第86話 反発

「なっ……なんでよっ! なんでそうなるわけ!? 私別に保護者を呼び出されるようなことっ……」


「してないと言うのなら、その時点で君は、真っ当な話し合いができない相手だ、というのを証明してしまっている」


 ロワは真っ向から少女を、冷たく硬い眼差しで見下ろしつつ、厳しく容赦なく言い渡す。


「娼婦というのは職業だ。一定の金銭に応じて自身の肉体と技術を売り渡す仕事だ。それを装って客から金をだまし取るという行為は、二重に犯罪である上に真っ当に働く娼婦たちにとってこの上なく迷惑なやり口だ。それを理解できないような子供が、まともな話し合いの相手になるわけがないだろう。否が応でも君の保護者を引っ張り出して、それ相応の償いをしてもらわなくちゃならない」


「つっ、償いってなによ! 言ったでしょっ、私悪いことなんて別に……」


「俺もついさっき言ったばかりだけど、自分がとてつもなく悪いことをしてのけたという自覚のない君のような子供と、まともに話し合う気はない。君の保護者は? どこにいるんだ」


「っ……」


 口を閉じてぷいっと横を向く少女をしばし見つめ、ロワはふんと鼻を鳴らしてうなずいてみせた。


「なるほど。家出中なわけか」


「かっ、関係ないでしょうっ」


「だけど単に家を出て、帰っていないというわけでもない。協力者がいるね? 兄姉……おそらくは兄。その人が家族に言い訳をしてくれているわけか。そして、とりあえずの衣食住も用意してくれている。なら、まず会うべきはその人だな。君の家は相当な権力者の家系のようだから、簡単にはご両親には面会できなさそうだし」


「―――っ!! なっ、なんでそんなことまでわかるのよっ!!」


「君を観察していればある程度はわかる。あとはまぁ……半分はカマかけかな。それよりも、君はその現在の衣食住を世話してくれているお兄さんの居場所を、教えてくれる気はあるのか」


「っ………」


 再度口を閉じてぷいっとそっぽを向く少女に、ロワも再度ふんと鼻を鳴らす。


「その気はなし、と。なら、こちらで勝手に突き止めさせてもらう」


「えっ……」


「〝大地に祈りを、風に願いを、疲れ果てた者を家路に、夢見る子を寝床に、在るべきものを在るべき場所に配すべし。我、連綿と連なる貴き血を受け継ぐ幼子の護り手に希う。今陽は沈み往き、空は暗き帳を降ろさんとす。この者の身魂がそれに沿い、心は夢に、体は寝床に、魂は此岸に遊ぶべく、導きの手を施されんことを……〟」


「っ―――」


 とたん、少女の身体から力が失われ、かっくんと倒れ込みそうになるのを、ロワの手が支えた。この少女に対し好意を持っていないのはもちろんだが、だからといって女性の体を傷つけて許されるとも思っていない。


「お、おい、ロワ………? おま……いきなり、なにやってんの?」


「操霊術の誘眠術式。同時発動で帰宅誘導術式もかけた。これでこの子は眠ったまま、今自分が休むところに戻っていくはずだ」


「え、操霊術ってそんなこともできんの? 強くね?」


「まぁ、霊を操るということは、心魂を操るということでもあるからな。副次的にある程度その手の術式はあったはず……まぁあまり術の強度は強くなくて、無抵抗な相手や心の弱った相手、あるいは子供なんかにしか効かないらしいんだが……っじゃなくてだな! お前、どういうつもりなんだ!? その子を眠らせて自宅に帰宅させて、いったいなにをしようと……」


「言っただろう。落とし前をつけるって」


「落とし前って……」


「この子の保護者に直談判して、俺が払った二万ルベトを返してもらうんだ」


 そうきっぱり、力を込めて言い放った言葉に、仲間たちは揃って意味がわからないと言いたげに首を傾げた。




   *   *   *




「……別に着いてこなくてもいいんだぞ? 操霊術でも、仲間の居場所を探るぐらいのことはできるし」


「いや、普通に気になんだろ。お前がそんな風にやたらムキになるのって珍しいしよ」


「というかだな、ビュゥユの法律上どうかは知らないが、術法を相手の意思を無視して行動を操るために使う、というのはだいたいの国で普通に法律違反なんだが? それをいきなりやってのけておいて、仲間に不安に思われない方がおかしいと思わないのか?」


「だよなぁ、なんかとんでもないことしでかして、俺らまで巻き添え食うの嫌だしさ」


「まぁそれに、女にその、まぁなんつぅか、抱かれる? の嫌な女の子ってことは、家庭環境がそういう感じなのかもしんねーし? ことによると、男日照りのお姉さんとかとうまい具合に出会えるかもだし? こんだけ美女度が高い国なら、母親も充分イケる可能性だってあんじゃん? 首突っ込まねぇ方が嘘だろ!」


「うわ……カティってば、見境なさすぎじゃね?」


「節操とか倫理観というものがまるで感じられないな」


「う、うっせぇうっせぇっ、女王国で女買えねぇっつぅがっかり感をできる限り埋め合わせよう、慰めようっつぅ切ねぇ男の哀しい心がわかんねぇのかっ!」


「落ち着けってカティ……あんまり大きい声出すと術式が解けるから」


「お、おう、そうか」


 慌てて口を閉じるカティフに、思わず苦笑する。半分以上は、他の仲間と同じように、自分を心配してついてきてくれているというのがわかっているからこそ、気持ちの半分弱程度は本当に『うまいこと男が好きな女とヤれるかも』という下心であるという事実が、いろんな意味で物悲しい。


 帰宅誘導術式をかけられた少女は、しばしロワの腕の中でまどろんでいたが、やがてロワの腕から滑り降り、うつむきながらゆっくりした足取りで家路をたどり始めた。その後をただついていっては周りの人間に怪しまれるので(特にこの国では即衛士を呼ばれてもおかしくない)、操霊術の認識疎外術式をついてくる仲間たちに加え、少女も含めて全員にかけた上で、ゆっくり後を追っている。


 この術式は要するに行動を他人に気づかれないようにするための術式なのだが、操霊術の専門から外れる関係上、効力はさして強くなく、人ごみのように気づかれにくい環境下で、気づかれにくい行動をしている時に、一般人程度の抵抗力しかない相手にしか通用しない。つまり今のように街中で周りから目立たないように行動したい時ぐらいにしか役に立たない術式なのだが、逆に言えば今この時には十二分に役に立つ。


 少女はゆるゆると、街の正門近くの人の行き交う盛り場から離れ街の中央へと向かい、彼方に見える王城までの距離でいうなら正門からだいたい半分近く、という辺りの中層階級の住宅街の中の、一軒のややこぢんまりとした屋敷の前まで歩いて足を止めた。そしてそのまま呼び鈴を鳴らさず扉を開けて中に入っていこうとするので、ロワは素早く後ろから抱き留めて動きを抑え、少女を抱きしめていない方の腕を使って呼び鈴を鳴らす。


 屋敷なのだから使用人が出てくるかと思いきや、しばしの間を置いて、がちゃりと扉を開けて姿を見せたのは、自分たちとさして年の頃が変わらないように見える相手だった。髪を長く伸ばし、足はつつましやかに長めの巻きスカートで隠している。化粧は薄めだが、造作を引き立てるよう効果的に施されており、服装も一見地味ではあるものの、沈んだ雰囲気にならないよう要所要所に華やかな差し色を合わせていた。


 総じて、自分を装うことに慣れた良家のお嬢さま、という風情。客観的に見てかなりの美人と言っていいだろう。背後のカティフがごくりと息を呑むぐらいには色気も備えているらしい、そんな相手が、品よく首を傾げて問うてきた。


「どちらさまでしょう?」


「あなたの妹がだまし取った二万ルベトを弁済した者です。よろしければ、中で話をさせていただけないでしょうか」


「…………」


「おっま、こ、こんな美人にいきなりすぎんだろいっくらなんでも! フツーもーちょい気遣いとか遠慮とかするもんじゃねぇの、こんな美人には!」


「顔関係あんの?」


「バカかお前! 美人と不美人で態度や扱い変えんのは男だったら当たり前のこったろーがっ!」


「微塵も当たり前じゃないし、むしろそんな前時代的な発想してる奴は普通軽蔑されること間違いなしだと思うが。いったい何百年前の常識だ、それは」


「えっ……いやだって……フィネッカンじゃ誰も彼も、女の人らにそーいう扱いしてたぜ!?」


「……前線の兵士たちの、男同士の仲間内でならそういう思考が常識化することもあるだろうが、それがどこででも通用する常識だと思うなよ? 少なくとも女性にそんな台詞を吐けば、ほぼ間違いなく最低の男とみなされるからな?」


「ちょっ、なっ、んな無茶な……!」


「……わかりました、中へどうぞ。大したおもてなしもできませんが」


 言って踵を返す相手のあとを追って、少女の手を引き導きながら、ロワは屋敷の中へ足を踏み入れる。こそこそしょうもないことを喋っていた仲間たちも、慌てて後を追ってきた。小声だったので向こうには聞こえていないはずだと思いながらも、やはり内容が内容だけに気まずい気分なのだろう、小さくなってついてくる。


 二万をだまし取った少女の現在の保護者である相手は、『大したもてなしはできない』と言いながらも一応は自分たちを客として扱うつもりらしく、通されたのは応接間らしき部屋だった。「お茶をお持ちしますので」と自分たちと少女を残して部屋を出ようとした相手に、「待ってください」と引き留め、きっぱりはっきり告げる。


「もてなしは必要ありません。その代わりに、俺の話を聞いたうえで、教えてほしいんです。この子……あなたの妹が犯した犯罪と、あなたのお家の教育について」


「…………」


「だから、俺たちに対しては、『失礼がないように』と振る舞う必要とか、ありませんよ。それに、たとえビュゥユではそれが当然の礼儀なんだとしても、俺たちとしては、したくもないのに女を装うなんて真似をされても、正直申し訳ない気分にしかなりませんから」


『……………』


「……へっ?」


 カティフがすっとんきょうな声を上げるのに、相手はくすっと笑い声を立てた。


「こちらとしては、曲がりなりにも客として訪れた相手の前で装いを解くという方が慣れなくて気まずいのだけれども。まぁ、幸いと言うべきか、僕の方もそちらの常識が理解できる立場の人間ではあるからね。これも経験ということで、お言葉に甘えるとしようかな」


 言って髪を上げてうしろでくくり、化粧を手早く落としていく。ついで巻きスカートを外すと、下からは膝丈より短いズボンが現れた。上着を脱ぎ捨てると、上半身に作った凹凸が消え、平たい体つきがあらわになる。


 それだけのことで、あっという間にどこからどう見ても男性にしか見えない男性、というごく当たり前の姿を現すと、その男性は楽しげに、目の前のソファに悠々と腰を下ろし、男としての筋肉もある程度ついてはいるものの、ほっそりとして真っ白い足(たぶん毎日毛の処理と肌の手入れをしている、ということだ)を優雅に組んで、ロワに向けて問うてきた。


「さて、それではお話を伺おうか。―――このビュセジラゥリオーユ女王国第四王子、ジュディオラン・ビィージェンがね」

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