第44話 言問い、心問い

 実を言うと。ロワの言葉は、嘘ではないが、心からの本音というわけではなかった。


 ネーツェの言葉は正しいと思う。カティフには考える時間が必要だ、という理屈はごく当たり前の思考だろうし、間違っているとも思わない。


 ただ、なんとなくの感覚での思考でしかないのだが、『カティは本当に悩んでいるんだろうか?』という疑問というか、違和感をロワは覚えていた。あくまで本当になんとなくそう思っただけで、根拠らしいものはまるでないのだが、『カティは俺たちが思っているのとは別のところで悩んでるんじゃないか?』という気が、ちょっとしたのだ。


 理性的な判断を無視する気はないが、ロワは幼いころから、『霊感を軽んずべからず』という教育を受けてきている。『なんとなくの感覚』で思ったことは、そのままにしておかずに、とりあえずの解決を見るまで突き詰めておかないと、なんだか落ち着かないのだ。


 だからといってカティフの邪魔をする気はないので、できるだけそろそろと忍び足で姿を消したカティフを追うことしばし。木立の向こうに、カティフの影を見つけた。


 とりあえずカティフに気づかれない距離で様子をうかがおうと思ったのだが、カティフの気配察知能力は、ロワが把握していたものより大きく成長していたらしい。木の根元に座り込んで、幹に背を預けているカティフに、仏頂面で声をかけられた。


「なについてきてんだよ、お前。なんか俺に用でもあんのか」


「っ……よく、わかったな。角度的に、死角にいたと思うんだけど、俺」


「ここ数日、どんだけとんでもねぇ特訓されてきたと思ってんだよ。四方八方から気配を消して襲ってくる刃を受け流せ、みたいなことやらされたのだって一度や二度じゃねぇぞ。嫌でも気配には敏感になっちまうっての。……で、なんの用だよ」


「用っていうか……」


 どう言葉にするか、ロワはしばし考えたが、結局率直に告げる。意識的に選んだ言葉で的確に想いを伝えられるほど、ロワは言葉というものに習熟していない。


「カティって、今、なにに悩んでるんだ?」


「は? なんだそりゃ。皮肉か? それとも説教か?」


「いやそういうんじゃなくて。なんていうか……カティがなんか考えようとしてる、っていうのはわかるんだけど。それって、英雄の人たちが言ってたみたいな……『これからどういった冒険者を目指すか』、とか『戦力となる駒としてどのような能力を持つことを目指すか』みたいのとは、別のことを考えてるんじゃないかな、って、なんとなく気になって……」


「……………」


 カティフは顔をしかめてしばし沈黙していたが、数瞬刻ルテンののち、小さく息をついて頭を掻いた。


「どうしてそんなことがわかるかね……お前、妙なとこで、妙に勘いいよな。いつもはどっちかっつぅと鈍い方なのによ」


「え、に、鈍い? そうか? そんなに?」


「今そこ重視するとこかよ。お前の疑問の答え、知りたかったんじゃねぇのか?」


「え、いや、知りたくないわけじゃないけど、カティの個人的なことだろ。無理に聞こう、とは思わないよ。話したいって思うなら、聞く気は相応にあるけど」


「……………」


 は、と小さく息を吐いて、カティフは背中に立つ木の幹に、ごつ、ごつと頭をぶつける。


「なあ、ロワ。お前、俺とお前の違いってなんだと思う」


「え? ………女神さまから、加護を与えられる人間と、与えられない人間の違い、ってこと?」


「まさにそこだよ」


 忌々しげに舌打ちしたのち、カティフはぽつぽつと、呟くように言葉を漏らした。


「最初に、女神さまに加護を与えられた時は、すげぇ嬉しかったんだけどな……ぶっちゃけ、なんつの。『これで俺も勝ち組だ』みてぇな。ヒュノがエベクレナさまの加護を受けて、とんでもねぇ実力発揮してみせたとこ見たばっかだったからよ、『俺も同じことができる』『一流冒険者になれる』みてぇなこと思っちまってよ」


「うん」


「けど、そっから怒涛の勢いで話が転がってったろ。ゾヌを襲う十万の敵と戦えとか、邪鬼を倒せとか言われてよ。英雄さまたちと一緒に行動させられてよ。昨日なんか、俺たちだけで十四万の敵全滅させろ、みてぇなことになってよ」


「うん」


「どう考えてもおかしいだろ、無理だろ、できねぇだろって思ったわけよ。どの時も、本気で。流されるまま言われたことやってはいたけどよ、『こんなことやってても絶対勝つとか無理だろ』みたいなこと思ってたわけよ。昨日もさ、自分なりにできること考えて、グェレーテさんにおんぶにだっこで敵倒させてもらう、ってことならなんとかなるかな、って思ってよ。実際にやってみて、一応それなりに成果は上げたけど。それでも、『こんなことやってたって十四万とか無理だろ』って思ってたわけよ、邪鬼の眷族殺しながら。グェレーテさんのおかげで、ほとんど剣を振り回してりゃ楽に敵が殺せる、みてぇな状況だったけど。十四万なんて数倒す前に、絶対体力使い果たすよな、ってくらいの時間使っちまってたからな」


「うん」


 ロワの打つ相槌が、耳に入っているのかいないのか。カティフは背を預ける木の幹に、ずりずりと後頭部を擦りつけて、下方へとずり落としながら、小さな声でひとりごちる。


「なのに、さぁ。なんとかなっちまうんだもんなぁ……」


「……うん」


「俺は『どう考えても普通に無理』って思ったんだ。それが当たり前だって、普通に考えた。だけど、それを、俺のパーティの仲間が……同じように女神さまから加護を与えられた仲間が、普通に『できる』って、当たり前には程遠いことを考えて、そんで実際にやってのけちまった。俺は『無理』だとしか思えなかったことなのに」


「うん」


「そんなんさぁ……ひがむだろ。自分とあいつらの間に、いつの間にこんなに差ができてんだって思うだろ。……俺には女神さまの加護を与えられる資格なんてなかったんじゃねぇか、って思うだろ。もうアーケイジュミンさまに加護を返上した方がいいんじゃねぇか、とか頭ん中ぐるぐるしてよぉ……作戦がどうとか、俺の将来設計がどうとか、そんなん考える余裕ねぇわ、ぶっちゃけ。……そんなこと考えられるほど、俺は強くねぇ、って実感させられちまうよなぁ」


「そっか……」


 ロワがうなずくと、カティフは暗い目つきでこちらを見やり、「あーあーあーあー……」と呻きつつ地べたに寝転がった。カティフはパーティ内で唯一、兜から甲懸まで、すべて金属製の鎧を身に着けているので(当然ながら重量もそれ相応にあるのだが、重量軽減の術式が付与してある、親から受け継いだそこそこいい鎧だとかで、身に着けている分にはそこまで重さは感じないらしい)、そういうことをすると鎧の手入れがさらに大変になるため、普段鎧を着けながらそんな真似をすることはまずないのだが、今はそんなことを気にする余裕もないらしい。


「んっとによぉ……なんで、俺なんかに女神さまは加護をくれたんだろうな。いっそ加護なんてなければ、期待もされなきゃ物の数にも数えられない、いつもの俺の扱いと変わらない、その他大勢の雑魚としか見られなかっただろうに。俺なんかの、どこをアーケイジュミンさまは認めてくれたんだか、いくら考えても、ちっともわかんなくてよ……」


『カティの筋肉が好みだったからだって言ってたよ?』


 ……とは、さすがに言えない。たとえそれが真実でも。言ったら落ち込んでいるカティフを、さらに心底から絶望させてしまいそうな気がする。


 というか、カティフはたぶん、別に真実を求めているわけじゃない。今カティフがほしがっているのは、よかれあしかれ、自分を納得させてくれるだけの力のある『理屈』なのだ。自分の心を説得して、『それが正しい』と心の底から思わせてほしいのだ。そして、そんな理屈はたぶんどこにもないと思っているから、カティフはこうもうじうじと拗ねているわけで。


 ……そういう反応を、ロワとしては、『女々しい』『情けない』と思う部分ももちろんあるが、『共感できる』『気持ちはわかる』と感じている部分も確かにある。正直、自分がエベクレナの加護を断固として拒む理由の中には、カティフの心情に通ずるものが存在するのも確かだ、と思うのだ。


 なので、ロワは、みっともなく落ち込んで、うじうじと拗ねて、後ろ向きで非建設的な考えにどっぷりと浸っている、情けない自分の仲間に、考え考え、正直な気持ちを告げた。


「俺にも、女神さまの気持ちが、ちゃんとわかるわけじゃないけど……女神さまの気持ちが、俺たちにとって重要なわけじゃない、とは考えてらっしゃるんじゃないかな」


「……なんだそれ。どういうことだよ」


「だから、なんていうか……女神さまとしては、俺たちに、女神さまの気持ちを慮ったりはしてほしくないんじゃないかな、ってこと。俺たちと、女神さまは、それこそ存在の次元が違うんだから。思考の成り立ちも、感じてらっしゃることも、たぶん俺たちとはまったく違う道筋を通ってるんだろうと思う」


「……それ、女神さまとしょっちゅう会ってるから、俺には女神さまの気持ちがわかるっつー自慢か?」


 ぎろり、と変わらず暗い瞳で睨まれるものの、ロワはきっぱり首を振った。


「逆だ。何度も会ってるからこそ、俺たちじゃ女神さまの気持ちを完全には理解することはできない、っていうことだけはわかるっていう、自分の至らなさの告白だよ」


「なんだ、それ……」


「女神さまは、どの方も、個性や精神性はいろいろだけど、共通しているのは、俺たちとは違う次元の存在だってことだ。人間の、俺たちの心を、我がことのように感じたいって思われたとしても、そこにはどうしようもない断絶がある」


 そう、はっきり言って、女神の方々が自分たちになにを求めているのか、これまで何度も、『膝を突き合わせて』と言ってもいいぐらいの距離の近さで話し合ったのにもかかわらず、ロワにはよくわからなかった。顔とか眼鏡とか筋肉が加護を与えた理由だとも、自分たち仲間が仲良くすることが女神さまたちにとっても嬉しいことだとも教えられたが、それでも彼女たちが自分を助けようとする情熱の根源、あの苛烈なまでの熱意の根本となる動機には、まるで届いていない気がするのだ。


 だから自分にとって女神さまたちは、毎夜毎晩話していても、隔絶した強さを有する英雄たちと比べてすら、はるかに遠い方々だ。―――けれど。


「だけど、それでも、わかることはある。女神さまたちは……あの方々は、本当に、俺たちがしっかり生きて、幸福な終わりを迎えることを、なにより、誰より、望んでる。本当の、俺たちを選んだ理由の根本はわからないけど、他の誰でもない俺たちを、俺たちじゃなければ駄目だ、というくらいに強い気持ちで、フェド大陸中の人間の中から見つけて、幸せな人生を望み、加護を与えてくれてるってことはわかるんだ」


「し……幸せ? って、おい、なんだそりゃ。女神さまたちにとっちゃ、それこそ俺たちの幸せとかどうでもいい……っつーか、軽いもんだろ? 人間の個人的な面倒ごとなんて、気にしてる余裕なんてないだろ、だって女神さまなんだからよ」


 ひどく愕然とした面持ちで言い募るカティフに、ロワはまたも、きっぱりと首を振る。女神さまたちの心の次元の違いはわからなくとも、この気持ちは間違いなくロワの心が実感し、エベクレナたちを尊敬する理由となった、間違いないと言いきれる真実だ。


「うん、女神さまたちは本当に、日々フェド大陸が、世界が無事運営されるよう、全力を尽くして働いてくれてる。俺も、そんな余裕ないだろう、俺たちひとりひとりのことを気にする暇なんてないだろう、って思ったんだ。――だけど、それでも、あの方たちは、フェド大陸のすべての人間の中から、俺たちを見出して、気にかけてくれている。仕事に忙殺される日々の中で、俺たちが幸せに生きることを、心の支えになる歓びのひとつとして受け容れてくれているんだ」


「っ……」


「……俺は、あの方たちの心を、裏切りたくない、って思うよ。俺たちに与えられる加護のすべては、あの方たちが世界のために全力を尽くすことで生まれた力から、あの方たちの生から絞り出すようにして与えられたものなんだから」


 たとえそれが、次元が違うせいで、なんでそんな風に感じるのかさっぱりわからない想いからくるものだったとしても。その熱意は、誠心は、間違いなく自分にも感じ取れたから。


「だから、カティ。お前がそうしたいって思うんだったら、なにもかも放り出して足を止めてもいいと思うんだ。それがお前の幸せに繋がるのなら、アーケイジュミンさまはたぶん、拒みはしないと思う」


「………、…………」


「だけど……お前にとっては、それって、絶対にしたくないことなんだろ?」


「……なんで、そう思う」


 ぶっきらぼうにそう言われ、ロワは思わずきょとんと首を傾げた。


「だって、カティ、なんのかんので責任感強いだろ。自分のやらなきゃならないことから逃げるのとか、好きじゃないじゃないか。これまで、何度俺たちを助けてきてくれたと思ってるんだよ。そのくらいのこと嫌でもわかるって」


「……………」


 顔をふいと逸らし、顔をしかめて奥歯を噛み締めるカティフに、ロワはできるだけ端的に、結論を述べる。


「だから、まぁ……心配しないで、求められてることに、集中して応えてもいいと思うよ。カティが自分を情けないとか、女神の加護に値しないとか思ってても、アーケイジュミンさまの気持ちは、たぶん揺らがないと思うしさ。その気持ちがどこからくるのか、考えたいなら考えてもいいと思うけど……とりあえず今は、作戦に必要なことを考えてても、アーケイジュミンさまは怒らないんじゃないか? どっちの話にしろ、俺も相談相手くらいならつきあうしさ」


「……………」


 カティフは、はぁぁ、と深々息をつき、のろのろと立ち上がると、ぺしん、とロワの頭を軽くはたいた。


「わ。な、なに?」


「いい年した男が、自分よりはるかに年下の奴に、ほいほい相談事なんぞできるかっつーの。お前、男のくせに男心ってもんがまるでわかってねぇな」


「えぇ……? それ、男心とか、そういうのと関係あるか?」


「わかってねぇ。お前、ほんっとわかってねぇよ」


 嘆かわしげに、お手上げの仕草をしてみせてから、カティフは足早に、自分たちの簡易鍛錬場(もともと木立の中にあった広場を、空間創生術式で広げたらしい。立ち回りにも不自由はないし、自分たち程度では攻撃術式の狙いを外しても、この空間の外に被害は出ないのだとか)へと戻りつつ、ぼそりと呟く。


「まぁ、一応、今回は礼言っとくけどな。……ありがとよ」


「……どういたしまして」


 やれやれ、とロワも肩をすくめてから、カティフを追う。とりあえず、英雄たちがいつ鍛錬を再開しても、叱られない程度の精神力は戻ったようで、なによりだ。

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