第64話 少年は祈る
「いや、それはさすがに言いすぎじゃないですか。神々がそれぞれに、できればあの人を助けたい、って思ってらっしゃったからこうもとんとん拍子に話が進んだんでしょう」
ロワのその言葉に、エベクレナは少し困ったような笑顔を浮かべながら、申し訳なさげに目尻を下げた。
「……やっぱり、わかっちゃいました?」
「ええ、そこかしこから伝わってましたよ。まぁもともと神々という方々が、そろって優しい性根を持ってるってことは、だいたいわかってましたけど。エベクレナさまたちの反応だけじゃなく、俺たちの扱い方からも、基本的に命を大事にしようとしてる方々なんだろうな、ってことは伝わってきましたし」
「優しい、というか……。客観的に、シビアな視点で見たんなら、『甘い』とか『現実が見えてない』とか言われそうな性質だっていうのは、わかってるんですけどね」
エベクレナは深々と息をつき、ぽつぽつ、ぽろぽろと言葉をこぼす。
「命を大事にするっていうより、『命を奪う』なんて重い責任を背負いたくない、っていう言い方の方が正確ではあるでしょうし。ただ、まぁ、この大陸の神の眷族の大半が、基本おおむね平和な、命のやり取りなんて考えなくても生きていける世界からやってきた、っていうのは事実です。そういう人たちを選んで、この世界に転生させてるんでしょうね」
「邪神……もう邪鬼になった、ウィペギュロクも、ですか」
「ええ、あの人なんかはまさに典型的って感じです。死ぬの殺すのって話からまるで無縁の世界しか生きてないから、それがどれだけ重大で、とてつもなくて、そして実際にやってみたら馬鹿馬鹿しくなるほどあっさり終えられてしまう代物なのか、まるでわかってない。多分あの人、脳内妄想とか
再度深々と息をつくエベクレナに、ロワはあえて訊ねた。
「だから、深く考えることなく、そして明文化された掟を破るという形でなく、かつ人間たちの世界に取り返しのつかない被害を与えたわけでもない、けれど神々の世界に大きな迷惑をかけた男を、どうにかして助けられないかと思いながら、人間たちの世界に迷惑をかけた以上無罪放免にもできずに、大量の
「そ、れは……。……そう、ですね。たぶんそうです。私も上の人たちの心境、ちゃんとわかってるわけじゃないですけど。身につまされるっていうか……馬鹿かこいつ、他人に迷惑かけてんじゃねーよって心底思うんですけど、三次元の人間関係をうまくこなすことができなくて、二次元に助けてもらってる、煩悶や屈託を二次元にぶつけることで救われてる、みたいな部分は、私にも確かにあるな、って思っちゃうとこなので……」
「そうですか」
「まぁ、その、私もギュマっちゃんとかゾっさんとかアジュさんに声かけてもらうまで、こっちの世界でもボッチでしたし。自分のこと棚に上げてどうこう言える筋合いじゃないよなって思っちゃうっていうか……まぁだからって迷惑かけてる自覚もなく、自分の欲望の身勝手さも認識しないまま、周囲に迷惑かけ倒したあげくに被害者ぶる、なんてところまで落ちたくはないですけど!」
「そうですね。でも、邪鬼ウィペギュロクについては、自身の行いに相応なくらいにはこき使われる顛末に落ち着いたわけですし、いいんじゃないですか。エベクレナさまの口ぶりからすると、相当の数の案件が彼に投げつけられる気がしますし」
できるだけ淡々とした口調で告げると、エベクレナはくすりと、その圧倒的な美貌には似つかわしくないほど可愛らしい笑い声を立てて、ロワにからかうような視線を投げかけながら言う。
「そうですね。ロワくんのためにも、よかったなって思います」
「……やっぱり、エベクレナさまには気付かれますよね」
「えぇ、そりゃもう。
「確かに」
ロワも、そこは素直にうなずく。実際、ロワとしても、ウィペギュロクのそういう見苦しさに関しては、一切弁護をする気になれない。――ただ。
「でも、その……ロワくんは、なんていうか……責める気になれない、みたいに、思ってたんですよね? 私たちと、おんなじような理由で」
「……ええ。神々と同じ理由で、なんていうのは、さすがに畏れ多すぎますけど……少なくとも俺は、ウィペギュロクに対して、『こいつを責められるほど俺は偉いわけじゃない』って、思ったんです」
身につまされる、というのは、ロワの立場からすれば不遜な発言なのだろう。だが、言葉にするとどうしてもそれが一番近くなってしまう。ウィペギュロクを責められるほど、自分は立派な人生を送ってきたわけではない。それが当然の事実として受け容れざるをえないほど、ウィペギュロクの見苦しいとしか言いようのない素振りを見ていると、否応なしに『思い起こされて』しまうのだ。
「俺だって、別にこいつより上等な頭してたわけじゃなかったよな、ってどうしたってわかっちゃうんですよね。周りの人たちに頼りきりで、自分のしたいことしか見えてなくて。いや、自分のしたいことがなにかってことも、わかってなかったですねきっと。その場その場の衝動に流されるだけで、将来の展望みたいなものなんてまるでわからなくて。そのくせ、その場をごまかしたり、怒られるのを先延ばしにするような小賢しい知恵ばかり働いて、それが自分の頭のいい証みたいに勘違いして、自分が周囲にどれだけ迷惑をかけてるかとか、その重みとか、まるでわかってなくて……」
あの頃の夢を見ると、起きたらだいたい便所に駆け込む羽目になる。自分の、吐き気を催すほどの愚かさ、身勝手さに、耐えられずに。
「周りの人の人生を歪み放題に歪めて、最悪の終わりを迎えさせて……そんなことをいやってほどくり返してきた奴が、馬鹿で身勝手で周りの迷惑考えてない奴相手に、偉そうに上から説教はできないよなって、考えちゃうんですよね。本当に、相手のやってることが自分のやってきたことみたいで、めちゃくちゃイライラムカムカするんですけど、だからこそ、昔の自分に対してどう説教するか査定されてるみたいで……あれから自分はそんなに、偉そうな顔ができるほど変わったのかって考えると、そこまで変わってはいないよな、っていうか今でもこういう死ぬほど情けないところとかあるよな、って心が諦めちゃう感じで……」
「……でも、少しは変わったところもある、って思ったから、あの人に言うべきことを言って、その上で『上からの立場で』手助けをしてあげたんでしょう?」
にこっと笑ってみせるエベクレナに(その笑顔もとても可愛らしい)、ロワも小さく苦笑する。
「そうですね。そうなんだと思います。まぁ、それだけの心の余裕が持てたのは、なんだかんだで人的被害がまるで出てなかったから、っていうのも大きいんですけど……」
「それは当たり前ですよ。人的被害が出てたなら、私たちも真面目に覚悟決めなきゃいけないレベルですし」
「ええ。でも、まぁ幸いにもって言っていいんでしょうけど、ゾヌを襲った十万の眷族も、大陸の方々の都市を襲った十四万の眷族も、エベクレナさまたちの加護と、幸運と、あと英雄の方々とその人たちを呼びつけてくれたゾヌの財力のおかげで、一人の死者も出さずにすんだわけですし」
「考えてみたらすっごい幸運ですよね。あの人作戦まるで考えずに、どころか最終チェックもせずに、全部配下の軍師系邪鬼の眷族に丸投げしてたわけでしょ? で、邪鬼の眷族っていうのは魔法で造られたゴーレム的な代物なわけで、その知性は高度なAI的なもので、デジタルに『邪悪』な振る舞いをするよう定められてる代物なわけですから。たまたまロワくんたちに私たちが加護を与えてて、運よくことが進んだからよかったものの、一歩間違えたら普通に一千万都市が壊滅して、大陸中の経済と食料供給に大打撃が与えられてたわけですもんね」
「そうですね。神の配剤があったとしか思えないほどです」
「え……あ、ああ、そうですね。……いや、私たちの崇める神が、そういう天の配剤的なことをしてくださるのかってことは、眷族の私たち自身いまいち自信がないんですけど……」
「え、そうなんですか。てっきり心から敬服してるから崇められてるのかな、って思ったんですけど」
「いやぁ……敬服はしてるんですけど、あんまり信頼はしていないというか。これまでの実績上……『なんでここでこの子が死ななきゃならなかったのぉぉ!!!』とか『なんでこの子がこんな不幸な目に遭わなきゃならないわけぇぇ!!?』って絶叫することがままありましてですね……」
「そ、そうなんですか。それでも神として崇められてるんですね」
「いやぁ、もう本当推しが若くして死んだ時とか憎み恨み呪わずにはいられないんですけど、でもなんだかんだで惚れ込んじゃった以上、最後までついていくしかないというかですね……どれだけ泣いても嘆いても、それでも見つめずにはいられない、それっくらいに尊い世界を創り出してくれてる以上、もう自分の魂が生きていられる限りついていくしかねぇぜとある意味あきらめの入った感情というのが一番近いのかも……」
「そ、そうですか……」
やはり神々の信仰心というのは、人間にはすべてを窺い知ることはなかなかできなさそうだ、と思いつつロワは話を先に進めた。
「でも……一応、俺は俺なりに、八方丸く収まるように努力したつもりではありますけど、ウィペギュロクに、自分のしでかしたことの、重さを思い知らせることはできなかったですからね。俺自身、神々の世界についてちゃんと理解できてるわけじゃないので、当然ですけど。その辺りとか、迷惑をかけた国家に対する賠償とか、俺の力の及ばなかった部分は全部エベクレナさまたちに押しつけてしまう形になってしまって、申し訳ないんですけど……」
「ああ、そこらへんはこっちにまかせてくださいよ! さすがにここまで騒ぎが広がることはそうそうないですけど、
「えっ……そうなんですか!?」
「あっ、でも気にしないでくださいね!? これ真面目に神の眷族としての職責に関わる問題なので。私らがもっとちゃんと動いていれば、人次元に迷惑をかけることもなかったかもしれないのは間違いないわけですし。たぶん始末部の人たちとか、技術部の人たちはそれなりの長期間給与がカットされることになるんじゃないですかねぇ……その辺がしっかりしてくれてれば、今回の一件は間違いなく問題が起こる前に食い止められてたわけですから」
「それは……そうかも、しれないですけど」
「だから、ね? ロワくんは思いっきり胸を張って、
「………え?」
ロワは思わずきょとんとエベクレナを見つめてしまった。意味がよくわからなかったし、どんな場合であれ、自分しか仲間たちを救えないなどという状況は、普通に考えてありえないだろうと思ったのだ。
だがエベクレナはなぜか、その美しく麗しい顔に、生き生きとして朗らかな、元気に満ちた可愛らしい笑みを浮かべて、ロワに心底嬉しげに語りかける。
「ロワくんの使った『小さな奇跡』は、まだ効果切れてないですからね。ロワくん、あの邪神、いやもう邪鬼か、を救うために奇跡の力を貸してほしい、って祈ったでしょ? あの人を救うところまでもっていくためには、人的被害が出てない、っていうのが絶対必要な最低ラインですからね。そして、あの要塞で出てきた敵は、要塞に仕込まれた迎撃装置のようなもの。空間制御能力を奪われたあの人には、そもそも制御することさえできません」
「え……」
「そして、あの人はともかく、あの人の召喚した眷族たちは、普通に考えれば
「え、いやっ……自分たちの力で解決可能、って!? 俺の力なんかじゃどう頑張っても……」
「これまでも何度もロワくんは、人を、街を、国を救ってきたでしょう? あなたの大切な仲間を助けることで。仲間に力を与えることで。それは、ロワくんにしかできないことですよ」
満面の笑顔でエベクレナは、とん、とロワの胸を突いた。
「っ……」
「あなたの仲間を助けてあげてください。あなたならできます。あなたの祈りに応えた奇跡を使って、あなたの願いをかなえてください―――」
世界が吹っ飛ぶ。エベクレナの言葉がみるみるうちに遠くなる。軽く押されただけだというのに、ロワの視界がすさまじい速さで彼方へと、はるか後方へと飛んでいく。雲が途切れ、空が見え、眼下に大陸が、そしてその上空に浮かぶ要塞がちらりと見えて――
カティフは唐突に心魂に走った衝撃に、一瞬固まった。次から次へと、本当に終わりがないのではないかと思うほどの数と勢いで迫りくる邪鬼の眷族の攻撃をさばくのに必死で、気息奄々を絵に描いたようなありさまだった自分が硬直したのを、攻め時と思ったのか、何体ものオーガやトロールが勢いよく攻めかかってくる。
そいつらの首を自分の剣は、一瞬ですべて刺し貫いた。
敵の攻撃をさばき、それで生まれた一瞬の隙に、無駄と消耗の少ない動きで攻撃を叩き込む反撃技。カティフがさっきからずっと続けていることだが、これは、速度と練度が段違いだった。取り囲まれて四方八方から襲いかかられているというのに、そのすべての敵の隙を一瞬で見抜き、敵の動きを誘導し制限し、攻撃をさばく際にも敵の動きを効率よく反撃できる位置と体勢に誘導して、ほとんど流れ作業のような形で反撃していく。その技術とそれを支える身魂の力は達人、超達人と呼んでもまだ足りない。
この技の冴え。力。なにより、腹の底に刻まれた、苛烈なまでの、『年下の仲間の恋路の足を引っ張りたい』という渇望―――
『……あの英霊、か!?』
心の中に湧き出た疑問に答えはなかったが、自分の心魂の上に重なったものの気配が、かすかに震えたような感覚があった。それを是の答えと言いきることはカティフにはできなかったが、それでも心底からの安堵と、あきらめていた生存への希望が心の底から湧き上がり、剣を握る手に込める力が再び戻ってくる。
襲いくる邪鬼の眷族たちの数にも、勢いにも、まるで衰えるところはない。だがそれでも、英霊が操ってくれるカティフの身体を傷つけるまでには至らなかった。刹那の隙をついて発動させた術式により、敵はこれまで以上の勢いでもって襲ってきているというのに、カティフの身体を操る英霊は、そのすべてに的確、かつ強烈な一撃を加えていくのだ。
『……っ、すげぇ……』
思わず心の中でそう呟いてしまう。さっきまで必死になってその真似をしてきたからわかる。やはり本物は、この英霊が駆使する技法は、技の冴えもそれを支える身体能力も、反撃の際に付与される攻撃への強化や防御の際数種の術法によって身体を護る防護膜といった細部に至るまで、徹底的に磨き抜かれ、桁違いなほどに強靭だった。
襲いくる敵すべてを一撃で、いやそれどころか反撃によって数体、数十体をまとめて薙ぎ倒しているというのに、誘導の術式によって敵の勢いは微塵も弱まりはしない。そしてその攻撃を、遠距離から巻き添えを無視して放たれる術式やそれに似た力も含めて、すべて受け流し無力化し、あるいは吸収して、さらなる攻撃の一助とする。
とんでもないどころの騒ぎじゃなくとんでもない、そんな戦いぶりをカティフの身体を駆使して行うこと数十
『………すげぇ………』
思わず呟きを繰り返してしまう。それほどに、そのすさまじさが、文字通り身にしみて理解できたのだ。
そして、その英霊の動きはそれだけでは止まらなかった。剣を掲げ、盾を構えながら、新たな術式を発動する。そのとんでもない魔力量と精緻な魔力操作に驚かされながらも、同時にそれがなぜ必要なのか――この要塞の奥から、それこそ山をも吹き飛ばしてしまうのではないかと思うほど、強力な魔力の爆発が広がろうとしていることも感じ取る。
この英霊はそれをすべて自分の身に招き寄せ、そして防ぎきろうとしているのだ。んな無茶苦茶な、俺の身体なんだぞそれ、という想いも湧いてくるものの、同時にそれほどの戦士としての高みに至った技を、当然のように揮ってくれようとしているこの英霊に感謝の気持ちも湧いてくる。
そうだ、自分は生きて帰らなくてはならない。生きて帰れるのだ。自分に課された以上の仕事を、きっちりこなした上で。金と名誉とあとまぁ仲間と、なにより仲間の恋路の足を引っ張るそのために。
だからカティフは、全身全霊で英霊と同調し、力を込めて剣を振るった。神の奇跡を、仲間と世界を救う力を、我が身に与えてくれるよう願いながら。
倒しても倒しても、次から次へと湧き出てくる邪神の眷族に(といっても実際に倒せたのはほんの数体程度なのだが)、半泣きになりながら立ち向かっていたジルディンに、ふいに、力が宿った。
必死になって慣れない動きをさせていた翼が、隼よりも速く巧みに動いて空を舞う。翼をもつどんな生き物もこうはいくまいと思うほど、複雑かつ効率的な空中機動。そこから生じた風の流れと、飛行の軌跡で描かれた線により、強力な力をもって術式は発動した。
「〝―――………〟!」
声にならない声を、自分の喉が発する。それが無声呪言と呼ばれる、術式をより柔軟に自身の想念に沿わせるための呪文の一形態であるという、聞いたこともない知識がちらりと頭の中をよぎるが早いか、風が怒濤の勢いで、ジルディンの周囲から吹き荒れ始めた。
周囲の何体もの邪神の眷族を、一瞬で防護壁をすり抜けて塵と化しながら、空中要塞を取り巻く高空の風の流れを取り込みながら、浄化の風は要塞内部に吹き荒れ始める。あらゆる結界を無効化し、呪いや毒も空に散らして、要塞すべてを浄化し終える――わずか数
呆然としつつも、つまりこれはロワが自分に英霊を憑けてくれたということなのか、でもどうやって? などと遅まきながら考え始めたジルディンをよそに、ジルディンの心魂の上に縁り重なった英霊は、さらに翼をはためかせていた。
大きく高空を舞い飛び、巨大な魔法陣を風で描いていく。その動きはそれこそ疾風が形になったかのごとくだ。描かれた魔法陣は、高空の吹き荒れる強風を取り込んで、込められた魔力を整えて、莫大な力を掻き出し、要塞どころか、その奥に巣食うものも、生じる呪いや歪みも、すべて丸ごと吹き清めようとする。
その時、ようやくジルディンも気づく。要塞の奥の力の塊が、暴発しようとしていることに。このまま放置すれば、要塞を形作る力は、呪いを大陸中にまき散らしながら、周囲を巻き込んで吹き飛ぶだろう。それを防ぐためにこの英霊は全力を揮って、すべてを吹き飛ばそうとしているのだと。
だから、ジルディンは、英霊の駆使する魔力に、全力で同調しながら力を重ねた。以前やったのと同じ、英霊が残しておいてくれたわずかな余力を使っての、力の増幅だ。前に一度やっていたことだからさして苦労はないし、なによりこのままでは仲間たちが全滅してしまうという状況を前にして、なにもしないでただ待っているだけというのは、ジルディンでさえさすがに据わりが悪い。
英霊は(この英霊が以前自分に憑いた英霊かどうかについては確信が持てなかったのだが)、以前同様、そんなジルディンの魔力制御を、導き、統御し、同調して、より力を増していってくれる。きっと、この英霊にとっても、これから発動させる術式は、確実に成功させられるとは言い難い代物なのだろう。少しでも力を高めなければならない勝負どころなのだ。
頼りになる存在が力を貸してくれていることに安堵しつつも、それでも確実な勝利はおぼつかないという状況に、神経が炙られるような苦痛を覚え――それから、はっとした。そう、そうだ、こういう時のために、きっと神さまは奇跡をくれたのだ!
ゾシュキア神官としての自負はあるものの、これまでそれほど切実な想いで祈りを捧げることのなかったジルディンだが、今この時になって、必死に、懸命に祈った。ゾシュキアに、そして他のあらゆる神々に。やれることをやり尽くした上で、それでも力が足りない状況で、どうか加護を与えてくれますようにと。
この一瞬に奇跡をもたらしてくれるなら、自分のなにを犠牲にしてもかまわないからという、ジルディンらしからぬ想念が織り交ざっていることも、まるで自覚できないほどに。
次々現れる邪神の眷族から、ほとんど身を護ることしかできていなかったネーツェは、はっと顔を上げた。もはや気力も体力も限界寸前だった自分の体に、一気に力と魔力が溢れる。ネーツェの心魂に重なるように、強大無比な活力を有するものが、その魂ごと心身に縁り憑いてくれたのだ。
英霊か、だがロワがいないのになんで、と半ば呆然とするネーツェをよそに、英霊はネーツェの身体をこの上なく的確に動かした。杖で複雑な文字を描きながら、流麗さすら感じる歩法で邪神の眷族から放たれる触手を避けつつ、足跡で簡易的な魔法陣を描く。同時に口からほとんど音を発しないまま呪文を唱え、踊るような身振り手振りでその力を増幅し、高めていく。
瞬時に魔力は臨界に達し、とん、とネーツェの身体が杖で床を打つや、ネーツェの背後の中空から爆発的に光が広がった。その光は邪神の眷族たちの張る魔力防壁をすり抜けて、本体の核を直接焼き払い、瞬時に塵に還す。
ネーツェの心は思わず安堵の息をついたが、英霊の動かす身体の方は動きを止めはしなかった。杖と歩法でさらなる複雑な魔法陣を描きつつ、それに向かい的確に呪文を唱え魔力を走らせることで、即席で強固な魔力回路を構築していく。
え、なにをしようとしているんだ、と数瞬ぽかんとしてから、ようやく気づく。普段のネーツェなら気づきようがなかっただろうが、英霊によって過大なまでの感知・分析能力を得ている今ならばさすがにわかる。
この要塞は、おそらく爆発しようとしているのだ。要塞を動かす基盤となる動力炉を暴走させて。それが意図的か否か、完全に確信を持てるだけの情報は持ちようがなかったが、たぶん意図的なものだろうとネーツェは察する。
なぜならば、動力炉の最奥に、強固な結界が張られていることをネーツェに憑いた英霊の感覚は察していたからだ。推測でしかないが、邪鬼・汪は要塞をまるごと暴発させて、自分たちをまるごと排除することを目論んでいるのだろう。自分の本体はその結界の中に隠して。どれだけ眷族を送り込んでも自分たちを始末することができないので、業を煮やしたのかもしれない。
つまり、この壁の向こうで行われているだろうヒュノとロワは、まだ戦いの決着をつけることができておらず、かつ生き延びていると考えていいわけだ。そしておそらくは、カティフとジルディンも同様に。
そう思考を巡らせるや、ネーツェに憑いた英霊の感覚は、また別の魔力の高まりを感じ取る。これは、おそらくカティフとジルディン。自分同様、英霊を憑けられたのだろう、すさまじいばかりの魔力を適切に制御して、強力な術式を発動させようとしている。
となるとこれはおそらく、ロワが奇跡を用いて英霊を自分たちに憑けたわけか、向こうはそのくらいには危険な状況であるのだろう、と推察しながら、頭の別の部分で、カティフとジルディン(に憑いた英霊)が、発動させようとしている術式について考える。カティフは暴発の力をすべて自分に集中させて、防ぎきろうとしている。ジルディンはその暴発する力をまるごと浄化し、吹き散らそうとしている。二人の役割に見合った、というべきなのだろう、膨大な出力に見合った力業だ。
となると、小器用にあれこれ小技を使うことはできるものの、出力に関しては明らかに他の術法使いより劣る魔術師である自分にできることは。数瞬考えて至った結論に、ネーツェに憑いた英霊もとうにたどり着いているようだった。
あっという間に築き上げた魔力回路を使って、二人の術法が効果的に発揮できるよう力の流れを導く。ジルディンの浄化の力が的確に、効率よく届くように力の流れる筋道を作り、カティフが防御しやすいように幾重にも防護壁を張って、周囲に被害が出ないようカティフに力を集中させつつも、充分受け止めきれる程度に魔力を減衰する。
それだけでは結界に隠された邪鬼・汪の本体には手が届かないが、ネーツェはそちらについてはまるで心配していなかった。壁の向こうの部屋から、その結界まで直通する、力の流れる道を通す。その邪魔になる障害物をできる限り取り払い、相手が思う存分力と技を振るえるよう環境を整える。
それだけやれば充分だ。自分たちの中で随一、というか他をはるかにぶっちぎって最強の仲間。あいつに英霊が憑いたのなら、斬れない敵なんておそらくいない。ロワが奇跡を使ってまで英霊を憑けた以上、向こうも決して楽な戦いではないのだろうが、ロワがそこまでの決意をもって為した行為に、あいつならまず間違いなく応えてくれる。
英霊と同調し、魔力回路を強化して全力で完成度を高めながら、ネーツェはひそかに祈った。自分が失敗を犯さぬよう、仲間たちの力を正しく発揮できる環境を創り上げられるよう、仲間たちを救えるよう。仲間たちが誰一人命を、身魂を、損なうことのないように、不慮の事態から護れるよう。自分がそれを過つことがなければ、ロワが一命を賭して英霊を憑けた仲間たちは、きっとことを為してくれるだろうから。
自分の振るった剣は、自分の思い描いた最高の剣筋を通って、邪神の眷族たちの急所を斬り払った。同時にそれと繋がる核にまで通常在りえざる道を通って剣閃が届き、斬り裂いて、部屋中を満たしかけていた邪神の眷族の群れは、一気に霧散し、無に還る。
残心。そののち、納刀。その一連の動作を終えてから、ヒュノはようやく、自身に英霊が憑いていることに気がついた。
あまりに自分の思い通りの一撃を放つことができたので驚いてはいたが、まさか英霊が憑いていたからだとは。そんなことにも気づかないほど集中していた、といえば聞こえはいいが、他者から力を借りて為せたことを自分の力によるものだと思い込むのはさすがに借りた相手に申し訳ないし、なにより剣筋が濁る。気づかなくてすんません、と心の中でこっそり拝んだが、英霊からの答えはなかった。
というかそんなことはどうでもいいと言いたげに、身魂を張り詰めさせたまま剣の柄に手をかけ構える。ヒュノも一瞬驚いたが、英霊に貸し与えられた感覚で気配を探り、ようやく気づく。この要塞の最奥、閉じられた壁の向こうよりさらに奥底に、とんでもない力が凝っている。今にもはちきれそうなその力は、力の核を囲うとんでもなく強固な壁から力を吸い上げ、どんどんとその力を膨れ上がらせているようだった。このままいけばほどなく破裂して、周囲にとんでもない被害をまき散らすだろう。それを止めるには、囲う壁ごと核を断ち割ればよさそう、なのだが。
ヒュノは思わず眉根を寄せる。英霊が貸し与えてくれている感覚からも、ヒュノ自身の感覚からも、その壁の異常なまでの強固さが見て取れるのだ。正直、今のヒュノでは斬れる気がしない。それこそさっき用いた奇跡に頼った、人の段階を超えた一撃でもなければ。
だが仲間たちはその壁を斬る役目は自分に完全に任せる気らしく、カティフは暴発した力を受け止めるための防ぐ力を高め始め、ジルディンはその力が周囲に被害を出さないよう浄化する態勢を整え、ネーツェはそんな二人の補助に回るのみならず、ヒュノがその壁を斬り捨てるための、力の道筋なんてものすら創ってくれている。こちらが邪鬼・汪と相対する前に負かされかけて、ロワに邪鬼・汪への対処を任せっきりにしているという状況を、把握できてはいないらしい。
ただ、ヒュノの感覚を信じるならば、ロワに命の危険は迫ってはおらず、むしろ差し迫って危険なのは最奥の暴発しかけている力の方なので、対処としては間違ってはいないのだが。ヒュノがもう奇跡の力を使い果たして、英霊の力を借りてさえ暴発する力を斬れる気がしない、という事実を無視するならば。
ヒュノは深々とため息をつき――それから息を吸い込んで、剣を構えた。できる気がしなかろうがなんだろうが、今ここで斬ることができるだけの機会を与えられているのは自分しかいない。ならば、斬る。それのみ。いつもと同じ、単純な理屈だ。
ロワが、どんなつもりで、自分に英霊を憑けたのかは知らないが。少なくとも、ヒュノならばできると思ったか、少なくともできる可能性が上がる、くらいには考えたはず。ならば応えなければ、応えたい、そんな雑多な想念が浮かんでは、消えていく。心身も身魂も心魂も、すべてを次の一撃のために集中させ、練り上げる。すべてを一撃に賭けて、ただ、斬るのみ。
力の増大が臨界寸前にまで高まった。カティフとジルディンの準備も完全なまでに整った。ネーツェの準備もとうに万端。その状態に至る一瞬前に、ヒュノは足を踏み込んだ。
英霊の感覚と技、そして力を借りて、ヒュノのいる場所から最奥の力まで徹る筋道を観る。それを身魂に感得させながら、心魂の力を振り絞り、英霊から受け渡される力もすべて使って、一振りに、一撃に文字通り全力を込める。一閃。一撃。ただ、斬るのみ―――
――その一撃で力を使い果たし死ぬ予定だったヒュノの身体に、唐突に天から光の柱が降りてきた。
* * *
ごぉおおぉどごぉぉん、ぶぉぉおお、ずがどっごどっがどごおぉん。そんな音を遠くに聞きながら、ロワはすとん、と地面に降り立った。
正直なにもかもがいきなりすぎて状況がよくつかめなかったのだが(人間の世界に返ってきて、とりあえずエベクレナが言った通りに仲間たちに遠距離からの英霊召喚術式を発動させるや、要塞がいきなり吹っ飛んで、かつ意味のわからないぐらいに強烈な魔力が暴発し、それなのにこちらに被害は出ないまま、転移したのち地面に降り立った、という展開だったので)、とりあえず周りを見回してみると、仲間たちはそれぞれ傷を負わされてはいるものの、とりあえず元気に立っており、ウィペギュロクに『小さな奇跡』を用いて封じ込められていたらしい英雄たちも、そろって気を失って倒れてはいるものの、呼吸はちゃんとしている。
とりあえず、ことは無事済んだ、ということでいいのだろうか、ときょろきょろ周りをうかがっていると、ふいにカティフにばん、と背中を叩かれた。
「たっ……え、なに?」
「や、なんだ……まーあれだよ、お疲れさん!」
「え、う、うん。お疲れ……?」
それを見て、なぜかにやっと笑ったジルディンが、突撃してきて背中をばしっと叩いてくる。
「ったぁ! なんだよ急に!」
「だからお疲れさんってやつだって! お疲れお疲れ!」
「ばしばし叩くなよ! わかったってば、お疲れさま!」
そんなやり取りを見てふんと鼻を鳴らしたネーツェが、すたすたと近寄ってきてべしっとやはり背中を叩く。
「てっ……ネテまで……」
「僕が仕事終わりの激励しちゃいけないってのか。……お疲れさま」
「……お疲れさま」
そして最後はヒュノだった。にかっと笑いながらすたすたと真正面から歩み寄ってきて、身構えたロワの腕をあっさりすり抜け、ぽん、とごく軽く背中を叩いてくる。
「お疲れ」
「……うん。お疲れ」
なんで自分ばっかり叩いてくるのかわからないままに、とりあえず返事を返してうなずくと、仲間たちは無言のまま、それぞれにやにや笑ったり肩をすくめたり頬を搔いたりといった反応を返したのち、一気に表情を変えてにぎやかに話し出す。
「じゃーまぁとりあえずさ! 邪鬼・汪は倒したってことでいいんだよな!?」
「まぁ……そうなる、かな。そこらへんはちょっと話がややこしいんで、女神さまたちから直接お話があるんじゃないかと思うんだけど……」
「はぁ!? おっおっおまっなに言ってんの!? めめめ女神さまからっ、直接、お話ィ!?」
「いやいやいやどう考えてもないだろうそんな普通いくらなんでも、お前が何度も女神さまと話をしてるという事実も普通に考えてありえんし今も正直完全には信じきれていないんだぞ僕は!」
「だからまぁ、そこらへんは本当にややこしいというか、神々から直接お達しがあるまで俺がどうこう言えないというか……」
「っつかさ、俺らこっからどーやってゾヌに帰るんだ? この人らも連れて帰んなきゃまずいんだよな?」
「まずいというか、さすがに放置しっぱなしは人としてどうかというか……」
「というかこの人たちどこにいたんだ。なんで気を失ってるんだ。そもそもなんでいきなり姿を消したんだ? まぁ邪鬼・汪の罠に引っかかったという見当はつくが」
「っつかさー、だっらしねーよなーこのおばさんたちさぁ! いざって時にあっさり負けて、捕まっちゃうとかさー! 俺らの面倒見てやるとかえらっそーに言っといて、全然見れてねーじゃんな!」
「まぁ、そうだけど……そこらへんは相手が反則技を駆使してきた以上仕方ないというか。本来自分の面倒を自分で見るというのは、冒険者としてというより人として当たり前のことだし……」
「まぁ、ちょっと診た限りでは体に異常があるというわけでもなし、放っておけば目が覚めるだろう。……というかだな、誰も気がついていないようだからやむを得ず言うが。上空の要塞、粉々に崩壊していっているにも関わらず、周りに破片が飛び散っている様子が微塵もないだろう。言っておくが、あれは僕がやったことなんだからな! お前ら、要塞が壊れた後の巻き添えとか全然考えず術式使うし!」
「はぁ!? いやだってそれしょーがなくね!? 切羽詰まって必死って状況で巻き添えがどうとか考える余裕ねーよ! っていうかそれ言うんだったら、あの要塞の中の穢れが周囲に被害出さないように浄化したの俺だし!」
「おいコラ待てお前ら、言っちゃあ悪いがそもそもあの爆発をお前らの誰にも被害出すことなく抑え込んだのは俺だからな! 俺がいなかったら絶対お前ら無事に立ててないから!」
「それを言うんだったら僕だって、要塞が崩壊し始めたあと全員の位置を特定して、安全な地面の上に転移させてるぞ! 僕がいなかったら普通に全員死んでるところだろう!」
「俺もうちゃんと飛翔術のコツつかんだから普通に飛べるしー! ってゆか俺がきっちり全部呪いとか毒とか浄化してなかったら、ぞの巻き添えで普通に全員死んでっから!」
「……ま、そーいうの全部、基本ロワが憑けてくれた英霊がいなくちゃどーにもなんなかっただろうけどな」
「いやそれ言うなよ、せっかく依頼きっちり終えた解放感に任せていい気分になってたのによぉ! これだから素で達人級の天才小僧は!」
「そーだそーだ、普通にあんなくそ強いとか反則すぎんだろ!」
「言っとくがお前も充分以上に天才だからな! あんな意味わからないくらいの精緻な魔力制御しといてお前は本っ当に……!」
依頼を無事終えた解放感と達成感に浸りながら、仲間たちでそれぞれさして意味のない会話を交わす。いつも通りの光景であり、いつもと変わらぬ反応だった。
だから、そんな様子を笑みを浮かべながら見つめてしまっているロワは、自分たちパーティの置かれた状況が、依頼を請ける前とはまるで違ってしまっていることに、現段階ではまるで気づいていなかったのだ。
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