第五章 邪なる拠点襲撃戦

第39話 進路指導の悩み方

「……わかるかな? つまり、君が将来的にどんな冒険者になるかを、早急に決めてもらわなければ困るわけだよ」


 地べたに正座するカティフに向けて、野外用の小さな椅子に足を組んで座りながら、上からの目線で余裕たっぷりの笑顔を向けて、シクセジリューアムはぴしっ、と軽く指を鳴らしつつそう言ってみせた。


「は、はい。そっすね………」


「なんだい、その言い方は。本当にわかっているのかな? 『次回の戦闘時には、できる限り君に英霊を降ろしてもらうことを最重要視する。カティフくんの実力を向上させるとともに、最終的に邪鬼・汪との対決の際に、いかなる姿勢・態勢・陣形で挑むべきか、模擬実験を行うつもりで取り組んでほしい』という私の単純な理屈が、本当に理解できているのかな? もちろん、こんな論旨が理解できない者など愚かな子供しかいないだろうから、あくまでこの疑問は修辞技法でしかないのだけどね?」


「……なーなーっ、このおばさん、なんか俺に嫌味っぽくねっ?」


「……いや、別にお前だけに嫌味っぽいわけじゃないから。気にするなよ」


 まぁ、この場合は主にジルディンに対する嫌味で言っているのだろうが。


 ただ、気になるところがないでもなかった。発言の内容自体は、これまでと特に変わったところがあるわけではない。カティフの戦力を高めるために英霊を降ろすことも、そのためにはいかなる英霊を喚ぶか、すなわちカティフが戦力としてどのような型を目指すか、つまりどんな冒険者になりたいかということを定めなくてはならないことも、既にもう知らされていることだ。


 だがなんというか。言いようがこれまでとは違っているというか。中年男性の姿から、本来の少女の姿になったとたん、口ぶりがやたらと嫌味っぽくなっているというか――


「そこの神官崩れの子供。陰口を叩きたいのなら、せめて相手に聞かれない、見られない場所でやることだね。それから陰口の内容も少しは磨きたまえ。陰口をたたいた相手に、自身の知性の欠如を指摘されたくないのならね?」


「しっ、神官崩れじゃないし。今も神官だし」


「ああ、そうか、神官見習いにもなれなかったのだから、確かに神官崩れではないね。君のような人格を神官という範疇に入れてしまっては、あまりに日々修行を積んでいる神官諸兄の苦労が報われなさすぎる」


「む、むぐ、むぎ……」


「悪いな、お前ら。こいつ、この姿になるといっつもこうなんだよな。中年男の顔だと、対外的な場所でよく使ってるからかは知らんが、それなりに穏やかなんだが。この格好だと、いつも回りすぎるほど口が回るんだ」


 苦笑するタスレクに、グェレーテとルタジュレナも苦笑ぎみに言葉を添える。


「それだけ素の顔だってことなのか、可愛いところも見せてくれるんだけどねぇ。たいていの子は言葉のとげが引っかかって、可愛いと思うより先に、泣く羽目になるのさ」


「肉体年齢を子供に近い年頃で固定させているからなのか、知性は老成していても、精神は子供っぽいということかとも思うのだけれどね」


「なんだい、その言い草は。可愛いところもなにも、私のこの姿は、どこから見ても死角なく、完全無欠に可愛らしい美少女だろうに。私は年齢相応に見てくれには気を使っているんだ、教授職だしね。研究一筋で、必要最低限しか身なりに気を使っていないルタと比べれば、明らかに私の方が風采は上だと思うのだがね?」


「へっ……」


「人を容姿に不自由な人間のように言わないでちょうだい。私は単に、優先順位がはっきりしているだけよ。私にとっては今の自分の研究が何より大事、少なくとも人を不快にさせない程度には整えているのだから、文句はないでしょう?」


「へっ?」


「はは、ルタの言うこともまぁわかるんだけどね。女でそういう風にはっきり、『見てくれの優先順位が低い』って言っちまえる奴は少数派だとは思うよ。あたしだって、もういい加減いい年だってのに、うっかり好みの男に会った時のことなんかを考えちまうと、やっぱりどうしてもある程度、身づくろいに労力割いちまうしさ」


「へっ!?」


 意味がわからない、というようにぽかんと口を開けるカティフをはじめ、それぞれシクセジリューアムたちの話の内容がよくわからず首を傾げている自分たちを、タスレクが苦笑しながら少し離れた場所に立ち、こいこいと手招きする。なんだなんだと自分たちが寄っていくと、しゃがみ込んで車座になった格好で、小さく、かつ自分たちの耳に直接響く声で(声に指向性を持たせて、自分たちの耳以外には届かないようにしているのだ。練生術にそういう術式があるとは聞いたことが在るが、複数相手にそれをこなすとはさすがの練度だ)、教えてくれた。


「……お前ら、言いたいことはまぁわかるが、そのすっとんきょうな面やめろ、女の前で。お前ら、鍛生術については知ってんだろ?」


「え、は、はい。それはもちろん……」


「魔力で生命力を効率よく循環させて燃焼させることで、肉体の強度をはじめとした能力を効率よく向上させる、訓練用の術法ですよね? 前衛ならば必須の術法ですから、冒険者なのに知らない方がおかしいでしょう」


 というか、自分たち――ロワもヒュノもカティフも、その基礎ぐらいは身に着けている。冒険者ギルドに入る前の試験対策や、入った後で希望者にギルドが行う講義(代金は依頼料から差っ引かれる)などで、前衛を志す冒険者なら、基礎や初歩くらいまでは全員身に着けさせられるのだ。


「ああ、その鍛生術が、だ。極めれば身操術として、つまり肉体をある程度までなら自由に変異させる術法としても使える、って知ってるか」


「え……。え、えぇっ!? えっ、じゃっじゃあっ、シリュさんとかルタさんとかの超絶美女美少女顔って、作り物なんすかっ!?」


 それこそすっとんきょうとしか言いようのない大声でカティフが勢いよく立ち上がって叫んだ。仲間たちが揃って全員仰天し、慌ててその勢いを抑え込もうとする。


「なにを言っているんだこのバカ死にたいのかっ!」


「女の人に対してその言い方はまずいだろ……!」


「だっ、だって、だってよぉっ! おかしいだろ、信じられねぇだろそんなの! やっべぇ超絶美人だと思ってたルタジュレナさまが必要最低限で? グェレーテさんが身なりに労力つぎ込んでて? で、中年のおっさんだと思ってたシクセジリューアムさんが実は毒舌美少女で、しかも全員の顔が作りものでした、って!? 女ってもんが信じられなくなる事態だろこれ!!」


「……私に言わせればあなたのその言動こそが、男というものの信用を損なっている行為だと思うけれどね」


「ひぇっ?」


「あたしが身なりに労力割いてちゃおかしいってかい? どういうことだかちょっと聞かせてもらおうじゃないか」


「ひっ、あっ、あのっ、そのっ……」


「私は間違ったことを言われているわけではないから、気にはしないけどね。この姿をさらしていると気分も若やいでしまって、舌鋒が鋭くなるのも、そしてもちろんこの姿の私が美少女であるのも確かだし。……ただ、術法を研究する者の一人として、訂正はさせてもらおうか。私たちの顔は、別に作りものというわけではないよ」


「へっ?」


「言うなれば、そうだな。心身の健康を整える一環、というだけのことさ。鍛生術という術法が、肉体そのものの性能を向上させるためのものだということはわかっているね? 冒険者として上を目指すのならば、後衛であろうとも身に着けておくのが当然とされるほど、汎用性の高い術法であることも。心身から病魔を祓い、体調を整え、体にかかる負荷を軽減して怪我や体調不良を防ぐ――そういった『健康』はどんな冒険者でも、いやむしろどんな人間にとっても必要で重要なものだ。そしてその延長線上に、『容姿』も存在するというだけなのだよ」


「え? へ……つ、つまり?」


「わからないかい? 高位の鍛生術を修めた人間は、高位の健康な肉体をいついかなる時も保ちうる。それこそ肌の調子や髪の艶、声音や体臭についてさえもね。顔貌についても同様だ。君だって『年を経た人間は自分の顔に責任を持たなくてはならない』という言葉ぐらいは知っているだろう? つまり、顔には生き方が出るんだ。これまでの人生をどう過ごしてきたかが、顔貌には、もちろん体型や一見した時の雰囲気についても、如実に表れる。高位の鍛生術を扱う者は、その『これまでの人生』を、これ以上ないほど健康的な、素晴らしい代物として体に認識させることができるのさ」


「え、や、でも……いっくらなんだって、それでそんなに、顔が変わるもんなんですかね……?」


「変わるよ。それはもう大きく変わる。顔の個性が変わるわけではないから、本人であることは誰も間違えないけどね。顔立ち、造作、そういうものについても、『この上なく健康的な人生』を得た者の顔は、得ていない者より格段に美しくなるし、そもそも人間が感じられる他人の美しさというのは、表情や人柄による雰囲気というものの方が大きいんだ。肌艶をはじめとした肉体の健康美に、その人間の雰囲気や面差しに似合った表情と振る舞いができていれば、たいていの人はその人を『美しい』と感じるものさ」


「えぇぇ……そんなに簡単に、いくもんなんですかね……?」


「疑問に思うのなら、君自身が鍛生術に熟達して実践してみたまえ。……まぁ、そこまでの容貌を得るためには、それなりに鍛生術の制御に労力を割かなくてはならないからね。若さや体型、健康を維持できていれば十分、とそこまで鍛生術に熟達しない者もいる、特に後衛にはね。前衛で熟達していない者、というのは私は見たことがないが、前衛ならば肉体の質、在りようを自身の戦い方において最適な形に整え続けなくてはならないから、そちらの方が大変で見てくれに労力を割いてはいられない、ということも多い」


「あーっ! なるほど、それだから……」


 ぽん、と納得したように手を打つカティフの背後に、瞬間移動したかのようにおもむろに大きな影が現れ、ぽん、と肩を叩いた。びくっ、と震えておそるおそる振り向くカティフに、影――グェレーテはにっこり笑ってみせる。


「やっ! いや、これは違うんです、別にそういう意味じゃ嘘ですすいません許しぐぁぁあ!」


「ただ、前衛の多くはその鍛え上げた肉体こそが自身の人生を、積み重ねてきた魅力をもっとも端的に表している、と考えるようだからね。たいていはさして不都合があるとは考えないようだが。そして付け加えれば、グェラの出身であるオーン・ニィタトゥ地方においては、鍛え上げられた筋肉美というものは、女性においても非常に魅力的なものとみなす文化がある。女性に対する一般的、ないし異性目線からの美の評価というのは、地方や国の文化によってけっこう違うものだからね。それを考えずに他者の容貌にああだこうだ言うのは、礼儀をわきまえていないことこの上ない、傲慢で高慢な行為と言えるだろう」


「そ、そう、ですか……」


 いやそれは正しいだろうけど今カティの失言誘ったのは絶対故意でしたよね? と言いたいが、グェレーテにのしかかられてカティフが派手に悲鳴を上げている横で、そんなことはさすがに(恐ろしくて)聞けない。できる限り空気との一体化を試みながらさりげなく視線を脇に逸らしていると、隣でジルディンがそんな不安心など気づいた風すらなく、あっさりすっぱり言ってのけた。


「っつかさー、今おばさんぜってーカティのことグェラさんにシメさせようとしてたよな! それでんなえらそーなこと言うって変すぎだろ! おばさん、あんた、ぜってー友達いないよな!」


『……………!』


 友達いないとかお前が言うか冒険者ギルドでも地雷冒険者扱いだったくせに、と心の中では反射的に駄目出ししたものの、にっこりと、その美少女としか言いようのない顔で、ジルディンに麗しく微笑みを返してみせるシクセジリューアムの圧力に、とても口には出せない。


「〝七十八番返礼しっぺい〟」


「へ? ん? あだ、あだだだ!? いたい痛いいだいいだだだだ! ちょ、おば、おばさん、大人気ないことすんなよっだだだだいだいー!」


 そしてシクセジリューアムが短く呪文を唱えるや、ジルディンの体中の関節が、いっせいに曲がらない方向に曲がろうとし始めた。本当に曲がってしまったら腕も足もへし折れているところだったろうが、幸いシクセジリューアムもそこまで大人気ないことはしない――つもりだったのだと思いたいのだが、ジルディンが痛めつけられているのにいっこうに謝る様子すら見せないからだろう、ジルディンの関節にかかる力はいっこうに止まらず、本気でみしみし音がし始めてきたので、さすがに慌てて割り込んだ。


「す、すいませんシクセジリューアムさんっ! こいつは本当に反省とか謝罪とかまともにできない駄目な子供なので! ちょっとずつ教えようとしてもまったく効果がないくらいなので! 今痛めつけてもジル本人は、それこそ再起不能になっても『なんで俺がこんな目に遭わされてるのか意味がわからない』とか言っちゃう奴のまんまだと思うので! まったく意味がないのでその辺で、見逃してもらえないでしょうか! 俺たちもできる限り、こいつの口の利き方については改善させていこうとしてるところなので!」


 あまりへこへこ頭を下げても印象が悪かろう、と立ち上がり深く頭を下げた格好でそうまくし立てると、一応の理を認めたのか、シクセジリューアムはふん、と鼻を鳴らしてぱちん、と指を鳴らしてみせた。術式が解除されてその場にへたり込むジルディンに、ヒュノとネーツェが助けに入る。


「おい大丈夫か、ジル。あんまり無茶すんなよ」


「お前な、人に噛みつくなら自分より弱い相手だけにしろ! 見ていて怖い! というか何度も言ってるが英雄の方々に偉そうな口を叩くな!」


「う゛う゛ぅ゛ぅ゛ー……いだ、いた、痛いいぃぃ……」


「……おい、本当に大丈夫か、お前……仕方ないな、鎮痛術式使ってやるからちょっと静かにしてろ」


「ぅぅうぅー……」


 呻くジルディンをよそに、やった当人のシクセジリューアムはあくまで涼しい顔で、話を本題に戻した。


「で、カティフくんがどんな冒険者を目指すかについては、本人に悩んでもらうしか仕方がないわけだから、とりあえずおいておくとしてもね?」


「えっ……あの、それ、カティフがまだグェレーテさんに……」


 痛めつけられている真っ最中で、現在進行形で派手な悲鳴を上げているというのに(さすがにあの失言に対して怒った女性に対して絞られている、という状況で割って入る気にはなれない)、そんな風に話を進めていいのか、という言葉を痛めつけている側の横で言うことができず、もにょもにょと言葉を濁してしまったロワに、タスレクが苦笑しながら教えてくれる。


「心配するこたぁねぇよ。グェラは別に怒ってるわけじゃねぇ。格闘術の素人から見りゃ、技をかけてるように見えるかもしれねぇが、ありゃ単に痛い指圧やら按摩やらをやってやってるだけだからよ」


『へ!?』


「いっいやでも……カティの奴すさまじい顔で悲鳴上げてるんですが!?」


「まぁ殺気とか怒気とかあんま感じなかったから、単に礼儀とか、慣習的? な感じで痛めつけてんだろーなーとは思いましたけど」


「グェラはそこまで礼儀にうるさい人間じゃないわよ。単純に若い子をからかって遊んでるだけ。指圧の中には人体の、触れると激痛を走らせるツボを押すものもあるのは知っているでしょう? そういった技術は格闘家の守備範囲でもあるしね。痛いけれど健康にいいツボ押しや按摩にかけては、グェラはちょっとしたものなのよ」


「……ふぅ。ま、そうだね。別に怒ったってわけじゃないよ、単に落とし前をつけただけさ。これに懲りたら女の見てくれがどうこう、なんぞと本人に言うのはやめておくこったね。見てくれのこだわりなんてのは、女によって違うもんなんだからさ」


「ひっ、はっ、ひっ、ふっ……へ、へへぇ……!」


「ほら、土下座していないで、君も作戦会議に戻りたまえ。……カティフくんがどんな冒険者を目指すかについては、カティフくん自身にさんざん悩んでもらうとして、だね。次の我々の作戦目標は、三つある」


「三つ……ですか?」


「そうだ。まず前提としてお前らにも知っといてほしいんだが、今回の邪鬼・汪の、大群を遣わして大陸のあちこちの街を攻める、って動きの中で、邪鬼・汪がどこに本拠を構えているか、そこにどうすれば攻め入ることができるのか、ってのはだいたいわかった」


「……へっ? マ、マジですか!?」


「ああ。あたしらが揃ってあんたらを鍛えながら、大陸のあちらこちらに転移して回ってたのは、大陸中に使い魔を放って、邪鬼・汪が転移能力を使った時のための網を張る、ってのが理由だっただろう? 今回くらいにまで向こうが大きく戦力を動かせば、シリュぐらいの高位の魔術師だったら、向こうの情報をがっちり掴み取るぐらいたやすいさ」


「ふ、ふへー……」


「それで、わかったのはね。邪鬼・汪は異空間を形成してその中に本拠を構えているらしいこと。その異空間の形成のために、五つの使い魔……と言えば一番近いかしら。それとも柱、と言った方がわかりやすい? とにかく、五つの空間形成極点を大陸の方々に設置して、そこを強力な邪神の眷族に守らせている、ということなのよ」


「へー……え、どーいうこと?」


「……つまり、こちらは、その邪神の眷族たちを倒して、空間形成極点を破壊していかなくちゃならないわけですよね? 邪鬼・汪のいるであろう異空間を、崩壊させるために」


「そうなるわね。だけど、『破壊していく』じゃ駄目なのよ。桁外れに、それこそこれまで人類が到達しえなかったほどに高い転移能力を持つ相手ならば、空間形成極点そのものすらも移動させることができる可能性があるわ。さすがに気軽にできることではないだろうから、また次の場所を探り当てて対処する、という手も一つのやり方だとは思うけれど……その場合は向こうも厳重に隠蔽工作を施すでしょうし、探り当てるまでに大群を用意して極点を防衛しつつ即時移動の準備をしておく、ぐらいのことはするでしょう」


「つまり、邪鬼・汪はまだこっちのことを舐めてるのさ。というか、どれだけのことができるのか、たぶん測りかねている。まぁ邪神から賜った恩寵で護られた眷属を十万と十四万体倒されたことに加え、邪神の眷族も相当数倒されてるわけだから、相応の戦闘力があることはわかってると思うけどね。でも、そのくらいのことだったら、あたしらよりも二、三枚格落ちするぐらいの実力の奴らだって、あんたらにとっての邪神の恩寵みたいに、特段有利な点がない相手だろうとやってのける」


「邪鬼・汪は、自分の遣わした眷属や、派遣した邪神の眷族の目を使って、お前らが戦ってるところは見てるはずだ。そして、それを助ける奴らがいることもわかってるだろう。だが、俺たちの存在については、まだよくわかっていないはずだ」


「え……え? な、なんでっすか?」


 カティフの戸惑いきった反応に、英雄たちは揃って、にやっと笑った。


「私たちが、自分たちの存在を誤認させる幻術を、自分たちの上に常に展開させているからさ。依頼を請けた時からずっとね」


「へ……え!? ず、ずっと!? 幻術を!? マジっすか!?」


「っ……特定の対象に対してのみ、自分たちにかぶせている幻を見えなくさせる、という手法は幻操術の中では一般的、と聞いたことは、ありますが……それでも、依頼を請けた時からずっと、ですか!? 魔力の消費だって馬鹿にならないはずでは?」


「それぐらいの労力を割く価値があることだからさ。あたしたちくらいの長老格になると、邪鬼退治のやり方もだいぶ変わってきちまうからね。まず、邪鬼にあたしたちほどの実力者が退治に乗り出したってことを、悟らせないことが肝要になってくるんだ」


「一般的な邪鬼と俺たちの間には、はっきり言って絶望的なくらいの実力格差がある。向こうがその事実を、そこまでの強者が自分の退治に乗り出したってことを悟れば、それこそ一目散に逃げだすのが普通だろ? 邪鬼・汪が俺たちでも手に負えないほどの強力な邪鬼だ、って可能性ももちろんあるが、それにしたってこっちの実力を低く見積もらせて悪いこたぁない。なんで、俺らぐらいにまで成長した奴は、『敵を逃げ出させずに仕留めなくちゃならない』って仕事の時は、幻操術なりなんなり使って、こちらの実力と人相を誤認させる術式を展開させておく、ってのはもう数百転刻ビジン、ことによると千転刻ビジン以上前から、定石のひとつになっちまってるんだよな」


「はぁぁ……」


 ロワは思わず、驚嘆と感服の入り混じった吐息を吐き出す。最初からそこまで先を読んで手を進めていたのか。おそらくそれ以外にも、それこそあらゆる状況の推移に対応する手を、英雄たちは打っていたのだろう。自分たちとはまったく格が違う存在なのだということを、改めて思い知らされた気分だ。


「そして、その手の幻術を使用する際には、幻を見抜かれた時に備えて警報を設置しておくのも基本のひとつでね。我々全員の警報が、どれひとつとして反応していないことから、邪鬼・汪が幻術を見抜いている可能性は低い。警報を鳴らさず幻を看破するためには、幻系統の術法ないし能力と、術式制御系の術法ないし能力に優れていることに加え、我々全員と比べても、能力が圧倒的に隔絶していなくてはならない。そうでなくては警報に気づかれないことなど困難だ、そもそも使用者より能力的に優れた相手に対抗するための術式として発展してきた代物なのだからね、警報をはじめとした警戒系の術式は」


「相手がこちらの実力に、どころか我々の存在についてすらもよくわかっていないと推測できるのは、それが理由よ。それを前提として思考を進めるならば、向こうはまだ完全に守りに入りきれてはいない、ということになるわ。こちらの戦力を警戒してはいるだろうし、対処の方法を模索しているのは当然だろうけれど、大陸中へ伸ばせる侵略の手を止めてまで、拠点防衛に全力を注ぐべき、とまでは考えられていない。そうでなければ空間形成極点の防衛を、極めて強力な部類に入るとはいえ、たった一体の邪神の眷族だけに任せておくわけがないだろうしね」


「な、なるほど……」


「だから、こっち側としては、向こうがこっちを舐めてくれてるうちに一気に勝負をつけたい。被害を広げないためにもな。そのためには、極点の攻略を、時間をかけて長々やってるわけにはいかねぇんだ。できる限り速攻で、できれば一瞬でケリをつけたい」


「え、ちょ……ちょ、待ってくださいよ! な、んな、それって……クッソ強ぇ、俺たちじゃ普通なら到底かなわねぇような邪神の眷族相手に、いっくらみなさんの援護があるからって、一瞬で、一撃で、五体同時にぶっ倒せ、ってことですか!?」


 カティフの愕然とした顔での発言に、英雄たちは小さく苦笑する。


「無茶な話だ、ってのはわかってるよ。ただ、目指すべき最善がそれであるのは間違いない」


「一撃で、一瞬で、大陸各地に散らばった五体の邪神の眷族を討滅し、続けざまに空間形成極点を破壊して、邪鬼・汪の本拠地を引きずり出し、一気呵成に攻略する。それが一番被害を広めず、問題の起こらない、最上の展開であることはあなたも理解できるでしょう?」


「な、んな……だ、だから、って……」


 驚倒しそうな勢いで、ほとんど白目を剥きながら喘ぐように呟くカティフに、シクセジリューアムがちっちっ、と舌を鳴らしながら指を振ってみせた。


「慌てないでくれたまえ。私は、『次の作戦目標は三つ』だと言っただろう? 目指すべき最善の道がそれなのは間違いなくても、現実が常に最善を求められるほどたやすくはないのは、我々も熟知しているさ。君たちには最低限、三つの目標を達成できるよう考えた上で、作戦を考えてほしいんだ。我々ももちろん作戦の立案には協力するし、作戦ができたあとの修正や検討にも全力を尽くす。ただ、ことはカティフくん、君自身の人生に関わる問題だからね。最初の作戦の原案についてはどうしたって、カティフくん、君自身の、そして君と冒険を共にする仲間たちの判断と決断が必要になる、と我々は思うのさ」


「…………っ」


 カティフは唇を噛みながらも、反論はしなかった。下手をすれば大陸全土にまたがる危機、という状況下であるにもかかわらず、英雄たちは『カティフ自身の人生に関わる問題』とカティフ自身の意思をなにより重要視してくれているのだ。(感情的には素直に感謝できることではないにしても)英雄たちにここまで気遣われて、その気遣いを切って捨てる気はさすがに起こらなかったのだろう。


「まず、ひとつ。次の戦いでは、カティに英霊を降ろすために、全力を尽くしてもらう。英霊召喚術式の成功率が、あてにはできないほど低いということを、前提にした上でね」


「っ……」


「全力を尽くす、だけでいいんですか? なにがなんでも英霊を降ろす、そのためならば時間をかけてもいい、というわけではない?」


「そこの判断も含めて全力を尽くしてくれ、ってことさ。もちろん判断の時機や是非についてはあたしらも口出しするけどね。できる限り英霊を降ろしてもらって、戦力の一人として邪鬼相手の戦いでも使える駒、ぐらいにはなってほしい。だけど『できない』って判断したのなら、あたしらも口出しは差し控える。まぁ状況次第だけどね。究極的にはカティ、あんたが決めるべき問題だ。あんたの人生に与えられる加護に関する問題でもあるし、あんたがたぶん一番可否を直感しやすい問題でもある」


「…………」


「えっと……カティが英霊を降ろしてもらえるかどうか、カティが一番よくわかる、ってことですよね? え、あれ、でも、なんで? 英霊召喚術式使うのはロワなんだし、ロワが一番そーいうことはよくわかるんじゃ……」


「少なくとも、今回はそうではない、と私たちは思っているわ。カティフの方が判断に信頼がおける……とまでは言わないけど、少なくとも可否の判断をより早く行うことはできると思ってるの。ロワの性格上、これまで三人の仲間に英霊を降ろしてきて、残り一人また同じことができるかという時に、状況を見切って諦める、ということはなかなかできないんじゃないか、と私たちは判断したわけよ」


『ああ~……』


「なる。確かに。そーいうことだったら、こいつ『なにがなんでも成功させなきゃ』みたいなこと思いそうっすよね」


「うっ……」


 我がことながら、ちょっと反論できない。その思考の作戦上の是非についてはともかく、状況が悪化しても、術式の成功のために、できる限り全力を尽くしてしまうだろう自分は、容易に想像できてしまう。


「納得してもらえたなら、次の作戦目標にいくよ。次の目標は単純、現在邪鬼・汪の意空間形成の柱にして楔となっているだろう使い魔、空間形成極点の破壊だ。これはなんとしても果たしてもらわないと話が先に進まない。邪鬼・汪の側に準備をさせないように、一瞬、一撃で、極点を守る五体の強力な邪神の眷族を打ち倒し、そのまま即時に極点を破壊する、という展開がもっとも望ましい。……ただし、『望ましい』だけであって、絶対ではない。最終的に極点を破壊することさえできれば、作戦目標の達成はできたと考えてくれていい」


「え……なんでっすか? さっき、一瞬で終わらせなきゃ邪鬼・汪に逃げられる、みたいなこと言ってたじゃないっすか」


「そう、破壊したところで、相手に時間を与えれば、次の空間形成極点をすでに準備されたり、破壊すべき空間形成極点そのものを転移させたりされてしまうかもしれない。ただ、空間形成極点というのは、基本的に気軽に場所を移したり、新しいものに変えたりできる代物ではないんだ。それならまだ新しく空間を一から創り直した方が、まだ労力的にたやすいぐらいでね。邪鬼・汪の転移能力、空間制御能力が、どれほど桁外れなのか、我々にもまだ正確にわかっているわけではないが……これまで得られた情報を精査した限りでは、極点を気軽に転移させることが可能なほどではない、と我々は観た。もちろんそれが正確である保証はないものの、とりあえずの作戦目標としては、現存している空間形成極点を破壊できればそれでいい、としようと思うんだ」


「……なんか長々言ってっけど、よーするに今あるものをぶっ壊せればたぶん大丈夫、ってことじゃね? なんで最初っからそう言わねーんだよ」


「〝七十八番返礼しっぺい〟」


「いだだいだだいあだだだだ!? いだっいだいいだいいだいぃぃ!」


「……ま、とにかくだ。基本的には、どれだけ時間をかけてもいいから、今ある極点を壊すことができりゃ成功ってこったな。もちろんそれにも限度はあるが、最終的に極点を壊せりゃ目標達成だ。わかりやすいだろ?」


「もちろん、作戦段階で問題があるようなら、私たちがしっかり指摘するから安心なさい。状況に応じての助言や注意、場合によっては強制的な作戦終了といったことはきちんと行うしね。要は、前提や戦術的な常識といった、当たり前の条件をきちんと頭に入れて作戦を立てろ、ということよ」


「は、はい」


「……ま、今回に限っては、その助言やら注意やらってのをするのも一苦労、ってことになるかもしれないけどね」


「え?」


 グェレーテの思わせぶりな台詞に目を瞬かせると、シクセジリューアムが小さく肩をすくめてから、自分たちを睥睨するかのごとく眺めまわし、重々しい口調で、きっぱり告げた。


「それは、第三の作戦目標に関わる話になるね。――第三の作戦目標。これもまた単純だ。今回は我々は、前線に出ない。むしろその存在すら、全力で隠匿する方向で作戦を進めてもらいたい」


『……へっ?』


「へっ、じゃないよ。今回はあたしたちは前線であんたたちの戦いを助けることもしないし、術法を使ってあんたたちを支援したりすることもしない。今回あんたたちにしてやれるのは、さっきルタが言った、『状況に応じての助言や注意、場合によっては強制的な作戦終了』だけだ。そこをしっかり理解して作戦を立てるんだね」


『……え、えぇぇ!?』

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