第28話 邪鬼の蠢動に備えよ

「お前、本気で、ぜってぇ、許さねぇ、からなっ」


 ロワの隣で、ロワ同様に地面に背中を預けて荒い息をつきながら呻くカティフの言葉に、ロワも荒い息をつきながら答えた。


「俺に、言うっ、なっ」


「お前以外の、誰に、言えっ、てんだよっ」


「ルタジュレナさんに、直接、言えっ」


「はぁっ? はぁ、ぁっ? お前、正気で、もの言ってんのかっ。女の人本人に、直接、こんなこと言って、どーしろってんだ、よっ」


「は? それって、どういう……っ」


「なー、ロワ。たぶん、カティはさ」


 自分たち同様の運動量をこなしているはずなのに、呼吸がいくぶん穏やかなヒュノが、さらっとした口調で言う。


「俺たちの、鍛錬が、さらにきつくなったって、文句言ってんじゃなくて、単に美人な女の人に、かしずかれるのが、許せねぇって、言ってんじゃねぇの?」


「は?」


 思わずぽかんと口を開けてしまったロワに、カティフは心の底から真剣、という声で宣言した。


「当然の、こっちゃねぇかっ。俺ら同様の、一山いくら冒険者のくせしてっ、大英雄で美人のお姉さまにっ、付き従われるとかっ、許せねぇの極みだろっ」


「……………」


 ロワはどう答えるか迷って、結局頭を力なく再度地面の上に落とした。どう答えるべきなのかわからないというか、こんな体力的にくそしんどい時に、こんなことを考えることに思考を費やしたくない。


「はい、あなたたち! 休憩は終わりよ! さっさと立ちなさい! 訓練を再開するわよ!」


「げぇっ……」


「へぇ~い……」


「のろのろ動かない! 気の抜けた返事をしない!」


「はぁいっ!」


「返事は短く、鋭く、相手に確実に伝わりながらも耳障りでない声でっ! それができない人間は評価されないわよ!」


『………はいっ!』


 いろいろ言いたいことはあるものの、ロワたちは重い体に必死に力を込めて、言われるままに返事をして立ち上がる。視線の先は、当然ながら、さっきから何度も自分たちを地面に転がしている、幾多の巨大な精霊を背後に従えた森精人の女性だ。


「さ、それじゃあ再開するわよ。今度は精霊を七体に増やしますからね。全員全力で防ぎきるように」


 そうやる気全開の表情できびきびと告げるルタジュレナに、自分たちには『はいっ!』と返事するしかなかった。ジルディンとネーツェは、疲労困憊のあまり、声を出す元気もないようだったけれども。




   *   *   *




 ルタジュレナの報恩の誓いを、「わ、わかりました……」と(他にやりようもなかったので)受け容れてしまってから、ルタジュレナの態度はがらっと変わった。


 といっても甘くなったとか、優しくなったとかいうのではない。むしろその逆というか、すさまじく熱心に、全力でこちらに厳しい鍛錬を課してくるようになった。


 これまでも別に仕事の手を抜いていたとかいうわけではないらしい。ただ、他の英雄たちに聞いたところ、英雄たちがこれまでもその能力の限りを尽くして、自分たちを鍛えてきたことは確かなのだが、基本的にそれは、英雄たちが消耗するほどの精力を費やしてはいなかったそうなのだ。


 英雄たちがゾシュキーヌレフから請けた依頼内容には、自分たちパーティ――邪鬼・汪に有効打を与えられるとおぼしきほぼ唯一の存在の生存を第一に考えること、という条件が盛り込まれていたらしい。なのでいついかなる時に邪鬼・汪の精力から襲撃を受けても対処できるように、魔力も体力も、自然回復で完全復調してしまう程度の消費、しかしていなかったそうなのだ。


 だが今のルタジュレナは、違う。自身の全精力を、自分たちの鍛錬のためにつぎ込んでいる。自分たち全員の身魂に深く同調し、現状を読み取りつつ一番効率よく成長できる行動がとれるよう自分たちを導き、自分たちの体力魔力に負荷をかける術式や身魂の感応力を高める術式を使って、直接的にも成長効率を上げつつ、消耗したせいで鍛錬の効率が損なわれないように、最良の機を見計らって身魂を復調させる術式を何度も何度もかけてきている。


 はっきり言って、ここまで全力で鍛錬のために精力を注いでいては、英雄たちといえども、いざという時に本来の四分の三程度の実力しか出せないだろう、というほどの見境のない消費っぷりらしい。……それでも四分の三は実力を出せるわけだから、恐るべしとしか言いようがないが。


 しかも、ルタジュレナは自身の消耗をそのままにしてはおかず、体力や魔力を一気に回復させる強力なポーションをがんがん消費して常に完調状態を維持しているのだ。英雄たちをそこまで一気に回復させることができ、しかもどれだけ一気に摂取しても副作用が出ないポーションなんぞというのは、天文学的値段というか、一本で軽く億を超える値がつくそうなのだが、今日一日刻ジァンでルタジュレナはそのくそ高いポーションをニ十本以上消費した。


 しかも、ことあるごとに、精霊石なんてものまで使って大精霊――はっきりした意志と自我を持つまでに至った強力な精霊を召喚し、自分たちの稽古相手にする、なんて明らかに費用対効果が釣り合っていない真似までしてくる。


 精霊石というのは、精霊の力に晒され続けた鉱石で、精霊術をはじめとした精霊を使役する術式を助け、集中の必要なしに何体もの精霊の召喚を可能にする便利な天然の魔器材だ。だが値段は死ぬほど高く、良質のものとなれば一個で数十億ルベトを超える。その上どれだけ良質だろうと、一回の術式行使で砕ける使い捨て。


 そんなものをぽんぽんと、自分たちの鍛錬(集中が不要なことを利用して、身魂の同調を基盤とした『超越的に効率のいい訓練指導』を継続しつつ、『実力の伯仲した相手との真剣勝負』という経験と同時に、精霊石で召喚した精霊には術式の強制力が極めて低くなることを利用した、『目の前の精霊を強制召喚する鍛錬=召霊術の技術向上訓練』をさせるというのが狙いだそうだ)のために消費するルタジュレナに、自分たちは全員血の気が引いた。


 頼むからそんなことしないでくれそんなもの使われても返せないから、と懇願しても、『私は誓いに従ってすると言ったことをしているだけ』と流されるし、それどころか『私のあの誓いがそんなに軽いものだとでも?』『あなたはその程度の覚悟で私の誓いを受け容れたの?』と睨んでくるし。


 実際、ネーツェに聞いたところによると、自身に加護を与えてくれている神の名を挙げ、自身をその僕と明言して掲げる誓いは、加護をもたらしてくれた神の名誉も懸けたすさまじく重い誓いなのだとか。それこそ全力でその誓いを果たそうとしなければ神に許されない、人生を懸けて誓いを果たそうとするのも当たり前、というほどの代物だという。


 正直、勘弁してくれとしか言いようがないが、結局のところ、これも自分たちの命を護るため、ひいては邪鬼・汪を誰も死ぬことなく倒すために必要なこと、というのも確かなわけで。ルタジュレナが、自分たちのために、全力を振り絞って指導をしてくれているというのに、相手にしないというわけにもいかず。


 自分たち全員、気息奄々を絵に描いたような調子でひいこら言いながらも、ルタジュレナの訓練をこなしているのだった。


『はいそこ、集中しなさい! 足さばきが遅い、体全体をもっと滑らかに動かす! あなたなら捌ける程度までしか能力上げていないわよ!』


「でっ……! っ、はいっ!」


 術式でとんでもなく強化した精霊数体に、四方八方から攻めさせているヒュノに、細かい指摘を念話で想念の形で伝えつつ、よろしくない動きをした部分に魔弾をぶつけて体で覚えさせる、という指導法も並行させたり。


『術式展開が遅い、判断も遅いし不適格! これは全力を出す練習なんだから、後先考えずここで燃え尽きるつもりで、全力で心身の力を注ぎ込みなさい! あとできっちり全部回復してあげるから、今は力の配分なんて考えない!』


「ぐぅっ……! はいっ!」


 前線に対する支援と、方々から攻め寄せる小精霊の撃破を同時並行で進めているネーツェに、魔力制御や思考法の具体例を、同様に念話を使った想念による指摘に加えて、目の前に幻の形で描き出しつつ念話の想念伝達を行うことで、力業で理解させたり。


『死ぬ気を振り絞りなさい! 目の前の精霊を支配できなければ、ほぼ殺されるのは事実なのよ、心魂すべての力を出しきりなさい! あなたはそれ以外のことはできないし、やらなくていいし、考えなくていい。だからやるべきことだけ全力でやりなさい!』


「はいっ……!」


 ロワの召霊術の腕を少しでも上げるために、ヒュノとネーツェが対処できる数よりほんの少し多くした敵役の精霊にロワを追い回させつつ、『困難な状況での召霊術の行使』と『高位霊体に向けた召霊術の技術』を、念話の想念伝達で、魔力制御をはじめとした召霊術の細かい勘所まで、詳しく厳しく指摘して鍛えたり(失敗したら精霊に本気で死ぬ寸前まで攻撃させる)――といったことを、ルタジュレナは同時進行でやっている。


 その指導技術というか、指導を支える能力の高さ、深さには、厳しい訓練を現在進行形で施されている側であろうとも、感服せずにはいられない。文句を言う気も失せるというものだ。重圧感で打ちひしがれそうになるのも、確かではあるのだが。


 ただ、ジルディンとカティフに関しては、そこまで細かい指導はされていなかった。カティフはヒュノと共に必死に前線を支えさせられ、ジルディンは全員の治療と支援を絶えず行わされているものの、その細かい技術に関してまで、微に入り細に入り指導されたりはしない。


「単純な理由よ。どちらも、その到達点をどこに置くか、はっきり決められていないから」


 訓練を終え、数分の休憩で動けるようになるまで心身の回復力を加速させられている間に、英雄たちがあっという間に準備してくれた夕飯の汁物を啜りながらその理由を問うてみると、ルタジュレナはあっさりとそう答えた。


「前にも言った通り、カティフはまだ本人が、どういった役割を果たせる冒険者になるか、というところを思い定められていないしね。そんな状態ではそもそも指導のしようがないわ」


「はぁ……じゃあ、ジルの場合はどうなんでしょう? 目指す役割は決まってますよね?」


「彼も同じよ。確かに、今回の一件で目指してもらう、というか、こなしてもらわないと困る役割や、そのために得てもらわないと困る技術・能力といったものは決まっているわ。だけど、本人が、心の底からその役割を目指すと思い定めて、その実現のために死力を振り絞ることができるほどに、目指すところを決められているわけではない。カティフ同様、指導のやりようがない状態、というわけよ」


「はぁ……」


 ロワは曖昧にうなずいて、ちらりとジルディンの方を見やる。ジルディンは汁物を啜りながらも、かっくんかっくんと舟をこいでいた。


 まだ十三だというのに、あれだけきつい訓練を一日中やらされれば、これだけ疲れるのも当然ではあるが。少なくとも、『負荷を与える』という点においては、ルタジュレナは手を抜いているようには思えない。


 そういう段階からさらに上の段階の技術を教授して、はじめてまともに指導をした、ということになるわけか。なんというか、さすが大陸有数の英雄、目指す基準がばか高い。


「……それに、ジルディンの場合、今の段階であれこれ指導をして、技術に癖をつけてもよくない、とも思うしね」


「え?」


 思わずといったようにルタジュレナの口から漏れた呟きに、ロワは思わず目を見開く。


「それって、どういうことですか。ルタジュレナさんほどの人から見ても、下手に癖をつけない方がいい、と思うほどってことですか」


「……あなた、いつもながら細かいところまで気がつくわね。ええ、そうよ。本人が聞いていないようだから言うけれど、ジルディンの魔力制御の才能は、私たちの目から見ても突出しているわ。大陸全土という規模で見てすら、百転刻ビジンに数人現れるかどうか、と言っていいほどでしょう」


「だねぇ。あたしらなんかは魔力制御に関しちゃ門外漢だけどさ。あの年で、まともな訓練もされないで、あれほどってのは正直、普通いないだろうねぇ」


「ま、天才と言って恥じない部類に、まず間違いなく入る代物だな。まぁ、魔力制御についてはってだけで、術法使いとしての能力となるとまた別だが」


「へぇ……」


「そう、なんすか……」


 まだまともに話をする元気を残している、ヒュノやカティフ(ネーツェはジルディン同様轟沈寸前だ)となんとなく視線を交わす。ジルディンが才能豊かな術法使いであることはよくわかっていたが、大陸有数の英雄から見てもそこまで言われるほどとは。嬉しいような、少々複雑なような気分で、仲間たちと見つめ合う。


 と、シクセジリューアムが、小さく息をついて言った。


「才能が天才的なのは間違いないけどね。どんな分野であれ、能力を形成する一番の要因は、その人間がこれまで積み重ねてきた経験だ。経験が百年を超えるほどになれば、生まれつきの才能なんていう代物は、ほとんど意味がなくなってしまう。得た経験を若い体で活用し続けられるほど、自身を鍛え続けるだけの意思さえあればね」


『…………』


「そりゃ、もちろんそうだが。……シリュ、お前、なんかムキになってないか?」


「は? なんでそう思うのさ」


「いや、その返事がもうムキになってる証拠だろ? こんな若い子らの前で素を出すなんざ、普段のあんたなら絶対しないこったろうに」


「というか……あなた、昨日からなんだか不機嫌よね? シリュ。妙に苛々しているじゃないの」


「わっ、たしは……別に」


「へぇ、こりゃ本気で珍しい。あんたが口ごもるなんぞ、ここ百転刻ビジンで初めて見たかもね」


「昨日から、となると……ふぅん。なるほどね? そんなに……へぇ?」


「……なにが言いたいんだい?」


「落ち着け、お前ら。仕事中だぞ。喧嘩するなら仕事が終わってからにしろ。駆け出しのガキどもの前で、見苦しいところを見せるな」


 威圧感たっぷりに告げたタスレクに、ルタジュレナは「はいはい」とあっさり答えてまた汁物を啜り出したが、シクセジリューアムは感情を抑えきれなかったようで、舌打ちをして立ち上がった。タスレクが「おい」と低く声をかけるも、「食事が終わったら戻るよ」と言い捨てて、木陰の向こうへと立ち去ってしまう。


 それを無言で見送ってから、まずグェレーテがふぅっと息を吐き出した。


「やれやれ、なにやってんだか、いい年こいて。何百転刻ビジン冒険者やってるんだかねぇ、駆け出し坊やたちの前で」


「そう言うな。術法使いとしての研究云々って話に関しちゃ、俺たちも部外者以外にゃなりようがねぇんだ。ルタ、お前さんもシリュをいちいち挑発するなよ」


「わかってるわよ。私だって仕事仲間と喧嘩したいわけじゃないんだから。むしろ今の私は勤労意欲でいっぱいなんですからね、私の人生を懸けた研究が達成されるかどうかの瀬戸際なんだから、少しでも大きく依頼達成に貢献することしか考えていないわよ」


「……そういう発言がもう、あの子の癇に障るんだろうけどねぇ。どっちもどっちで……はいはいわかってるよタク、あたしらは部外者なんだ、口を挟むつもりはないよ」


 そんな会話を聞いてようやく、さっきのルタジュレナとシクセジリューアムの睨み合いが、深刻な対立に発展しかねない厄介事の端緒だったことに気づいたロワは(まるで殺気の類は出ていなかったが、これほどの達人になれば、殺すつもりの時に殺気を撒き散らさないのは当たり前のことかもしれない)、慌てて椀の中の汁を啜り込んで立ち上がった。シクセジリューアムが姿を消した方向へ、後を追おうとしかける。


 と、そこに、タスレクが低く、迫力満点の声音で言葉をかけてきた。


「おい。なにを言うつもりなのか知らんが、余計な真似はするな。あいつだってこれまでの千転刻ビジン、無駄に冒険者をしてきたわけじゃねぇんだ。それでも感情を抑えきれなかったってことは、それほど深刻な話なんだろう。いつ襲われてもおかしくない状況で、身内に爆弾を抱え込めるほど、俺たちに余裕はねぇぞ。他の奴ならともかく、シリュほどの奴が作る爆弾じゃあな」


「……はい……」


 そう言われると、こちらとしても逆らうことはできない。ロワはのろのろと腰を下ろし、一度置いた椀の中の木匙を無駄に噛み締める。


 と、ふいにふわり、と目の前に軽やかな華が舞った。


「―――いいわ、行きなさい」


 軽やかに立ち上がって自分の目の前に歩み寄ってきた華――ルタジュレナは、軽く優しくそう言ってロワを立ち上がらせ、ぽんと背中を叩いてくる。タスレクが「おい」と低く、迫力満点に言ってきたが、ルタジュレナはそれにもきっぱり首を振った。


「言ったでしょう、私は勤労意欲でいっぱいだって。仕事が失敗する可能性を取り除くためなら、できるだけのことはしておきたいのよ」


「ロワが失敗の可能性を取り除ける、ってか? まだ自分の仕事をすることもできない奴に、重い期待をかけるのは、本人にも周りにも酷だぞ」


「わかっているわ。だけど今回の場合、私たちの方が問題の対処には不適格でしょう? 心配しないで、問題が起きた時の対処はきっちりやっておくわよ」


 きっぱり毅い視線でそう抗弁するルタジュレナに、タスレクはやれやれ、と肩をすくめ、ロワに向けて顎をしゃくる。思わずほっとして、タスレクとルタジュレナに一礼し、ロワはシクセジリューアムを追って駆け出した。

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