第81話 到着
背中の翼をはばたかせ、空を滑るように翔けていく。鳥のように、幻獣のように。軽やかに涼やかに、生まれながらにして空を舞う生き物だと称されても、誰からも文句が出ないだろうほど鮮やかに。
実際には、飛翔術をまともに使えるようになってからまだ一
「おごッ……!」
「どわっ! ちょっ……! え、あれ……え、ロワ? ……ご、ごめん、俺、お前背負ってたの、なんか、すっかり忘れちゃってた……え、えーと、〝祈快癒〟……」
さすがに気まずそうな顔をしつつ、ジルディンは治癒術を発動させる。高速機動についていけず、受け身を取れずにほぼ頭から地面に叩きつけられる羽目になったロワとしては、言ってやりたいことがなくもなかったのだが、結局無言でじろりと睨みつけただけで済ませることにした。ジルディンに気遣いを要求するのは徒労感が激しくなるだけだし、体力を使い果たして仲間たちに運んでもらってきている自分が、運んでくれている相手にああだこうだと偉そうな口を叩けるような筋合いはない。
身体の負担が小さくなるよう、ゆっくり傷を癒すやり方で発動させた治癒術の術式(ただし身体の負担は小さくとも痛みはむしろこちらの方が大きい。ジルディンはそれを知らずに、ここまでの道中で教わった医術の範囲の知識で、『身体に負担がかからないっていうならこっちの方がいいよな』と単純に考えてやったことのようだが)が、効果を発揮し終えてからしばし。ヒュノと、ネーツェを背負ったカティフが、ほぼ同時に、道の端に座って休んでいた自分たちに追いついた。
「あー、やーっと追いついてきたー。二人ともおっせーよ!」
「おっ、めぇなぁ……俺らと一緒に、走ってた時は、俺らがお前に合わせて軽く走ってやっても、速いだの疲れただの文句言いまくってやがったくせに……」
「えー、だって飛翔術使っていいっつったのカティじゃん。それで負け惜しみ言うとか、みっともなくね?」
「お前がぎゃんぎゃんクソやかましく文句喚くからだろーがっ! はーっ……あーっ、たくっ、いつもながら話通じねぇ奴……」
「はぁぁっ……ふぅぅっ……ふぅ。けど……まともに走れる三人のうち、総合的に言やあ一番遅いのは俺ってことなわけか。こりゃ、ちっと悔しいな。朝晩の走り込みの量もっと増やすか」
「いややめろやお前がんなことやったら俺もやんなきゃなんねぇ空気になんだろ! 体力や身体能力についちゃ、俺が女神さまから授けてもらった術法のひとつがほぼその強化にしか使えねぇ代物なんだから、勝たれたら逆に泣くわ!」
「というかむしろ僕は、ジルが飛翔術を使ってかっ飛んでいったあとを追いかけて、この程度の時間で追いつく、というのがだいぶどうかしていると思うがな……空を飛ぶという行為と陸を走るという行為の圧倒的な移動効率の差と、ジルの魔力制御の異常な才能と、翼人種という飛翔術に対する圧倒的な適性、と普通なら勝負にならない要素が三つもあるというのに、せいぜい数
「えーっ、なんだよそれーっ。俺ちゃんと差ぁつけて勝ったじゃんっ! なんでいちゃもんつけられなきゃなんねーわけっ!?」
「っつーか俺らも褒められてるわけじゃねーんだよな? なにが言いてぇんだ、ネテ」
「………脳味噌が筋肉でできている人種の集中力はすさまじいな、と思っただけだ」
『はぁ!?』
「……あ、そーいうことか。ネテ、お前要するに、俺らと鍛生術の練度がまるっきり違うのが面白くねーんだろ?」
「なっ……」
「あ、なーんだ、そっかー! 単にひがんでただけかー、なーんだ、いつものネテってだけじゃんな!」
「まぁ俺らも? なんだかんだ英雄の人たちにみっちり訓練受けたし? 命かかってる以上、必死に鍛錬するのは当然っつぅか? ネテがひがむ気持ちもわかんなくもねぇけど? 一緒に毎日勉強してたのにこの差か、みてぇな? まあ俺らはこれが本職だしなぁ? わっはっは」
「なっ……べっ……のっ……」
図星を突かれて効果的な反論が思いつかなかったのだろう、顔を真っ赤にしてぱくぱく口を開け閉めするネーツェに、ロワはやれやれとこっそり嘆息しつつ、ぎゃあぎゃあ喚き合う仲間たちの間に割って入った。
「その辺でやめておけよ。というか、都市の正門前でこんな風にいつまでもぎゃあぎゃあ喚いてるのもまずくないか? 衛士の人たち、あからさまに怪しんでる顔でこっち見てるぞ」
「あっ、やべっ、そっか」
「うぉ、す、すげぇな! 話には聞いてたけど、衛士の人たちまで普通に女の人じゃねぇか! うぉっ、し、しかも、すげぇ美人………! 衛士なんつー普通なら顔面の不自由な女専門みてぇな職でもこの美人度とか……しょ、娼館の人らの美人度って、どんだけ高ぇんだ………!」
「……あー、とにかく。街に、入るか?」
「おう!」
元気に声を張り上げて正門へと向かうジルディンたちの後ろで、ネーツェがロワの隣を通り過ぎざまにぼそりと呟く。
「……悪かった」
「別に」
ネーツェにはいつも負担をかけているのに、ちょっと弱点を見せたからといって、かさにかかって一方的に責め立てるのはどうかと思っただけなのだから、感謝されるほどのことでもない。人に弱みを見せるのを嫌うネーツェだったなら、(素直じゃない言い方で)礼を言ってくるだろうこともわかってはいたが。
ともあれ、自分たちパーティは揃って正門前の衛士たちの前へと向かい、真正面から声をかけた。
「俺ら冒険者だけど。街ん中、入ってもいいか?」
衛士たちはいかにも胡散臭そうに、というか忌々しげに自分たちを睨み回した。衛士にいきなり睨まれる覚えがないからだろう、ヒュノは目を瞬かせカティフはあからさまにびくついたが、この国の事情を知っているのだろうネーツェとジルディンは、軽く肩をすくめただけで特にその態度に言及はしない。
「……この街に――ビュセジラゥリオーユ女王国首都ビュシクタリェーシュになんの用だ、冒険者」
「なんの用って、そりゃ……」
「ゾシュキーヌレフからイゲィカディエンに行く途中に立ち寄っただけです。長居するつもりはありません。あなた方と喧嘩する気もないので、通してはいただけませんか」
「お、おい……」
ネーツェの語調に愛想がかけらもなく、むしろ叩きつけるような切り口上の言葉つきだったためか、カティフがうろたえたような声をあげたが、衛士たちはそちらには見向きもせず、こちらも負けず劣らず愛想のない口調でつけつけと言ってくる。
「冒険者ならばギルド証を。それから商人以外は入国税が必要になる」
「いくら?」
「一人につき五万ルベトだ」
「はぁ!? んっだその額むっちゃくちゃじゃん! にゅうこくぜーってみんなそんなかかんの!?」
「……いや、はっきり言って法外だ。普通はせいぜいが二千~一万ルベトというところだろう」
「はぁぁぁ!? なんだよそれ! ごーよくにもほどがあんじゃんっ! 俺らに喧嘩売ってんの!?」
「文句があるなら入国しないことだ。お前たちが入国しなかったとしても、こちらは少しも困らない」
衛士たちに平然とそう言い放たれ、仲間たちは顔を見合わせる。が、カティフがぎらついた瞳で『なんのために高額報酬もらったと思ってんだ!』と全力で主張しているのが否応なく見て取れたので、全員の意見は瞬時に統一できてしまった。ジルディンは嫌そうだったしネーツェも不本意そうだったものの、今は財布に充分以上に余裕があるのも確かだし、カティフを説得するよりは五万払った方がマシだろう、と視線で語り合ったのち、ネーツェが代表して腰帯鞄から財布を取り出す。
二十五万ルベトというそれなりの大金を受け取ったにもかかわらず、衛士たちの顔には微塵の喜色も現れなかった。むしろ忌々しげな表情をより強めながら、汚いものでも触るかのような嫌そうな手つきで正門脇の番小屋を指し示してみせる。
「では、あちらの小屋の中の窓口で入国手続きを。提出された契約書は熟読するように。それに違反した場合の罰則を我々が恣意的に定めることは、国際条約によってきちんと認められていることを忘れぬよう」
「…………」
とりあえず言われた通りに番小屋の方へと向かう途中で、ジルディンがこそこそと訊ねてきた。
「なーなー、あのねーちゃんなに言ってたわけ? けーやくしょとか言ってたからさ、なんか聞いとかなきゃやばいこと言ってたんじゃねーの?」
「珍しくまともに思考を働かせたじゃないか。その通りだよ。あの人たちはな、契約書に違反したらどんな罰を与えるのもこちらの勝手で、それは国際条約でちゃんと正当化されてるんだから、どんな文句を言っても無駄だからな、って脅しつけてきたんだよ」
『はぁ!?』
「んっだよそれ、なんで国に入るだけでそんなけーやくしなきゃなんねーわけ!? 理不尽すぎじゃんっ」
「つ、つーかよ、契約ってなんの契約なんだよ。まさか、いやまさかな、まさかたぁ思うが……女買うの禁止とか、そんな頭おかしい契約結ばされるわけじゃねぇよなっ!?」
鬼気迫る表情で詰め寄ってきたカティフに、ネーツェはやれやれといった顔になったが、ここを最上の機会と考えたのだろう、向き直って念入りに説明し始めた。
「ああ、別にそういう文言は契約の内にはないはずだ」
「だ、だよなぁ!?」
「実際の内容は、それとは比べ物にならないくらいに激烈だからな」
「………は?」
「僕も事前に改めてビュゥユの入国時契約を調べてみて、ちゃんと知ったんだが。少なくとも現在のビュゥユにおいては、男はできる限り入国させない、というのが基本方針らしいな。入国時に法外な入国税を取るのもそのひとつだし……商人以外、としてあるのがゾヌに経済的に依存しきっている状態を如実に表していて笑えるが。他にも『国民を相手の許可なく一
「は……はぁ!? え、は!? なんだそりゃ……いやだってんな、意味わかんねぇぞ!? なんでんな契約……男入国させないってなんだそりゃ!? この国にだって男いんだろ、いっくら女王国だからってんな無茶な……!」
「いないぞ」
「……はい?」
「女王国ビュゥユは、公的には男性の国民の存在を認めていない。まぁ実際にはこの国に根差して暮らしている男性はそれなりにいるがな、それでもビュゥユにおいてはそれらは国民として認められていない、公的にはな。扱いとしては愛玩動物だったはずだ。殺したとしても道義的にはともかく、政治的にはビュゥユの国府はその犯人を突き止め処罰する、というごく当たり前の務めを果たす権利も義務もない。この国では男は人間じゃないんだからな」
「は……はぁ!?」
口をあんぐりと開け、唖然呆然意味不明理解不能、と全身で主張しているカティフに、ネーツェは肩をすくめため息をつきつつも、こんこんと言い諭す。
「カティ。そもそもお前、ビュゥユをどういう国家だと思ってたんだ?」
「ど、どういうって……」
「国民の九割以上が女性だ、ってことは知っていたんだろう? いや公的には国民じゃないんだが。なんでそんな国ができるんだとか、国としておかしいだろうとか、思わなかったのか?」
「え、や、それは……お、おかしいたぁ思ったけどさ。そりゃまぁそこはそれ、その……女を売り物にしてくれる国なんだろうなーと、普通に……」
「…………」
ネーツェはもう一度深々とため息をつき、じろりとカティフを睨んでから説明を再開する。
「言っておいてやるが、この国の国民にそんなことを抜かしたら即喧嘩、どころか罰金を死ぬほど取られた上に即国外退去ってことになるからな。入国時の契約の中には、『国民に侮辱的な言動を行ったものには罰則』ってものもあるんだから」
「い、いやだってさ! それ以外考えようねぇだろ!? こんな魔物の強ぇ危険地帯に、女ばっかの国って、それ以外どんな理由があるって」
「ビュゥユの成立は、女性と愛の神ビュセジラゥが、加護を与えた使徒に託した、ビュセジラゥの御心にかなう国家を創立するという使命を名分としている。神の一柱のお声がかりで創立された、宗教国家のひとつだな。カティ、お前はビュセジラゥさまについて、なにか知っていることはあるか?」
「へ? や……あんま、ねぇけど。俺の故郷じゃ聞いたことなかったし……っつか、ゾヌでも信者とか神殿とか聞いたことなかったよな? あんま知られてねぇ神さまなんじゃねぇの?」
「その通りだ。ビュセジラゥは典型的な、加護を与えた国一国内でのみ信仰されている護国神。ビュゥユ以外ではほぼ信仰されていない。その理由の一つが、女性以外を人間として認めない、信仰することも許さない、その苛烈な教えによる」
「……へっ?」
「ただし、女性に関しては極端に戒律が緩いというか甘く、基本なにをしても宗教上は許される。そんな極端な女性至上主義の一環か、ビュセジラゥは生殖においても男性を交えず行うことをよしとする。結婚も閨事も妊娠も出産も、すべて女性同士で行い、女性の子供を出産するのが正しい姿である、と教えの中で主張しているんだよ」
「え……へ……?」
「つまり、女性同性愛を正しい愛の形と掲げる、女性同性愛の守護神――それも極端に先鋭化した一柱なんだ。ビュゥユはその教えに忠実に従っている国家――国を挙げて女性同性愛を推進している、女性同性愛者の一大拠点なんだよ」
ひたすらにぽかーんと口を開けているカティフに、ネーツェはそうきっぱり告げた。
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