第36話 神官暴走

『そうだね、この程度のことを長々説明しないと理解できない君にも、状況と君がやらなくてはならないことが理解できたなら、とっとと実行に移してくれるかな。こちらの準備はもうできてるんだ、念話での情報伝達速度は普通の会話よりはるかに速いとはいえ、これ以上無駄に時間を費やしたくない』


『うぅー………』


 いやだなぁいやだなぁ、なんで俺がこんなことしないといけないんだろう、と思いながら、ぽそりと口の中だけで小さく呪文を唱える。


「……〝祈浄風〟」


 小さく呟いたその呪文に応えて、ジルディンの身魂から魔力が奪われ、万物を浄める風がジルディンを中心にして吹き荒れた。――と、ジルディンの身体感覚は告げていたが、実際にはジルディンの周辺の空気は、そよとも動こうとしていない。シクセジリューアムが風をすべてよそに運んでいるんだと気づき、なんとなく苛立って魔力を思いきりつぎ込み嵐のような風を吹かせようとしてみたが、それでもジルディンの周りの空気は、まるで動こうとしなかった。


『なんだよもう……なんだよもうなんだよもうなんだよもう……!』


 苛立って、嫌になって、逃げだしたくて、それでも自分の身体はぴくりとも動こうとしてくれない。できるのは、どれだけ魔力をつぎ込んでも涼しい顔で流されてしまう程度の、そよ風を必死に吹かせようとする程度。そんな状況が嫌で嫌で、鬱陶しくて逃げ出したくて、もういやだ全部めんどくさいと投げ出したくて。


 今のパーティに入ってから、久しく感じていなかった、けれどそれ以前はいつも感じていた想い。自分がなにもできないことに、現状をなにも変えられないことに――それなのに周りに期待されることに、心底うんざりして抱いた想い。


 もう嫌だ、やめてくれ。自分になにも期待しないでくれ。だって自分にはできないんだから。才能があるとかなんとか言われたって、そんなのはしょせん大人たちに軽くあしらわれる程度の、どこにでもいる力にしかならないんだから。そんな自分になにかしてくれって言われたって、君ならできるって目で見られたって、俺にはなにも、なんにも、できることが、成せることがなにも、ないのに―――


 ――そんな感情ではちきれそうになっていたジルディンに、ふいに、静かな言葉が触れた。


「………ジル?」


 動けないジルディンの頬にそっと触れて、怪訝そうに問いかけてくる、いつもと変わらないパーティの仲間。その声と言葉が、硬い掌の感触が、荒れ狂っていた心に、なぜかはっきり響いてくる。


「どうかしたのか。なんだか、妙な顔してるけど……ジル? おい、ジル? どうしたんだ、固まって」


「…………」


 どう答えればいいのかわからなくて、ジルディンは思わず黙り込む。あんなに嫌な気持ちで溢れそうだったのに、なぜだかそれがふわっと溶け消えてしまったこととか、なんでロワ儀式に集中してたはずなのに俺が変な感じになってることに気づくわけ変な奴とか、なんでロワの言葉があんなにはっきり聞こえたんだろうとか。そういう諸々の想いは、どれも細かいというか、正確なところまでは自分でもよくわからないし、言葉にもうまくできそうになかったのだ。


 どうとも返事をせず身じろぎもしないジルディンに、ロワはまた怪訝そうな顔をしてから、少し考えて、呪文を唱え始めた。


「〝我が祈る声よ風に届け、響き渡れ我らの風に、吾と彼を結び繋ぎ、絶えず巡るものの在ることを謳え……〟」


「………?」


 え、なに? なんでこの状況で儀式再開するでもなくいきなり呪文? とぽかんとしていると、唐突にほわん、と声が響く。シクセジリューアムがかけてきた声と違い、ぼんやりぼやけていて、声とも呼べないような形のない波のようなものだが、なんとなくの言葉の印象と、それが誰からかけられた声か、ということはわかる。


『……ジル……ジル? あ、繋がった。よな? ……ジル、どうしたんだ? さっきから固まってるけど、シクセジリューアムさんに怠けた罰、みたいな感じで束縛術式でも喰らったのか?』


『へ……え!? ロワ!? ちょ、な、なんでいきなり念話とかできてんの!?』


『いや、念話っていうか……心話って言う方が正確かな。お前も前回の戦闘前に、俺がネテに同調術式をしょっちゅうかけてたのは知ってるだろ? その時になんとなーく、気持ちとかなに考えてるかとかが通じたことがあったんで、お前がなんにも話そうとしないし、あんまり時間を使うわけにもいかないし、お前と同調するのは英霊召喚術式には少なくとも無駄にはならないだろうし、っていうんでやってみたんだけど。今回は、なんかやけにあっさりうまくいったな』


『き……聞いてないっ!』


『いや、まぁ、言うことでもないかな、と思ったから……というか、それより、どうしたんだ、ジル? なんだか、泣いたあとみたいな感じだけど』


『な、泣いてねーしっ!』


『まぁ、実際に泣いてはいないと思うけど、なんとなく心というか、気持ちの状態からそんな感じが伝わってきたんだけど。……どうかしたのか? 話したいんなら、聞くだけ聞くけど』


『えっ……で、でも、今忙しいんじゃねーの? 英霊召喚術式の、儀式の真っ最中なんだろ』


『いやそりゃそうだけど、ジル本人に気合が入ってなかったら、英霊も降りてきてくれないだろうし。心話だから、会話にほとんど時間はかからないし。それに、みんなが戦ってる真っ最中に、そんな顔で打ち沈んでる奴が言うことじゃないぞ、それ』


『え? ど、どゆこと?』


『少なくともお前にとっては、よっぽど重大なことがあったんだろうから、話せるならとっとと話して楽になった方がいい、ってことだよ。嫌なら無理強いはできないけど』


『う……うー………』


 正直、『重大なこと』なんて微塵も起きていないのだが。単にシクセジリューアムの言い方がなんかやだったとか、自分が無理やり働かされてるみたいでなんか気分が乗らなかったとか、そういう死ぬほどくだらない理由があるだけで。


 ……うわぁなんか改めて言葉にしてみると本気で死ぬほどくだらない、なんでこんなことで落ち込んで、仕事から逃げ出してたんだ俺。


『ふぅん……まぁ、追いつめられた気分になると、自分がなんでこんなに落ち込んでるのか、冷静にわからなくなっちゃうことはあるよな』


『っ! き、聞いてたのっ!?』


『いやだから、心魂を同調させるのが心話なんだから、なに考えてるのかくらいはお互い筒抜けになっちゃうんだよ』


『こ、こじんじょーほーのしんがいだっ!』


『まぁそうなんだけど、お互いさまの話ではあるし、そもそも命懸けで集中して儀式に取り組まなきゃいけない時に、妙な顔で落ち込んでる方が悪いだろ、としか。そもそも、別に知られて困ることでもないだろ? お前が追い込まれるとすぐわけわかんなくなっちゃって処理能力がほとんど停止しちゃうことも、気持ちが落ち込んだら現状や現実の冷静な把握とか全部放り出してその気分に流されちゃうことも、パーティ全員知ってるんだから。そんなの、お前だって自分で知ってただろ?』


『う……そ、そうだけどぉ……』


 パーティの面子が自分の駄目なところを、他の誰より知っているのは知っている(ここ一転刻ビジン、曲がりなりにもずっと命を預け合ってきたわけだから)。だけどそれとこれとは別というか、自分でも恥ずかしいと思ってる心情を知られて恥ずかしくないわけがないというか。


『まぁお前がそういう奴なのは知ってるし、この極限状況でも、気分に流されて目の前のこととか現状とか今やらなきゃならないこととか全部頭から抜け落ちてても、別に驚かないよ。パーティの面子は全員そうだと思うけど』


『う……うぅー……そうだけどぉ……』


『それが俺たちに申し訳ないっていうんだったら、気合入れて、浄化の風を吹かせまくってくれたら一番ありがたいんだけど? 向こうの状況はわからないけど、少なくともお前の助けが不必要なほど楽な戦場にいるわけじゃないのは確かだろうしな、みんな』


『へ………?』


『お前も聞いてただろ。ヒュノは一万の敵群のど真ん中に飛び込んで切った張ったしてるはずだし、ネテも必死に敵から逃げ回ってぜぇぜぇ言いながら遠距離攻撃術式を使いまくってるはずだ。カティはまだ『無理をしない』っていう前提で戦ってるからまだマシかもしれないけど、『それは自分に無理ができる能力がないからだ』って自分で思ってるだろうから、助けをもらって、より多くの敵を倒せるようになるのはすごく助かるし、嬉しいと思うけど?』


『…………あっ!』


『ああ、やっぱりそこらへん頭からすっ飛んでたのか。ある意味器用というか、本当にその現状が呑み込めたら『大変だ!』と心の底から思うようなことでも、その時の気分で理解できなくできちゃう、というのはある意味すごいよな』


『たっ、たたた、大変じゃんっ! みんな普通にやってたら死んじゃうじゃんっ! どーすりゃいいの、ど、どーすりゃいいのっ!?』


『うん、だから、シクセジリューアムさんが術式規模を拡大させてくれるし、術式発動地点も移動させて効果範囲も分割してくれるから、頑張って浄化の風を吹かせてくれ、ってことだよ。俺も頑張って、英霊召喚術式が発動できるよう、全力を尽くすから』


『わっ……わかったっ!』


 ジルディンは慌てて、目を閉じて術式に集中する。ああだこうだ言っている場合じゃない、やらなきゃ。そうじゃないとみんな大変なことになっちゃう。なんとかしなきゃ、頑張らなきゃ。それならきっと、『なんとかなる』はずだ。


『面倒だ』『逃げたい』と、さっきまで心の中に満ちていた感情が吹っ飛び、『浄化の風を吹かせる』という、ただひとつのことに塗りつぶされる。それ以外のことがすべて消え去り、心魂がたった一点に向けて引き絞られる。


 他の人が『集中』と呼ぶだろうこの状態を、ジルディンは心の底からの意思さえあれば、いくらでも導き出すことができた。乱れていた心身の状態が一瞬にして凪ぎ、術式の制御、それのみを行う機構へと自身のかたちを変えていく。


 呼吸は深く、長く。空気と魔力を取り込んで、体の隅々まで行き渡らせ、巡らせて回し、力に変えていく。世界と相対し、融和し、自らの思うところへ、世界の望む在り方で、自身と世界を導いていく。ゾシュキア神殿で、何度も何度も繰り返し叩き込まれたことだ。――その技術の本領を、ジルディンは、最初からごく当たり前のように身に着けていた。


 風が吹く。嵐が吹き荒れる。空の気が流れ巡り、浄化の大風となって荒れ狂う。本来なら自分の周りから放たれていっただろうその力は、シクセジリューアムが別の場所に動かしているのだろう、ジルディンの周囲の空気はそよとも動かしはしなかったが、今のジルディンはそんなことを気にしてもいなかった。


 ただひとつのこと――ロワに願われた、『浄化の風を吹かせる』というそれのみを成し遂げる機構となり、ただひたすらに。


「〝――祈りに応え、彼岸より来たりて縁り憑きたまえ――士なる御方よ〟」


 と、自分の心魂に、なにかがふんわり覆いかぶさったような気がした。ジルディンとは明らかに違う形をしたそれは、なぜかジルディンの心魂にひどく馴染み、優しく触れ合い、共鳴する。なんでそんな代物がいきなり出てきたのか、ジルディンはさっぱりわからなかったが、気にもならなかった。その『なにか』は、しっかり馴染んだジルディンの心魂を、ごく自然な形で導いてくれたからだ。


「…………!」


 その技に、その意志に、ジルディンは思わず驚嘆する。自分よりもはるかに、というか圧倒的に隔絶して、その『なにか』は術法を操る腕が高かった。


 術式制御の極みと言っていいだろう、精緻な魔力操作。広範な術知識を基にした、情報収集力と状況への対応力。それらを自在に操って、何十人がかりでやってもこうはいかないだろうというほどの、最上の結果を導こうとする思考力。


 風を十四の門の彼方まで靡かせてその場所に求められている風を悟り、最善の機を計って、自分の力ではとても成し得ないほどの見事な流れを創り出す。何体もの邪神の眷族が、あるいは邪鬼の眷族が協力して張った風を防ぐ結界を、あるいは力ずくで破り、あるいは結界の鍵を風で解いてしまう。数限りない結界をどう取り除くのが最善か、瞬時に判断してそれに応じ術式を制御・改変してみせる。


 その上、そんなとんでもないことを、この『なにか』は計算でやってはいない。読み取った状況にどう対応するか、あれこれ考えるのではなく、なんとなくの感覚で対処方法を思いつき、実際にやってみれば当然のように図に当たるのだ。


 どれもこれも成功しているわけではないが、考える時間がほぼ必要ないのだから対処速度は速い。そして失敗しても次の手、また次の手と、他のいくつもの結界に対処しながら同時進行でいくつもの手をぶつけていくのだから、結局さして時間をかけずにどんな結界もかき消されてしまう。


 天才としか言いようのない、常人とはかけ離れた能力と思考精度――『だから』その感覚を、ジルディンはあっさり掴み取ることができた。


 今ジルディンが習得している数とは比べ物にならない、無数の術法の知識を、なんとなく記憶する。術式の使用法と制御のコツを、ぼんやりとではあるが会得する。数多の情報の集め方と、それにいかに対応するかという技術を、さわりだけではあるが習得する。術式と術法をいかに使い、最上の結果を導き出すべきかを解き明かす思考法を、おぼろげながらも感得する。


 自分の心魂が実際にやってみせてくれているのだ、心魂に刻み込めないわけがない。まぁジルディンの能力では、そこまでしっかり記憶できるわけではないのだが、自分は子供の頃から魔力制御『だけ』はどんな相手にも褒められてきたのだ、なんとなーく感じをつかむことくらいはできなくはなかった。


 そして、ジルディンの全身全霊を使って術式を展開してくれている『なにか』に、少しばかり援護をすることも。


『…………!』


『なにか』の実力は桁外れだったが、ジルディンの身魂を通して術式を使っている以上、やはりどうしても限界はある。おそらくはジルディンの心身の健康のために、ある程度の余力を残してくれていたからなおさらだ。


 だから、ジルディンはその『余力』を使って、『なにか』の限界に少しばかり力を足す。自分の心魂としっかり共鳴しあっている相手だ、どこをどうしてほしいか、ぐらいのことはなんとなくわかった。


『なにか』は一瞬驚いたように力を揺らすが、次の瞬間にはしっかり力を統御し、ジルディンの動かす力を導いていく。それこそ手足の動かし方を体に結びつけて教えていってくれるような勢いで、ジルディンの魔力制御、そして術式の使い方を指導してくれた。


 ジルディンは思わず、目を閉じる。一瞬刻ルテンごとに自分の力が、技術が高まっていくのがわかる。これが――本当の、指導というものなのか。


 自身を高みに導かれる恍惚、自分の力が変えられていく快感。それを感じながらも、ジルディンは『これ以外考える必要のないこと』――仲間たちを助けるという目的のために、少しでも強く、少しでも広く、少しでも巧みに浄化の風を吹かせようとし続け、そして――






 ――気がついたら、地面に寝転がって死にかけていた。


「ジル! しっかりしろ、ジル! 目を開けろ、息をしろ! 気をしっかり持て、頼むから……!」


 ばしばしと顔が叩かれ、胸が押され、口の中に生暖かい空気が何度も何度も吹き込まれる。気持ち悪い、と思いながらも、そのすべての感覚がぼやけていて、壁の向こうで行われている他人事のように遠い。頭で感じることや考えることさえ、ひどくおぼろげで力が入らなかった。


 力の入らないまぶたをのろのろと持ち上げて、最初に目に入ったのは、必死な顔のロワだった。あ、これたぶん俺のこと本気で心配してるな、となんとなく想いが伝わってきて、しっかりしなきゃ立ち上がらなきゃ、と体に力を入れるのだが、どうしてもまともに体に力が入れられない。活力が体を巡らない。体と心と魂にまといつくぼんやりとした重石は、おぼろげで形がないのにがっしりした壁のように強固で、想いと身魂とを遮断する。


 どうしよう、と困惑し慌てる想いにすら重石はのしかかり、力の入らないぼやけたものに変えていってしまう。どうしよう困ったなぁ、と思いながらも、すぅっと意識は体を離れ、高いところへ、あるいは深いところへ落ちていこうとする。


 が、そこに唐突に、優しい風が体を満たした。


『………―――』


 身魂の力の流れを導いて、在るべきように巡らせる。命と魂を繋ぎ止めて、生命としての形を保たせる。それはこれまで感じたことのないほどの、涼やかなのに優しく、暖かい風だった。体中に力が満ち、心魂に活力が溢れ、ぼやけた重石を吹き飛ばし、少しずつジルディンの意識を覚醒させていく。


 なんだろう、誰がこんなことを、となんとか力の入るようになってきたまぶたを開いて、思わず呆然とした。目の前で、これまで見たこともないような美少女が、必死の形相でこちらを見つめている。


 黒い髪に黒い瞳、真珠色の肌。顔貌も背筋が震えるほど整っている。瞳も鼻筋も紅く艶やかな唇も、そのすべてが最上だろう位置に配置されていて、ジルディンは生まれて初めて、女の子を見て美しさに我を忘れる、という経験をした。


 そんな生まれてこの方見たこともないほど可愛い女の子が、すぅっとジルディンに身を近づけてくる。


『え、ちょ、待……』


 言葉を発するよりも、その美少女が身を寄せてくる方が早かった。ジルディンの後頭部に手を回し支えて、顔に触れ、ジルディンが身を退けないようにくっつきながら――唇を合わせる。


『――――!』


 当然ながら初めてだった口づけ。自分がそんなことをやるかもしれない、なんて可能性すら考えていなかった行為。それなのに、その少女の唇は、たまらなくあまやかな刺激をジルディンにもたらした。少女の唇から痺れるほど強烈な風が体内に吹き込まれ、全身を満たして、ジルディンがこれまで感じたことのないような奥底から力を引きずり出してくる。


 風を吹き込み終わると、少女の唇はジルディンの唇から離れた。あ、とひどく惜しい気持ちでそれを見つめる――けれどすぐに、少女はその美しい顔をこちらに近づけてくれた。二度、三度、四度五度六度。幾度も幾度もジルディンと少女の紅い唇は触れ合い、そのたびにジルディンの全身に力が吹き込まれていく。


 ああ、とたまらなく幸せな気分で目を閉じる。こんなことが――こんな気持ちいいことがこの世にあるなんて。こんな体験ができるのなら、ジルディンは生まれて初めて、自分が生きてきたことに価値を認められる――


「……いい加減に起きなさい。生命力賦活術式は効いているんだ、いつまでぼぅっとしているつもりなんだい?」


「でぺ」


 唐突にその場にすっころがされて、地面と顔が激突する。土が口に入ってきてげっほげっほと咳込みながら、状況がつかめず慌てて立ち上がり周囲を見回した。


 さっきと同じ、儀式を行い、術式を発動させた、十四の都市への転移門が開いている場所だ。いつの間にか仲間たちが全員揃っていて、心配そうに、あるいは醜く顔を歪めながらこちらを見ている。


 え、なんで、と一瞬思うものの、それよりなによりあの美少女を探すべく視線を巡らせる、やいなや当人と真正面から視線がぶつかり合った。さっき見たのと変わらない、これまで一度もお目にかかったことのない超絶美少女が、冷たい視線でこちらを見下ろしている。


 ……冷たい視線?


「まったく……唐突にやる気になったかと思ったら、見境なしに、自分の生命力までつぎ込む勢いで術式を発動させるとはね。全身全霊を振り絞るのにも限度があるし、なにより『状況に応じて』という言葉は君の中にはないのかい? 発動した術式を適切に運用する役目を一手に任せられた、こちらの身にもなってもらいたいね。英霊が無事召喚されたあとも見境なく、やたらめったら全力を注いで。確かに敵群は殲滅できたけどね、そのために費やす魔力としては明らかに過剰だよ。君の魔力や生命力のみならず、英霊の魔力も空になりそうな勢いだったじゃないか」


「え……ぇ?」


「え、じゃないよ。君には状況に応じた魔力の使い方、というものをきっちり学ぶ必要があるね。君のように、才能があるくせに頭が死ぬほど悪い人間というのは、一番たちが悪いんだ、周りにかける迷惑という観点からするとね。少なくとも、こちらが常時展開している術式をすべて解除しなくてはならないほど、魔力を浪費させるような真似はしないよう、きっちりみっちり講義してさしあげるから、期待しているように」


「え……え、え……?」


 呆然とするジルディンに、仲間たちが駆け寄って、それぞれにそれぞれの表情で声をかけてくる。


「よかったー。シクセジリューアムさんに知らされて、慌てて戻ってきた時は本気で駄目かと思ったぜ。お前今にも死にそう、っつーか死んでんじゃねーかって顔色で寝っ転がってんだもん」


「いつもながら、本気を出すとなると見境なく、全身全霊の力を振り絞る奴だな、お前は。まぁその分……と言っていいのかどうかは知らんが、ロワが今回は意識を保っていたわけだから、つり合いが取れているといえなくもない、か」


「う、だから、悪かったって……まぁでも、ジルが生命力までつぎ込んで必死に術式を展開したから、英霊が早く降りてきてくれた、っていうのはあるだろうしな。こっちは助かった、ともいえるのかもしれないけど……あんまり無理するなよ? シクセジリューアムさんが人工呼吸しながら生命力賦活術式を使ってくれるまで、お前、本気で死ぬ寸前だったんだからな?」


「絶対に許さねぇ、絶対にだ! 最年少の分際で英雄の皆さま方の中でも随一の美少女と、とか……! がっつり殺す、念入りに殺す、情け容赦なく殺す、それしかねぇ!」


「いや、人工呼吸だぞ? お前だって女性にされたことくらいはあるって言ってただろう、前に」


「ぬぐっ、そ、そりゃそーではあるがっ……」


「というか、さっきまで相手が女性だったってことも知らなかったのに、随一の美少女、とかいう言い方はちょっとどうかと思うな……いろんな方向に失礼というか。いやまぁ、俺もさっきまで全然知らなかったわけだけど……」


「ぐぬっ……いやだから! だから余計に許せねぇじゃねーか! これまで気づいてもいなかった身近な相手が実は美少女とかっ、そんな美少女との初対面が人工呼吸してくれてたなんて状況とか、本気で許されざる所業だろーがよ!?」


「えー、そっかぁ? 俺別にそんな気になんねぇけど……」


「達人精神の持ち主は黙ってやがれ! 俺は断じてっ……」


「……ど、どーいう……こと……?」


『状況がさっぱりわかりません』といういつもの顔で、かつ『まさか、まさかそんなことないよな?』という恐怖に満ちた表情で、おそるおそる問うたジルディンに、仲間たちはあっさり答えた。


「や、だから、シクセジリューアムさんが実は女だったってことだよ。俺らが見てたのは、変身の魔術使った偽の顔で。他の英雄の人らは知ってたらしいぜ」


「俺たちに自分の顔を見せたら、仕事に対する集中の邪魔になる、って思ったんだってさ。……まぁ、そういう言い草が大言にはならないだろう、ってくらいの顔立ちはしてるけど」


「ルタジュレナさんもクッソ奇麗だけど、ガチで超美少女顔だもんな! や、もちろん女神さまみたいな神レベルとはいかねーけど、人間としては超絶級間違いなし! ……んでそーいう美少女さまに人工呼吸しながら生命力賦活されるとか、そーいうクッソ羨ましい真似しくさりやがったんだよテメーは……!」


「いや、だから人工呼吸だぞ?」


 仲間たちの声と言葉を、ジルディンは呆然と聞き、一般的に必要となるだろう時間の数倍分時をかけて事態を理解し――それから「うぎゃぁぁんっ!!」と泣き叫びながらその場を駆け去った。


「あ、逃げやがった!」


「いやまぁ、逃げたくもなるんじゃないかな……ジルのやつ、俺が儀式の準備してる間に、シクセジリューアムさんになんか、あれこれ厳しいこと言われてたみたいだし……」


「あー、あいつだったら絶対『なんだコノヤロー』って反感持ちまくるだろーなー」


「そしてそれが実は自分に人工呼吸してくれた美少女だった、と。あの顔からして、もうほとんど初恋じみた慕情まで抱いてしまっていたようだし……逃げもするかな、確かに……」


「無駄話をしていないで、さっさと追いかけて連れ戻してきなさい。邪鬼の眷族の残したものや、襲われた都市への事情説明のような後始末はタクたちがやってくれているけれど、君たちにも無駄にできる時間は少しもないんだよ? とっとと休んで心身を復調させて、また任務を再開しなければ」


『あ、はい……』

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