第40話 会議は踊ることすらなく

「ちょっ……ちょっと待ってください! いきなりそんな……なんでそんなことに!? 五つの空間形成極点は、これまでとは比べ物にならないような強力な邪神の眷族が、一箇所につき一体、がっちり守護しているわけですよね!? そこに、僕たちだけで突っ込めと!?」


「なっ、なななっ、なんでっすか! 俺らなんかそんなまずいことやっちゃいました!? あっジルのせいですか!? このクソガキは本当話にならねぇクソガキだというのは承知してますがっ、頭地べたに擦りつけて詫びさせますんで、ここはどうかひとつ……!」


「そういう問題ではないのよ。もっと単純で、そして重要な理由があるの」


「重要な理由……」


「……と、いうと?」


「さっき、私たちが説明したでしょう? 相手にまだ私たちの存在が看破されていない可能性が高いこと。おそらく向こうは、まだ私たちを、あなたに協力する人間側の戦力のことを舐めていると。その状況をできる限り継続させたいの」


「な……なんで、ですか?」


「わからないかな? 今回の作戦が無事遂行されれば、よほどまずい結果に終わらない限りは、私たちは可及的速やかに邪鬼・汪の形成した異空間を崩壊させて、通常空間に放り出された邪鬼・汪の本拠地へと乗り込むことになるんだよ?」


「は、はぁ。……それが?」


「つまり、今回の一件においては、最後の戦いが始まるってわけさ。向こうはもう逃げられない、こっちは最大戦力を全力で目標にぶち当てることだけ考える、そういう戦いが始まることになる」


「で、そういう状況を作るためには、邪鬼・汪の異空間を完全に崩壊させた上で、転移能力を一時的にでも封じなけりゃならない。空間制御系の術法使いや能力者にとって、自分の創った異空間なんてのは、強固な根城である以上に、自身の能力のこの上ない拡張媒体だからな。逃げ道の類は気軽にいくらでも作れるし、罠の類もえげつないくらい凝った代物を簡単に配置しやすい。要するに、敵の創った異空間に、なんの対策も取らずに突っ込むなんざ、自殺行為だってこった」


「そして、強力な転移能力者が創り上げた異空間を他者が壊すには、創造に層倍する労力が必要になるわ。空間形成極点を壊すのは必須事項だけれど、向こうが受け身を取れないくらいに完膚なきまでに、対応策も取れないほど容赦なく叩き壊すためには、それなりの準備がいる、というわけ。これが理由の半分ね」


「半分……?」


「さっきルタも、タクも言っていただろう? こっちのことをできる限り舐めたままでいてほしい、と。向こうに警戒されるとね、それだけ異空間を叩き壊す難易度が跳ね上がるんだよ。籠城してる城に突入するみたいなものでね、向こうが気づかないうちに内部に入って城門の鍵を壊して、戦力――この場合は異空間を破壊するための術式だね、を一気に侵入させるのが、労力的にも時間的にも一番効率がいいのさ。その上向こうはその気になればいくらでも、どこにでも逃げ出せる相手だ。力を入れて創り上げただろう、異空間の本拠地を、気軽に捨てたりはしないと思うけど、一時避難とか、一部脱出くらいはしてのけるかもしれない。そしてその場合、こちらが敵を補足するには、これまでの数倍、数十倍の労力と時間がかかってしまう」


「もちろん、単純な戦術的優位としても、敵がこちらを侮ってるところを不意討ちできる、ってのは大きい。相手に対応されないうちに、一気呵成に攻め込んで押し切る、ってのは戦力が揃ってるなら策としては堅い手だ。要は、不意打ちの効果が、今回はめちゃくちゃにでかい、ってこったね」


「こっちを舐めてくれてる今のうちに、なんとかカタをつけてぇのさ。大して被害の出てない今のうちなら、補償だなんだって面倒な政治の問題も出てきようがない。冒険者が仕事をしてくれた、ってだけで終えられる。まぁゾヌの連中の方は、自分たちの手柄を喧伝して、あっちこっちの国から金を巻き上げたりなんだりする材料に使うのかもしれねぇが、実際俺らに金を出してくれてるのはゾヌだしな。常識の範囲内ならまぁご自由に、ってこった」


「タク、皮算用はやめて。まだ私たちは邪鬼・汪と直接相対してもいないのよ? 相手を侮らせるつもりが逆に侮って不覚を取った、なんて間抜けな結末はごめんだわ」


「おっと、そうだな。悪い悪い」


「逆に言うと、だ。異空間を素早く崩壊させることさえできれば、邪鬼・汪の転移能力を封じるのは、比較的たやすいと我々は考えている。前回、前々回の戦いで、私も邪鬼・汪の転移能力を間近で確認し、情報を集める機会があった。それを精査した限りでは、彼の転移能力はおそらく生来有するもの。当然のように身に着けていた、使えて当然の能力だ。そういった、能力者として能力を使う者は、術法――法理のもとに力を解析され、弱点を見抜かれ、封じられることに非常に弱い。使えることが当たり前だったから、『当たり前でない状況』に対応することも、封印を強引に敗れるほどの力――自身の有する性能以上のものを発揮することも、ひどく難しいのだね。『技術』ではなく『能力』の、それが限界ということさ」


「まとめるよ。あたしたちは、邪鬼・汪を警戒させず、不意を討つために、人間側の戦力をできる限り舐めていてもらうために、今回の作戦ではできる限り陰に潜む。その間に異空間を素早く崩壊させるための、敵の本拠地に一気に攻め込むための準備をする。だからあんたたちには、少なくとも戦いにおいては、基本的にあたしたちの助けなしに、自力だけでなんとか、極力カティに英霊を降ろせるよう試みつつ、できる限り早急に、できることなら一撃で、かつ一瞬で、邪鬼・汪の創った空間形成極点を破壊してほしい。これまでの条件を踏まえて、そのための作戦をあんたたちには立ててもらう。なにか質問はあるかい?」


『…………』


「あ。そういや、俺たち、みなさんの助けなしで、どーやってその、空間形成極点? の、ある場所まで行くんすか? 大陸のあっちこっちにあるんすよね?」


 そういえば、という感じでぽろりと漏らしたヒュノの言葉に、シクセジリューアムは即座に、かつきっぱりと答えた。


「その件については心配ない。私が五箇所それぞれに対応した、転移用の魔術具を準備する。君たちが作戦を策定するまでには作り終えておくよ」


「え……あの、転移用の術法具って、確かどれもとんでもない値段するんじゃなかったでしたっけ……?」


「私が作るんだから、材料費だけしかかからないよ。たぶん億はいかないんじゃないかな?」


『…………!』


「あ、あの、それ……経費、ですよね?」


 おそるおそる問うと、シクセジリューアムは呆れ果てた、という顔をして肩をすくめた。


「それ以外のなにに計上しろと? 実際に依頼を果たすために必要なものだというのに、君たちに無理やり売りつけたところで、小金を稼ぐ以外のなにになるというんだい、馬鹿馬鹿しい」


「億に近いぐらいすんのに、小金……?」


「君は私たちが、今回の依頼を無事果たした時に受け取る金額を忘れているのかな? ついでに言えば、それくらいの金額を一件の依頼に対する報酬として得るのは初めてではあるが、貯金や投資のために使う数字としてならば、見るのは別に初めてではないよ」


『……………』


 今回の依頼の報酬、すなわち一兆。それだけの金額を、自分の持ち金として見るのが初めてではない。つまり、根本的な資産額が、一般庶民とは桁が違うわけだ。それは確かに、億にもならない程度の金額は小金扱いされる、かもしれない。その金額は人の人生を変えるに十分すぎる額だということは、理解はしているだろうが、肌身に沁みた実感はあまりしていないのだろう。そういう金銭感覚が庶民の反感を買うという事実も、それに同じく。


「おばさん……あんた、ほんっとーにムカつく奴だなー! こんだけ性格ねじ曲がってて金持ちとか、そりゃ友達できないのも当たり前だよ!」


「〝七十八番返礼しっぺい〟」


「あだだだだだ、いだだだ!!」


「さて――他に質問は?」


「えっと……あの、ひとつ聞いてもいいですか」


「どうぞ、ロワくん。傾聴に値する質問を頼むよ」


「………その。俺たちが、具体的な作戦を立てるってことですけど。その作戦を立てるまでの、期限って、ないんですか? 制限時間っていうか……」


「ふむ、なるほどね。確かにそれは言っておくべきか。明確な期限というものは当然存在しないにしろ、我々がとりあえずの目算として設定した制限時間は、二日だね。少なくとも明後日の朝には、準備万端整えて、空間形成極点を破壊するための戦いに出発してもらいたい」


「二日……」


 思わず呟くと、タスレクがにやっと笑ってこちらに歩み寄り、軽く(程度の力でも地面に沈み込みそうな勢いはあったが)、背中を叩く。


「ま、心配すんな。その間は俺たちもこの場にとどまって、お前らの護衛と鍛錬の指導を、みっちりやってやるからよ」


「……え? この場、って……」


「ええとつまり、野宿しながら作戦を立てろ、と?」


「別にどこにいたって、作戦の立案能力に変化があるわけでもないでしょう? 思考力以外に必要なものがあるというなら、私たちが用意してあげるわよ」


「というかね、これも邪鬼・汪にこちらを舐めきらせるために必要な一手なのさ。あれだけ大規模な浄化の風を吹かせたんだから、その発動地点であるこの場所と、ここに居座ってるあたしたちは、当然ながらもう邪鬼・汪に捕捉されて、監視の目をつけられてる」


「えぇ!?」


「そ、それってすげー駄目な展開じゃ……」


「自分の作戦を三度、下手をすれば四度、こうも完膚なきまでに叩き潰されたんだ。向こうもこっちを警戒していて当たり前だし、補足することができていないのならやっきになってあちらこちらを探りまくるはず。そうなると、ゾヌのギルドの事務員たちをはじめ、あたしらがゾヌから依頼を請けたことを知ってる奴らから、あたしたちの素性が知れる可能性も高くなるし、あたしたちを見つけるや、やっきになって全力で様子を精査しようとするだろう。だが、探した場所の初っ端からあたしたちを補足できたなら、ある程度はこちらを見る目も甘くなる――この場に陣取ってるのはそれを期待してのことさ」


「相手に隠蔽していることを悟らせない、ってのは隠蔽の基礎にして極意だからな。向こうがこっちを舐めてくれてるって算段のもとに、大規模な浄化の風を吹かせた始点に居座ってりゃ、全力で探査に労力を割くなんてことはまずしない、と俺らは観た。まあ向こうがそういうことも考えに入れて情報収集する奴だったら意味はないが、今のところ俺らの警報が鳴ってないからな、偽装が見破られてるって可能性はねぇだろう。それなら地道に、相手の油断を誘いやすい点を積み重ねていくのが、今の状況下ではそれなりに効く」


「つまりあなたたちは、なんの心配もしなくていいから、作戦立案と鍛錬に集中していろ、ということよ」


「……ええと、作戦立案に全力を注ぐわけにはいかない、のでしょうか?」


「鍛錬は毎日やって、初めて意味があるものだろう? 君たちが戦いの中で感得した能力を身に着けさせるためにも、短い時間で的確に、能力技術を習得させる鍛錬法を教授するからね、心配はいらないよ」


「は、はぁ……」


「それとも……この作戦に、なにか問題点でも見つけたのかな? それならどうか指摘してくれたまえ。新しい複数の視点を入れることは、作戦の品質向上には欠かせないからね。どんな指摘でも大歓迎だとも」


「………えっ、と………」


 ロワも仲間たちも、シクセジリューアムににっこり笑ってそう言われた上で、これ以上どうこう言えるほど、立派な度胸も頭脳も持ち合わせてはいなかった。言われた通りにやるしかないか、と覚悟を決めて、『ないです……』と声を揃えるしかできなかったのだ。


 ……英雄たちに採点されてもまともな点が取れるほど、立派な作戦を立てられる自信だって、誰も持ち合わせてはいなかったのだが。




   *   *   *




「………だぁぁあ~わっかんねぇ。ぜんっぜんわっかんねぇよおぉ~……!」


 カティフが苦悶の声を上げながら、がりがり頭を掻いて後ろに倒れ込む。(狭いとはいえ他に落ち着いて会話できそうな場所がなかったのでやむなく)天幕の中で、文字通りの作戦会議を行っていたのだが、まともに進まないったらありゃしない。


「そもそもカティがどういった英霊を降ろしてほしいか、どんな能力を身に着けたいかという展望がまるで固まっていないんだ、出発点にすら立っていないんだから、まともな作戦会議になるはずがないだろう」


 ぶっきらぼうにネーツェが言えば、


「は!? んなこと今言って作戦立てる役に立つのかよ!? っつーかそれを承知の上でなんかいい作戦考えつかないか、ってことで今話し合ってたんだろ!?」


 カティフがムキになって怒鳴り、


「っつーかさ、全然別の場所にいる五体を、一瞬で、一撃で倒すって、どうやんだろーな? 俺何度も考えたんだけどそこが全然わかんなくってさー」


 ヒュノは何度も繰り返し語った疑問を口にして(それが気になりすぎて他のことを考える余裕がないらしい)、


「ていうか俺もう疲れたぁ~……今日もう寝ようぜ~、これ以上話しててもまともな作戦出てこねーよ絶対」


 ジルディンはあっさり諦めて天幕の中でごろごろし始める。


 実際作戦を立てるための出発地点にも立ってないよな、とロワは諦めを込めてため息をついた。カティフの件もそうだが、それ以上に自分たちの中に、複雑な作戦を立てるほどの戦術眼を持っている人材がいない。


 そして今日は、間に休息を挟んでいるとはいえ、一日刻ジァンで、十四万の邪鬼の眷族を殲滅したあとで、みっちりついさっきまで鍛錬で絞られる、という過酷で過密な時間を過ごさせられてきたのだ。体力は回復させられているとはいえ、神経はくたびれるし、そんな状態で頭を使っても、いい案がそうそう出てくるとは思えない。


 だがそれでも、余裕は明日いっぱいしかない。立てた作戦が英雄たちにぼっこぼこに駄目出しをされるだろうことを考えると、少しでも早くある程度の概要くらいは思いついておきたい。


 というわけでパーティ全員でああだこうだと考えているのだが、『時間配分的にここまでに思いついておくべきだから』という理由で、時間内にほいほいいい案が思いつけるなら、『予定の遅れ』という概念がここまで一般化するはずがない。普通の人間は、締め切りがどんなに厳守されるべきものだろうとも、簡単に予定通りに作業をこなせるようにはできていないのだ。


「っていうかさー、これ俺らが考えなきゃなんないもんじゃなくねー? どうせどんな案出したってあの英雄の奴らがみんなしてなんだかんだ文句言うんだろ? なのになんで俺らがそんな頑張んなきゃなんないんだよ、おかしーだろ?」


「お前その理屈は一般社会では絶対に通用しないからな……かといって、三つの作戦目標を不完全にでも達成できる作戦となると、やはりどうしても、英雄の方々の超技術を当てにしないわけにはいかない、と思うんだが……」


「それをそのまんま言ったところで、英雄のみなさんが納得してくださるわきゃねーしな……」


「うーん……」


「っつーかさ、全然別の場所にいる五体を、一瞬で、一撃で倒すって、どうやんだろーな? 俺何度も考えたんだけど……」


「それはもう聞いた! そっくり同じことを何度も何度も言うな! イラつくだけだから!」


「え、けどお前らだってさっきから似たようなことしか言ってなくね?」


「うぐっ……! ま、まぁ、そうなんだが……反論はできないがっ……」


「だからさー、もう寝ようぜー! 絶対今日中に思いつくのとか無理だって! 英雄の奴ら相談に乗ってくれるっつってんだからさ、あいつらからなんか案引き出せばいーじゃん!」


「だからお前その英雄の方々に当然のように態度がでかいのやめろや! 本気でひやっひやすんだよ!」


「………うーん………」


 唸ってはみたものの、ロワも他の仲間たちも、特に思いつくことがあるわけでもないので、ジルディンの言う通り、なんの成果もないまま、明日英雄たちに相談してみるしかない、という結論になった。皮肉を言われたり叱られたりする可能性は大きい、というかそういう可能性しかないが、他にやりようが思いつかない以上仕方がない。


「はぁ……じゃ、寝るか。あー、明日もまた英雄のみなさんにいろんな方面でぼっこぼこにされるのかぁ……目ぇ覚ましたくねぇなぁ……」


「まぁそう言うなって、生きられてるだけ幸せと思って頑張ろうぜ。おやすみー」


「そんな境地にほいほい至れたら世の中に賢者とか生まれてないだろうけどな! おやすみ!」


「いいから寝ちゃおうぜ、明日のことは明日の誰かがなんとかしてくれるって。おやすみー」


「それ、お前がなんとかさせられる可能性、それなりにあるんだからな。おやすみ……」


 就寝の挨拶を言い合って、五人揃って寝転がり毛布をかぶって、目を閉じた。シクセジリューアムが遅発術式も込みでかけてくれていた、導眠の術式が発動し、自分たちはあっという間に眠りに落ちる。






 ―――そして以下略、エベクレナが目の前で土下座していた。


「いやあの、エベクレナさま、本当に俺気にしてませんから。頭上げてくださいよ」


「いや気にしてないとかどうとかいう以前の問題で……ホンット、真面目に、ガチで申し訳ありません……私的にどうしても譲れない理由があったゆえとはいえ……ああも醜い女の争いを、思春期少年に見せるとか、人として最悪の行為ですよね……推し活がどうとか以前の問題ですよね……あの後、ゾっさんとの言い合いが落ち着いた後、私も真面目に反省しまして……」


「いや、その……まぁ、女性同士の言い争いとしては、すごく微笑ましい部類に入る内容だったと思いますし……ちゃんとゾシュキアさまとも、仲直りされたんですよね?」


「はい、まぁ……喧嘩の理由が百パー私の醜い嫉妬からくるものだったんで、私の方が素直に頭下げまして……ゾっさんも気持ちはわかるところもあるし、って許してくれました。本当に申し訳ありませんでした、なんかもう人としても、曲がりなりにも推し活してて、推しの幸せをなにより願う女としても、本当に自分が恥ずかしくて恥ずかしくて……」


「いや、だから本当頭上げてくださいってば。まぁ、その……ちょっと怖い、とは正直、確かに思いましたけど……」


「ううぅぅ……」


「いや、あのだから本当、女性同士の言い争いにしては充分和やかな部類でしたし! ちゃんとお二人が友達でいられる範囲の喧嘩で済んでよかったですよ、本当に。俺としては、そこが正直心配だったんで、そういう問題が起きてないなら、全然文句とかないです、真面目に」


「ううぅっ……優しい……優しすぎる……天使さしかない……神がこんな子をこの世に遣わしてくれるとか、奇跡すぎる……五体投地して感謝の祈り捧げるしかないレベル……うぅっ」


 そんないつも通りのやり取りを経たあとで、エベクレナはよっこらしょっと立ち上がり、一応落ち込みからは回復した顔をしながらも、物憂げな表情で、おずおずとロワに話しかける。


「で……ですね。今回もまた、私の友達の神の眷族を、ウィンドゥ越しにここに呼んで、お話してもらうっていうのがエンジニアの方々からの指示なんですけど」


「あ、はい。残ってるのは、アーケイジュミンさまですよね? 愛と豊穣の女神の……」


「はぁ……まぁ。そうなんですけど……。……私、ぶっちゃけ、アジュさんをあなたに合わせるの、すんごく嫌で……」


「え。な、なんでですか。俺がなにかふさわしくないこととかしちゃいました……?」


「いえ、そうじゃなく。こっちというか、アジュさんの方の問題で、ですね」


「え、問題……と、いうと?」


「……恥じらいを捨てて、正直に、友人の恥を告白しますと、ですね。アジュさんって、会話に下ネタ挟む率が、すんごい高いんですよ!!」


 くわっ、と目を見開かれてそう言われ、ロワは思わずぱちぱちと目を瞬かせた。


「は、はぁ。それが、問題……ですか?」


「問題どころの話じゃないです超大問題ですよ! 女同士、友達同士で話してる時は別にいいんですよ、内輪の話ですし、アジュさんの話面白いし。だけどあの人、そのノリいつどんな時でもどんな相手でも変えなくて! 男の人相手に女同士でしか話せないような下ネタ怒濤の勢いで話しまくるし! ぶっちゃけ私アジュさんのノリに引かなかった男の人とか一人も知らないです! 成人男性ですらそうなのに、思春期男子、それも私の! ガチで全力で推してる相手にあのノリで喋られまくるとか、正直考えただけでキレそうになるんですが……!!」


「はぁ……でも、あの。アーケイジュミンさんは、お仕事でおいでになるわけですよね? だったら、来ないでもらうわけには、いかないのでは……?」


「はい……まぁ、そうなんですけどね。仕方ないんですけど。受け入れざるをえないんですけど……。でも本当! 本気で気をつけてくださいね、ロワくん! あの人ガチでデリカシーとか皆無ですから! えっげつない下ネタ挨拶みたいに笑顔でぽんぽん振ってきますから! 私も全力でフォローしますが、必要以上に会話して精神汚染されないように、マジでガチで気をつけてくださいね! ロワくんの誰も足跡をつけていない庭の雪のごとく、ピュアっピュアな心に土足で踏み入らせないよう、私全身全霊で頑張りますから!」


「はぁ………」


 目を血走らせながら迫ってくるエベクレナに気圧されながらも、ロワは気の抜けた相槌を打つ。正直、エベクレナの気の回しすぎとしか思えない。男が引くというが、それは女神さまなのだから、話す男といえば神さまだから、なのではないだろうか。自分は別に、きれいな人生を歩んできたわけでも甘やかされて育てられてきたわけでもない。男同士で下世話な話もしたりする。そんな奴が、女神さまに穢されるとか、それこそ見当違いな懸念だろう。


 ――アーケイジュミンと会って、一短刻ナキャンほど経つまでは、本気でそう思っていた。






「こんにちはぁ。アーケイジュミンでぇす、よろしくねぇ?」


 その女神は、一度姿を垣間見た時と同じ、濃茶の髪を結い上げた、褐色の肌の、むっちりとした体つきなのにたるんだところのない、という姿で、水晶の窓の向こうから、身を乗り出すようにして挨拶してくる。ぼってりとした唇の端を柔らかく吊り上げた笑顔も、甘ったるい声も、頭から指先まで色気に浸りきっているようで、正直目を合わせることすらためらわれる気すらしたが、女神さまに失礼があってはならない、と自分を叱咤し、真っ向から頭を下げる。


「ロワです。よろしくお願いします、アーケイジュミンさま」


「ぅっふぅ、真面目な子ねぇ? エベっちゃんが贔屓にするの、わかるなぁ」


「……ちょっとアジュさん、やめてくださいよその接客嬢ムーブ。友達やってる身としては、見てるだけで恥ずかしくなるんですが」


「えー? だってせっかくこんなリクエスト通りの顔と体に転生できたのに、思春期男子をうろたえさせる、せっかくの機会を活用できないとか哀しくない?」


「気持ちはちょっとわからないでもないですが却下です! ド却下です! 人の推しに目の前でそんな真似しくさるとか、領空侵犯とみなして徹底抗戦しますからね!」


「えー……まいっか。まぁ友達の推し対象に、あんまりちょっかいかけるのも悪いしね」


 言ってアーケイジュミンは、表情を一変させた。にこっと、顔全体が笑っているような、朗らかで健康的な笑顔を浮かべ(それでも匂い立つ色気が薄れることはなかったが)、楽しげな声であいさつをやり直す。


「改めまして、アーケイジュミンです。よろしくね、ロワくん」


「あ、は、はい。よろしくお願いします」


「ごっめんねぇ、あたしももうちょいお色気モードの応対とかしたかったんだけどさ、エベっちゃんって拗ねるとけっこうめんどくさいからさ。まぁめんどくさいところが逆に可愛かったりもするんだけど。ロワくんもそーいうとこが好きだったりすんでしょ?」


「へっ!?」


「ちょっとぉぉぉっ!! そーいう方向の冷やかしとか、真面目に一番求めてないんですけどぉぉ!?」


「あ、そう。これ駄目なのか。じゃあ……」


 アーケイジュミンは一瞬考えてから、ロワににこっと、満面の笑顔で笑いかけ、問うてきた。


「じゃあさ、ロワくん。一人上手の時のお気に入りのオカズとか、ある?」


「………へっ?」


「ちょっとぉぉぉっ!!! そーいう話題やめてくれって言いましたよね私、何度も何度も念押しましたよねぇぇ!! 相手は本気で真面目に真実実在する思春期男子なんですがぁ!!?」


「え、これも駄目? じゃあ……うん、そーだね。ロワくん、君ってケツのラインがイイね! 安産型! ガッツンガッツン出し入れしてもわりかし大丈夫そう!」


「え………」


「悪化してんじゃないですかぁぁ!!! アジュさんあんた人の話聞く気あるんですかぁぁ!!?」


「えー、だってロワくんって童貞なんでしょ? なのにあたしのおっぱいとエベっちゃんのおっぱいどっちが好み? とか聞くのはさすがに悪いかなって思って。フツーに経験する前から寸止めプレイとかしてたら性癖歪むじゃん? さすがにそれは申し訳ないかなって」


「だから! その……っぱぃとか! プレイとか! そういう発言をするなって! 言ってるんですっ!」


「え、いやだって、そういう発言しない状態で、なに話すの? あたし前世生理重めで量も多かったからナプキンだけじゃやばくてさー、みたいな愚痴語ってもしょうがなくない? 男子相手に」


「うがぁぁぁ! ほんっとこの人! ほんっとこの人はぁぁ!!!」


 荒れ狂うエベクレナと、その勢いを平然と水晶の窓の向こうで受け流し続けるアーケイジュミンの横で、できる限り空気との一体化を試みつつも、ロワは自分の顔が熱くなっているのを感じていた。なにを言っているのかよくわからないところもいっぱいあるが――少なくともアーケイジュミンという女神さまが、エベクレナの言っていた通りの方だというのは、これ以上なくよくわかったのだ。

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