第79話  少女の出発

「というわけで、僕たちはこれから出発します。いろいろとお世話になりました」


「っ―――………」


 朝一番に呼び出されてそう告げられたエリュケテウレは、一瞬目を閉じて空を仰ぐように上を向いたが(ちなみに室内だ。一応出発の前に一通り片付けた客室に入れるのもなんだということで、客室前の廊下で話している)、すぐにうつむいて深々と息をつき、(普段よりは比較的)冷静な声音でネーツェの言葉に答えた。


「承知いたしました。このまますぐに出発、ということでよろしいのですね? 市民の方々に注目される危険性についての対策はお済みですか?」


「ええ、もちろん。これまで何度か外出する機会もありましたので」


 ジルディンの育った孤児院に相応の金を積むついでにジルディンの覚えていない術式の情報を教えてもらう時や(ちなみに、孤児院の人々は寄付金を喜びはしたものの、それでジルディンに対する扱いがよくなったというわけではなく、パーティの仲間に迷惑をかけていないか、ギルドの人々に失礼な口を利いてはいないかと孤児院にいる間中説教し通しだったらしい)、収納術の突貫講義の時(民間の家庭教師を頼ったので。ギルドではさすがにカティフの日程に合わせて授業はしてくれない)などだ。


 その際何の気なしにギルドから出てきてしまった時にすさまじい勢いで取り囲まれるということが何度かあったので、基本外出時はネーツェが幻影による変装を施した上で、適当な場所に転移する、という手段を取るようになった。まぁ今回は一気に街の外まで転移するので、変装する必要はないだろうが。


「それでは、こちらからの支援は特に必要がない、と判断してよろしいのでしょうか?」


「はい。手伝いも見送りもいりません。これまでお世話になりました。他のみなさんにもよろしくお伝えください。……まぁ、資金が必要になった時などは、またこちらに伺うことになりますから、今生の別れとはいきませんけどね」


「承知いたしました。それでは失礼いたします。幹部の方々にもこの情報をお伝えしなければなりませんので」


「はい、それでは」


 言ってネーツェはぺこりと頭を下げて、ちろりとロワたちの方を見やる。顔を見合わせていた仲間たちも、ロワが頭を下げると慌ててぺこっと頭を下げた。下げてから『なんで俺がこのねーちゃんに頭下げなきゃなんねーの?』と不満げな顔をする奴もいたが、ここでぎゃあぎゃあ喚くのもなんだという意識が働いたのだろう、仏頂面ながらも無言を通し、ぽんぽんとカティフに頭を叩かれている。


 もうほとんど出発の準備はできており、装備もしっかり整えられている状態だ。あとは最後にもう一度忘れ物がないか確認した上で、さっさと転移するのみ。この街に愛着がないわけではないが、戻ってこようと思えばいつでも(転移で)戻ってこれるからだろう、誰の顔にも感慨らしい感慨はない。


 ――と、転移前の最後の確認を始めかけた自分たちの耳に、かつかつかつかつ、と床を靴で叩く音が聞こえた。


 反射的にそちらを見やって、思わず気圧される。エリュケテウレが、すさまじい形相――それこそ憎悪と憤怒と怨嗟を凝縮したような、こちらを睨み殺さんとしているかのごとき面持ちで、すさまじい早足で迫ってきたのだ。仲間たちも同様の感想を抱いたらしく、全員揃って小さく身を退いてしまう。


 エリュケテウレは自分たちの前で立ち止まり、ぎろぉっ、と苛烈な目でこちらを睨み、わずかに乱れた呼吸を整える様子もなく口を開き――閉じた。もう一度開き、閉じた。またのろのろと開き、またのろのろと閉じる。え、なにがしたいの? と仲間たちが揃って困惑顔になった頃、エリュケテウレはようやく声を発した。


「………一応、申し上げておきます」


「は、はぁ……どうぞ」


「私は……あなた方に……みなさんに、感謝しています」


『………はぁ?』


 仲間たちが揃ってきょとんとする、その顔を苛烈な視線で睨み据えながら、エリュケテウレは絞り出すように言葉を続ける。


「みなさんが、ゾシュキーヌレフを、十万の邪鬼の眷族から護ってくれた時から。ずっと、ずっと、心の底から感謝しています」


『………はぁ』


「感謝しているんです……」


 そう告げたのち、エリュケテウレは顔をうつむかせてしまう。なにが言いたいのかさっぱりわからない、という仲間たちが顔を見合わせる中、ジルディンが珍しく困惑をあからさまに表した声で(普段はさっぱりわけがわからない状態でもぎゃんぎゃん喚く)声をかける。


「あんたが感謝してる、っつってるのは知ってるけどさ。まー感謝してるとはとても思えねー態度だったけど。それ、今また言わなきゃなんないこと? なんか別に用事あんなら早くしてくんね?」


 ジルディンにしては珍しく、ジルディンなりに気を使った言葉だったのだが(こいつが喚きちらさずに話の先を促す、という時点で相当気を使っているという証だ)、エリュケテウレにとってはそれは死刑宣告のごとく無情に響いたらしかった。愕然とした顔でばっとこちらを仰いだのち、のろのろとまたうつむいて、のろのろと一礼して、のろのろと踵を返し、去っていく――


 その姿を見つめながら、ロワははぁっ、と深々とため息をついたのち、覚悟を決めた。


「エリュケテウレさん!」


「っ!?」


 ばっとこちらを振り向くエリュケテウレに、ロワはできるだけ穏やかに微笑みながら宣言する。


「あなたの気持ちは、『わかる』から。心配しないでいい。ちゃんと伝えるから」


「~~~~っっっっ………!!」


 エリュケテウレはぶんっ、と音がこちらまで聞こえてくるくらいの勢いで頭を下げ、ぎっ、と殺意と敵意と憤激のこもった視線でこちらを睨みつけるや、くるりとこちらに背を向けて、かっかっかっと怒りを周囲にまき散らす足音を響かせつつ去っていく。その後姿を呆然と見送って、姿が見えなくなってから仲間たちはわいわいと騒ぎ出した。


「なんだったんだ? あれ。ぶっちゃけ意味わかんねぇよな?」


「まったくだ。女心は複雑怪奇というが、あれはそういう問題じゃない気がする」


「っっっ……怖かった。本気で、怖かった……なんだったんだあのねぇちゃん! なんであんなブチ切れまくってんだ!? どこでもあんなんだったらフツー組織で働くとか無理だと思うんだが!」


「っつかさー、ロワが気持ちがわかるとか言ってんのなんだったの? 単なる気休め?」


「……違うよ。本当に『わかる』から、そう言っただけさ。俺が同調術四六時中使ってるの、忘れたわけじゃないだろ?」


『えっ!』


「……なんだその反応。本当に忘れでもしたのか?」


「いっ、いや、忘れてねぇぜ? 忘れたわけじゃねぇ、んだけど……」


「本気で四六時中誰にでも同調術を使っているとは思わないだろう! 僕はてっきりお前の魔力を数値換算する感覚がおかしいというかズレてるんだろうと思ってたが、あの『ぶっ続けで同調術を使い続けても体力がもたなくて倒れる方が早い』って台詞、まさか紛うことなき真実だとでもいうのか!?」


「え、嘘だと思ってたのか? それはさすがに心外なんだけど」


「いやだって術式で使用する魔力が日常生活で消費する体力よりも少ないってことだぞ!? そんな話普通に考えてあるわけないだろう!?」


「……普通の同調術ってそんなに魔力を喰うものなのか?」


「いやだから、普通の術法なら街で出会う人すべてに術式を発動させて魔力が足りなくならない方がおかしいだろうが! いくら神々から授けられた恩寵とはいえ、ジルの浄化術も、僕たちが新たに授けられた術法も、そこまで負担が軽いものじゃないし……まぁ、僕たちの場合は魔力が格段に増えたからまだしも、お前の場合は女神の加護による爆発的な成長があったわけでもないだろう? 普通に疑問なんだが……」


「ふぅん……?」


 ロワは意外な答えに眉を寄せる。そうなると、これは神々の世界で自分が特別扱いされる理由に関わる話なのかもしれないわけか、今度エベクレナさまたちに聞いてみなければ、などと考えているロワの顔を、不審げに眉を寄せたヒュノがひょいとのぞき込んだ。


「っつかよー、俺はそれよりあのねーちゃんの気持ちってやつの方が気になんだけど。伝えるからっつってたし、俺らにも教えてくれるつもりじゃあるんだろ?」


「ああ……まぁ、そうかな。たいていの人は理解しにくいだろう気持ちだから、口で言ってもわかるかどうかはなんともいえないけど……」


「え、なに、そんなややこしー気持ちなわけ?」


「うん、まぁ……ええっと、な」


 正直あんまり嬉しい役目ではないのだが、仲間たちの顔を見回す限り、全員それぞれにエリュケテウレの気持ちが気になってはいるらしい。ならもうはっきり伝える義務が自分にはあるのだろう、と腹をくくり、言うべきことを簡潔に告げることにした。


「……まず、な。あのエリュケテウレさんって人は、俺たち……というか、俺以外のみんなに、憧れを抱いてたんだよ」


『は?』


 全員揃ってぽかんと口を開ける。まぁその気持ちもわかるよな、と思いながらもできるだけ感情を交えず説明を続けた。


「憧れ。英雄たちを見るような視線で、みんなを見てたんだ。すごいなぁ、かっこいいなぁ、憧れるなぁ、そういうきらきらした眼差しで。ゾヌを襲ってきた、十万の邪鬼の眷族を殲滅した時から」


『………はぁ!?』


「いやそれねぇだろいっくらなんでもねぇだろ、俺らあの人にどんだけ『殺すぞクソが』みてぇな視線で睨まれてると思ってんだ!」


「態度もすっげーでかかったしえらそーだったし目線すっげー上からだったし! 馬鹿にしてたじゃん思いっきり!」


「あれで憧れているとかだったら普通に呪われていることを心配しなきゃならないとこだぞ! 少なくとも専門医の診断は必須だ! 本気で言ってるのかお前!?」


「ああ、まぁそうなんだけど。これは真面目に事実だよ。同調術でしっかり感じ取ったし……同調術を習得する前から、なんとなくそういう風な気配を感じ取ってはいたし」


「は!? お前正気でもの言ってるか!? あのねぇちゃんのどこにそんな素振りがあったってんだ!」


「素振りっていうか、気配だけど。あの人の反応って、俺には『気になってる相手が幻滅するようなことばっかりしててイライラする』っていう女の子の反応と、あんまり変わらないような気がしたから」


『………は!!?』


「なんだそれは、意味がわからないぞ、幻滅したら普通は興味がなくなるものじゃないのか!?」


「そういう女性も普通に多いけど、一度好感を持っちゃうと引きずる人もいるよ。一個でも好きなところを見つけて好きになっちゃうと、その人に『興味を持たない』でいることができなくなっちゃう、っていう人」


「じゃ、じゃーなんで俺らにあんな態度だったわけ!? 好きな相手にあんな、えらそーな態度とか、腹立つ態度とか、変じゃん!」


「……あの人からすると、ああいう……なんというかこちらを脅しつけるような態度は、俺たちが『ちゃんと英雄をやっていない』っていう腹立たしさからくるもの、らしいんだよな。あなたたちは本当はすごくかっこいい人たちなのに、街を救った英雄なのに、なんでいまだに駆けだし冒険者と変わらない態度なんだ。なんでみっともない、見苦しい、小物臭い態度のままなんだって。もっとちゃんとしてくれ、かっこよく英雄をやってくれ、っていう想いが、ああいう態度を取っていた原因、っぽい」


『うぐっ……』


「まぁ、その、確かに小物臭い態度と言われると、否定はできないが……」


「いやでもねぇだろ! だからってあの態度はねぇだろ! あれどっからどう考えても悪意しか感じなかったぞ本気で!」


「っていうか俺らがどんな態度取ろうが俺らの勝手じゃん! なんであのねーちゃんに怒られなきゃなんねーわけ!? 教えてもらってもぜんっぜん納得いかねーんだけど!」


「……そうだな。納得する必要も、許してあげる必要もないよ」


「なんだ、その含みしかない言い草は。いかにもなにか付け足したいことがありそうだな」


「大したことじゃない。単純に、俺は彼女の気持ちが『わかる』ってだけの話だよ。自分のことのように、というか自分が感じたのとまるで変わらない強さで」


「……それが?」


「あの人が俺たちと接する時はいつも緊張してドキドキしてたり、手の汗や身だしなみをきちんとできてるかとかが気になって仕方なかったり、俺たち相手に偉そうな口を利いている時いつも『なんでこんな言い方しかできないの!?』って内心泣きそうだったり、俺たちがゾヌから出て行こうとしてることを知った時には『この人たちが行っちゃう!』って大慌てで心の中で泣き喚いてたり、俺に自分の振る舞いの不備を指摘されて絶望に打ちひしがれてたり、それでも俺たちが、自分がかつて見出して送り出した人たちが、次代の英雄と呼ばれるほどの冒険者になってゾヌを救ったことがこの上なく誇らしかったり、そんなこんながまるで俺たちに伝わっていなくて死ぬほど落ち込んだり――そういう気持ちも全部、身に迫って『わかる』ってこと」


『…………はぁ!!?』


「いや待てやおい待てや、それ本気か!? 本気で言ってんのか!? いっくらなんだって正気で言ってる台詞たぁ思えねぇぞ! あのねぇちゃんがんな殊勝なこと考えてるわけねぇだろ!?」


「というかそれが本当に全部真実なんだとしたら、真面目に情緒障害を疑われる段階だと思うんだが……そういうことを考えながら俺たちにああいう対応をするとか、矛盾してるどころの騒ぎじゃなくないか? どうやってその葛藤を解決してきたんだ……」


「彼女にとっては、自分の反応は『素直になれない乙女の心にもない言葉』だったわけだから。矛盾もしていないし、葛藤もしなかったんだと思う」


『ええぇぇ………!?』


「っつかさー、だからって、なんで俺らがあのねーちゃんがなに考えてるかとか、いちいち気にしてやんなきゃなんねーのっ!? あのねーちゃんがなに考えてるにしたってさー、態度がめっちゃくちゃ悪かったのも、やたら上から目線だったのも、こっちぎろぎろ睨んで、いあつ? してきたのはホントのことだろー!? あんなねーちゃんの気持ちとかいっちいち気にしてやるとか、ぜってーヤなんだけど!」


「別にあの人は気にしてくれ、なんて頼んでないだろ。自分の言ってないことや、伝えられてないことを慮ってくれ、なんて一言も口にしてない。単に俺が勝手に伝えただけだ」


「う……そ、そりゃ、そうだけど……」


「……っつか、お前のつもりの方が気になるけどな、俺は。向こうが別にこっちに伝えてねぇこと、気にしてくれって言ってもねぇことを、なんでわざわざ言い出したんだ? 向こうがお前に伝えてほしいっつったわけでも、心の中でそー考えたわけでもねぇんだろ?」


「……うん。それは、そうなんだけどな」


「そ、そうだな。というかだな、同調術でそんなにはっきり他人の心の感情が感じ取れてしまうのなら、その……精神的に辛くは、ならないのか? 行き会う人のことごとくにそんなに深く共感してしまうのなら、精神的な疲労感が半端じゃない気がするんだが……」


「あ、確かに。死ぬほど疲れねぇか、そんなん? それによ、女の人の……隠してる気持ち? っつぅの? まで読み取れちまうってなるとよ、なんつぅか……女の人に、ドキドキする? ってぇことが、できなくなったりしちまわねぇか? や、まぁそう単純な話じゃねぇんだろうけどよ、思いつきとして言っちまうと」


「それは、まぁ、そうなんだけど……」


 ロワは数瞬、どう答えるか迷った。別に同調術を使わなくても、自分はたいていの女性の気持ちはそこそこ読み取れるから、しんどさはさして変わらないし、ドキドキしないのもいまさらだ――という正直なところをぶちまけるのは、だいぶ気が重い。別に隠すべきことではないのだが、経緯も含め、ロワにとってはそれなりに重い話ではあるし、気を使われるのも相手の気分を重くしてしまうのも、考えただけでうんざりする。


 かといって嘘をつくのも嫌なので、結局いつものように、嘘をつかずに一部分だけ真実を明かすという、あの女神さまたちとの謁見の部屋でも通用するやり方を使うことにした。


「疲れるは疲れるんだけど、死ぬほどってわけじゃないし。同調術も神々からいただいた恩寵の一部なんだから、どんどん使って少しでもできることを増やしておかないと、いざという時に俺だけ役に立たないって羽目になる可能性を減らせないしさ」


「まぁ、それを言われると、確かにそうなんだが……」


「それに、実際さ。別に頼まれたことでも、心の中で願われたことですらなくてもさ。どんな気持ちでも、『心の底から、死ぬほど』伝えたいと思ってる気持ちが、『自分のものと思えるくらい身に迫って』感じちゃうとなるとさ。少しぐらいはおせっかいを焼かないといけないかな、って気分になるんだよ。頼まれたわけでもなんでもない余計なおせっかいでも、そのおせっかいを焼けるのは俺だけだってわかっちゃってるし。目の前で泣きそうになってる相手の気持ちをきっぱり無視するっていうのは、さすがに難しいっていうか」


「いやでもあのねぇちゃん、そのおせっかい少しも喜んでなくなかったか? むしろ『なに抜かしてやがんだ殺すぞ』って勢いで睨まれた気がすんだけど」


「ううん、あれでも内心ではだいぶ感謝してたよ。まぁ『なに言いだしてんのもおぉぉ!』みたいに慌てふためく気持ちもあったんだけどさ、それでも自分の気持ちをなにも伝えられないよりはいい、っていう感情が内心の大半を占めてたから」


『ええぇぇ……』


「意味がわからん。それであの態度なわけか? ロワに感謝しておきながら、あの顔で睨みつけてくるわけか? 本当に情緒に問題があるとしか思えないんだが」


「っつかさー、あのねーちゃん内心ではそんな口調軽いの? 俺たちにはいっつもえっらそーな口の利き方してたのに? ばっかみてぇ、なにカッコつけてんだかなー」


「いやまぁ内心がどうでも外面はそれなりにカッコつけるってぇのは普通だろ。けどよ、まぁなんつぅか……そういう内心の気持ちっつぅの? を、ロワが感じ取ったっつぅのはわかったけどさ。いまいち信じきれてはいねぇけど。でも実際に、本気で、現実にそうだったとしてもよ。ぶっちゃけ、俺ら別に嬉しくねぇよな」


『確かに!』


「いっくら心の中でしゅしょーなこと思ってたって、顔やら言うことがあーじゃ、ぜんっぜん意味ねーよな! あの女がえらそーだったのもムカついたのも、別になくなるわけじゃねーし! 俺あの女がホントにそんなこと思ってたとしても、すこっしも許す気になんねーもん!」


「お前の場合は単に心が狭いだけという気もするがな。お子さまだから無理もないといえばそうなんだが。ただ、まぁ正直なところを言わせてもらえば、内心どう思っているにしろ、こちらとしては目に見える部分で判断せざるをえないというか、さして親しくつきあっているわけでもない相手の、表面に現れない部分を悟れ、読み取れというのは無理難題としか言いようがないというか……」


「っつか……あのねぇちゃん、ほんっきで怖ぇもん! 怒ってるようにしか見えねぇもん! たとえ実際には心の中でしおらしいこと考えてたって、あれを嬉しく感じるとか無理だろ! 俺としちゃやっぱ、女の人にはもっとこう、こっちを優しく包んでほしいというか愛してほしいっつうか……! まぁ俺どっちにしろ基本的に年下は趣味じゃねぇから、もっとこう出すべきとこをむっちりさせて出直してきてくださいって感じじゃあるけど」


 仲間たちの予想通りの反応に苦笑する。まぁ、こういう反応が返ってくるのは予想できたことだった。まだ女性というものに夢を見ている、見ていたとしてもさして問題視されない年頃と階層の人間だった仲間たちは、女性に対しては基本的に『自分たちがしてほしいこと』を要求するし、それが当たり前だと考えているのだ。


「む、なんだよーその反応。なんか文句でもあんのかよー、俺ら別に悪いこと言ってねーだろー!?」


「ああ、別に悪いことは言ってないと思うよ。無神経だし、女の人に嫌われそうな言い草だとは思うけど」


『えっ……』


「ちょ、ま、おま、なんだその経験積んだ野郎みてぇな台詞はあぁぁ!! やっぱりいるのかっ、実は女いたりすんのかっ!!?」


「いやそんな相手いないってちゃんと説明したし、同調術で俺が嘘ついてないことも確認しただろ……そうじゃなくて、単純に、想像だけでもそうだろうなって考えただけだよ。俺たちをエリュケテウレさんの側に立たせて考えてみろよ? よく行く店の、いつも笑顔で優しく接してくれる美人の店員さんに好意を抱いちゃったから、いつも緊張のあまりどもったり言葉噛んだりまともに話せなくて、それをすごく気にしてるのに、店員さんが女友達相手に、『あんな客に好きになられても微塵も嬉しくないわ』『あれはどう考えても、男として『ない』でしょ』『内心どんな気持ちを抱いてても、それをちゃんと表に出せないんなら意味ないっつの』『たとえ純粋に好意抱かれてても、こっちがあれの反応見てクッソキモい思いさせられたのは変わんないし』『ってか、そもそも顔と体が問題外。生まれ変わって出直してきてくださいって感じ』とか言ってるところ聞いちゃったら、どんな気持ちになると思う?」


『…………………』


「お、お、お、お前えぇぇえぇっ!! な、な、なんっ、なんでそんなひっでぇこと言うんだよおぉぉぉっ!!!」


「いや、だからさっきカティたちはこういうこと言ってたぞ、ってことだよ」


「てかっ、俺別に美人だろーが優しかろーが店員好きになったりしねーし! そんなこと言われたらぜってー殴ってやるし!」


「普通に犯罪だぞそれ。まぁジルがそういう状況をまともに想像できないのはわかってたよ。だからあえて主にカティに響く言い方したわけだし。もっとも、たとえお前がそういう状況に置かれたとしても、相手に凄まれたらすぐ腰が引けちゃうだろうっていうのは容易に想像つくけど」


「ぐ、ぬ、む……た、確かに、そういう言い方をされると、僕たちの言い分もかなり無神経なものだったというのは理解できるが……む、むむ……なんというか、それを男の仲間に言われるというのは、だいぶ、複雑な気分だぞ……」


「そうだろうな。まぁ男同士の内輪の馬鹿話に水を注すのは無粋だろうって考えられてるのは知ってるけど、お前らの場合本気で『向こうの視点に立ってものを考える』ってことをしてなさそうな気がしたから」


「あー、なるほどな。そんでお前腹立てたのか。あのねーちゃんの気持ちがわかるから。そりゃ自分の気持ちに偉そうに言いたい放題のこと言われた、みたいな気にもなるわな」


「……まぁ、それだけってわけじゃないけどな……」


「お前ぇえぇぇ! 実は本気で経験豊富だったりすんじゃねぇだろうなあぁっ!! 女知ってたりすんじゃねぇだろうなぁぁっ! 殺すぞ! そんなこと抜かしやがったら本気で全殺すぞ!!」


「いやだからそういうわけじゃないって……ただの想像だよ。というか、ただの想像でもそんな風に半狂乱になるくらい傷つくことを、自分は女の人に言ってたんだってことはわかったのか?」


「ぬっ……ぐっ……わぁったよっ! 俺が悪かったっ! 無神経なこと言ったっ、すいませんでしたっ!」


「そう、だな。僕も悪かった。いかにあの人の態度に気分を害していたとはいえ、カティの尻馬に乗って言いすぎたと反省している」


「むー……俺別に悪くねーじゃん! 当たり前のことしか言ってねーじゃん! あのねーちゃんの態度が悪かったのはホントのことだしっ……」


「…………」


「そ、そんな顔すんなってばぁっ……わ、わかったよぉ、悪かったってばっ……ロワにやなこと言っちゃって、ごめんなさい……」


 頭を下げてくる仲間たちに、ロワはやれやれと肩をすくめる。こんな風に人を諫められるほど、自分は偉くも賢くもないのだが。エリュケテウレの心に同調した身としては、これくらいのことはしなければ申し訳が立たない、と思ってしまったのだからしかたがない。


「俺には謝らなくていいよ。……それじゃ、そろそろ出発するか? さっさと新しい街の娼館に行くんだろ?」


「……っっっそうだよ! とっとと出発して、とっとと新しい街行って、高級娼館借り切って童貞捨てる予定だったじゃねぇか俺ら!」


「いやそこで複数形にしないでほしいんだが!? 僕たちは別にお前ほどがっついてはいないぞ!?」


「うるっせぇわお前らも全員なんのかんので経験はしときたいとか考えてやがんだろうが! この年になるまで勇気も金もなかった俺からすりゃ、恵まれてるどころじゃねぇぞてめぇら全員!」


「じゃーとっとと街の外に転移するかー。ジル、頼むぜ」


「あ、うんっ! 〝祈天転……〟」


「やっぱ一般人の女なんぞ相手にしてもしょうがねぇっ! 女は本職のお姉さまに限るっ、金積み上げてお買い上げさせてもらうしかねぇっ!」


「お前それ普通の女性に言ったら殺されるからな!?」


 わいわいぎゃあぎゃあといつものごとく喚き騒いで――いたと思った次の瞬間には、自分たちはゾシュキーヌレフの外に立っていた。おそらくジルディンにとって『ゾシュキーヌレフの外』で一番印象深い場所だったからだろう、街の外で仕事をする時にいつも通った、北街道の衛兵駐屯所だ。


 万一退魔結界を越えて魔物が襲撃してきた時に備えて築かれる、街の最外部の国軍による施設だが、ここ数百年ゾシュキーヌレフの退魔結界が破れたという話がないからだろう、衛兵たちは数人しか配置されておらず、おまけに全員まともに警戒するつもりがまるでないことをはっきり表して、あるいはぐでぇと机にもたれかかり、あるいは椅子の上で居眠りをしていた。まぁ、そちらの方が自分たちにとっても楽なのは確かだが。


 楽な上に、気楽だった。こちらに干渉してくることがないから煩わしさがなく、こちらに期待を向けられることがないからそれに伴う心労も感じずにすむ。自分にとってゾシュキーヌレフはこれまで――邪鬼ウィペギュロクにまつわる依頼を請けるまで、ずっとそういう場所だったのかもしれない。まぁ自分たちの貧しさに手を差し伸べもしてくれなかったので、生活するだけであっぷあっぷしていた思い出しかなく、いい街だった、国だったと言う気はあまりないわけだが。


 ともあれ、自分たちは今そこから旅立とうとしている。自分たちのことを当然のように色眼鏡をかけて見つめ、期待をよせ失望を向け、少しでも利用してやろうと全力ですり寄っては懐の物をかすめ取ろうとする人間であふれている、ごく一般的な世界、世間へと。それに伴う厄介事は、それこそ絶えず押し寄せてくるだろうが。


「な、走ろうぜ! 若者らしくよ! せっかくの門出なんだ、力尽きるまで走って青春の汗を流そうじゃねぇか!」


「は? いやお前なにを言ってるんだ、意味がわからん。力尽きるまで走るってなんだその筋肉思考、お前らはまだしも僕は体を動かすことは得手じゃなく……」


「や、でもいい案なんじゃねぇか? ネテ、お前だって鍛生術は英雄の人らからがっつり教えてもらっただろ? ちゃんと今も訓練続けてるか?」


「そ、それは……確かに、この一週間いくぶんおろそかにしていたのは事実だが……しかしな、それは僕の本来の仕事である脳を使う仕事に注力していたからであって……」


「だからそれを取り返すためにも、移動中に鍛生術の鍛錬も行えたらおいしいじゃねぇか。全力疾走をえんえん続けることで、移動距離も一気に稼げて二度おいしい! 本気で力尽きて走れなくなったら頭の方使う鍛錬やりゃあいいだろ、俺らが背負って運んでやるからさ」


「はあぁぁ!? 力尽きるまで走るって本気で言ってるのか! 移動中そんな無茶苦茶なことして、不測の事態が起きたらどうするんだっ!」


「え、どの辺が無茶なんだ? 俺はいい案だって思ったけどな」


「どっこもよくねーじゃんっ! 背負われるなんてかっこわりーとこ大勢に見られるのとかぜってーやだっ!」


「ならお前は力尽きたら飛翔術で空飛びゃあいいだろ。まだ飛翔術使い慣れてねぇんだからよ。あと転移術で仲間ごと視界内のできるだけ遠くに転移するとか……」


「う……それなら、まぁ……」


「いや待て、いろいろおかしいぞカティ。お前要するに、早く他の街の娼館に行きたいがために、全員にあらん限りの力を振り絞らせて、高速移動を試みようって言ってるだけじゃないのか?」


「その通りだよそれがどうした! 悪ぃかよぉいいじゃねぇか早く街について悪ぃこたねぇだろぉ? っつかな、俺は嫌な思い出だらけのこの街からさっさと離れてぇんだよ! 絶望の過去を捨てて希望の未来へ向かいてぇんだよ! ちっとくれぇ協力してくれやがれ頼むから!」


「いやぺこぺこ頭下げながら凄まれてもな!」


「嫌な思い出だらけ? そこまで言うほどか? カティ、お前、前に『日雇い仕事を厭わなけりゃ毎日そこそこ腹いっぱいになるまで飯が食えるとか天国すぎる』とか言ってなかったっけ?」


「あー! そんくらい最近の思い出がひどかったってことか! べっつに気にするほどでもなくね? 童貞だってからかわれたとか街中の人間に童貞だって知られたとか街中の娼館に断られたとか、そんなん俺らだって似たよーなもんじゃん?」


「微塵も似てねぇわ何度も言うが俺の絶望とまだ余裕のあるてめぇらを一緒にすんじゃねえぇぇ!!!」


 ――とりあえず、この喧騒が嫌じゃないと思えているうちは、厄介事を必死に片付けながら、女神の認めた英雄候補たちと一緒に走っていくべきなのだろう。あの優しい女神さまの、自分でもかなえられるようなささやかな望みを、無碍にするのもしたくないことではあるのだし。


 そんなことを考えながら、ロワは喚き騒ぐ仲間たちの横で、入念に準備体操を始めた。

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