第34話 神官回想

「ええぇぇ!?」


 突然思ってもいなかったことを言われて思わず叫んでしまったジルディンに、英雄たちは一瞥もくれず、真剣な顔で話し合う。


「そっちできたか。となると、俺たちのできることも、立ててあった対応策以外にはなさそうだな」


「それとも、なにかそこらへんを崩すような、予想外の情報でもあるかい?」


「いや、今のところはないね。基本的にはどの敵勢力も、ゾヌを襲撃した時と同様に、ある程度距離を置いた森なり山なりからじわじわ溢れ出るように群れを成し、都市へと進行している」


「向こうには奇抜な作戦を立てる頭はないらしいわね。……まぁ、現状では、相当に面倒な一手ではあるけれど」


「え……なに、どーいうこと?」


「英雄さんたちは邪鬼がそーいう手を取ってくることも予想済みで、対策なんかもしっかり立ててたってことだろ?」


「あ、なーんだ、じゃー全然大丈夫なんじゃん」


「……話してる内容を聞く限り、予想していた手の中でも、有数ってくらいに対策の取りにくい手ではあるみたいだけどな……」


「うぐ、そっかぁ……じゃー大変なんじゃん!?」


「疑問の余地なく大変だよ、お前はいったい現状をなんだと思ってるんだ」


 英雄たちが厳しい表情で話し合う横で、自分たちはこそこそと小声で邪魔にならないよう言葉を交わし合う。ここ最近そういう経験は何度も積んだし、ジルディンは子供の頃からそういう役回りを否応なく山ほどこなしてきたのだ、英雄たちの邪魔にはなっていないはずだった。


 が、英雄たちは揃って、怖い顔でぎろりと自分たちを睨みつけてくる。ひえぇと思いつつジルディンは素直に小さくなって、とりあえず怒られないようしゅんとした顔をした。


 だが、英雄のみなさんは、そんな細かな気遣いなんぞあっさり無視し、険しい顔のままきっぱり言ってくる。


「お前らも、当然こき使わせてもらうぜ」


「現状、ほぼ唯一の、敵に有効打を与えられるパーティなんだからね」


「命を懸けてもらうことになるけど、文句はないわね?」


「ある、なんて言ったらそれ相応の態度を取らせてもらうけど……問題はないね?」


「はっ、はい」


「りょーかいっす」


「問題ありません!」


「ないでーっす……」


 ジルディンも他のパーティ面子の返答の流れに乗り、無難で素直な言葉を返したが、内心では『めんどっちぃなぁ』と気合の入っていないことおびただしいことを考えていた。


 今回――リジ村のゴブリン退治から始まったなんじゃかんじゃにまつわる仕事は、ぶっちゃけ辛いし疲れるししんどいし、いくら大金をもらえるといっても割に合わない、とジルディンとしては感じていた。依頼を請けてしまった以上最後までやるつもりではあるが、それとやる気が湧くかどうかは別問題。ジルディンとしては、どっちかというと楽に片づけられる仕事の方が『早く片付けられる』とやる気が増す。


 が――『まぁ、でも、だからって何が変わるわけでもないよな』と、ジルディンはいつも同様、気楽に考えていたのだ。どうせこれまでもなんとかなってきたのだから、今回だってなんとかなるだろう。適当にやっていても、周りは頑張ってなんとかしようとするし、成り行きがうまいこと転がったりするしで、なるようになるに決まっている。


 ――そして、ならなかったらならなかったで、別に大したことが起きるわけでもないだろう。万一、最悪の事態が起きたとしても、単に自分が死ぬだけだ。そんなに目くじらを立てることでもない。


 ジルディンはずっと、そんな風に生きてきた。『なんとかならなかった』経験なんて、これまでの人生で一度もなかったし――『なにがなんでもなんとかしたい』『なんとかしなければならない』と感じるほどのことなんて、やはりこれまでの人生で、少なくとも自覚的には、一度だってなかったのだから。




   *   *   *




 ジルディンは、フェデォンヴァトーラ大陸一の商業都市、ゾシュキーヌレフの湊川地区第四ゾシュキア神殿付属の孤児院の子として育った。孤児院院長の司祭さまが、早朝に、孤児院の扉の前に薄汚れた布でくるまれた、赤ん坊の自分を見つけた、という、孤児院育ちの人間としてはごく当たり前のきっかけで孤児院に迎え入れられたのだ。


 他の街ではどうなのかは知らないが、ゾヌではゾシュキアの神殿は他の神よりも優遇され、集まる寄付金も多い(ゾシュキアの神官が学ぶ浄化術も風操術も、ゾヌの商人たちにはこの上なく重宝され、ほとんど船を出すごとに神官が呼ばれるのだから、当然と言えば当然だ)。なので、ほとんどの神殿には併設されている孤児院も、どうにもやっていけないほどの貧乏暮らしに陥る、ということはほぼありえないので、貧民街の連中が育てられなくなった、あるいは育てる気のない赤ん坊を、捨てていくことがしばしばあるわけだ。


 そして、一般的なゾシュキア神殿の孤児院は、そんな風に山ほど捨てられていく赤ん坊たちを、なんとかかんとか独り立ちさせることに全力を注ぐ。自由なる風の女神ゾシュキアの教義からすると、親に育てられることなく捨てられた子供たちは、『自由である権利を奪われた者』とされる。選択の余地なく、自らの道を定めるだけの心を持つことができない生に追い込まれた、自由を奪われた命であると。


 それはゾシュキア神殿にとっては、なにをおいても正すべき世界の過ちであり、信仰にかけて許容することのできない代物だ。なので、ゾシュキア神殿の孤児院が、子供を放り出すことは基本的にありえない。


 ただしその代わり、子供を甘やかす、どころか可愛がることも基本的にはありえない。そもそも教義的に『衣食足らざれば自由在らず』、つまり経済的、能力的な自立があって初めてまともな精神性が生まれる、というのが信仰の柱のひとつでもあるため、とにかくまず自力で食べていけるだけの能力をなんとか仕込もうとする。


 そのためにならばできる限り相談にも乗るし手助けもするが、『優しくする』『愛する』ということは孤児院の仕事ではない、そもそも『仕事だから優しくする』なんて発想自体があるべきではない、それは自由な心――自立した人間が自分の意志で発露すべきものだ、という考え方になるわけだ。


 なので、孤児院側から子供を見捨てるということは基本的にないとしても、孤児院から脱落する――たいていの場合優しくしてくれた犯罪組織の人間にふらふらついていってしまい、裏社会に堕ちてしまう子供というのはそこそこいる。そして孤児院側から、あえてそういう子供たちを取り返そうとすることも基本的にはない。たとえいまだ自由な心を知らない子供であろうとも、自分の人生を決める権利は本人にしかないし、そもそもそんな子にかまっていられないほど次から次へと子供は捨てられてくるからだ。


 そういう安全でありながらもある意味殺伐とした環境で育ったジルディンだったが、しかし実のところ、ジルディン自身の人生においては、むしろ安穏とした生活を与えられてきた、と言ってもよかった。まだ物心つくかつかないかの頃に、他の孤児院の子供たち同様に、神殿で教えられる術法――浄化術と風操術の初歩を仕込まれた際、他の子どもたちとは段違いの才能を示し、のみならず女神ゾシュキア直々に恩寵を与えられて、あっという間に高位の術法使いになってしまったからだ。


 当然ながら、神官たちの見る目も他の子どもたちとは違ってくるし、扱いも変わる。まぁゾシュキア信仰の本拠地のひとつとされるだけあって、ゾヌにはゾシュキアから恩寵を与えられた神官はそこそこいるのだが、それでも出世街道に鳴り物入りで乗り込むことになるのは間違いない。将来の高司祭候補として、神官としての心得やら教義の知識やらより高度な術式やらの勉強を、他の子どもたちより格段に念入りに仕込まれた。


 が、ジルディンは、そういう勉強については、『この上なく』と言ってもそう間違いではないほど不熱心で、才能――学んだことを習い覚え、我が物とし、使いこなす才知についても、他の子どもと十把一絡げにできる程度の能力しかなかった。勉強なんぞつまらないとできる限り授業をすっぽかし、怠け、こっそり盛り場へ遊びに行く方がずっと楽しい、そういう子供だったのだ。


 ――つまり、豊かな術法の才能以外は、ジルディンはどこもかしこも、孤児院の一般的な捨て子同様、どこにでもいる子供でしかなかった。


 孤児たちの教育役の神官たちのみならず、神殿の司祭さままで何度も孤児院に出向き、選良とされるにふさわしいだけの教育を施そうとしたのだが、ジルディンは全力でそれを流し、ごまかし、逃げて、少しでも怠けて遊びほうけることに全力を注いだ。ぶっちゃけた話、ジルディンにはそういう、『才能を活かして選良となる』なんてことが、楽しそうとは思えず、ろくに価値を認められず、神官さまたちがやっきになって自分にあれこれ教え込もうとするのが、面倒くさいとしか感じられなかったのだ。


 そんな調子だったので、なによりも本人の自由意思を尊重するゾシュキア神官である孤児院の先生たちは、やがてジルディンに教育を施そうとするのをやめた。期待もかけず、特に手もかけない、曲りなりにでも手に職をつけさせることができた子供たち同様、こちらから頼ることがなければ特になにもしようとしてこない、基本的に放置しっぱなし、という状態に至ったのだ。


 ジルディンは『よっしゃめんどっちぃ勉強とかしなくてすむようになった』と内心快哉を叫び、孤児院の他の子どもたちと同程度の、衣食を賄うに足るぐらいの労働というか、孤児院や神殿の手伝いをしながら、それ以外の時間はひたすら遊びほうける、という生活をしばらく続けていたのだが――


 ある日、唐突に、ほぼ身一つのまま、ジルディンは孤児院を追い出されることとなった。


 え、なんでなんで、と驚き慌てるジルディンに、神官たちはごくあっさりとこう告げたのだ。


『手に職をつけた子供をいつまでも養うような無駄金は、この孤児院にはない』


『君が将来高司祭位を目指して刻苦勉励するというならとにかく、食うに困らない程度に適当に仕事しよう、という心構えしかない子にいちいち仕事やら衣食やらを割り振ってやるほど、こちらに余裕があるわけでもない』


『神殿で仕事をしたいというなら拒まないが、それならそれで、最低でも衣食住の面倒は自分で見なさい。こちらからの援助はしない』


 なんでそんな急に、突然すぎる、一方的すぎる、とジルディンなりに必死に訴えたのだが。


『私たちは君に、才能に応じた分だけの機会は与えた。それを放棄したのは君自身だ』


『我々は君にできる限り知識を与え、知恵を学ばせようとした。にもかかわらず、自身の現状を、現在の自分の生活がなにに担保されているのかを、君は理解せず、知ろうともしなかった。それは君の責任としか言いようがない』


『自分の行いの責任は自分で取りなさい。そうしないものを、我々はゾシュキアの子とは認めない』


 きっぱりはっきりそう言われ、断固として孤児院に入れてくれなかった神官たちに、困り果てたジルディンは、どうしよう、どうすればいいんだろうと戸惑い心細くなりながらも、ゾヌに住む人間としてよく知っている、『年齢や資格に関わらず、身一つで即日仕事が請けられる』『腕一本でいくらでも金が稼げる』職業の第一位に挙げられるだろう職業――冒険者のことを思い出し、とぼとぼとした足取りで手近な冒険者ギルドへと向かった。


 そこで、自分は今の仲間と出会ったのだ。これからどうすればいいのか、まるでわからなかった自分を、助けてくれた奴らと。




   *   *   *




「現在大陸のあちらこちら、数にして十四の都市を襲おうとしている邪鬼の眷族は、一つの群れにつき、最低でも一万弱ほどの兵数を有している。目標とする都市の中には、その程度の敵ならば蹴散らせる――とは言わないまでも、なんとか撃退できるだろう程度の戦力を供えているものもあるけれど、ほとんどの街はそこまでの戦力は持っていない。一般的な国家ならば、常備兵数は総人口の百分の一程度が限界なんだ、当然と言えば当然だね」


「しかも、少なくともざっと測定した限りでは、その眷属たちすべてに邪鬼・汪による、邪神ウィペギュロクの加護が与えられている。あなたたちじゃなければ倒しようがない敵、ということになるわけね」


「だけど、当然、あんたたちがいくぶん成長してきているといっても、総勢十四万を超える敵を、普通に真正面から相手にできるわけがない。その上敵は十四箇所に兵力を分配してるんだ。ネテがこの前やったような、術式でまとめて倒す、ってやり方も少々やりづらい」


「つまり、だ。今回はジル、お前さんが主役になるわけさ」


『……………』


 その場が数瞬しん、と静まり返る。一応話は聞いていたものの、早く話終わんねーかなー、などと思いながら半分以上ぼーっとしていた(顔だけは真面目を装っていた。そういう小技には慣れている)ジルディンは、みんななに黙り込んでんだろ、などと考えつつ、ぼんやり英雄たちの言葉を咀嚼し、六十瞬刻ルテン、というか四分の一短刻ナキャンほど経ってから、はっとして叫んだ。


「えっ!? 俺ぇっ!!?」


「いやおっせぇわ! 遅すぎるわ! お前また話まともに聞いてなかったな!?」


「えっ、やっ、だって……な、なんで俺っ!?」


 突然だし、無茶振りだし、めちゃくちゃだ。十四万もの敵を相手に、ジルディンができることなどなにも――


 と言いかけてから、気づいた。あ、そういえば俺、十万の邪鬼の眷族相手に、一応殲滅させたことあったっけ。


 思わずぽん、と手を叩いてしまうジルディンに、英雄たちは程度の差はあれ、それぞれ呆れた表情を顔に乗せながら説明する。


「思い出してくれたようね。大変結構。普通の人間なら最初から気づいて然るべき、とは思うけれど」


「ま、ゾヌを十万で襲撃された時と、基本的には同じだ。風操術――今のお前さんなら浄化術も交えて浄化の風を使うことになるだろうが、とにかくお前さんの操る風の術式の効果範囲の広さに頼ることになる」


「あ、え、でも、その十四個の街ってどこも全然離れてんでしょ? どうやってそこまで届ければ……」


「そこらへんは私が援護する。その十四の都市それぞれに繋がる転移門を開いて、君の術式制御を支援する。要は、ゾヌが襲われた時にネーツェくんがやったのと同じ役割を私が受け持つってことさ。同じ魔術師だしね?」


「は、はは……」


 シクセジリューアムにちらりと視線を向けられ、ネーツェは力ない笑いで応える。まぁ自分よりはるかに格上の相手に、使う術法が同じだからって同じもの扱いされても困るのはわかる。


「え、でも、ネテがやるんじゃ駄目なんですか? 格上の人が自由に動けるようにしておいた方がいいんじゃ……?」


「んなわけないだろう。まぁ普通の状況なら、必要とされる術式を使える術法使いが二人いるなら、格下の方に使わせるってのは、当たり前の戦術じゃああるけどね。あんた、ネテもウィペギュロクの加護を打ち破れる人間の一人だってこと、忘れてないかい?」


「あっ……」


「まぁ、そういうことだね。今回はネーツェくんも前線に出て、ジルディンくんが超広範囲術式を発動するまでの間、できる限り邪鬼の眷族を倒しまくって、時間稼ぎをしてもらう。彼も魔術師だ、広範囲に攻撃術式をばらまくのは、得意分野の範疇に入るはずだしね。それに、超広範囲術式の発動補佐をするのは、それなりに難易度の高い仕事だ。転移門を開き続ける分の精神疲労と魔力消費が上乗せされるとしても、私がやった方が早く、確実だと我々は判断した」


「で、当たり前だけど、ロワにはジルにつきっきりになって、ジルに英霊を降ろす術式の発動に専念してもらうからね。ゾヌを襲った邪鬼に対抗するため、風操術に長けた英霊に、ゾシュキア神官の体を使ってもらうんだ、ゾシュキアに仕える英霊なら、応えてくれる存在も決して少なくはないはずだよ」


「は、はい……」


「ヒュノと、ネテと、カティはそれぞれ別の場所に赴いて、邪鬼の眷族の群れの数を減らし、群れが都市にまで到達する時間を少しでも遅らせてもらう。これまで見てきたことからしても、ロワが英霊を召喚できるまでにはどうしてもある程度の時間がかかる。都市に到達する時間が短いところから、少しでも敵の数を減らしてくれ」


「もちろん、私たちも援護するわ。シリュは転移門の展開と、ジルディンの術式制御支援に集中してもらうから、私が精霊術を使った情報支援と戦術支援を行う。つまり、あなたたちにどこでどう戦ってもらうかを指示するのは私、ってことね。タクとグェラは状況に応じて移動して、あなたたちの援護をしてもらうけど、基本的にはネーツェをタクに守ってもらって、グェラにカティフが楽に戦えるよう敵を動かしてもらう、というやり方でいくと考えてちょうだい」


「ヒュノには基本一人で戦ってもらうが、まずい状況になったらすぐルタが助け出すからな。治癒術式なんかの状況に応じた支援もする。心配せずに思いきりやれ。いいな」


「了解っす」


「ですが……相手は群れひとつにつき一万、それが十四群もいるわけですよね? 俺たちだけで対処できる数とは、正直思えないんですが……」


「そうだね。だから結局のところ、これまでと同じように、ロワがどれだけの時間で英霊を降ろせるか、という勝負にはなっちまうと思う。だけど、安定して発動させることのできない術式頼みの作戦なんて立てられないからね。やれるだけのことはやらなくちゃならないだろう?」


「っ……」


「……正直ね、こういう状況が起こりうることは、当然我々も考えていたけれど。『予測できても対策の立てようがない』という、厄介な状況のひとつなんだ、現状は」


「あなたたちを生き残らせることはできる。だけど、それを優先すれば、他に被害が出ることを許容せざるをえなくなる、ってね。……だけど、勘違いしないようにね。あなたたちが、被害が出ることを命を捨てて防ごうとしたところで、改善のしようがないのよ、現状は」


「敵の数を少しばかり減らすことができたところで、一万という数相手では、焼け石に水としか言いようがない。死力を尽くして敵勢力を削っても、いくつもの都市を滅ぼすに充分足りちまうだろう。命を無駄に捨てることになるだけだ」


「しかも、今のところお前さんたちは、こんな現状を引き起こすことができるほどの力を持った邪鬼、汪を倒すことができる可能性を持つ、唯一無二の存在なんだからね。ことによると、大陸の趨勢そのものにも関わってきかねないんだ、あたしらとしてはいくつ都市が滅びようとも、あんたたちの命を護ることを優先せざるをえない」


『っ………!』


 場に息詰まるような沈黙が下りる。ジルディンは内心、『え、この仕事ってそんな大ごとだったの? 本気で? 俺たちかついでるとかじゃないよな?』と訝しんでいたのだが、そんな疑問など歯牙にもかけずに話は進む。


「だから、いい? ロワ。『自分が十四の都市の総人口分の命を背負っている』だの、『自分のせいで十四の都市が死に絶えてしまうかもしれない』だの、そんな考えはこの場で捨てなさい。無駄だし無意味だし無益だわ。あなたにできることは、『万一』『運よく』『うまくいけば』状況を変えられる術式の発動を、たまたまの幸運を期待して何度も試みることだけ。駄目でもともと、やらないよりはマシ、程度の気持ちで取り組みなさい。実際、あなたの能力からすると、その程度の期待値しか導けない試行なのだから」


「……はい……」


 ロワは小さく、そして力なく答えてうなずいたが、ジルディンとしては『えー?』と首を傾げたくなる台詞だった。いやだってこれまでも成功確率が低い低いと言われていたけれど、なんのかんので切羽詰まる前に、必ずロワは英霊召喚術式を発動させてきたのだ。今回だって同じことになるんじゃないか、と思うのが普通だ、とジルディンは思うのだが。


 が、他の面々はルタジュレナのその言葉に異を唱える気はないらしく、話はさらに先に進む。


「ただ……まぁ、万に一つの成功を拾うためには、それに備えた下準備が必要ではあるからね。ロワくんにも、やれるだけのことはやってもらう。具体的に言うと、聖別結界の構築と、ジルディンくんとの心魂の同調、神楽に神楽歌等々――加えて、君が『より成功率が上がる』と判断したならば、できる限りのことをなんでもやっていい。こちらからもできる限り補助をする」


「えっ……」


「! ちょっと待ってください、それじゃまるで――」


「そう、あなたの考えている通りのことを言っているのよ。『自分自身の判断で、命を懸けていい』と。冒険者なら誰でも、当たり前のことでしょう?」


「っ……ですが!」


「ルタ、無駄に角の立つ言い方をするんじゃないよ。……ネテ、あんたの言いたいこともわかる。だけどこれは、あたしたち全員が、納得するまで話し合った末の判断なんだ。少なくともロワは、死の間際まで生命力を削りながらも生き延びる技術に関しては、それなりの腕前に達している」


「えっ……」


「そ、うなん……ですか?」


「ああ。前回だけじゃなく、その前の二回も含めて、ルタが精神と記憶の深部まで同調して、それぞれの事態の際の感覚を引き出した上で、出した結論だ。ロワはしっかりその技術を成長させて、使いこなすことができるようになってきてる。……まぁ、召霊術の場合はそういう『慣れ』は、かえって術式の細部の感覚を阻害するってんで、忌まれることもあるらしいがな」


「タク、その言い方じゃ誤解を招くよ。……そこも含めて、これまでの経験の際の感覚を丹念に探って、彼の能力と心構えに対する、一定の信頼性を私たちは認めた。そもそも英霊召喚なんて術式は、ひたすらに真摯に神に、あるいは英霊に、ひれ伏してひたすらに希う、一途で誠実な祈る心がなければ発動のしようがない。自身の生命力を削り、死に近づいてまで、英霊のお出ましを希う、というのはある意味、想いの鮮烈な発露ともとれる。少なくとも、そう感じたからこそ英霊は術式に応じたはずだ」


「ま、あれだ。要するに、結局のところは、どこまでやるか、どこまで命を捧げるか、全部ロワ自身の意思に任せる、ってことになっちまうんだけどね。それでも、あたしらはルタに感覚を同調させてもらって、『たぶん生き残ることはできる』って思ったから認めたのは確かだ。ただの勘じゃああるが、曲がりなりにも大陸有数と称されるくらいには実力のあるあたしたちの勘が、『諾』と認めた。それは間違いない事実だよ」


「だからって、命の保証がされたってわけじゃねぇからな。たとえどれだけ大丈夫って確信があったって、死ぬ時は死ぬ。それは忘れるな。どこまで命を懸けるかは、お前にしか決められないことじゃあるが、ここで死なれたら仲間全員の命が失われる可能性がぐっと上がるってこたぁ、頭の中に刻んどけよ」


「は、はいっ」


 顔を赤くしてこくこくうなずくロワを横目で見ながら、ジルディンは内心うんうん唸って考え込んでいた。


『えっと、これ、なんの話だっけ? なにをどこまで話してたんだっけ?』


『っていうか俺のやることなんだっけ? 確かロワと一緒になんかやるって感じなのは覚えてるから、あとでロワに聞いとこ……』


 ……これまでの人生で、基本『その場しのぎ』の対応しかしてこなかった、そしてそれでなんとかなってきてしまったジルディンは、『状況の情報を頭に入れ』『対策を講じ』『自らの意思で実行する』という、実務能力としては当たり前以前の心構えについてすら、これほどまでにおぼつかない、お粗末な程度にしか身に着けていない。


「ジルディン、なにを考え込んでいるの? 質問や気づいたところがあるのなら、今のうちに口にしておきなさい」


「あ、や、別に大したことじゃなくて……俺に本当にそんなことできるのかな、って……」


「……ロワくんに言ったことと同じだよ。成功しようなんて考えなくていい。君の現段階の能力では、どう頑張ったって、十四もの都市の全域にまで、浄化の風を行き渡らせることは不可能なんだ。ロワくんの英霊召喚術式の成功を期待するしかない。つまり、万が一の幸運を期待して、やれるだけのことをやっておこうというだけなんだから、無駄に気負いすぎず、いつでも撤退できるような心構えでいるように。いいね?」


「はいっ」


『おぉぉ、なんかよくわからんけど別に成功しなくていいってお墨つきでたー! よっしゃあ! いつでも逃げていいんだな、よっし今回の仕事ちょろい!』


 そして、『その場の空気(を読まず)に流されるまま』『その場しのぎをする』という能力に関しては、物心ついた時から磨き続けてきており、たいていの人間は、ジルディンが『なんにも考えずにその場しのぎをしている』とは、普通にしていれば一見だけでは気づかない段階に達している――この(無駄というか質が悪い方向に)好相性の組み合わせのために、ジルディンは今まで問題を起こさずに生きてこれたのだ。


 その『天才』と呼ぶにふさわしい術法使いの才能のために、ジルディン自身ですら気づかれないまま、生の在り方を歪められてきてしまったにもかかわらず。




   *   *   *




 十二になるかならないか、という年齢で、着の身着のまま冒険者ギルドにやってきたジルディンを、ギルド職員たちは暖かく迎え入れてくれた。


 というか、ジルディンと似たような経緯で家を追い出されて、ギルドにやってくる子供たちというのは、ゾヌでも他の街でもそれなりの数にのぼるので、ある程度『家を追い出された子供は暖かく迎えるべし』という手引きができてしまっているのだ。冒険者ギルドというのは、そういった『不幸な子供』を、受け容れ、受け止め、社会に役立つ労働力に変える役割も期待されているので。


 そういった子供に対してまず冒険者ギルドがやることは、最低限の衣食住の確保と、そのための労働の必要性を叩き込むことと、冒険者としての最低限の教育だ。それにかかった費用については、子供が冒険者として独り立ちした後に、少しずつ報酬から差っ引いて返していくことになる。


 そして、ジルディンはそういった初期の教育に関しては、まったく問題がない、というかほぼ教育を受ける必要なし、と太鼓判を押され、あっという間に冒険者資格を手に入れてしまった。『初期教育の中で、教育の必要がないと認められるほど高い能力を示すことができた者については、ある程度の試験を免除する』という、当たり前といえば当たり前の規則が裏目に出て。


 曲がりなりにもゾヌの中で最大の神殿勢力に、高司祭候補として教育を受けていたのだ、半ば以上右から左へ流し聞いていても、ろくに教育を受けてこられなかった子供たちと比べれば驚くほど優秀、ということになる。そして冒険者としての教育についても、どんな分野でもほぼ『必要なし』と、これまた太鼓判を押されてしまった。


 孤児院でも(街の近在での食料採集ができる程度の野外活動能力は、経費節減のためにも必須、という教育方針の孤児院だったので)冒険者の基本中の基本、ぐらいのことは繰り返し教わったし、なにより術法使いとしての能力が傑出していたからだ。術法の基礎知識や発動のコツから教え込まなければならない子供と比べれば、基礎教育なんてやってないでとっとと冒険に出て金を稼いでくれ、と思われるくらいの腕前は、その頃からすでに有していた。


 そして、あっさり冒険者の資格を得ることができたことで、『なーんだ冒険者って仕事ちょろいじゃん』と気楽な気分で、治癒術法使いを探していたパーティから声をかけられ、ほいほい冒険に出て――


 そして死にかけた。パーティは全滅し、生き残ることができたのはジルディンだけだった。それはそのパーティに用心深さが足りなかったせいでもあるだろうが、それ以上に依頼の際に見込まれていた敵性存在よりも、はるかに格上の敵が出てきてしまったから、というのが最大の理由で、つまるところ、運が悪かったのだ。


 これにはさすがのジルディンも衝撃を受けた。命が助かったのも、パーティがギルドに提出していた情報から(ゾヌ内での犯罪組織の勢力情報を調べる、というゾヌでは国府からよく下される類の依頼だったのだ)、担当者が個人的に思考を重ねた末に『これはやばい』と判断を下し、実力者パーティに救援を頼んだ結果、ぎりぎりジルディンだけ助かった、という状況だったのだから当然といえば当然だ。


 パーティが全員捕まり、他のメンバーたちが次々作業のように殺されていくのを目の当たりにさせられた上、次はお前の番だとなんの感慨もないまま武器を振り上げられたところに助けが来た、という熟練の冒険者でも精神を病みそうな仕打ちを受けたのだ、衝撃を受けないわけがない。ぎりぎりのところで命を拾った幸運に感謝する余裕もなく落ち込むジルディンを、ギルドの人々は優しく看護してくれた。


 ――が、確かに『衝撃』ではあったのだが、ジルディンは『人生が捻じ曲げられた』とか、『心が殺された』とか、そういう段階のとんでもない衝撃を受けたわけではなかった。等級で言うなら、『素足で台所の油虫を踏み潰す』というのが近いだろうか。うぎゃああと悲鳴を上げ、必死に現実を否定しようとして果たせず、その後しばらく身も世もなく落ち込むぐらいの衝撃ではあるが、別に人生が変わるほど強烈、というわけではない。


 ぶっちゃけた話、ギルド職員たちが優しくしてくれるから、死ぬほどの衝撃を受けたそぶりをしている、と言ってもいいほどだった。ジルディンにとっては、パーティに迎え入れてくれた仲間も、自分を命懸けで助けてくれた冒険者も、落ち込んでいるところを親身になって優しく看護してくれた人々も、さらに言うなら昔の孤児院の先生たちも、ある意味では同じものだったのだ。


『自分に優しくしてくれる存在』。それ以外でも、それ以上のものでもなかった。ジルディンは昔から、それこそ物心ついた時から、そういうようにしか人間を捉えることができなかったのだ。


 自分に優しくして、甘やかしてくれる存在はいいもの。できるだけすり寄って、与えてくれるものを全力で奪い取るのが当たり前。


 自分に厳しくして、嫌な思いをさせる存在は悪いもの。できる限り逃げ出して、よこしてくるものを全力で遠ざけるのが当たり前。


『なんで自分にそうしてくれるのか』とか『相手がどんな気持ちで自分にそうしてくるのか』ということを、考えたことは一度だってなかった。だってそんなことをしたところで、ジルディンに与えられる『楽』は、基本的に変わらなかったからだ。『相手を気遣えばよりいいものをくれる』とうそぶく同輩もいたが、『ちょっといいものをくれるくらいで相手のこといちいち考えるのとかめんどくさい』という正直な感情の前では、そんな論理は塵芥だった。


 ジルディンは単に、安楽な生活が与えられ、誰かにああだこうだと指図されたりあれこれやらされたりすることがないのならば、どんなことも基本的にはどうでもよかったのだ。面倒を避けるため、ちょっと相手の矛先を逸らしてごまかすためならば、一応それなりに労働もするが、心の底からやる気になって頑張る、なんてことは生まれてこの方一度もなかった。だってそんなの、めんどくさいからだ。


 だから孤児院の先生たちが自分のためにあれこれ骨を折ってくれてもうざったいとしか思えなかったし、パーティを組んだ相手が目の前で殺されても『うわ気持ち悪い』ぐらいの感情しか抱かなかった。自分が楽をできるかどうかに比べれば、そんなもの些末事のようにジルディンには感じられたのだ。


 そして、ジルディンのそういう心根は、身近に接する大人たちには、遅かれ早かれ見抜かれた。口に出しては言われなかったものの、しだいしだいに、大人たちの顔に上るのだ。『こいつはクズだ』という確信が。


『こいつはまともに働こうという気が露ほどもない』『こちらの誠意に応えるつもりが微塵もない』『単に楽ができればいいだけ、甘やかしてくれる間にできる限りのものをこちらからせびり取ってやろうとしているだけだ』『こいつは最低のクズだ』と、そんなことを考えているのが否応なく伝わってきてしまう。


 そして、ジルディンは、それをあえて否定しようともしなかった。めんどくさかったからだ。その考えを打ち消すためには、どうしたってこちらの誠意を、一生懸命相手のためになにかをしたり、想いを尽くしたりということをして、伝えなくてはならない。そんなことをするよりは、たとえ相手に遠ざけられても、適当に相手の追求をごまかしながら、状況に流されて極力手を抜きつつちょっとだけ仕事をして、おこぼれやお恵みがもらえるのを待っている方が、はるかに性に合っていたのだ。


 そんなことがいつまでも続けられるわけはない――という事実も、ジルディンは一応承知していた。単に子供だからお目こぼしされていただけで、結局最終的には、身を入れて働く気のない者にはどこも仕事を回してくれなくなるのだと。それならばたとえ面倒でも、早いうちから仕事に対する意欲を見せつけた方が、つまりは頑張って働いてみせた方が、得になるに決まってると。


 だが、それでもジルディンは面倒だった。そういうことを、きちんと真面目に考えることからして面倒で、億劫で、やる気が出なかった。『なにかをする』のではなく、『流されて』『やれと言われて』『渋々適当に』『お茶を濁す程度に』やることしかジルディンはできなかった。『相手と向き合う』『想いと向き合う』なんて面倒で、鬱陶しく、やってみる価値をまるで認められなかったのだ。


 ジルディンは、ずっとそういう人間だった。自分さえ楽ならば他がどうなってもかまわない、いや究極的には、今この瞬間楽であるならば自分でさえどうなっても別にかまわない、とすら思っているような。なんで自分がそんな人間なのかなんてことは面倒だから考えたことがなかったが、一般的にクズと呼ばれるだろう人種であることは一応自覚していたし、そう呼ばれてもしょうがないかなとも思っていた。


 そんなことをいちいち考えるのすら面倒くさがる、この世のなににも、自分にすらも価値を認められない、人どころか命あるものとして最下層のクズ。それが自分だと理解しながらも、それを深く考えず、その怖さから目を逸らし続け、適当に状況に流され続けて、周囲のお慈悲をできる限り喰らって太れるだけ太り、最後にはこの世のなににも貢献しないまま死んでいく、生まれてこない方がよかった存在。


 なんとなく自分はそんな存在なんだろうなと考えながらも、まともにその怖さと向き合う気も改善する気もなかったジルディンは、当然のように庇護者から放り出された。孤児院でもそうだったように、冒険者ギルドの職員からも放り出された。


 まぁ冒険者ギルドはそもそも慈善事業をするところではないのだから当然だ。心身が復調したのなら仕事をしろ、そして少しでも金を返せ、と言いつけられ、嫌々ながら、渋々ながら、面倒で面倒で仕方なく、今すぐ面倒をすべて放り捨てたい気持ちを心中から溢れさせながら、パーティメンバー募集の紙が張り出してある看板に向かい、のろのろとろとろと歩いていったのだ。


 そして、そこで、ジルディンは、今の仲間と出会った。それから一転刻ビジンを共に過ごし、同じ冒険者のパーティとして命を預け合うことになる相手と。


 そんなことになるなんて、というよりそこまで長い付き合いになることすら、その時は微塵も考えていなかったのに。

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