第89話 謁見・2
「もうあなたの息子さんに伝えられている、とは思いますが。あなたの娘さんは、娼婦のふりをして、客から篭脱け詐欺で二万ルベトをだまし取りました」
女騎士たちがざわめくが、無視をする。『王女が犯罪を犯した』からざわめいたのではなく、『公式の場で息子などという代物の存在を口に出すとはなんたる礼儀知らず』と色めき立っているだけなのだから、気にするには値しない。
「これは明らかに犯罪であり、娼婦たちに迷惑をかける愚行であり、問題をおおごとにしないために二万ルベトを客に返済した俺に対しての負債を生じさせる行為です」
「問題をおおごとにしないため、と? この状況で問題がおおごとになっていないと考えるとは、貴様阿呆か?」
「『客にとって』おおごとにしないためです。客からすれば単に少女娼婦に二万を支払って客になろうとしただけなのに、支払った額をはるかに超える金や時間を費やさなければだまし取られた金を取り戻せない、というのはあまりに理不尽ですからね」
「ふん……まぁ、そこは確かに同意しよう」
玉座に背中を預けた女王の呟きに、女騎士たちの中からも同意する気配が返ってくる。どうやらこの国においても、娼婦の客に対する篭脱け詐欺は許されるべきことではない、とちゃんと意識されているらしい。
「で? そちは命懸けでわが娘の代わりに支払った二万を取り返して、なんとする。狼藉者よりわらわを守護すべく、これだけの騎士を集めなければならなくなった時点で動いた金は二万などとうに超えているが?」
「それは申し訳ありません。ですが、罪を犯したのはあなたの娘であるライシュニディアが先です。そして、娘への教育を怠ったのもあなたが先です、女王陛下」
「………ふん」
「娼婦を装って客から二万をだまし取る。それはまっとうな娼婦たち、体を売るしか今日の宿と食事を得る方法のない弱者たちからすれば、迷惑この上ない行為です。客が娼婦という職業に悪印象を抱き、遊ぶのを控えようとするかもしれない。食うや食わずの生活をしている子供が、本来なら得られていたはずの宿と食事を奪われてしまうかもしれない」
「…………」
「その上、ライシュニディアはその行為を微塵も悪いことだと思っていなかった。私のような子供を買おうなどと考える奴の金なんて奪われて当然、悪いことなんてひとつもしていない、とまで言ってのけた。少女売春についての貴国の価値観は知りませんが、少なくともこの犯罪行為によって周囲がこうむる迷惑を軽んじる価値観を、俺は軽蔑します」
「……ま、確かにな。その点においてはわらわも認めざるをえまい」
ざわっ、と再度場が色めき立つ。これも『女王が男に対して非を認めた』というのが感情的に納得がいかないだけなので、無視。
「で? そちはなにを望むのだ? ここまでわらわをはじめ、我が王宮を振り回しておきながら、なにも望みがないわけではあるまい?」
ようやくこの質問にたどり着いた。ロワはぐっと拳を握り締め、力を込めて言い放つ。
「王女ライシュニディアに対する再教育を。彼女は自立するに足るほどの精神性を有することができていません。彼女がものの道理をわきまえることができるまで、まっとうな教師をつけてきちんと教育し直していただきたい」
「…………」
「…………」
「……それだけか?」
「は? いえ、もちろん俺が払った二万ルベトは耳を揃えて返していただきますけど」
「………それだけか?」
「ええ、基本的には。ただし、再教育はきちんと最後まで完遂していただきたい。ライシュニディア王女が今後一切、今回のような犯罪行為に手を染めることがない、とビュセジラゥリオーユ女王国が責任をもって断言できるほどに、きちんと教育を施していただきたいです。俺は女王陛下と契約できるような立場の人間ではないので、女王陛下がご自身の誇りにかけてそれを断言していただけるのなら、それを信用して引き下がります」
女騎士たちがざわめく。さすがに非公式とはいえ謁見の最中に周囲の同僚とおしゃべりをするような騎士はいないが、驚きの声だけで充分謁見の間の空気を揺るがすには足りていた。
それはロワの――男の、意外なまでの謙虚さというか、欲のなさに起因するものであることは、同調術を使い続けているロワにはしっかり感じ取れていた。女騎士たちは、王女の問題行動の情報を手にした男が、自分たちにとって最悪の汚らわしい生命体が、よりにもよって王宮にまで入り込み、女王と国にゆすりを仕掛けようとしているのだ、と当然のように確信していたので、あれほど殺気立っていたのだ。なのでロワの発言は、それこそはしごを外されたように感じたに違いない。
そして、だからこそ、ロワに対するさらに強い反感と嫌悪が、彼女たちの中に渦巻いたことも、ロワはしっかり感じ取っていた。そういう風に彼女たちが感じるだろうことは最初からわかっていた。それは、世界のどこにでもある、ごくごく当たり前の反応だと知っていたからだ。
人間というのは、同属間に強い繋がりがあればあるほど、その枠組みの外にある者に対し、徹底的に拒否感を感じるようにできている。なにをしても悪く取るし、なにもしていない相手にも『悪いことをしようとしているに決まっている』と偏見の目を向ける。そして、そういった拒否感を感じている相手が、本当にまったく悪事を企んでおらず、善意と誠意をもって自分たちに接していることを知った時――これまでに倍するほどの壮絶な敵意と悪意をもって、相手を全力で貶めようとするのだ。
気に入らない。お高くとまっている。いい子ぶっている。何様のつもりだと思っているんだか。そんな言葉を合言葉に、同属間の繋がりを強固にし、相手を拒絶し、共同体からはじき出す。相手の理屈も、好意も、なにもかもを道理を捻じ曲げてでも悪く受け止めて。
なぜなら、そういう奴らは、相手のことを嫌っていたかったからだ。相手が悪であり、愚者であり、自分たちの『正義』に、『正道』に、打ち負かされるべきものだと思っていたかったからだ。
強固に繋がった共同体は、その外に敵を作ることによって団結する。その『敵』は、悪く愚かで醜い存在であればあるほどいい。自分たちを正義と任じ、上の立場から、『正しい』立場から一方的に相手を攻撃できるからだ。
自分たちを『正しい』と思い込み、『悪である敵』を一方的に攻撃するほど気持ちのいいことはない。自身の嗜虐欲を、他者を踏みにじり蔑み自分の方が上であると思い知らせていたぶりたいという暗い欲望を満たし、少しでも倫理観のある人間ならそういった欲望に抱くだろう罪悪感や嫌悪感を、『自分たちが正義である』と思い込むことによって無視することができるからだ。
自分たちが『正しくないのかもしれない』という事実を、自分がいつ罪を犯してもおかしくない、過つ可能性を持つ者だという事実を、常に謙虚に受け止め、自分の行いの善悪を量り続け、誠実にふるまい続けることのできる人間は、数少ない。それは日々とてつもない疲労を背負い込むのみならず、心に常に刃を突き立て続けるようなものだからだ。
自分が過った、罪を犯した時に、心の底からの罪悪感と申し訳なさを抱き、生涯背負っていく。それは『善人』としては当たり前のふるまいなのかもしれないが、そんなことができるほどの心の強さを持つ人間は、とても少ない。犯した過ちがごくわずかならば耐えられても、過つことのない人間はいないのだ。『善人』たらんとするならば、人の世の理不尽と常に戦おうとするならば、過ちと罪は当たり前のように積み上がり、心に突き立っていく。
心に突き立った刃は、心魂を疲弊させ、身魂を歪める。そしてついにはその者の生すら貶める。普通の人間が自分を『正義』と思い込み、過ちに見ないふりをして、『敵』の正しさを無視し、徹底的に蔑み見下し攻撃しようとするのは、自身を護るためのごく当たり前の手段なのだ。
だから、ロワは、最初からこの国の女性たちのふるまいに、腹を立てたりはしていなかった。だからといって、その行いが正しいとも、彼女たちが正義だともまるで思っていなかったが――ロワの方も、彼女たちに『善意と誠意をもって接する』つもりなんて最初からまるでなかったのだから、お互いさまだ。
ロワの言葉をしばし無表情で受け止めたのち、女王はふん、とまた小さく鼻を鳴らした。
「よかろう。ただし、そちらも国家の安寧を天秤にかけさせたのだ。それ相応の代金は支払ってもらうぞ」
「……というと?」
「ライシュニディアの教育。一度そなたに任せてやろうではないか」
「………は?」
どよっ、と女騎士たちが驚きの声を上げる。ざわめきという段階でなく、はっきり謁見の間全体がどよめいた。犯罪を犯したとはいえ、女王国の王女の教育を男に任せることは、それだけ常識から外れたことなのだろう。
だが、ロワは怪訝そうな声は返したものの、こういう展開になる可能性は、実のところそれなりに考えていた。最初にライシュニディアが王女だと知った時から、もしこういう展開になったらどうするか、ということは(万が一が起きた場合に備えできるだけ対応策を事前に用意して、少しでも仲間に迷惑をかける可能性を減らすために)いろいろ考えていたし、女王その人を見た時点で、おそらく女王は話をこの結論に持っていきたいのだろうということを悟ることができてしまったからだ。常時使用している同調術の効果によって。
神から恩寵として与えられた術法って本当に便利で強力だな、と思いつつも、ロワはまず予防線を張っておく。
「女王国の王女の教育を、男の俺に施せ、と? それはさすがに、周りの人間に与える反感が激しすぎるのでは?」
「ふん? 貴様が我が女王国の礼儀を気にするとは思わなんだぞ」
「俺はこの国の常識をよく知りません。だから、それが正しいのか、理にかなっているのかもよく知りません。ですから、あえて無視するという選択肢はできるだけ取りたくない、と思っています。さっきまでの礼法を無視した言動は、単純に『それよりも大事なことだ』と思ったから、礼儀だなんだってことにかまっている余裕がなかっただけです」
「ふん……ま、女王家に喧嘩を仕掛けようというのだ、その程度には口が回るか。だが、この提案はお前にとっても悪くない話ではないのか? お前が自分の言っている通り、ただひたすらにライシュニディアの犯した過ちを正したいと思っているだけならば、直接ライシュニディアを指導できるこの機会は、逃すべからざる好機であろうと思うが?」
「それは、確かにそうですが。――報酬は、いくらですか?」
女騎士たちがまたもざわめくが、ロワはまるでそれを気にする風を見せないまま、女王に堂々と要求する。
「俺は冒険者ですから、俺に仕事を依頼するなら、きちんとギルドを通して依頼料を払っていただきたいですね。俺も霞を食べて生きているわけではないですし、他の人間に『自分ではできない』ことをさせるのであれば、なんらかの報酬を支払うのは当然でしょう。それと、期間も最初に決めさせてください。俺にも予定というものがありますから、年単位で拘束されるような契約は結びたくないので」
「ふん、報酬、な……ではまずそちの方から望みの額と期間を言うてみよ。そんなことを言い出したからには、それなりの腹案もあるのであろう?」
「腹案、というほどのものじゃないですが。……俺が望む期間は三日。報酬額は、手取りで五万ルベトでけっこうです。ただし、別に王宮でなくてもかまいませんから、それなりの場所で、三日間の衣食住を無料で与えていただきたい」
またも女騎士たちがざわめく。ただ、今回は困惑の気配がより強かった。三日間で五万ルベトというのは、一般的な家庭教師たちに対してならば、まぁ常識の範囲内に収まるであろう額。だが、冒険者に払うにしては相当な低額だ。駆け出しの冒険者でさえ、それを超える額を支払わねば雇えないことはしばしばだろう。そんな少額をわざわざ要求し、衣食住の世話を要求するも、王宮内でなくていいと断りを入れる。なにを考えているのかわからない、腹の底が読めない、と戸惑い狼狽しているようだった。
それに三日間という期間の短さも怪しまれているようだ。『教育』に必要な期間としてはあまりに短い時間。さっきまであれだけまくしたて女王家を糾弾していたのに、三日で王宮から去ると宣言するとは。なにを企んでいるにしても三日間という時間はあまりに短い、なにを考えているのかさっぱりわからない、と困惑し混乱している。
だが、ロワは別になにか企んでいるわけではない。口に出した通りに、冒険者として生きている以上ただ働きはしたくなかっただけなので、単純に家庭教師の相場の範囲内で(ネーツェの日雇い仕事の中には『家庭教師』というのもあったので、報酬額の相場はある程度把握しているのだ)、キリのいい金額を言っただけ。
そして期間を三日と区切ったのは、単純に、その期間内に教育をきっちり終える自信があったからだ。――正確には、その期間内に教育を終えることができなければ、自分にはどれだけ時間をかけても無理だろう、という負の自信が。
女王はしばし、玉座から自分たちと、その周囲の戸惑う女騎士たちを見下ろしていたが、やがてすっと手を挙げ、女騎士たちを静まり返らせてから宣言する。
「よかろう。そなたたち――冒険者パーティ〝女神を知る者〟たちに、翌南緑刻始の時より三日間、わが娘、第十七王女ライシュニディアの教師としての権限を与える。その教育を妨げることは、我、ビュセジラゥリオーユ女王ヒレーナキュディオラ・ジュマ・ダキアン・ウルシュビオージス・ビィージェン・ブリジルダ・アルニャビオネが禁じる。そなたたちの寄宿する場所は、ビュセジラゥリオーユ第四王子、ジュディオランの舎宅とする。報酬は全額成功報酬とするので、せいぜい励むがよい」
言うや女王――ヒレーナキュディオラはすっくと立ち上がり、こちらを見下ろしてきっぱりと告げた。
「では、下がるがよい。此度は許すが、今後再びこのような騒ぎを起こさば、それすなわちビュセジラゥリオーユに対する不敬とみなし、即時断罪する。ゆめゆめ忘れるな!」
その言葉と共に自分たちを取り囲んでいた女騎士たちが動き出す。剣を構え、逆らわば斬るという気配を全力でまき散らしながら、こちらを謁見の間の外へ追いやろうとしてくる。
ロワとしては、別に今彼女たちと喧嘩したいわけではなかったので、仲間たちと目配せを交わしたのち、促されるままに謁見の間の外に向かった――のだが。
その最中も、外に出てからも、ロワはどうにも、女王の言葉のひとつが気になって仕方なかった。すなわちそれは、
『………〝女神を知る者〟って、どこの誰?』
そんな名前のついた冒険者パーティなんて、ロワはこれまで一度も見たことも聞いたこともなかったのだが。
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