第33話 風神問答・4

 エベクレナの注文したお茶とお茶菓子を味わったのち、ゾシュキアの頼んでくれたお茶とお茶菓子を堪能しながら(ロワのような貧乏舌では、どちらも『とてもおいしい』ぐらいのことしかわからなかったが)、感涙するエベクレナと呆れた顔を作るゾシュキアのお喋りをしばし眺めたのち、ゾシュキアは改まった顔でロワに向き直った。


「……さて、じゃー改めて、対話タイムを再開させてもらうわけだけど」


「あ、はい」


「まぁ次の質問は、もう君もわかってる通り、カティフくんについてなわけだけど。あの最年長にして青少年の煩悩全開男子な彼を、どう思ってるのか、しっかりはっきり好きも嫌いも、突っ込みどころに内心でどう突っ込んでるかの細部に至るまで、がっつりきっぱり教えてね?」


「…………。あの、誤解がある……というか、今回の一件についてのカティだけを見てたら誤解されちゃうのも無理ないかな、とは思うんですけど。カティって、普段は、すごく頼りになる奴ですよ」


「へー、そうなの?」


「はい。前線の維持役や、後衛に対する救援役としてはヒュノより上だと思いますし、なんのかんので俺たちの中じゃ一番世慣れてるから、交渉事なんかでも、俺たちの気づいてないとこに気づいて、詐欺や不公平な依頼なんかに騙されるのを防いでくれた、みたいなことこれまでに何度もありましたし。ネテも普段はあれこれ言うけど、仲間内で唯一素直に頼りにできる奴、みたいに思ってるはずです。……まぁ今回の一件では、相当アレなとこ全開で見せてますけど……」


「そーいうとこ見せても、評価変わったりしないわけ?」


「えと、はい。まぁ、気持ちが少しもわかんないかっていうと嘘ですし……一番年上だし、二十歳越えてるし、焦るところもあるのかなって……え、あの、なんでエベクレナさまが落ち込むんですか?」


「いーえー……なんでもないですよー……ちなみに私単純に経過した年月だけで言うなら、少なくとも八百年は軽く過ぎてるんですよねー……」


「あ、はい。それが、なにか……?」


「うぅぅう、ぴゅあっぴゅあな眼差しがまぶしい……まぶしすぎてまともに見れない……十五歳でこのピュアさ、ハートにキまくりで推せますけど、文化的なものなんですかねこの違い? 普通思春期男子ってもーちょい性に対してがっつくというか、性体験がないこと気にすると思うんですが」


「や、それは単純に人生経験がハードだからじゃないの? フツーの精神力だったらトラウマ背負うわってレベルの経験してるじゃんこの子」


「えっ……あっ! ゾっさん、あなたもしや、十八禁フィルターとかプライバシーフィルターとか外して過去ログ見ましたね!? 私話がそっちに自然な形で展開するの待って、ちゃんと自主規制してるのに!」


「えぇ? だってあたし十八歳以上だし、ちゃんと過去ログ見ようって思ったらフツー外すでしょそれ系のフィルター……プライバシーフィルターも、あれレベル普通でもすんごいざっくり『知られたくないこと』判断して、どうでもいいことも重要なネタもまとめて弾いちゃうしさ。ちゃんとトイレの時とかお風呂の時とかは避けてるよ?」


「いやそれは当たり前でしょそーいうとこのぞくの普通に犯罪ですからね!」


神次元しんじげんじゃ別に犯罪じゃなくない? 公衆道徳ではあるけどさ。……知りたい? その話」


「ぬぐぐぐっ……正直に、この上なく正直にぶっちゃけちゃうと、超知りたくはありますがっ……お断りします、断固拒否です、血の涙を呑んで全力リジェクトです! 全力で推してる相手のネタバレは、死と同義っ……! 曲がりなりにもフィルターが『知られたくないこと』と判断するようなことを、他人にあっさり明かされるのとか、超勘弁ですから!」


「ええと……? あの、俺、席外した方がいいですか?」


 なにやら小声でよくわからないことを言い合うエベクレナとゾシュキアに、気を利かせたつもりでそう言ったが、エベクレナは顔を赤くしてぶるぶるぶると首を振り、断固とした口調で「いやいてください! 推しに気を使わせてしまう段階で超アウトですけど、実際に席を外させるとかもう死に値する所業としか言いようないので!」と言い放つ。意味がよくわからず首を傾げていると、ゾシュキアが軽い口調で話を元に戻した。


「でさ、さっきの話だけど。カティフくんが今回の一件でけっこう醜態見せてるけど、評価変わんないのかって話ね」


「はい」


「そーいうとこと、仲間としての評価は別、ってことでいいのかな?」


「えっ……う、うー、ん……」


「え、なに、ここ悩むとこ?」


「悩む、っていうか……その。……そもそも仲間って、評価するものなんですか?」


『え?』


「いやだってその、仲間ってことは、少なくとも命を預け合う相手、ってことなんですよね? そういう相手に、ここをこうしてくれって頼むならともかく、上からああだこうだって偉そうに評価する、って……少なくとも俺はやりたくない、って思うんですけど……ってあの、なんか、突然すごい顔してませんか!? 俺そんな変なこと言いましたか!?」


「ううん、いいんだよー? ロワくんのそーいうとこ、あたしとってもいいと思うなー?」


「は……はぁ」


 そう言われても、明らかに普段のゾシュキアの顔とは違う、聖女のような柔らかい表情で優しくこちらを見られたり、唐突に中空を凝視し始めたエベクレナにつぅっと一粒涙を流されたりしては、こちらがなにか妙なことをしてしまったのではとうろたえないわけにはいかないのだが。


「それよりもね、次はロワくんの質問の番でしょ? 好きなこと聞いて、ほら早く早くー」


「え、ええと……それじゃその……そうですね。えっと……」


「うんうん?」


「……円環と精霊の神エミヒャルマヒさまと、術と魔の神ロヴァナケトゥさま。このお二方に、邪鬼・汪を俺たちが倒したあと、加護を与えた相手に声をかけてもらうことって、できますか」


『……………』


「は?」


 一気に音階の下がった声音でそう問い返してきたエベクレナに、ロワは思わずびくっと身を震わせ、逃げ腰になる。……別にエベクレナがこちらに危害を加えてくるとは思わないが、不機嫌になった絶世の美女なんてものは、その顔をいくぶん見慣れるようになっていたとしても、普通に怖い。


「それはつまり、あれですよね。今現在あなた方の護衛役をやってる、エルフ女と魔術師に、邪鬼・汪を倒した時の報酬として、加護を与えてる神の眷族から、直接声をかけてはもらえないか、っていう申し出ですよね? あのデレるようになってすらクッソ態度のデカいエルフ女と、一人で勝手に不機嫌スパイラルに入ってこっちの事情も聞かずに八つ当たりしてきた魔術師のために、なにかしてあげたいって思ったわけですよね?」


「いや、その、なにかしてあげたいっていうか、あの人たちにとってなにより重要な報酬になるだろうことが、現実的に実現の可能性があるのかどうか、できるだけ早く知りたいなって思いまして……シクセジリューアムさんについては、俺が勝手に、実現できたらいいんじゃないかって思っただけなので、余計なお世話かもしれないんですけど」


「余計だって思われる可能性なんて、それこそ僅少でしょう。なんのかんのと言ってはいましたけど、要するにあの魔術師はエルフ女が羨ましいんだってことは超あからさまでしたし。むしろそれを察しろ的な態度ぷんぷんでしたよね、会ってからさして時間も経ってない護衛対象相手にどんだけ過大な要求すんだって感じですけど」


「……まぁ、これは単に俺が勝手におせっかい焼いてるだけなんで、余計なお世話なのも当たり前っちゃ当たり前なんですけど。とにかく、先に実現の可能性がどれだけあるか知っとかないと、そのためになにをどうすればいいかもわからないですし。この機会に、できればお聞きしたいなって思ったんですけど」


「ぐぬぬぬぅ……推しの広大無辺の優しさが荒れたハートに染み渡るっ……いえわかってるんです、わかってはいるんですよ! 私のこんな気持ちが身勝手で醜い独占欲系の代物だってことは! 推しにそんな感情を抱くとかおこがましいにもほどがって感じですし、そもそも推しの視界にそんな醜い感情入れるとか推し活してる者の一人として言語道断だと思いますし! そういうのをおいとくとしても、推しご本人が気にしてないことを他人がああだこうだ言うのとか、人と人とのコミュニケーションとしてだいぶアウトですし! でもっ……それでもっ……推しさまの、その泣けるほどの健気な優しさを、さして感謝もせず偉そうに当然のように受け取る女どもとか、マジ存在許せないんですよぉぉっ、消え去れ! って思っちゃうんですよぉぉ!」


「はいはい落ち着こうエベっちゃんクールダウンクールダウン。隠そうとしてる努力は認めるけど、醜い感情漏れてるから、ロワくんビビってるから。しばらく隅っこで荒れ狂ってていいから、ちゃんと見せられる顔になってから戻ってきな」


「うぅぅぅうぅっ……」


 エベクレナとゾシュキアが小声でなにやらしばらく言葉を交わした、かと思うと、エベクレナの姿が唐突に掻き消えた。仰天するロワに、ゾシュキアはあっけらかんとした顔で声をかけてくる。


「ごっめんねぇ、エベっちゃんちょっと化粧直ししてくるって。まぁ戻ってきたらちゃんと見られる顔になってると思うから、許してやって」


「え……エベクレナさまが見られる顔っていうか、めちゃくちゃきれいじゃなかった時なんて、今までありました? いやそりゃ神々の基準と俺たち人間の基準とじゃだいぶ違うでしょうけど……」


「あっはっは、そーだねぇ。まぁそこらへんの認識のズレはともかく……君の質問について、まずは答えよっか」


「あ、はい。お願いします」


「んー、まぁ、現時点では、『わからない』としか答えようがないかな。君のその、『邪鬼・汪を倒した報酬として、英雄に加護を与えている神々直々に声をかけてもらう』っていう発案については」


「そう、ですか」


「ま、なにせその話が出てきたの今日のことでしょ? まだ向こうとまともにコンタクトも取れてないから、確約はさすがにムリっていうか。まーエミやんもロヴァちんも、今も加護を与えてる推しの動向をチェックしてないわけはないし、そんな話が出たこと自体は伝わってると思うけどね」


「えっ……」


 ロワは思わず目をみはる。ゾシュキアの言葉をそのまま受け取ると、つまり、ゾシュキアは。


 そんな想いの動きにゾシュキアも当然気づいたようで、苦笑を作ってロワに詳しく告げる。


「一応、君の発案が通るかどうか、話はしてみてる、ってとこかな、現段階だと。向こうからはあんまりはかばかしい反応は返ってきてないけど、少なくとも二人とも、君の案を頭っから退けるってことはないと思うよ、あたしの知ってる性格からしてね」


「あっ……ありがとうございますっ!」


「いーえー、どういたしまして。まーあたしもあの二人がどーいう反応するのか知りたかったしね」


 にやっと人の悪い笑みを浮かべて手を振ってみせるゾシュキアに、立ち上がって深々と頭を下げていたロワも小さく苦笑して、腰を下ろす。


「……でも、そこまでやってくださるってことは、少なくとも俺の案は、神々にとっての禁忌ではなかったんですね」


「まぁねぇ。少なくとも判例では、『加護を与えている相手との、問題解決のためのコミュニケーションは、業務のうちに含まれる』ってなってるからね。頻々にってのはいい顔されないだろうけど、『相手の悩みを解決するために、世界に対する善行の報酬の一環として』くらいならフツーに許されるよ、あんまりそこらへんわかってない人多いけど。それにさ、加護を与えてる推しにしじゅう話しかけたりしないっていうのは、どっちかっていうと人として、推し活する人間としてのモラルだしねぇ。普通こっちを圧倒するくらい威圧感のある相手に何度も何度も話しかけられるのとか、ウザいでしょ?」


「うざ……」


 あまりの認識の違いにロワは一瞬めまいがしそうになったが、ゾシュキアの言葉にも一理はある。人間ならば普通誰も、神と相対する時は否応なく心魂が、息もできなくなりそうなほど圧迫されてしまうわけだから、それを嬉しがる者はあまりいまい。


 ただそれでも、自身に加護を与えてくれる神と会話し、感謝の念なり誉れを授かった歓びなりを伝えたい、と思う人間は少なくないはずだ。それをどう言葉にするか迷うロワに、ゾシュキアはその気持ちを読み取ってしまったようでまた苦笑する。


「まぁ、君の気持ちもわかんないでもないけどさ。あたしたち的には、なんつの……ファンタジーっていうか……いやこの世界のファンタジーっぷりがどうこうって話じゃなく、概念的に通常の世界に在らざる者に対して、何度もコンタクト取って、あたしたちの当たり前の世界に落としちゃうのとか、忌避観あってさ」


「……はい?」


「いやまぁ人次元にんじげんの子たちにしてみりゃあたしたちこそがフツーじゃないってのはわかってんだけどさぁ。あたしたちにとっては君たちみんな、人次元にんじげんの子なわけよ。あたしたちの次元に存在しない子なわけよ。ある意味あたしたちにとっては存在しない代物なわけよ。なのにそれが本当に命と魂を持って、一生懸命生き抜いてるってとこにだだハマる子もいれば、敬遠しちゃう子もいるんだよね。だからエベっちゃんみたいに推しに個別認識されて、直にファンサされるのにテンションぶち上げちゃう子もいれば、推しの前に現れるとかマジ勘弁、一度で充分ってガチで思ってる子もいるわけで。まぁ人によって反応はいろいろなわけ」


「はぁ」


 意味のわからないことも言われたが、少なくとも神々の中でもいろいろな価値観があり、人と顔を合わせることに正の感情を抱く神も負の感情を抱く神もいる、ということはわかった。


「……エミヒャルマヒさまとロヴァナケトゥさまは、どうなんです?」


「んー、一応面識あるけど、詳しい性癖知るほど深い付き合いだったわけじゃないしなー……エミやんはエルフフェチ、ロヴァちんはラノベ系魔術フェチって性癖の基本を知ってるだけで。性格的には、少なくとも社会人的な浅い付き合いの中では、どっちも草食系陰キャの系譜だったから、好んで人を傷つけるようなことはしないと思うけど」


「え……?」


「あー、性癖が理解できない? エミやんはエルフっていうか、耳の尖った色素薄い細身妖精族が好きなんだよねぇ。だからわざわざ森精人なんて人種を新しく作って、守護神と崇めさせてるわけで。容貌的に好みジャストの人種が創れたはいいけど、人種作る際の縛りのせいで寿命とか知性とか魔力とか、いろいろ妥協しなきゃいけないとこがあったの不満だったらしいよ。だから今君と一緒に旅してるエルフの子みたいに、とんでもない魔力と実力を持って、不老種と言ってもいいくらいの寿命を持ってる森精人の外見美少女、ってのは激ツボなはずだから、この申し出を断る気はあんまりしなくはあるかな」


「……はぁ………?」


「で、ロヴァちんはね、オカルトマニアっていうのとはちょい管轄が違うっていうか、自分の元の世界のラノベで知った魔術って代物にときめいちゃう系男子でさ。魔術の呪文の詠唱とか暗唱したり、学問的な魔術の研究書とか漁ったり、そういうタイプのオタクなわけね。だからこの世界に『魔術』って代物が現れた時は狂喜乱舞でさ。それまでの術法は全部『神』から与えられたもので、学問的に発展させるなんてこと自体思いつかれない代物だったしね。それまで術と知識の神だったのが、けっこうでかい神音かね払って『術と魔の神』って司るもの変えたくらい、魔術ってものに傾倒してるわけ」


「はぁ」


「加護を与える時も『魔術をより発展させてくれそうだから』って理由なのがほとんどなくらいで。だから、あの魔術師の子が心の底から面会を求めたら、拒みはしないんじゃないかな。ロヴァガの術の学院の最大学部の教授となりゃ、気に入り具合も相当だろうし」


「はぁ………あの、よくわからないんですが、それならなんで、ルタジュレナさんとかがあんなに悩んでるのに、声をかけてあげたりしなかったんですかね?」


「や、だから詳しくは知らないけど……まぁ、フツーに考えれば、『きっかけがない』ってのが一番の理由なんじゃないかなー。草食系陰キャらしく、二人ともそこそこコミュ障わずらってたし。悩んでるのを気にしてはいただろうけど、でも自分から声をかけるっていうのも気兼ねするし気後れするし、って感じなんじゃない? 少なくとも『自分なんかが声をかけたらかえってがっかりさせちゃうかも……』的なことは思ってたって確信ある」


「な、なるほど……」


 エベクレナを知った今では、そこそこうなずけてしまう話だ。


「まぁ、あの森精人の子が考えてるみたいに、『能力がレベルアップしたから神の威厳に対抗できるんじゃ』的な発想は、たぶん的外れだと思うけどね」


「え、そうなんですか」


「そーなんじゃないかなー。あたしにも確信があるわけじゃないけど。人次元にんじげんの子に対する神次元しんじげんにいる奴の上位性ってのは、神の眷族の中でも、けっこうな割合の奴の精神的支柱になってる気するし。君みたいにそこらへんを突破しちゃう子がこれまでいなかったから、正確なデータになってるわけじゃないけどね。君の存在が問題になってるのはそこらへんの話だけでもないし。でも、エベっちゃんとの関わりの中で、そこらへんのことが問題にならなかったのは、エベっちゃんの性格ゆえ、って気はしない?」


「そう……です、ね」


 時々すっとんきょうな反応こそされるものの、そういう反応も含めて、エベクレナだからこそ、こんな自分が同じ目線に立っても受け容れてくれたのだ、という言葉には素直にうなずける。エベクレナがああいうエベクレナでいてくれたから、自分も現状を受け容れて、できる限りのことをしようと思えているのだと。


 そう静かに首肯したロワに、ゾシュキアはさっきと同じような、柔和な笑みを向けていた。


「………? なんですか?」


「ううん、別にー? ……さて、じゃあ今回の質問はとりあえず終わりでいいかな?」


「あ、はい」


「さって、それじゃトリの質問いこーか。ヒュノくんのことを……」


「どう思っているか、聞かせていただけますかっ!?」


「わっ」


 唐突に現れたエベクレナに、ロワは思わず声を上げた。神々の移動の仕方をきちんとわきまえていないロワの目から見ると、全力疾走してきたように息が荒く、顔も赤い。それでも勢い込んで自分の席から身を乗り出してくるエベクレナに、反射的に身を退かせながら、考える。


 ヒュノをどう思っているか。つまるところ、これまで無理やり説明してきた仲間たちへの感情と同じように、『仲間だ』としか言いようがないものではあるのだが。少なくともそれでは、エベクレナは納得してはくれまい。少なくとも、現在エベクレナが加護を与えているのはヒュノなのだし。


 つまり最低でも、ヒュノに対して好きなのか嫌いなのかどんなところが好きなのかうんぬん、ということを説明しなくてはならないわけだが、これまで同様、正直気は進まなかった。仲間に対して、そういう風に言葉で『説明をつけ』てしまうのは、なんというか、いろんなものが軽くなってしまう気がする。お互い命を預け合っている、それだけで形にするものは必要十分だと思うのに、それ以上に想うところを形にしてしまうのは、ひどく余計な気がするのだ。


 とはいえ、なぜか、どんなものも見逃すまいという勢いでこちらを見つめてくるエベクレナに納得してもらわなければ、話は先に進まない。内心唸りながら、ロワはぽつぽつと思うところを言葉にしていった。


「どう、っていうほど、なにか思ってるわけじゃないですけど。とりあえず、大した奴だなぁ、っていうのは、初めて会った時からずっと思ってますよ」


「ほうほう。具体的には?」


「具体的、って言われると困りますけど……剣の腕もそうだし、いざって時の勝負度胸もそうですけど……なによりすごいと思うのは、心の形、ですかね……」


「心の形。精神性、ってこと?」


「いや、俺もなんて言えばいいのかわかんないんですけど。うーん……常人離れしてる、って言えばいいのかな。普通の、当たり前に暮らしてる人たちと、感じ方……っていうか、生き方、っていうか……。在り方、っていうのが一番近いんですかね。そういうのが違ってて、それを思い悩んだりせず、当たり前みたいに受け容れてる、っていうか……」


「あーあー、なるほど。まぁ確かにあの子、あの年で武芸の達人みたいに突き抜けてる感あるよね。呼吸するみたいに剣を振るえる、的な? どんなことが起こっても、それを剣を振るう燃料にしちゃえるみたいな、常人とは精神の構造体そのものが違ってる、って感じのとこ」


「あ……そうですね、そういうのが一番近いんだと思います。感じ方も思うことも、なにもかも人とは違うのに、それを全然気にしてないのが、本気ですごいな、っていうか。達人とか……今の俺たちが言うのはおこがましいですけど、それこそ英雄とか呼ばれるような人たちの若い頃は、あんな感じなんじゃないかって思えちゃうみたいな……」


「ふんふん、なるほどなるほどー。でもさ、そういうこと言ってるわりに、君、ヒュノくんとの心の距離全然ないよね。敬遠する感じとか、気を使う的な……よそよそしい感じ? 遠慮? みたいなのさ」


「え、そりゃ……仲間ですし」


「ふーん、でもさ、君にとって仲間って、今の四人の子たちが初めての相手でしょ? どうやってそんな風に、『仲間っていうのはこういうものだ』って当たり前みたいに思えるようになったの?」


「それは……」


 そう改めて問われてみると、どうやってだろう。いつから自分は、こんな風に誰かを、当然のように受け容れられるようになったのだろう。故郷では、いや故郷を離れて長い時が経ってからも、自分は他人にも、血を分けた相手にも、お互いに、『そうすべきだから』『それが義務だから』と、ひたすら壁を作ることしかできなかったというのに。


 自分は、いつからこんなに、当たり前みたいに――


 この一年に起きたことを回想しかけて、思わずふっと笑ってしまう。冒険者としての底辺で、必死にあがくことしかできなかった毎日。ろくな思い出がない、と言って、まず間違いはないだろう日々。


 けれど自分は、そんな一年を、息苦しさも苦痛も感じず、気が重くなることすらほとんどなく思い出すことができる。それは考えてみれば、ごくごく単純な話で。


「どうやって、はわからないですけど、なんでなのか、っていう理由はわかります」


「ほほう。それはぜひ聞かせてもらいたいんだけど?」


「単純ですよ。あいつらがいい奴だったからです」


「…………ほぅ?」


「いろいろ文句言いたくなる時もありますけど、俺もおんなじように、文句をつけられることもある立場で。こちらが頼りにするように、頼りにしてもらって。失敗して怒鳴り散らされる時もあるけど、こちらが叱りつけることもある――なんて不安定な、『対等』って関係を、さして気を使うこともなく作ってくれて。それなのに、こちらの失敗を怒鳴りつけたしばらくあとに、『言いすぎた』って仏頂面で言ってくれるぐらいには、いい奴だったから。こんな俺でも、『仲間』ってものがどんなものなのか、なんとなくわかるようになったんだと思います」


「なるほどねぇ………ん~~~、沁みるわぁ、キラキラ瞳で男子が語る仲間トーク。こんなセリフがガチで心の底から出てくる男子がフツーにいるとか……転生してよかったーって思うよねぇエベっちゃん……、!?」


「? あの、エベクレナさま、どういう……、!!?」


 エベクレナに顔を向けるや固まったゾシュキアの視線を反射的に追って、さっきから黙り込んでいるエベクレナに向き直る――や、ロワも思わず固まった。エベクレナはどこを見ているともつかない、中空に目線を据えながら、ぽろりぽろぽろとその美しい瞳から涙をこぼしている。


 のみならず、鼻の穴からも二筋赤い線をこぼしていた。要するに、この上なく幸福そうに微笑みながら、ぽろぽろと涙をこぼしつつ鼻血を垂らしているのだ。え、いや、なにこれ、とロワの頭は理解を拒み、数瞬機能停止する。


 そこにこちらも数瞬固まったゾシュキアが我に返り、狼狽しながらエベクレナに向け全力で叫ぶ。


「ちょい! ちょい! エベっちゃん! 気ぃ確かに持って! 正気に返って! 出てるから! 出ちゃいけないものがなんかいろいろ出てるから!」


「………え? なんなんです急にゾっさんったら。ふふふ、世界はこんなに美しいのに、なにをそんなに慌てることがあるんです? ああ……尊いという言葉ではとうてい足りないけれど、これはもう尊いとしか言いようがないですよね。この子を世界に生み出してくれた神に、生かしてくれた世界に、大切なものを与えてくれた仲間の子たちに、なによりこんな尊い存在でありながらこの世界に生きてくれている推しに、ひたすら感謝するしか……ああ本当に、真に尊いものを見た時には、五体投地してただただ感謝の祈りを捧げるしかないものですよね……」


「いやそれには同意しなくもないけどとりあえず顔! 鼻血出てるから! マジでヤバい顔になってるから!」


「………ひょぇ?」


 エベクレナが唐突に硬直し、震える指をそろそろと伸ばして鼻溝の辺りに触れる。そして、自分が本当に鼻血を出していることを理解したのか――絶叫した。


「ひゅぎぃぇえぇぇええぇえ!!!」


 そしてその絶叫に、ロワはいつものごとく吹き飛ばされる。後方へ、それから下方へ。雲の絨毯の上から暗い穴へと転げ落ち、どこまでも――


 つまり、いつもながら毎度のごとく、以下略の一言で表現しても特に問題はないだろう状況に陥って――






 そして、体が先に反応し、ばっと寝床から飛び起きた。


「なんっ……?」


 ジジジジジジジ!! とすさまじい大音量の警報が鳴っている。ロワも野営時に何度かお世話になった、魔術による一般的な警報音に聞こえた。


 自分たちパーティも、そして当然英雄たちも、その全開の大音声には――そしてこれまで野営の時に、何度も危機を救われたであろう、聞き慣れた魔術の警報音には、どれだけ深く眠っていても目覚めてしまうだろうと思う。特に自分たちパーティは、かけてもらった導眠の術式の名残で眠り続けていただけにすぎなかったからだろう、全員即座に跳ね起きた時の顔から、体力も気力もすっかり回復しているのが見て取れた。


 反射的に枕元の武器を引っ掴んで、天幕の外に飛び出る。とたん、ひどく厳しい顔をしたシクセジリューアムと目が合った。自分たちパーティが全員天幕の外に出てきたからだろう、シクセジリューアムは小さく呪文を呟いて警報の術式を止め、英雄たちも含めた、自分たち全員を見回したのち、端的に告げる。


「想定の中で、二、三を争うくらい厄介な事態になったようだよ」


「どういうことだ」


 鋭く、こちらも端的に問うたタスレクに、シクセジリューアムはやはり端的に返す。


「邪鬼・汪が、手勢を分けてきたんだ。――自身の擁する大群の眷属たちを、十以上に分割し、大陸のあちらこちらの都市を襲撃してきたのさ」

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