第90話 晩餐

 ロワの疑問を聞いて、ジュディオランは、自分の席の上で、のたうち回るほどに笑い転げた。


「知らなかったのかい!? 君たちパーティにつけられた二つ名に決まってるじゃないか。ゾシュキーヌレフが盛大にその名前で喧伝しているよ」


「は……?」


「ゾシュキーヌレフを十万の眷族と共に襲った邪鬼を打ち払い、大陸の各地に放った総勢十四万の眷族すらも討滅し、邪神ウィペギュロクの転生した姿であったその邪鬼本体を、女神に直接奏上して封印せしめた、彗星のように現れた新人冒険者パーティ。もっとも新しき英雄。大陸でも有数の英雄から教えを受け、五人中四人もが女神の加護を与えられているのみならず、残りの一人が女神から直接託宣を与えられる巫でもあるという、いずれは世界を救うことになるであろう、いやすでに一度救っている恐るべき冒険者」


「え、えぇぇ……」


「それが自分たちのギルドに所属する、とはっきり言っているわけではないけれど、強い繋がりを持っているとほのめかしながら、ゾヌは大陸中に君たちの為したことを喧伝しているわけだ。邪鬼の放った眷族の標的となった国家や街に、微妙に圧力をかけながらね。商業・流通におけるゾヌの影響力がさらに強まった、と大陸のあちらこちらで嘆く声が僕の耳にも届いてくるよ」


 くっくっくっ、と椅子の上で身をよじり笑い転げながら、ジュディオランはからかうように、そして男を誘う女のように怪しげに(それが単なる習い性であることはロワには感じ取れるので、気にはならなかったが)、すくい上げるような視線をよこして問いかけてくる。


「それで? 君たちは本当に、ゾシュキーヌレフの子飼いなのかい?」


「えぇー……子飼いったってなぁ。まぁ、いろいろ世話になってんのは確かだろうけど……」


「……それなりに繋がりがあるのは確か、ではありますね。ゾヌの人たちに依頼されれば、できる限り即座に応えないわけにはいかない、ぐらいには」


「ふぅん……ゾヌの喧伝してることも、まったくの嘘ではなかったわけだ」


「っつかさー、にーちゃんさー」


「……僕は別に君の兄ではないよ?」


「えー、そこそこ若いにーちゃん呼ぶのに、にーちゃん以外になんて呼べってんだよ」


「ジュディオラン、か第四王子。それが長いというならジュンでいい。君たちに愛称で呼ばれたくないと言ったのは、単に君たちを挑発して言っただけだからね」


「っつか、愛称なんて会った直後から呼ぶのがフツーじゃん……まーいいや、じゃージュンさー。俺らに会った時すぐに、俺らがその……女神を知る者? ってパーティだって、わかったわけ?」


「それはもちろん。僕の仕事は細作のようなものだからね、国内外の情報はできる限り収集しているし、なによりすぐ隣の国が積極的に喧伝している情報なんだ、耳に入らないわけがない。だからこそ僕は君たちをあれこれ挑発したり、威圧してみたりして、できる限り情報を引き出そうとしたわけさ。ま、さして意味はなかったけれど」


「ふーん……?」


「なにせいきなり女王陛下に会わせろ、さもなければ女王を呪うぞ、だものね。ゾヌの喧伝している君たちの情報が正しいのなら、下手をすれば本当に女王陛下を破滅に導く呪いが発動してしまうかもしれない。だからこそ僕は、僕に失点がつけられるのを覚悟で、女王陛下に奏上し交渉の席を確保したわけさ」


「失点がつけられる、というのは? 早期に問題を解決すべく、問題を早急に上司に報告するというのは、少しも間違ったことではないと思いますが」


「僕は一応女王陛下直属の部下という形になっているし、女王に直接情報を報告する権利が与えられているけれど、仕事の細かい査定をするのは女王陛下ではなく、王宮に巣食う文官たちだからね。そして彼女たちは、男でありながら女王陛下の直属の部下である僕が心底気に入らず、足を引っ張りたくていつもうずうずしている。今回の一件は、『女王御自ら男たちなどに会わねばならぬ事態を招き寄せた』だの『王女殿下の監督不行き届き』だの『本来なら個人で解決すべき問題を王宮に持ち込んだ』だの、文句をつけようと思えばいくらでもつけるところがある話だ」


「なんだよそれーっ! そんなん言いがかりじゃんっ! ムッカつくなーそのおばちゃん連中! なんだったら俺が王宮吹っ飛ばして、それがそのおばちゃんたちのせいだ、って責任おっかぶせてやろーか?」


「おい、ジル……!」


「……こういうことを当たり前のように言うのみならず、当たり前のようにできてしまう子供が、普通にそこらへんを歩いているという事態は、冷静に考えてみると恐ろしい話だな。ともあれ、その必要はないよ、〝祈神絶風〟ジルディン」


「………は?」


「……それがジルの二つ名、というわけですか?」


「他にもいくつかあるよ、〝常世の風を吹かせる者〟とか〝ゾシュキアのいとし子〟とか。他の面子にも、〝戦鬼絶剣〟とか〝不倒にして至闘たる剣士〟とか、〝黒き賢猫〟とか〝肉の盾たる若き無尽〟とか――」


「なんっっだそりゃあ! ひいきが過ぎんだろいっくらなんでもっ! なんでジルとかヒュノとかがやたらめったらカッコつけた二つ名で、俺だけ肉の盾なんだよっ! ……まぁそんくらいの活躍しかしてないっつわれたらそうなんだけどさ……」


「まぁ、ゾヌが自勢力の拡大のためにより効果的に話を喧伝するためつけた二つ名だろうからな……盛りやすい活躍をした奴の実力がどんどん盛られるのは当たり前ではあるだろうな……。だけどカティはまだマシだろう。若き無尽なんて、タスレクさんの後継者として目されているも同然だぞ」


「それはそれでクッソ荷が重ぇわ! タスレクさんと同じことしろとか言われたらどーすんだっ、俺ぁあの人の十分の一の実力も持っちゃいねぇんだぞっ!」


「『黒髪と猫人であることくらいしか特徴がない』と二つ名ではっきり宣言されるよりマシだろうっ! 『所詮はそこそこ程度の知性しか持っていない』と言って回られるようなものだぞこれはっ!」


 ぎゃんぎゃん喚き合うネーツェとカティフをくすくす笑って眺めながらも、ジュディオランは優雅な挙措で食事を進めていく。ジュディオランの住宅街の屋敷に戻ってくるや、いつの間にか準備されていた晩餐――といっても味も内容もおそらくは値段も、ごく一般的というか、ゾシュキーヌレフの食堂で売られているものとさして変わらないだろう食事に招待されたのだが、そんな食事を(時々笑い転げるのを除けば)作法にのっとった美しい挙措で胃の腑に収めていくジュディオランは、さっきまでとは打って変わって、打ち解けた楽しげなそぶりで自分たちに接していた。


 つまり、現時点では、自分たちパーティに好感を持たれた方がありがたい、とジュディオランは考えているわけだ。ジュディオランの上司――王宮の文官がどう考えているか、についてまではわからないけれども。


 ただ、国家の最上位にしてジュディオランの母である、女王ヒレーナキュディオラがどう考えているかはだいたい感じ取っていた。彼女は、ジュディオランたちから自分たちの情報を詳しく知らされているであろう女王は、自分たちのことを――『関わり合いになりたくない』と考えているのだ。


 そんなことをロワが考えている間にも、食卓の話はどんどん転がっていき、いつしか話題は『この国の女王について』へと変わっていた。息子であるジュディオランに、仲間たちが次々質問を投げかける。


「っつかさー、あのおばさんってさー、なんであんなにえらそーなの? 俺たち別にこの国に住んでるわけじゃねーんだからさー、あのおばさんにあんなにえらそーにされる覚えなくね?」


「阿呆かお前はっ! 国家元首に対して一般庶民が偉そうにする方が常識を疑われるわっ! ……ただ、僕も、あの方の態度というか、威圧感には驚かされたな。騎士たちを全員心服……とまではいかないかもしれないが、『命令に反するなど考えられない』というくらいのことは思わせているだろうほどに、影響力が隅々まで行き渡っている感じだった。男性を配偶者に定めたというのなら、この国の特性上、国民からはこぞって嫌悪感を抱かれてるんじゃないか、と考えていたんだが……それだけ高い政治力を持つ、ということなのか?」


「いやそれよりなにより顔だろ。ぶっちゃけるけどよ、俺相当驚いたぜ。これまで見てきたビュゥユの女の人らの中でさ、女王さまがいっちゃん不美人なんだもんよ」


「………カティ。お前な」


「いっいやだってよ! フツーに疑問に思わねぇ!? もちろん美人ではあるんだぜ、ちっととうは立ってっけど俺でもフツーにイケるくらいの美人だし! 年のわりにゃ充分以上に美人だって太鼓判押せるよ誰だって! けどよ、その……ビュゥユに入ってから見る女の人らがさ、誰も彼も若くてむっちむちの超美人だったからよ、なんつーかこう、超美人の人らの最上位にいる人があのくらい、ってなると……なんつーかこう、期待外れっつーか……」


「……年のわりに、か。君は、僕の母親である女王陛下が、どれくらいの年だと思っているんだい?」


「え、そりゃ……三、四十ってとこだろ? 見た目で明らかじゃんかよ」


「そうかい。で、僕は何歳ぐらいに見える?」


「え、そりゃ、二十歳前後……って、え? あれ? いや、んな、だって……」


「君は僕の肩書を覚えているかな? 僕はビュゥユ女王国の第四王子なんだけど。そしてラィアは第十七王女。その意味が本当にわかっている?」


「えっ……ちょっ……いや、んな……嘘だろぉっ!?」


「嘘なわけがないだろう。現女王である僕の母上は、御年五十八歳。現在お産みになった子供たちは、男が五人、女が二十二人の合計二十七人。さすがに最近は子供を作られてはいないけど、十九歳で結婚された当初は、ほぼ年に一人の割合で子供を出産されていたそうだよ」


「え、え、ぇ……ぇぇえぇえ……」


「この国には、女聖術というビュセジラゥさまから下賜された術法があるのは知ってる?」


「あ、それ知ってる! ビュセジラゥさまの信者以外には教えちゃいけない術法なんだよな?」


「そう。女聖術はビュゥユの全国民に教えられることが義務付けられている術法だ。その効能は『女の力を高める』こと。身体能力や心魂の力はもちろんだけど、なにより強力に働くのは、容貌を美しく保つための美容術としての効能なのさ」


「え、そ、それって……」


「そう、女王陛下はその女聖術の達人だ。だからこそ御年五十八になられたのにもかかわらず、あれだけの若さと美しさを保ち、総勢二十七人の子を出産されたにもかかわらず、体機能が微塵も衰えていない。妊娠と出産という一大事を、体にまるで負担をかけることなく、子供に悪影響を及ぼすこともなく、安全に安楽に済ませることも、女聖術の効能のひとつだからだ」


「ぅ、うわ、うわ……」


「さらに言えば、君がこれまでに見てきたビュゥユの国民が全員絶世の美女であることも、この女聖術の効能による」


「ぇっ……」


「女聖術の中でも全国民に真っ先に教えられるのは、『女同士の性行為によって女の力を高める』という術式だ。有体に言うと、女聖術を学んだ全国民は、女同士で励めば励むだけ若く、美しくなるのさ。女聖術では魂の寿命を延ばすことはできないので、長生きするためには役に立たないが、老衰で死ぬその時まで、十代二十代同然の若さと美しさ、肌の張りと女性機能を保持する者は、はっきり言って少しも珍しくない。君が見てきたこの国の国民たちの中にも、五十代六十代、それどころか七十代八十代九十代の女性がおそらく混じっていたはずだと思うよ」


「ぅ、ぅ、う……うっそだろぉぉぉお!?」


 唖然愕然茫然自失、という勢いで衝撃を受け頭を抱えるカティを、ネーツェやジルディンはやれやれと言いたげな顔で見やりつつ言葉を返す。


「女聖術についての知識はそれなりに得てはいましたが、そこまで極端な効果のある術法だとは思っていませんでした」


「まぁ、そこまでの効果があるのはさすがにビュゥユの国内に限られると思うよ。この国は女性と愛の神にして女聖術の創造主、ビュセジラゥさまのお膝元だ。達人ならば女聖術の効果を数倍にまで高められる、という報告が上がっている」


「ま、護国神ってたいてーそんくらいのことはするらしーよな。ここの隣のイシューニェンタ聖国でだって、イキシュテアフさまが恩寵として授けるような術法はだいぶ効果上がるらしーし。まーイキシュテアフさまってそんな特徴のある術法とか創ってないらしーけど」


「ま、護国神なんて方々がなんで存在するかっていうと、その御心に沿った国が在り続けることを神々ご自身が望んだからだからね。だからこそ御力を振るって、国という大きな存在に加護を与えているわけだし。加護を与えている国内で、司る権能の範囲内の術法が強力になるのは、当然と言えば当然かな」


 一巡刻アユン前に女神さまたちご自身から伺った話題の、人の視点から見た時の内容を、鹿肉のステーキを口に運びながら聞く。歯ごたえのありまくる肉を力を込めて噛み締めつつも、護国を行っている神々ご自身からするとこういう人の視点からの意見ってどう思われるんだろう、などと考えていると、ジュディオランの方から話を振られた。


「だから、僕は、君の言動に、いささか疑問を感じずにいられないんだよね。〝女神の巫〟ロワくん」


「……二つ名をつけて呼ぶの、やめてもらっていいですか? 俺は別に、二つ名をつけられるほどの実力者ってわけでもないし……」


「だが神々から強力な恩寵を与えられたのみならず、女神の側に侍ることも許されている。神々すらも知りえないなんらかの効能によって、女神と直接会話を行うという、有史以前から現代にいたるまで、誰もなしえなかったことをやってのけている。充分敬意を持って接されるに値すると思うけど?」


「それは別に俺の手柄じゃないでしょう。少なくとも他のみんなは、女神のご加護によって近道はつけてもらったにしろ、今現在敬されるに足るだけの、確固とした実力は身に着けている。でも俺はそうじゃないし、俺の持つ他の人たちと比べて特筆すべき価値っていうのは、あくまで偶然、なにかのはずみで得られたものだ。だったらまたなにかのはずみで失われるのが当たり前です。そんな代物に敬意を払われても、こちらとしては居心地が悪い、というか……」


 ……さらに言えば、女神さまたちと言葉を交わすことができているこの幸運を、誰かに羨ましがられたり、妬まれても、困るのだ。どれだけ切実な気持ちでこの奇跡を求められても、自分にはどうしようもないし……あの優しい女神さまと想いを伝えあうあの一時を、譲り渡せと言われても、たぶん自分ははっきり断ってしまうだろうと思うから。


 そんな気持ちで言葉を濁したロワに、ジュディオランはふふ、と妖しげに――男を誘う魔女のように笑った。やはりどこからどう見ても男の姿でそんな表情をされると激しく不調和なのだが、本人としては普段通りに会話しているだけなのだろうし、少しはのびのびした気持ちになってくれているからそんな表情が出ているのだとしたら、わざわざ指摘して嫌な思いをさせたくない、とロワは無言で甘橙の果汁飲料をすする。


「そうは言うけどね。他の方々の実力もそれはもちろん羨望を浴びるにふさわしいものだけれど、君の特性ほどでは決してないよ。彼ら程度の実力ならば、この大陸には幾人もいる。相応の金を積めば、まず間違いなく雇えるだろう程度の実力だ。もちろん優秀であることは疑いがないが、それなりの規模の国家ならば、国内に数人は存在するだろうほどでしかない。珍しさでは決して君に及ばない――『女神と直接言葉を交わすことができる』という、全人類のうち君一人しか有していない、珍奇この上ない特性には、ね」


「…………」


「その幸運を、世に生きる者のうち、いったいどれだけの数が欲しているか、君は本当にわかっているかい? 道を極めた求道者も、この上ない富を有する大富豪も、恐るべき戦力を有する軍事国家の首長であろうとも、決して手に入れることのできない無上の奇跡を、今君は手にしているんだよ?」


「…………」


「世界を律し、動かしている、神々ご自身から、世界に数多存在する疑問の答えを、自身が向かう先を、神は世界をどこへ導こうとしているのかという問いに対する答えを得ることができるなら魂すらも惜しくない、そう断言する人間がどれだけいるのか、そしてそんな人々が全霊を懸けて追い求めている幸運を君が有している、その事実の重みを――君は本当に、わかっているのかい?」


「…………」


 ロワは、ジュディオランが投げかけてくる、下から足を伝い這い上がってくるような、妖しげな視線と声に真正面から向き合いつつ、とりあえずしばし黙考した。確かに、そういう言い方をされると、自分の置かれた状況がそれなりに珍奇というか、人に羨まれてもおかしくないような代物である、とある程度理解はできる。


 ただだからといって自分が尊重されるような立場ではないという考えは変わらないし、そもそもジュディオランが伝えたいのがそんな話ではない、ということもロワにははっきり感じ取れてしまう。なので、しばらく考えたのちに、端的に告げた。


「……話してみましょうか?」


「えっ?」


「あなたは、神ご自身と、直接話をしてみたいんですよね? さすがにそれをどうこうすることはできませんけど、女神さま――俺と直接話をしてくださるエベクレナさまにお願いして、あなたの質問に答えてもらえるよう、あなたの神にお願いすることはできますよ」


「えっ? や、え? えっ……?」


 思ってもみなかった言葉に、ぽかんと口を開けおろおろと周囲を見回しこちらを見据えては目を逸らし、とわかりやすく周章狼狽するジュディオランをよそに、仲間たちが首を傾げて問うてくる。


「いいのか? そんなこと、人間の方から頼んじまって」


「だよなぁ。神さまに対して失礼とか言われね?」


「そうだな。僕としては正直そんなこと考えるだけでも不遜、という気がするんだが。そんな質問を実際に口に出すなんて真似は、普通神罰を下されるような身の程知らずのふるまい、としか思えないぞ?」


「これが人の分を越えたことなら、エベクレナさまの方からそうおっしゃると思う。でも神々は今、俺がなぜ女神さまの世界に侵入できたのか、って謎を調べるために、できるだけいろんな情報を集めたいと思われているようだから、新たな刺激……これまでになかった状況の変化は、かえって歓迎される可能性の方が高いと思うんだ。もちろん怒られるかもしれないけれど……人と神の常識の違いに物怖じせずに、思ったことを正直に話すように、とはいつも言われているから、致命的なほどに怒られたりはしないと思う」


「んん……それならまぁ、大丈夫……なのか?」


「女神さまご自身がそう言ったんだったら、それ疑う方がよくねーんじゃね?」


「だな。ロワがこう言うってことは、それなりにその考えに自信があるんだろ」


「えっ、えっ、えっ……!?」


 次第にジュディオランの顔が上気し始める。信じられない、本当に、と叫び出しそうな、突然訪れた幸運に戸惑いながらも歓喜する乙女のごとき表情と仕草。ロワの申し出は、確かにジュディオランにとっては望外の幸運だったのだということは、術法を使わなくとも感じ取れただろう。


 だからロワも、遠慮することなく、きっぱりはっきり言い渡した。


「その代わり、俺にその仕事を依頼するなら依頼料を払ってください」


「……依頼料?」


「あなたも一緒に俺の授業を――ライシュニディアに施す教育を受けてください」


「………はい?」


 ロワのその発言は、ジュディオランには本気で予想外な台詞だったらしく、ぽかん、と大きく口が空いた。


「い、いや、それが君の望みだというんならこちらとしては全然かまわないけれど……なんでだい? 君は、ライシュニディアが犯した罪が許せないから、女王陛下と喧嘩してまであの子の教育を買って出たんだろう? それが僕にどう関係してくるのかが……」


「俺は、あなたの、ライシュニディアが犯した罪を『大したことじゃない』と断言した言葉を、認めていないし許してもいません」


 ジュディオランは目を瞬かせてから、わずかに首を傾げて、穏やかな笑顔――という形を取った感情を感じさせない無表情で、問うてくる。


「君は、その言葉が僕の本意ではなく、君たちから少しでも情報を引き出すべく挑発するための言葉だ、というのを理解していなかったのかい? 僕はてっきり、君は最初からこちらの思惑をすべて感じ取っているのだと思ったのだけれど」


「そうですね。だから、依頼料なんです」


「どういう意味かな?」


「あなたが本心からそう言っていたのなら、女王陛下と話をした時に、あなたの教育についてもお願いしていました。犯罪を犯したわけでも直接的な迷惑をこうむったとも言えるわけでもない以上、きっぱり要求することはできないにしろ、この国の男性の地位の低さから考えると、それだけでも充分あなたはひどい目に遭わされたでしょうから」


「……まぁ、それは確かだね」


「だけど、たとえそれが単なる駆け引きのひとつでしかなかったとしても、俺はああいうことを当たり前のように言える人間が気に喰わないんです。この世に法律とか良識とか常識とかがなかったら、口にした時点で相手をぶん殴っていただろうくらいには。だから、あなたから報酬がもらえるなら、今後一切そんなことが言えないように教育させてもらうのが一番嬉しい。それだけですよ」


「………神々にただの人間の言葉を奏上するという行為に対して、あまりに安い報酬だとは思わないのかな?」


「あなたが気に喰わない、ときっぱり言っている人間に、心の底の底まで見せることになるんです。人格そのものを売り渡すようなものだ、と俺は思います。神のお怒りを受けて神罰が下される『万が一』の危険を冒す行為相応の報酬だ、と俺は思いますけど」


「……………」


「それが嫌だというのなら、この話はなかったことにしてもらうことになりますけど、どうします?」


 問うたロワに、ジュディオランは変わらぬ笑顔で、つまり無表情で、優雅な声を響かせてみせた。


「僕にとってはあまりに安すぎる報酬だよ。その報酬をお支払いするので、仕事を依頼させてもらってもいいかな?」


「はい。報酬は後払いにします? 先払いにします?」


「……先払いにするメリットがなにかあるのかな?」


「俺があなたのことを、心の底の底まで知ることになるので、神に訴える際の切実度が変わります」


 くすりと優美ささえ感じる笑い声が立つ。顔も声音も、ロワには変わらず無表情そのままに見えたが。


「いいだろう、報酬は先払いで。――君に切実さを感じさせるほど、僕の心の中に大したものがあるとは思えないけどね」

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