第38話 女神の真情、人の信条

「……お? ほうほうほう、それ聞いちゃう? 聞いちゃう?」


「えと、はい。できれば、お聞きしたいなって……」


「ふふふぅん。……あたしてっきり、ウィペさん関係のこと聞かれるかなーって思ってたんで、ちょっと驚いたわ。それよりもこっちの質問の方が価値がある、って思ったんだ?」


「価値がある、というか……この前の話で、『神々と邪神はお互いに手の出しようがない』存在だってことを、詳しく教えていただきましたよね? それなのに、ゾシュキアさまに、少しでもウィペギュロクからの情報を引き出すために尽力しろ、なんて言うのは正直あまりに理不尽な話だな、と思いまして。たぶん、大した情報を得ることもできないかな、と思ったんですけど……間違ってましたか?」


「いや、まぁ大きく間違ってはいないかな? ウィペさんが邪鬼・汪にどうやって加護を与えてるのか知らないけど、少なくとも相当一般的な神の眷族の領分から逸脱したことはやってるだろうし、それなのにあたしにほいほい情報流す、とか普通ありえんと思うし。……だけどさ、それ以前に、ぶっちゃけ、あたし今ウィペさんと連絡取れんのよね」


「え?」


「一般的な回線使っても直通回線使っても反応がまったくないの。今知り合いの知り合い、ぐらいの人にまで頼んで連絡取ってもらおうとしてるけど、それでも、誰からの連絡にも反応しないらしくて。正直、不穏な予感しかしないよね? 一応人事部とか法務部とかの人に事情連絡して、調べてもらおうとしてるけどさぁ。連絡しようとしても反応がない、ってだけだとその眷属のプライベートな問題ってことになっちゃうから、強制捜査とかに踏み切るのは難しそうで……」


「そ……そうなんですか」


「うん。っていうか、法務部が強制捜査するとか、法的に罰を下すとか、そもそもめっちゃレアなんだよね。基本的に、民事的なトラブルのために存在する部署だからさぁ。それこそ邪鬼の眷族を人次元にんじげんに広めた人の例を加えても、創世期から片手で数えられるレベルなんだよね。だからたぶん、これまでロワくんたちが見聞きしてきたレベルの問題だと、即座に動いたりとかはしてくれないと思う」


「なる、ほど……そうですか」


「うん……神の眷族としてはぶっちゃけ『ごめんなさい』って言うしかない話なんだけどね? 現段階では、ロワくんたちが見聞きしたことを記録して、随時法務部とかに送ることくらいしかできないんだ。ごめんね、本当に」


「いえ、そもそも、人間の世界で起きた事件なんですから、人間が解決するのが当たり前ですし……むしろ安易に女神さまに頼った自分の方こそお詫びを言わなきゃいけない立場だ、ってわかりました、すいません。でも、ええと、ウィペギュロクが明らかに邪神に許された範疇を越えた干渉を邪鬼・汪にしていたことが明らかになったら、問題解決に手を貸してもらえる、って考えていいんですよね?」


「うん、さすがにそれはね。神の眷族の一人としてうけあうよ。……さて、真面目な話をきっちりしたところで! それよりも優先して知ろうとしてくれたことへの質問に、答えたいと思うわけだけど、いいかね!」


「あ、は、はい……お願いします」


 ロワは居住まいを正してゾシュキアに向き直った。ウィペギュロクや邪鬼・汪の情報をこれ以上引き出すことはできない、と確信したから投げかけた質問ではあるが、確かにそれは、正直気になっていたことではあったのだ。


 エベクレナが自分に加護を与えたいと思った理由は『顔』で、ギュマゥネコーセがネーツェに加護を与えた理由が『眼鏡』だというのはわかった。だがゾシュキアが自分の働いて貯めた神音かねを費やしてでも加護を与えたい、と思った理由がなにかというのは、正直ロワには想像しにくかったのだ。


 ゾシュキアがどんな女神なのか、はっきりわかっているわけではないが、自由な方ではあるものの、仕事をきっちりこなす上に豊かな良識も持ち合わせている、という印象は間違ってはいないと思う。そういう女神が加護を与える基準を、できるなら知っておきたかった。


 そんなことを思いながらじっとゾシュキアを見つめると、小さく苦笑して肩をすくめられる。


「や、そんな真面目な顔で見られるほど大した理由じゃないよ? なんかいろいろ過分な評価してくれてるけど」


「ぎぎぎ、妬ましい……推しに立派な社会人として評価される友達うらやましい! 妬みと嫉みが脳髄から溢れ出しそうなんですが!」


「いやそれは単にエベっちゃんのこれまでの行いのせいだからね? まぁ実際、これまでの反応をつぶさに思い返すに、『立派な社会人』って思うのは難しいと思うし」


「ぐぅぅ、反論のしようがないですがっ、あますところなく正論だと思いますがっ……それでも妬ましいですうらやましすぎます! 嫉妬のあまり呪いとかかけても勘弁してくださいよゾっさん!」


「はいはい、わかったわかった。……で、ジルくんを推してる理由、なんだけどね」


「はい」


「一番の理由は……『この子は変われる』って思ったことかな」


「『変われる』……ですか」


「うん。そのまんま放置しといたらなにも為せず、なにも創り出せず、なにも与えられずに死んでいきそうな子だけど、あたしが加護を、祝福を与えればその人生が変わるかもしれない。世界そのものだって変えちゃえるかもしれない。でも将来性、って言っちゃうとちょっと不正確な感じで……簡単な言葉にすると、『自分の、神の眷族としての力で世界を変える手伝いができるかもしれない』っていうのが一番近いかなぁ」


「………? えっと、でも、女神さまなわけですから、そもそもしょっちゅう世界を変えてるわけですよね……? 神々がいなかったら世界の運行がうまくいかなくなるわけですし……」


「いやまぁそうなんだけどさ。なんていうか、そういうのあたしたちの仕事なわけじゃん? 義務で作業で、やるのが当たり前なことなわけよ。で、その当たり前を当たり前にこなしてれば、『問題が起きない』っていう類の仕事なわけよ。そういうのが一番大事っていうのはみんなわかってると思うんだけど、『自分の行いが世界を変えてる』みたいな感じはほぼないっていうか。ちゃんと仕事しなかったら世界確実に悪い方に変わっちゃうんで、そういうプレッシャーはあるんだけど、正の方向のカタルシスってのが普段の仕事にはないんだよね」


「えっと……はい」


「でも、推しに加護を与えるっていうのはそういうのとはちょっと違って、推しが世の中の人たちを助けたり……今回みたいに、いくつもの都市が滅びるのを防いだりとかさ。そういう成果がしっかり目に見える、っていうのが普段目立たない仕事してるあたしらとしては、すっごい気持ちいいんだよね。みんな見てー、あたしの推しがちょっと世界救ったよー、あたしの加護が、働いて稼いだ神音かねが、推しの、世界の助けになったんだよー、みたいな感じっていうか。わかる?」


「はい……わかる、と思います」


 そういう風に言われると、なんだかすごく納得できる気がする。神々の多くはきっと、ゾシュキアのような気持ちで人に加護を与えているのだろう。


 神としての仕事ではなく、私的な趣味の範疇で、気に入った人間に、働いて貯めた神音かねをつぎ込んで、加護を与える。その加護のおかげで、その人間が、世界をよりよく変えることができたなら、世界を少しでも救うことができたなら、それは嬉しいに違いない。


 普段の仕事では形にならない、目に見える、そして人間たちにもはっきり感謝される、世界に対する助力。その歓びを味わうために神音かねを費やすというのは、趣味としてはすごく上等な代物なのではないだろうか。


「んー、そういう風に思ってくれるとこっちとしても嬉しいけど……ただまぁ、それも良し悪しっていうか、まずいところがないわけじゃないんだよね」


「え……というと?」


「ほらなんていうかさ、そういう風にはっきり形として世界を救ってくれることを期待しちゃうからさ。どうしても加護を与える対象が、冒険者とか騎士とか王侯貴族とか、『みんなのために戦う』系の仕事をしてる子に偏りがちで……ロワくんたちもそうでしょ? なんで、学者とか、賢者とか、あと職人とか、地味に地道に研究とか勉強とか修行とかして、ちょっとずつ世界をよくしていく、みたいな子に加護を与える神の眷族って、だいぶレアなんだよね」


「それは……そうでしょうけど」


「だから、大陸の危機! とか邪鬼の襲来! とか、そういうのを力業でなんとかする要員、みたいな子はけっこういっぱい育ってるんだけど、学問とか技術とかをじっくりしっかり発展させていくための人材が、あんまり育たない傾向が出てきちゃってるんだよね、大陸規模で。もう何千年もそういう感じに加護与え続けてきたからさ……」


「………あっ!」


「今の大陸規模の食糧不足も、ぶっちゃけそのせいが大きいっていうか。農業とか工業とか、一発当てる要素のない、ひたすら一歩一歩成功を積み上げていく、一般市民の方々が就くようなお仕事の、学問的なバックボーンってのが薄くって。医療ドラマ大好き系眷族っていうのはこれまで何人かいたから、医学はそこそこ発展してるんだけど、それで人が死ななくなった分さらに食糧不足が加速しちゃって」


「あー………」


「技術系・学問系の子に加護を与える眷族もいないわけじゃなかったんだけど、そういう風に一人や二人の超天才が、閃きとか神がかりで得た知識とかで技術を発展させてったから、この大陸の技術体系そのものにけっこうちぐはぐな面があって……何百何千何万って技術者たちが地道に技術を磨いてそれを伝えあい全体的な技術・文明レベルを上昇させていく、っていう真っ当な技術体系からすると、あちこちいびつに発展して、あちこちやたらと未成熟だったりしてさー。正直、あたしらとしても申し訳ないし、頭の痛いところなんだけどねー……」


「な、るほど……そう、だったんですか」


 ロワは思わず天を見上げて嘆息する。まさか、フェデォンヴァトーラ大陸の食糧不足が、神々の加護を与える対象の偏りの悪影響からくるものだったとは。そんなことはそうそう予想できはしないだろうし、神々を責める気もないが、なんというか、悪いことを聞いてしまったような気分だ。


「俺なんかがこんなことを言ったら、申し訳ないのかもしれないですけど……みなさん、大変なんですね。仕事から離れた、趣味としての行動が仕事の方にまで影響してくるとか……」


「まぁねぇ……自業自得っちゃ自業自得だからなんも言えんのだけどさ」


「いえ、そんな言い方する必要ないですよ。趣味としての形を取りながらも、世界を救いたいっていう善意は、本当に評価されるべきだと思いますし、感謝されるべきところだと思います。少なくとも俺たち、フェデォンヴァトーラの人間で、神々が人に加護を与えてくれることに、感謝しない奴はまずいません。これまでの神々が、ご本人はちょっとした仕事時間以外の趣味のつもりだとしても、労力と熱意をつぎ込んで、加護を与えた人間が世界を救えるよう、導いてくれたからだと……誇っていいことだ、と俺は思います」


「い、いやぁ……そうまで褒められちゃうとさすがにちょっと照れるというか」


「ちょっと待ってください」


『え?』


 テーブルの脇から、ほの暗くおどろおどろしく、それでいて苛烈な熱を感じさせる口調で、エベクレナが声をかけてきた。じっとりとした視線でゾシュキアの顔の映った水晶の窓を睨みやりつつも、ずいっとロワの方に身を乗り出して、熱意と気迫を込めて言い募る。


「いいですか、ロワくん。騙されちゃいけませんよ。私、あえて空気を読まずにぶっちゃけますが、ゾっさん『それはそれとして一番の優先事項は顔』って本音をまるっと省いてますからね!」


「へ……?」


「ちょ! ちょぉー! ちょ、この状況でそゆこと言う!? なんでそこで反骨心発揮させちゃうの!? あたしが地味に神系連中のイメージアップしようとしてる時に!?」


「まずっ……これを! ふぎゅ、見てっ、ください!」


 ゾシュキアが驚き慌てて、水晶の窓でロワとエベクレナの間に割って入り、全力でエベクレナの障害物となって、ぐいぐい顔や体を押しやろうとする。だがエベクレナは、そのそれこそ神が長い年月をかけて彫り上げた至高の芸術品という言葉がふさわしいほどの、美しいという言葉ではとても足りないほど美しい顔を、水晶の窓に押し潰され歪まされようとも(そしてそれでも『美しい』と感じさせてしまうところがすさまじいとしか言いようがないが)、その横から無理やり腕を突き出して、空中にひゅひゅっ、といくつもの幻影を映し出す。


「え、これは……」


「あーっ、ちょっと、あーっ! それ反則でしょ! それなしでしょズルい反則この外道女神!」


「ふぐ、ぐぐ……それ、見てっ! なにか、感じませんかっ?」


「なにか、って……」


 映し出された幻影は、老若男女取り揃えた、幾多の人種の様々な姿をそのまま映しとったもののようだったが、確かにロワは(別に会ったことがある人たちでもないのに)、なんとなくその映像を見て、奇妙な既視感を覚えていた。服装やら装備やらからして、時代や場所もそれぞれだいぶ離れている人たちだろうになんで、としばらく唸ってから、ふと思いついて、ぽろりと言葉をこぼす。


「なんだか、この人たち……ジルに、似てますね」


「あーっ、あーっ、あ―――っ!!」


「そうっ! ぶっちゃけジルくんって、ゾっさんの好みの系列の顔ど真ん中なんですよ、私も改めてゾっさんの画像倉庫さらってて気づいたんですけど! 女の子とか成人女性とかもいますけど、基本の好みがジルくんみたいな顔の男子なんです! そっから男性へと発展してった顔も好きみたいなんですけど、これ見たらわかりますよね、ジルくんに加護を与えるって決めた一番の理由が顔だってこと!?」


「え、と、あ、その………」


「ちょっとあんたぁーっ! ちょっと、マジで、ガチで、ふざけんなよ!? いっくらあたしが推しに褒められててうらやましいからって……」


「うらやましいどころじゃないですよクッソ妬ましいですよ、嫉妬の炎マジ120%フルバーストですよ! 妬みや嫉みの怨念で怨霊落ちしちゃいそうな勢いです! 私の!! 推しに!!! 心の底から敬意を込めた、尊敬してます偉いすごいって顔で褒められるとか!!! 自分の醜さや推しご本人さまの前で醜態晒してる自分の現状にはマジ割腹するしかない勢いですが、他担が自分の欲望隠してしれっと褒められるところを見せつけられて平気な顔してられる推し活女子なんぞこの世にいるわきゃねぇでしょうがぁぁぁ!!!」


「それには同意できなくもないけどだからって友達引きずりおろすフツー!? マジ信じらんないこの女! これまで穏やかな大人の女ムーブ貫いてきたなんだけどガチギレしそうだわ!」


「ガチギレ上等、ってかそーいう大人の女ムーブで『この人はエベクレナさまたちとは違うな』みたいな感じで受け入れられてたのもぶっちゃけマジ妬ましかったんですよ! これまで見苦しいとこさんざん見せまくってますから、私絶対そーいう目で見てくれないのわかってますし! 自業自得だと理解はしてますが、それと嫉妬の念が湧き起こらないかどうかは別の話です!」


「っの、いーからちょっと引っ込んでなよあたしだってこーいう若い子に『すごいなぁえらいなぁ』って尊敬の念100%みたいな目で見られるっていう、超激レアイベントもっと堪能したいの! 推しとか推しじゃないとかは関係なく、若くて可愛い子にキラキラした目で見つめられたいの!! んな経験ここ数千年なかったんだからね!?」


「その前はあったとでも言うんですか!? マジ許せません怒りの炎がメルトダウンですバックドラフトです、言っときますが私前世では学生当時から死ぬまで若くて可愛い男子にまっすぐ話しかけられる、なんて経験一度もなかったんですからねぇぇぇ!!?」


「……………………」


 ぎゃーぎゃーがーがー喚きながら、見るからにかなり本気の勢いで、がつがつぐいぐいぶつかり合う女神たち。ゾシュキアは水晶の窓に入っているのだから、それとぶつかり合うエベクレナは正直かなり痛いんじゃないかと思うのだが、めげる気配も退く気配もまるでない。


 なんとも言いようのない気分で、ひたすらに気配を消し存在を殺し、周囲の空気と一体化する。怖いし逃げたいし勘弁してくれという気持ちでいっぱいだが、自分が原因だと思うと申し訳ないし、なんとか自分が仲裁してやらなくてはならないのでは? とも思う。


 だがそれでも、これまでの人生でそれなりに磨いてきた危険に対する勘が大音量で鳴らす警鐘に、体の方がびくついてまともに動かない。情けないみっともない、と思うものの、いやここで自分が口を挟んでも絶対余計な騒ぎを引き起こすだけだ、と主張する冷静な自分もいた。


 そんな種々雑多な感情が混じり合って体ごと固まりながら、ロワはひたすら、『早く帰りたいなぁ……』と、エベクレナと会っている時には一度も思ったことのなかったことをくり返しつつ、ひたすらに全力で存在を抹消しようとし続けた。






「っ……、ぁ」


 そして我に帰ったときには、すでにロワは自分たちの天幕の中で、毛布にくるまっていた。そろそろと周囲の状況を確認して、自分が神々の世界から人の世界へ戻ってきていること、現在は泣きながら逃げ出したジルディンを捕まえて、なだめて連れて帰って慰めながら寝かしつけて、自分たちも一緒に(心身を復調させるために)眠り込んだその後、充分な休みを取って目覚めた、という状況なのだと理解する。


 そろそろと身を起こし、天幕の中を見回す。仲間たちはまだ揃って眠り込んでいるようだったので(もしかすると神々との対話が自分の復調を早めてくれたのかもしれない、となんとなく思った)、起こさないようできるだけ静かに外に出る。


 や、明け方の空の下で、お茶らしきものを焚火で煎じている、少女のままの姿のシクセジリューアムと目が合った。


「あ……おは、ようござい、ます」


「………おはよう」


 愛想のない表情でぶっきらぼうに返された言葉に、小さく首を傾げる。これまで見てきた男の姿のシクセジリューアムと、明らかに反応が違ったからだ。


 まぁいわばエベクレナたちのように、演技して大人ぶっていたのに(いや齢千歳を超えているわけだから年齢的に大人なのは間違いないが)素の部分をうっかり見せてしまったようなものだし、いたたまれなくて無愛想にならざるをえないようなものなのかもしれない。小さく頭を下げて、ロワも自分たち用のために、小鍋に水を入れて茶葉を煮出してから掬い取る、という雑な淹れ方で、飲み物を作り始めた(朝作っておけばその日一日の水分補給用に便利なのだ)。


 この野営地の近くには水場があったので、昨日寝る前に朝食用の水汲みをしておいてある。パーティで使う鍋釜には、一応ネーツェが(ジルディンに協力させながら)簡易的な浄化の術式を付与してあるので、寝る前に水を汲んで一晩おいておけば、ほとんど魔力を使わずに簡単に浄水できるのだ。野外の水場には煮沸しても死なずに体内に入れたら腸を食い破ったりする虫だの、人間の胃液と反応して毒性を発揮する藻だのがあったりするので、こまめな浄化は必要不可欠であると言っても過言ではない(そしてその処置をした上で煮沸するのが、飲み物としては一般的)。


 同じ火を使うわけにもいかないので、少し離れた自分たちの竈で、天幕脇に準備してあった火口箱を使い、火を作り始める。ネーツェがいてくれると、発火の術式で一瞬で火をつけてくれるので、楽なことこの上ないのだが、さすがに毎回甘えるわけにもいかない。というか、今寝てる相手を起こして火をつけさせるとか、無礼傲慢にもほどがあるし。


「……ちょっと」


「え、は、はい?」


 唐突に、そしてやっぱりぶっきらぼうに声をかけてきたシクセジリューアムに、思わず狼狽してしまいながら返事をすると、シクセジリューアムはぶすっとした顔を崩さないまま、つけつけと言葉をぶつけてきた。


「火くらい、私が使っているところから取ればいいだろう。そちらの方が圧倒的に早いんだから。君は、私がその程度のことも忌避するほど、狭量で吝嗇な人間だとでも思っているのかい?」


「えっ……いえ、その、そういうわけじゃ、ないですけど。みなさん、前に言ってましたよね? 冒険者なんだから、自分の面倒は自分で見ろ、みたいな……俺たちに、食事から始まる冒険に必要な技術も込みで、叩き込むとか、そういうことを。昨日もそうでしたし……それなのに、炊事場が一緒になった相手に対してみたいに、『火をもらえませんか』なんて、口にするのも失礼だろうと思ったっていうか、そもそもそういう発想が出なかったんですけど」


「………確かに、そう、だけどね」


 ぐぎぎと歯を食いしばりながら、口の隙間から漏らすように言われ、ロワは思わず気圧される。え、俺なんか悪いこと言ったか、でも言ってること間違ってないよな、とおろおろしている間に、シクセジリューアムは不機嫌そうに眉を寄せつつも、なんとか自力で冷静さを取り戻し、つんと胸を反らせて告げてきた。


「私は単に、君と平和的な接触を試みようとしただけだよ。一応、昨日の自分の失敗を、詫びようと思っていたのでね」


「詫び……? なんで、ですか?」


 あんまり詫びる態度にも見えないが、とにかくそう返すと、シクセジリューアムはつんとした顔と体勢のまま答える。


「ジルディンへの対処が、状況の流れを見るに、非効率的だったと自らを省みて思ったのでね。それなのに、自分よりはるかに格下の冒険者相手に詫びることもできないというのは、流波導学部学部長として、それこそ名折れというものだ」


「はぁ」


 なんかこの人、男の姿してた時より、やけに反応が子供っぽいな、と思いつつ、ロワはとりあえず相槌を打つ。


「私としては、ジルディンのような世間を舐めくさった子供には、世間というものの厳しさを、少なくとも一度は心底思い知らせる必要がある、というのが常識だった。これでも教授職なのでね、頭でっかちの世間知らずの子供とは、いやというほど出くわしているのだよ」


「はぁ」


「……だが、私が積極的に『指導』したのにもかかわらず、ジルディンはまともに魔力を働かせず、拗ねていじけて嫌がって、全力を出そうとはしなかった。仲間たちが死地にいるのにもかかわらず、だ。私はジルディンが、これほどまでに下劣な子供だとは知らなかったのでね。このような愚物はもはや放っておくしかない、浄化の風による大規模殲滅は諦めるよりない、と私は判断したのだが。君は、ジルディンと少し心話を行っただけで、あっさりと全力を――それも、その才能を限界まで振り絞った全力を出させ、英霊召喚も見事に果たして、ジルディンに限界を超えた域の力を発揮させた。そこまでやった相手に、自分の失敗を認めないなど、それこそ愚昧の極みというものだ」


「はぁ……あの、すいません。ひとつ、うかがってもいいですか?」


「どうぞ、かまわないよ。私は君に詫びている身だ、それが妥当な問いかけならば、どんな質問に対しても我が身を切り開いてみせようとも」


「いや、あの、我が身は切り開かなくていいんですが。その……シクセジリューアムさんって、どうやってそこまでの実力を身に着けられたんですか?」


「別に変ったことはしていないよ。術と魔の神ロヴァナケトゥに加護をいただいているというのは、充分変わったことではあるだろうけれどね。私は親が教授職にあったので、物心つくかつかないか、という頃から魔術の勉強を始めていた。ごく当たり前に、十二の時に術の学院に入学。十三の時に加護をいただいて、それまでよりさらに熱心に勉強をするようになって……それまでよりはるかに、勉強したことが早く、深く身に着く自分に気がついた」


「…………」


「十七の時に学生から研究員になって……その頃から冒険者ギルドにも所属し、実戦での実践的な魔術研究も始めて。その中での経験も、早く深く身に着き、自身の魔術をより研ぎ澄ませる助けになってくれることを実感し……その後は、それをずっと続けてきただけだよ。基本に忠実に、やるべきことをやるのが……基礎を学習したのちに訓練に励み、そこで得た知見からまた学習を推し進める、というごく当たり前の循環が、結局一番手早い」


「えっと……じゃあ、シクセジリューアムさんが初めて実戦に出た時は、もう相当、魔術の腕も高かったんですよね?」


「実戦経験のない魔術師としてはね。一般的な、導師と呼ばれる階級の最低限、程度の能力はあっただろう。加護を受けた身としては当然だが」


「はぁ……」


 そんなことを当然のように言うこの女性は、『神の加護』というこの世の誰からも羨ましがられるだろう境遇に、誰の目からも恥じないだろうほどに努力を重ねてきたのだろう。そしてそれを当然のことだと、恵まれた環境に生まれた者の最低限の義務だ、とすら思っている。


 それは本当に、見上げるべき、褒められるべき、尊敬されるべき精神性と行いだと、思うのだが。


「じゃあ、その。初めて実戦に出る時には、相当ベテランのパーティに入ってたんですよね?」


「経験を積もうとする初心者が、先達に教えを請わないのは傲慢であり、怠惰だからね。少なくとも、足手まといにはならない程度の働きはできたと思うよ」


「で、えっと。学院で研究をしている時も、学部長さん、なわけですから。学生や研究者だって、学院の中でも、相当優秀じゃないと、側にも寄れないですよね?」


「まぁ、そのくらいの能力は持っていてくれないと、そもそも話が通じないからね。魔術の研究をする場で我々は働いているのだから、指導をするにも、新たな知見を得るべく議論をするにしても、能力に応じた階級分けは必要だ」


「つまり、その……シクセジリューアムさんは、これまで、馬鹿とは話したことが、ほとんどなかったわけですよね?」


「………そうだね。つまり、私に不足していたのは、その経験だ、と?」


「いえ、あの、不足だとは思わないんですけど。馬鹿と話をするなんて経験、たいていの人は嫌な思いするだけですし、積極的にする必要なんて全然ないと思いますし。単に、その……経験がないのにジルと話したら、そりゃ即見切りつけるだろうな、って思っただけです」


「…………」


「シクセジリューアムさんのやったことも、言ったことも、別に間違いだったとは俺は思ってません。必死で頑張ってる人間が、だらだら怠けてる人間の、事情やら心情やらに細かく気を使う義理は、ないと思います。頑張ってことを為してる人と、怠けてる奴、できない奴がぶつかった時に、頑張ってる人の方が譲ってやらなきゃならない理屈なんて、ありません。ただ、単純な話で……頑張らない、頑張れない奴に、頑張ってる人と同じやり方でことを為せ、って言っても、ことを為せるわけがない、っていうだけなんです」


「…………」


「だから、気にする必要とかないと思います。単なる適材適所っていうか……俺たちはできない奴だから、できない奴との話し方とか、動かし方に慣れてるってだけなんで。それになにより、ジルと俺たちは仲間なんだから、どういう風に話せばジルが動けるようになるか、ぐらいわかりますよ。そりゃ」


「………君は、よくわからない人間だな」


「え? は、はい? そうですか……?」


「自分たちを当たり前のようにできない側、無力な側、愚かな側と規定しているが、私にはそうは思えない。君には英霊召喚という難易度の高い術式を、状況や運や神の加護に助けられてとはいえ、何度も成功させてきた実績がある。そして実際にそれ相応の能力も持っている。なのに断固として自信を持たず、『自分には能力がない』という確信を前提にして、無謀ともいえる状況に突撃し、ことを為してしまう。正直、私がこれまで会ったことのないような奇矯な人格だ」


「す、すいません……」


「謝る必要はない。変わっていることは害悪と同義ではないことを、君は理解しているはずだ」


「は、はぁ……理解、って言っていいのかどうかは、わかりませんけど」


「そして、君は少なくとも、仲間たちに対してはっきりと、強固な信頼を寄せている。精神的に、だけではなく、単純に能力的に。できることとできないことを知った上で、状況に鑑み試算して、はっきりと勝算を持って仲間たちを戦いに臨ませている。むろん我々の助けがあることも重要な一要因であるにしろ、周囲の評価と関係なく、現状をきちんと認識して、『駆け出し冒険者』には無謀としか言いようのない作戦を、仲間たちならばできる、あるいはその可能性が決して低くはない、と信じてやってのけさせている」


「………、はい」


「それなのに、仲間たちに対して、深い信頼を寄せているにもかかわらず、愚かであり能力がない、『できない』人間だと言ってのけてしまう。正直、私にはいささか腑に落ちない。君が愚かだとは思えないからこそ、よけいにね」


「………それは」


 ロワは少し考えてから口を開き、ゆっくりと思うところを言葉にして伝えようとする。逆に言えば、そんな風にある程度構えなければ口にできないくらい、身近すぎるというか、卑近にすぎるというか――気恥ずかしいったらありゃしない話なのだ。


「俺も、あいつらに、できることはいっぱいあるって……今は女神さまから加護をいただいてるから余計にですけど、それ以前に出会った頃から、ずっと大した奴らだって、すごいところのある奴らだって思ってはいます。だけど、少なくとも今のところは、その……すごい奴だ、って簡単に言っちゃうのは、ちょっと違う感じなんです」


「というと?」


「あいつらが……ジルはその中でも特に、わかりやすいですけど。あいつらみんなが、俺と同じように、できないことのある奴らだって、人生をうまくこなすことの下手な奴らだっていうことを、身に沁みて実感してるからですよ」


 笑顔でそう言うと(笑いでもしなきゃやってられないしこんなこと言ってられない)、シクセジリューアムはじっ、とロワを見つめ、小さく「……興味深い」と呟いた。


「はい?」


「いや? 単に、私なりに、意義を見出せそうでよかった、と思っただけさ」


「はぁ。意義、ですか?」


「ああ」


 うなずいてから、シクセジリューアムはくすっと、楽しげに、そしてその少女のごとき顔貌に、ひどく似合った可愛らしい笑い方で笑ってみせる。


「君の人生を観察するのは、経過観察実験としては、なかなかに長期間興味を持続させることができそうだ」


「………はは。それは、よかったです」


 そんなこの上なく愛らしい少女の笑顔に、どきりと心臓がときめかなくもなかったのは確かだが、それよりもロワの笑顔を引きつらせたのは。


『この台詞聞いたら、絶対エベクレナさまぶち切れまくるよなぁ……』


 そんな推測に、強烈な実感を伴った確信ができてしまったからだった。

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