第72話 女神の茶会

「あっはっは! いやー、カティフくんらしいよねー。女の子のこと、っていうかエロを目の前にすると状況とか道理とかすっ飛ばして、エロだけで頭がいっぱいになっちゃう青少年! どうですかここらへん、カティフくん推しとして」


「ふっ、むしろそうでなくっちゃって感じですが? いやマジな話、カティくんのあたし的推しどころってパーティで最年長なのに微妙に情けないヘタレ筋肉ってとこだからさぁ、こういう反応望むところなわけよ。ヘタレ筋肉っつってもいろいろタイプあるけど、カティくんみたいな性少年ヘタレ筋肉の場合は、むしろガンガン『ピ―――――――ッ!』っぷりを見せてほしいわけ。そんで『ピ――――――ッ!』時にはそりゃもうとんでもない情けなさ発揮してド失敗してほしいわけよ! あー今から想像してるだけでだいぶ『ピーッ!』にくるわぁ~」


「アジュさん、あなたその言動だいぶ痴女よりだからね? まぁこっちは見てる分には面白いからいいけど……いくら当人には聞こえてないとはいえ、推しが同席してるエベっちゃんとしては、だいぶアウトなんじゃない? どう、エベっちゃん?」


「全力アウトに決まってるじゃないですか! ガチで暴走してウィンドウ叩き割ってやりたい勢いですよ! ただまぁ、アジュさんには今回いろいろお世話になりましたし、推しの前で見苦しい姿とか見せたくないので耐えてますが……それでもこの溜まっていく鬱憤は、いつかきっちり清算してもらいますからね! 具体的には食事おごりとかで、その分推しに使える神音かねが増えますし」


「いやエベっちゃん、あなたそういうこと言ってる時点でだいぶ女としてアウトだから。生活費の分まで推し活にぶっこむとか、ロワくんだって嫌がってるって言ってたじゃない?」


「はっ! いえそのこれはものの例えというかあくまで一例を示しただけでですねっ……! ……でも正直な話、推しのためにちょっとくらい生活費を切り詰めるのは誰でもよくやることだから許してくれないかなーとか思ってますがっ……!」


「白状してんじゃん。まーこの部屋の仕組み上しょうがないんだろうけど」


「ふふふー。どう、ロワくん? エベっちゃんこう言ってるけど、許してあげる?」


 こっちに話振らないでほしいなぁ、という気持ちのあまり全力で空気との一体化を試みていたロワは、名指しで反応を求められて、一瞬びくりとした。『やだなぁぁ……』という想いが顔から溢れ出るのもたぶん抑えることができていなかっただろう。が、女神さまのご下問に答えないという選択肢もないので、渋々ながら正直に言葉を返す。


「……そもそも、究極的には、エベクレナさまがご自分で稼いだ神音かねなので、エベクレナさまの好きに使うのを、俺が止める資格なんてないんですが……でも、正直な気持ちを言えば、俺はエベクレナさまに、なによりもまず自分を大切にしてほしいです。俺たちなんかを見つけて、できる限り力を貸そうとしてくださった優しい方が、不自由な生活をしなくちゃならないなんて、絶対に間違ってるし、俺自身絶対に嫌だな、って思うので」


『おぉ~………』


「すばらしい。見事なまでの少年系スパダリっぷり。これは推せるわ。アジュさんの気持ちわかる」


「でっしょぉ!? 投げ銭したくなるよね! 幸せになって~って言いたくなるよね!」


「まーそのヒロインがリア友だって時点でだいぶキワだけど。でも投げ銭したくなるってーのには全力で同意。地味に行く末を見守りたくなるというか、普通に籍入れろやって言いたくなる」


「あんたら……たとえ推しには伝わってなくとも、私にはきっちり聞こえてんですからね……? そんで私が推しに認識されたくない系推し活女子だってこと、あんたらよっく知ってますよね……? いい加減にしないとマジ切れしますよ、私……?」


「わかったわかった、悪かった悪かった」


「ま、ま、ここは落ち着こう。まだろくに話もしてないうちに、ロワくん強制退去とか嫌でしょ? 普通に迷惑だし?」


「一応伝えておきたいこととかもあるしね。私たちが悪かったから、まぁここは抑えてちょうだい」


「ぐぬぬ……」


 唸りながらも、エベクレナは手元の茶器に注がれたぬるめのお茶をぐいっと飲み干し、お茶菓子を数個まとめて口に入れ噛み砕き、なんとか冷静さを取り戻す。いつもながらの雲の上で、エベクレナ以外の女神さまたちはいつも通り水晶の窓越しでの参加だが、全員広めの卓につき、こちらでも窓の向こうでも、めいめいに充分な量のお茶と茶菓子が用意され、足りなくなればすぐにでも補充してもらえる状態で――


 つまりこれは、茶会だ。貴族や富裕層の人間の会食もどきで、自分には縁がないと考えていたものだが、女神さまたちはそれこそ人の世の誰よりも尊い身分の存在なのだから、茶会を開くこと自体にはまるで問題はないだろう。


 問題があるのは、ロワの方だ。曲がりなりにも、故郷やそこから流れた先で、女性と接する機会がそれなりにあったロワには、一応の知識があった。女性というのは、気心の知れた女性同士で喋っていると、おしゃべりにどんどん熱が入り、暴走してしまう傾向にある。そしてそんな時に自分のような若く未熟な男がいると、格好のおもちゃ、いや酒の肴、いやお茶請け、いやつまりとにかく、面白がってつつきまわしてもいいものとして扱われる可能性が高い、らしい。


 男女比率が逆の場合は、むしろ男たちが女性と二人きりになる機会を争うことになるのが一般的で、かつそれはその先を見越した口説きへと移行するのがほとんどであるため、そういう席(普通酒の席だ)では絶えず緊張感が漂い、女性の側も常に警戒心を持っていなくてはならないのだそうだ。それはそれで大変だと思うが、女性が圧倒的多数の席では、女性の側に悪気がなく、単に面白がっているだけなために、歯止めが利かない場合も多いのだとか。


 それになによりこうも男女比が偏っていると、それなりに女性に慣れていると自負しているロワですら、正直少々居心地が悪い。いたたまれないとまでは言わないものの、女神さまたちは女神同士でのみ通じる話題で盛り上がることが多いため、ロワとしてはせいぜい空気と一体化して邪魔にならないようにすることぐらいしかできることがないのだ。この顔ぶれが集まる茶会はこれで二度目だが、前回もおおむねそんな感じだった。


 茶会の形式にしたのは女神さまたちの意思だそうだが、こうして四柱の女神が顔を合わせてロワと卓を囲むことになったのは、神々のうち、技術者の方々の要望によるものらしい。この雲の上の託宣の間で、『二人の神々が人間と会話する』という状況での情報はある程度集められたので、もう少し人数を増やした場合どう変わるのか、ということを知りたいのだとか。


 まぁロワとしても、そういった要望に逆らう気はまるでないし(なにしろ神々の世界の仕組みの根源に関わる問題だというのだから)、茶会が嫌だというわけではない。女神さまたちが楽しそうに笑いさざめく姿は見ていて楽しいというか、エベクレナたちが楽しそうなのでこちらも嬉しくなってくる。


 ただ、それはそれとして、できるだけ早くエベクレナと一対一の状況に戻りたいな、というのが正直な気持ちではあった。今の状況だといついかなる時も気を張っていなければいけないので、神経がくたびれる。エベクレナと二人だったらもう少し気が楽というか、心が和むというか、落ち着いた気持ちで話ができるのだ。


『……………』


「……ちょっと。なんですかそのいやらしい世話焼きおばさんみたいな視線と笑み? 言っときますけど私律儀に反応とかしてあげませんからね! 私の推しが夢女製造能力めちゃ高男子だってことはずっと前から知ってますから!」


「へぇ~、ずっと前からぁ」


「なるほどねぇ~、知ってたんだ」


「そうだよねぇ~、早く二人っきりになりたいって思ってくれちゃうくらいの仲なんだもんね~」


「……ブチ、切れ、ますよ?」


『ごめんなさい』


 エベクレナが一睨みをくれると、水晶の窓の向こうで他の女神たちが頭を下げる。いつもながらの光景にこっそり肩をすくめつつ、ロワはおいしいお茶とお茶菓子を楽しんだ。この状況で気楽に楽しめるものはそれしかなかったので。


「……ええと、ですね、ロワくん。前回、というか昨日から、変化したことがないか、っていう経過報告なんですけれども」


「はい」


「そこまで大きな変化はないというか……法務部と始末部はいまだに現在進行形で会議してます。正直まだまだ終わる気配がないというか、たぶんこれあと数ヶ月くらいは必要なんじゃないですかね……こういうややこしい法律関係の大きな仕事は、年単位で時間かかってもおかしくない、っていうのは以前聞いたことあるんで」


「はい」


「で、ウィペギュロクについても、そこまで状況に変化はありません。ちょっとずつ気軽に使う人が増えていって、ちょっとずつ忙しくなっては来てるみたいですけど、それでも疲れるほどに働かされてるわけじゃないですし。どっちかっていうと技術部の人のデータ収集に協力してる時間の方が長いくらいですね。……まぁ、一日の内で一番長い時間を費やしてる行為は、睡眠なわけですが。スムーズな入眠のためだと思いますけど、睡眠と夢に関する術法をわりとしっかり身に着けてたのが、幸いだったのか不幸だったのかって感じです」


「はい」


「あと……技術部の人たちのデータ解析も、あんまり進んでない……というか、もっともっとデータをいっぱい集めないと、はっきりしたことは言えないんだそうで。申し訳ないですけど……今回もまた、頑張ってもらっちゃって、大丈夫でしょうか……?」


「あ、はい。じゃあ、失礼して……」


 女神たちに見守られながら(というのは正直落ち着かないことはなはだしいのだが、自分を心配して見守ってくれているのに文句はさすがに言えない)、席に着いたまま呪文を唱え始める。昨日は立って呪文を唱えていたのだが、呪文を唱えている途中で気が遠くなって倒れかかる、という事件があったため、今後託宣の間で呪文を唱える時は座ったままで、と定められてしまったのだ(今もエベクレナがいつ倒れても支えられるように、と身構えてしまっているし)。


「〝開け〟」


 一語唱えた瞬間、ぐ、と身体に重石がのしかかったような圧力を感じる。神祇術を使った回数はいまだ両手で数えられる程度だが、人の世界で唱えた場合と、託宣の間の中で唱えた場合とでは、心身と心魂にかかる負担が圧倒的に違った。


 女神に与えられた恩寵により会得した術法は、ほぼ自由自在に使用可能。すなわちその術法の達人と呼べるほどに習熟した人間でなければ本来不可能な、呪文の詠唱の省略、思考のみを引き金とした発動を可能とするが、それでもやはり呪文を詠唱せずに術法を使うことに慣れていないロワからすると、一言でも呪文を唱えた方がやりやすい。負担を受け止める態勢を取る意味でも、声に出して引き金をわかりやすくした方が楽だった。


 神祇術の初歩の術式のひとつ、〝場〟の解放。ひとつひとつ神祇術の術式を片っ端から唱えているが、今回も心身と心魂に感じる負担の重みは変わらない。息ができなくなりそうな、指一本動かすこともできないような重圧。頭から指先まで、全身余すところなく感じる重み。そんな自分の様子を、神々の技術者のうち調査を掌っている方々が、余すところなく記録し、精査してくれているはずだった。


「………はいストップ! もう解除していいそうですよ!」


「っ、………っ、ふ、ふぅぅ~~~………」


 術式の解除を念ずるや、身体にかかった重みが失せ、心魂がまともに動くこともできなくなるような圧力も消えてなくなる。ずっと座っていて痺れた足が解放された時のような数瞬の痙攣を乗り越えて、ようやく息をついたロワに、エベクレナが全力で心配していると誰にでも読み取れるだろう表情で問うてきた。


「大丈夫ですか? 痛いところとかはないですか? 苦しいとか、どこか麻痺した感じとか、そういうのはないですか?」


「あー、はい。ないです……これまでと同じで、単に魔力がごっそり減ってるだけで……」


「そうですか……」


 ほっとしたような、これから先のことを案じるような、どちらともとれない響きの息をついて、エベクレナが新しいお茶とお茶菓子を差し出してくれる。ぬるめに淹れてくれたお茶をぐいっと飲み干すと、魔力がごっそり減っているのは変わらないものの、人心地ついたような気分にはなった。


 これは、昨日から何度か行っている実験だ。昨日も夢の中で託宣の間を訪れたロワを出迎えた女神たちとの会話の中で、ロワが恩寵として与えられた神祇術の話題が出たのがきっかけだった。


 話の流れで託宣の間の中で神祇術を使ってみることになって、基本術式のひとつである、神託を受けるに易い状態に自らを導くための、自身を対象とした純化の術式を使ったとたん、さっきと同じ重圧で自分はまともに息もできなくなったのだ。驚き慌てて即座に解除したはいいものの、一瞬でごっそり魔力が削れていた。


 その時に自分の状態を絶えず探っていた、調査を掌る神々が、これまでに見たこともないような反応を検知したらしい。これはもしやロワの特殊性に対する答えとなるかもしれない、と昨日今日とロワは何度も神祇術の術式を使わされているわけだ。……昨日は魔力の残量の計算を誤って、立ち眩みを起こしたりしてしまったが。


 ちなみに、神祇術以外の術法は託宣の間では発動しなかった。というか基本的にはこの託宣の間の中では、人間の習得している術法は活性化しないようになっているらしい。まぁ当然といえば当然の話だ、たとえどんな人間だろうと神々の存在に圧倒されて平伏してしまうとしても、なんらかの術法が暴発して惨事を引き起こす可能性は皆無ではないのだから(基本的に魔術以外の術法が、発動失敗や暴走の類を引き起こすことはまずありえないのだが、使用している術式が状況によってまずい形で働き、結果として惨事を引き起こしてしまう、という事故は起こりうる)。


 なので、ロワが神祇術を使用できる、というか術式を発動するやほとんど息もできなくなる状態に陥る、という事態について、ロワの特殊性への答えを導き出す鍵になるかも、と調査を掌る神々が考えるのも無理はない、というよりむしろ当たり前であるわけだ。


 それから二回ほど術式を発動させると、ロワの魔力が尽きた、わけではないがもう一度発動させると心身に悪影響があるんじゃないかな、ぐらいにまで減ったので、神々からのお達しがあり、実験の時間が終わる。ふぅ、と息をついて新しく淹れてもらったお茶を飲むロワに、女神たちがあれこれ話しかけてきた。


「お疲れさまです、ロワくん。……無理しないでくださいね? ちょっとでも負担になったり、嫌だなーとか思ったりしたら、いつでも断っちゃっていいんですからね? 断ったからって私たちがあなたを罰するとか、絶対できませんし」


「あー、いえ、大丈夫です。まぁ、疲れるは疲れますけど、基本魔力が削れるだけで、心身の方の悪影響ってそこまで後引かないですから」


「一応技術部の人らからも、悪影響は検出されてないって言われてるけどさぁ。この部屋に連れ込んで宣誓させたから嘘はついてないと思うけど。それでもやっぱ不安あるんだよね、こういう……なんつの、本来ありえないことをしてのけてしまった子とか、もう超体調悪化フラグっぽくて……」


「はぁ」


「そう! そこ! そこなんですよ! どっからどー考えてもそういうフラグですよねこういうシチュって! 人体実験、精神崩壊、肉体崩壊へなだれ落ちていく展開しか想起させないというか……! 私時々本気で怖くて仕方なくなるんですが! マジでそういう展開だったら、私本気で割腹するしかないんですけど………!」


「いや、うん、まぁ、そこまでしちゃ駄目でしょって本来なら言わなきゃいけないんだけど、気持ちはすごくわかるわ……。ただでさえ推しの破滅フラグとか実生活ぐらぐらになるくらいショックなのに、それに自分が加担してしまったとか、推し活してる身としてはもう、人生終わらせる以外に道ない勢いよね……」


「いや、あの、本当にそういう感じ全然ないんで大丈夫ですよ? ちゃんとネテにも診断してもらって、異常なしって言ってもらったし……」


「ロワくん、気持ちは嬉しいわ。そして正直だいぶほっとしたわ。でもね、いくら大丈夫だって理屈で言ってもらってもね、推し活してる以上不安は消えないの。なにせ気持ち的に自分より優先したい、大切な相手ができたみたいなものだから。少しでもフラグを感知すると『大丈夫!? 大丈夫これって大丈夫!?』とパニくってしまう、そしてとりあえず大丈夫っぽいと思ってほっとしてもフラグの気配を感じただけでまた心に嵐が吹き荒れる、それが儚さを感じさせる推しに沼った者の定め……」


「いや……あの、みなさん、どうかご自分の人生をなにより大事にしてくださいよ……?」


「ロワくん……自ら望んで背負った業は、一生抱えていくしかないんですよ。我らに残るは不退転の覚悟のみ。たとえ行く先が果てのない奈落だったとしても、推しが行くなら落ちていくしかないんです……!」


「いや、本当にご自分の人生大切にしてくださいよ!?」


「まぁねぇ、エベっちゃんの意見はちょっと極端と言えなくもないけど、そういう側面はあるよねぇ、推し活って。天国と地獄行ったり来たりとかよくあるし。公式の一言で祭になったりお通夜になったり……」


「愛してしまった以上平穏無事ではいられないものねぇ。覚悟がなくても、一度踏み出してしまった者にいろんなものがのしかかるのはしごく当然というか。頑張って忘れよう、離れようとした時もあるけど……一度推し活の歓びを知ってしまったら、それのない人生が物足りなくなるのはごく当たり前のことなわけで……」


「あ、あの、みなさん……?」


「心配しないでくださいロワくん。私たち、いつでも破産する覚悟はできてますから!」


「ちょっとーっ!?」


 そんな会話をさんざんした後に、「大丈夫大丈夫」「からかっただけからかっただけ」「あくまで冗談冗談」とは言ってもらったものの、ロワとしては正直、いまひとつその言葉を信じきれなかった。






「……ん……」


 目を開けると、ロワはのろのろと身を起こし、周囲の状況を確認した。


 寝る前と同じ、冒険者ギルドゾシュキーヌレフ総本部の客室の一室。同じ部屋にいくつも並ぶベッドの上で、昨日同様仲間たちが寝こけている。万一の状況を警戒して、簡易寝台を持ち込んで全員同じ部屋に寝起きすること、二日目になる朝、というわけだ。


 カティフという犠牲のおかげで街の状況を(いやさすがにああいう状況はごく一部ではあるのだろうが)否応なく理解することになった自分たちは、ある程度状況が落ち着くまでギルド本部で生活してほしい、というエリュケテウレの要請を受け、この部屋に転がり込んだ。どうやらこの部屋は客室の中でもだいぶ上等な代物であるらしく、寝室はさすがに簡易寝台をいくつも持ち込んだので手狭だが、他に小部屋がいくつもついているので、居心地は悪くない。


 それに会議の方も(英雄たちの助力もあり)ある程度落ち着き、現場に指示を出せるくらいには上層部が機能するようになったので、監視の目はある程度緩まった。強制度の段階も『外出はできるだけ控えてほしい』というぐらい、命令でなく要望程度にまで下がったため、自分たちは比較的自由に出入りできるようになっている。


 さすがにギルド屋舎の外にまで気軽に出入りしたりはしていないが――いや、気軽にはしていないものの、一人すさまじいまでの気合と気迫でもって、ギルド上層部に一日がかりで直談判し、外出許可をもぎ取って、高級娼館へ向かった奴はいるが。そしてそいつはまだ戻ってきてはいないようで、ベッドのひとつは空、シーツの乱れすらない。まぁ娼館一個借り切ってやるとか言ってたから当たり前かな、と肩をすくめ、簡易寝台から降りて、居間として使っている部屋の窓を開けた。


 今日もいい天気だ。萌芽節スリァディグタも半ばを過ぎ、徐々に緑色を濃くしていく木々を渡る風の薫りが心地よい――と庭を眺めていると、そこをのろのろと、やたらめったらしょぼくれた顔で歩いているカティフの姿が目に入った。


「カティ?」


 思わず口から洩れた言葉を、カティフはしっかり聞きつけたらしい。ばっと顔を上げて仰天した顔でこちらを見るや、わたわたと慌てて周囲を見回し、『お前ちょっと黙ってろよ絶対そこ動くなよ!』と口をぱくぱくさせて(本来ならこの距離では意味がわからなかったろうが、同調術を今日も起きた時から発動させているロワにはしっかり感じ取れてしまった)、だっとギルド屋舎に駆けこんでいく。


 なんなんだ、と首を傾げていると、ほどなくしてバァン! と部屋の扉が開き、カティフが部屋の中に駆け込んでくる。そしてまたバァン! と音を立てて扉を閉め、ずかずかとロワの前まで歩み寄り――流れるように土下座した。


「………え? ちょ、カティ? なにやってんの?」


「頼む。黙っててくれ」


「え、黙っててくれって、なにを?」


「何も言わずにうなずいてくれ、頼む。どうか頼む、本気で頼む。男同士、言わなくても通じ合えることってあるだろ。ここはどうかそういう忖度を全力で働かせまくってくれ! お前に男としての情けがあるならっ!」


「いやそのそんなこと突然言われてもさ……」


 と言いかけたところで、ややこしい情報であるせいか、受け取るのに時間のかかった詳しい事情を、発動させ続けている同調術が、ようやくきちんとロワの心魂に教え伝え――思わず「え゛っ」と声を漏らしてしまった。


 漏らしてからカティフの耳が真っ赤であることに気づき、慌てて「ご、ごめん」と詫びるが、カティフの耳の赤さが引く気配はない。正直ロワの方こそ無神経でごめんなさいと土下座しなくてはならない気がしたが、お互い土下座し合っても話がまるで進むまい。


 ここはカティフの気持ちを受け入れて、何もなかったことにして受け流すのが一番だろう、と口を開く――が、ちょうどその機をうかがったように、寝室からぞろぞろと仲間たちが出てきた。


「……そんたくってどんな意味だっけ?」


「相手の意を推し量る、意向をくみ取る、みたいな意味だ……なんなんだ朝から騒がしい……え」


「うっわカティなにロワに土下座してんのっ!? なにやったんだよもー、ロワがそこまで怒るとかよっぽどだぞー!?」


「や、ロワは怒ってねーだろ。聞いた限りじゃカティがいきなり土下座して黙っててくれーとか言い出したみてーだけど」


 ああー、とロワは思わず手で顔を覆う。自分のせいではないが、カティフのせいでもないし、仲間たちだって別に悪くなく、よくある単なる巡り合わせの悪さだとわかってはいるのだが、この状況での遭遇というのは、正直見ているだけでいたたまれない。


 カティフは真っ赤になったまま、土下座の体勢で黙りこくっている。そんなカティフに不信感を掻き立てられたのか、仲間たちは群がってわいのわいのと問いをぶつけた。


「なー、ホントになにしたんだよ? ってか黙っててってなにを? なんかとんでもねーしくじりとかしちゃったわけ?」


「そうなると、さすがにこちらも黙っているわけにはいかなくなるな。まずい事態になったのなら、早めに報告・連絡・相談をするのはパーティを組んでる以上当然の心得だ。お前だってギルドに入る時に習っただろうに」


「血の匂いとかはしねーけど。なんか、どっかで誰か殺したりしたか? まーそんでも別に気になんねーから、なにあったのかだけは言ってくんね? そーでねぇとこっちも腹くくりようがねーしさー。少なくとも俺らは、お前がなにやったとしても一蓮托生なんだから、別に隠す意味ねーだろ?」


「…………………」


 それでも必死に、懸命に、カティフは口を閉じて黙りこくっていたが、やがて我慢しきれなくなったようで、「があああうるせぇぇぇ!!!」と絶叫しつつ立ち上がって喚き出す。


「わ、ちょ、なんだよ、なに怒ってんの?」


「うっせぇうっせぇお前らっ! お前らだっておんなじなんだからなっ、俺と同じ立場なんだからなっ!」


「あー、うん。そーだな。同じ立場なんだから、なにがあったのかは教えといてくれねーか?」


「っ………っ! …………断られたんだよ」


『なにを?』


「………っだからっ! 娼館でっ! 客になろうとしたらっ! 『申し訳ありませんがうちではお断りさせていただきます』ってっ、娼館の持ち主に断られたんだよっ! どこもかしこもっ、行った娼館全部にっ!!!」


「へ………?」


「え、なんでだ? 高級娼館なら一見の客を断ることはよくあるだろうが、カティお前、それならそれで普通の娼館に行くって言ってたよな?」


「当たり前だろうが上から下まで全力でビラコニカ通りの娼館全部回ったわっ!」


 ビラコニカ通りというのは、ゾシュキーヌレフの中でも一番と言われる盛り場だ。ゾシュキーヌレフは大都市なので盛り場の数は多いが、その中でもビラコニカ通りは春を売る店の数と質では随一、らしい。


 カティフはふるふる震えながら、真っ赤な顔で、半ば涙目になって絶叫した。


「それなのにっ! どんだけ金積んでもいいって言ったのにっ! どこの店でもっ……『もしまた邪鬼がこの街を襲ってきたらと思うと、とてもあなたさま方パーティの操を破るわけにはまいりません。女たちも自身の命がかかっていることとあって、怖がり嫌がっています。抜け駆けをしてあなたを店に入れれば、街中から後ろ指をさされ、街を出て行かねばならなくなるでしょう。街を救ってくださった英雄さまにこのようなことを言うのは無礼と存じますが、私どもも命が惜しいのです。申し訳ありませんが、お引き取りを』ってっ、断りやがったんだよぉぉぉっ!!!」


「へっ……あ、あー! そっか! 邪鬼・汪の眷族が、童貞にしか殺せないっていうのはもう広まっちゃってたから!」


「………邪鬼・汪も……邪鬼ウィペギュロクもそういう力を持っているだろう、くらいは当然、誰でも考える、な。そして、ウィペギュロクが殺されたわけではなく、神に隷従させられて、今も生き延びていることが、国府やギルドの上層部から漏れるのは、ほぼ必然だし………」


「その話が街中に広まって、娼館の奴らが俺らに童貞捨てさせないように、って結託したわけか。神々に見張られてるっていっても、もしかしたらの万が一、を考えちまうから。神々にも失敗はあるし、ウィペギュロクだって元は邪神なんだから逃げ出されるかも、って考えるのはまぁ普通だよな。んで、そん時には童貞か処女な上に、相当強ぇ奴らがいないとどうにもなんない、と……。あー、そりゃ無理だなー。娼館の奴ら、なにがどう転んでもぜってー俺らは客にしてくんねーわ。誰だって命惜しいもん」


「十万の大群がこの街に押し寄せるとこ見てる奴はいっぱいいるだろーし、そっから噂すっげー広まっただろーしな。尾ひれはひれとかもう付け加わりまくってるだろーし。俺らだって見た時は本気で腰引けたしなー。それが大げさに伝わりまくってるとなると……無理じゃね、これ?」


「う゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛んっ!!!」


 カティフが野太い声で、雄叫びを上げるように、けれど絶望を突きつけられた者特有の、悲痛と悲嘆のこもりまくった声音で喚き、泣き崩れた。

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