第84話 排斥
『ほぁぁ………』
正門脇の小さな扉から都市内へと入れられ、とりあえず周囲を見渡してみるや、カティフとヒュノとネーツェの声がきれいに揃った。城塞都市ならたいていそうだろうが、正門を入ってすぐは広場になっていて、馬車や馬が大量に行き来できる、ないし停められるようになっている。この街――ビュシクタリェーシュでは、普段その広場は市場として使われているらしく、何百人もの国民――女性たちが行き交い、店を出している相手とやり合っているさまが目に入った。
そしてその女性のことごとくが美女だった。
肌の色も、髪の色も瞳の色も、顔立ちもまとう雰囲気もことごとく違うものでありながら、全員美女だということは共通している。市場で店を出し大声で呼び込みをしている女性も、それを相手にして一歩も退かず値切ろうとしている女性も、他の国だったらむっちりというよりがっちりとしたおばちゃんなのが普通だろうに、黒い巻き髪に褐色の肌の肉感的な美女や、金髪碧眼のほっそりとした妖精じみた美女だったりするのだ。
それを眺め回して思わず感嘆のため息が漏れてしまったのだろう三人の仲間を責める気はなかったが、一度視線が周囲を巡ったのに再度また周囲を見回そうとしているのを見て取り、ロワは慌てて三人の背中を軽く叩いて回る。ヒュノとネーツェはすぐに我に返ったものの、カティフだけは気づいた様子もなくしつこく女性たちを見回そうとし続けるので、やむなく後ろから目を塞いで無理やり止めた。
「ちょっ……おま、なんだよいきなりっ!」
「いやなんだよって……カティ、もう忘れたのか? この街の中では、女性を何度も視界に入れたら罰金を取られて追放されるんだぞ?」
「あっ……」
「『あっ』じゃないだろ『あっ』じゃ! ……まぁ僕も、最初見た時はさすがに少々圧倒されてしまったのは確かだが……」
「だよなぁ。俺も自分で驚いたわ。俺にも男の本能とかちゃんとあんだなって」
「そこ驚くところか? まぁ、俺も正直ちょっと驚いたけど、ほっとした気持ちもあるな。ヒュノって、剣以外の世俗の欲望とか全部放り捨てちゃってるんじゃないか、って少し気になってたから」
「なんだよー、それじゃ俺らが男じゃないみたいじゃん! ロワだって別に反応しなかったくせにっ!」
「お前が反応しなかったのは子供だからだろう。別に気にする必要のあることじゃないだろうに。……まぁ大きく分ければ『子供だから』というのを理由にできなくもない、判断力の低さや自制心の足りなさや感情優先の考えなしの思考方式なんかは、すぐにでも改善してほしくはあるが」
「つぅかお前ら……俺に目隠ししながら無駄話してんじゃねぇっつの! とっとと手ぇ外さねぇと、俺ぁまともに歩けもしねぇだろうがっ!」
『……………』
「……手を外しても、女の人たちをじろじろ見たり、見つめながらにやにや笑ったりしないか?」
「は!? んっだそりゃ、俺をなんだと思ってんだ!?」
「女に飢えた女日照りの性的に野獣じみたところのある成人男性だと思っている。言っておくが、この国の国民が少しでも嫌悪感を抱いたら、僕たちは即座に金を取られた上で街の外に放り出されるんだぞ? せっかく街に入ったのにいきなりそれは、さすがに勘弁してほしいんだが」
「やっ……なっ、その……まぁ………な? そこはそれ……な!? わかるだろ!?」
「いやわっかんねぇよ。ロワがまた手ぇ外したら、また鼻息ふんふん荒くして周り見始めるだろーなってことしか」
「ぬぐっ……お、お前だってさっき俺と一緒に回り見回してただろぉ!? ちょっとくれぇは気持ちわかんだろ!」
「いや、まぁ、なんか目がいっちまうって気持ちはわかったんだけどよ。けどそれはそれとして、今から街追い出されんのとか、普通に嫌じゃね?」
「ぅぐう……」
カティフはしばし唸ったのち、渋々ながらも目隠しをされたまま歩くことを受け入れた。カティフとしても一日中走った後に宿にも泊まれず街を追い出される、という展開は嫌だったようだ。つまり逆に言えば、そういう展開になることがわかっているにもかかわらず、目の前に女性たちがいれば、鼻息を荒くしてじろじろ眺めまわすだろうと確信できてしまっている、ということだが。
「しょうがねぇだろそれ以外に選択肢ねぇだろ俺ぁどうせ女に飢えた女日照りの性の野獣だわ! 丸一日女のことばっか考えて必死に走ってたってのに、女王国で女買えねぇとか言われた男の哀しみがわかるってのかわからんだろあぁ!? 美人のねぇちゃんたち見れるってなったら鼻息荒くなんのもしかたねぇだろ当然だろ!」
「カティ、小声で俺ぐらいにしか聞こえないように言ってくれるのはありがたいんだけど、不意打ちでこの国の女性がうっかり近づいてくる可能性もないわけじゃないから、できれば口にも出さないでほしいな……」
と言いながらも、まぁまずそれはありえないだろうな、とも思っていたのだが。
なにしろ、街を歩いていてぶつけられる周囲の女性の視線が非常に痛い。いや視線というか、視線の逸らされ方が痛い。
街を歩く人の姿の中には、男のものがひとつもない。どれも様々な種族の、美しい女性のものばかりだ。つまり道を歩いている男たちは、自分たち以外に一人もいない。そんな自分たちの姿を見た街の女性たちは、誰もが揃って嫌な顔をする――というか、『気持ち悪いものを見てしまった』という顔をする。
嫌そうな顔をしてさっと目を逸らしたり、険しい顔になっていきなり踵を返したり、『うわ……』と小さく呻いて身を引いたり、『ひっ……』と悲鳴を上げて固まったり、なんというか扱いが気色の悪い害虫並みなのだ。それを行き会う女性のすべてが、しかもことごとくが下手をすれば『絶世の』がつきそうなほど美しい女性たちが、揃ってそういう反応をする。
ジルディンでさえも嫌そうな顔をしたし、ヒュノも眉を寄せて不本意な心持ちをはっきり見せたし、ネーツェは口には出さないがあからさまに落ち込んでいる。カティフもたぶん、女性たちの様子を直接見ていたのなら心の底から沈み込むに違いあるまい。ロワも自分たちが異分子、しかも街中の人間すべてに嫌がられるような異分子であることを思い知らされて、正直肩身が狭い。
別に自分たちは悪いことをしているわけじゃないし、堂々としていていいと思うのだが、だからといって気持ちが休まるわけもない。『後ろ暗いところがない』という事実と、『行き交う人のことごとくにあからさまに嫌がられた時の気持ち』という問題は、当然ながらまったく別の話なのだ。
そもそもが女性同性愛者を推進する神により、女性同性愛者の一大拠点として建国された国なのだから当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、この国で男が生きていくというのは難しい、というよりまともには生きていけないに違いない。一割以下とはいえ、無視できないほどの数、男が国内に生存している、ということの方がむしろ驚きだ。
ともあれ、まずはなにより宿を取らなければ、とそろそろ店じまいしようとしている女性たちの間を通り抜け、近場のそれなりにいい雰囲気の宿に入ろう、としたのだが――
「うちは男を入れるような宿じゃないので」
――と、入り口に立っていた女性に、きっぱり断られた。
「へ……は!? いやちょっとあなた、本気で言ってるんですか!? 宿の人間が、客を、入れる前に断るってそんな……」
「あなた方こそ本気でおっしゃってらっしゃいます? この街に入ってきたということは、契約書に署名したということでしょうに」
「そ、それは、確かに、しましたが……」
「あなた方男は、この国では私たち女に逆らう権利はないんです。気分を害する時点で充分許されざる大罪、罰金刑を与えて街の外に叩き出してしかるべき。つまりあなた方はここまで道を通ってきた時点で、罰金刑と国外追放刑の執行猶予を受けているも同然なんですよ。理解していますか?」
「なっ……」
「あなた方男というのは、私たちまっとうな女からすれば、それこそ見るに堪えない害虫なんです。そんな代物を宿の中に入れたとあれば、それこそ信用にかかわります。私たちの宿に泊ってくださったまっとうな女のお客の皆さまに、男などのために嫌な思いをさせるなどそれこそ言語道断」
「がいっ……」
「お引き取りを。嫌だというなら通報します。言っておきますが、この国ではまっとうな宿屋にはすべて騎士団と衛視隊直通の連絡用術法具が備えつけてありますから、騎士団の方々がおいでになる前にこちらからなにか分捕れるなどと甘い考えは持たないことですね」
「ちょっ……」
「さっ、消えてください。しっしっ! その汚い顔と身体でこれ以上宿の前に居座るなら、通報するのみならず営業妨害で起訴させてもらいますからね!」
「っ………」
あまりの言い草に唖然とし、あるいは顔を真っ赤にして怒りながらも、自分たちはその宿を離れた。少なくとも、その女性が心の底から本気で言っていて、あれ以上食い下がれば本当に通報と起訴をやってのけただろうということは、嘘偽りのない事実だったからだ。
だが当然その言い分を諾々と受け入れることができたわけはなく、仲間たちは裏路地に入り、顔をつき合わせて話し合った。
「なんっなんだよあのおばちゃんのあの言い草! むっちゃくちゃじゃん! あれってフツーにぶっ飛ばしちゃっても許されるくらいじゃねーのっ!?」
「そんなわけないだろう。言っておくが、傷害罪は普通に犯罪だからな。そしてあの契約書に書かれていたところによると、男が国民を意図的に傷つけた場合は裁判すら開かれず即死刑だ。そう明記してある以上、法的にはこちらを擁護してくれる制度なんぞどこにもないと考えた方がいい」
「ま、ジルの気持ちもわかるけどな。俺もだいぶあの女の態度には腹立ったし。街を歩いてる途中に、行き会った女全員にすげぇ嫌な顔っつーか、害虫と出くわしたみてーな顔されたのも苛ついたけど。本気で害虫扱いされてんだって知って、ある意味納得はしたけどな」
「そーいう風に人を害虫扱いするとか、人としてのれーぎがなってないどころの話じゃないじゃん! くっそ失礼じゃん! 許されねーだろフツー!」
「まぁ……それは確かにそうだとは思うんだが、国際条約でビュゥユのそういった振る舞いが認められてしまっている以上だな……」
「だっろー!? 許されねーよなっ! だからさっ、ネテもヒュノもさっ、一緒に協力してこの街ぶっ潰そうぜっ! 全力で攻撃術法とか使えばいけるって絶対!」
「阿呆かお前はぁっ! それは普通に真面目にどこからどう考えても即死刑どころの段階じゃない大犯罪だからな!? 英雄の方々がすっ飛んできて僕たちを思いきり無残な方法で殺しにかかるぐらいの超犯罪だからな! 街や国を簡単に崩壊させられるような人間に自由な行動が許されているのは、それくらいの力を持つ方々がこれまで連綿と積み上げてきた信頼と実績のおかげなんだぞっ!! それを理解せずに『できるから』『したいから』なんて理由でそんな真似をしようものなら、英雄の方々の手を煩わせる前に僕が本気でお前を討ち取るからなっ!!!」
「おっ、怒んなよぉ……ちょっとやってみたいって思っただけじゃん……」
「思う時点で大問題だしそれを口に出す思慮の浅さも大問題だっ! いいか、そんな真似をしてみろ、僕の今有するすべての技術を駆使して、お前の魂を未来永劫捕え苦しめ続ける牢獄にぶち込んでやるからな……!」
「わっ、わかったってばぁっ! そんな怖い顔すんなよぉっ……」
「ぁ゛!? なんだお前その言い草は、自分が今言ったことがどれだけ問題になることかわかってないのか、自分が人様に文句をつけられる立場だと思ってるのか、あ゛ぁ゛!?」
「わっ……わかったよぉっ! ごめんなさいぃ……」
半泣きになって顔と頭をかばいしゃがみ込むジルディンに、ネーツェはいまだ怒り冷めやらぬ、といった面持ちでふんっと鼻を鳴らす。それを一応の和解の合図と見て取って、ヒュノが平然とした口調で話を続けた。
「ま、それは俺もネテに賛成だな。あいつら、そりゃ腹が立ちはしたけど、別に剣を振るうほどのことはしてねーよ。自分の剣を穢すような真似は、さすがに俺もごめんだ」
「当然だろう、そんなこと」
「ま、長居したい街じゃない、ってのも確かだとは思うけどな」
「それは……僕も、そうだが」
「で、まぁ実際に街に入って、様子は見てみたわけだけどよ。どうする、カティ? 宿を取るの、けっこー難しそうだけど、もうちょい頑張ってみるか?」
「…………」
「カティ?」
「おいカティ、さっきから黙りこくってるがお前状況というものを……あ」
説教を始めようとしたネーツェが、思わず絶句してしまう。ヒュノもあらら、とでも言いたそうな顔になってこりこりとこめかみを掻いた。カティフは、顔面蒼白、というよりもはや死人と思ってしまうくらいに顔色を真っ白にして、ほろほろと涙を流していたのだ。
「おーい、カティー……大丈夫か?」
「…………」
「ん? なんつってんのか聞こえねーよ」
「…………」
「んん?」
耳を寄せかけるヒュノを制して、ネーツェがため息交じりに告げる。
「まともに意味のあることは言ってない。『なんだよそれ』だの『ひどすぎるだろ』だの、要するに現状に対する慨嘆と愚痴だ。……『絶世の』がつきそうな美人に、真っ向から徹底的に嫌悪感をぶつけられたのが、よほど衝撃だったんだろうな」
『あー……』
思わずヒュノと声を揃えてしまう。ヒュノが声を漏らしたのは『カティフならば確かにあの対応にそういう反応をするだろうな』と納得できてしまったからで、今日も朝から同調術を起動させているロワとしては、『これほど深く強烈な絶望が、女性に気持ち悪がられたというだけの理由で生まれるものなのか』とある意味感心してしまったから、という違いはあったけれど。
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