第83話 入国
――そして、実際に見せつけられた理不尽さは、想像をさらに超えていた。
番小屋の中に待機していた衛士(当然女性。そして美人)が、物も言わずに、どん、どんと、目の前の机の上に書類の山を積み重ねていく。その厚みが実に一
「熟読の上、契約を。契約しないものの入国は許されない」
「げぇっ……」
カティフが短く、けれど魂を削がれたような絶望に満ちた呻き声を上げる。ゾシュキーヌレフで辛酸をなめた身にとっては、契約書ほど恐ろしい代物はない。契約してしまえば身売りだろうが全財産の追剥ぎだろうが、合法的に許可されてしまうのが契約というもの。それを避けるためには徹底的に契約書を『正しい知識の下』読み込んで対抗するか、そもそも最初から契約しないことを選択するか、しかない。
カティフもある程度は覚悟していたのだろうが、読まなければならない書類の厚みが一
どうしよう、いやどうしようもなにも読むしかないんだけど、と恨みがましい目で書類を睨んでいると、ずいっとネーツェが前に進み出て、呪文を唱え始めた。
「〝指定〟」
とたん、自分たちそれぞれの目の前に置かれた書類が、どれもぼんやりと光り出す。
「〝記録〟」
ばららららっ、と書類がすさまじい速さでめくられた、かと思うや書類から光がすうっと離れた。その光には、幾層にも重なって文字が透けて見えている。
「〝入力〟〝検索〟〝照査〟〝検討〟」
次々呪文を唱えるごとに、光がきらめき文字が輝き、灯りがついては消えるのを忙しなくくり返すこと数
「今、その書類に書かれている情報を、勉正術を使って精査して、整理した状態で僕の頭の中に全部入れた。その書類の内容で聞きたいことがあれば、僕に聞いてくれればすぐわかる」
「ええぇぇ!? ホントにっ!? なにそれめっちゃくちゃすごくねっ!?」
「勉正術ってそんなこともできるのか。便利なんだなー」
「そうだろう便利だろう。そしてその便利な術法を手に入れた時、お前たちは揃って微妙な反応を返してくれたわけだが」
『うぐっ……』
「ま、まぁほらあれだよ、俺たち馬鹿だからさ、どんなもんでも実際に使って確かめて見ねぇとわかんねぇっつぅかさ!」
「ネテは元から優秀だったから、その優秀さが増すって言われても実感わかなかっただけだって。いつも頼りっぱなしで悪いとは思ってるけどさ」
「そーそー、そんな拗ねんなよー。こーして役立ってくれてんだから別に気にすることなくね?」
「は!? なんだその言い草、誰が拗ねてるって!? なんだその上から目線は、なんでお前が僕の評価の良し悪しを決める立場に立ってるんだ、そもそも僕の評価を僕がどう気にするかは僕が決めることだろうがっ!」
「いだだだっ、いてーって! なんで怒ってんのー!?」
「ま、とにかくだ。その勉正術で調べてみて、どうなんだ、ネテ? なんか変なとことか、騙すような文とか、書いてあんのか?」
すっぱり問うてきたヒュノに、ジルディンの頭を拳でいじめていたネーツェはむすっとした顔になり、端的に告げた。
「詐欺罪に問われるような文章は書いてない。徹頭徹尾余すところなく、むちゃくちゃに理不尽な文章が隠すことなく列挙されてるだけだ」
「………はい?」
「さっきも言っただろう、『現在のビュゥユにおいては、男はできる限り入国させない、というのが基本方針らしい』って。『国民を相手の許可なく一
「え、えぇ~……」
「しかもその『嫌な思い』というのはあくまで国民の自己申告であり、その申告に対して審議すらほぼ行われない。要するに、僕たちがこの街の中に入って、たまたま僕たちを見つけた国民が、たまたま虫の居所が悪かったからと八つ当たりに僕たちに罰則を適用させようとしても、僕たちにはそれに逆らう権利が法的には存在しないのさ」
「ほ、本気で言ってんのか……?」
「こんなところで冗談口を叩くわけがないだろう。要するにこの街というかこの国は、男性が入国しないように、入国したとしても国民の目に留まらずできる限りさっさと叩き出せるように、全力で入国する男性に嫌がらせをしてるのさ。この無駄に分厚い条文の列挙もその一環、ってことだろうな」
「文句があるのなら入国しなければよかろう。我が国に入国する女性ならざる者へどういった扱いをするかは、オシンノキーネラーンテコン条約で全面的な自由裁量を認められている」
衛士の女性が相も変らぬ仏頂面で、吐き捨てるように言い放つ。カティフは怯えたように身を引いたが、前提知識のない身としてさすがに違和感を覚えたのだろう、こそこそとネーツェに訊ねてくる。
「あ、あのさぁ……それって、問題になったりしねぇの……? っつぅか、なんでそんな条約とか結んだわけ? さすがに無茶すぎると思うんだけどよ……」
「ビュゥユがそれ以外……というか、『男性をできる限り入国させない』こと以外については全面的な降伏をしたからだよ。もちろん国家や国民の安全のような、最低限護るべき範囲をのぞいて、の話だけどな。たとえば、ビュゥユは基本的に関税を取れない。商品の流通に関しては自由化どころの話じゃない、商品がビュゥユを通っても国に金がまるで落ちないんだ。そんな条件を出されて、ゾヌの外交官が飛びつかないと思うか?」
「あー、ゾヌのお役人だったらぜってー飛びつくよな。どんな条件出されても、自分の腹が痛まねー話だったらほいほい呑みそう」
「お、男入国させねぇのにか!? そんなんだったら商売にだって支障あるだろ!」
「言っただろう、商人には入国税が適用されないって。ゾヌに経済的に依存しているビュゥユは、そういう抜け道をしっかり作って自分の損にならない立ち回りができるようにしてるんだよ」
「っつかさ、ビュゥユでまともに商売する奴らは、フツー女ばっかなんじゃなかったっけ? 隊商連中も、ビュゥユで商売する時は男は宿に籠って女が働く、みたいな感じだって聞いたけど。そうしないとまともに商売にならない、って」
「その通りだ。それに、むしろそんな風に、まともなやり方じゃ観光もできないような国ってところを逆に利用した商売、っていうやり方の方がビュゥユ関連では普通だったと思う」
「へ、え? なんだそりゃ、そんな商売……」
「お前が自分で勝手に引っかかったのと同じような手法だよ。女ばかりの神秘的な女王国、っていう思い込みを利用した商売戦略。ビュゥユの主な産業は、刺繍、彫金、銀細工のような製造業だ。原料を主にゾヌから輸入して、加工して、輸出する。実際ビュゥユで生産された装飾品は、ゾヌ近隣の製造業を主産業とする国家の中では一、二を争う品質を誇るらしい。そんな代物をより効果的に売るのに、『女が人口の九割を占める女王国』という文言に人が抱く印象を使わない理由もないだろう。少なくとも、ゾヌの商人なら使わないわけがない。違うか?」
「そっ……りゃ、そう、だけどな……」
「そしてその印象を効果的に使うためには、ビュゥユという国の現実の情報の露出は少ない方がいい。だから『ビュゥユに男が気軽に入国するのは難しい』という事態は別に困るようなことじゃない。ビュゥユに夢を抱き、大金を積んでもビュゥユの中を見たい、なんて考える奴がいたのなら、積まれた大金の中からビュゥユ女王家にも相応の金を積んで、国賓としてもてなしてもらえばいいだけだ。ゾヌの支援がなければ国家として成り立たないビュゥユ女王国としては、その程度の干渉ならば受け入れざるをえない。どうだ、商売上は別になんの問題もないだろう?」
「そ、そりゃ商売上は問題ねぇのかもしんねぇけどよぉ!」
「他にどんな問題があるというんだ。一応聞いておくが、男の性欲が国際条約締結の際に考慮されるなんて思ってないだろうな。さらに言えばビュゥユは神の一柱御自らのお声がかりで建国された宗教国家だ。よっぽどの無理難題を通そうとしているのでもなければ、むやみに意見を否定するのは難しい。しかもビュゥユ側は、『男性をできる限り入国させない』以外の要求については、できる限り譲歩する立場を取っている。それならまともな政治感覚を持つ人間なら、要求を拒もうなどと考える方がおかしいだろう?」
「ぅ、ぐ、うぐぐぐぐ……」
「……んで結局、俺らはこの国ん中で、どーいう風に動きゃいいんだ?」
端的に訊ねたヒュノに、ネーツェも肩をすくめつつ端的に答えた。
「女性を見もせず、会話もせず、女性にできるだけ見られないようできる限り宿に籠って、用が終わったらとっとと立ち去ればいい。それができないならなんのかんの理由をつけていちゃもんがつけられるようになってるからな、この街では」
「ええぇぇええ………」
「それができないというのなら、罰金刑を受けて即座に国外追放だ。どうする? 嫌ならこの街に入らずに、道を迂回することになるが?」
「いやっ、入る! 男が一度決めたことを投げ出せるか! ……そんでええと、一
「……言っておくが、女性の側が不快な思いをした時点で罰金刑の上国外追放だからな。それに同じ女性を何度も見つめる、というのも処罰の対象に入ってる。それどころか『女性の視界に何度も入る』というのも、意図したしていないにかかわらず処罰対象だぞ」
「つまり、ちらっと見るだけならよしってこったろ。任せろ、女の顔もまともに見れなかったくっそ貧乏な頃身に着けた、目立たねぇよう一瞬で頭からつま先まで眺め回して脳に刻み込む技の冴えを見せてやらぁ……!」
「いやそんなもんの冴えなんて見せてもらっても困る、というかできればそんな行為自体しないでくれというのが本音なんだが……まぁなにがなんでもこの国に入りたがったのはカティだし、国外追放になってもカティ以外は別にかまわないだろうし、いいか……」
そんなわけで、自分たちパーティは、衛士の女性に忌々しげに舌打ちやらなにやらされながらも、契約書にしっかり署名して、ビュセジラゥリオーユ首都、城塞都市ビュシクタリェーシュへと入城することになったのだ。
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