第50話 戦士爆走

 正直に言ってしまえば。カティフはこの問題を、最初から懸念してはいたのだ。


『五分の一にまで分割してしまっては、いかに英霊とはいえ、邪神の眷族に対処しきれないのではないか?』


 もっと端的に言えばこういうことだ。


『英霊が憑いても、それでも勝てない敵が出てくるかもしれないのに、そんなに英霊召喚を過信して大丈夫なのか?』


 その疑問を、カティフはこっそりと、けれど何度も英雄たちに訊ねたが、英雄たちの答えはいつも変わらなかった。


『英霊と称されるほどの人間が憑いたのなら、いくら駆け出しの若造の体を使っていたとしても、邪神の眷族や邪鬼程度の相手に勝てないわけがない』


 そして、付け加えて、こんな本音も明かされた。


『もちろん例外は常に存在しうるが、そんなとんでもない敵が現れたとしたら、そもそも敵の戦力に対する見込みが間違っていたことになる。戦略から見直さなくてはならなくなるので、できることは尻に帆をかけて逃げ出すしかない。対策もなにも立てようがない』


 つまり、現在のような状況下は、逃げの一手を選択するしかない絶望的な事態、ということになってしまうわけだ。


 正直カティフとしても逃げていいものならとっとと逃げ出したくはあるのだが、いくら事前にそんなことを言われていたとしても、実際に逃げたら英雄たちの目の敵にされることは確実だろうし、他の連中はきちんと仕事をこなしたのに自分だけ逃げ出した、と世間の連中に寄ってたかって後ろ指をさされたりするだろうこともまず間違いない。


 それに、参ったことに、自分に課された仕事は、邪神の眷属たちの殲滅ではない。基本的には、その攻撃を防ぎながら誘導し、特定の場所におびき寄せる、囮の役目しか期待されていないのだ。いや期待されていないというか、自分でそういう役割を任じてくれるよう英雄たちに頼んだわけだが。


 英霊が憑いてくれれば、自力で敵を倒さずに誘導するだけ、というのが一番気楽、という発想で言い出したことではあるのだが、そんなことを頼んでしまった以上、いくら自分より相手が強くとも、なんとか役目を果たすことを期待されるのは必定だ。囮というのは、そんな風に戦力に上回る相手を罠に嵌めるために使う役割なわけだから。


 つまり自分は、五つに分割してしまった自分を操りながら、なにがなんでも囮の役目を果たし、目的の場所へと敵を誘導しなくてはならないわけで――


『……できるかぁぁっ! んなこと、簡単に、ほいほい気軽に、できるかぁぁっ!』


 心の中で絶叫しながら、カティフは歴戦の戦士でも及ばなかろうという鋭さで繰り出された肉の槍を、必死になって剣で受け流す。あるいは山と放たれた肉の散弾を盾で受け止める。あるいはその甲高い奇声を衝撃波にまで高めて放たれた不可視の攻撃を横に飛び退いてかろうじてかわす。


 そんな風に五つの分割体を必死に動かしながらじわじわと後退を続けるも、相対した時に感じた通り、どの邪神の眷族も、素の能力自体が、五分割されたカティフと英霊の処理できる範囲を大きく上回っている。自然その余りは体で引き受けざるをえず、敵の一撃ごとに、カティフの体には、びしり、びしりと深い傷が刻まれた。


 痛み自体は五分割された体のものとはいえ、それらを統御する心魂はカティフと英霊を合わせても二つ、きちんと心身を分けて制御しきれるわけもなく、むしろ苦痛を五人分感じているようなもので、どの痛みも逃げ出したくなるほど心の芯にまできつく響く。


 というかそもそも英霊の処理能力に頼ってなんとかこなしているとはいえ、カティフ自身の頭と精神の性能がそもそも低いのだ、五つもの体を統御し動かすという行為自体、脳味噌が擦り切れそうなほど心魂に負担がかかる。


 それでも、英霊の技量と能力は五分割されていても的確に働き、敵に注目させ引き寄せることに特化した精神操作術法と、敵の視線を吸い寄せ攻撃を的確に誘う巧みな技術で、着実確実に邪神の眷属たちを吸い寄せ、叩きつけられる攻撃に隙あらば反撃して、じわじわと敵の体力を削りながら罠に誘い込む、という当初の狙いをこなすことはできていた。


 カティフも痛みに耐えながら、全身の神経を研ぎ澄まし、英霊の動きを受け容れ、同調しようと試みる。手を貸してくれている英霊の邪魔になるなぞ死んでもごめんだった。できる限り手を貸して、役立てられるものがあれば、カティフの力をなんでも、それこそ死に至る寸前まで使ってもらう覚悟だったのだ。


 想いはひとつ。望むはひとつ。ただ、年下の仲間の恋路の足を引っ張るために。そのためならば、カティフはいくらでも死力を尽くせると言いきれた。


 視界に幾度も火花が散る。脳味噌が焼き切れそうに熱かった。神経は溶鉱炉に突っ込まれたかのようだ。凡人の自分が、英霊の力を借りてはいても、五つの体を的確に動かし、こちらよりもはるかに能力的に上回る敵の攻撃を受け流し、痛みに耐えながら的確に相手を罠に誘い込む、などという芸当をこなすのは、無理があって当然と、カティフ自身理解していた。


 それでも、カティフが全身全霊を振り絞り、英霊に同調し、自身の体を動かさなければ、ロワの彼女との仲を破局に導く瞬間が遠のいてしまうのだ。その遠のいた時間の分で、仲が深まり、少年時代を卒業してしまうかもしれないのだ。自分一人が取り残される、そんな絶望に抗するためならば、ちぎれそうな神経に気力をぶち込み、戦いが終わった瞬間死に至るかもしれないと思う勢いで生命力を費やしたとしても、カティフは少しも惜しくはない。


 肉の爪を剣で右に受け流しながら、剣を回転させ根元を断ち切る。遠距離から放たれた数十本の魔力の矢を、術法で魔力の鎧をまとわせた体で受けて、敵に生まれた一瞬の隙めがけ魔力の刃を飛ばす。振り下ろされた肉の鞭を斬り飛ばし、敵に剣を叩きつけながら、背後の鞭の残骸が飛び跳ねて襲ってくるのをかわし、攻撃を敵本体に向けて誘導する。雨あられと降り注ぐ肉の槍を最小限の動きでかわし、かわせないものはできるだけ鎧で受け流し、体の被害の少なくなる部分で受け止めて、敵本体の弱点めがけ短剣を投げ放つ。五体で並行してそんな動きを幾度も繰り返し、じわじわと後退して敵を誘い込む。


 すべては、ただひたすらに、ロワの恋路の足を引っ張るために。


「ぐふっ……!」


 足が滑り回避を失敗して、敵の攻撃をまともに受け、カティフの分割体のひとつが吹き飛んだ。受け身も取れない状態でごろごろと地面を転がり、息が詰まって動きが止まる。


 今の一撃であばらがいった。体にぶちかまされた衝撃と激痛で、足が立たない。必死に自己治癒術式で傷を癒すも、次の敵の攻撃には間に合わない、と英霊の情報処理能力が勝手に判断してくれた。まずい、どうにかしなければ、と擦り切れかけた脳味噌で必死に思うも、全力で酷使してきた脳と精神が、これまでの計算では処理できない非常事態を前に、的確な判断ができるわけもない。


 敵が攻撃態勢に入るのが見えた。まずい、やられる――


 ――そう思った瞬間、その分割体の前に、小さな体が割って入った。


「へっ……」


 小さな体、といっても、その年頃の少年の平均程度の大きさはあるだろう。革鎧を身に着け、剣と盾を構え、それこそ盾になろうとするその少年に、邪神の眷族は、人間などたやすく貫けるだろう肉の触手を振り上げ、大鎌のごとくカティフの眼前を薙ぎ払った。


 その一撃で、少年の褐色の肌に血がしぶく。剣と盾をあっさり手から弾き飛ばされ、鎧ごと体をばっさりと斬り裂かれたのだ。衝撃を殺せず受け身も取れず、少年はごろごろと地面を転がり、その一撃で幹を切り裂かれた木の根に激突して、動かなくなった。


「―――ロワ!!」


 絶叫して飛び起き仲間のもとに駆け寄――ろうとして、動きが止まる。足を止めたのでも体が麻痺したのでもない、唐突に動きを停止させる術式をかけられたかのごとく、身体がまったく反応しなくなった。


 止まったのはカティフだけではない。周囲の世界全てが、まったく動かなくなった。他の分割体の体も、それらが相対している邪神の眷族すべても、まるでまったく動こうとしない。なんだ、なんなんだこれ、と一瞬呆然としたカティフの耳に、いくぶん弱弱しい声が響く。


『さっきと同じだよ……深く同調した時の心話には、ほとんど時間はかからない。心話を行っている者同士だけ、時間が加速されたような錯覚を起こすんだ。身体が動かせないのはそのせいだよ、実際には一瞬の出来事なんだから、身体も周りも動きようがない』


『……ロワっ!! お前、生きてんのかっ! 死んでねぇんだなっ!?』


『まぁ、ネーツェに、効果を発揮する回数を一回だけにして、できた余剰を強度に全部つぎ込んだ、防護の術式をかけてもらってたから……死ぬようなことはないよ。鎧はちょっと修繕も難しい段階だけど、怪我は……死ぬほどのものじゃない。ジルの術式で充分治せるぐらいだよ』


『そ、そっか……つぅかなっ! なにやってんだお前このバカ! なにいきなり俺の前に飛び出したりしてんだよっ!』


『いや、そんなこと言われても……カティがやられそうになったから慌てて飛び出したんだから、いきなりなのはしかたないだろ? そのために準備してたわけなんだし……』


『は? 準備……?』


『うん。ヒュノにかけた術式がわりとすぐに発動してくれたんで、俺は手が空いたから。あと俺にできることっていうと、万一の時に飛び出して盾になる、ぐらいしか思いつかなかったんだよな。ネテにも余裕ができたから、余力を使って防御系の術式あれこれかけてもらって。正直散弾系の攻撃だったら、俺の体じゃ防げないなって心配してたから、近接攻撃でまだよかった。まぁ、そういう事態が起こらないのが一番ではあるんだけど、敵の攻撃明らかにカティの処理できる範囲を上回ってたから、準備しておいた方がいいよな、って』


『っ……』


 つまり、カティフがへまをしたせいであり、カティフの能力が足りなかったせいである、ということになるわけで。カティフの責任、ということになるのだろうが。


 だがそれでもカティフは納得したくはない。いや、断固として納得はしない。するものか。仲間に肉の盾、それもさして役に立たない極薄の盾になってもらう、なんてことを喜べるほど、カティフは人生を投げ捨てていない。


『お前な! んなことされて俺が嬉しいとでも思ってんのか、あぁ!?』


『嬉しくはないだろうと思ったけど、こっちも他に手段が思いつかなかったからな。ネテとジルはいざという時に術式を使ってもらわなきゃならないし、鍛生術に慣れてないから盾になるにしても強度が不足しすぎだし。ヒュノにやってもらうわけにもいかないし。俺しかやれる奴、いないだろ? ここまできたら、俺が一番失っても惜しくない駒だ、とも思ったし』


『……あぁっ!? お前正気でもの言ってんのか!? 命投げ捨てて依頼果たすのが真っ当なやり方だとでも抜かすつもりかよ!?』


『真っ当だとは言ってないだろ。俺だって死にたいわけでもないし、死ぬつもりもない、っていうかこんなところで死んだらいろんな人に申し訳が立たないって思ってるよ。だけど言っただろ、俺にだって裏切りたくない相手はいるって。その相手のために、できる限りのことはやらなきゃって思ってるって。死ぬつもりがなくても、万が一が起こった時のことを考えて、人材に優先順位をつけるのは当たり前っていうか、できるだけ多くの人員が生き残るために必要なことだって思う。俺の考え、間違ってるか?』


『っ………』


 カティフは体が動いたら歯ぎしりしているだろう心境で、いつも通り淡々とした声音で告げられるロワの言葉を聞いた。確かに間違っているとは言わない。言わないが、心の底から同意できる話でもまるでない。仲間を肉の盾として扱えと言われて、笑っていられる冒険者がどこにいるというのか。


 そんなカティフの心境を感じ取ったのか、ロワは小さく苦笑して、やはり淡々とした調子を変えないまま告げる。


『カティがそこまで気にする必要はないだろう、と思うんだけどな』


『は?』


『だって、カティさっき言ってただろう。俺に特別な相手がいるのが許せないって。なんとしてでも破局させてやるって。そんな風にしか思えない奴が死んだって、悲しくもなんともないだろ? 俺があれこれ説得しても前向きにはなってくれなかったのに、破局させるためならあれこれ言ってたの全部すっ飛ばしてやる気になれる、なんて相手なんだから。そんな奴の生死をいちいち気にするなんて馬鹿馬鹿しいって、普通そう考えるだろうと思うんだけど』


 カティフはその言葉を聞き、一瞬ぽかん、とした。呆然とし、唖然とし、仰天したのち嘆息し――それからふつふつと怒りが煮え滾ってくるのを自覚する。


『……お前基本常識人だとは思うけど。時々ジル並みに馬鹿になりやがんな』


『え、えぇ?』


『あとで説教だこのバカっ! 俺がうじうじしてたのを気遣ってくれたのはありがたいたぁ思うが、だからって見損なうにもほどがあんだろ! 曲がりなりにも戦う男が、仲間相手に死んでいいだのどうでもいいだの思うわきゃねぇだろあほんだらっ!』


 その瞬間、呪縛が解けて、世界が正常に動き始めた。音が聞こえ、空気が喉に流れ込み、駆け出そうとしていた勢いのままに足が前へ進み出る。

 カティフは全身の力を振り絞って足を進ませようとする勢いをそこで止め、後ろへ飛び退った。邪神の眷族の肉の槍が攻撃準備態勢に入っている、このままなにも考えず前に進めば頭を貫かれていただろう。


 のみならず。今の自分には、なにがなんでも死ぬ気で、やり遂げなくてはならないことがあるのだ。


「〝あ゛、ぉ゛、ぁ゛、ぉ゛あ゛ぁ゛っ〟!」


 絶叫の形で呪文を唱え、剣を回して印を切り、術式を発動させる。術式の知識も発動方法も、カティフの心身に寄り重なった英霊が、カティフが知ろうとするより早く身に沁みさせてくれる。


 魔力のほとんどを使用しての攻撃誘因術式に、肉の塊にしか見えない邪神の眷族の、顔色が一瞬で変わった、とカティフには思えた。


『ンィァァアァァア――――ッ!』


 ほとんど音としても聞こえないような奇声を上げ、肉の中から何本もの槍を次々引きちぎるようにして持ち上げ、カティフめがけて投げ放つ。懸命に捌くも、五分の一の力しか持たない英霊憑きではそのすべてを捌ききることはできず、何本もの槍が鎧を切り裂いてカティフの肉をえぐり取った。


 激痛が走る――も、カティフ(に憑いた英霊)の目は、その激痛の中でも、大技を放ったあとの隙が敵に生まれているのを見逃してはいなかった。肉を引きちぎった時にあらわになった内壁に、腰に何本か差している短剣を投げ放ち、新たな傷口を開き血を流させる。


 魔力はほとんどすべて使いきってしまっていて、反撃の際に魔力の刃を放つだけの余力も残っていなかったが、それでも鍛え上げられた英霊の力と技は、投げられた短剣をただの牽制にはしておかなかった。疾風のごとき速さで飛んだ短剣は、人間ならば相当の腕前の戦士でも頭蓋を貫けるほどの威力はあっただろう。その一撃を体の内部に直接入れられて、邪神の眷族は『ンンンニィィイ――ッ!』と悲鳴を上げ、さらに勢い込んでこちらに向ける攻撃の密度を増してくる。


「っ! く、ぅっ! っの……! らぁっ!」


『ンンンギニォ――ッ!』


 受け、避け、捌き、躱し、止め、時にしくじって体を抉られ。斬り、返し、裂き、突き、投げ、打ち、時に隙を作ってさらなる一撃を食らう。


 できる限りは攻撃を捌いてはいたが、それでもあらかじめ仲間に治癒術式をかけてもらえる準備をしておいていなければ、とうに動けなくなっていただろう(ネーツェに絶えず情報を測定・通信して魔力の通路を作り術式の受け皿となる使い魔を憑けてもらい、ジルディンがその魔力の通路に向けて全力で治癒や支援の術式をかけまくり、ネーツェが魔力と通路の調整を行ってジルディンの術式を五つの分割体に割り振る、という形)。五つに分けた体のすべてが、叫び出したくなるような激痛を全力で訴えている。


 のみならず、先刻よりもさらに激しくなった攻撃を捌くべく、必死に体の動きを処理しているカティフの脳と精神は今にもはちきれそうだと悲鳴を上げる。わずかにでも精神に乱れがあれば、敵の攻撃は的確にそこを突いて、カティフの分割体の体を深々と切り裂く。激痛が全身に走り、精神も衝撃を受けて、分割体を動かす際に遅滞が生まれ、そこに追撃されてさらに追い込まれる。頭も体も限界寸前、ここまで本気で『まずい、死ぬ』と思ったのは、故郷で泥沼の撤退戦のしんがりを任された時くらいだろう。


 それでも、カティフは、引かなかった。奥歯を噛み締め、なにくそ負けるかと踏ん張った。当然だ、だって自分にはやらなくてはならないことがあるのだから。ロワの恋路の足を引っ張って――命を救われた借りを、返さなくてはならないのだから。


『…………!』


 あいつはいい年こいて、まるでわかっていやがらない。仲間に対する嫉妬や呪詛と、恩と感謝は同時に存在しうるなんてことは当たり前のことだってのに。


 あいつに特別な相手がいると知った時の、壮絶な嫉妬と呪いの感情は、それまでうだうだうじうじと足踏みしていた自分の心を動かすこの上ない燃料になったが……それでも、うだうだうじうじと煮え切らない、自分でも嫌になるほどままならない自身の心に、できる限り耳を傾けようとしてくれたことが、嫌だったわけじゃない。本当に、嫌では、なかった。


 なにより――無謀でも、無茶でも、こっちのことを考えていなくとも。命を懸けて自分を護った仲間に、こちらも命を懸けてそれに応えようとできないで、命懸けで戦うなんて割に合わない真似やってられるか。


『…………』


 自分には才能がない。能力がない、才覚がない。度量もなければ気概もさしてなく、精神性においてすら優れているとはとてもいいがたい。取り柄と呼ぶべきものがろくにない、周りを妬んで、羨んで、足を引っ張るしか能のない、世界の歯車が正しく回っていれば、存在していない方がよかっただろう程度の愚物だ。


 それでも、自分は物心ついた時から戦ってきた。戦わざるをえなかった。戦う力のない人間を、戦うという手段を放棄した人間を、好き嫌いも良し悪しも関係なしに、背中に背負って、護ってきてしまった人間だ。


 だから。張れる意地くらい、安い矜持くらいの持ち合わせはある。自分なりに命を懸けてきたことが、その程度の重みもないと言われてたまるか――!


『ぜぇっ!』


 四方八方から襲いくる、敵の肉の刃を、致命傷だけは避けて受け流しながら後退する。頭上からあられと放たれる、肉の弾丸を地面を転がりながら必死に避ける。肉の鞭の軌道を死ぬ気で読んで、あるいは飛び退りあるいはわずかに身体を沈めて身をかわす。こちらが弱ってきているのを読んだのか、それとも敵が連絡し合って連動したのか、五つの分割体すべてに、敵は一気に猛攻をかけてきていた。


『っ、ふっ、らぁっ!』


 五つの分割体すべてが、声を揃えて叫んでしまう。分割体を操るカティフの精神が追い込まれているからだ。激しい攻撃を処理するのにいっぱいいっぱいで、声帯の制御なんてものに神経を割いていられないからだ。


 そして同時に、カティフとそれに寄り添う英霊の精神が昂っているからだ。今や英霊とカティフの精神はほぼひとつと言ってもいいほどに、同じことを感じ、同じことに同じ想いを抱いている。送ってきた人生は当然違えど、自分の人生に通じる生き方をしてきた英霊なのだと嫌も応もなく感得できた。


 使おう、使われようという意識すらない。カティフの腕は英霊の腕で、英霊の技はカティフの技だ。カティフの体が想像したこともないほど素早く動くのも、まるで知りもしない術法を的確な機を狙って使うのも、数多の技術を組み合わせて的確な戦術眼で戦場を見通すのも、すべてカティフの行いでもあり、カティフの意思でもあった。


 ロワの言ったことは正しかった。英霊が体を動かすのに、本人の才能は必要ない。必要なのはただ、英霊と深く心を通じ合わせた上で、なんとしてもすべきことをしようとする意志。実力も素質もない雑魚だろうと、この刹那に全力を出しきる覚悟と意思さえあれば、あとは英霊の方がなんとかしてくれる。


 ざすっ、と一体が肩を斬り裂かれ、とうとう盾を取り落とした。ぞんっ、と一体が腹を貫かれ内臓を傷つけられた、早急に治癒しなければ命が危なかろう。ずしゅっ、と一体が喉を斬られた、気道に傷がついたから、すぐに呼吸ができなくなる。あるいは足を傷つけられあるいは腕を砕かれ、満身創痍にもほどがある状態だ。こんな程度の実力しかない奴を作戦に使うとは何事だ、と良識ある指揮官は言ってくださるだろう。


 だが、いい。それでもいい。その程度の実力しかない自分でも、『ここ』まで生き延びられた、『ここ』まで来れた、それでいい。能力のない最低の愚物でも、仲間の命を助け、傷つけた分の償いをすることはできたのだからこれでいい。自分には十分上等だ。


 だから、あとは―――


『ヒュノぉ!!!』


 五体の分割体が絶叫した声が、五体それぞれの耳でそれぞれの声を聞き取ったカティフの頭の中だけにこだまする。そんな一瞬の酩酊と同時に、次元の穴の向こうで静かな、そしてぞくっとするほど鋭い、鞘走りの音が聞こえた。

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