第四章 凄惨な清算の聖餐と、1+1=1の生産

 シャーーー。

 水音。さっきまで嫌というほど聞いた水の叩きつけられる音。

 けれど、今聞こえてくるそれは雨粒の殴打ではなくて、汚れを洗い流す温水の流れ落ちる音。

 どうしてこうなったのだろう。

 暖かな室内で、ボクはそれだけを考えている。

 どうして電車はもっと早く動いてくれなかったのだろう。

 そんな理不尽な憤りを覚えている。

 あまえちゃんは轢かれる寸前のボクを命からがら突き飛ばして助けてくれた。

 でも。

 どうせなら、轢かれてしまえばよかった。

 そんな恩知らずの感情さえ湧いてしまう。

 ボクは悩みたくないのに、なんで彼女は。

 ボクのことが好きだと言うくせに、こうもボクを苦しめて止まないのだろう。

 ホテルのベッドに腰掛けながら、そうしてずっと天井を見つめている。

 自堕落が人の形を得たようなボクという存在は、気を抜くとすぐにずぶずぶと堕ちていってしまう。浪人し、ヒモになり、そのくせ昔の淡い恋慕を思い出してしまった。

 今だってそう。有無を言わさぬあまえちゃんのなすがままに手を取られ、こうしてこのような情事のためだけにあるような交配施設へのこのこやって来てしまっている。

 なにが「お姉ちゃんが好き」だ。笑わせる。どの口がそんな戯けを抜かした?

 自暴自棄、自己嫌悪、そんなようなものが混交して、ボクの心はどこまでも黒く染まる。

 彼女はそれに、いつになったら気づくのだろうか。

「来夢。ここまでついてきてくれたってことは、やっぱりいいってことなんだね」

 シャワールームから出てきたバスローブ姿のあまえちゃんは、こちらへ歩み寄りながらそう言った。

「……」

 そんなわけない。でも、そう言う気力もない。

「どうして黙るんだい? 私は君を愛している。君も私を愛してくれている。そうだろう?」

「……」

 あんなことがあってなお、どうして彼女はそこまで盲目になれるのだろう。わからない。けれどもう、どうでもよかった。なるようになれ。なってしまえばいい。

 捨て鉢。ボクはただ、絶念を抱いていた。

「そうか。そうだよね。あんなことをしたくらいなんだ。きっとなにか毒姉にひどいことでもされたのだろう。かわいそうに……。でも、大丈夫だよ。私は君にそんなことをしたりしない。私が君の生きる理由を作るから。私が君に安らぎをもたらすから。だから、もうあんなことはしないでくれ……」

 ああ「かわいそう」だなんて。むしろかわいそうなのはあまえちゃんの方なのに。

 こんな男と知り合って、勘違いして、騙されて、好きになって、変わって。

 なのに、そんな哀れみの目で、慈悲深い愛の目で、ボクを見るんだね。

「大好きだよ、来夢……」

 彼女は潤んだ瞳でボクを熱っぽく見つめた。

 そして、

「愛してる。狂おしいほどに」

 ボクを押し倒して、その上に馬乗りになった。

「だから、私と一緒に子供を作るよ。来夢」

 あまえちゃんは自分が何を言っているのかわかっているのだろうか。

 ボクはまるで傍観者のような気分で、自分の上に跨った艶かしい女のことを見つめた。

 ただ。

 顔こそ澄ましているけれど、その手は震えている。

 ボクは泣きたくなった。でも涙はもう枯れていて、心は凍り付いてしまった。

 黙ってばかりの口が、頭の中だけで動く。

 ああ、つまりきみは、全てわかった上で、心の底からボクのために、それをしようとしているんだね。

 そんな当たり前のことに、その再確認に、心がどんどんと死んでいくの感じる。

 ボクがきみに見ていたなにかは、もうどこかへいってしまったんだ。

 少女は純潔。そんな気持ちの悪い幻想、嘘だと知っていても、それでもどこかボクは彼女を偶像視していたのかな。だってこの胸の重さは、それ以外に説明できないから。

 ……といっても、「あまえちゃんとしたい」そういう気持ちは、たしかにずっとあったんだけれど。矛盾――ただ、それは好きだったんだから、当然。

 でも、彼女の方からこう迫られるという現実は、どうしてこうもボクの心を殺すのだろうか。

 なぜ夢が叶っているはずなのに、夢が壊れていくような気分なんだろうか。

 誰もその答えは教えてくれない。でもわかっているはずなんだ。きっとボクがまた考えることから逃げているだけなんだろう。

 考えることから逃げて、股間をひどく隆起させているのが、その絶望的なまでの証拠だ。

 どうしてここまで冷えた心があるはずなのに、血流は沸騰しそうに暴れるのか。

 死にたくなるくらいに気分が悪くても、性欲というのはどこまでも生き生きと咲き誇るものらしい。なんの冗談だこれは。いっそ人間でなく動物に生まれたかった。そうすれば、これほど幸せなこともなかっただろうから。

 けれど、あまえちゃんは、そうして意に反して盛り上がるバスローブ越しの悪魔を、ボクの知らない顔ではたと見て、

「私……で。こんな、に。おおきく、大きくしてくれているんだね。ありがとう」

 喜んでいる。喜んでいるのだ。

 こんなにも気持ちの悪いことがあるだろうか。

 大好きだった想い人が喜んでいるはずなのに。

 ボクはどこまでクズなのか。

 だって、そう思えばそう思うほど萎えるどころか固く太くなっていくんだ。

 しかも、さらに。

「だったら、これで、もっと……。私で、私の体で、もっと……。興奮、してくれ」

 彼女はあの凛とした声にたどたどしさをちらつかせつつも、反転、思い切りよくその豊満なものを覆っていたタオルを剥ぎ取った。

 ビクン!

 思わず、躍動した。

 目の前の女体が、ボクの中のオスをこれでもかと刺激する。

 巨大な乳が虚空に線という概念を与え、圧迫感さえもって視界の中に特大の輪郭を創造した。目に映るやや赤みがかかった無限の肌色。今すぐにでも撫で回し犯しむしゃぶりつくしたい桃園。流線を描くくびれた腰とヒップ。むっちりとした腿は、ボクの太ももと溶け合って官能の為だけの媚肉と化してしまった。

 そして、むわっとした熱気を放つ秘部、うっすらとした頼りのない毛で守られた城門。彼女はそれを、恥じらいがちに甘く閉ざしている。

 だが、その城は宙に浮かんだ。

「いいのだよ、ね? いくよ、来夢。私を、受け取ってくれ」

 腰を少しだけ浮かせた彼女は、ボクの下半身をまさぐりながらそう言った。

 ボクは全てを諦めて――興奮、それ以外の一切を捨てた。ただの獣になることで、なにもかもを忘れようとしていた。

 と、

「ひっ!」

 不意に素っ頓狂な声がして、彼女が尻餅をついた。無論、落とされた腰は獲物を捉えてはいない。

「……こ、これが、来夢の……」

 あまえちゃんは腰砕けになって、自分でバスローブを払って顕にしたソレを目を見開いて眺めていた。

 拍子抜け――いや、そうでもない。最初から延々と揺れていた彼女の指先は、その可能性をいくらでもボクへと教えてくれていたのだから。かもしれない、そんな予感を。

 しかしこの反応は、彼女の全てが虚勢であったということをありありとボクに告げる。疑惑は真実へと移り行く。わかりきっていたことだが、やはりそうだったのだ。そして安堵する少年時代の自分と、さらに深い恐怖に襲われる最低の自分。両者は、ボクの精神を引き裂こうとする。

 だけど、これで終わってくれたら……。

 そんな淡い希望が生まれ。

 一瞬で潰えた。

 彼女は湿り気を帯びる秘部を無意識からか守るように手で抑えながら、しかし、再び腰を未だ奮起を保つ下衆の剛直の直上へと連れて行ってしまう。

「ご、ごめんね。昔と比べて、君のモノが立派になりすぎていたから」

 そうだね。幼い頃は、お互いの裸体を見たってこんなことにはならなかったのに。どうして今、こんなことになったんだろう。

「今度こそ、いくよ」

 彼女の不安を表すように、ゆっくりと。まるで亀のようなスピードで安産型の臀部が亀の頭に向けて降りてくる。

 進むスピードは遅くとも距離はほぼゼロに近いわずかな空白。

 邂逅は秒読みだった。

「来夢、愛してる」

 彼女のマニッシュな甘い声がボクの耳朶を一足先に犯した。

 その直ぐ後で、二人は初めてのキスをする。無口な陰部同士で。

 粘膜のまぐわい。前戯なんて一切していないのにぐちゃぐちゃになった二つの器官は、まるで今この時をずっと待っていたとでも言うかのようにお互いを歓迎していた。

「んっ……!」

 まだほぼ点と点でしかしていない接触、一点でしか味わっていない快楽。なのにどうしてここまで気持ちがいいのだろう。ボクは思わず思い切り天に向けて腰を突き上げそうになった。

 ――瞬間。

 なのにボクの頭の中にはどうしようもなくお姉ちゃんの顔が浮かんで。 

 目の前の大人の肢体を、膨らんだ胸をむっちりとした腰を、引き締まったウエストを、全て。全てを覆すように、これまで幾度となく見てきた幼児体型の焼き付いた網膜上の記憶を猛烈に叱咤する。

 そして胸の中に、あるたった一つの感情が浮かんだ。

 さっきまでどうしようもなく死に体になっていた全てが生き返った。

 ――お姉ちゃんに会いたい。

 この期に及んで、ここまで来て。姉。

 最低だ。だが、やっぱり、ボクは最低なんだ。

 限界まで追い込まれたボクは、ここにきて吹っ切れたらしい。最低のクズ未満のゴミ人間だからこそ、ここで。この最低最悪のタイミングで。

「あまえちゃん、ごめん」

「え?」

 ボクは、先端だけ入りかけた肉棒を抜いて、彼女を突き飛ばした。そのついでに思い切り胸を揉みしだいて。

「やっ……!」

 この淫らな肉を、ずっとこうしてやりたかった。欲望は目的のために限定の行使を許される。

 ボクはもう、踏みとどまらない。全てを壊すことに、決めた。

 ただ、お姉ちゃんのために。そう言い訳して、自己正当化の盾を持って。

「きゃっ!?」

 あまえちゃんがあられもない声をあげようがかまわない。むしろそれは怒張を加速させるだけ。ボクはそのやわらかくハリのある規格外の爆乳という極上のクッションに座し、彼女の綺麗な顔を素手で押さえつけた。

 形勢は逆転した。ボクは自分よりも大きな女の上に乗って、その痴態を支配している。

「ど、どうしたんだい、来夢? そんなに、私の体に欲情してしまったのかな?」

 まだ自分が目の前の男に愛されていると思い込んでいる哀れな女。

 きみはもっと、近いのに遠い、そんな憧憬の存在だったのに。

 どうして俺(ボク)になんか、組み敷かれてるんだよ。

「そういうの、いらないから」

「……でも、いいよ。来夢がしたいのなら、私は。全部、受け止めるから」

 なにを言っているんだ、コレは?

 性に寛容なあまえなんて、ボクの好きだったあまえじゃない。

 そんなのあまえじゃないんだよ。

 だから、今からするのは、死姦だ。

 死んでしまったきみに、ボクは白い花を贈ろう。

「……いい加減その口でわけわかんないことしゃべるの、やめてよ」

 イラついていた。未だ期待の成分が混ざった不安の眼に。この期に及んで収まるところを知らない肉欲の赤黒い射出装置に。女にも、男にも。

「むぐっ!」

 ボクはあまえちゃんの口、本来は別の口に入れるべきだったモノを捩じ込んだ。

「む、むむ、むう!」

 下の口と違ってこっちは日頃からものを咥え込むのに慣れているはずなのに、あまえちゃんはひどく苦しそうな顔でボクを受け止めた。

 あの優雅な仮面が剥がれていく。

「うるさいなー。全部受け止めるんじゃなかったの? まあ、どうでもいいけど」

「むが、がぐぐ!」

 がちっと急所に硬い感触が当たった。軽い痛み。

 お姉様との情事に慣れているボクからすればこの程度さしたる問題でもないが、この胸を覆っている黒い感情はそれを許さなかった。

「いったいって。歯ぁ、あたってるんだけど」

「……うぐ」

 一方的にボクが悪いのに、彼女は口の中へボクを上手く飲み込めない現状を申し訳なさそうに唸った。

 そんな彼女に、ボクは現実を教える。

 もう引き返せない崖の前まで彼女を連れてきた。今からボクはその底へと彼女をぶち落とす。

「ああ、健気だね、あまえちゃん。こんな拷問みたいなことでさえも愛情だって思うくらいにボクのことを好いていてくれてるのかな。あー、うれしい。うれしいよ」

 ボクがそう言うと、彼女はもがもが言いながら、涙を流し笑っていた。

 苦しいんだろう、辛いんだろう、痛いんだろう。わかる。わかるよあまえちゃん。

 だってそれ、ボクはこれより小さなおもちゃでやられたことあるけど、すっごく苦しかった。あの時は、本当に殺されるんじゃないかとまで思ったもの。

 なのにきみはあれより大きなボクのコレを、そんな顔で受け止めるんだね。

 ――――気色悪い。

 あまえがそんな、頭のネジ外れたバカになってしまったことが。まるでボクのように。

 どうしてこうなった? 

 なんでボク(俺)は、大好きだった女の子に、イラマなんてしてる?

 答えは求めていない。ただやり場のない怒りと自己嫌悪、それをぶつける道具が彼女、ただそれだけの話。

「でもはっきりいってさ、イカれてるよ、あまえちゃん。どうしてそんなにボクのことが好きなの?」

「ぐっぐるう、ごごっぐぶぅっ!!!」

 理由なんて言わせるわけもない。あるいは聞きたくないのか。

 自分でもわからないまま、ものすごい勢いで彼女の顔面へ腰を叩きつけ続ける。相手の苦痛などまるで考慮せず。いや、むしろ最も苦しんでもらえるように。ちゃんと嫌いになってもらえるように。

 喉奥まで入れ込んで声帯かなにかを思い切り叩いてえずかせ、ほっぺたに先端を押し当てて内側からぶち破りそうな程に膨らませ肉風船をつくる。

 柔らかく狭い口内を、固く長いものでひたすらに蹂躙する。

 こんな行為のなにが心地いいのかはわからない。

 けれど、たしかにボクの怒張はこの自慰が果てしない快感を伴うと全身に激しく主張している。

 あまりの気持ちよさに目の前のモノが女であることさえ忘れそうになるくらいに。

 だからボクは、早々に物理的毒を吐き出す前に、精神的な毒を消化しようと口を開く。

 ここまでされてなお、こちらを献身的な目で見つめるきみへ。

「あーやばい。めちゃくちゃきもちいいよ、あまえちゃん。最高。けど、しらなかったよ、あまえちゃんってさー案外尽くすタイプだったんだね」

 ボクがそう言うと、あまえちゃんは自分が褒められているとおめでたい勘違いでもしたのか、顔をしかめつつもその目をほんの少し輝かせる。

 口からは延々と、ひどく淫靡な音を上げ続けながら。

「ぐっぐっぐっぐる。ぎゅっぎゅっぎゅばっ!」

 数日前に間接キスを気にしていたきみが、口づけすらなしにボクのものを無理矢理に遠慮なく出し入れされて、それでなおまだボクに気があるのか。

 あまえ、本当にきみっていう女の子は、いい子だよ。

 でもあまえちゃん、そんないい子がボクにもらわれるなんておかしいんだ。気付いてよ。

 ねえ、どうしたら、とっくに壊れてしまったきみは折れてくれるの?

 そんな理不尽な憤りを込めて二度三度と、彼女の粘膜を抉る。

 彼女の目が段々と虚ろになっていくのがわかる。

 なのに、ボクを見る目の色と熱は、変わらない。

 白目を向きそうになっているのに。

「ぐぎゅごごごごごおおおおおっっ!!! こふっ……。げえぇっ」

 このまま続けて気絶されても困るので、一旦。まだ元気な分身を引き抜いた。

「かはっ! はあ、はあ、はあ、……げふっ、」

 涎なのか愛液なのかはたまた涙か。欲望と悲痛に塗れてぐちゃぐちゃになってしまった液体を垂れながして、あまえちゃんは必死で空いた口に酸素を取り込んでいる。本能的に。

 そこにボクは、間髪いれず。

「ぐぶっ!!!!」

 突っ込んだ。

 なぜならボクが話をしたい気分になったからだ。

 彼女の口答えは求めていない。そのための口内陵辱でもあるのだし。

「ボクはさ、あまえちゃん。たしかにきみのことが好きだった。大好きだったよ」

「うぐっ! ごぐぶぎゅぐぐぐ!! むぐうっ!」

 それは単に会話の体をとった、独白だった。

「でもさ、わからないかな。それはもう、昔のことなんだよ。もう、今はさ、ちがうんだよ。ボクはもう、きみのことが、好きじゃなないんだよ」

 嘘だ。今でも、あまえのことは好きだ。けれど、きみを、好きじゃないんだ。

「ぐむむぅ! ぎゅむ、ぎゅこここ、ぐじゅう!」

「ね、ここまでされてわからないかな。ボクはきみのことが好きでもなんでもないから、セックスじゃなくて、こうしてオナニーしてるんだよ。わかる?」

「ぎゅるるるるるるるる! じゅっ、じゅっ、じゅっ!! ぐぶぅ!」

 あまえちゃんはここまで言われてなお、懸命な瞳でボクの顔を見ている。むしろ彼女は、恍惚とさえしているかに見えた。

 なんなんだよ、こいつ……。

 それにどうして、彼女のその表情が、そしてそれを支配しているのがボクだという現状が、こうも淫らで気持ちよく感じられてしまうんだろう――。

 恐怖。ボクは純粋な恐怖から逃げるため、声を荒げる。

「はあ? わかんないよそれじゃ! ちゃんとわかるって、はいわかりましたうちはもう来夢のことなんて嫌いですって、言えよ! ボクのことがもう嫌いになったって、言ってよ……!」

 腰の下で、悲しそうな瞳が揺れる。

 それを見たボクは一瞬、いつまでもボクを信じ続けるあまえちゃんに負けて、彼女の頭を拘束する力を弱めてしまった。

 すると、その隙を縫って、

「きゅぽっ。げはっ、はあ、はあ……。そんな、ことっ、いえるわけっ、ない……」

 魔物から逃れた彼女は、強い目でそういった。

 ボクはその目を直視できなくて

「なんなんだよ! なんで、そこまで!」

「なぜって……、来夢が、好きだから! 来夢がいないと駄目だって、私は気づいたんだよ。君を失って、はじめて……!」

「うるさい! そんなの聞きたくないんだよ! どうして、どうしてあきらめてくれないんだよ……!」

 ボクはまた、目の前の彼女と向き合うことから逃げ出す。

 いや、違う。これはある意味で、戦いなんだ。突き詰めれば、逃げるためではあるけれど、それでも、これ自体は、戦いなんだ。

 言い聞かせる。

 咆吼し、異性を屈服させるための竿を生意気な口に突っ込む。

「ぐ! じゅぐ、じゅぐ、じゅるるるるるる!!」

 乱暴に、自分本位に、彼女を使う。

 何度だってこの最低の代弁者を突き立てよう。もう二度とこうならぬように。

 彼女の恋に終わりを告げよう。その焦がれる心を刺殺しよう。

「ぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐがががっ!!!! ぐへっ!」

 あまえちゃんの首根っこを掴んで、無理矢理に根元まで唇を近づける。ボクの全てが彼女の中へと飲み込まれていく。

 そうしてボクは彼女を押し込んだまま、もう一方の手でその高い鼻をつまみ、その状態で最後のピストンをした。

 そして、俺の中にあったすべてのあまえの記憶を載せて、ボクは絶頂した。


 その後、ボクは幾度となく達した。

 自分の中にあった後悔や愛情が、はたと消えるまで。

 彼女はいつしか気を失っていたのかもしれない。

 それがどのタイミングで意識を失くしのかを、ボクが知ることはなかった。無我夢中だったから。覚えたての中高生なんて、比じゃないくらいに。

 ただ、なにもかもが終わったあとで、彼女は文字通り泡を吹いて倒れていた。

 収まりきらぬ穢れで化粧をして、あまえちゃんは死んだように眠っている。

 殺しはしていない。ただ、彼女の中にあったなにかは、確実に殺してしまっただろう。

 それでよかったんだ。もう後戻りできないところまで追い込まれなきゃ、結局またボクは逃げるのだろうから。追跡者の息の根を止めぬ限り、この逃避行は終わらなかっただろうから。

 これで、よかったんだ。

 変わり果てた元同級生の凄惨な姿を見て、ボクは満足だった。

 整っていたはずの容姿などはもはや言うまでもなく、淫らでだらしのない乳房、情欲をそそる臍、脇腹、鎖骨、上半身の全てを犯し尽くした。

 そんな極限の事後、災厄の結末を前にボクはスマホを取り出す。

 カシャ。カシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャッ――。

 延々と撮影した、その夢の終わりを。

 これでお姉ちゃんも納得してくれるだろう。

 ボクはこんな豚のこと、好きなんかじゃない。

 そういうふうに。

 だって彼女はこれだけ汚されているのに、未使用の入れ物だけが、綺麗なまま、透明に濡れている。

「あれ……?」

 視界が歪む。どうしたのか。

 異常を感じて目をこすると、すぐにそれは収まって。手のひらが少し濡れた。

「ボクがやったのに、人間未満の家畜のくせに、なんでこんな時だけ……くそ!」

 そんなことを口にすると、目の前にいる物言わぬはずの彼女から、「それでも、私は来夢を……」そんな声が聞こえてくるような気がして。

 ボクはその場で吐いてしまった。

 じくじくと痛む下半身、焼けるようにただれる喉。最悪の匂い。

 一刻も早くここを立ち去りたい。

 そう思ったのは、またしても逃げなのだろうか。

「ちがう、そうじゃない。ボクは。あまえちゃんに。ボクは、勝ったんだ……!」

 最後にもう一度だけ、ぐったりとした彼女を見る。

 ――自己肯定能力の低い人間は、自分を正常に愛してくれる人間に恐怖を覚えるんだよ、あまえちゃん。

 ――だから、もしもきみが……。

 ボクは心の中でそう囁いて、悪夢の部屋を後にした。

「今度こそ、本当に、お別れだね……」

 バイバイ。二度ときみとはあいたくない。

 大好き、だった……よ。




 ボクは豪雨の中、傘も差さずに家路についた。

 滴る雫をたたえて、帰宅。

 びしょ濡れの身体を、二度目のシャワーで温める。

 雨とシャワーが、ボクから色濃く漂っていたはずのあまえの香りを完全に削ぎ落とした。

 そしてボクは家中の清掃を始める。

 あの情事の前まで、彼女がここにいたという痕跡を消すために。

 吸い込んで、磨いて、振り撒いて。

 空間を整える。

 お姉様に失礼のないように。


 やがて。


 そうして数時間がたった今。ボクは玄関にいた。

 全裸で。

 いや、その言い方だと語弊があるかもしれない。なぜなら今ボクの全身は、縄によってガチガチに縛り付けられているから。

 自分だけでここまでハードな縛りをするのは中々骨が折れたけど、やってよかったと思う。

 それが証拠に、縄によって無理矢理にM自型へと固定されたボクの両足の中央では、邪悪なナニが鎌首をもたげ始めている……はずだから。

 はずだから……というのは、ボクは今縛られているだけでなく目隠しもしているので、それを目視し確かめられないからである。しかし、感覚的には確実に勃起しているのが確かであるため、先の発言は間違いないだろうと思われる。

 と、つまりまあ、要するに。

 ボクは玄関で己を拘束した挙句目隠しまでして涎を垂らしながら御主人様の帰りを待っいるというわけだ。

 これまでのお姉様のへの非礼、曖昧な態度を詫びるために。

 あまえと、あまえちゃんと決別し、貴女様だけの道具ですという心意気を示すために。

 ボクは自分の考えられうる限りで最も屈辱的な仕方で、彼女の帰りを待っている。

 足の痺れ、股の裂けるような痛み、縄目の苦しみ、喉の渇き、寒さ、漠然とした不安。

 あらゆる苦痛がボクを追い詰めるが、もはやどこにも逃げることはできない。

 ボクを解放することが出来るのはただひとり、あの人だけだから。

 真っ暗な視界の中にお姉様の姿を思い浮かべる。

 すると苦痛は法悦に、不安は期待へと変容する。

 ああ、お姉様。やはりお姉様だけが、ボクを救ってくれる……。

 まるで最後の審判を待ち焦がれる信徒のように、ボクは主人を待ち続けた。


 しかして。

 その時はやってくる。

 遠のきかけた意識の端に、ふと足音が響く。

 カツカツカツ。軽いながらも堂々とした足音。

 加えてガラガラガラと、キャリーケースの車輪が地面を削る音。

 お姉様だ!!!

 ボクはあたかも悠久の如くに感じていたこの停滞を打ち破る待ち人の去来に、ビクビクと歓喜に打ち震えてしまう。

 はあ、はあ……。

 まるで耳を犯されているみたいだ。

 視覚を封じられて鋭敏化した聴覚が、すぐそこに迫る彼女の息遣いすら感じさせるかのようで。

 がちゃり。

 玄関の扉が開錠されたその瞬間に、ボクは思わず射精しそうになってしまった。

「きゃあっ!」

 玄関に入り込んだお姉ちゃんの、驚きによる悲鳴。

 ボクなんかの存在を認知してくれただけでなく反応までしてくれるという寛大さに、体温が上昇してかのような感を味わう。

「……来夢、ちゃん。どういう、つもり……?」

 戸惑いの声が聞こえる。

 ボクはその声のする方へ必死で語りかけた。

「ごめんね、お姉ちゃん。帰宅するなりこんな変態の相手なんかさせて。でも、ボク、これ以外に思いつかなかったんだ。お姉ちゃん、大好きだよ……」

 目で見ずとも、ボクの言葉にお姉ちゃんが息を飲むのがわかった。

 切実な色の乗った音が、空気を揺らす。

 しかしそこに込められた意味は、完全に予期の外だった。

「来夢、あなた……。あの子じゃなくて、本当にお姉ちゃんを選んじゃったんだ……。そっか……」

 その声はひどく沈痛で、なぜか悲しげな感じさえした。

 もっと厳しい言葉や暴力、あるいは完全なる無視を求めていたボクは、困ってしまう。

 視界を奪われた全裸の男の娘に、お姉ちゃんは優しく語りかけた。

「来夢は、それで、いいの? 本当にいいの? 後悔しない?」

 わけがわからなかった。

 彼女はこれまでのボクの愚行をなじるためでもなく、ただ純粋に、ボクへ警告をしている。

 わけがわからない。

 不可解に囚われて、気が狂いそうになる。

「なんで……? そんなのするわけないじゃん……? いいにきまってるじゃん……? だって、ぼくはお姉ちゃんのことが大好きだんだよ……? ほかにはなにもいらないんだよ……? お姉ちゃんがボクの生きる理由なんだよ? だから、はやく……」

「そっか、そうだよね。来夢はあたしのことが、大好きなのよね」

 お姉ちゃんはまるで確かめるように復唱した。

 だからボクは、百%の好意でもって返答する。だって、それ以外の答えは捨てたのだから。もう他のなにものをも持っていないのだから。

「うん!」

 それにきっとこの返事でお姉ちゃんも喜んでくれるだろう、ボクはそう思っていた。

 なのに。

「そっか……。ごめんね、来夢ちゃん。ごめんね……」

「えっ?」

 どうして、謝るの? なんで……?

 それに、どうしてそんなに、悲しそうで、つらそうなの……?

「本当に、ごめんね……」

 疑問だけが支配するボクの体を、やんわりとしたなにかが襲った。

 忘れもしないお姉ちゃんの抱擁、その感触だ。

 彼女はボクを抱きしめながら、耳元で囁いた。

「来夢は、本当にとぼけるのが上手いね。でも、ありがとう。」

 耳の奥で音がとろけていく。こんなにも甘美な美声。

「大好きよ……」

 ボクはお姉ちゃんの声に酔いどれてしまう。彼女の熱を全身に感じながら。

 しばらく、二人はそうして抱き合っていた。何もしていないのに、何よりも幸せだった。

 そして。

「……じゃああたしも、覚悟を決めるね。これで来夢ちゃんとお姉ちゃん、共犯だ」

 お姉ちゃんはふふっと笑うと、ボクの体から離れ、手を握った。

 やがて、気配がふっと冷たくなり、お姉様の声が上から降ってくる。

「それじゃ、調教部屋に行きましょうか。一度はあたしの手を離れようとした駄犬に、再教育してあげる。徹底的にね。だから、軟弱なあなたにはちょおっと辛いかもしれないわ。けれど、文句なんてないでしょう?」

「はい! 光栄です!」 

「ふうん。威勢だけはいいみたい。……ま、精々死なないよう精進なさい」

 女王様の御声掛けにビシッと返事をして、ボクは地下室まで引きずられていった。

 ボクたちはいつだって一緒に、降りてゆく。

 

 その日の夜。

 ボクはまたある一つの初めてをお姉さまから奪われ――そして、奪った。

 こうしてボクは、とうとう。

 心身ともに縛り付けてもらえたんだ。

 これでもうボクは、どこへも行けない。

 どこにも、逃げることはできない。

 この後に、どんな悲劇が待ち受けていようとも……。

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