第76話 底辺冒険者の思うところ

「………なんだかなぁ………」


 客室に戻ってきて扉を閉め、パーティの人間だけになったが早いか、ジルディンが少しばかり鬱屈した声音で呟いた。同調術で感じ取ってもいたし、そういうことを言うだろうと予想していたことでもあったのだが、ロワはあえてなにも言わず、発言を促す。


「なんつーか……なんっか、なぁ。あのおっさんやらばーちゃんやらって、なんでいきなりあんなこと言い出したわけ?」


「あんなこと、とは?」


 あからさまに面倒くさげな声でネーツェが問い返すと、ジルディンは苛立たしげに頭を掻きながら吐き捨てる。


「ネテだってわかってんだろ! なんかさー、あいつら、急にしおらしいこと言ってきやがったじゃん。なんでもするから助けてくれ、みたいなさ!」


「そーだな」


「あぁ。それが?」


「だってさー、なんかムカつくじゃん! これまでいっつもえらそーだったくせにさ、急にいきなりあんな……調子狂うじゃん! ああいう風に、急にこっちを持ち上げてくるみたいな……!」


「それは、『調子が狂う』から嫌なのか? 『都合のいいことを言う』と思ったから嫌なのか?」


「どっちもあるけどさー、なんつーか、なんっか嫌だったんだよ! なんかもううっとーしーっつーかさー、あんな風に……えらそーなおっさんとかばーちゃんとかだったじゃん、あいつらみんな! それがいきなりあんな風に頭下げて、どうかどうかお願いしますって、俺たちにへーこらしてくるとかさー! みんなはやじゃなかったのかよ、うざってーじゃん、あんなの!」


「……ま、言いたいことはわかるし、共感できなくもないがな」


「っ、だよなだよな!」


 珍しくネーツェがはっきり自分に歩み寄りを見せたので、嬉しかったらしいジルディンは笑顔になった。が、ネーツェの方は特にジルディンのために歩み寄ったつもりはないようで、鬱陶しげな顔のままつけつけと言い放つ。


「これまで圧倒的な上位者だった相手に、あんな風に唐突にへりくだられて嬉しいわけがない。そりゃ『いつか上に立ってやる』と必死に奮闘してきたなら達成感もあるだろうが、こっちは彼らの管理する枠組みの最底辺であっぷあっぷしてたんだ。向こうを見上げることしかできていなかったし、それ以外の立場があるなんて考える余裕もなかった。それなのにいきなり下手に出られる、どころか完全にこちらが上位者として認められるなんて、居心地が悪いどころの話じゃない。これまでの偉そうな態度は何だったのか、という話だし……こちらが向こうを無理やり力で平伏させているみたいな気分にもなる」


「そうそうっ、そーだよなっ! 俺もそんな感じ! なんか、俺らが勝手にひどいことしちゃったみたいな気分にさせられるっつーかさー!」


「……まぁ、そういう気持ちは、俺もわかんなくはねぇよ。俺は特に、これまで誰かを見上げることしかしてこなかったから……誰かに見上げられるって、もっと気持ちいいもんかと思ってたけど……いつかは俺も少しくらいは偉ぶりたい、みたいなこと少しも考えてなかった、っつったら嘘になるけど。なんか……今回のは、俺の実力じゃない、本当の俺じゃないものに、頭を下げさせちまった、みたいな感じがするしな」


 カティフが肩をすくめ、頭を掻きながら告げた言葉に、ジルディンはこくこくと勢いよくうなずき、ネーツェは小さくため息をついた。


「そうそうそうそう! 別に俺のせいじゃねーのに、勝手に俺のせいって決めつけて、勝手に頭下げてきてる、みたいな! 俺別にんなことしてほしいとか、一言も言ってねーのに!」


「向こうからすれば、こっちのつもりは関係ないんだろう。頭を下げる価値がある、下げざるをえない相手だと、向こうが勝手に決め込んだってことだ。――女神さまから加護を受けたって事実には、それだけの重みがあるってことなんだろうさ」


『………女神さまの、加護』


 意図せず口を揃えてジルディンとカティフは呟き、それから数瞬部屋の中に沈黙が下りる。それからやや困惑した顔で、カティフは反論を試みてきた。


「や、女神さまの加護のせいにしちまうのは……どうなんだ? 女神さまのおかげで俺らは生き残れたってのに、それを悪く言うのはさすがにちっと……」


「当たり前だ、加護が悪いものだなんて少しも言ってない。単に僕は、そういった大きな力をどう受け取るかはその人次第だし、たいていの人にとっては大きな力というのは、少しでも利用してやろうとすり寄るにしろ敬して遠ざけようとするにしろ、当たり前の、自分と同じ陣営にいる存在としては扱えないのが大半だ、ってだけだ」


「……ま、それは、そうかもしんねぇけどよ」


「つかさ。それ、いまさらいちいち気にすることか?」


 ずっと黙っていたヒュノが、肩をすくめ、呆れた、というか不思議がっているような表情で問う。


「別に英雄ってほどの力じゃなくてもおんなじだろ。山賊を倒してくれって頼まれて、実際に皆殺しにしてきたら怯えられる、なんてことしょっちゅうじゃんか。幹部の人らも、これまでは俺らが弱いと思って適当に扱ってたけど、強くなったから扱い方を変えた。そんだけのこっちゃねぇの?」


「お前、そんなしょっちゅう山賊とか皆殺しにしてたのかよ」


「まぁ大半はやってたのは親父だけどな。俺がたいていの山賊を皆殺しにできるようになったのって、十二か十三になってからだし」


「それも充分とんでもないが、僕たちが言いたいのはそこについてじゃないからな?」


「ってゆーかさー! ムカつかねーの!? なんで急にそういう……扱い変えたりすんだよ、ってさー! 俺ら別になんも変わってねーのにさ! それだったらなんでこれまでもおんなじよーに扱ってくんなかったんだよって話だろ!?」


「いや違うだろ。実績もそうだが、なにより実力が、戦闘能力が圧倒的に違う。十把一絡げの底辺冒険者だった奴らが、邪鬼を討滅できるぐらいの力を身に着けた。それを英雄の方々がしっかりはっきりと、街中に、国府とギルドの上層部に伝えてくれたんだ。扱いを変えるのは当たり前、というより変えない方がおかしい。立場ある人間がまるで扱いを変えないというなら、状況が見えてない、というそしりを受けても仕方ないほどだ」


「だって!」


「ジル、お前なんでそんなに腹立ててんだよ。お前だって前に言ってただろ、女神さまからの加護を受けた時に。自分に偉そうなことをああだこうだ言った奴らに謝らせてやりたい、って。普通にお前の望み通りになったってことで、喜ぶところなんじゃねぇの?」


「それはっ……!」


 言い返しかけて、ジルディンの勢いは唐突に減じ、あからさまにしゅんとした顔でうつむいた。ジルディンにしてはごくごく珍しいしおらしい態度に、全員目を見開いて固まる中、ジルディンはぽつぽつと、呟くように言葉を漏らす。


「だってさ……だってさ。なんか……なんか、やじゃん。なんていうかさ。これまでだって、俺らは俺らなりに頑張ってきたのにさ。そういうのは、全部無視で。単に女神さまの加護をもらったから、いきなり頭下げるような真似してくるとかさ」


「え、お前……これまで、お前なりに頑張ってたのか……? あれで?」


「頑張ってたじゃん! 依頼こなす時に頑張っていっぱい術法使ったじゃん!」


「いやそれは頑張るというんじゃなく、当たり前のことと言われるべきことだと思うんだが……」


「ネテ、そこらへん突っ込むのは後にしろ。……ジル、つまりお前は、これまでの俺たちの頑張りが認められないから『嫌だ』って思ったのか?」


 落ち着いた声音でそう問うカティフに、ジルはいったんうなずいてから、力なく首を振ってみせる。


「それも、あるけどさ。なんていうか……なんかさ。なんか……俺たち、そりゃ女神さまの加護のおかげで強くはなったかもしんないけどさ。別に、変わったわけじゃねーのに。心っていうかさ……気持ち、っていうか。それなのに、なんか、勝手に扱い変えられたっていうのがさ。なんか、なんかさ。嫌っていうか……なんか……」


「え、なに。ジル、お前もしかして寂しいのか?」


「っっっ! べっっつに、そんなんじゃねーけどっ!? なに勝手なこと言ってんだよばっかじゃねーのっ!?」


「あーはいはい待て待て逃げるな。ここで逃げてもすぐ連れ戻されるから手間増えるだけだぞ? ……っつかヒュノ、お前ももーちょい発言に気ぃ使えや。フツーそこで真正面から言っちまったらガキが逃げ出したくなるのも当然だろが」


「いやだって俺なんでそこで『寂しい』って気持ちになんのかさっぱりわかんねーしさぁ……じゃあこれまで偉そうだなんだって文句言ってたのはなんだったんだ、ってなるし……」


「お前そーいうところまでしっかり天才なのな……」


「? んだそれ、どーいう意味だ?」


「天才は人の気持ちがわからない、って意味だよ。まーこれも偏見っちゃ偏見なのかもしんねーけど……」


「紛うことなき偏見だろう。感性は環境や体質でまるで異なるのが当たり前なんだ、『人の気持ちがわかる』などというのは同じような環境で育ったために感性が近い相手に対して抱く錯覚であり、天才はうんぬんというのは相手が自分と違う感性を持っているということを勝手に蔑む一方的な悪罵でしかなく……」


「いやわかったわかった悪かった、お前が『天才は人の気持ちがわからない』って言われて嫌な気持ちになったことがあるのはよくわかったから」


「ちょっ……カティ、お前な!」


「……けどまぁ実際、俺はジルのその気持ちわかるよ。ネテも似たようなことを感じちゃいるんだろうけど、そうは言わないだろうから一応俺はって限定すっけどな」


「………ほんとに、わかる?」


 おずおずと近寄り顔を見上げ、どこかすがるように問うジルディンに、カティフは落ち着いた表情でうなずく。


「まぁ、完全じゃないにしろ、ある程度はな。偉そうにされるのは腹が立つし、罵られたり蔑まれたりするよりは褒めてもらえる方がいいに決まってる。けど、扱いを変えさせるために必死でやってきたわけでもねぇのに、必死になってたのは別に扱いを変えさせるためじゃねぇってのに、いきなり褒められたり、それどころか勝手に目下の立場に移動されても、こっちとしちゃあ困るしかない。拍子抜けするし、相手に向けたムカつきやら苛立ちやらが、向ける相手がいなくなって宙に浮いちまう。褒められた形になっても面白くなくて、むしろそんな気持ちにさせられたことの方を恨みたくなってくる」


「……うん……」


「それに、幹部の人らが頭を下げてるのは、『女神さまの加護』で身につけさせてもらった『実力』だ。俺らが本当に汗水垂らして死に物狂いになって、一歩一歩着実に身に着けてった本物の『実力』ってわけじゃない。そんなものに頭を下げられても、俺自身に下げられてる気がしない。俺らが必死になったのは、単純に依頼を果たして生き残るためで、そのついでに『実力』が身に着いちまっただけだってのに。自分が馬鹿にされてるような気分になるし、これまでの俺らの頑張りはなんだったんだって気持ちにもなる」


「! そうっ、そーだよっ! なんかっ、なんか……俺らがやってきたこと込みで、馬鹿にされた感じっ! 俺ら、これまでだって必死にやってきたじゃんっ、それなのに……そーいうの無視していきなり頼み込むとか……なんか、すっげームカつくっ!」


 自分の気持ちを的確に言葉にしてくれたという想いそのままに、勢い込んでジルディンは喚く。いつもと同じ子供っぽい文句――だがジルディンなりに、必死の想いを込めた言葉だ、というのはちゃんと感じ取れた。こいつは本気で、懸命に、押しつけられた感情と状況に、抵抗しようとしているのだと。


 だから、ずっと黙っていたロワは、そこで口を開く。


「それでも俺は、みんなが女神さまの加護を受けて、よかったと思ってるよ」


『…………』


「……ロワ。なんだよ、急に」


「俺の思ったことを言ってるだけだ。みんなの気持ち、俺にも俺なりにちゃんとわかるよ。同調術を使ってるから、否応なく我が身のごとく」


『うっ……』


「い、いやそりゃ同調術というものはそういう風に感情を同調させるというのもよくある使い方ではあるが、そういうことを口に出されても反応のしようがないんだが!?」


「単に『気持ちがわかる』ってことを言ってるだけだよ。全員の気持ちがしっかりと。ヒュノの当たり前のことをなに騒いでるんだ、っていう他の奴らの気持ちがさっぱりわからない気持ちやら、わからないことが少し申し訳ないような気持ちやら。ネテの当たり前のことだって理屈の正しさで感情を押し潰そうとして、うまくできなかった部分のもやもやした感情やら。ジルの納得いかない、ムカつくっていうだけじゃないもやもやした気持ちやら。カティの自分がやるせなさをうまく受け流せてることに満足して、俺も大人になってきてんじゃんってちょっと嬉しい気持ちやらが、はっきりしっかりとさ」


『ぬぐっ……』


「そ、そーいうこと口に出して言うかぁ、おいっ! お前そーいう風に人の心の中術法でほいほい読み取って明かすとかなぁ……!」


「だから、ギルド幹部の人たちの気持ちもわかるんだ。あの人たちが、不安で、戸惑いながら、正しいやり方がなんなのかさっぱりわからない、下手を打って人間社会に敵対する英雄を産み出しちゃったらどうしよう、って思ってびくびくおどおどしながら、必死に胸を張って、俺たちに舐められないよう、卑屈にもならないよう、かといって高慢にもならないよう、できる限り対等に、けれどこちらの心情も矜持もおろそかにせず、その立場と存在を尊んでいることがわかるように、ってそれこそ死に物狂いで俺たちと向き合ってたっていう気持ちもさ」


『……………』


 自分の長広舌に、部屋の中の空気は一気に固まり、静まり返る。仲間たちそれぞれの顔も、驚きと戸惑いの表情で固まっていたが、やがて硬直から解き放たれいっせいにわいわいと喋りはじめる。


「えっ、やっ……そ、それ本気で言ってんの? え、なんだよそれ、どーいうこと? いや真面目に意味わかんなくね……?」


「どこがわからないんだ、はっきりしっかりわかりやすく言ってもらってるだろう。要するに……ギルド幹部の人たちも、僕たちをどう扱っていいかわからなかった、ということなのか……?」


「いや、まぁ、そうなんじゃね? 確かネテ前に言ってたよな、加護を与えられる人間なんて、大陸中で統計取っても一年に一人出るかどうかだ、って。んで、基本切羽詰まった厳しい環境の中で生きてる人間に与えられることが多くて、ゾヌじゃもう百年単位で出てない、とかさ。だからまぁ、どうしようってあちらさんがうろたえるのも、まぁわからなくはねぇかなぁ」


「えーっ、んっだよそれ! んじゃ俺らあいつらのしくじりでヤな思いさせられてたってこと!? ふっざけんなって感じじゃん、もーぶっ飛ばしもんじゃんっ! 今度あいつらにそのことつつき回していじめてやんなきゃ!」


「やめろやボケッ、たとえ向こうが下手に出てたって別にいいように扱っていいわけじゃねーんだからな!? 粗略に扱われた末にぶち切れるとか誰でもフツーにあるからな!?」


「というか、さっきまで珍しくしおらしく落ち込んでた分際でなにを抜かしてるんだ、このお子さまは。お前の方こそ、『結局お前は相手が強くてこっちを本気でいじめてこないとわかってる時にしかキャンキャン吠えられないんだな』っていじめられるところだとわかってないのか?」


「なっ、なーっ!! べっ別に俺そんなっ、ていうか仲間のくせに俺に意地悪すんなよ! 生意気だぞっ!」


「ほほう。すいませーん、実はジルの奴がこんなことを言い出したんですがー」


「わーっ、ぎゃーっ、やだーっ! ごっごめんなさいごめんなさいっ、悪かったからそれ言うのやめろよっ、やめてってばぁっお願いっ!」


 ぎゃあぎゃあ喚いた末、全員疲れて椅子に座り込みながら息をつく。やれやれという顔でため息をつきながら、ネーツェが眉を寄せて問いかけた。


「ロワ。もしかしてお前、ずっとそれを言う機を計ってたのか?」


「え、それってナニ? なんのこと言ってんの?」


「横から口を挟むな、ジル。だからつまり……ギルド幹部やらなんやらの心情についての話だ。僕たちに対しびくびくおどおどしながら、必死に胸を張って相対してるっていう気持ちとかについての」


「まぁ、そうかな。ギルド幹部というか、ギルドの人間はおおむねそういう気持ちみたいだったから。そこらへんの認識のズレを早くなんとかしないと、どっちにとっても不幸だろうな、って考えたっていうか……」


「ふーん。お前らしいっちゃお前らしいな。俺ら担当のねーちゃんに上からっぽくもの言い始めた時から、ロワにしちゃ珍しいなって思っちゃいたけどよ」


「え、じゃあギルド幹部の人らとバチバチやり合ってた時も、んなこと考えてたのかよお前。全然そんな素振り見せなかったくせに」


「あれは単純に、交渉を効率よく済ませたかったのと……俺があの人たちの『気持ちがわかってる』ってことを伝えたかったってだけだよ。向こうの『気持ち』が俺に伝わっちゃってる以上、体面を気にしてもあんまり意味ないから、『腹を割った話し合い』以外の選択肢なくなるだろ? それでもやっぱり、それなりに格好はつけられたけど……みんなに頭を下げてはきたし。少なくとも、向こうからすれば、みんなは頭を下げるべき相手だと認識してる、っていうのは伝わったよな?」


「それは、まぁ。……なるほどな、お前は僕たちにもしっかり『わからせ』たかったわけか」


「まあ、そうなるかな……」


 ロワは苦笑しつつうなずきを返す。仲間たち全員が、すでに周りからは『大したもの』として扱われているのだ、ということは理解してほしかった。とんでもない偉業を成し遂げた人間だと、いずれ英雄に至る存在と考えられているのだと。周囲から敬意と畏怖をもって接されている、ということを。それがよいことか、正しいことかはおいておくとしても、事実として認識してもらわないと、どちらにとってもろくなことにならないと思ったのだ。


「……けどよ。つまり、それってよ。向こうは基本、こっちに全面降伏してて、こっちのやることに文句つけたりはしない、ってことだよな?」


「うん、まぁ、そうだな。……それが?」


 ロワが問い返すと、カティフは目をきらきらと輝かせながら、ぐっと拳を握り締めて雄叫びを上げる。


「よぉぉぉっしゃあっ! じゃーもう邪魔者とかねーじゃん! 全力で別の街の娼館に突撃しても、誰からも文句出ねーじゃんっ!」


「……いや、まぁ、それはそうだが。別の街に行くのは娼館だけが目的じゃないんだが?」


「うっせぇわかしこぶってんじゃねぇ少なくとも俺にとっちゃ最大の目的はそれだわ! 出発しようぜすぐ行こう即行こう! とっととこの街出てってすっぱり童貞捨てちまおうっ!」


「いや、だからちょっと待て。出発って言ってもな……」


「その前にやることいろいろあんだろ。旅のための荷物とかあれこれ準備しとかなきゃだしよ」


「んなもんギルドでぱぱっと買い揃えりゃいいだろーがっ、なんのための報酬だと思ってんだっ!」


「いやけどさぁ、武器とか防具とかどうすんの? 俺らの装備、あのおばさんたちに渡しちゃったじゃん。ずっと使い続けられるようにしてもらう、とかでさ」


「繋ぎの装備を買やあいいだろが! なんのための報酬だとっつってんだろ!」


「いや待て。その前にだな、僕としてはなんとしても、お前に収納術を身に着けてもらいたい」


「んなもん……って、は? 収納術?」


 思ってもいなかったことを言われた、という顔で振り向いたカティフに、ネーツェは真面目な顔で、かつ力を込めて言い募る。


「ああ。前に言っていただろう、収納術を身に着けたらどうだ、と。授業料を払うだけの金はあるんだし、と」


「そ、そりゃまぁ言ってたが、そんなことしてる余裕は……」


「いやあるだろう。急がなくちゃならない目的があるわけじゃないんだ。少なくとも、お前以外の四人にはな。そして、お前が収納術を身に着けるかどうかは、パーティ全員の生存に関わってくる可能性が高い」


「い、いやなんでそうなんだよ。意味が……」


「改めて考えてみたんだが。カティ、お前はこれからパーティの盾役となるわけだろう? お前の生存率は、そのままパーティの生存率に直結する。だからお前に対し援護や治癒を重点的に行うのはもちろんだが、同時にお前が自分でいつでもポーションを使えるようにしておく、というのも戦術的に非常に重要だ、と僕は思う」


「そ、そりゃ……まぁ、そうだが」


「そして、前にお前が言った通り、収納術なしでポーションを何十本も持ち歩く、というのは現実的じゃない。常時ポーションを使えるようにするためには、収納術を習得するのが最適だろう。収納術には『手を使わずに収納したものを取り出して使用する』という術式もあるから、ある程度熟達すれば、切った張ったをやりながらポーションを使う、というのも可能になるんだ」


「う、そ、そりゃ、便利だとは思うけどよ……」


「むしろそれができるかどうかは、お前自身の生存率に大きく関わっていると言っていいはずだ。お前自身の生存率のみならず、パーティ全体の生存率を上げるためにも、お前にはぜひとも収納術を習得してもらいたい、というかそうしてくれないと困る。曲がりなりにも最終目的は古代遺跡探索と決まったんだ、できる準備はしておくのが当然だろう」


「ぬ、ぐぐ、ぬぐぐ……」


「えー、けどさー、その間俺らなにしてんの? カティが術法の勉強してる間、俺らぼけっとしてるだけ、ってのも退屈じゃねー?」


「なにを言ってるんだ、やることならいくらでもあるだろう。ジル、お前は風操術と浄化術をはじめとした、ゾシュキア神殿で学ぶことができる術法の、習得していない術式を身に着けることに全力を注げ。お前を育ててくれた孤児院なりなんなりに、相応の寄付金を積めば熱心に指導してくれるだろう」


「えぇー!? んっだよそれヤダ! ぜってーヤダ! そんなもんのために金払うとかマジ死んでもヤダ!」


「お前な、曲がりなりにもお前を育ててくれた相手だろうが。これだけの報酬が手に入ったというのに、それなりの金を積まないというのは、不義理にもほどが……」


「んなの関係ねーじゃん意味ねーじゃんっ! 育ててくれたったって別に俺が頼んだわけじゃねーしっ、それにあいつら、俺が育ててほしいように育ててなんか全然してくんなかったもんっ! そんな奴らになんで金とか払わなきゃなんねーわけ!? ぜってーヤダったらヤダ!」


「……おい、ジル」


 うんうん唸っていたカティフが、ジルディンの言葉を聞くや、じろり、と険しい目でジルディンのことを睨み据える。びくっ、と震えたジルディンに、低く鋭い声で説教しつつ力を込めて威圧し始めた。


「お前がどんな気持ちで育てられてたにしろ、だ。孤児院の人らは、お前に飯を食わせてくれたんだろうが。寝る場所と衣服を用意してくれたんだろうが。それどころか、神官になるための教育まで与えてくれたんだろうが。そんな人ら相手に、やり方が気に入らないから、って理由で勝手に縁切りしていいと思ってんのか? え?」


「だっ、だって、そんな、だって……」


「だってじゃねぇ。お前がその人らが嫌いだってんなら無理に関わり続けろたぁ言わねぇが、それでも相応の金は払え。今回みてぇなあぶく銭が手に入ることなんざ、めったにあるこっちゃねぇってのはお前だってわかってんだろうが。縁を切りたいなら、それこそこれまでしてくれた分の金をしっかり積み上げてからにしろ。お前が好きで育てられたんじゃねぇってんなら、向こうだって好きでもねぇ小僧を嫌々ながらでも、それなりの年になるまで育ててくれたんだ。このクソッタレ小僧ぶん殴ってやりたい、と思いながらも手を出さずに衣食住に加え教育の面倒まで看てくれたんだ。その恩に後ろ足で泥引っかけるような真似すんのは、俺が絶対ぇ許さねぇ」


「う、ぅう、けど、だけどぉ……」


「だけどなんだ。反論があるってんなら言ってみろ。俺の言ってることに言い返せるぐらいの、真っ当な気持ちってのがてめぇの中にあんなら言ってみやがれ」


「ぅ、うぅ、ぅうぅー……」


 ジルディンは泣きそうな顔でしばし呻いたのち、「わかったよぉ……」と半泣きになりながら答えた。それにうなずいてみせたのち、カティフはネーツェにちろりと視線をやる。そこでネーツェははっと我に返り(カティフがこういう態度を見せるのは久しぶりなので驚いたのだろう)、慌てて話を続けた。


「え、えぇとそれでだな、ヒュノは……まぁ自分で鍛錬するだろうからいいとして。……収納術を身に着けてくれた方が生存率が上がるのはヒュノにとってもなんだが、うちのパーティの最大戦力には現段階では、本人のやる気が向いている戦闘能力の向上に全力を注いでもらうというのも、育成計画としては正しいからな」


「おう、そりゃどうも」


「それで……ロワは恩寵として与えられた、操霊術、同調術、神祇術を繰り返し使用し練習することで、術法の腕の向上を目指す。ロワが短期間の学習で一番効率よく向上させられる技術だからな。で、僕は勉正術を駆使して、自身の魔術師としての能力向上と……他のみんなの技術習得、ないし向上に協力する。律制術と増幅術も併用して用いながら、術法・術式の知識を脳と心魂に刻み込んで、術式使用の際には補助を行ってコツをつかませやすくするつもりだ。普通に学習するよりははるかに効率がよくなる、と考えてもらっていい」


「え、んなことできんのか。それもえっと、ネテがもらった術法の力ってことなわけか?」


「ああ、その通りだ。勉正術はまさにこういう学習のために存在する術法だし、律制術や増幅術も術法のコツをつかみやすくするには有効だからな。僕としても、与えられた術法をくり返し使用することで、術法の技術と心身の能力を向上させることができるわけだから、使う機会を与えてもらえるというのはありがたいんだ」


「……それ、俺にもやってもらえんのか?」


 低く訊ねたカティフに、ネーツェは一瞬目を瞬かせたものの、すぐに深々とうなずく。


「ああ、もちろんだ。むしろ、カティにこそこの手法は役立つと思う。他の面々はすでに身に着けている術法の技術や能力の向上になるわけだが、お前の場合は術法を新しく学習で身に着ける、という一般的なやり方になるからな。女神さまの恩寵という、頼れるものがないわけだから、力になれることも多いと思う」


「あ、俺はそういう手助けいいわ。とりあえず自分一人でやってみて、感覚つかみてーからさ」


 手を挙げてそう宣言するヒュノには、ネーツェは軽く肩をすくめるのみで流す。


「わかった。……まぁ、お前の場合はそちらの方がいいかもな。天才の感覚という代物に、僕が介入してはかえってよくない結果を招きかねないし」


「よし……しょうがねぇ、やるしかねぇか! やるならとっとと始めようぜ、すぐさま即座に全速で! とりあえず、外の人らに話し合いの結果ってやつを伝えて……」


 言って立ち上がり、伸びをする間も惜しんで部屋を出て行こうとするカティフを、ネーツェは追った。


「いやちょっと待ってくれ、できればジルが孤児院に行く時に、カティにも一緒についてきてほしいんだが」


「は? なんだそりゃ、なんで俺が? いや、俺が行きたいかどうかはおいとくとしても、俺が行ってなんかの役に立つのか?」


「ジルの抑え役として必要だ。さっきの様子なら充分役には立ってくれるだろうし……なにより僕がジルと一緒に行くからな。ジルに対して教えられる術法や術式の知識を保存して、ジルの脳に『写し』ていかないといけないから」


「いやお前が行くからどうだってんだよ。とっとと収納術身に着けろ、とか言い出したのお前だろ?」


「収納術習得の期限に関して僕はどうこう言った覚えはないが、それはとにかく。収納術の学習の最初期には、授業時間を除けば、僕と四六時中一緒に行動するくらいの気持ちでいた方がいいと思う。術法の情報をまず脳に直接『写し』てから、情報の出し入れをくり返して脳に定着させていくわけだから、収納術の知識を人に教えられるぐらいには持っている人間が一緒にいないと、勉強が進まないだろう?」


「それなら、まぁ、しょうがねぇからついていくけどよ……男と四六時中一緒にいるとか、普通に勘弁してほしい話だな。まぁとっとと収納術身に着けねぇとだしやるけどさ」


「なにを言ってるんだ、街の外に出る依頼の時は基本四六時中一緒だろうに」


「字面の問題だっつの、字面の……」


 そんなことを話しながら二人が部屋の外へと出て行くのを見送ってから、ヒュノがひょい、としなやかな動きで立ち上がる。


「……さって、んじゃ俺はいつも通りに稽古場で鍛錬してくっかね」


 言ってヒュノは軽い足取りで部屋を出て行く。ヒュノが基本的に暇さえあれば剣を振っている、修行鍛錬大好き人間であることはよくわかっている。今日もこれから見ている人間が気圧されるような激しい稽古をやってのけるに違いない。とりあえずその背中に「無理するなよ」と声をかけてから、ロワはいまだにしゅんとしているジルディンへと振り向いた。


「ジル。落ち込んでる場合じゃないぞ。お前もとっととできる限りの術式身に着けてくつもりでいないと、旅に出てからも勉強し続ける羽目になるからな」


「え? いや……でも、だってさ。カティが収納術身に着けんのに、一節刻テシンくらいはかかるって話じゃなかった? さすがにそんくらいあれば、フツーの神官やら司祭やらが知ってるぐらいの術式なら使えるよーになるだろーし……」


 一節刻テシンで自分の学び損ねた術式を全部習得し直せるつもりなのか、さすがというかなんというか、少なくとも自身の能力をきちんと把握しているとは言えるかもしれない、などと思いながらも、ロワは軽く首を振る。


「それは普通に勉強していれば、の話だろ? 今回の場合は、ネテもがっつり力を貸すし、なにより本人のやる気が桁違いだ。いくらカティが術法の習得に慣れてなくても、収納術は習得しやすさじゃ最高級って術法だ、下手をしたら一巡刻アユンくらいで習得できちゃうかもしれないぞ?」


 少なくともネーツェがそのつもりでいることは、ロワにもはっきり感じ取れたのだから――などという言外の想いを感じ取ったわけでもなかろうが、ジルディンは「げっ」と呻き、あからさまに驚きうろたえた顔で立ち上がった。


「なんだよそれ、じゃー下手したら俺だけ旅先でも勉強続けなきゃなんなくなるかもしんないってことじゃん!」


「だからそう言ってるだろ?」


「うわぁやだやだそんなのやだっ、ネテっ、カティっ、ちょっと待てよぉっ、俺も一緒に行くからーっ!」


 慌てて部屋の外へ出て行くジルディンを見送って、ロワは小さく苦笑する。まぁそのつもりで煽ったわけではあるが、ああもあっさり乗ってこられると、ジルディンの精神構造というものに少し不安を抱かないでもない。


「まぁそれはいつものことだし……嘘をついてもいなければ、言いたかったことをごまかしてもないしな」


 口に出して呟いてから、深く深呼吸をする。何度か繰り返し、できる限り短時間で心魂と身魂の在りようを切り替える。人としての生を送る魂から、死に寄り添う魂へ。此岸から彼岸へ、此方から彼方へ。この世にあるべき御命から、この世ならざる御霊へ。


 ネーツェが言っていたように、自分も時間の余裕が充分に取れるのならば、新しく会得した術法の修行をするつもりでいた。だが、その様子を誰かに見せたいとは――仲間たちであろうとも、他の誰かであろうとも、思わなかったのだ。


 女神たちの加護により、そもそもの学習能力がまるっきり違う仲間たちと一緒に鍛錬をしてみじめな思いをする、なんて真似はできるだけしたくはないし(まぁネーツェにはなんだかんだで手伝ってもらったり相談に乗ってもらったりはするだろうが)――『一般的な』人の道からは反しているだろう、自分の術法の修行方法を、人に見られるところでやりたいとも思わない。


 誰もいなくなった部屋の中で、部屋を準備してもらってから基本常に張っている、神祇術による結界を張り直したのち、ロワはきっと空中を見据えた。

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