、僕はいろいろな料理に手を伸ばした。

 パスタは硬めの麺とゆったりしたソースが合い、魚料理はさっぱりとした味が他の料理と相性抜群、ふかふかパンはパンだけでも美味しく、お鍋のピリ辛は疲れを癒してくれる。

 なにこれ、夕ご飯だけで、こんなに幸せになれるんだ。


 無我夢中に夕ご飯を食べる僕を見て、イーシアさんはにっこり笑った。


「喜んでくれたみたいで何よりだわ。これからはレンくんの好みに合わせて、どんどん美味しいお料理を作ってあげるから、楽しみにしててね」


 これは期待しちゃうよ。

 と、ここで僕はふと思う。


――あれ? もしかして僕、イーシアさん(空中戦艦)に胃袋を完全に掴まれた?


 まあいいか。おいしいご飯を食べられる幸せは、純粋に受け取ろう。

 ちなみに、ミードンには特別な夕ご飯(豪華な魚料理とミルク)が用意され、ミードンも幸せそう。


 そうして幸せな時間は、なんと2時間以上続いた。

 やっぱりご飯の量が多いからね、時間はかかっちゃうよね。


 けれども、さすがはイーシアさん。たくさんのお皿は少しづつ小さくて、時間をかければ完食できる量だった。

 空になったお皿やお鍋を前に、僕は満足。


「美味しかったぁ」

「にゃ~」

「フフ、満腹レンくんと満腹ミードンちゃん、かわいい。さて、夕ご飯は終わりよ。ねえレンくん、そろそろ眠くなってきたんじゃないかしら?」

「うん、言われてみればそうかも」


 大きなあくびをして、僕は目をこすった。

 いろいろあった1日に、おいしいご飯がやってきて、眠気はマックスだ。

 食器を片付けたイーシアさんは僕の手を取り、また空中戦艦の廊下を歩き出す。


 イーシアさんに案内された先は、廊下とは打って変わって穏やかな雰囲気の部屋だ。

 ベッドと机、クローゼットが置かれた部屋は、とても過ごしやすそう。


「ここがレンくんのお部屋よ。ミードンちゃんも一緒に過ごせるわ」

「へ~、なんか、落ち着く部屋」

「にゃ~」


 眠気に耐えられず、僕はふらふらとベッドの上へ。

 そんな僕を支えながら、イーシアさんはクローゼットから服を取り出し、おもむろに言う。


「寝る前に、パジャマに着替えないとね」

「え? うわわ!」


 有無を言わさず、僕は服とズボンを脱がされ、パジャマに着替えさせられた。


――もう、着替えくらい一人でできるのに。


 なんにせよ、着替え終えた僕はベッドの上で横たわった。

 すると、イーシアさんは服を脱ぎ出す。


「さ、私もパジャマに着替えないと」

「へ? はわわ!」


 目の前で下着姿になるイーシアさんを見て、僕は焦って布団をかぶった。 

 真っ暗な中、服が擦れる音と、ドキドキと早くなる自分の心臓の音だけが耳に届く。


 数秒して、今度はかぶっていた布団がゴソゴソと動き出す。そして、背中に柔らかい感触とあたたかみが伝わった。

 もしやと思い振り返れば、そのもしやだ。イーシアさんが、同じ布団の中にいた。


「え? え? な、なにしてるの!?」

「なにって、一緒に寝ようとしてるのよ」


 当たり前のように答えて、優しく微笑むイーシアさん。

 例えではなく、本当に目と鼻の先にある優しい笑みに、僕の体は熱くなるばかりだよ。

 そんな僕を見て、イーシアさんは心配そうに尋ねる。


「あら? どうしたのかしら? 顔が赤いわよ?」

「そ、そりゃそうだよ! だって、こんなに密着して、一緒に寝るなんて……」

「もしかして恥ずかしいのかしら? フフフ、レンくんかわいい。でもね、私は空中戦艦の意思そのものなのよ。つまり、空中戦艦は私自身。ということは、レンくんはずっと私の中にいるってことになるわ。いまさら密着もなにもないわよ」

「ああ、たしかに。え? 僕、ずっとイーシアさんの中にいたの? え?」


 それはそれで恥ずかしいような気が。

 ああもう! イーシアさんと一緒だと調子が狂うよ!

 調子が狂うのに、なぜか心は穏やかになって、落ち着けて――


 不思議な感覚に包まれる僕の体を、イーシアさんの腕がそっと抱きしめた。


「私はもう、レンくんを手放したりしないわ。だって、レンくんは大切な子だから」


 まっすぐの愛情を包み隠さず口にするイーシアさん。愛情と言っても、これはお母さんの愛情に近いんだけど。


 眠気でまぶたが閉じていく中、僕は考えた。どうしてイーシアさんは、僕に優しくしてくれるのか。

 考えたところで答えは出ない。

 でも、数時間イーシアさんと過ごしてわかったことがひとつだけある。


 イーシアさんは過保護だ。優しくて穏やかな、過保護すぎる空中戦艦だ。

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