第58話 戦士出撃

 すぅぅぅぅ、はぁぁぁぁ――――


 そんなひどく深い深い呼吸のあとに、カティフたちの背後から、暖かい風が吹き出した。ジルディンがこれまでずっと練り続けてきたという魔力による、浄化と探査のための風だ。


 探査の方についてはともかく、浄化の力についてはいつもと変わらず大したもので、風が吹きすぎるや、その途上に立っていた邪鬼の眷属たちは、次々崩れ去り、塵と消えていく。だがさすがに眷属の出現を抑えるほどの力は持たないようで、崩れ去った眷属どもの塵がまだ床につかないうちに、あとからあとから眷属どもの姿が湧いて出てくる。


 この調子で湧いて出てくる敵連中から、邪鬼・汪の居場所を探り当てるまでこの場に留まらざるをえない後衛を護るべく、自分たちは次から次へと、こいつらを斬り捨てていかなくてはならないわけだ。これまでと変わらない作業ではあるが、いい加減疲れてきた頃にまた、このいつまで続くかわからない作業を行わなくてはならないとなると、正直だいぶげんなりする。


 だがまぁしょうがねぇやるしかねぇか、と気合を入れて剣を握り直す――や、後ろから歓声が上がった。


「見つけた!」


「おいっ、もうかよっ!?」


 反射的に喚いてしまったカティフに、ジルディンはむっとした口調で「なんで怒られなきゃなんないわけぇ?」と文句を言う。すぐにネーツェに「いやカティは単に驚いただけだから」となだめられ、カティフ自身も慌てて「そうそう驚いただけだっての! すげぇじゃねぇかジル!」とおだててみせたので、ジルディンはいつも通りにあっさり調子に乗って、「だっろぉ?」とふんぞり返ったが。いや、ジルディンたちに背中を向けているカティフには見えないのだが、その気配ははっきりわかる。


 ……実際、責められるべき要素は微塵もなく、大したもんだと賞賛する以外にない結果ではあったのだが、カティフの中には文句を言いたいような気持もなくはなかったので、それを気づかれないためにも力を込めて褒めてやるしかなかったのだ。さっきまでえんえん術式を発動させようとして果たせなかったロワと比して、一瞬であっさりと目標を達成してしまう天才児ジルディンの姿に、才能ってのは残酷なもんだという、これまでの人生で数えきれないほど抱え込んできた愚痴が、心の中で漏れ出さずにはいられなかったので。


「距離は? 目標は移動してるか?」


「距離は……こっからだいぶ離れてる、直線距離でだいたい三ソネィオってとこ? 途中の道はそんなに曲がりくねったりしてないんで、走って向かったとしても距離はそんなに変わんないはず。目標は全然移動してない、なんかやたらがっしりした扉の向こうの部屋でじっとしてる感じ。この扉って、結界かなんかの名残なんじゃねーかな? 今ならフツーに開けられるし、探査術式なんかも素通りできるけど、まともに働いてればとんでもなくすげー護りの結界だったんじゃね?」


「ふん……そこから動く気配はなし、か。……まぁ直接そこへ行ってみるしかないな。立てるか、ジル」


「はぁ? んな年じゃねーってのってぇぇぇ!?」


 勢いよく立ち上がって、よろよろと倒れかけたところを支えられた気配。「大丈夫か」と囁く声に、カティフは思わず嘆息する。


 まぁ気に病むな、と言う方が無理かもしれないが。あいつ、地の底深くまで、って勢いでへこんでやがる。


「だ、大丈夫……なんだけど、なんか、足に力が……」


「当たり前だ、あれだけ強力な魔力を練り込んだ風を吹かせたんだぞ、どれだけ魔力を消耗したと思ってる。……背負っていくしかないな、ロワ、頼めるか」


「……うん。ジル」


「ちぇっ、はぁーい。わかったよーだ。よ、い、しょ……あ、考えてみりゃ自分で歩かなくていいんだから、俺むしろ運よくね? 楽な道選び取ったってことでむしろ偉くね?」


「調子に乗るな、単に魔力と体力の残量に配慮するっていう当たり前の技術が欠けてるだけだ。……よし、行こう。頼むぞ、カティ」


「へいへい、っと!」


 カティフは前から襲ってきた二体の邪鬼の眷族を斬り捨てるや、返す刀で上から襲ってきた奴をなで斬りにしたのち、仲間たちに向けて叫ぶ。


「よし、こっから先は戦闘用隊列だ! いつも通りヒュノが先頭、俺がしんがり! できる限り援護はするけど、処理しきれなくなった時は遠慮なく自分で術式使え! あと俺が前衛だけじゃ対処しきれないって思った時は即座に術式使ってもらうから、いつでもその準備はしておけよ! 出撃!」


「おっし!」


 ヒュノはそう叫ぶや、大きく剣を薙ぎ払って周囲に集まる敵兵を一刀のもとに斬り捨て、駆け出した。あとからあとから湧いてくる敵を、一瞬のうちに次々斬り捨てて、新たな敵影が現れる前に先へ先へと駆け足で進む。


 なので、こちらも慌てて遅れないよう駆け出さざるをえなかった。ヒュノが本気で走れば追いつける道理はなかっただろうが、そこはヒュノも気を使ったのか、一応こちらが追いつけるぐらいの速度にとどめていてくれている。


 そして、その速さは、敵を斬り倒したあと、新たな眷族が湧きだしてくるまでのわずかな時間の隙間を、うまく利用できるちょうどの速さになっていたらしい。ヒュノが敵を斬り倒してできた空白の空間をそのまま走っていけば、後ろの自分たちには敵の攻撃が当たらないというか、一歩遅れるようになっている。


 確かにこれまで数ユジン、次々湧いて出る敵を斬り倒し続けてきたわけではあるが。そのちょうどの間合いをあっさり見極めて、この機を見計らって活用できるというのは、やはり天賦の才としか言いようがない。どいつもこいつも天才でいやがる、とカティフは拗ねた気持ちの混じった愚痴を、心の中で吐き出した。


 ヒュノが敵を斬り倒すあとをついていくことしばし。カティフは異常を感じて叫んだ。


「おい、先頭、速度落とせ! ロワがまずい!」


「は!? まずいって、どっからも攻撃されてねぇだろ!?」


「違う、体力の方が限界に近づいてんだ! このままの速度で走ってたらこいつ、ぶっ倒れて気ぃ失うぞ!」


「へっ……」


 唖然、呆然、という心情をあからさまにした声音が返ってくる。ヒュノからすれば、別に全力で走っているわけでもない、充分に後ろに配慮した速度だったはずなのに、そこまで体力が削れるという事態など、考えてもいなかったのだろう。


 正直カティフも驚いた。横で走っているネーツェですら別にさして疲れた様子でもないのに、曲がりなりにも前衛職のロワがなんでこうも――


 そこまで考えて、ようやく気づいた。はっとした。当たり前だ。ロワは、女神の加護を受けていない。


 ロワが特別に疲れやすくなったわけではない。自分たちの方が、ネーツェですらもが、体力が劇的に向上したのだ。考えてみれば自分だって、鎧をすべて装着した完全装備でここまでの速さで走れば、それなりの疲労感は覚えていたはず。だが今では疲れていない、というより感覚としては、この程度の運動など自分の体は運動とすらみなしていない。それこそいつまでもどこまでも、以前に歩き続けることができた時間くらいには走り続けられるだろう。


 自分は、いつの間にかそれだけの能力を得てしまっている――その事実に、思わず、愕然とした。


 ロワは大きく息を荒げ、気息奄々を絵に描いたようなありさまで、必死の形相で足を前に進めながら言う。


「だいっ、はぁっ、はっ、じょっ、はっ、はぁっ、ぶ、はぁっ、はぁっ、だからっ……はし、れっ、げっ、はっはっはぁっ、るからっ。早く、先へ……」


「いや走れるってお前、明らかに走れてねぇじゃん」


「じゃっ、はっ、はっ、まっ、はっ、はっ、はぁっ、になるようだっ、はっはっはっはっ、はぁっ、はぁっ、たら……置いて、いっ、げほっげほっげぇっ、ほぉっ、てっ」


「いやんなこと言われてもさ。どーしたもんかな」


 足を止めて襲いくる敵と切り結び始めたヒュノが、いかにも困惑したような呟きを漏らす。短い呪文を幾度も唱えて、周囲の眷属どもを吹き飛ばし寄せつけないようにしているネーツェの表情もご同様だ。ジルディンですらそろそろと激しい息をつくロワの背中から降り、息を整えながらもできるだけロワの方を見ないようにしている。


 そして、カティフは――深い深いため息をついたのち、心底からの怒りを湛えた面持ちで、ぎっとロワの背中を睨んでいた。


「ネテ。でかいの一発かまして時間稼げ」


「! わ、わかった」


「それから俺の背中に乗れ。お前までは支えてやる余裕ねぇからしっかり捕まってろよ」


「え、そ、れはつまり」


「ヒュノ、さっきまでの倍ぐらいの速さならなんとかなる、だから進む道の敵全部薙ぎ払う勢いで突っ込め。ジル、ロワ、暴れんじゃねぇぞ。扱いの注文は受け付けねぇからな!」


「へ……? それ、どーいう」


「おら早くしろっ! 敵は待っちゃくれねぇぞっ!」


「………〝三の王と三の帝、三の女王と三の女帝より彼方を目指し広がれ、掃〟!」


 ネーツェが呪文の最後の一言を叫ぶのと同時に、爆風が広がって自分たちの周囲の敵を薙ぎ払う。やいなや自分の背中に飛びついて、首にかじりついたのを確認してから、カティフは剣を鞘に納め盾を腕で支える形に切り替え、ロワとジルディンを両腕でひょいひょいと身体の左右に抱え込み、叫んだ。


「ヒュノ、行けっ! 敵の掃除は任せたぞっ!」


「おうっ!」


 叫ぶと同時にヒュノは駆け出す。その速さはさっきまでのきっかり倍、当然斬り倒さなくてはならない敵の数も倍に増えるのだが、それが負担になっている様子はまるでない。さっきよりもさらに攻撃の範囲を広げ、横幅を増やさざるをえなかった自分たちにも、間合いをうまく見切って、攻撃が当たらないようになる分だけ、きっちり敵を斬り殺している。


 天才め、と苦い慨嘆を噛み締めながらも、カティフは足早にそのあとを追う。三人分の体重と荷物ぐらいなら、体力的にも筋力的にもさして負担はない。が、さっきまでの倍の移動速度というのは、カティフが三人に被害が出ることのないように動けると確信できる、けっこうぎりぎりの速さなのだ。


 曲がりなりにも専業戦士として、この程度の重石と荷物の取り扱いができない、なぞと泣き言を言う気はないが、足の運びひとつにも気を使わなくてはならないので、精神的にはけっこうしんどい。カティフにはそこらへんを一瞬で感得できるような、才知の持ち合わせなぞないのだ、その分はせいぜい目と耳と頭を働かせて、周囲の気配と敵の動き、それに対応する自分の動きを、頭の中で描きながら、そこからずれないように走るしかない。


 だが、そのおかげというかなんというか、移動速度はこれまでの倍以上に上がった。走る速度はきっかり二倍なのだが、走る軌道がこれまでよりさらに効率がよくなったのだ。


 それは処理が難しい敵がうじゃうじゃいる場所であろうとも、ヒュノが容赦なく最短距離を突っ込んでいくためで、その分後ろを走るカティフはさらに必死に頭を振り絞って身体の動かし方を考えなくてはならなかったのだが、必死になればなんとかできる、という範囲に難しさが収まっているので、参ったことに問題はない。そのカティフ本人すらも把握していないぎりぎりの間合いを、ヒュノは見切っているわけだ。天才め、といういつもながらの恨み節が、幾度も脳裏にひらめいた。


 走って、走って、全力で走って。ときおりジルディンがカティの左腕に抱え込まれながら道順を指示して、さらに走って。体感的に、もう三ソネィオの距離も終わりが近づいてきた頃、ジルディンの示す道の先に、とんでもない代物がいるのを感知した。


「……で、その角を曲がった先に、やたらでかい広間があって……」


「速度落とすぞ」


 ヒュノが突然そう告げるや、動く速さが一気に三分の一以下に下がる。それでもヒュノが邪鬼の眷属どもの群れに空けた穴を通り抜けるぐらいの余裕はあったが、なんで突然、といぶかしむ――や否や、カティもヒュノが感知したであろう気配を悟り、思わず絶句する。


「……っおい、ジル! お前これ、道探った時に見つけなかったのかよっ!」


 走りながら叫んだ言葉に、ジルディンは意味がわからない、と言いたげなぽかんとした声で答えた。


「へ? え、なに、なんの話?」


「この道の先に広間があるっつったよな? たぶんそこに、立錐の余地もねぇってぐらいに詰まってんだよ、敵が! 床を走る邪鬼の眷族だけじゃなく、宙を飛ぶ眷族まで込みでな!」


「え、だって、そんなんさっきまでと一緒じゃん。フツーにヒュノが斬り倒してきゃすむ話じゃねーの?」


「アホ! クッソ違ぇわ! いいか、ヒュノは空は飛べねぇんだぞ!? 上空の制圧はどうしたっておろそかになっちまう! だってのに上や周りから仲間への被弾覚悟で攻撃仕掛けられてきたら、処理しきれなくなるんだよ!」


「え、え? な、なんで仲間も巻き添えにして攻撃してくるってわかんの?」


「立錐の余地もねぇくらいに敵が詰まってんだぞ、それ以外ねぇだろ! こんな少人数相手にした接近戦で密集陣形取るってことは、前衛が足止めして数で押し潰しつつ後衛が巻き添え覚悟の遠距離攻撃するぐらいしかねぇんだ! 隊列組んで長物で~、みたいな他の選択肢は少人数との機動戦じゃ意味がねぇだろうが!」


「え、いやその、えっと、意味があるのかどうかって聞かれても、俺にはよくわかんないけど……」


「カティ。立錐の余地もないというなら、それこそ広範囲攻撃のいい的になるということじゃないのか? ジルの浄化の風も含めて遠距離から範囲攻撃術式を飛ばしていけば、楽に倒せるということでは?」


「敵が次々湧き出してくるっつーこの状況じゃなければな! はっきり言うが、お前らの攻撃術式が敵を倒す早さよりも、新しい敵が湧きだしてくる早さの方が上なんだよ! 俺らが今敵を倒しながら移動することができてるのは、ヒュノが移動に邪魔な敵、遠距離からこっちを攻撃してくる敵をきっちり見切って的確に殺しつつ、相手が反応するより早く動いてくれてるおかげなんだ! 大広間にみっしり詰まった敵にいっせいに動かれて物量で攻めてこられたら、いっくらヒュノだって……ヒュノ一人ならともかく、俺たちの動きもかばわなきゃならねぇ状況じゃ、どうしたって勝ち目ねぇんだよ!」


「えっ、そ、それじゃ……」


「……解決策は、ないのか? カティ、お前は、もしかしてもう解決策を思いついてるんじゃないか」


「そっ、れは……」


 問われて、カティフは思わず口ごもる。解決策。そう素直に言ってしまうのは抵抗があったが、とりあえず今の自分たちが打てる手で、成功すれば一定の効果が見込める、という策は一応、あった。


 正直、自信はない。任せろなんてとても言えない。誰かの助力のない、自分自身の実力なんてものが、誇れる代物だなんて幻想は、とうの昔に捨てている。


 だが、それでも。自分は女神の加護を与えられている身だ。当たり前の人生を送る人間からは、理不尽な反則とだって思えてしまうような厚遇を与えられている身なのだ。自分がそんなものを与えられている理由なんてまるでわからないし、いつの日かそれが唐突に奪い去られたとしても、安堵すら覚えてしまう自分をカティフは容易に想像できる、けれども。


 理不尽な厚遇を与えられていない者が妬み嫉みを向けてきた時に、与えられている者に許されているのは、いいだろうと自慢げに高笑いしながら、与えられた厚遇に値するだけの働きをしてみせるぐらいしかないと、ずっと妬み嫉む側だった自分は知っているから。与えられなかった存在が、当たり前に自分の隣にいるとわかっているから。どれだけ内心で嫉妬を覚えていようとも、それを表に出さず、懸命に自分の仕事を果たそうとする人間も、自分のそばにいることを理解しているから。


 自分が妬まれる側に立つなんてこれまでの人生で想像したこともなかった、情けない奴だけれども。妬まれ憎まれる相手としてはあまりに頼りない自分だけれども。そこに立ってしまった以上、怖気づくわけにはいかない。自分がこれまでの人生で抱いてきた、山のような嫉妬と憎悪が、そんなこと絶対に許さない。


 だから、カティフは、幾度も唾を呑み込み手に汗を握りながらも、必死に自分を叱咤しつつ、はっきりきっぱりと宣言した。


「……俺がやる。俺がその大広間にいる敵すべてを、しっかり惹きつける囮になってやる」




   *   *   *




 ヒュノが縦横無尽に自分たちの周囲を走り回りながら、次から次へと邪鬼の眷族を斬り倒して、自分たちの余裕を確保してくれている中、ネーツェとジルディンが術式を発動させる。


「――〝天則によりて広がれ、爆〟!」


「〝祈浄風〟………!」


 曲がり角の向こうへと一歩を踏み出して視界を確保しつつ、効果範囲をできる限り拡大した術式を放ち、見事大広間にみっしり詰まっていた敵を、たった二発で爆散させた術法使いの二人に、才能のある術法使いってのは本気でとんでもねぇな、と苦笑しつつ、カティフは駆け出した。自分の後ろには、ヒュノを先頭にした仲間たちが、ほとんど団子状になって続いている。


 大広間に詰まった敵すべてが塵と化しても、予想通り眷族が新たに現れる早さにはまるで影響しなかった。まだ自分たちが大広間の中央にもたどり着いていない頃に、すでに大広間中に敵の気配がにじみ出し、邪鬼の眷族の恐ろしげな牙や剛腕、弓矢に剣がじわりと形を取り始めている。


 これがすべてまともに動き始めてしまったら、ヒュノがどれだけ的確に動こうと、ネーツェやジルディンが術式の冴えを見せようと、勝ち目はない。どうしたって敵を殺しきる前に、飽和した遠距離攻撃を叩き込まれてしまう。


 だから、この中で唯一、『耐えられる可能性』のある自分が動く。


「――頑張れよ」


 そう小さく呟いて、自分の隣を通り過ぎる仲間たちの背中を叩いて叱咤しつつ、集中する。たぶん誰にも聞こえなかっただろうが、かまわない。ただの仲間相手なんぞに、いい年をした男がこうも感傷的になっているところなんぞ、気づかれて嬉しいわけがない。


 たぶん、自分は生きて帰ることはできない――だが、それでいい。腹は決まった。これまでの人生、ずっと誰かを見上げ続けて、恨み、妬み、憎み、嫉み、羨ましさと情けなさで胃の腑が千切れそうになる、そんな経験ばかりをしてきた自分が、なんの因果か見上げられる立場になってしまったのだ。そのくらいの覚悟が決められなくては、自分のこれまでの人生に申し訳が立たない。


 たとえ筋違いの嫉妬であろうとも、自分にとってはあの鬱屈は、どうしようもなく真実だった。ただの正当化にすぎなかろうとも、自分のこれまでの人生を支配してきたあの想いを、嘘やおためごかしにはしたくない。


 仲間が生き延びられるように、依頼が達成できるように、人が死ななくてすむように、なんてのは言っちゃ悪いがただのついでだ。自分の相も変らぬ俗悪っぷりに思わず苦笑が漏れるが、気にしないことにして剣を構える。どうせ自分の仲間どもは、自分がいなくてもなんとでもことを進められるのは疑いようがないし、ただ一人正直心配な仲間も、いざという時のクソ度胸はあるのだからたぶんなんとかするだろう。と思いたい。


 ただの自分のわがままで、単なる自己の正当化で、どうしようもなく見苦しい感情の発露でしかないことを、自分はこれからしてのけるわけだが。それが仲間たちを助けられる英雄的行動になるのだと思えば、一応それなりに格好はつくだろう。万一なにもかもがうまくいって、全員が生きて帰れたとしても、英雄さまたちに殺されることはなくてすむはずだ。……それに、一応、仲間たちへの助けの手になったという自己満足は、死後の自分の未練を断ち切るよすがくらいにはなるだろう、し。


 そう自分に言い訳しつつ苦笑しつつ、構えた剣を掲げて術式の発動を試みる、ぶっちゃけた話、習ったわけでもないこの術式を、自分の独力で発動させること自体、自信がないことはなはだしいのだが。それでもせいぜいやってみるしかない。過去の自分と、自身の我欲と、あとまぁついでに、いまだ大広間を抜け出ることができていない仲間たちのために――掲げた剣に向けて、できるだけ高らかに宣言した。


「〝来やがれクソども、寄ってこいクソクズ、クソにたかりやがれゴミクズどもが! てめぇらのクソ汚ぇ腐れ×××、まとめて斬り落としてやるからそう思え〟!」


 体に沁みついた反射行動だけで、無理やり構築して魔力を回した術式。その呪文を叫んだとたん、ちょうど大広間中に滲み出終えた邪鬼の眷族たちが、そろっていっせいに、カティフの方を向いて、笑い――怒濤の勢いで、カティフ一人に向けて突撃してきた。

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