第27話 風の神の好きな人

「―――ぶへぇぇ!」


 豚のような呻き声を上げながら、エベクレナはずってんどうと雲の上にひっくり返り、ごろごろと横転する。そんなエベクレナにちらとも目をくれず、ゾシュキアは重々しくうなずいてみせた。


「なるほどね。それ、誰に向けてもそう言いきれる? 例えば仲間とか……他の女の子に対しても?」


「えと、はい。本当のことですし」


「ぐぼぉぉ!」


「なるほどなるほど。……うん、参考になったわ。ありがとね」


 唐突にさっきまでの真剣な雰囲気をきれいさっぱり拭い去って、ゾシュキアはあっけらかんとした笑顔を浮かべる。それにロワは表情を変えないまま、「はい」と端的にうなずきを返す。


 やいなや、ゾシュキアの姿が浮かんでいる水晶の窓に、さっきまで雲の上で転がりまわっていたエベクレナの腕ががしっ、と絡みついた。水晶越しに顔が触れ合いそうなほど近くで、赤く色づいた顔を引きつらせ、こめかみに青筋を立てつつ、怒りの気配がたっぷり籠った声で、がっしり水晶の窓の枠部分を握り締めながら、エベクレナはゾシュキアに囁く。


「ゾっさん? あなた、私の推しの前でなに抜かしこいてくれちゃってるんです?」


「えー、別におかしなことじゃなくない? 可愛い子の性癖把握するのとか、別にフじゃなくても女子だったらフツー楽しいでしょ?」


「楽し……くないとは言えませんけども! 人次元にんじげんの子とはいえ生きてる人間相手にするこっちゃないでしょ、初対面で失礼すぎますよ!? っていうか……わっ、わた、私がき、きれいとか言わせるとか、なに考えてんですか、え、なに考えてんですか!?」


「なにー、嬉しくないのー? 好きな子に好かれて嬉しくないとか、なんか暗い過去でもあんの?」


「そおっいう問題じゃないでしょそういう問題じゃ! お、お、推してる相手にそんな、あんな……ぶっちゃけ認識されてるだけでも申し訳なさで爆発しそうな時あんですよ私!? そーいう相手に、神次元しんじげんの存在だからってだけであんなこと言わせるとか……推し活してる人間が推しの性癖歪めるとか……うがぁあっもうこれ、人としてありえんレベルの傍若無人さでしょ!?」


「え、性癖歪めたと思ってんの?」


「それ以外のなんだと!? たまたま神次元しんじげんにいるからって理由で獲得した、神オーラで圧倒して美的感覚やら女性観やら歪めちゃったんですよ!? うぁぁもう私本気で自分許せないですよ、もう私ガチで自分処すしかないのでは!?」


「いや、あの、すいません。ちょっと待ってくださいよ」


 話がなんだか不穏な方向に向かっているのを感じ取り、ロワは思わず声をかける。エベクレナはあからさまにびくっと震え、「き、聞いて……!?」とか言い出したが、ゾシュキアにあっけらかんと「そりゃいっくら声押さえてたって、この部屋で神次元しんじげんの人間が誰かに伝えようとして話してる言葉なんだから、伝わらないようにしようと考えてないんだったら、人次元にんじげんの子には伝わっちゃうでしょ」と言われ、「そうだったぁぁ!!」と頭を抱え込んだ。


「いや、だからあの、そんなにうろたえることない、と思うんですけど。エベクレナさまが慌ててるのは、エベクレナさまたちが女神で、人である俺たちの心を圧倒する美しさを持ってるから、人の世界で生きていくしかない俺の、女性を見る目が女神さまたちを基準にするようになっちゃった、ってことに慌ててるわけですよね?」


「あの、その、えと……まぁ、はい……」


「だったら、やっぱりうろたえることないですよ。俺がエベクレナさまのことを一番きれいな人だって思うのは、もちろん女神さまとしての美しさもすごいと思いますけど、いろいろ大変なことが起きて、心労も募ってるはずなのに、それでも俺のために人生を、働いて貯めた資金を費やして俺たちを助けてくれるから、ですから」


「ひぐっ……」


 エベクレナが、小さく呻き声を上げて固まった。え、俺なんかまずいこと言ったのか、とうろたえてエベクレナとゾシュキアの顔をきょろきょろ見比べるものの、エベクレナは固まったまま反応せず、ゾシュキアはむしろ満足げにうなずいてくる。


 意味がわからず戸惑うしかないロワに、ゾシュキアは笑顔で告げた。


「ま、気にすることないって。単にエベっちゃんは自分のフ脳髄と乙女回路が混線してフリーズ起こしてるだけだから。今回は再起動できないかもしんないけど、明日になればそこそこ復活するって」


「はぁ……」


「まーあたしも君とはそれなりに話し合いたいこととかあったんだけど、そっちは急ぐことでもないし、明日にしてもらっていいかな。悪いけど、機会を改めてまたお話ししましょうねってことで、人次元にんじげんに帰ってもらっても大丈夫?」


「はぁ、それは……大丈夫ですけど」


 ロワはにこにことこちらを見つめてくる、軽やかで奔放な美貌に似合った自由な女神をじっと見つめ返しながらあれこれと言葉を探したのち、結局思うところを端的に告げた。


「……ゾシュキアさまは、エベクレナさまが本当に、大好きなんですね」


「ぶほぇぇ!?」


 さっきまでのエベクレナのように、絶世と言っても足らないほどの美しい顔貌を思いきり歪めて噴き出したのち、ゾシュキアは目にも止まらぬ速さでずぬぬぬぬと水晶の窓をこちらに近づけてくる。ロワは思わず身を引いたが、その背中がなにか壁のようなものにぶつかった。


 と思うやいなやゾシュキアが、これ以上退けないロワの顔の間近、それこそ顔と顔が触れ合いそうなほど近くから、鋭い眼差しで問うてくる(どこまでも続く雲の上でなんでいきなり壁? とロワの理性は思わず突っ込んだが、まぁ女神さまなんだからその辺はどうとでもなるだろうと思ったし、なにより目の前でこちらを睨むように見据えるゾシュキアの真剣な面差しに、いろいろ察して口にするのはやめた)。


「……どーいうこと?」


「え? ど、どういうこと、というと?」


「どっから出てきたのその台詞。あたしそんな話ひとっことも言ってないと思うけど? どっからそんな話考え出したわけ、え?」


「え、いや、その……考え出したっていうか、普通に、そうなんだなぁって思ったっていうか。だって、ゾシュキアさま、最初からずっとエベクレナさまのための話しかしてなかったでしょ? エベクレナさまをからかいたいのか、エベクレナさまのためになにかしたいって思ったのか、そこらへんの割合まではわかんないですけど……エベクレナさまの気持ちを動かすような話題ばかり振ろうとしてたことくらいは、わかりますよ」


「…………」


「………え? ちょ、あの、待ってください。それ、マジですか?」


「っっっっ!!? ちょぉぉぉ! あんた、エベっちゃん、なに当たり前みたいにしれっと聞いちゃってんのぉぉ!?」


 固まっていたエベクレナは、いまだ完全に衝撃から立ち直ってはいなかったはずだが、それでも青ざめた顔を呆然とさせつつおそるおそるこちらに問いかけてきていた。ゾシュキアは真っ赤になってうろたえ慌て逃げ場所を探そうとしていたが、エベクレナは衝撃に打ちひしがれた顔で、それでも懸命にゾシュキアを引き留める。


「ゾっさん……逃げないで、ください。だって、これって……すごく、大事なことですよね?」


「だ、大事、っていうか……や、別にあたし的には大して重要なこっちゃないっていうか、当たり前のことだからわざわざ話すことでもないっていうか……」


「当たり前だったらなおのこと大事でしょう!? 私たちの根本、生きる指針に関わる重大事ですよ!?」


「い、生きる指針って……ま、まぁ、そう言えなくも? ないかも? しんないけどさ……」


「ゾっさん、真面目に答えてください。あなたは……」


「っ……」


「百合厨だったんですか!?」


『……………』


「は?」


 ゾシュキアの発した低い声に、(ロワにはなにを言っているのかさっぱりわからないが)自分が見当違いのことを言ったことに気づいたらしいエベクレナは、わたわた慌てながら言い訳する。


「えっ、いやだって、私が好きってことにあんな重めの反応するって、ゾっさんもしかして女子の方が好きだったのかなって……百合好きなのに私らのフの会話につき合わせてたんだとしたらすんごい悪いことしちゃったーって思うじゃないですか! 嗜好にここまで根本的なズレがあるんだったら、友達としてしっかり把握しないと申し訳なさすぎるなって……!」


「エベっちゃん、あんた、あたしがあんたのこと好きとか言ってる発言聞いて、まず考えるのがそれなの?」


「えっ……あっ! すいません、ガチレの方でしたか! ごっごめんなさい、私デリカシーなさすぎますね! 曲がりなりにもフの端くれとして、同性愛者の方と遭遇した時のシミュレーションぐらいはやってるんだから、こういう時にこそ活かせないとなのに!」


「ちっっがうわ! そっちの方が普通の発想だとは思うけどちっっがうわ! あたし性的にはカテゴリ男子の方が好きだから、真面目に! 嘘つけないこの部屋できっぱり宣言させてもらうけど!」


「えー……? じゃあなに、どういうことなんですか? 私が好き、ってこと私に知られて、で、あの反応……?」


「いや……別に、当たり前の話じゃないですか。ゾシュキアさまが、エベクレナさまを、かけがえのない友達として、心の底から大事に思ってるって、そういうことでしょ?」


 見かねてロワがそう言うと、ゾシュキアは「んがっ……」と呻き声を上げて固まった。エベクレナはしばし目をぱちぱちさせていたが、やがて照れ笑いしながらゾシュキア(の映っている窓)を肘でつつき始める。


「やっだーもう、ゾっさんったらなに言っちゃってんですかーもう。え、なに本音ですか、私のことが友達として大好きとか本音ですか? 人次元にんじげんの子に見抜かれちゃって恥ずかしくなっちゃったんですか? 照れるなーもう。私もゾっさんのこと好きですよー、友達ですもの―」


「………エベっちゃん、あんたちょっと黙っててくれる? もうそろそろこの子を人次元にんじげんに帰さないとならない時間だし?」


「やーもうそんな怖い顔しないでくださいよ照れくさいからってー。はいはい黙りますよー、でもこのことみんなに話していじるネタにするくらいのことは許してくださいねー」


「鬼か! あんたには武士の情け的なものとかないの!?」


「たまにはいいじゃないですか、ゾっさん普段いじられにくいキャラですし。せっかくネタ的においしい弱点見せてくれたんですから、酒の肴にするくらいは許してくださいよ」


「ぬぐぐぅ……」


 唸りながらも、ゾシュキアはそれ以上エベクレナにあれこれ言うことはなく、ロワの方に向き直って端的に言い放つ。


「……じゃ、今から、人次元にんじげんに帰ってもらうよ」


「あ、はい」


「あと今回の仕返しはしっかりさせてもらうからね。覚えてなよ」


「は、はぁ……」


「もーゾっさんってば、人次元にんじげんの子に絡んでどーすんですかー。いいじゃないですか別に、単にゾっさんがちょっと普段と違った可愛いとこ見せちゃった♪ ってだけでしょ?」


「あーうるさいあーうるさい、だからエベっちゃんはちょっと黙っててっつってんでしょーが!」


 にぎやかに喋り合う二人の女神に、ロワは思わずくすっと笑い声を漏らした。前々からわかっていたことではあるのだが、エベクレナと友達の女神の方々は、本当に仲がいいんだな、ということを改めて実感したのだ。






 ―――そして次の瞬間、ロワは天幕の中、毛布にくるまれた状態で目を覚ましていた。


 突然現実に引き戻されて、数瞬呆然とするものの、本来神々の世界から人の世界に戻る時はこんな感じなんだよな、とこれまでの経験を思い出して理解する。ここのところ、女神たちが激昂した拍子に人の世界へ吹き飛ばされる、という戻り方が多かったので忘れていた。


 調査役の神々にしてみれば、激昂した拍子に吹き飛ばされるという状況の方が、有益な情報を集められると考えているんだろうから、今回はむしろ不本意なのかもしれないが。ともあれ体の方がすっきり覚醒した以上、夜番の交代をする頃合いだろう、とむっくり体を起こし――


 唐突に「うがぁぁあ!」と外から響いてきた女性の絶叫に、思わず体をびくつかせた。


 夜闇を引き裂く勢いで響き渡ったその声に、横で寝ていたヒュノはばっと跳ね起き、素早く枕元の剣を取って天幕の外へ突撃する。ジルディンも寝ぼけ眼がまだ抜けていないながらも、慌てて起き上がり、おぼつかない足取りでそれに続こうとするので、それを制してロワの方が先に外へ出た。


 曲がりなりにも前衛の一翼を担う者として、後衛を先に外へ出すわけにはいかないと思ったからなのだが、同時に『たぶん別になにか起きたってわけじゃないよな』という目算もロワの中にはあった。だって、さっきの絶叫は、たぶん。


 外に出るや、目にも止まらぬ速さで自分に向け突撃してきた影が、素早く足払いをかけこちらを押し倒して(そうくるだろうと予測していたのでかろうじて受け身は取れた)、覆いかぶさるようにして自分の顔の両脇に手を突き、至近距離から睨みつけてくる。


 予想通り、その影の正体はルタジュレナだった。


「………どういうこと?」


 こちらを睨み据えながら、激情を必死に抑えている軋んだ声で問うルタジュレナに、一応確認する。


「『どういうこと?』というのは、俺に身も心も魂もしっかり同調していたのに、俺が神の世界に呼ばれたとたん、同調が切れたり俺の見ているものが見れなくなったりしたのは、どういうことか、ってことでいいんですか?」


「そうよ! まさかあなた自分から神々に……」


「神々に同調を切ってくれ、って頼んだかって質問なら、否と答えるしかないです。というか、俺は女神さまたちと会っている間は、同調されていたことなんて、ほとんど意識してませんでした。女神さまたちも一言もそのことについて触れてなかったので……多分ですけど、俺たちみたいな人間が神の世界に呼ばれた時に、その人間に同調したりなんなりして神の世界をのぞこうって試みは、失敗するようになってるんじゃないですかね? あらかじめそういう、条件付け結界みたいなものが張られてるとかで。本当に、一言も話題に出ませんでしたもん、ルタジュレナさんに同調されてるってこと」


「………っっっがぁぁっ!!!」


 ルタジュレナは転がり落ちるようにしてロワの上からどいた、かと思うと地面に四つん這いになったままがん、がん、がんと素手で地面を何度も叩く。


 いかに後衛の術法使いとはいえ、千年を軽く超える年月を鍛錬に費やしてきた英雄の拳だ、ずん、ずんと一打ちごとに地面が揺れる。さすがに見かねてか、様子をうかがっていたタスレクが、「おい、ルタ……」と止めに入りかかったが、ルタジュレナはそれを振り払って地面を叩き続けた。


「……っようやくっ……一歩っ……進めるかとっ……思ったのにっ! ずっと……ずっと……調べて、研究して、突き詰めてきて……ようやくっ……! いつまでもっ……いつまでもっ、まるで、進まない……っ! ずっと、同じところで、あがいてばかりでっ……! ぅぁっ、うぁっ、うあぁあっ………!!」


 呻いて、喚いて、叫んで、最後には泣きじゃくる。否が応でも伝わってくる、心の底からの悲痛な嘆き。このまま諦めるかどうかは別としても、これまでまるで実を結ばなかった研究が、一歩進むかもしれないと期待していたのに、実際にはまるで駄目だったとなれば、どんな強靭な精神力の持ち主でも、それは悔しいし悲しいし辛いだろうに決まっている。


 泣きながら幾度も幾度も地面を叩く(そしてそのたびに軽い地震のような揺れが周囲に伝わる)ルタジュレナを、しばし見つめたのち、ロワはふぅっと息を吐いて告げた。


「ルタジュレナさん。できるかどうかはわかりませんけど、俺、女神さまにお願いしてみましょうか?」


『っ!?』


「………どう、いうこと」


 ルタジュレナに集中していたみんなの視線が、いっせいにロワの方へと向く。ルタジュレナも幽鬼のごとく体を揺らめかせながら立ち上がって、こちらを睨み据える。

 その迫力に、正直気圧されるものはないではなかったが、一度言い始めたことだし、それに仕事とはいえ、曲がりなりにも自分たちを助けてくれた相手をここで見捨てるというのも気が引けるので、ロワはおずおずと説明を始めた。


「えっと、ですね。既に言ったように、俺は、どうして突然神の世界に迷い込んでしまうのか、神の世界になにか異常が起きているんじゃないか、ってことを調べるために神の世界に何度も呼ばれてるわけですが。その時に、俺の相手をしてくれているのが、剣と戦の女神エベクレナさまや、エベクレナさまと親交の深い女神の方々なんですけど。もちろん神々のおっしゃることですから、俺にはよくわからないことも多いんですけど、少なくともある程度は、人間同士みたいなお話もできるんです」


「……それで? 結論は!」


「ええ、ですから、女神の方々に、ルタジュレナさんが自分に加護を与えた神……円環と精霊の神エミヒャルマヒさまでしたっけ? とお会いできるように、取り計らってもらえないかって、お願いしたらどうか、って思うんですけど」


『………は!?』


「いやいやいや待てよちょっと待てよ! お願いって、女神さまに!? は!? 本気で言ってんのかお前それ!?」


「女神さまに失礼とか、そういうのおいといても、できんのか? お願いなんて。俺がエベクレナさまに呼ばれた時なんて、もう圧倒されちまって、顔もろくに見られなかったけどな」


「いや……だから、普通ならそうなるはずなのに、俺の場合はなんでそうならないのか、ある程度は普通に話ができるのか、ってことも含めて調べられてるわけだから。神々の世界の根源に、異常をきたすようなことがあったのかもしれないって」


「えー……でも、いっくら話すことができてもさ。女神さまにお願いとか、そんなの……なんてーか、うー……」


「あまりに不遜にすぎる、という気はするな。女神さまに加護を与えられることで、俺たちはようやく生き延びることができているんだ。それなのに、さらに女神さまたちに、自分から勝手に願い出るなんて、増長していると取られて命なり魂なり奪われても、文句の言えない話なんじゃないか?」


「ええと、それもそうかもしれないとは思うんだけど……」


 女神の方々の本性……というか素の部分を知らない仲間たちにしてみれば、それが正論であるとは思うのだが。


「だから、そう願い出ても許されるくらいの功績を上げた上でお願いすれば、一考ぐらいはしてもらえると思うんだ」


「功績? ってなんだよ。ルタジュレナ……さんは、大陸でも有数の英雄だぞ? これまでに何度もでかい功績上げまくってるのに」


「うん、そうなんだけど、ただ……今回の邪鬼が、もしかしたら、普通の邪鬼じゃないかもしれない、って話があって」


『……は?』


「もしかしたらなんだけど、世界の理を捻じ曲げた、通常存在しえない、存在してはいけない代物なのかもしれない。そこまでの代物だったら、悪性領域みたいに、神々にとっても早急に対処しなくちゃいけない案件になる。それを他に被害を出さずに始末できたなら、それに大きく貢献したなら、自分に加護を与えてくれる神に会いたい、という願いを、聞いてくれるかどうかはとにかく、言うことも許さないってことはないと思うんだよね」


「……おい。ロワ。いろいろ言いたいことはあるが……その『普通の邪鬼じゃないかもしれない』って情報は、女神さまから賜ったってことで、いいんだな?」


「あ、はい。女神さまとしても、当てになるほどの情報じゃないってこともあって、ええと……みなさんと情報共有されるのはあまり望ましくない、ってことだったんで、言えなかったんですけど……」


 というか、エベクレナが一方的にルタジュレナを嫌っていて、自分が相談することすら本音を言えば許したくない感じだったので、そこまで言うならとつい遠慮してしまったのだが。


「なら今はなんで話したんだい? 女神さまが口にすることを許されたのかい?」


「いや……許された、わけじゃないですね。本当なら、今も望ましくない、と思われているかも……」


「駄目じゃないか!? どんな神さま相手でも積極的に意に逆らうとか言語道断だけど、同じパーティの仲間に加護を与えてくださっている女神の意に逆らうとか、加護を取り消されるどころか即座に命を奪われてしかるべき大問題行動だよ!」


「はい……でも、それでも、言うべきだと思ったんです」


 こちらをひたすらに睨み据えているルタジュレナをちらりと見てから、勢い込んで叱責してきたシクセジリューアムたちを見返し、仲間たちを見回し、ロワにとってはごく当たり前の真実であることを告げる。


「女神さまは……少なくとも俺が一番よく話しているエベクレナさまは、人間が一生をかけて成し遂げようとしたことに、なんの成果も得られない、なんてことをよしとはなさらない。努力した人に相応の報いを与えるために、世界が正しく回るために、日々必死に頑張って働かれている」


『主に自分の好みの人間に』という但し書きは必要だろうが、それでもロワは、嘘をついているつもりはまるでなかった。あの優しい女神さまは、(主に好みの人々の)世界が幸福に在るように、必死に戦った者に報いを与えるために、自分の働いて貯めた金をつぎ込んで自分たちに加護を与えてくれている。


「だけど、神の世界には、人の世界に加護を与える以外の方法で恣意的に干渉することを、禁止している法がある。だからただ伏して願っても、それを聞き届けられることはない。神の世界において、それは許されないことだからです。でも、神々にとって、恩義と言えるほどの、報恩すべきとみなされるだけのことをすれば。神々の法に背く、この世界に在るべきではないものを始末するための大きな助けとなるなら、神に願い出る形を取っても、そこまで叱られることはないんじゃないか、って思うんです、けど……」


『…………』


「いや……だけど、やっぱりそれは、あまりにも……」


「危険が大きすぎるだろ。いっくら一生かけた願いだからって、他人の願いに命も魂も懸けるつもりか?」


「少なくとも、俺たちの命を助けてくれた、恩人である他人です。報恩のために、命と魂を懸けるくらいの価値のあることをされた、と俺は思ってます」


「やれやれ……度外れた律義さだね。ま、そういう奴は嫌いじゃないが……どうすんだい、ルタ。ほんの小僧っ子でしかない相手に、ここまで言われてさ?」


「…………」


 ルタジュレナはぎらぎら光る瞳でこちらを睨み据えている――と思うや、ずかずかとこちらとの間合いを詰めてきた。反射的にロワが逃げ道を探すよりも早く、ロワの間近に立ち、殺気すら感じる視線をロワに叩きつける。


 ――と思うや。すっとその場に両膝をつき、深々と頭を下げた。


「私の生を救わんとしてくれた方よ。私はそのご恩に、働きをもって応えます。あなたの生と、命と、魂が、百度危機に陥ろうとも、百度この身を投げ出しお守りいたしましょう。エミヒャルマヒの僕たる我、ルタジュレナ・フォエトムの誓いを、どうかお受け取りくださいませ」


「えっ……」


 唐突に予想していなかった反応をされ、ロワは思わず固まった。ルタジュレナに深く強く同調されていたせいで、嫌でもわかる。これは本気で身命を懸けた、報恩の誓いだ。なにをされても受け容れ、どんな無謀な命令でも完遂せんとするという、通常在り得る誓いとは比べ物にならないほど身魂を縛る鎖だ。


 いやいやそんなもの受け取れるようなこと俺やってないんですけど、と逃げ道を探しかけ、がしっと肩と腰をつかまれる。それ以上退くことも避けることもできないよう、ロワの体を太い腕で固定したタスレクとグェレーテは、真剣この上ない眼差しでこちらを見下ろし、さっさと答えろとばかりに顎をしゃくってみせる。


 わたわたと周囲に助けを求めそうになるものの、ヒュノは「あー……」と頭を掻きネーツェは険しい顔で眼鏡を押し上げジルディンはぽかんとしてカティフは険しい顔でわなわなと震え、と反応はそれぞれ違うものの、全員こちらに助けの手を差し伸べる気配はまるでない。シクセジリューアムなどは、鋭く険しい、というかもはやこれは殺気なのでは、と思うほどの苛烈な視線をこちらに投げかけてくるので、一瞬金縛りにかかってしまったくらいだ。


 そんなロワの反応にもこゆるぎもせず、眼前で深々と頭を下げた姿勢を崩さないルタジュレナに、嫌々ながら視線を戻し、ロワは「どうしよう……」「どうしろと……?」と、一人心の中で煩悶した。

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