第63話 邪鬼封滅(ある意味)

 ―――そして気がつくと、神の世界にいた。


 光に満たされた世界。見渡す限り続く輝く雲海を足下に、陽の光よりも眩しい黄金色の光がどこからともなく降り注ぎ、空気そのものすら娟麗に煌めかせている。


 なびく瑞雲は一筋はきらきらしい五色、もう一筋は輝かしい空間を典雅に引き締める紫色。その二筋の雲に挟まれた、雲が高台を形作っている場所に、一人の女性が立っている。


 黄金の髪、翠玉の瞳。どれだけの美辞麗句を積み重ねようと表現できないだろう圧倒的な美貌を湛えたその女性は――なんだかすさまじく冷たい目で、自分の隣を睨みつけていた。


「お、美少女! ……ってぇぇえ!? 神じゃん! 女神じゃん! え、なにこれ、ここ神次元しんじげん!? え、なんで、俺神次元しんじげんにちゃんと戻ってこれたわけ!?」


「……まともに戻ってこれるわけないでしょうが。あなた、周囲にどれだけ迷惑かけたかわかってるんですか」


 これまでエベクレナが発したことのないような、冷たく鋭く苛烈な視線と声音。それを向けられて、この神の世界にはあまりに似つかわしくない姿をしているウィペギュロクは、びくっと震えて後ずさる。


「え? え? や、なに怒ってんの? や、だって言ったじゃん、俺別に掟破りしたわけじゃないって! ちゃんと、フツーに、始末部の人らに申告して、転生させてもらったんだって!」


「それは聞きました。聞きたくもなかったですけどね。だけど、意図的だろうとなかろうと、あなたのやったことは、現在進行形で神次元しんじげんを揺るがす大問題になってるのは事実です」


「えっ……や、だって……俺、ホントに、ちゃんと申告して……掟とか全然破ってなくて……」


「『だから』問題になってるんでしょうが。神次元しんじげんの問題予防対策の脆弱性が、きっぱりはっきりくっきりと、明示されちゃったわけですからね」


 一度深々と息をつき、エベクレナはロワの方に向き直る。


「ロワくん。とりあえず、この人がこれまでに言ったことに、嘘はないみたいです。各部署に問い合わせた結果、どこも確認が取れました。逆に言うと、だからこそ大問題になってるわけですけどね」


「はい。そうですよね……」


「まず、始末部についてですけど。彼らがそこの人を邪鬼に転生させたのは、『前例があるから』ってことらしいです。今から七千三百年ほど前に、邪神の一人が邪鬼に転生した記録が残ってるんだそうで。基本始末部とか法務部って人たちは、働き方がお役所的っていうか、前例・判例至上主義的なとこがあるらしくって、前例があったら、それがよっぽどの問題になってない限り、あっさり通しちゃうらしいんですよね。その前例を見つけるまでに、『邪神がこの大陸の邪鬼に転生することは許されるのか』ってえんえん議論して、始末部の人たち全員がうんざりしてたせいもあって、前例があるならそれで、って即許可出しちゃったらしいです。その前例の人ってのが、邪鬼の活動をまともに始める前に、あっさり倒されちゃったから、ろくに問題にならなかっただけだってことを、あんまり認識しないまま」


「………そう、ですか」


「技術部の人たちについても、そこの人が言った通りです。新術法についてのチェックの甘さ、緩さ。技術的に妥当で、倫理的なチェックシートをクリアしたという条件さえあれば、あっさり新術法を認可してしまう。そういう側面があることも、実際にそこの人が提出した新術法を認可してしまったことも、認められました。そんな術法なにに使うか考えなかったのか、とか提案者がフェド大陸に転生する可能性を考えつかなかったのか、って問いに関しては、『それはこちらの仕事じゃない、技術屋がそんなことを考えるとろくなことにならない』って答えが返ってきたそうで」


「はぁ……」


「自分が使うことを見越した邪神の眷族や邪鬼の眷族の生産については……前にも言いましたけど、そこらへんは神の眷族、一人一人のプライベートというか、趣味の領域として扱われてた分野なので。チェックする体制そのものが存在してなくて……そういうことを悪用する神の眷族というのが、そもそもこれまで存在していなかったんです」


「あ、悪用って……俺別に、んなひでぇことしてねぇじゃん! 掟も破ってねぇし、単にルールの穴を突いただけで……それが問題だってんなら、そもそもそれについての対策してねぇ方がおかしくね!?」


「それはそうかもしれませんね。ですが、それとあなたの行為が間違ってるかどうか、というのは別問題です。ルールの穴を突くというのは、ルールに喧嘩を売るってことでしょうが。それぞれの善意に基づいて、緩い締めつけでやってる中で、ルール無用の残虐戦を起こしかねない真似をしでかすってのは、クッソ迷惑以外の何物でもないでしょ。それ、ちゃんと理解してますか、あなた」


「ぐっ……そ、れは、そうかもしんねぇけどさぁ……!」


「ちなみに、今言った情報収集やらそのまとめやら、私が祈りに応えるって形でこうしてこの部屋を使ってあなたたちを呼び出す判断を下すのやらは、全部別時間チャットによる超速会議で行われたことなので、神音かねがクッソかかってます。ガチで来期の予算に影響するくらい。現在もあなたの問題にどう対処するかって、各部署が超速会議で喧々諤々してます。それが神次元しんじげん全体にどんだけ迷惑かってのは、言うまでもないですよね? いくらなんでも」


「う、ぐ、ぐぐぐ……」


「ほんっとに……自分勝手な理由でロワくんたちをさんざん苦しめた時点で充分許されざることだってのに、ロワくんに言いたい放題下衆で下劣な台詞を聞かせまくるとか……! マジ許せません、断じて許しません。断固として徹底抗戦しか選択肢ないですよこれ……! ロワくんのぴゅあっぴゅあな心を土足で踏みつけるような真似するとか、人のやっていい所業じゃないでしょうが……!」


「へ……? え、ごめん、なんて? なに言ったんだかさっぱりわかんねぇんだけど……?」


「聞かなくていいです、わからなくて結構です! 微塵もわかられたくないですから!」


「えぇぇ、じゃあなんでわざわざこっちに聞こえるような声で言うわけ……?」


 敵意のこもった眼差しでウィペギュロクを睨みつけつつまくし立てるエベクレナと、困惑しきった様子のウィペギュロク。そんな二人のやり取りを横目で眺めていたロワは、その時、はっとした。


「すいません、ちょっと待ってくださいエベクレナさま。今、エベクレナさまは、『人間たちに理解されたくない』って思いながら話をしてたんですよね?」


「え? いやえっと、フィルターが発動するのは『重大な私的情報に関わる話』をしてる時なんで、『これは『重大な私的情報に関わる話』だ』とは意識しましたけど……?」


「でも、それで『絶対に『なにを言っているのかよくわからない』としか思えない』っていう状態に陥るのは、『人の世界の存在』だけなんですよね?」


「はぁ……まぁ。フィルターの対象は『人次元にんじげんの存在』なんで、そうなりますね」


「つまり、この人……邪神から邪鬼となったウィペギュロクは、『人の世界の存在』として扱われるわけですよね? それって、つまり……神々が直接的に影響を及ぼせない存在、ってことになるんじゃないですか?」


「あっ……!」


「へっ?」


 エベクレナは愕然とした表情になったが、ウィペギュロクは意味がよくわからなかったようできょとんとしただけだった。ロワはやむなく、ウィペギュロクにも伝わるように、一から順に(エベクレナに確認する形で)説明する。


「ウィペギュロクに影響を及ぼせるのは、俺たち、人間たちの世界の存在だけってことになりますよね」


「そう、なりますね」


「神々が罰を与えたくとも、基本的にはどうにもできない、ということになりますよね」


「そうなりますよね……」


「え、なに、俺許されたの?」


「つまり、神々がその御力を振るえない以上、ウィペギュロクを罰することができるのは、俺たち人の世界の存在だけなわけで。強い力を持つ邪鬼となったウィペギュロクの行動を、人間たちの力で縛ることはできないし、邪鬼を放っておくという選択肢もない以上、俺たちにできることは……その命を奪うことだけ、という結論に、なりますよね?」


「……普通に考えると、それしか結論、ないですよね……」


「………え゛え゛え゛ぇ゛ぇ゛え゛!?」


 ウィペギュロクは絶叫し、表情を重々しいものへと変えた自分たちをばっばっと見比べた。結果その表情に嘘がないことを感じ取ったのだろう、その場に寝転んでぎゃんぎゃんと喚き、泣き叫ぶ。


「やだ――――っ!! なんでぇ!? なんでぇぇ!? なんでそうなるわけぇぇ!? 俺別にんな悪ぃことしてねーじゃん! 掟破ってねーし法も犯してねーし! そんでいきなり死刑とか、ひどすぎじゃね!? 野蛮すぎだろ!? 人権侵害どころの騒ぎじゃねーじゃんっ、残酷すぎるじゃねぇかよぉぉ!!」


「ルールは破っていないにしても、ルールの穴を突いて、ルールに喧嘩を売るようなことはしたわけで……そうなるとルールに守ってもらえなくなるのも、ある意味当然というか……そもそも人次元にんじげんでは人権という概念もあんまり確立されてないですし……そういう世界に転生を願い出た以上、そういう世界のルールというか、弱肉強食的な『負けたら殺される』という一般法則に従うしか方法はないんじゃないかなー、という気が……」


「やだやだやだやだぁぁ!! やだよぉぉ、頼むから殺さないでくれよぉぉ! 助けてくれよぉぉ! 死にたくねぇよぉぉ!! 俺童貞のまま死ぬのとかやだよぉぉぉ!!!」


「ちょっ……あなたねっ」


「そういう感情があるなら、そもそもなんで人間を襲って獣欲を満たそうなんてことを考えたんですか。『人にやられて嫌なことは人にするな』っていう当たり前の心構えくらい、あなたの世界にもあったでしょう」


 泣き叫ぶウィペギュロクになんと言っていいかわからなくはあったものの、またロワの心を穢す云々という話になるのが嬉しくなかったので、とっさに常識的な理屈を持ち出す。と、ウィペギュロクは泣き叫ぶ勢いを衰えさせないままに、喚き声を絞り出した。


「お前らは二次元じゃんっ! 人じゃねーじゃんっ! 俺らは三次元の、ちゃんとした命なんだぞぉぉっ!」


「え?」


「ちょ………!」


「………あっ」


 ウィペギュロクが『しまった』というように、慌てて口を押さえる。だがその反応と、エベクレナの怒りと、恐怖と、申し訳なさに満ち満ちた顔が、ウィペギュロクの言葉の正しさを示していた。


「………二次元、というのは、絵みたいに、平べったい像のことですよね」


「は……い。そう、です、ね………」


「神々からすると、俺たち人の世界の存在は、そういう風に……絵のような、平べったい、薄っぺらな代物に見えていた、ってことでしょうか?」


「! 薄っぺらいとかは全然ないですっ! 二次元の中でいきいきと動いてるロワくんたちは、しょーもない人生送ってる三次元人なんかとは比べ物にならないくらい、魂持って心持って生きてるって実感できまくる存在で……!」


「でも、絵のように見えはするんですよね?」


「そ……れ、は、そう……です、けど。でもっ……」


 今にも泣きそうなエベクレナを前にして、ロワはしばし考える。なるほど、エベクレナたち神々にとっては、自分たち人間は絵のような存在にすぎなかったわけか。絵のような代物、神々からすれば本来は生きた存在だとは思えない相手。そういう視点から見てみると、神々のこれまでの言動にも、納得のいく部分がいくつも出てくる。絵のようにしか見えないのなら、神々が自分たち人間に向ける感情も、愛でるにしろ壊すにしろ、絵に向ける代物のように、心のない静物に対するもののように、一方的で、相手の思考や感情を度外視した形になるのは当然だ。


 ――だから、ロワはにこっと、心からの喜びを表す笑みを、エベクレナに向けることができた。


「へっ……? え……あの……? 推しの笑顔はいつ何時も心の超栄養ですしそれが自分に向けられるとかそれだけでもう数千年は頑張れますが、なんで、この状況で、そんな麗しい笑顔を……?」


「……麗しいかどうかはともかくとして。単純に、嬉しいなって思ったから笑っただけですよ」


「へ……え? すいません、あの、嬉しいというのは、なんで……」


「だって、エベクレナさまから見ると、俺たちは絵のようにしか見えないんですよね? 生きた人間のようには感じられないわけでしょう?」


「! さっきも言いましたがそれは違いますっ! 私たちから見れば、ガチで命懸けて魂懸けて人生にぶち当たってるロワくんたちは、本当に全力で生きてるなって感じられる、これでもかってくらい眩しい存在でして……!」


「だから、ですよ。エベクレナさまのそういう気持ちに、嘘がないから」


「え……」


「俺たちは神々から見れば、絵のようにしか見えないのに。ただの作り物としか感じられないのに。エベクレナさまは、そんな風に、心の底から俺たちを尊んでくれている。俺たちの命を、人生を大切にして、それを損なわせるまいと一生懸命になってくれる。ただの絵のようにしか見えない相手に、そんな相手が生き延びて幸せになるためだけに、一生懸命働いて貯めた神音かねをつぎ込んでくれる」


「っ……」


「エベクレナさまのそういう気持ちが、心の底から真剣な感情だってことは、俺みたいなただの人間にだってわかります。これまでお会いしてきた、何度かの短い時間の間だけでも。そんな気持ちを、自分と同じ存在とはとうてい思えない、どうしたって人だとは扱えないような相手に、全力でつぎ込んでくれた。……それが嬉しいと、心からの感謝を捧げたいと、そういう風に思うのは……俺にとっては、当たり前のことです」


「………っっっ~~~~っ!!! う……うぅう~~~っ!!」


 その天上の美貌をくしゃくしゃっと歪め、両掌で顔を覆い、震えながら、喉の奥から漏れ出してしまうのだろう呻き声を上げるエベクレナ。その泣き声が、決して彼女にとって不快なものから生まれたわけではないことは、嘘のつけないこの部屋の中に、響き渡る声音が教えてくれた。彼女にとってはきっと、自分たち人間に神が向ける想いが、同じ生物に対して向けるものではないという事実は、それなりに心の負担になっていたのだろう。


 だからロワは正直な想いを告げられた。この人に向ける一番大きな感情を、心の底からの感謝を渡すことができた。同じ生物とは思えないのだろう相手に、あれだけ一生懸命になってくれたこの人に、なによりも先に伝えたいと思ったのは、『そこまで想いをかけてくれてありがとう』という、単純な感謝なのだから。


「―――まぁ、それはそれとして、これまでその事実を黙っていたことについては、それなりに言いたいこともありますけどね」


「え゛っ……」


「女神さま相手に不遜だとは思いますが、水臭いという気もしますし、そんなことを気に病むくらいなら最初から言っておけ、とも思いますし。あと、この部屋では嘘がつけないっていうのはなんだったんですか? はったりですか?」


「いや、あの、嘘がつけないのは本当なんですけど、『相手がその秘密について気にしている』みたいな、質問されてるような気配を感じなければ、『わざわざ口にしない』ことはできるので……自分の持ってる秘密を片っ端から口にしなきゃダメ、みたいな縛りがあるとさすがに会話が不自由になっちゃいますし……」


「そういうもろもろの雑感含めて、言いたいことはいろいろありますので、時間がある時にでもゆっくり話を聞いてください。エベクレナさまが嫌じゃなければ、ですけど」


「や、やじゃないですっ、私なんかでよければっ……正直だいぶ怖いですけど……」


 最後の方はおずおずと告げるエベクレナに、ロワは小さく笑ってうなずいた。エベクレナの、『ロワの役に立ちたい、力になりたい』という気持ちに嘘がないのは、こういう時浮かべる必死の形相からも実感できる。


 それからロワは、自分とエベクレナが話をしている間、ずっとその視界に入らないようにしながら息を殺していたウィペギュロクに向き直る。律儀というか気が小さいというか、少なくとも真正面から邪険にされることは勘弁してほしいらしいこの男にも、いろいろ言いたいことはあった――が、それはとりあえず、彼の去就についての話にケリをつけてからだ。今のエベクレナの話を聞いて、ひとつ思いついたことがあったのだ。


「お待たせしました」


「え、あ……話終わった?」


「ええ、あなたのおかげでクッソ迷惑というか、ロワくんがここまで広大無辺の優しさを有したピュアっハートの持ち主でなかったら、真面目に糾弾されて、私の生きる支えが失われてたところですけど。あなたが考えなしに神次元しんじげんの暗黙の了解を破ってそれぞれの次元の違いについてぶちまけるなんて真似をしでかした一件については、ロワくんの清らかな心のおかげで無事落着しました」


「ちょぉぉお……んなこえぇ顔でこっち見んなってぇ……! だって俺ガチで命奪われるとこだったんだぜ!? フツーに秘密がどうとか考えてる余裕ねぇだろぉ!?」


「そうですね、完全に自業自得でね。次元の違う相手だろうと命がある、魂と自我を持ってる相手を思うがままに蹂躙しようとして、反撃されて助けを求めてくるという、情状酌量の余地がまるでない顛末でね」


「うぐっ……そ、そうだけどぉ……そうだけどぉぉ……! だって二次元相手に遠慮とか、したくねぇじゃぁん……! 三次元相手だと毎分毎秒気ぃ使い通しで、相手怒ってんじゃねぇかとか嫌われたんじゃねぇかとかビクビクしまくんなきゃなんなくてさ、ちょっと話するだけで気力体力使い果たすしかねーってのに、二次元相手にしてまでそんな思いしたくねぇよぉ! 二次元相手ぐらい俺の好きなようにやらしてくれよぉ、俺真面目に二次元に救われたいんだよぉ、ガチで!」


「ぐぬっ……そ、そういう言い方をされるとちょっと私的にも共感できなくはないものはありますが……でも真面目に考えても、あなたの自業自得でしょうが! 命と魂持ってる存在が、次元が違うからって理由で好き放題されて、黙って受け容れられるわけないでしょ!? あなただってそんなことされたら嫌でしょうに、人次元にんじげんの女子たちが受け容れられるはずも、素直に従えるはずもないでしょうが!」


「いやだから別に受け容れられたいわけじゃなくて嫌がるところを『ピーッ!』したいだけでさぁ……ほんのささやかな願いじゃねぇかよぉ、男としてのせめてもの慰めくらいくれたってさぁ……」


「……そーいうことを素面で抜かせる恥知らずにこんなことを言っても意味ないとわかってはいますが。あえてはっきり言います。童貞に『ピーッ!』させてくれるような女は、二次元だろうが三次元だろうがいません」


「どっ……なっ……!?」


「というか、『ピーッ!』なんてのは初心者『ピーッ!』が熟練の『ピーッ!』にやってもらうもんでしょうが。責める側に圧倒的な経験があるからこそ、『ピーッ!』が安心して身をゆだねることができるんでしょ。『ピーッ!』のSはサービスのS、自分の好き勝手に相手を扱っていいなんて考える奴は『ピーッ!』的に問題外です。金払って『ピーッ!』で嬢に演技してもらうぐらいが関の山ですね」


「ちょ、な……おっ……おまっ、女がそーいうこと言っていいと思ってんのぉぉ!? おま、なんでえ、『ピーッ!』とかっ、そーいう知識普通に持ってんだよっ!」


「女だって『ピーッ!』がある以上、そういう知識を求めることだって普通にあるに決まってるでしょうが。あなたは女を人間扱いしてないからこれまでの数千年ずっと童貞だったんですよ」


「ちょ、な、ちょ……」


「そしてそういう性根を改めない以上、この先何年経とうとずっと童貞です。捨てたいんだったら『ピーッ!』嬢に金でお願いするしかないですね。暴力で無理やりハーレム作るにしたって、そんな心構えで女子の体を思い通りに動かせるとか、なに夢見てんだとしか」


「ちょ、おまぁっ!」


「女子の『ピーッ!』は男みたいに握って動かしゃいいなんてもんじゃないんです、普通の女子は好きな相手だってそう簡単に『ピ―――ッ!』なれたりしないんですよ。素直に『ピ―――ッ!』って思えるようになるには、お互いの感情の交流と、相手を尊重する心構えの上に成り立つ双方の研鑽と、女の子側の意欲が必要なんです。それもなしにハーレムだなんだってやったって、女子に演技されながら陰でバカにされる未来しか見えないですね」


「ちょっとぉぉぉっ! おま、ちょ、なんでそこまで言うんだよぉぉっ! 俺には女の子に夢見ることさえ許されねぇってのかよぉぉっ!」


「夢を見るのは勝手ですよ。ただ、それが現実に通用するなんて思うところが正気を疑うしかないってだけです。言っときますけど、異性に夢見てる度だったら大半の女子の方が高いですからね、夢に合致しない男とか目に入れるのも嫌とかいう、女の目から見てもどーかなーって子けっこういますから。そーいう子から見たらあなたとか、塵芥以下、生きてるだけで鬱陶しいとか言われまくること確定ですよ」


「うぁぁぁあぁぁんっ!!」


 本気の泣き声を上げて、ウィペギュロクは頭を抱え呻き喚く。その有様は子供のようで、さっきからなにを話しているのかさっぱりわからなかった(エベクレナの言葉はいつものごとく、なにを話しているのかさっぱりわからない上にピーピー音が鳴るし、ウィペギュロクの言葉もそこかしこでピーピー音が鳴るので文意が伝わってこない)ロワからしても、相当の衝撃を与えられたことは確かなように見えた。


 エベクレナが言葉を切ったあと、こっそり嘆息しうつむいている様子からしても、エベクレナ自身ももろともに傷つけるような台詞をずけずけと叩きつけたのだろう。それだけウィペギュロクの存在が、エベクレナの癇に障ったということか。エベクレナからすれば、ウィペギュロクのような邪神は心底軽蔑するしかない対象なのだろうから、当然といえば当然だ。


 だが、ロワからすると、ウィペギュロクは、間違いなく敵ではあるのだけれど、軽蔑できるほど自分からかけ離れた存在ではない。


「すいません、エベクレナさま。ちょっとよろしいでしょうか」


「はっ!? は、はい、なんでしょうか?」


「伺いたいんですけど。この、邪鬼となったウィペギュロクは、エベクレナさまの目から見て、どう映ってます? 俺たち人間のように、絵のように見えるんでしょうか?」


「えっ……」


 問われて目を瞬かせると、エベクレナはウィペギュロクを目を細めて見つめ、詳しく観察し始めた。角度を変えていくつかの方向から見つめたのち、眉根を寄せながら首を傾げる。


「ええと、神次元しんじげんの相手みたいに、リアルな人間として見えるわけじゃないんですけど……人次元にんじげんの相手みたいに、アニメっぽく見える、というわけでもないというか。3Dというか、CGっぽいというか……質感とかいろいろ不自然な感じはあるんですけど、妙にリアルというか、三次元上に像を形成してる……ようには、見えます、かね」


「そうですか。……ウィペギュロク。邪神から邪鬼へと堕したウィペギュロク。聞こえてますか」


「聞こえるかよぉぉ! 俺は今三次元の超絶美少女にめっためたに心ぶった切られて死ぬほど傷ついてんだぞぉぉ!?」


「あなたの命に関わってくることなのでちゃんと聞いて、答えてください。あなたは、俺たち人間の世界で周りを見た時、どういう風に見えました? 自分とは違うように見えましたか?」


「……へっ? そ、そりゃ、そう見えたけど。神次元しんじげんで見た時とおんなじっつーか、二次元上っつーか、アニメの世界の中で俺だけ三次元、みたいに見えたっつーか……」


「……え?」


「そうですか。あともうひとつ。こちらの、女神エベクレナさまを見た時、どう思いましたか? 今はどう思っていますか? 圧倒的な神威に気圧されて、口も利けないくらい重圧を感じたりしていますか?」


「へ? いやんなわけねーじゃん。三次元の超美少女って感じには見えたけど……口も利けねぇってほどじゃ。ちょっと前まではこのくらいの美女美少女とかよく見てたし……」


「そうですか。……これで、とりあえず、ある程度の論拠にはなるんじゃないですか?」


『へっ……?』


「……この、邪神から邪鬼へと堕したウィペギュロクという存在が、神の世界にも、人の世界にも、完全には属していない存在だ、ってことです。もしかすると、俺に似た性質を持っているのかもしれない。もちろん完全にそうだと言いきれるわけじゃないですけど、否定もしきれない程度の証拠はできたのでは?」


『えっ……!?』


「ちょ、ま、ちょっと待ってください! え、いや、確かにそう、かもしれませんけど、いくらなんでもロワくんと一緒というのは……! 私の心のきれいな部分が全力でノゥ! を突きつけてきてるんですが!」


「そ、その言い方ひどくね!? や、まぁ、俺もこいつと似た性質っつわれても、心当たりとか全然ねぇけどさ……っつか、それがなに? 状態的な?」


「俺と似た性質を持っているとなると、これは現在、秘かに神々の世界を揺るがしている事態に、関わりがあるかもしれないという可能性を捨てきれなくなります。つまり、軽々に殺してはならない相手なのでは? という疑問が、生じざるをえなくなると思うんですが、どうでしょう」


「えっ……そ、それ、は……確かに、そうでないとは言いきれなく、はありますが……」


「え、それ、マ……? 俺助かんのぉっ!? 命永らえた!? ガチで!? マジでぇっ!?」


「とりあえず、この意見が神々にとって間違っているかどうかというのを、関係各所に連絡して、議題に挙げていただきたいんですが。今、神々の世界の各部署が、喧々諤々の議論を繰り広げてるんですよね?」


「あ、は、はい……そ、そうですね、とりあえず報告・連絡・相談を……」


 エベクレナが、眼前に現れたいつもの水晶板を、あれこれといじったのち待つことしばし。水晶板を睨みつけていたエベクレナは、半ば困惑し、半ばほっとしたような面持ちの顔を上げて、自分たちに結論を告げてきた。


「……ロワくんの意見が、全面的に受け容れられました。現行の神次元しんじげんのシステム異常に、なんらかの関わりがある可能性を捨てきれない、と。なので、神次元しんじげんとしては、人次元にんじげんの方々には大変申し訳ないけれども、邪鬼ウィペギュロクを討滅することに、待ったをかけざるをえない……という結論が、出たそうです」


「っしゃぁぁぁあっ! 俺助かった! 命助かったぁぁっ! うぁぁぁよかった、よかったよぉぉっ……」


 喜び勇んで歓声を上げ、安堵のあまり泣き濡れるウィペギュロクの横で、ロワは冷静な表情を崩さず、さらにいくつか確認を進める。


「……つまり、ウィペギュロクが、人間の世界の存在とも、神の世界の存在とも、どちらとも現時点でははっきり断定できない存在になったわけですよね」


「そう、ですね……」


「つまり、神々からしても、ウィペギュロクに影響を及ぼすことは可能になるわけですよね? 半ばは神の世界の存在なわけですから」


「あっ! そ、そう、ですね………!」


「へっ……?」


「少なくとも、調査にめどがつくまで、謹慎処分というか、行動を制限……周囲に害を与えられないようにすることは、普通にできていいですよね? 半ば神の世界に在るものなんですから」


「すぐ報連相します!」


 エベクレナは勢い込んで水晶板に向かい、さっきより少し長めの待ち時間が過ぎたのち顔を上げ、輝くような嬉しげな笑顔を見せた。


「あれこれ議論はありましたけど。人次元にんじげんの存在がそれでいい、それを望むっていうことなら、その方向で決着をつけたい、って感じでまとまったみたいです!」


「えー……お、俺の人権は? 行動の自由は……?」


「この状況で行動の自由が完全に保障されるわけないでしょうが。ルールに喧嘩売ったんだからルールに守られなくなるのも当然だって、さっき言ったでしょ。言っときますけど今現在も、各部署のお偉方は別時間チャットで超速会議してるんですからね。そーいう直接的な神音かねの消費だけでも、神次元しんじげん全体に迷惑かけまくってるってこと、いまだにわかってないんですか?」


「だ、だってさぁ……」


「それなんですけど。神々の世界で、人間の世界で自由に動かせる労働力を雇う、というのはどうでしょう」


『……はい?』


「神々が人間の世界に対してできることは、神音かねを動かすことだけだって、以前言ってましたよね。普段の神々の業務からしても、人間の世界での実働戦力があると、便利なこととかあったりしませんか?」


「え、それはまぁ、はい、確かに。ここで神音かねの流れを変えられたら一気に効率がよくなるのにぃ、って歯噛みすること、よくあります」


「そういう時の労働力として、邪鬼ウィペギュロクは使えないでしょうか。肉体の頑健さは邪鬼の名に相応のものはありますし。術法で増幅された転移能力の高さは、今回窺い知ることができましたし。大陸中を飛び回って神々に奉仕する役柄として、必要な能力を備えてはいませんか? 神々からしても、迷惑を思いきりかけられた相手を期間限定でこき使えるわけですから、遠慮なく労働力として動かせると思いますし。そういった労働の報酬によって、今回神々の世界に生じた損害の埋め合わせとするのはどうでしょう?」


「なっ……なるほど……!」


「ちょっ……ま、待ってくれよぉっ! ちょ、おま……そんなんだったら俺ガチで過労死するまで働かされるパターンじゃんっ!」


「邪鬼の身体ですから、過労死はしないでしょう。鍛生術をある程度修めた、ってぐらいの人間でも、数日の徹夜くらいは苦じゃなくなるわけですし」


「ぬぐっ……そ、そーかもしんねぇけどぉ! んな風に、いつ終わるかもわかんねぇ調査を待って、ひたすら働かされるだけとか……辛すぎんだろ! ガチで人権蹂躙じゃんっ! そんな風に働かされるくらいだったら死ぬわ俺っ!」


「……じゃあ、死にます? ここで今すぐ」


 そう言ってじっと鋭い眼差しでウィペギュロクを見つめると、相手は「ぅぐっ……」と唸ってから、また雲の床に寝転んで、ぎゃんぎゃんわんわんと泣き喚き始める。


「やだぁぁ! 死にたくもねーけどひたすら働かされるのもやだぁぁ! しかもそれが無報酬とかぜってぇやだぁぁ! ムチじゃなくてアメくれよぉっ、俺が働いてもいいって思うくらいのアメくれよぉぉ!」


「神々の世界でそういう風に、相応の報酬を受け取って働いていたというのに、あなたは地味だからという理由で人生を放り投げて、新たな人生を、それも相当恵まれた人生への道を指し示られたのにもかかわらず、図に乗って周囲のことを顧みず、人間の世界にも神々の世界にも大迷惑をかけまくったんですよね?」


「うぅぅぅ、そうだけどぉ、そうだけどぉお……! だけど俺はズルでいーから楽して幸せになりたかったんだもん、しょうがねぇじゃんかぁぁ……!」


「それが言い訳として通用すると思ってます? あなた」


「お、ぉ、思ってねぇけどぉぉ……!」


 しまいには泣き喚く気力もなくしたか、丸くなってしくしくとすすり泣き始めるウィペギュロクに向けて肩をすくめてみせてから、ロワはエベクレナに向き直った。


「ただ、報酬があった方が気持ちよく働ける、というのは確かでしょうからね。神々から、なにか報酬を引き出すことはできますか?」


「えっ、は、はい!? ほ、報酬というと、具体的にどういう……?」


「この人の夢をかなえてあげられるもの、とか」


「へ、え、えっ!? ゆ、夢、ですか? この人の? ほ、本気で?」


「もちろん実際にかなえるわけにもいきませんから。夢は夢らしく、夢の中でかなえる、とか……」


「……あっ!」


 ロワの言葉に、エベクレナはぽんと手を打ち、水晶板を忙しなくいじってから、風向きが変わってきたのを悟ってか、そろそろと顔を上げてきたウィペギュロクに突きつけた。ウィペギュロクは目を白黒させながらも水晶板を見つめたのち、ぽかん、と口を開ける。


「え、なに、これ……『ピ――ッ!』専用、VRマシン……?」


「そうっ! マシンにあらかじめ『ピ――――――ッ!』の選択と推奨『ピーッ!』、禁止『ピーッ!』を入力しておくだけで、仮想現実で好みの『ピーッ!』が楽しめるという代物ですよ! 絵柄もリアルそのものからガチ二次元アニメ系まで選択可能、かつ睡眠時にセットしておけば夢の形でリアルな『ピーッ!』が体感できる上、細かい粗を脳が勝手に補完してくれるというおまけつき! さらに『ピーッ!』相手をキャラクターとして登録しておけば、向こうも『ピーッ!』の記憶を持ち越してくれるという代物! どうですか、あなたにとって文字通り夢のハードなのでは!?」


「ちょ、ちょ、ちょぉぉ……え、なにこれ、なにこの超技術! 俺こんなもん見たことねぇんだけどぉ!?」


「ショップのラインナップって、現在神次元しんじげんにいる神の眷族の出身世界によって変わりますからね。定期的なチェックは不可欠ですよ。前世とかと違って分母が小さいし、お店の方が情報を大々的に発信するとかありえないんですから、そこらへん怠ると『こんなん出てたのかぁぁ!』って泣くことになりますからね! それを最近知った人間の実体験から言いますけど!」


「ちょ、ぉ、ちょぉぉ……! いやこれ欲しい、っつか欲しすぎんだけど!? これくれんだったら俺真面目に一生懸命働いちゃうんだけど!?」


「ちょっと待ってください……。……はい、上の人たちの結論、出ましたよ。生じた損害の埋め合わせとして、人次元にんじげんの労働力として扱うという条件を呑むのなら、睡眠時に神託と同様のフォーマット使って、このマシンへの接続を許可するそうです。労働に応じた、相応の使用時間にはなりますけど……だからって文句とか、言えるわけないのはわかってますよね?」


「言わねぇ言わねぇ、マジ言わねぇから、早くそのマシン使わして……! お願い、マジお願い。感覚とかはちゃんとリアルとおんなじ感じなんだよなっ!? 『ピ――ッ!』とか『ピ――ッ!』とか、現実の感触そのものなんだよなっ!? なっ、お願いっ、マジお願いっ。もうこの際VRでいいから、夢でいいからっ、俺とっとと童貞捨ててぇんだよぉ――っ!!」


 土下座して絶叫するウィペギュロクに、眉を寄せて苛立ちと腹立ちを示しながらも、エベクレナは無言でまた水晶板をいじった。またしばしの間を置いたのち、小さく息をついてから、ウィペギュロクに冷たい眼差しと声で告げる。


「報酬の先払い、ということで、一応許可は出ました。ただし、条件として、居場所を含めた個人情報のいくつかが、常に開示されること。邪鬼として眷属たちに与えた加護を解除し、人次元にんじげんの加護を与えられた人間たちになら、いつでも討滅できるような態勢を整えることに協力すること。それに加えて、労働やシステム異常についての調査への協力を、拒んだり逃げ出したりした場合、神次元しんじげんから神託を下し、人間たちにあなたを討滅させるという手段を取りうることを許諾すること。以上を了承するというのであれば――」


「するっ! するからするから、マジするからとっととするから頼むから早くしてくれってばぁぁっ!」


「……それでは契約書の……えっと、この部分? にサインを」


 エベクレナの差し出した水晶板に、備え付けのペンを使って、ウィペギュロクは勇んで名前らしきものを記す。


「はい書いたっ! 書いただろっ! だから早く早く、今すぐすぐさま頼むからぁ……!!」


「……はい、確かに。それじゃどうぞ、ご勝手に」


「ご勝手に? って、え?」


「……ああ、もう神の眷族じゃないから扉からの転移やメッセージの受け取りはできないんですね。技術部の人たちが別室を用意してくれたそうですから、そこでマシンを受け取って、技術部の人たちにデータを取られながら、どうぞお好きに堪能してくださいってことです」


「え、なに、俺『ピ―――ッ!』場面観察されんの? 美女美少女ならバッチコイだけど男に見られてるとかテンションが……」


「この期に及んで、文句つけられる立場だと思ってます?」


 ぎろり、と据わった目つきで睨まれて、ウィペギュロクはあからさまにびくつき、へこへこと頭を下げる。


「お、思ってないです、思ってないです。だからその、できればどうか、早く……」


「……そこの扉をくぐれば、別室ですから。さっさと行ってください」


「は、はいぃっ」


 一目散に扉の向こうへ駆け去るウィペギュロクを見送ってから、エベクレナは、はぁっとため息をついたのち小さく舌打ちする。


「あの人、最後までロワくんにまともに礼も言わなかったですね。命を永らえることができたのは、ほぼロワくんのおかげだっていうのに」

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