第35話 神官煩悶

「ジルディンくんの風が少しでも都市防衛の役に立つように、転移門はどこも都市の間際に開くけど、転移する時の状況の注文があるのなら受け付けるよ。少しでも戦いやすい状況を選んでくれ」


「あ、じゃあ俺は敵の群れのど真ん中に転移してほしいっす」


「……それはまた思いきった注文だけれど。それ相応の理由があるんでしょうね?」


「や、基本こういう群れで動く連中を倒す時には、頭を倒すのが一番有効だろう、とは思うんすけど。なんか、これまで戦った限りじゃ、基本邪鬼の眷族って頭に指揮されて戦う、みたいな感じじゃないっすよね? ほとんどその場の勢いってか、本能ってか、反射? みたいなもんで動いてるだけで。邪鬼に指令受けてるせいなのかもしんないっすけど」


「ふぅん、さすがによく見てるじゃないか。確かに邪鬼の眷族って奴らには、そういう歪んだところがあるよ。術法が使えるだけの知性を持ってるはずの連中でも、まっとうな社会性を持ってない、作り物じみたところがね」


「だからそういう奴らの足を止めるには、士気を崩すとか虚をつくみたいな手も通じねぇし、足でひっかきまわすしかねぇかなって。群れのど真ん中から相手ぶった切りながら群れの外へ突破すれば、たぶんこっち追ってくるっしょ? 前に戦った群れと同程度の実力なんだったら、そのくらいはやってやれねぇこともねぇかなって」


「ふん、いっぱしの口を叩きやがる。だが、ま、駄法螺のつもりはねぇようだな」


「そうだね、問題はないだろう。どうにもならない状況に追い込まれたと見たら、こちらの判断で強制脱出させるけれど、かまわないね?」


「うっす」


「よし。……じゃあ、次はネテ。お前さんはどうする?」


「僕は……そうですね。この位置で」


「ふぅん、敵の群れから丘を越えた向こう側。攻撃術法使いの定石通り、というわけね?」


「はい。このくらいの距離ならば、安全性と殲滅効率がうまく釣り合うか、と」


「安全性ね。タク一人じゃ安全の確保は難しい、って考えなのかい?」


「いえ、僕はタスレクさんには、僕から離れて都市を直接護っていただきたい、と思ってるんです」


「……ふぅん? 私たちはあなたたちの安全を最優先にする、という意思は伝わらなかったのかしら?」


「いえ、みなさんのご意向は理解しているつもりです。その上で、この位置から遠距離攻撃術式を移動しつつばらまくやり方ならば、僕の安全が脅かされる可能性はごく低い、と判断しました。群れの情報を確認した限りでは、少なくとも僕が担当する地点では、術法使いの邪鬼の眷族はごく少ない。術式で高速移動を繰り返しつつ遠距離攻撃をくり返すやり方なら、位置が割れる可能性さえ低いといえる」


「万一ってことがある。邪鬼の眷族の中には、単純な性能なら熟練の術者に匹敵する術法使いもいるよ?」


「そういう『万が一』が起きた時には、みなさんにおすがりしようと。少なくとも、ルタジュレナさんがすべての戦場の情報を統制している限り、不意を討たれることはまずないし、その際にもありえない『万が一』が起きたとしても、タスレクさんが同じ戦場にいるのなら、救援が間に合わないこともまずない。僕程度の術者でも、全力で抵抗し逃げ回ったならば、そのくらいの時間は稼げます。それに本当に危険な時は、ルタジュレナさんなりシクセジリューアムさんなりが、転移なり高速移動なりで介入できる」


「………ふむ」


「そこまで安全性が保たれているのに、タスレクさんほどの守護に秀でた方が、この状況で都市を護らないという方がおかしいですよ。適材適所の逆をいくにもほどがある。やっきになって充分保たれている安全性を高めようとした結果、命が無駄に失われる、なんてことを肯んずるほど、僕はまともな人間をやめていません」


「――その言葉。嘘はねぇな」


「はい。僕の名に懸けて」


「………よし、いいだろう。俺の目を見返してきっぱり宣言するくらいの根性があるんだ、自分の言葉を違える気はねぇんだろうさ。なら俺たちも、護衛の依頼を請けた者として、それに応えるのが当然だ。なぁ?」


「だね。あんたの心意気を無駄にしない働きをしてやろうじゃないか。もちろん、あんたにも大口を叩いた分の仕事はしてもらうけどね」


「ふぅ……グェラ、あなた、その『心意気を無駄にしない働き』というのが、主に私の情報・戦術支援によるものだということ、わかって言っているんでしょうね。……まぁ、いいけれど。今の私は労働意欲に満ちているのだから、その程度の仕事は当然こなしてあげるわ」


「ネーツェくんも、それで問題はなし……となれば、最後はカティフくん。君はどうかな?」


「っ……俺は、その。………、ここで………」


「ふぅん? 都市からざっと二ソネィオ、丘をいくつも越えた場所にある隘路、と。ずいぶん離れた位置に陣取るのね?」


「っ……」


「理由を聞こうか。君なりに、なんらかの目算があって決めたことなんだろう?」


「っ、はい。俺は……俺には、一万近い軍勢を、実力でどうこうすることなんて、できません。真正面からぶつかって駄目なのはもちろん、どんな搦め手を使っても。たとえ向こうが俺にとっては一撃で殺せる連中だろうと、そもそも殲滅するだけの攻撃力そのものが足りない。敵の攻撃を捌きながらってことになれば、さらに殺せる数は減る。つまり……俺が確実に生き延びることを絶対条件とした上で、俺が少しでも役に立つ状況ってのを考えると、グェレーテさんに俺でも倒せるぐらいの数の敵を、俺に処理できる頻度で、敵の群れから離れた安全な場所にまで誘導してきてもらう、って状況しか、思いつかなくて……」


「都市の護りはどうする気だ?」


「それは……その。……グェレーテさんに、あちらこちらへ群れを誘導してもらって、時間を稼いでもらうしか、ないかなって……」


「……なるほどねぇ。攻めも守りも、許容量を超えた分は完全にあたし頼みか。まぁ、あんたらしいね。できないことをできる、と言い張る奴よりはるかにマシだけどさ」


「…………っ」


「グェラ。どうだ?」


「ふふん、ま、あたしも一族の最長老って年まで冒険者として生きてきた女なんだ。依頼の達成のためには全力を尽くすさ。それに……男が、自分より年下の連中が『これだけの活躍をしてみせる』と言いきった後で、地味に自分のできる程度の仕事をこなそうとする、その重みがわからないほどの野暮天でもないしね」


「えっ……」


「それじゃ、全員、自分の初期配置については問題ないわね? 念のため言っておくけれど、戦ってもらう場所や状況はどんどん変えていくから。少しでも被害を減らすために、どの都市に迫る敵の数を減らし、どの場所の敵を攻撃するのが最適解かはどんどん変わっていくわ。状況の推移に応じて、あなたたちには、転移門を使って、あちらこちらの都市へどんどん移動してもらうから。当然、その際に情報伝達や移動支援なんかはきっちり行うから、あなたたちは基本、ひたすら目の前の状況に対処することを考えていればいい。移動する先の状況についても、あなたたちがさっき言った希望は考慮するから、心配は無用よ」


『はいっ』


「は……はいっ」


「配置が変わらないのはジルディンくんとロワくん、そして私だけだ。この位置でひたすら浄化の風の大規模行使と、英霊召喚術式に集中してもらう。私はその支援を行う……文句はないね?」


「………はい」


「はーい……」


 緊迫した雰囲気の中、軽い、というかいくぶん投げやりな口調で返したジルディンの返事に、グェレーテがぴくりと眉を動かした。だがなにか口にするでもなく、シクセジリューアムに向き直り身構える。


「――それでは転移させるよ。全員、奮闘を期待させてもらうからね」


「うっす!」


「ま、任せとけ」


「全力を尽くします」


「こちらの台詞、と言わせていただこうかしら」


「が、頑張りますッ!」


「やるべきことはきっちりやるから、そっちはそっちのことに集中しな」


 それぞれ異なる感情の込められた声音で返された返事に、シクセジリューアムはわずかに唇を揺らすも、次にそこから出てきたのは短い呪文だった。


「〝十二番実世ひふみよ十五番明光といあげ十八番知己いやちこ〟」


 呪文と同時にざざざざっ、と自分たちの周囲にいくつもの暗い影――転移門が開き、即座に音もなくヒュノとネーツェとカティフと三人の英雄たちの姿が消える。それからくるり、とシクセジリューアムがこちらの方を向いた、かと思うとひょいとその場に座り込み、低い声で言い放つ。


「さて……それでは、君たちがいかに『奮闘』するのか、見せてもらおうか。君たち自身の口にした、あるいは口にしなかったこと相応の働きを、期待させてもらうよ。かまわないね?」


「はっ、はい……」


「はぁーい……」


 なんかいちいちめんどくさいこと言う奴だなぁ、とジルディンは半ばうんざりしながら適当に声を返す。まぁ、こいつがどんなこと考えてたって、いまさら俺をどうこうしようなんてしてこないだろうし、いいか。




   *   *   *




 ―――などという考えが大甘だったと、ジルディンは三人きりになってからすぐに気づいた。


「〝祈る声は風に、染み渡るは血と智に、天と地の在るべきように在り、巡るものの清らなる始まりを願う……〟」


 ロワがいつもの似たような文言の、呪文だか祈りの言葉だかよくわからないものを唱えながら、結界を張って領域を浄化し、と作業している中、ジルディンはとりあえずやることがないので、ロワの張る結界の真ん中あたりに座り込んでぼうっとしていたのだが――すぐに、背筋にぞぞぞっと悪寒が走り、体が硬直してしまった。


 魔力だ。とんでもない量の魔力が渦を巻き、自分を取り巻いている。下手に身動きすれば即座にジルディンの身魂を押しつぶしてしまうだろう、苛烈な殺意と敵意を伴って。


「っ………、………」


 固まった体で、だらだら汗が垂れ流れるのに耐えながら、そろそろと周囲の魔力を探り、気づく。というより否応なく気づかざるをえない。相手は魔力の操作の痕跡を、ジルディンにはまるで隠していないのだから当然だ。


 だが、ジルディン以外には――必死になって術式の準備をしているロワにはまるで気づかれていない。つまり、この圧倒的な魔力の気配に、指向性を持たせているのだ。本来魔力を動かそうとすれば、魔力感知に長けた人間にはどうしたって気づかれてしまうのに、その存在感そのものを意図的に、ある者には気づかせてある者には気づかせない、なんてどんなインチキをやっているのか。


 ともあれ、間違いようがない。ジルディンの眼前、一間も離れていない先に座しているシクセジリューアムは、ロワに気づかれないようにしながら、ジルディンに殺意満々の魔力の気配をぶつけてきているのだ。感覚としては、ほとんど真正面から刃物を突き付けられている(それなのに他人からはうまい具合に隠れて見えない)というのに近い。


 しかもその刃物は死ぬほど鋭いのが素人目にもわかる代物で、向こうが軽く手を動かせば肉と内臓をずっぱり斬り裂かれて死亡確定するだろうことがわかってしまうのだ。いくらジルディンでも冷や汗をかかずにはいられない。


 どうする、どうすれば、と自分の生き延びる道を必死に探る。向こうがなんでこんなことをしてきたのかはまるでわからないが、ここまでの殺意をぶつけられているのだ、向こうがちょっとでもその気になれば自分は誰に知られることもなくご落命、ということになることは疑いようがない。


 しばしうんうん唸りながら考えて――結局、すぐにああもういいや、と面倒くさくなった。向こうがなにを考えてるのかは知らないが、とっとと言うだけのことを言ってしまおう。それで事態がどう転ぶか、自分の命が終わるかどうか、なんてことまでいちいち考えてもしょうがない。だってそんなの、ジルディンのせいじゃないんだし。


「あ、あのぉー!」


「っ、?」


「……なにかな」


 二人分の視線をぶつけられ、ジルディンは腰を引かせながらも(だってその間も殺意に満ちた魔力が自分を取り巻いているのだ、刃物を突き付けられて殺す準備万端と主張されているようなもんなのだ、怖いもんは怖い)、シクセジリューアムを指さして必死に言い募る。


「えっとぉー! そ、そこの人ぉー! なんでっ、俺に殺す気満々の魔力の気配とか、ぶつけてきてるんですかぁー!」


「魔力の気配……?」


「ほぅ……その言い草からすると、君はこの期に及んで、私の名前すらも覚えていなかった、ということで間違いないのかな?」


「うぐっ……だ、だって別に話とかしなくてよかったし……じゃなくてぇー! なんで俺にぃ、いつでも殺せるぞー、みたいなすんげぇ魔力を、術式発動数瞬刻ルテン前、みたいな状態で俺の周り取り巻かせたりとか、してるんですかぁー!」


「ほぅ……私が、君に? 取り立てて覚えはないが……君は私に、なにか含むところでも、あるのかな?」


「はぁ!? 嘘つくなよあんた、だってどう視たってあんたが……」


「私が君を害する理由はまったくない。私は、君も含めたパーティ全員の護衛を依頼として請けているんだよ? 護衛対象を害してどうするんだ。君は、私の評判なりなんなりを損ないたい、という積極的な理由があるのかな?」


「だっ、だって、そんなの、だって……」


 ジルディンはどうすればいいのかわからなくなって口ごもる。そもそもジルディンは言い合いだの議論だのなんてものは、まるで得意ではないのだ。そんな面倒くさい上に益のないこと、やる気なんて起きるはずがない。だからどうしようもなくなって、ただ口をぱくぱくさせるしかできなかった――


 ところに、なぜか、ロワが手を挙げて発言した。


「あの……すいません。シクセジリューアム、さん。……なにか、ジルに、その……殺気をこめた魔力の、気配? を、ぶつける理由とか、あるんですか?」


「えっ……」


「……ほう。君は、私の言よりも、この少年の言の方を信用すると?」


「あ、その……はい。そうですね。そうなります。普通に考えて、シクセジリューアムさんの方が明らかにおかしなことを言ってる、と思うので」


「ほう。参考までに、理由を聞かせてもらおうか。仲間という立場をおいておくとしたら、彼と私では、十人中十人が私の方が信頼度が高い、とみなすと思うのだけど?」


「えっと……その、仲間という立場をおいておくとしたら、ですね。俺は、シクセジリューアムさんよりも、ジルの方をよく知ってるから、っていうことに……なるんですかね」


「知己であるという事実は、いかなる社会的な信頼度にも勝ると?」


「いえ、そういう話じゃなく。単純に、俺は、ジルだったらわざわざそんな嘘つかないだろうな、って思うんです。確信してるというか、知ってるって言った方がいいのかもしれませんけど」


「えっ……」


「ほう?」


「だって、ジルって基本その場が丸く収まって自分が攻撃されなかったらそれでいい、他のことはどうでもいい、みたいな考え方する奴ですから、わざわざシクセジリューアムさんにちょっかいかけるはずないですし。かけるとしたら、ジルを直接的にか間接的にか、操ってる奴がいるって状況しか考えられないんですよ。シクセジリューアムさんがここにいて、俺たちの警護をしてくれてるのに、そんな奴が出てくるはずない。となると、シクセジリューアムさんが……試すなり、はっぱをかけるなりって理由で、殺気をこめた魔力をジルに向けてる、って考えた方がずっと納得がいくんです」


『……………』


 ジルディンは思わず脱力して、「うぇぇぇー……」と呻きながらずるずるとその場に崩れ落ちてしまった。別にロワの自分に対する見方が間違ってるとは言わないが……というか、かなり正確なところを衝いていると思うが、そーいうことを真正面から言われると、さすがに恥ずかしいしげんなりする。別に腹を立てる気はないけど。


 シクセジリューアムにとってもその答えは予想外だったようで、ん、んん、と何度か咳払いをしたあと(たぶん噴き出しそうになるのをごまかしたんだと思う)、軽く肩をすくめて言葉を返した。


「なるほどね。そう言われるとこちらも正直なところを話さざるをえない。確かに私は、そこの神官くんに殺気のこもった魔力の気配をぶつけたよ」


「え、あんた俺の名前、憶えてるんじゃ……」


「あいにく、『こちらの名前を覚える気のない相手の名前のために割く記憶容量』なんて無駄なものの持ち合わせはなくてね」


「うぅー……」


「で、あの。どういう理由で、そんなことを?」


「君がさっき言った通りさ。はっぱをかけてやろうとしただけだよ。なにせそこの神官くんからは、『今回の戦いに勝つための一助となろう』という気概すらも感じられなかったものでね。君が必死に浄化結界を張ろうとしているのに、まるで他人事のような顔だ。少々腹に据えかねてね、真面目にやる気がないならそれ相応の対処をするぞ、と示してみせただけさ」


「えーっ、あんたらさっき、俺たちの術式がうまくいかなくても別に俺らのせいじゃない、みたいなこと言ってたじゃ……」


「それと『やる気を持たなくてもいい』などという戯れ言とはまるで違う。全力を尽くすだけの気概がなければ、万一の幸運すら拾いようがない。それに言ったはずだよ、私は。『全員、奮闘を期待させてもらう』と。文句があるのならそれ相応の態度を取らせてもらう、というようなことも言ったはずだ。それなのに、まるでやる気を見せず集中力の欠片も見せないようでは、こちらに『それ相応の態度』を取ってくれと言っているようなものではないのかな?」


「う……け、けどぉ……」


 向こうの言葉が反論しようのない正論だということを理解しながらも、納得したくなくて口をもにゅもにゅさせていると、ふいにロワが自分たちの間に割って入ってくる。


「おっしゃることはもっともだと思いますが、シクセジリューアムさん。ジルは、そういう風にはっぱをかけても、あまり役に立ちませんよ」


「えー……?」


「おや、そうなのかい?」


「はい。ジルは、基本自分からその気にならないと、術法使いとしての能力をまるでまともに発揮できません。『やれ』と強いられたことを嫌々やることはありますが、そういうやり方で出せる結果は、ジルの本来の能力の十分の一にもならないと思います。ジルにまともな働きをしてもらうためには、ジル自身に自分から『しょうがないやるしかないか』ぐらいのことを思ってもらわないと、どうしようもないんです」


「うぇー……」


 言い当てられた。なんでこいつこんなに俺のこと知ってるんだ気持ち悪い、と思ってしまうほどしっかりはっきり内心を詳らかにされ、ジルディンは思わずげんなりする。体の方も勝手に脱力し、ずぶずぶと沈むように地面に寝転がりかけて、シクセジリューアムにじろりと冷たい一瞥をくらって慌てて身を起こして座り直す。ぶっちゃけあんなとんでもない魔力の持ち主に絡まれるとか、もうこれ以上はごめんだった。


 シクセジリューアムはロワの言葉に納得したのかどうなのか、「ふぅん……」と小さく呟いて、改めて端然と座していた姿勢を整え直し、じろじろとこちら――ロワとジルディン両方を見つめてくる。うわーめんどーだなー、と内心慨嘆しながら、頭の一部でこんなことを考えていた。


『しっかし、よくまぁ俺のことなんてそんなに考える気になるよな、ロワのやつ。別に俺たち、お互いのことあれこれ考えたりとか、そんなことするほどたいそうな出会い方しなかったってのに』


 身勝手だったが、正直な気持ちだった。あんなどこにでもある、むしろありふれた出会いよりさらにみじめでしょうもない、どうしようもない出会い方だったのに、そんなパーティの仲間を意識する、なんて無駄なことこの上ないとすら言ってもいいだろうに、なんでわざわざそんなことする気になるんだろう。それが、ジルディンの偽りない気持ちだったのだ。




   *   *   *




 ジルディンが仲間たちと出会ったのは、一転刻ビジン前のこと。パーティメンバー募集の紙が貼ってある看板前で、というしまらない出会い方だった。


 ジルディンは、最初のパーティが全滅したあと、一節刻テシンほどギルドに面倒を看てもらったのち救護室から蹴り出され、嫌々ながらパーティメンバーを募集しているパーティを探すべく、そこに向かったのだ。ただ、まぁ、ジルディンは、自身の能力にそこそこ自信があったので(なにせいろんな人から『高い術法使いの才能がある』と言われてきたわけだから)、自分を入れてくれるパーティなんて、ちょっと探せばすぐに見つかると思っていたのだ、が。


 どっこい、世の中そう甘くはなかった。どうやら『最初に入ったパーティが全滅して自分だけ生き延びた』という事実のみならず、『その後パーティメンバーの死をまるで気にしていない顔で救護室に居座れるだけ居座った』だの、『ギルドに来る前もゾシュキア孤児院の教師たちに目をかけてもらったにもかかわらず怠け倒して孤児院から叩き出された』だのという、これまた間違いない事実まで、ジルディンの最悪な評判としてギルド内の冒険者たちに広まってしまっているらしかったのだ。


 なんでわざわざ俺の評判広めるとか暇なことを、とジルディンは心底恨めしく、鬱陶しく思ったものの(その後仲間たちに聞いたところによると、『地雷冒険者の悪評を広めるのは、ギルドとしては普通に職務の一環』らしかったのだが)、事実である以上反論のしようもない。面倒くさくとも鬱陶しくともその悪影響を甘受せざるをえず、結果それなりに頑張って猫をかぶりつつパーティに入れてくれるよう数十人に頼んだにもかかわらず、揃ってきっぱりお断りの言葉を叩きつけられてしまったのだった。


 かといって、他にうまい具合に怠けられる仕事の当ても思いつかず、毎日毎日看板前に通って――


 いつの間にか、現在のパーティメンバーたちと、一緒に仕事をすることになっていた。


 いや、正直、ジルディンにはそんなつもりこれっぽっちもなかったのだ。最初にお試しで組んだ時の仕事からして面倒なことこの上なかったし、大変だったし、しんどかった。だからって別に次の仕事もきついものになると決まったわけじゃないだろうが、それでも印象は悪くなるし、そもそもパーティ全体の能力が低すぎるのが問題だ。役割分担はきちっとできていたが、その役割を果たすための能力が、せいぜい自分と同程度しかないのだ、そりゃあ敬遠もする。


 こんなパーティじゃ自分も一生懸命働かざるをえない、自分のことを甘やかしてくれる余裕なんてまるでないに違いない、となんとか断ろうとしてみたのだが、話の流れとか勢いとか、そういうものに逆らうことができず、あれよあれよという間に組んで仕事をせざるをえなくなり、何回もぜぇはぁと息を荒げながら死ぬ思いをしながら仕事をこなしていくうちに、いまさらパーティを抜ける話をしたところで、死ぬほど鬱陶しいお話し合いをしないわけにはいかないだろうと気づき、結局面倒くさくなって、パーティから逃げるのをやめた。


 ――単に、また新しいパーティを探して受け容れてもらえるようそれなりに猫をかぶる、なんて死ぬほど面倒くさいことを、またやらなくてはならないのが嫌だったから、というのも大きいが。




   *   *   *




 面倒くさくて、流されるままに、一緒にパーティとして仕事をすること一転刻ビジン。その間、なんだかんだで自分たちは、そこそこうまくやっきてしまったと思う。仕事のきつさとか報酬の少なさとかは別にして。


 ただ今回の一件は、ジルディンの許容できる面倒くささの範囲を超えている。英雄だなんだって連中に尻を叩かれながら、死に物狂いになって邪鬼を倒すため頑張る、なんてジルディンの趣味じゃない(そんなことを言えるほどジルディンが偉いわけではないことも、たいていの人は『趣味だなぞと上等な言い回しのできる範疇にはないクズの思考』と考えるだろうことも、一応理解しているが)。


 今さっきのように、英雄連中は手を変え品を変え、ジルディンの尻を叩き、真面目に懸命に死に物狂いにさせた上で、仕事に取り組ませようとしている。嫌だ嫌だ、冗談じゃない。ジルディンはそんな責任を背負わされるのはごめんなのだ。


 ジルディンは単に、適当に気楽に怠けながら日々を過ごせればそれだけでいいのに。それ以上を求める気なんてこれっぽっちもないのに。なんでこうも一方的に自分の労働を搾取されなければならないのか。……まぁ、そういう気持ちを口に出して文句をつければ、もっと面倒くさいことになるのは必定なので、ぶちぶち言いながら心の中だけで呟くだけで勘弁しておいてやるが。


 ……そういえば、仲間たちはなんで文句をつけなかったんだろう。ふと、それまで考えもしなかった疑問点に気づき、ジルディンはこっそり首を傾げた。普通だったら、パーティの仲間に怠ける気満々の奴がいたら、パーティから叩き出すか、自分たちの便利な道具として使おうとするか、よっぽど親切な奴らでも、性根を叩き直してやると折檻くらいのことはしてきただろうに、ロワもヒュノもネーツェもカティフも、そのどれも一度もやろうとしたことすらなかった。


「〝祈りよ、誓いよ、その淵源たるを示せ。繋がりし約束よ、その呼び声を聞け。始源より終焉まで連なる理よ、結び続けられし証のひとひらをここに顕わせ……〟」


 目の前で、祝詞を上げながら神楽を舞うロワをぼけーっと眺めながら(英霊召喚術式が発動するまで、ジルディンにはやることがまるでないので。シクセジリューアムが怖いので、できるだけ表面上は真面目な顔を装いつつ……)、考える。なんでこいつら、こんなに俺に親切なんだろう。


 まぁ自分が術法使いとして才能があるのは間違いないんだろうが、それと冒険者として役に立つかとは別の話だし。ジルディンがこれまで、自分たちに次々襲いかかってくる理不尽で割に合わない問題(隊商の護衛をしている時に出くわした幼児誘拐事件とか、魔物退治の依頼を請けた際の出先での急病人とか、依頼とは微妙に関係がないけれども放っておくわけにもいかない、けれど解決しようとすると依頼達成の難易度が跳ね上がる上にどこからも報酬が出にくい代物)の解決に、すごく役に立ったとかいうわけでも全然ないし。というか今回の一件まで自分たちに、ああもどんどこ笑劇かなんかじゃないかってくらい絶え間なく襲ってきた厄介事の数々はなんだったんだろう、呪われてたりしたんじゃなかろうか自分たち。


 とにかく、別に自分がいたからって、依頼達成に大きく貢献できたわけでも、命を救われたというわけでもないのだ。自分が治癒術式の使い手としてそれなりに働いたのは確かだが、結局それだけじゃ間に合わない状況を考えて(実際そういうことが何度もあったので)、ポーションを相当量買い込まねばならなかったことを考えると、状況の改善に大きく役立った、という気もしない。


 それなのに、なんで仲間たちは、自分を叱りも怒りも呆れも蔑みもせず、普通に一緒に冒険者のパーティとして依頼に取り組んできたのか。ジルディンがどれだけ怠惰な素振りをしても特に咎めず、当然のように報酬を等分してよこしてきたのか。――自分が内心考えていることを、これまで周りのどんな人間にも、知られれば軽蔑され叩き出そうとされてきた心の中を、ああもあっさり読み切って、そのくせ特に責めもせずにいられたのか。


 これまで面倒だから考えてきもしなかった、まともに考えることを避けてきた話ではあるが、いまさらながらジルディンには、ひどく奇妙な話に思えたのだ。


『――そこの神官くん』


「…………」


『神官くん』


「…………」


『……ゾシュキーヌレフ湊川地区第四ゾシュキア神殿出身、ゾシュキア神官ジルディン。私の声が聞こえているのかな?』


「…………」


 唐突に額にがづっ、と硬いものが投げ当てられた衝撃に、ジルディンは「んぎゃっ!」と悲鳴を上げて慌てて立ち上がり――かけて、体が動かないことに気づく。思わず顔面蒼白になってうろたえ惑っているところに、冷徹な声音――シクセジリューアムの言葉が、耳ではなく心魂に響いてくる。


『この状況下で気もそぞろとは、大物だね。そうであってはほしくない方向に。ちなみに今君が身動きも取れず、声もろくに出せず、視線を動かすことすらまともにできないのは、私のかけた束縛術式のためだから、気にしないように』


『なっ……ちょっ……いや気になるよ! なんでいきなりそんなことしてきてるわけあんた!』


『ほう。あんた、とはまた、なかなかの言い草だね。この状況で』


『でっ……だっ……だっだってあんたがこんなことするし、無茶なこと言うし、それにえっと心の中だから……』


『正しく使った術式による念話ならば、感情を隠蔽して会話することは特に難しくはないけれどね。……まぁ今はそれはおいておこうか。ちなみに君に束縛術式をかけた上で念話術式で会話しているのは、ひとえにロワくんの集中を乱したくないためだよ。ロワくんの術式が成功するか否かで、十四の都市の命運は決まるといっていい。たとえ失敗したとしても彼を責める気はさらさらないが、失敗の原因を作る気もないのでね』


『えっ……いやえっと……つまり、どーいうこと?』


『君は話を最後まで聞いてから答えよう、と考える程度の頭もないのだね。まぁ私の言いたいことは簡単だ。神官くん、とっとと浄化の風を転移門の向こうへ送りなさい』


『へ……いやなんで? だって、ロワの術式が発動しなかったら、俺程度の能力じゃ敵の来てる街全部を覆うような風は吹かせられない、みたいなことあんたたちが言ってたんじゃ……』


『私たちは別にそんなこと言ってはいないよ。そう考えてはいたけれど。というかそもそも、君が浄化の風の術式の大規模行使を、英霊召喚を行う前から試みるのは、最初から織り込み済みだと理解していなかったのかい?』


『へっ?』


『私はこう言ったんだよ、君たちには『ひたすら浄化の風の大規模行使と、英霊召喚術式に集中してもらう』と。こう言われてなんで、『自分には英霊召喚術式が成功するまでなにもやることがない』と思い込めるんだい?』


『………へっ?』


『というかだね、君はゾシュキーヌレフが十万の邪鬼の眷族に襲われた際に、風操術の大規模行使を行っただろう。そしてその際に、術式を十万の大群をも呑み込める規模にまで拡大し、発動地点を敵の群れのいる地点にまで移動させたのは、君ではなく、魔術師の英霊を降ろされたネーツェくんだったはずだが? 私がネーツェくんの代わりをする、と言ったのだから、君はこちらの準備ができたらすぐにでも術式が使えるように、準備しておくのが当たり前だと理解できていないのかな?』


『へっ………? えっ、あっ、そ、そうだっけ………』


『………どうやら、本気で、まったく、微塵も理解できていなかったようだね。まさかここまで低能な人間が人がましい口を利いていようとは思わなかったのだが。私がなぜはっぱをかけたのか、それすらも理解していなかったようだし』


『えっ、やっ……じゃ、じゃあっ、なんであんたらは英霊? を俺に降ろすとか言ってたわけ!? まぎらわしーじゃんっ』


『単純な術式の規模拡大ではおそらく敵に抗しえない、と考えていたからに決まっているだろう。そんなことは君の仲間たちも全員理解していたはずだと思うけれど。邪鬼・汪は十万の眷族を撃退されたのち、それが誰によって為されたのかを調べ上げ、確実に始末するべく邪神の眷族たちを何体も送り込んできた。その程度の調査能力と学習能力はあるんだ。手勢を十四に分けて大陸の各地を襲わせる、なんて大規模な作戦を試みる際に、二の轍を踏まないよう、対抗策を講じる程度のことをしてこないわけがない』


『ぅぐ……』


『その程度のことも理解せず。仲間が命懸けで戦っている時になにもしないで待機しているだけ、という状況になにか感じることさえなく、ひたすらに茫洋と無駄な時を費やし。そんなことが許されるのか、自分のできることはなにかないか、と自問することさえせず。そしてその度外れた愚昧さに、罪の意識を覚えることさえない』


 深々と、繋がった心の線の向こうで、シクセジリューアムは呆れ果てた、という感じのため息をついた。


『本当に、君は、『生きているだけ資源の無駄』という罵倒に似つかわしい人間だね。まさか、そんな代物がこの世に存在していようとは、想像もしていなかったけれど』


『うっ、うぐ……いや、だけど、だって……』


『言い訳はいらない。――ともあれ、君がどんなに低能な人間だろうと、そんな価値があるとはとうてい思えない生物だろうと、君がゾシュキアの、女神の加護を受けていることには間違いはないんだ。たとえ理由がまるでわからなかろうともね。その分の働きはしてもらう。だから、とっとと浄化の風を、できる限り広範囲に吹かせなさい。規模の拡大や、発動地点の移動、最適な場所と機を見計らった効果範囲の分割、そういう重要で難易度の高いことはすべてこっちがやる。だから君は自分のできることをとっととやりなさい』


『うぅ……でも、けど……』


『これだけ説明されて、まだなにか文句を言う余地があるのかい? それが妥当なものならばこちらも一考の余地は認めるけど、ただの感情論や、見通しの甘い、妥当性の低い理屈で抗弁する気なら、こちらもそれ相応の態度を取らせてもらうけれど?』


『………うぅ………』


 文句を言う余地はない。反論はできない。今ジルディンがシクセジリューアムの命令を聞きたくないと思っているのは、それこそただの感情論にすぎないのだ。どこの誰だろうとジルディンの方が妥当性を欠いていると断言するだろう。


 だが、ジルディンの心の内では、それでも断固として『やだ!』という主張が全力で鳴り響いていた。


 なんで? なんで俺がそんなことやんなくちゃなんないの? やだ、そんなのやだ、めんどくさい。そんな責任背負いたくない、なんで俺がそんなこと押しつけられなきゃなんないわけ? 女神の加護があるからなに? だからってなんで俺が働かなきゃなんないの? そんなの、術法の才能だって、全部最初から、俺が選んだわけでもなんでもないのに!!


 ――だが、当然ながら、そんな正直な主張をそのままぶちまければ自分はこの人に殺されてしまうので。


『はぁーい……すぐやりまぁーす……』


 そう渋々ながら、嫌々ながら、めんどくさい鬱陶しいと思いながら、自分の心と相反する言葉を吐かざるをえなかった。

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