第85話 交錯

「―――放してよ!」


 唐突に路地のさらに奥から聞こえてきた甲高い叫び声に、全員の視線が反射的にそちらを向く。


 と同時に、ヒュノとカティフが駆け出し、ジルディンはふわりと宙に浮いて風をまとい、ネーツェは各種の術式を遅発発動(術式を発動直前の状態で『引き金』が引かれるまで待機させておく技法。状況に即応するためいくつもの術式を準備しておきたい時などに主に用いられる)させるべく早口で呪文を唱え始める。ロワも仲間たちから遅れ気味ではあったものの、操霊術の呪文を唱え始めてことに備えた。


 緊急時の対応については、ゾシュキーヌレフで待機させられている時に、英雄の方々――主にタスレクとグェレーテにしっかり(無料で。暇つぶしと言ってはいたが、たぶん急成長した性能に対して未熟な心身を危惧されたのだろう)仕込んでもらえたので、ロワとしてもそれなりには自信がある。


『魔力を回復できる手段が豊富にある現状においては、事あるごとに全力で対応して、緊急時の力加減というものを学習し訓練すべき』という英雄の方々の言い分には、納得した奴もしなかった奴もいるが、仲間たちはもう身体の方が勝手に反応するほどにしっかり動きが身に染みついているようだった。ロワはまだそこまで反応が身に馴染んではいないのが正直悔しいが、いまさらな話だ、凡人なりにせいぜい積み重ねていくしかない。


 が、今回は、そういった反応はまるで必要のない話らしかった。ヒュノが珍しく困惑したような声で、「ロワ! ネテ! ちょっと来てくれ!」と叫んだのだ。


 はっきりと声でこちらを呼ぶということは、緊急性がまったくない、かつ前線要員だけでは対処できないことがあった、ということだ。ロワはちらりとネーツェと困惑した顔を見合わせて、素直に路地の奥に向かい小走りで近づいた。


「どうした、ヒュノ、カティ」


「や、なんつーかさぁ……俺らじゃどーしたもんか、よくわかんねぇからさぁ」


 あれ見ろよ、とヒュノが指し示す先では、少女――まだ十の年を越したばかりというぐらいに見える少女が、二十代半ばに見える野性的な美女の腕の中で、ぎゃんぎゃん喚きながら暴れていた。


「………えっ?」


「ちょっと! 暴れるんじゃないよ! 金を受け取っといて、なんだってんだいその態度はっ、この小娘っ!」


「触らないでよ変態っ! 色魔っ! 色情狂の変態おばさんっ! あんたなんかに触られるほど、私は安い女じゃないのよっ!」


「………ええと………どういう状況なんだ、これは」


「や、俺らもそれを聞きたかったっつーかさ。これってあれか? 中年のおっさんが金に飽かせて幼女を無理やりお買い上げ、ってのと同じって考えていいのか?」


「いや……それは………どうなんだろう。迫っている方も美女なのは間違いないし……いや容貌の問題ではないんだろうが。法律的に考えるにしても、ビュゥユの詳しい法律まではゾヌでは調べられなかったし……カティ、お前はどう……って、なんで顔を赤くしながら鼻を押さえている……?」


「いやっ………だってよ! 今まであんまピンと来てなかったけど……こーして、目の前でおっぱじめようとしてるとこ見させられると、実感させられちまうっつーかさ! この国って……本気で、当然のよーに、女同士で、こんなことしてんだぜ………!? しかもこんな美女同士が………!! いやっ、なんつーか、真面目にっ……やばくねぇ!?」


「なにが真面目にだ真面目になってその発想なのかお前は少しは理性で本能を超克しろぉ!」


「―――失礼。お二方」


 話し合う仲間をよそに、ロワは真正面からもみ合う二人の女性に歩み寄り、声をかけた。


「お訊ねしたいんですが。あなた方は、『娼婦とその客』という間柄でよろしいんでしょうか?」


 美女の方が、忌々しげに舌打ちする。


「すっこんでな。あんたらには関係ないこったろう!」


「確かにさして関係あることではないですが、かといって曲がりなりにも冒険者として、犯罪行為が目の前で行われているのなら、見過ごすわけにはいきません。できればお二人に事情を説明していただきたいのですが。嫌だ、とおっしゃるのならば、こちらとしても国外退去を命じられるのを覚悟で、割って入らないわけにはいきません」


 後ろから「ちょ、おい、勝手に俺らまで道連れにすんなよ!」という必死の叫び声が聞こえるが、あえて無視をする。一般人の女性一人程度ならば、いくら自分でも一人であしらえないわけはないだろうから、仲間にまで問題を波及される可能性は低いとロワなりに考えてのことなのだが、それをいちいちこの状況下で説明していては、相手に与える威圧感を削ぐことおびただしい。


 それに、『仲間たちに迷惑をかけてしまうのは嫌だ』という想いも変わらず胸の内にあるものの、ロワとしてはどうしても、『娼婦とその客』という組み合わせの厄介事については、首を突っ込まずにはいられないのだ。想いというより、強迫観念にも似た代物と言っていいだろう。なにがなんでもそうせずにはいられない、そうしなければ自分の心がまともな枠組みを保てない、そういう強烈な強迫観念だ、と。


 それを感じ取ってか、野性的な美女は再度忌々しげに舌打ちしたのち、少女と揉み合いを続けながらも言ってよこす。


「別に大したこっちゃあないよ。あたしはこの小娘に誘われたんで、相応の金を払った。そしてそのあと逃げられた、ってだけさ。二、三日前のことだけどね。それで今日この小娘を見つけたんで、金の分の仕事をしろ、ってこの小娘に迫ってるだけのことさ」


「……なるほど。では、そちらの、年若いように見える方の言い分はいかがでしょう。なにか反論なり、ご意見なりはありますか」


「年若いように見えるってなに!? 私は本当に若いわよっ!」


 叫びながら、揉み合いながらも、少女は怒りのこもった語調で反論した。


「それは、確かにそういうことはしたかもしれないけどっ! だけど、そんなの別に罪になることじゃないでしょっ? 私みたいな子供に、そういうことをしよう、なんて考える方がそもそも悪いんだものっ! お金を奪われても当然でしょっ? あなたたち男なんでしょっ、だったらこんな変態の言うことなんて聞く必要ないじゃないっ! 私間違ったことなんてひとつもしてないわよっ!」


「――――――――」


「なんて言い草だいこの小娘……!」


「んー……この場合、どーなんだ? どっちが間違ってるってことになんだ、ネテ?」


「いや僕に聞かれてもだな……僕はこの国の法律知識を持っていないってさっき言っただろうが。特定の年齢に達していない少年少女の売春を禁じる国際条約はあるが、そもそもビュゥユはそれに加入する意志すら示していなかったと思うし……」


「いやおま、んなこと言ってる場合じゃねぇだろ……! こ、こんな子供が、こんな美人に体売るのが普通とか……! す、す、すごすぎんだろこの国って……!」


「なーなー、カティってばなに言ってんの? 意味わかんねーんだけど?」


「お、来たか、ジル」


「うん、風で探ってみても全然危険とか敵の後方支援とかなさそうだったし」


「………こちらの女性に対して。不当にだまし取った金銭を、返すつもりはありますか?」


「なに言ってるのあなた? 私別に悪いことなんてしてないって言ってるじゃないっ! だますもなにも、私を買おうなんて考える方が悪いんでしょっ? そんな汚いお金なんか、もう全部使っちゃったわよっ!」


「―――――……………」


「なんだってぇ……!」


「ふんっ、犯罪者に凄まれたって怖くもなんともないわっ。穢れた変態の分際で私に触れるなんて勘違いした償いだと思いなさいっ。むしろ、穢れたお金を清めてもらえたって感謝するところでしょっ」


「ふざけるんじゃないよこの小娘……!」


「失礼。あなたが彼女に対し、払った金銭はいくらになりますか?」


「はっ?」


 美女はいぶかしげにこちらを見やったが、聞かれたことについては正直に答えた。


「……二万ルベトだったと思うけど。それが?」


「それでは、俺がその分の金銭をお支払いするので、一度彼女への追及の手を収めてはいただけませんか」


『………はぁ?』


 美女のみならず、仲間たちからもいぶかしげな声が上がる。


「手を収める、ったって……それでどうなるってんだい。この小娘を無罪放免にしろってことかい?」


「いいえ。彼女には、きちんと落とし前をつけさせたいと思っています」


「はぁぁ? 本気で意味がわからないね。だったらなんであんたが……」


「俺たちは冒険者です。民間での厄介事を、示談ですませるために働くのも仕事のひとつ。ですが、もし『あなたが彼女に払った金銭を取り戻す』ために働いた場合、俺たちはその労働分の支払いを、あなたに求めなくてはなりません」


「あっ……」


「まず間違いなく、支払う金銭は二万ルベトを大きく超えるでしょう。のみならず、各種の煩雑な手続きなどにも顔を出していただかなければなりません。ですが、あなたがここで引き下がり、支払った金銭を取り戻してあとは無関係という態度を貫かれたならば、俺たち――俺は『自分の支払った金銭を取り戻す』ために個人的に働く、ということになります。支払い義務は誰にもどこにも存在せず、各種手続きもほぼ必要なくなるでしょう」


「…………」


「現状を鑑みて、あなたがもっとも無駄なく損失を取り戻せるのは、ここで俺から二万ルベトを取り戻す、というやり方だと思うのですが。いかがでしょう」


 しばし眉を寄せて考え込んでから、美女は顔を歪め、再度舌打ちをしてみせた。


「わかったよ。確かに、二万ルベト程度のために面倒を抱え込むのはごめんだ。あんたから二万を取り戻して、まっとうな街娼に支払うのが、一番マシなやり口だろうね」


「ご理解いただきありがとうございます」


 言ってロワは、腰帯鞄から財布を取り出し、一万ルベト金貨を二枚渡す。美女はそれを受け取り、ふんっと鼻を鳴らして肩を怒らせながら路地を立ち去った。


 それをなんとなく見送ってから、仲間たちがこちらを向いて口々に言ってくる。


「ロワお前な、少しばかり格好をつけすぎじゃないか? いくら今の僕たちにとって二万ルベトが大した額じゃないとはいえ、見知らぬ少女の歓心を買うためだけにぽんと差し出すというのは……」


「あそっか! 単にカッコつけたいから二万払ったのか! なんだよそれー、ロワってばばっかじゃねーの? それって逆にみっともなくね?」


「ま、お前の金なんだからお前が好きに使やぁいいと思うけどよ」


「許さねぇ……絶対に許さねぇぞ……! 当たり前みてぇにしれっとさらっと女子にカッコつけられるとかっ……! お前も俺の敵だぁっ……!」


「えっ……」


 少女がばっとこちらを見上げ、ぽかんと口を開けながら、驚愕と呆然が入り混じった顔で、再度こちらを見つめてくる。


「私のために? 私のためにあなたは、お金を払ってくれたっていうの?」


「――――みんな、なにを言ってるんだ? そんなわけないだろう」


 ロワは静かにそう告げると同時に、少女の腕をがっしりつかむ。少女が仰天して身をよじるよりも早く、ロワはきっぱりはっきり、真正面から少女を見つめて宣言した。


「言っただろう、落とし前をつけさせるって。俺の払った二万は、君の保護者からきちんと取り立てさせてもらう」

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