第69話 尋常と異常・2~術師の稽古

「えー!? いいとこだったのにー! タクさんずっりー、自分が不利になったからやめるとかー!」


「うっせぇな、今回の稽古は実力を示すのが目的だからいいんだよ! カティとヒュノが組めば、俺でも斬り伏せるのは難しいし攻撃を防ぎきるのも難儀する、ってことがわかる奴にわかりゃそれでいいんだ! いいからネテとジル、とっとと出てこい!」


「……出てこいもなにも、俺たちに前衛抜きでなにをしろと? 俺たちがどれだけ腕を上げようと、達人級の前衛相手にこの距離でやり合うなんて、自殺行為以外の何物でもないと思うんですが?」


「さすがにそんな無茶は言わねぇよ。お前らの稽古相手は――」


「私が務めさせてもらうよ。それなら文句はないだろう?」


「え……」


「げっ……」


 ネーツェとジルディンが揃って呻くような声を上げる。何の前触れもなくタスレクの隣に転移してきた、今は既にまた中年男性の幻影をかぶせて変装しているシクセジリューアムにこんな宣言をされたのだ、それも無理はないだろう。


「い、いやその、もちろんありがたい話ではあるんですが、術法使い同士が稽古といっても、なにをどうしろと……」


「魔術師が魔術師に稽古をつけるとなれば、もちろん術理界戦に決まっているだろう?」


「じゅっ……い、いや、あのですね? そ、それはもちろん俺にとってはありがたい話ではあるんですが、ジルにとってはあまり意味がないというか、いても役に立たないと申しますか……」


「えー!? なんだよそれ、ネテ俺のこと馬鹿にしてんのー!?」


「馬鹿にするとかそういう問題じゃない。術理界戦というのはな、戦棋みたいなものなんだ。お互いが魔術によって構築した結界を使って押し合いながら、相手の結界の構築論理を読み解いて弱点を突きつつ、相手がこちらの構築論理を読み取るのを防ぐため常に新たな論理を構築していく。そんなものに魔術師以外の術法使いが割って入っても、なんの意味もないだろうが」


「う……そ、それはその、そうかもなって気はするけどさ……」


「そうでもないだろう。彼にも役立たせる方法はあるよ」


「へっ?」


「え、いやあの、ど、どうやってですか?」


「そこは君自身が考えてくれ。ただ、彼はやりようによっては君の勝利の鍵になりうる、ということは告げておくよ。同じパーティの術法使いとうまく協力するのも魔術師の役目だ、彼をどう使うかも含めて君の稽古だと考えてくれ」


「う……は、はい……」


「それでは、二人とも前へ。有意義な稽古になるよう、どちらも精励してくれたまえ」


「び、微力を尽くします……」


「もー、なに言ってんだよネテってば! ここは思いっきり頑張って、一緒にあのおばさんこてんぱんにしてやるとこだろ!」


「無茶言うな状況読め少しは周囲に注意を払え! ほんっとにお前は、術法の才能だけは有り余っているくせに……!」


「え、なに急に褒めてんの? 気持ち悪……」


「褒めてない文脈を読めこちらの表情と雰囲気を理解しろぉ!」


 そんないつも通りのやり取りを終えたのち、ネーツェとジルディン、それとシクセジリューアムは、一丈ほどの間合いを取って向き合った。タスレクがその中間あたりに立って、お互いが態勢を整えたのを確認したのち、軽く「はじめ」と告げてうしろに下がる。


 とたん、ネーツェとシクセジリューアムはぶつぶつと呪文を唱え始めた。お互い最初から、というか少なくともシクセジリューアムの場合は同調術を与えられる前では気づかないぐらいに隠匿されていただけで、普段から周囲にある程度の防護結界は張っていたのだろうが(そしてネテもそれに倣ってか普段から結界を張るようになったようなのだが)、その結界が一気に格段に強化され、複雑に折り重なっていく。


 そして同時に、ジルディンも口早に呪文を唱えた。とたんジルディンの周囲にいくつもの光球が浮かんだ。滅聖術の基本攻撃術式の、四、五段ほど上級の代物だ。そしてそれが尾を引きながら宙を飛び、シクセジリューアムへと叩きつけられる。


 だがその光球は、じゅじゅじゅじゅっ! と耳障りな音を立てて、シクセジリューアムの周囲で掻き消えた。シクセジリューアムが結界の最外層に、術式無効化結界を張っているためだろう。その結界がある限り、外からどれだけ強力な術式を叩きつけても意味がない。


 だがジルディンはそうは思わなかったようで、あからさまにムッとした顔になり、さらに呪文を唱えだした。普段よりだいぶ長々とした呪文を唱え終わるや、ご、ごご、ごごご、という低く鈍い、そして大きな音が周囲に轟くのが聞こえてくる。


 ロワは思わずぎょっとしてシクセジリューアムとタスレクを見やるが、シクセジリューアムはまるで動じた風もなく、タスレクも苦笑しながらもなにも言う様子はない。ただ、どちらも内心では、『なに考えてやがんだこのクソガキ』というような思考が飛び交っているのが同調術で感じ取れてしまった。


 それも当然だろう。なにせジルディンの術式は、一千万都市であるゾシュキーヌレフ全体の空気の流れを変え、このさして広くもない中庭に叩き込むという代物だったのだ。空気の流れは渦を巻き、空を裂き、異音を轟かせながら、竜巻と化して中庭へとなだれ落ちてくる。


 シクセジリューアムは内心舌打ちしながらも、結界を維持しながら術式解除の術式と、空気の流れに逆側の運動を叩きつけて打ち消す術式を竜巻に放ち、一瞬でジルディンの起こした竜巻を消し去った。ネーツェと幾重もの結界で押し合いながらそんな大規模な術式を使えることに、ロワとしては内心感嘆せずにはいられなかったのだが、ジルはさらにムッとした顔になり、即座に新たな呪文を唱えだす。


 それを聞き、というか同調術でなにをしようとしているのかを感じ取り、ロワは思わず仰天した。ジルディンはさらに大規模に空気を集めながら、そこに滅聖術の攻撃術式を重ねがけし、それを転移術によって一部中庭の中に転移させつつ、そのまま移動させた分の空気の流れと同時にこれまた転移術を用いて空間ごと歪め、爆発させようとしているのだ。


 それは確かにすさまじい破壊力にはなるだろうが、そこまでやったら巻き添えがどうなるかとか考えてるのかこいつ、とジルディンを凝視するも、単純にムキになって稽古相手に全力を叩きつけようとしているようにしか見えないその表情に、駄目だこれ、と思わず顔を押さえる。


 シクセジリューアムも当然その辺りは見抜いているようで、ちっと舌打ちしてみせながら呪文を唱え、結界の規模を一気に拡大した。物理的な圧力を持つ結界で押さえつけようとしているのだ、と感じ取り、身構える――も、その瞬間感じ取れたジルディンとネーツェの奥底の思考に、思わずぽかんと口を開けてしまった。


「〝祈星爆〟……!」


「〝八十八番尋路やひろじ百番消失ももしき〟……!」


「〝……界〟」


 じじっ、と熱いもの同士が擦れ合ったような耳障りな音が立った、と思うや、唐突に中庭の中の空気がはじけた。反射的に身体に力を入れる、より早くカティフが飛び出して前に立ち盾を構える。一瞬光の壁が広がったような感覚から、カティフが護盾術を使ってくれたのだと悟ることができた。


「あ、ありがとう……」


「ああ」


 カティフはなんということもなさそうにうなずくが、内心で『お、おぉお、おっでれぇたぁぁ……いっきなり爆発とかすんなよ周りに迷惑だろこれだから術法使いって奴らは! あー本気でおっでれぇたぁぁ……』と呻いていることからして、カティフですらも反応可能なぎりぎりの間合いだったことは疑いようがない。そしてその爆発した空気の圧力は、それなりに鍛えている奴でも容易く吹き飛ばせるくらいの力は持っていることは、カティフが防いでくれてなお身体に叩きつけられる圧力から、否応なしに察せられた。


 実際、土煙が収まった向こうから現れたネーツェとジルディンは見事にひっくり返って倒れており、まともに受け身を取る余裕も爆発に耐えきるだけの耐久力も、二人が有していなかったことを示している。慌てて二人に駆け寄り、操霊術による治療術式で応急手当を始めながらも、視界の端に映っているシクセジリューアムが、二人同様ひっくり返っていることは、これまた否応なく察することができてしまっていた。


 あの人にも応急手当くらいした方がいいのかな、いやでも余計な手出しして後で睨まれるのもな、と逡巡していると、唐突にふわりと空中からルタジュレナの姿がにじむように現れ出て、険しい顔で数語呪文を唱える。とたんネーツェとジルディン、そしてシクセジリューアムは一瞬で復調し、むっくり起き上がって周囲を見回した。


 そして、とたんに、ジルディンが破顔する。


「っしゃあ! あのおばさんに一発喰らわせてやったぜっ、やったなっ、ネテっ!」


「馬鹿お前この状況で真っ先に言うことがそれかそもそも呼び方が不適当すぎるだろう! ……ま、まぁ、曲がりなりにも一応は、ぶっつけ本番でお互いの目算をうまく調和させることができたというのは、僕も嬉しく思わなくもないが……」


「もーこーいう時はやったぜでいーだろやったぜでさー。せっかくうまいことまぐれが連発できてことがうまいこと運んだのにー」


「いやうまいこと運んだわけじゃないからな!? お前のやろうとしてたことは自爆覚悟の特攻でしかないからな!? 普通稽古でやっていいことじゃないからな!?」


「え、でもネテだって協力してくれたじゃん」


「お前がなんの相談もなくとんでもない術式発動させようとするから、こっちもとっさに合わせるしかなかったんだろうが! というかこんな術式稽古じゃなくても街中で使うとか普通にくそ迷惑だからな!?」


「……えーっとさ。なー、ネテ、ジル。俺ら横でずっと見てたけどさー……ぶっちゃけなにが起こったのかわけわかんなかったんだけど、お前ら、結局なにしたんだ?」


「えーっと……」


「……まず、そこの神官見習いくんが、唐突に全力で術式をいくつも組み合わせて、とんでもなく強力な爆発現象を起こそうとしたのよ。ゾシュキーヌレフ全体、どころかそれよりさらに大規模に、ほとんどアーィェネオソク平野全体から空気をこの中庭に集め始めたのが第一段階。それに滅聖術による攻撃術式を重ねがけしたのが第二段階。その上で、その重ねがけした術式による破壊の力を、転移術でこの中庭に転移させるというのが第三段階。さらに加えて、転移術の空間操作術式で、転移させた破壊の力と、空の彼方からこの中庭になだれ込んでくる竜巻と言うのも生易しい大気の流れを、無理やり丸ごと圧縮するのが第四段階。そして空間操作制御に意図的に隙を作り、無理やり圧縮した力が流れ出る出口をこの中庭に作って、とんでもなく強力な爆発力へと変換するのが最終段階、というところね」


 ルタジュレナが心底忌々しげにジルディンを睨みながら説明する。さすが術法の達人と言うべきわかりやすい説明に感心するロワの横で、カティフが少し首を傾げて問うた。


「えぇっと……それって、具体的にはどんくらいの爆発が起きるもんなんすか?」


「単位で言うならざっと二十八万五千力量アリアオン。具体的に言うなら、この一千万都市ゾシュキーヌレフのうち、十分の一が吹き飛ぶレベルね」


『え……ええぇぇ!?』


「あ、そーなんだ。そんくらいの破壊力出せたんだ! やりぃ!」


「やりぃ! じゃねーだろおいっ! おま、お前な、いっくらなんだってこれはいそーですかって流せねぇぞ!? お前だって周りの迷惑とか考える頭くらい持ってんだろ!?」


「と、というかな、そんな破壊力になるなんて僕の方も知らなかったんだが!? 確かに計算して相当な破壊力になるだろうとは思っていたが! そんな大規模破壊行為に僕をつき合わせるとか、普通にまっぴらごめんだぞ!?」


「え、そーなのか? ならなんでジルのこと助けたりしたんだよ。さっきのお前らの会話からして、協力してたんだよな? お前ら」


「ジルのやってることはわかってたし結果として導かれるだいたいの力の量も計算できたから、このくらいなら問題なくシクセジリューアムさんが防いでくれるだろうって思ったんだよ! だから僕としてはシクセジリューアムさんがジルの術式への対処にかかりきりになった隙をついて、術理界線をこちらの有利に進めようとしたわけで……!」


「力の量って……さっきの二十八万五千力量アリアオン、ってやつか? お前の計算はどうだったんだ?」


「僕の計算では、だいたい二十五万力量アリアオン……って、え……? いや、あの、すいません、ルタジュレナさん。ええと、僕の計算では、たとえ二十八万五千アリアオンだろうと、ゾシュキーヌレフの十分の一が吹っ飛ぶというところまでは、いかないと思うんですが……」


「……まぁ、そうね。少しばかり表現を盛ったのは認めるわ」


『……………』


 いくぶん呆れた視線が方々からぶつけられるが、それを気にしていないそぶりで、ルタジュレナはふんと胸を張って言い放つ。


「だけど、問題はそこじゃないでしょう? こんな街中で、なんの制御もしない状態で、広域破壊術式と称していいほどの術式を使おうとしたこと自体が問題だ、と私は言っているのよ。それについて、なにか反論はあるかしら?」


「えー……だって、そこらへんの調整とか、巻き添え防ぐとかはさ、全部おばさんたちがやってくれんじゃないの? だから俺安心して全力で術式使ったのに」


『ぬ、ぐっ………』


「おばさんたち、ムカつくけどすっげー術法使いなんだしさー、俺の使う術式なんて全部楽勝で防げんだろ? なのになんでそんな怒ってんの?」


 心底不思議がってそう訊ねるジルディンに、ルタジュレナも、起き上がってから心底苛立たしげにジルディンを睨みつけているシクセジリューアムも、しばし言葉に詰まる。ジルディンは心底本気でそう言っているので、彼女たちとしても始末に困ってしまうのだろう。


「………確かに防げはするけどね。世の中には万が一、とかもののはずみ、という言葉があるんだ。ただの稽古で、下手をすれば最低でも周囲百ソネータ四方が吹き飛ぶほどの破壊力を有する術式なんて使われれば、こちらとしても驚くし必死にならざるをえない、という理屈は理解できないのかい」


「えー、だって稽古ってそーいうのも含めて、いろんな状況想定してやるから稽古なんじゃねーの? てゆーかこっちはそーいう驚いた隙をついてネテに勝ってもらおうって作戦だったんだから、むしろ驚いてもらわなきゃ困るじゃん。実際、俺らを無理やり抑えつけようとした隙をうまく使って、ネテが結界うまく揺らがせたんだろ? だったらむしろ大成功って褒められるとこじゃねーの、フツー?」


「まるで制御もせず、ほとんど暴走させているのと同様の大規模破壊術式をぶつけておいて、褒められるとでも思っているのかい? はっきり言うが、私が少しでも術式の鎮静化と結界による防護に失敗していれば、この街一帯はまず間違いなく吹き飛んでいたんだよ。そうなれば当然、君も君の仲間も助からない。その状況で私の張った結界を崩壊させようと仕掛けてくることが、どういうことか本当に君はわからないのかい?」


「………つまり、おばさんたちが術式の制御とか失敗するかもしんなかったってこと?」


「ぬぐっ……」


「ぐぬっ……」


「なーんだよ、もう……おばさんたちって意外と大したことないんだなー」


 やれやれと言いたげに頭を掻きながら、呆れたようにというか馬鹿にしたように言うジルディンを、ルタジュレナとシクセジリューアムはぎろり、と殺意のこもった眼差しで睨みやり、数語呪文を唱えた。


「〝五十番日目おとがめ七十八番返礼しっぺい〟」


「〝棘と荊〟」


「あだだだだだだ! いだっ、ひりひりっ、ずきずきっ、足いだ手いだ腕いだだ頭いだだだだ!」


 関節を逆側に捻られたり、頭をみしみし音がするほど痛めつけられたり、神経に強烈な痛みと疼きを走らされたり、というお仕置きの術式を食らってのたうち回るジルディンに、ふんと鼻を鳴らしつつも、気が晴れた様子もなく、シクセジリューアムとルタジュレナは真剣な顔でネーツェへと向き直り、真摯な口調で頼み込む。


「………君もこういう仲間を持って、大変だとは思うが。できる限り制御を頼むよ。申し訳ないが、彼が暴走して惨事を巻き起こした場合、私たちとしては擁護ができないからね」


「というか、むしろ率先して処罰する側に回らざるをえないでしょうね。こうして本人の人となりを知るほど近づいてしまった以上、なぜあらかじめ対策を打っておかなかったのか、という非難の声に晒されるのは必定ですもの。もちろん判例から言っても、まだ致命的な失敗を犯してはいない以上、処罰も拘束監禁もできないとする方針は妥当なものだし、裁判で負けるつもりはないけれど……世間の声はまた別だから」


「どうか、我々に君たちを捕えるような真似をさせないでくれ。私たちも、基本的には君たちをあえて苦しめたいわけではないんだ。むしろ将来的には大陸を背負って立つ存在になりえるかもしれない、と思うぐらいには買っている。だから、どうか頼むよ。人死にだけは出させないでくれ」


「は、はい………」


 英雄たち二人が嫌味でもなんでもなく、真面目に心の底からジルディンが致命的な失敗をしでかすことを心配していることが理解できてしまったのだろう、ネーツェは内心で『やだなぁぁぁ……』と思いながらもうなずいた。不承不承の返事であることははたから見ても明らかだったが、それでもここで『諾』以外の返事を返したら本気でジルディンが拘束監禁されかねない、という危惧の方が断りたい気持ちを上回ったらしい。


 それでとりあえずは納得したのか、シクセジリューアムとルタジュレナは揃ってため息をついてから、まだのたうち回っているジルディンを見下ろしつつ眉を寄せて話し合い始める。


「だけれども、これは少々まいったね……実力のほどをわかりやすく示すつもりが、問題点まで大々的に示してしまうことになるとは」


「問題点がまったくないパーティだとは思わないけれど。意図せず問題点だけを大々的に示してしまうというのは、私たちとしても望むところではないし。なんらかの打開策を示すぐらいはしないとね」


「えっ? それは……」


「すまない、少し待ってくれるかな。これはある程度緊急性の高い案件でね。とりあえず無事にことがすめば、君たちにも改めて説明をさせてもらうから」


「は、はぁ……」


「……となると、その失点を取り返すだけの美点が彼らにあることを示さなくてはならないね。それも、できれば術法使いたちについて、できるだけ平和的な美点を示すのが望ましい。前衛職はそもそも平和的な美点なんてものを示すのが難しいし、術法使いの失点を取り返すのは術法使いである方がより望ましいからね」


「かといって、『手っ取り早く平和的な美点を示す』なんて課題自体が、そもそも相当の難題ではあるしね。破壊力を示すのは問題外だし、術式の制御の見事さを示したとしても一般民衆にはわかりにくいでしょうし。治癒や治療の力を示すといっても、今回の一件での襲撃ではほぼ被害者は皆無だったわけだから、大半の人間には効果的とは言い難いでしょうし」


「ふむ。……となると、ここは彼に役立ってもらうのがいいのではないかな?」


「そうね。彼に頼るしかないわね」


「え……」


 ちらりと視線を向けられて、二人の思考も感じ取って、ロワは思わず小さく声を上げてしまったが、そんな反応になど意に介することなく、二人の達人術法使いはさくさくと話を進めていく。


「基本指針は『同調術』を『伝達術』で伝える、ということでいいかな?」


「それが最善でしょうね。ことに彼が体験してきた奇跡は類のないものだわ。どんな一般民衆にも、その奇跡の一端を垣間見させるという奇跡は、いい意味での衝撃をもって受け止められるはず」


「精神的な打撃については問題はないだろうか?」


「そこは私が手を貸す必要があるでしょうね。私は神祇術についてもそれなりの腕前ではあるつもりよ。どんな人間の心にもわかりやすく、伝わりやすく、かつ精神に打撃を受けることのないよう、〝場〟を整えることはできるはず」


「そこはお願いしよう。残るは、そこで転がっている彼が、正しく伝達術を行使できるか、という点だが……神々からの恩寵の中にも入っていなかったようだしね」


「風操術と伝達術は相性がいいから、そこである程度は補えると思うけれど……」


「確実なものではないか。となれば、そこは私が手助けするしかないね。私の存在を隠匿しながら、術式に破綻がないように整える。まぁ、この手の術式解析・調整術式は、魔術も得意分野のひとつだし、任せてくれてかまわない」


「頼んだわよ。……あと懸念があるとすれば、彼が正しく同調術を行使できるか……それと、与えられた奇跡を正しく想念として形を成すことができるか、だけれど……」


「ふむ、確かにそこは少々おぼつかないものはある、か。となれば……彼ら全員にしっかり協力してもらうしかなさそうだね?」


「そうね」


 そううなずき合ったシクセジリューアムとルタジュレナは、自分たちの方を振り向き、真剣な顔で言ってくる。


「話は聞いていたね? 君たち全員に、少し働いてもらうことになるよ」


「援護はしてあげるから、せいぜい死力を振り絞りなさい。そうでなければ、ことによると、私たちがあなたたちを始末しなければならなくなるのだからね」


『え、ええぇぇ……』


 思わず揃って呻き声を上げる――が、この人たちがこんな顔で言ってきた以上、逆らう選択肢など自分たちは持ち合わせていない。


 というか、それよりなにより、ロワには否応なしに感じ取れてしまっているのだ。二人の発言が、虚言でも誇張でもないことが。自分たちの『平和的な美点』を早急に示すことができなければ、場合によってはこの人たち自身が手を下し、自分たちパーティを始末しなくてはならなくなるかもしれないと、この人たちが真剣に考えているということが。






「……〝我が祈る声よ風に届け、響き渡れ我らの風に、吾と彼を結び繋ぎ、絶えず巡るものの在ることを謳え……〟」


「〝四十五番降臨しんこう七十一番定義せいてい……〟」


「〝蔓〟、〝蔦〟、〝神風清華〟、〝神天奏水〟……」


 シクセジリューアムとルタジュレナが、一瞬で構築し展開する、莫大な魔力を駆使して練り上げる芸術品のごとき術式の中で、か細く頼りない魔力を必死に奮い立たせながら、同調術式を展開する。


 神々が恩寵として降された術法はどれも、呪文がほとんど必要のないほど簡便に使えるのだが、普段よりも高度かつ精密な魔力制御が必要になる場合は、呪文という道具を通して心身を統御する方がやりやすい。そして、その際の呪文は、召霊術として故郷で教わった呪文を使うのが、やはり一番身に馴染む。


 召霊術のひとつと同じような働きをする術式の呪文ならば、なおのことだ。召霊術で術式を展開しながら、その上に恩寵として与えられた術式を展開すると、効果と強度を一気に補強した術式をたやすく使うことが可能になる。


 そうやってロワは、術式――同調術式を発動させ、仲間たち全員と、心を繋ごうと試みた。


『まず、ロワ。君が同調術によって、パーティの仲間たちと心を繋ぐことから始める必要がある』


『その際には、他の面々ともども、神々との邂逅の経験を思い起こすこと。できる限りその時の思い出に浸ること。難しいことではないでしょう? 神々との邂逅ほど得難い経験は、どんな人間にとってもそうそうありえないのだから』


 実際、仲間たちはそれぞれ目を閉じて、女神たちと出会った時のことを思い出しているようだった。カティフは鼻の下の伸び加減からしてかなり精密に思い出しているのだろうことがわかるし、それ以外の面々もさして苦労しているような雰囲気はない。ロワもできる限り頑張ってエベクレナの、神さまらしいというか、最初に出会った時の神としての威厳を供えた姿を思い出そうとする(それ以外の状況を思い出し、仲間たちに伝えてしまうのは、たぶんエベクレナが半狂乱になって嫌がるだろうと思ったので)。


 幸いそれは成功した、というか仲間たちと心魂を同調させようとすると、自然と心が仲間たちの感情に引っ張られるようだった。カティフですらも情欲より敬虔な想いの方を強く抱いている中で、ロワが必死に打ち消そうとしている想いなどは自然と打ち負かされ、五人の心が清らかな情念としてまとまっていく。お互いの女神との邂逅の思い出を、幻像としてあえかに伝えあいながら。


 それを感じ取ったのだろう、ジルディンが軽く深呼吸をしてから呪文を唱える。


「〝祈伝風〟」


 ざぁっ、と強烈な、そして不思議に爽やかな風が中庭に巻き起こる。そして逆巻き、渦を描き、中庭からその外へと唸りを上げて流れ出る。シクセジリューアムとルタジュレナの補助によって成立した、想いと思い出を伝達する風だ。


 それによって、『女神との邂逅の思い出』をゾシュキーヌレフ全体の人々に伝える、というのが、シクセジリューアムとルタジュレナが考え出した『現状』の打開策だった。


『神との邂逅なんて、一般の人間にはまずありえないことだからね。思い出としていくぶん希釈されていようとも、どんな人間にとってもこの上なく得難い、そしてありがたい経験になるはずだ』


『それを行ってみせたのがあなたたち五人であることを示せば、少なくとも世論はあなたたちの擁護に傾くでしょう。私たちの補助があるとはいえ、一千万都市に住む人ことごとくに、想い出を伝えてみせたというだけでも、術法の知識のある者ならば、一筋縄ではいかない相手だとわかるはず』


『それだけのことをしてみせなければ、対等に同じ卓について会話することがそもそもできないんだ。私たちの負担を減らすためにも、できる限りはっきりと実力を示してほしいところだね』


 仲間たちは全員意味がよくわからずに首を傾げていたが、ロワには否応なく感じ取れてしまった。そして、これまでのギルド職員との接触の中で、やはり否応なく理解できてしまっている。


 つまり、ゾシュキーヌレフ上層部は、恐慌状態に陥ったのだ。自分たちパーティが、英雄が囚われてしまった状況で、邪神から邪鬼へと堕したウィペギュロクを倒してみせたことを、神々から直々に伝えられたことで。


 そもそも、ゾシュキーヌレフの上層部――能力的にも性質的にも、他の国ならば木っ端役人呼ばわりされるだろう者たちの集まりでしかない連中は、今回の一件をまともに受け止めることができていなかった。突然の十万もの大群による、ゾシュキーヌレフへの直接襲撃という時点から。


 邪鬼がゾシュキーヌレフに目をつけているかもしれないということも、今回の邪鬼がいきなり十万もの大群を派遣することができるほどの戦力を有していることも(この点については実際には、ウィペギュロクが元邪神だったことを利用した、反則技によるものではあったわけだが)、現実として受け容れられず、右往左往して周章狼狽するばかりだったらしい。


 それはまぁいつものことではあったので、冒険者ギルドの上層部は、彼らをなだめすかして金を出させ、大陸でも有数といえるほどの英雄たちの雇用、という手を打った。それで上層部も、ある程度安心はしたらしい(情報を継続的に受け取り、常に対策を協議するということも含め、危機対処に関しては冒険者ギルドに丸投げしているらしかったが)。


 だが今回、神々から直々に、今回の一件について通達されることとなった。それだけでも木っ端役人たちとしては驚き慌てるしかないのに、討滅目標である邪鬼が元は邪神ウィペギュロクであったこと、神としての力を許されざる形で振るいとてつもない力を得ていたこと、そしてそんな敵を英雄たちが封じられた状況で自分たちパーティが討滅してみせたことなどを知らされ、上層部の人間たちは狂乱のるつぼに叩き込まれたわけだ。


 ――『そんなとんでもない連中を、自分たちは粗略に扱ってしまった』という理由で。


 正直なところを述べれば、いまさらすぎるというか、女神の加護を与えられている者たちがいるのだから、とんでもない経験を乗り越えればとんでもない強者に育つことは自明だったはずなのに、上層部は当初自分たちを十把一絡げの駆け出し冒険者として自分たちを扱った。英雄たちはこの上なく丁重に取り扱ったのに、自分たちは以前から自分たちを担当していた受付嬢に言付けるだけで、上層部の連中は一人たりとも会いにこようとはしなかった。


 自分たちはそれで全然かまわないというか、事実としていまだ駆け出し同然だったのだから、文句を言える筋合いでも言うつもりもまるでなかったというのに、上層部の人々は深刻に、『自分たちの身と地位の危機だ』と震え上がってしまったらしい。いまさらなのを承知でエリュケテウレに命令し、祝勝パレードの開催を提言させるだの、高額報酬で釣って国家に抱え込もうとするだの(これはエリュケテウレ自身が今自分たちに言うのはまずいと判断して、握りつぶしたようだった)、いくつも手を打とうとしたのだが、自分たちにあっさり断られ、さらなる狂乱に陥って、なんとかしろと冒険者ギルドの幹部たちに命令したりしたわけだ。


 そして、ギルド幹部たちはギルド幹部たちで大変だった。ゾシュキーヌレフ国府上層部からの命令のみならず、下――すなわちゾシュキーヌレフの一般市民から、全力で突き上げがきたのだ。


 すなわち、『国を救ってくれた英雄に会わせろ』という要求だ。庶民からの素直かつ一方的な『英雄に会ってみたい』という願いだけでなく、富裕層や豪商からの、『新たな英雄たちと繋がりを持ちたい』『新たな英雄たちをうまく抱き込めばいろんな意味でおいしい』『新たな英雄たちの後援者となれば自分の影響力は大きく上がる』といった、下衆な欲望をあからさまにした要望も少なくなかったらしい。


 基本的には冒険者たちを支援し、理不尽な横暴から保護することを旨とする冒険者ギルドの役割としては、自分たちをそういった一方的な要望から護らなくてはならない。だが、ここゾシュキーヌレフにおいては、冒険者の仕事の大半は一般市民や、商人たちの、生活にまつわる厄介事の下請けだ。つまり、今ああだこうだと言ってきている連中は、全員ギルドにとってはお得意さまなわけで、どうしたって真っ向からきっぱりお断りするのはうまくない。


 そんなこんなで、冒険者ギルドの幹部たちは、強権を発動して自分たちに市民たちの要望に応えさせるか、逆にそういった一方的な要求から護ってやるか、自分たちが帰ってくる前から大激論を繰り広げる羽目になったわけで。そこに国府の上層部からなんとかしろと命令は来るし、自分たちに祝勝パレードのような政治的な催しに参加する意思がまるでないという報告も上がってくるし、でてんやわんやだったのだ。


 そこで、どうにかいい案はないかと相談された英雄たちは、自分たち――邪鬼ウィペギュロクを討滅した者たちの能力を、まずは冒険者ギルドの幹部たち及び、ギルド内に詰めている国府上層部の人間に、開示することにしたらしかった。自分たちパーティは、すでに通常の人の域を脱している、と。もはや自分たち同様に、英雄として扱われるべき能力は持っているのだと。


 ロワも一緒にそういう扱いにされるのは困惑することこの上ないのだが、そういう形で自分たちを護ってくれようとする英雄たちの厚意は素直にありがたかった。こうしてゾシュキーヌレフ全体に神との邂逅の経験を分け与えると同時に、それだけのことが行える能力を有していると知らしめれば、気軽にああだこうだと要求をぶつけてくる人間の出現率も下がるだろうし、少なくとも単純な『英雄に会いたい』という要望をぶつけてくる相手は、それなりに納得させられる。さすが英雄、自分たち自身の経験によるものか、一方的な要求をぶつけてくる見知らぬ人間への対処方法は熟知しているらしい。


 ロワがやっているのは、自分たちパーティの心を同調させて、女神たちとの邂逅の思い出を複層重ねた上で、ジルディンにその同調させた思い出を投げかけているだけで、一千万都市に住まう人間すべてにその思い出を伝達するなんてとんでもない離れ業は(風操術で、伝達術の範囲と規模を拡大する、という手法はそれなりに使われているやり方らしかったが、それでも大したものには違いない)、すべてジルディンとシクセジリューアムとルタジュレナに任せてしまっているわけだが、それでも、自分たちの心身を護るための仕事に少しでも役立つことができているというのは、正直嬉しかった。


 ――そんな呑気な感想を抱いていられるのが、今日までだったと悟るのは、術式をきっちり発動させ終えてから、さして時の過ぎていない頃合いとなる。

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