第51話 剣士黙考

「―――――」


 ヒュノは無言で、カティフの前でひたすらに、ぶつぶつ言いながら妙な踊りをくり返しているロワを見ていた。ロワが舞い始めてから半ユジンほどの時間はかかったろうが、ぶつぶつ言っているロワ以外、誰も口を開かなくなったので、これは精神を集中させとけってことか、とヒュノなりに空気を読んだのだ。


 特になにか理由があってロワを見つめているわけではない。なにかひとつのものをじっと見つめている方が、精神集中の役には立つからだ。目を閉じるというのも手ではあるのだが、気配を感じ取ることに神経が散ってしまうので、状況に即応する必要がある時は、ヒュノはなにかを、あるいは誰かを、じっと見つめることを好んだ。見つめる対象にとっても自分にとっても、それが不快でない相手ならば、だが。


 その点、今のロワなら問題ない。必死になって神楽を舞っている時に他人の視線なんか気にしている余裕はないだろうし、それに神経と精神を集中させて、一心になにかをしようとしている人間というのは、見ていてこころよい。


 そうやって、カティフの前で懸命に舞うロワを見つめること半長刻クヤン弱。さすがに集中が続かなくなり、いったん息をついて体をほぐす。なんとなく視線をロワに固定したままで、念入りに柔軟体操をしていると、ふいにぽっ、と脳裏に映像が浮かんできた。


『……食べていいよ。少なくとも、ここから全員が生きて戻るためには、俺の体力より、お前の体力の方が重要だと思うから』


「…………」


 昔、といっても一転刻ビジンよりもまだ短い程度の過去の話でしかないのだが、とにかく普段は思い出しもしない程度には昔のことを唐突に思い出し、ヒュノは思わず目を瞬かせた。なんでいきなりそんなことを思い出したのか、自分でもまるでわからない――だが、『あれは確かにロワだった』と明確に想起されたことを皮切りに、当時の自分の心境やらなにやらまで、ずるずると芋づる式に思い出されてきてしまう。


 そう、あれは――自分が人生で初めて手に入れた『仲間』という存在を、どうすれば『仲間』と想えるのか、その方法もまるでわかっていない頃のことだった。




   *   *   *




 ヒュノが仲間たち――当初は、他に組んでくれる人間がいないので、しかたなくお試しで組むことにしてみた連中と、最初に請けた依頼は、運送業だった。街の薬屋が定期的に、契約を結んでいるゾシュキーヌレフ近辺の村に送っている、薬の類を運ぶ仕事。


 仲間たちは全員、それぞれの理由でパーティを組むことができなかった、あるいはパーティに入れてもらえなかった人間だが、ヒュノもその例に漏れない。ヒュノの場合は、自分よりも弱い人間を先輩扱いすることに、どうにも馴染めなかったのだ。


 あとからパーティに入った以上、パーティ内の他の人間は全員先輩になる。だがヒュノとしては、そういう当たり前の慣例が、どうにも肌に合わなかった。ほとんど物心ついた頃から剣の修行に明け暮れ、『弱い者は戦いの場に立てば殺されて当然』という殺伐とした価値観が当たり前になっていたので、冒険者としての価値は戦闘能力の高低のみでははかれないことを、(冒険者ギルドの講習を受けたので)頭では理解してはいたものの、心の底から感得する、というところまでは至れていなかったのだ。


 結果、パーティの『先輩』たちとどうにもしっくりいかず、一回冒険してみただけで、あるいはパーティに入る時の面接だけで、お断りされる結果に終わってしまっていたわけで。


 なので、自分の能力が冒険者としては至らないところだらけなのを(ギルドの講習で)自覚させられていたヒュノとしては、あまり気の進まない選択ではあったものの、『全員初心者でパーティを組む』というやり方を試みてみることにしたわけだ。


 運び屋としての仕事というのは、冒険者に依頼される中では、もっとも代表的なもののひとつだという。行商人のように隊商を連ね、大量の物資を運んでもらうやり方では割に合わない、労力相応の報酬が払えない村落などに、薬のような、あまり大量には必要ないけれど、常に補充が必要な生活必需品などを運ぶ。


 駆け出しや、冒険者の中でも下っ端扱いをされる連中ぐらいしか請けない、普通はその程度の連中ぐらいにしか見合う報酬が出ない、拘束時間が長いわりに得るものは少ない仕事だが、どんな時期でも定期的に需要のある、かつ普通は難易度の低い仕事なので、駆け出しが請けるのにはちょうどいいとされている。


 そんなありきたりな仕事を、お試しで組んでみた連中とこなすというので、ヒュノとしては、仕事から得るものがあるとはまるで期待していなかったのだが――


「………なんでこんな仕事で、こんなに苦労しなきゃなんねーんだよ!」


「知るか!」


 そんなやり取りを数えきれないほどくり返す羽目になるとも、まるで予想していなかった。


 最初の障害は、雨だった。地面がぬかるみ視界が狭まり、自分たちの進行速度はがくんと削られた。


 そしてそのせいで地盤が緩み、崖崩れが起きて、その村へ向かう最短距離の途上にあった橋が落ちた。あらかじめ村近辺の地理を調べていたネーツェが迂回路を見出せたものの、やはり村へたどり着くまでの時間は大きく増える。


 さらに、村にたどり着いた自分たちは、村人たちに殺気立った顔で怒られ、なじられた。その村では、流行り病とまではいかないものの、人から人へ感染する熱病が蔓延しており、薬はとうに切れ、じきに送られてくるはずの薬の定期便の到着を熱望していたのだという。それなのに普段よりはるかに定期便の到着までに時間がかかれば、そりゃあ殺気立ちもするだろう、と今振り返ってみれば素直にそう思える。


 だがその時は必死に苦労してここまでやってきたのになんだその態度は、とパーティの半数以上はムッとしていたと思う。それを村長と、ロワが必死になってなだめ――今思い返しても、なんでこの時ロワがあそこまで必死になって、パーティの面々をなだめようとしたのかよくわからないのだが、ともあれとりあえず村人と無駄に衝突することは避けられたものの、今度は村長の方から『解熱剤になる薬草の採取に協力してほしい』と新たな依頼を持ちかけられてしまった。


 冒険者ギルドで請けられる依頼には期限があり、期日までに依頼を終えなければ報酬を差し引かれ、ギルド内での評価も落ちる。そしてその『依頼の達成』の認定は、基本的には依頼を請けた冒険者ギルドへの報告を行った時点とするのが一般的だ。ただでさえ予定より大幅に遅れているのに、そんな依頼を請けていては間に合わないのは確実で、全員気が進まなくはあったのだが、村長から涙ながらにこのままでは村が滅びてしまうと縋りつかれ、さすがに無視もできずに全員で薬草採取の手伝い(目立たないところに生える草な上に必要な数が多く、熱病で動ける村人が少なかったこともあり、相当な重労働だった)をさせられた。


 そしてなんとかかんとか依頼を終え、帰路についたはいいものの、村で渡された薬草採取の依頼の報酬である畜肉(ゾシュキーヌレフの近辺にある村は、ほとんどが畜産で生計を立てているらしい。ゾシュキーヌレフでは獣肉よりも魚肉の方が一般的だが、だからこそ畜肉・獣肉には常に需要がある。そのために国府が近辺の村々に対魔物用結界を張る術法具を配布しているほどだ。だから貧乏人である自分たちも現物支給を受け容れた)を狙ってか、魔物の群れに目をつけられてしまう。


 幾種類もの魔物が、協力し合って、狩人の狡知と獣の暴威をもって自分たちを仕留めるべく、何度も何度も襲撃をくり返したのだ。真正面から戦えばヒュノに倒せないほどの敵はいなかったものの、その頃のヒュノはまだ、冒険者としての戦いはこれがほぼ初めてという有様、状況に応じて能力を十全に活かした戦い方をする、あるいは能力を活かせるよう状況を作る、という戦法を意識することすらできていなかった。


 結果、さんざんに痛めつけられ、疲れ果てさせられ、襲撃から逃れるためにゾシュキーヌレフへの帰路からどんどん外れた道を歩かされ、帰り道だけで当初の想定より層倍する時間を費やす羽目に陥り、結果当然のことながら食料と水が足りなくなり――ロワの、あの台詞が出てくることになったわけだ。


「……食べていいよ」


 とうとう最後の保存食を口にする羽目になった、朝のことだった。現物支給の畜肉もとうの昔に喰いつくし、カティフの的確な指示によって、動きを損なわないぎりぎりまで切り詰められてきた水も、保存食もこれで最後。パーティ全員が通夜のような雰囲気に打ち沈んでいた時のこと。


 最後の食料と水をできる限り噛み締めながら嚥下したヒュノは、ぎらぎらした目で周囲を見回していた。今のところ、かろうじて飢えるところまではいっていないものの、水と食料がこれで最後だとわかってしまっている以上、身体の方が勝手により多くを欲しがってしまう。誰かから奪おう、とまで考えてはいなかったものの、他の仲間たちからは明らかにそういうつもりに見えたようで、全員ヒュノと視線を合わせないようにするのに必死だったのだとか。『お前あの時明らかにヤバい目してたからな』『獣の顔してた』と、それなりに気心が知れるようになってから何度も口に出されるくらいに。


 そんな中、ロワはそれまでとさして変わらない、いつも通りの淡々とした顔で、自分の分の保存食と水を、一食分ほぼすべて、ヒュノに差し出してそう言ったのだ。


 さすがに驚いてじっとロワを見つめると、ロワは少し慌てたように目を逸らしながら、こう続けた。


「少なくとも、ここから全員が生きて戻るためには、俺の体力より、お前の体力の方が重要だと思うから」


「…………」


 じっとロワを見つめながら考えたのち、ヒュノはこっくりとうなずいた。その通りだなと納得したのだ。ある程度の心得はあるとはいえ、ロワの戦士としての腕前は一人前というにはやや足らない、ということはこれまでの戦いで理解していたので、『全員が生きて戻るためには』自分の体力を少しでもまともな段階にもっていった方がいい、というのはごく真っ当な主張だと思った。


「わかった。もらっとく」


 自分はそう言って、遠慮なくロワの最後の食事を受け取り、自分の分同様できる限り噛み締めながら飲み下し――そして同時に、決意していたように思う。


『少なくとも、このもらった飯の分は、『全員が生きて戻るために』戦わなけりゃあなんねぇな』


 それまでずっと父親と剣の修行に明け暮れ、自分一人を生き延びさせるより多くのことなど望んだことさえなかったヒュノは、その時初めて『自分以外』の存在のために、命懸けで戦うことを肯んじたのだ。


 ……まぁ、そんな風に意気込んで、命懸けで魔物を殲滅したはいいものの、ゾシュキーヌレフにたどり着くためには、そこまでの道のりで消費する水と食料を探すところから始めなくてはならず(かつ予定していた帰路より大幅に外れていたため、相当な時間がかかることは確実だった)、ゾシュキーヌレフに戻った頃には予定の五倍近い時間が過ぎていて、お前らはなにをやっていたんだと報酬を相当に減額されるはめになったのだが。




   *   *   *




『あの帰り道で、初めてロワが召霊術使うとこ見たんだよな……なんでそれまで使わなかったのかは知らねぇけど。まーぶっちゃけ全員自分らがどこにいるかもわかんなかったから、ロワが呼び出した霊に道案内してもらわなきゃ、たぶん街まで帰れなかったよな……なんでもっと早くその術使わなかったんだって聞いた時の答えは、なんか意味よくわかんなかったけど……』


 踊るロワを見つめながら、ぼんやりとそんなことを考えた。ロワも、かれこれ一転刻ビジンもの間一緒に冒険しているというのに、なんのかんの謎の多い奴ではある。ロワの詳しい生い立ちやら、冒険者になった詳しい経緯やなんかは、いまだに仲間の誰も知らないらしいし。


 と、ロワが唐突によろよろとへたり込んだ。カティフは逆にすっくと立ち上がる。そしていつも同様、周囲に響き渡る張りのある声で、大きく叫んだ。


「支援!」


 ネーツェとジルディンが慌てて立ち上がり、あれこれ呪文を唱えて支援術式を使い始める。あ、こりゃカティフに英霊が憑いたんだな、とヒュノは確信した。カティフは確かな戦術眼を持っていて、仲間たちに指示を出すのもうまいのに、普段はどこか腰が引けているというか、自信なさげな気配が感じられることが多い。


 だが、今のカティフの声と振る舞いには、自信が全力でみなぎっているというか、心身の調子が合一し、うまく巡っているのがはたから見ていてもわかる。こういった領域は、心の調子がよければそこに至れるというものでもなく、たゆみなく積み重ねた研鑽が心の波と身体の動きをうまく引き寄せ合えた時にのみ、自らの能力に対する自信と、自信を持てるだけの鍛錬と実戦の積み重ねによる実力が噛み合った時にのみ、至れるものだ。


 今カティフに憑いている英霊は、実力のみならず、カティフとの同調率も相当高いことも、ヒュノはなんとなく理解する。ロワの英霊召喚術式を詳しく理解している、というわけではまったくないが、それでも今のカティフが、ヒュノが神雷しんらいに至ったのちに英霊が憑いた時より、心身、身魂、心魂、すべてが深く調和しているのはわかった。


「分割!」


 カティフの叫びに一瞬息を呑んだのち、ネーツェが懐から術法具を取り出し、小さく呪文を唱える。とたん、カティフの体がぼんやりと歪んだかと思うと、数瞬後にはそっくり同じ、五体のカティフへと変じていた。気配も装備も感じられる実力も、すべてそっくり同じカティフが五人。一緒に作戦を考えて、シクセジリューアムに協力を願ったのだから、この展開は予測できていたというか、そうなってもらわなければ困る作戦上の通過点でしかないのだが、それでもやはりこんなとんでもない術式を見るのは初めてだし、驚きもする。


 正直、ヒュノとしては、『五体の邪神の眷族を倒すために、カティフを五分割して敵の攻撃を惹きつけ、あらかじめ罠を張っておいた場所へ誘導する』というやり方に不賛成というか、懸念を抱いていた。姿だけを五分割するのではなく、能力そのものも五分割してしまうというのだからなおのことだ。英霊が憑いているとはいえ、英霊の能力ごと五分割した今のカティフでは、英霊の憑いていない状態のヒュノでさえ六四で皆殺しにできる、と実際に見てよりはっきりと確信できてしまったし。


 だが、それ以前に、『五体に分けた自分を同時に操る』というのは、いかに英霊が憑いていたとしても、普通の人間の、そしてカティフの処理できる能力の範疇を大きく超えている、と思ったのだ。ヒュノだってそんなことをやれと言われてもできる自信はないし、やりたいとも思わない。五つに能力を分けて、それぞれをうまく使うことで大きな成果を得るというのは、ひとつのことを全力で一心に極めぬき誰にも真似できない領域へ到達することを目指す、ヒュノのやり方とは真っ向から反しているのだ。


 だが、カティフは『五体の眷族を一撃で倒すという作戦目標を達成するにはこれが最善だ』と主張し、譲らなかった。カティフのやることだし、カティフがやりたいようにすればいい、という理性に従ってヒュノは主張を引っ込めたが、それでも自分が間違っているという気は今でもまるでしない。カティフなら、そしてカティフと深く同調する英霊が憑いたならば、別に五体に分かれなくともいくらでもやりようはある、カティフならばそれができる、とヒュノには思えた。


 カティってなんでか知らねぇけどやたら自分の実力に自信がねぇんだよな、などとヒュノが呑気に考えている前で、カティフは最後の一言を鋭く叫ぶ。


「転送!」


 ネーツェが新たに取り出した術法具に向けて、また小さく呪文を唱えるや、五体のカティフは一瞬で自分たちの前から消えていた。シクセジリューアムが正しく設定を行えていないわけはないだろうから、五体のカティフはそれぞれが、大陸各地で邪鬼の拠点を護っている邪神の眷族の目の前にまで、一瞬で転送されているはずだ。


 とりあえずやるべきことをすべて終えたのち、ネーツェは小さく息をついて、呟いた。


「転送は、無事終わったか。向こうは……いきなり、相当激しい戦いに、なってるようだけど」


「へ? なにそれ、大丈夫なのかよ」


「ジル。とりあえずお前は、ひたすらこの宝珠に向けて治癒術式を唱えてろ。あとは向こうの様子を見ながら、術式をせいぜい調整するしかない。五分割したと言っても英霊と邪神の眷族との戦いだ、僕たちが割って入ってどうにかなる程度の戦いじゃない」


「あ、うん! わかった!」


 素直に治癒術式の呪文を幾度も唱えるジルディンと、厳しい顔で懸命に、向こうの状況の遠見やら術式の調整やらをしているらしいネーツェを横目で見てから、ヒュノは荒く息をついているロワへと向き直った。カティフも大変だと思うが、こっちはこっちでよそ事に気を取られている場合ではない。


「ロワ、大丈夫か。いけるか」


「あぁ……っ、やるだけは、やってみるよ」


 乱れた息を、一度深呼吸してから無理やりに深く長いものへと変え、ゆっくりと身体をもたげて、ロワは再度神楽を舞い始める。ヒュノはその真正面に立ち、真っ向から踊るロワを凝視し続けた。


『……『全然別の場所にいる五体を、一瞬で、一撃で倒す』やり方を、お前は知りたがってたよな。俺もそれに、答えを返せるわけじゃねぇ……っつぅか、少なくとも俺の知識じゃ普通にそんなこと無理だけど』


 カティフが自身にどんな英霊を憑けてもらうか説明した際に、とりあえず最初のたたき台としての作戦を提示した時、ヒュノがずっと考えていた『全然別の場所にいる五体を、一瞬で、一撃で倒す』方法について、カティフはこんな風に説明してくれた。


『けど、『同じ場所にいる五体を、一瞬で、一撃で倒す』ことなら、お前はできんだろ? それの応用編、みてーな技術なら、一応聞いたことはある』


『詳しく教えてくれ!』


『っ、わかったから顔近づけんな! 俺と同じ冴えねぇ男に近寄られても微塵も嬉しくねぇわ、美形の男に近寄られたら殺したくなるけど! ……聞いた話、だけどな。次元を超えた一閃を放つ、って技があるらしいんだよ』


『じげん……?』


『これまでにも何度も体験しただろ、瞬間移動みたいな、転移術系の術法。そん中に、遠く離れた場所同士に同時に穴を作って繋げる、みたいな術式があるらしいんだけどよ。そん時に、穴を開ける場所が次元』


『………? 離れた場所同士に穴を開けんじゃねぇの?』


『や、聞いた話じゃ違うらしいぜ。地面に穴掘るとするだろ? 深い穴掘ったらさ、その穴の入り口と底って離れてんじゃん。その入り口と底が『離れた場所同士』で、土持ち上げて別の場所に移して、って感じて『掘る』ってことをするところが次元。なんだとさ』


『へぇ……よくわかんねぇけど、まぁ、なんとなくはわかった』


『大雑把な理解にもほどがあるという気はするが、まぁ『なんとなくわからせる』ことを優先するならあり……か?』


『うっせ、ネテ。頭いい奴は黙ってろ。んでよ、その穴の入り口から底にいる奴を斬ったり、そもそも穴を掘ったりもせず一撃で地面ぶち抜いて底にいる奴を斬ったり、みたいなのがその『次元を超えた一閃』らしいんだよ』


『……なんだそりゃ。それ、もしかしなくても、とんでもなくすごかねぇか!?』


『疑問の余地なくすげぇよ、普通に考えて。……で、そういうとんでもない技を使える奴ってのは、当然それほど多いわけじゃねぇけど、昔の英雄とかまで含めるとそこそこいる。剣士系の能力を極めた奴ってのは、たいてい似たようなことできるらしいしな。で、お前に加護を与えてる女神エベクレナさまは、剣と戦の女神なわけだから、眷属の中にそういう英霊もたぶんいる、と思う』


『なる、ほど……』


『まぁロワに確かめてもらわねぇと、はっきりしたことは言えねぇけど。お前が今どんだけの能力を得てるのか知らねぇけど、少なくとも伸ばそうとする能力はそっち系だよな? だから、『五体を、一瞬で、一撃で倒す』ってのを、一回は試そうってんなら、お前がやるしかねぇ、と思う』


『ふぅん?』


『あらかじめシクセジリューアムさんに罠……っつぅか、俺たちのところから邪神の眷族の近辺、っつっても万が一にも気づかれねぇ程度の距離は取って、五つ次元の穴を開けてもらって。で、俺が敵の攻撃を惹きつける英霊の能力を使って、囮になって眷族を、攻撃に反撃して体力を削りつつそこまで誘導して、お前に斬ってもらう。穴のこっち側から斬れるか、穴の向こうまで行って手早く斬り倒すかは別として。あとの方なら、誘導の機をずらして、目的の場所に到着する時間を微妙にずらす必要があるだろうけど。……そういう手しか、とりあえず俺は思いつかねぇな』


『ふーん……カティが倒すんじゃねぇんだな』


『っ、そっちかよ……言っただろ。俺が憑けてもらうのは『敵の攻撃性を強制的に惹きつけた上で、攻撃に的確に反撃ができる能力』を持った英霊なんだ。他に攻撃がいかないようにしながら、じわじわ体力を削る役。『五体を、一瞬で、一撃で倒す』なんてのは、能力の方向性が真逆ってこった。もし今後があるなら、俺が冒険者として目指す目標ってのを、俺はそれに決めたんだ。英雄さま方の心づもりは知らねぇけど、それを踏まえて作戦を立てろっつわれたら、俺に思いつくのはこういう手しかねぇんだよ。俺が敵を誘導しつつ、お前に自由に動いてもらうって手しかな』


『そっか』


 とりあえず納得したのち、翌朝にロワが女神さまからの託宣を受けて、英霊召喚術式の並行使用というのを練習してみることになって、女神さまから得た情報を使って、一応神雷しんらいの再現を目指しつつ、ヒュノにも『全然別の場所にいる五体を、一瞬で、一撃で倒す』ということができる英霊を憑けることを前提とした作戦を立てることになり――今こうして、ロワと真正面から向き合う事態に至ったわけだ。


 さっきまでカティフに英霊を憑けるのに悪戦苦闘していたロワは、さすがに体力を相当削られていたようだった。舞う手足に力が入っておらず、息も荒い。英霊召喚術式というものが、発動する時どれくらいしんどいものかよくわかっているわけではないが、ロワはこれまでほとんどの場合、戦いの後は半死半生になっていたわけだから、少なくとも楽に使えるものではないのだろう。


 だが、だからといってここでロワに休んでもらうわけにはいかない。ヒュノの心情はとにかく、作戦がそうなっていて、ロワも進んでそれを受け容れた以上、横からああだこうだ言っても迷惑以外のなにものでもなかろう。実際に発動できる、という確信があるわけでもなく、発動できなかったらできなかったでやることはあれこれ作戦会議の時に指示されているのだが、少なくとも時間ぎりぎりまで術式の発動を試みてもらわなくてはならない。


 ロワが懸命に舞うその横でも、ジルディンは幾度も治癒術式の呪文を唱え、ネーツェもややこしい発動詞をあれこれ呟いている。全員自分のやるべきことに必死なのだ。カティフの現在の状況がどうなっているかはわからないが、呪文の頻度からして相当厳しい戦いなのはわかる。ロワにだけ手を抜いてもらうわけにはいかない。


 それは承知していたが、ヒュノ自身としては、どうにも据わりが悪いというか、納得のいかない心持ちだった。自分一人だけ黙って待っているしかないのが心苦しいというのもあるが、なんというか、『最初は自分の力でやれと言われたことを、英霊の力に頼ってやるように命じられている』という事態が、ちょっと面白くなかったのだ。


 理屈としてはわかる。より確実性の高い手段を選ぶのは、作戦を立てる側なら当然の思考だろう。だが、ヒュノは、『全然別の場所にいる五体を、一瞬で、一撃で倒す』というのはともかく、『同じ場所にいる五体を、一瞬で、一撃で倒す』ということなら、できなくはないかな、という気がしていたのだ。


 確実にできる、とは言いきれないが。自信の根拠も、なんとなくの勘でしかなかったが。たぶんこの勘は外れていない、という、やはりなんとなくの確信があった。実際にやってみたことは一度もないが、『次元』の穴の向こう側にいる五体の敵を一瞬一撃で斬り倒すのは、今の自分ならたぶん、なんとかなっただろう。


 だが絶対の自信があるわけではないため、口には出さなかったが。目の前で、ロワが必死の形相で、それこそ命を削る勢いで神楽を舞っているのを見ると、言っといた方がよかったかな、という気もしてきてしまう。ロワには依然、命を救われた借りがいくつも積み重なっているのだ。これ以上さらに借りを積み上げるのは嬉しくないし、仲間が気息奄々となっているのを、眺めて楽しむ趣味の持ち合わせもヒュノにはない。


 けれど、ヒュノは目を逸らすことなくロワを見つめ続けた。それはひとつには、自分が今まさに借りを作っているところから目を逸らすわけにはいかない、という意識からだが、それよりもどちらかといえば、『目を逸らすと負けた気がするから』という方が大きいだろう。


 ロワが内心どんなつもりでいるのかは知らないが、こいつは自分の責任から逃げることなく、全力で、死に物狂いで仕事を果たそうとしている。仲間を救う、ヒュノを助ける仕事を全力で。成功率の高い低いは関係なく、自分でやると決めた仕事に全霊を尽くしている。


 これまでのこちらの借り分などを、まるで気にせず。『これだけやってやったんだからもういいだろう』という逃げ口上を、たぶん頭に浮かべさえせずに。


 そういう奴にこちらができることといえば、こちらも真っ向からそれに立ち向かうしかないだろう。自分の仕事に全力を尽くすしかない。そうでなければ『対等な仲間』だなぞという偉そうな台詞を、二度と言えなくなってしまうのだから。


 と、唐突に、世界がずれた。自分の体が、自分の思うままにならなくなる。呼吸が途中で止まり、なのに息苦しささえ感じない。驚いてから、ああこれは一瞬が極端に拡大されているのだな、と理解した――その直後に、声がする。


『……偉そうな台詞がどうとかっていうのは、それこそ、こっちの台詞な気がするけどな……』


『ロワ』


 驚いて目を瞬かせようとして、身体がまるで反応しないことを思い出し、ちょっと戸惑う。音もなにも聞こえなくなっているのに、ぼんやりと伝わってくる声の感触だけは妙に鮮明だ。


『これって、心の会話、ってやつか? ネテとかジルとかが言ってた』


『まぁ、そうだな……心と心の波長が合ったから起こることらしい。心魂を同調させる術式かけてたから、なんだろうけど』


『ふぅん……心の波長が合うって、どんな風に?』


『俺もちゃんとわかってるわけじゃないけど……今回は、たぶん。……『自分を相手と対等の仲間と思いたい』って気持ちが、重なったから。じゃ、ないかな』


『へぇ……そっか』


 それってつまり、ロワもこっちと同じようなことを考えてたってことか、とヒュノは心の中でうなずく。なるほどな、と思った。ロワの方も、ヒュノと同様に、こっちに負けたくない、自分のできる限りの力を尽くしたい、相手を自分と対等の仲間だと胸を張って言い続けたい、と思っていたわけだ。そりゃ確かに、どれだけしんどかろうと、術式を使うたびに半死半生になろうと、意地を張って立ち上がっちまうわけだ、と納得する。


『……そーいう風に、素直に納得するのかぁ……さすがというかなんというか……照れるとか、恥ずかしいとか思わないんだな』


『? これ恥ずかしがるとこか?』


 相手が自分を仲間だと、自分と同じように想っている事実を知っただけ。単に、ロワにもヒュノと同じ感性があるのだとわかっただけのことだ。それを嫌がる気持ちなど、持ち合わせていても意味がないだろうに。


『いや、嫌がるだろう、とか言ってるんじゃなくて。……なんか、前にもこんなこと言ったような気がするな』


 ぽろりとロワの漏らした言葉に、ヒュノも内心手を打った。


『あーあーあー、あったあった。あれどんくらい前だっけ? 確か今から……』


『九節刻テシンほど前だった、かな。お前がしおらしいことなんて珍しかったから、わりとよく覚えてる』


『あ~……ぁ? そーだっけ。そんなにしおらしかったか? 俺』


『まぁ……あの頃の中じゃ、一番そういう風に見えたのは確かだな』


 九節刻テシン前のことを一瞬思い出し、ヒュノは眉を寄せる。生まれてこの方、自分がしおらしい素振りをした記憶なんてろくになかったのに、と、こいつがどんなところを見ているのか、ちょっと気になったのだ。

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