第24話 女神さまたちの譲れない主張
―――そして気がつくと、神の世界にいた。
「あー……」
光に満たされた世界。見渡す限り続く輝く雲海を足下に、陽の光よりも眩しい黄金色の光がどこからともなく降り注ぎ、空気そのものすら娟麗に煌めかせている。
なびく瑞雲は一筋はきらきらしい五色、もう一筋は輝かしい空間を典雅に引き締める紫色。その二筋の雲に挟まれた、雲が高台を形作っている場所に、一人の女性が立っている。
毎度おなじみとなってきてしまった、女神と呼ぶにふさわしい美貌と艶麗な気配――だが、ロワとしてはそんなものに心を打たれる余裕もなかった。エベクレナが眉間に皺を寄せ、きゅっと唇を引き結び、じろりと明らかな怒気を孕んだ視線をこちらにぶつけてきて――要するに、すさまじく不機嫌そうだったからだ。
それなのにその美貌もまとう気配の麗しさもまるで損なわれていない、というのはさすが女神としか言いようがないが、それでもそばにいる人間としてはどうしたってびくびくせざるをえない。えぇなんだ俺ここまで怒られることしたっけいや心当たりはないではないけど、などと頭をぐるぐるさせつつ、とりあえず深々と礼をする。
「ど、どうも……」
「………どうも」
応えの言葉にも、声音のひとつひとつに、『私は不機嫌ですよ』という主張がみっちり詰まっていた。『不機嫌そうな絶世の美人』というものの迫力と威圧感に、ひえぇぇと内心で泣きそうになりながらも、これはもう全面降伏しか道はない、とロワはすすすっと礼を土下座へと移行させた。
「…………」
「申し訳ありませんでした。本当に申し訳ありませんでした。自分勝手なことをして、ご心配をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」
額を床(この場合は雲。ふんわり柔らかく、暖かい心地がして気持ちいい)に擦りつけるようにして、ひたすらに謝罪を繰り返す。こういう時にああだこうだ言い訳するのは、ほとんどの場合余計な怒りを煽る。とにかくまずはひたすらに謝るのみ、と叩頭していると、エベクレナのさっきと変わらない、つまりはまだまだ怒りの籠った声が降ってくる。
「どうして私が怒ってるか、わかってます?」
「は、はい……その、こうなんじゃないかなー、っていうのは……」
「なら、ご説明をどうぞ。言い訳も込みで」
「え、っと……その、英霊召喚の術式を発動させるために、また生命力つぎ込んじゃって申し訳ありませんでした……別に英霊召喚がなくても負けることはなさそうな戦いだったのに、自分勝手な判断で、また死にかけるまで生命力使っちゃって……」
「それで? どういう理由でそんなことしたんですか? 言い訳をどうぞ」
「は、はい、その……ですね。確かにあの状況なら、あのまま戦ってても、じわじわ戦線を前に進めて、敵の要となる奴を、倒すことはできるかなー、とも思った、んですけどね……」
「…………」
「その……そういう勝ち方だと、ですね。……ネテが、その……救われない、かなって」
「……はい?」
「えっとですね、ネテと魂を毎日同調させてたせいで、ネテの気持ちというか、心というかがなんとなく伝わってきちゃったんで。あの時ネテが、自分なんて駄目だ最低だ、みたいにぐるぐる考えて落ち込んじゃってる、っていうのがわかったんで、できればなんとかしたいなー、とか思いまして。それで、なんとか英霊――降りている間にネテを少しでも導いてくれるような、そういう英霊を招いて、ネテの能力を向上させれば、少しはそこらへんがなんとかなるんじゃないかなー、と……」
「…………」
「本来なら、生きるか死ぬかの戦いで、そんな余裕ぶってたら死ぬ、っていうのはわかってるんですけど。今回はタスレクさんのおかげで、攻撃は完全に防いでもらえてましたし、強力な支援術式もかけてもらってましたし。グェレーテさんたちのおかげで、ヒュノたちも気持ちよく楽に攻撃できてたみたいでしたし。怪我をしても即座に癒してもらえる態勢が整ってましたし。基本的には今回の英霊召喚は、ネテの能力向上のため、っていうのがでかい感じでしたから、招く英霊に、それくらいの注文つけても許されるかな、と……」
「…………」
「そ、その、まさかエベクレナさまの勘気に触れるとは、その、正直思ってなくて。仲間に怒られるっていうのは、一応覚悟してやったんですけど……その、本当に、申し訳ありませんでした……」
また勢いよく叩頭して(しかし頭を叩きつける先の雲は柔らかかった)、ひたすら全力で謝意を表す――と、ほぅっ、と小さく、ため息を漏らすのが聞こえた。
安堵、というか、これは……感服? 感動? 感謝? 幸福? よくわからないが、そういう感じのすさまじく満足げなため息だ。
え、なんで、とおそるおそる顔を上げて様子をうかがうと、エベクレナはそのつぶらな瞳をじんわり潤ませて、悩ましげに身を悶えさせながら、小声でなにやら呟いている。
「もぉ~……なにこれ、なに? いやいいですけどぉ! 嬉しいですけど、可愛いですけどぉ! 剣を思う推しの健気な心遣いとか歓喜と共にありがたくいただくしかない案件ですけどぉ! でもこれはもう、なんていうかもう……あぁぅ! 嬉しいけどぉっ……切なさがすぎるぅぅ……! ヒュノくんも最前線で一生懸命斬った張ったしてたのにぃぃ……!」
「はぁ……?」
なにを言っているのかまるで分らず、思わず首を傾げてしまったロワに、エベクレナははっと我に返った顔になり、素早く姿勢を正して咳払いをする。それからきっ、とこちらを睨み下ろして(この謁見室ではエベクレナは最初はいつも雲の床の高台に立っているので、見下ろす形にならざるをえないのだ)、重々しい口調で告げた。
「そうですね、正直、心配しましたし慌てました。今回は、存在自体は嬉しくないにしろ、高位の英雄たちが一緒に来てくれてたので、命の危険とかはないだろう、って安心してたのに、いきなり倒れられたわけですからね」
「はい……」
「私はどんなに心配したって、結局はあなたたち
「え、いえ、あの。なんでですか?」
「え……はい?」
「いや、だってエベクレナさまに身の程を知る……っていうか、口出ししてもらえないのって、俺としては困るというか、その……寂しいんですけど」
「ひゃぃっ!?」
「だってエベクレナさまって、しょっちゅう俺を見守ってくれてるわけですよね? これまでにいろんな英雄を見守ってきた女神さまが、俺みたいな未熟な奴を見守るって、絶対あれこれ言いたいこととか溜まると思いますし。それなのになんにも口出ししないっていうのは、俺としては絶対、俺が何かやらかしたとしか思えないっていうか……もう見捨てられる寸前ってことですよね? もちろんいつそうなってもおかしくないってわかってはいますけど、やっぱりそうなったらなったで、一抹の寂しさは拭えないっていうか……、……? あの、すいません。俺、なんか変なこと言いました……?」
唐突にばったりと雲の高台の上に倒れ伏したエベクレナに思わず問うと、力ない声と手で否定の応えが返ってきた。
「いいえー、別にぃー……私という存在の耐えられない軽さにちょっぴりアンニュイになっただけですよぉー」
「は……?」
「いや、マジな話、私の基本的なスタンスとしては、『私なんぞ部屋の壁のシミと思ってください』的な感じなんですけどね? 推しの皆さんが今ここに存在してくれている奇跡をひたすらに崇め奉る信徒の一人という立場が当たり前だし、そうあるべきというか、推しに注目されるとか普通に機能不全起こすタイプですし私? ただその、あなたの見事なまでの『口説き文句からの勘違いさせたのちスルー』というアクションに、ちゃんとそっちのリアクション取らないと悪いみたいな気がしただけで?」
「はぁ……?」
「まぁそれはそれとして、私の推し欲をそんな風に軽く見られるのは、正直心外ですけどね!」
「はい? なにが……」
よっこらしょ、と身を起こし、エベクレナは高台からびしっと指を突きつけて宣言する。
「きっぱりはっきり申し上げますけど。私、推しは一生推しなタイプですから!」
「………はい?」
「もちろん気持ちは移り変わりますし情熱はいずれは冷めるでしょう。そこを否定はしません。が、私これでも千年近く『私』と付き合ってますので、もう何度も経験してるんです。向ける気持ちの形が変わっても、生活の中で占める割合が減ったとしても、顔や過去ログを見るたびに『あぁ~やっぱり顔がいい~』と推し欲が湧き上がってくる、そういう相手じゃなきゃそもそも推すとこまでいかないと!」
「はぁ……えと、はい……?」
「なのでガチで宣言しますが、私あなたがどれほど変わっても、私的な推せるところが損なわれていなければ、神の眷族の一生涯かけて推し続けますから! 千年経っても変わらず推し続ける、それだけの想いだと確信できるから、こうして推しご本尊と対面してるとかいう無理すぎる状態でも、顔を上げてきっぱり言いきれちゃうんです! 正直指震えるくらい心臓ばっくんばっくん言ってますが! 内心でも緊張のあまりガチ泣き状態だったりしますが! 私ある意味すごくないですか!?」
「ええ、と……その、つまり、損なわれる時があれば、気持ちは変わるわけですよね? で、その、エベクレナさまにとってその、俺の損なわれてほしくないところって、顔なわけですよね……? それってめちゃめちゃ損なわれやすいところな気がするんですが……」
「ち、違いますぅぅ! 顔で好きになったわけですけど顔だけってわけじゃなくてですねマジに……っていうかそもそもこの神すぎる作画で描かれてる以上、どんだけ老けようが傷がつこうが愛せる自信満々ですよ私!?」
「いや、すいません、なにをおっしゃってるのかよく……」
と、唐突にポーン! という音が鳴った。この音は、と目をみはるロワと、エベクレナの眼前にも同時に、何度も見た水晶の窓が現れ、以前にもあったようにずらずらっと文章が並ぶ。
「えっと……え?」
いい加減私も話に参加させてくれないかしら? ずっと出待ちしてるのだけど? byギュマゥネコーセ
「あっ……す、すいません、忘れてました……私がある程度状況を説明したら、ギュマっちゃんを呼んで、また三人で話して、前回からのデータの変化を確認する、ってことになってたんでした……」
「いやそれ早く言ってくださいよ! 女神さま、それも今回も俺たちのために自分の
「す、すいません……いやでも私も、今回もそれなりにがっつり
「? すいません、よく聞こえなかったのでもう一度お願いできますか?」
「いやいいですもういいですこの状況でリピートするとか恥ずかしすぎますから!」
* * *
「久しぶりね、ロワくん? 今回も活躍してくれたようで嬉しいわ」
「い、いえ……お待たせしてしまって本当に申し訳ありませんでした……」
ギュマゥネコーセは、以前見た時と変わらず、知的で神秘的な麗しさを保っていた。前回会った時の最後には、意味のわからないことで相当荒れ狂っていたが、あれから時間をおいたせいか、こちらに神々的粗品を送って気を済ませるという行為が精神安定の一助となったのか、元通りの沈着な賢女という雰囲気を取り戻している。
「…………」
ロワがそう思うや、ギュマゥネコーセのこめかみがぴくっと動いた。あっまずい、こっちの心が伝わってしまった、と慌てながらも、そういう心も伝わってしまうのだから気にしないふりをして話を進めるしかない、と開き直り言葉を続ける。
「えっと、その……今回も、ご自分の
「! いっいえっ、どういたしましてっ! というかむしろ今回も推させてくださってこちらこそありがとうというか!」
「……ええ。私たちにしてみれば、私たちが働いて貯めた
「いえ……その。みなさんの、日々働いて貯めた
「でも、あなたたちの作戦計画って、私たちの加護があることを前提として策定されているのよね? 私たちが
「いえ……はい。そうなんですけど……」
「っていうかその話私すでにしてますから。既出ですから」
「はぁ~? 同担拒否系マウンティングやめてくれる? っていうかそもそも私同担でもないし、あくまで徹頭徹尾眼鏡だし。……まぁ? 今回は数馬身差をつけるレベルで剣に躍り出るくらい、二人の仲のよさががっつり描写されたわけだから、気持ちはわからなくもないけど?」
「はぁ!? そっちこそ推しカプ公式準拠系マウンティングやめてもらえます!? っていうか仲のよさが描写されたのネーツェくんとだけじゃないですから、仲間全員との信頼関係しっかり描写されてましたから! ……まぁ、今回は確かに、かなり露骨に仲良し描写されてたのは、認めますけど……」
「でっしょぉ~?」
「くっ、嬉しそうな顔しやがって! 言っときますけどまだ全然カプ固定とかのレベルにはいってないんですからね、これからどんどん新たな仲良し描写出てきますから絶対!」
「まぁ、それは確かに否定はできないけどね。……唐突に女キャラ登場して推しに絡みまくるとか、そーいう状況だって起こりうるわけだしね……クソが」
「あぁ……そうですね。本当にそういう状況、当然みたいにしれっと起こりますよね……そしてあっさりそいつとくっついちゃうとか、そういうことも普通に起こりやがるんですよね……滅びろ!」
「同意だわ。でもまぁ、今回はまだ大丈夫でしょ。ギルドの小娘も、ちょいちょい絡んできやがるエルフの英雄女も、基本的には自分の感情優先で、この子たち自身を見てるわけじゃないし。……まぁ、そんな気なかったくせしていつのまにか勝手に自分でフラグ構築して勝手に回収してくるっていう、厚かましいパターンもあるから、完全には気は抜けないけどね。さすがに転んでからろくに時間も経ってないうちに、公式で男女関係成立とか勘弁だわ」
「ほんとそれ。いやもちろん神のお創りになった世界なわけですから、それに一信徒でしかない私たちが自分の好みであれこれ文句つけるとか、よくないっていうか、あっちゃいけないとわかってはいますけど! いるんですけど!」
「そういう信徒としての良心と、推し欲はまた別っていうか……ねぇ? あれよ、見つめるだけの片思いでいいから恋人がいるなんて知りたくなかった……的な」
「いやそれだいぶ語弊ありますから……まぁ、言いたいことはわかります。神の創った公式世界線に描かれない部分に、想いを馳せる余地は残しておいてほしいですよね。余白の美というか、描かないことで描くというか……」
「それもけっこう語弊あると思うけど、わかるわ。神に凸とか信徒として最低のことするような奴らとは一緒にしてほしくないけど、罪の味を知ってしまった以上、無知の園には戻れないもんねぇ」
「ね~。あとほら、あれですよ。友達、仲間、そういう関係の範疇のことしかやってないとわかってても、そっちに開眼しちゃった人からすると、いやこれもうやっちゃう以上にエロいでしょ! ってことしばしばありますよね!?」
「あ~、エベっちゃんは同級生ブロマンスカプが性癖だから、よけいにそういうことあるよね。私は眼鏡をどうにかしたい、どうにかしてほしいっていう欲求がまずあるから、あんまりそこまで刺さることってないんだけど……ぶっちゃけエベっちゃんって、少年同士がわきゃわきゃいちゃいちゃしてくれてたら、別にやってなくてもいいんでしょ?」
「う……まぁ……その、はい。そうですね……正直やっちゃわない方が燃え上がるものはあります。もちろんやっちゃう方はやっちゃう方で全然ありっていうか、大好きなんですけど! 男の子同士の友情! 深い信頼関係! 絆としか言いようのない形にならない想いの行き交い! とかってもう、尊いって言葉だけじゃ表しようのないほど価値ありすぎないですか!?」
「いやだからエベっちゃんはそこが性癖だからね。私はなによりもまず、眼鏡がエロ可愛いところが見たいので。……っていうかこういう感じのやり取り、私たち何百回だか何千回だかやってんだけど?」
「あははー、神の眷族あるあるですよねぇ、以前と同じこと語り合って同じとこで同じように燃え上がっちゃう。精神が老化しないようにしてくれてるおかげだっていうのはわかってるんですけど、ボケ老人と同じことやってるって思うと時々怖くなりますよね~」
「いやそれ言わないでよ私あなたより数百年長く眷属やってんだから! 推し活してる人間がボケるとか本気で悪夢すぎるから! 想像してみなさいよ同僚に昨日ハァハァしながらリピした動画の止めどころとか語っちゃう自分!」
「いやっ! ちょっとやめてくださいよ悪夢すぎるでしょ! いっくらリモートワークだからって同僚とは日に何度も顔合わせるんですからね!?」
「………………」
なにを言っているのかよくわからないけれど、とロワは無言で女神たちのにぎやかな会話を眺めつつ思う。仲がよさそうで、よかった。
と、そんな風に自分たちが見つめられていることに気づいたのか、エベクレナとギュマゥネコーセははっ、と我に返って、ロワに向き直り頭を下げてきた。
「す、すいません、ロワくん。私たちだけで、意味わからない話で盛り上がっちゃって」
「いえ……」
「本当にごめんなさいね。でも言い訳をさせてもらうと、これもエンジニアの人たちからの指令なのよ。『この手の話をしてどんどん盛り上がれ』という、ね」
「え? ……どういうことですか?」
「えっと、まず前提条件として、なんですけど。基本
「えっと……はい」
「そして、現在、ロワくんのことをきっかけにして、
「はい」
「それで……その中で、エンジニアの人たちがすごく重要視してるっていうか、『これが今回の事態の原因なんじゃないか?』って思ってるのが、その……私たちが暴走した時に、ロワ、くんが謁見室からすっ飛んでいく、っていう事態なんですよ。実はああいう事態って、謁見室ができてから今に至るまで、それこそ有史以前からずっと起こりえなかったことなので」
「ゆ、有史以前、ですか……」
「はい、だって
「だから、以前に何度かあったという、私たち
「さすがにその、私たちのその、まぁ、プライバシー? に深く関わる話をぽろぽろ、推し……いやそのまぁ、
「まぁ、実際にはこの謁見室にはもともとそういう機能があって、使ってる方がその内容を知らなかった、っていうまいったオチなわけだけど」
「すいませんねぇ、でもギュマっちゃんも同じでしょそれ! ……ええととにかく、私たちの喋る内容にバイアス……というか、『これは私たちにとって重大な私的情報に関わる話である』って私たちが感じるようなことを喋っても、あなたには伝わらない、っていう機能を使わせてもらってるんですよ」
「伝わらない……ですか?」
「ええ、言語としては認識できるけど、頭の中でそれが像を結ばない。つまり、私たちが『重大な私的情報に関わる話』をしてる時には、あなたは『この人たちがなにを言ってるのかさっぱりわからない』っていうようにしか感じられないようにしてるわけ」
「な、るほど……」
さっきから『女神さまたちがなにを言ってるのかさっぱりわからない』とたびたび感じていたのはそういう理由があったからなのか、とロワは内心で納得する。エベクレナは申し訳なさそうな顔で、高台から(たぶん降りる機を見失ってしまったのだろう。さっきからたびたび降りたそうにびくりと足を震わせているが、一歩が踏み出せていない)深々と頭を下げた。
「すいません、ここは嘘やごまかしができない部屋だ、って言っておきながら……それにこっちはあなた方の考えてることとかほぼラグなしで受け取れるっていうのに、身勝手にもほどがある話だと重々承知はしてるんですけど……でも、正直言ってその、『そーいう』ことをガチであなたに伝えて理解させちゃうとか、私的に本気で自分消滅させるしかない展開なので。真っ白いキャンバスに墨汁ぶち撒けるだの新雪に真っ黒い踏み跡つけるだのの、数兆倍の申し訳なさなので、ガチでもう死ぬしかないレベルなので。かといって友達とかと喋ってる時に、そういうところを微塵もこぼさない自信とかも全然ないので。その、本当に申し訳ないんですけど、許していただけないでしょうか」
「いや、別にいいですよ。別に謝る必要ないです」
すっぱり正直な気持ちを告げると、エベクレナとギュマゥネコーセはそれぞれ、驚きに目を見開く。
「え、その……いいんですか? だって……」
「そりゃ、普通の会話しかできない人間からすれば、ずるいとか卑怯とか神さまだからって理不尽、とか思う奴もいるかもしれないですけどね」
「うぐっ」
「でも、実際問題神さまなわけですから。俺たちよりずっと重い責任背負ってるわけですから。そんな方にああだこうだ文句つけるほど俺偉くないですし、それになによりお二方には、俺たちパーティを救ってくれたっていう大恩があるじゃないですか。俺たちの命を、のみならず心も、ご自身が必死に働いて貯めた
だから全然気にする必要はない、と宣言すると、二柱の女神はそれぞれほっとした顔で息をついた。
「ふぅぅ……すいませんその、身勝手な話なのは分かってるんですけど、正直よかったー、って思っちゃいました……」
「あなたの度量に感謝するわ。……さすがに私の推しの現段階での剣最有力というだけはある……」
「あ゛!? 私の最推しにしてメイン盾なんですけど!? 公式でも絶対次は……いや、次の次? とにかくそんなに間を置かずに、私のメイン剣との交流話来ますから!」
「あ゛ぁ゛? 言ってくれるじゃないの、っていうかアレよ、この流れだと次はロワくんとジルくんカティくんの話が来るんじゃないの? 第一クールのメインはロワくんっぽいと正直私でさえ思っちゃうんだけど?」
「えっ……そ、それは……やだホントに? えー、正直……めっちゃ嬉しいんですけど!?」
「でしょうが~。正直今回の話も、交流自体はすごく嬉しかったんでしょ?」
「うっうっ……すいませんぶっちゃけ『フォォォオ!』と悶え転がってました……だってネテくんも仲間の一人だとわかってはいましたけど、いきなりあんなふっかい繋がり見せられるとは思ってなかったんですもん! なんですか本当あれもう……なに!? 当然のように命懸けで相手を支えようとするのみならず、心を救うためにも当然のように身魂を捧げられるとかもう! そんで支えられる方もその助力に全力で応えようとするし! さっきまでもうマジ無理とか思ってたくせに、相手の言葉であっさり吹っ切れて全身全霊振り絞って頑張っちゃうとかっ!」
「そうそうそうそうそうなのよ! 普段わりと上から目線なくせに自分より立場とか力とかが上の相手になるとすぐ耳が寝ちゃう、基本勉強できるけどヘタレなガキンチョやってる子が、お相手が言葉や想いをかけてくれた時になら、あっさり枷外して無敵モード入っちゃうとかもうっ、まさに黒髪猫耳眼鏡少年そのものじゃない!?」
「あーなにが言いたいのかよくわかりませんけどわかりますよ。少年特有の小さな世界の王さま感っていうか、安全なところからなら大口叩けたりとかこっちに攻撃してこない相手ならいくらでも馬鹿にできたりみたいな、周りがみんな馬鹿に見える的幼い賢さ? そういう眼鏡系クソガキムーブを、友達のためならぶっちぎって本気になって頑張っちゃうとか、すごい眼鏡少年感ありますよねー。私的にも黒髪猫耳感、けっこう強く感じちゃうリアクションっていうか」
「でしょでしょ!? 眼鏡はどんな男子に対しても好相性を発揮する偏在する上に現在する超越的属性だけど、黒髪猫耳眼鏡はその中でも知的生意気クソガキと相性いいのよ! もちろん気弱系とかガチクール系とか相性いい属性はいっぱいあるんだけどね、超越的属性だから! それでも今回の描写は私的にもかなりポイント高い眼鏡ムーブだったわー」
「あははー……まぁ眼鏡キャラ的にもポイント高いなーっていうのは、眼鏡素人の私でも感じましたよ。……私的最推し盾の剣に回ることがあってもおかしくないなってぐらいに」
「……あ゛?」
「あ゛ぁ゛?」
「ちょっとあんた喧嘩売ってんの? 眼鏡は腹黒眼鏡もクーデレ眼鏡もイノセント眼鏡もクソガキ眼鏡も、すべからく盾にするべしと私的大法典の第一則に記してあると何度も言ってるでしょうが!」
「私も何度も言ってますけどねぇ、そーいう単一属性で剣盾を決めちゃうのが私的に馴染まないんですよ! なにより重要なのはその子たちの人格と、心の通い合いの在りようでしょう? 剣盾はその子たちに応じた組み合わせの形のベストなんですから、その子たちの心と記憶を知った上で判断すべきでしょうに!」
「はぁ~ん? なに抜かしちゃってんの? ていうかあんただって基本最推しを盾にするって原則から外れないじゃない。好みの子を盾にするって意味じゃ、私と一ミリも違わないと思うんですが~? むしろ私の方が単一属性に忠実な分愛がブレてない説まであるわ」
「ちっ、違いますぅ~! 私はちゃんと推してる子のメンタルな部分も知ってから決めてますぅ~! ……っていうか、メンタルな部分もちゃんと知ってないと、地雷踏まれる確率があまりに高すぎるというか……」
「ああ~わかるわかるそれはわかるわ。第一印象で好み! って思ってもねぇ、やっぱり命も魂もある相手だからねぇ。『これは人としてアウトだろ!』って思うラインって、人によってけっこう違うから……推したい気持ちが高まってる時に、そーいう地雷踏まれると本当ショックでかいもんねぇ……」
「ですよねぇ~。
「………………」
にぎやかに騒いだり、和やかに話し合ったり、眼光鋭く怒鳴り合ったり、嬉しげにうなずき合ったり。調子を乱高下させながら、二柱の女神は様々な表情で語り合う。
楽しそうでよかった、とも思う――のだが、その話している内容がことごとく、『なにを言ってるのかさっぱりわからない』ため、ロワとしてはなんとも反応のしようがない。ひたすらに無言で待つのにも疲れてきて、雲の上に腰を下ろして三角座りの体勢を取った。
とりあえずそのまま女神たちの語らいが終わるのを待っているものの、女神たちのお喋りは調子や表情をどんどん変えながらえんえん続く。それがとりあえずひと段落つくのを、三角座りしながらひたすら待っていたが、さっぱりわけのわからない話を終わることなく聞かされる、というのはさすがに退屈だ。ぼうっとしながらじっと女神さまたちの、見た目はひたすらに麗しい会話の模様を眺める――うちに、眠気を催してかくっと頭が揺らいだ。
そして目を開けた瞬間、美しいエルフの女性の、こちらを鋭く睨み据える瞳と視線が合った。
「………!? あ、の……!?」
「……目が醒めた、ようね」
エルフの女性――ルタジュレナはちっと舌打ちし、ほとんどロワにまたがるようにして顔をのぞき込んでいた状態から、滑るように体勢を変えてロワの右隣に立ち、いまだにこちらを睨むような視線で見下ろしてくる。え、なんだこの状況、とびくつくロワに、横から怒鳴りつける声が響いた。
「おいロワ! 大丈夫なのかよ、まともに心臓動いてんのか!?」
「えっ……」
「ったく、毎度毎度ちょっとは懲りろよなっ! 今回別に英霊召喚しなけりゃ命が危ない、みてーな展開じゃなかっただろー!?」
「まったくだぜ。しかも生命力削ったって確実に成功が望めるってわけでもねぇんだろ? だってのに、状況考えねぇで命ぶっこんでんじゃねぇよ。周りにどんだけ迷惑かけるかとか、わかってやってんのかお前?」
「え、っと、その……ごめん……」
少し離れたところから様子をうかがっていたらしい、ヒュノにジルディンにカティフといった仲間たちは、ルタジュレナが場所を開けるや駆け寄ってきてぎゃんぎゃんと喚く。それにまずは体を起こし深々と頭を下げて謝意を表しながらも、ロワはきっぱり言い放つ。
「本当に、ごめん。迷惑も、心配も、いっぱいかけちゃって、ごめん。……でも、みんなにも、英雄の方々にも、本当に悪いとは思ってるんだけど……俺は、このやり方、できるだけ続けるつもりだから」
『はぁ!?』
「邪鬼・汪を倒せるのが、現状俺たちしかいない以上、たとえ英雄の方々の助力があっても、俺たちの実力をできる限り引き上げなきゃならないのはわかってるだろ? それで、少なくとも現状では、一番手軽で効果の高い、この上なく効率がいいって実証されてる能力の引き上げ方は、英霊を縁り憑かせて、達人級の技術・能力を肌身で、骨身に沁みるほど実感させることだっていうのもわかってるはずだ」
『うっ……』
「そりゃ……まぁ。実際に味わったし、違うたぁ言えねぇけどな」
「はたから見ても、ヒュノやネテの実力が跳ね上がったってぇのは、よくわかるしなぁ……」
「けっ、けどさ! ならなんでそれ最初っから言わねーんだよ! っていうかいきなりぶっ倒れるとか本気でびっくりしたし、うろたえたんだからな俺ら! 戦闘中にいきなり倒れられるとかいっちばん迷惑なことだとか、そんくらいロワだってわかってんだろー!?」
「うん……それは、本当にごめん。一応ある程度の対策は取ってあったから、迷惑をかけることはないだろうって思ってたんだけど、見込みが甘かったみたいで」
「対策?」
「え、失神防止用のポーションだけど。それがあったから、戦いが終わっても、気を抜きさえしなければ、治癒術式をかけてもらうまで意識は保てるだろう、って考えたんだ。けど、うっかり気を抜いた隙に……」
というか、女神たちから簡易的な加護――『生き延びる力』と『幸運』を与えられていたからこそ、どれだけ生命力を削っても一撃では殺されないという目算ができていたので、パーティ全員での突撃中に思いきり生命力を削って術式の発動率を上げる、なんぞという無茶な真似ができたわけだが。失神さえ防げれば、戦いの最後まで意識を保てれば、自分のできる限りの手段で術式を成功させるために全力を尽くしたならば、術式が成功する確率はそれなりにある、と考えたわけで。
が、仲間たちは揃ってぽかんとした顔をして、『は……?』と声も揃えた。
「え、なにそれ。お前いつそんなもん買ったんだ?」
「いや、っていうか失神防止用ポーションって確かすんげぇ高くなかったか? えっと、確か、捨て値ポーション屋でも三十万はした気が……」
「はぁ!? 本気で!? あそこでその値段ならフツーは六十万するってことじゃん! どこにあったんだよそんな金!」
「え、ゾヌ出る前に渡された荷物の中に普通に入ってたけど……」
「は!? え、嘘だろ、そんな高いもん入ってたのか!? いや贔屓じゃんおかしいだろ、俺の荷物の中にはそんな高いもん絶対入ってなかったぞ!」
「あー……でも、俺の荷物の中には身体能力増幅ポーションとかあったわ。あれ、確か捨て値ポーション屋でも五十万はした気がする」
「げっ……え、本気で?」
「俺のポーションは基本全部魔力回復ポーションだった気が……そん中に、魔力超回復ポーションとかもあった気が……戦ってる最中に飲む余裕ないだろってしまい込んで忘れてたけど」
「は!? 魔力超回復ポーションとか、あれ最低でも数百万からすんだろ!? っつーか忘れるなそんなもん!」
「いやだってこんなもん使って後から金請求されたらとか思うと絶対飲めねーじゃん!」
「ぐっ……それは、確かに……」
「いや、勝手に準備した荷物の代金を後から奪い取る、みたいなことしないだろ……まぁ俺も一応エリュケテウレさんに確認取った方が、とか思っちゃったけどさ……」
「おい確認したなら教えとけよお前!」
「いや、確認しようかと思ったけど、たぶん『なに言ってんだこの貧乏人』みたいな顔で見られるだろうなーと思ってやめたんだよ。そういえば依頼請ける時に、ポーションを無料支給する、みたいなことも言ってたなーって思い出したしさ。まぁ万一代金要求されたとしても、報酬をもらえた後ならそのくらいの金は払えるだろうし、いいかなって……」
「あーあーあー、言ってたわ確かに! ポーション無料支給するとかなんとか言ってた!」
「い、いやいっくらなんでもそりゃ、気軽に使える安いポーションの範囲内で、ってことだろ? 数十万とか数百万とか、そんな値段のポーションほいほい使ったら絶対後から請求が……」
「……お前ら。いい加減、黙れ」
『へ?』
低く、暗い声が仲間たちの後ろから聞こえてきた、と思うや、ずかずかと声の主――ネーツェが、他の仲間たちを押しのけるようにして前に出てくる。鋭くこちらを睨み下ろしながら、硬い声で言い放つ。
「失神防止用ポーションだのなんだのって話はともかく。お前が僕たちに事前に話を通しもせず、生命力を術式発動のためにつぎ込んだってことには変わりないだろうが」
「う……それは、ごめん」
「謝るより先に答えろ。お前、失神を防いで、後から生命力を回復してさえもらえば、俺たちに自分が死にかけたってことを知られないですむ、とか考えやがったな」
「そ、れは……」
「正直に答えろ。ごまかしでもしたらぶん殴るぞ」
ネーツェの真剣な眼差しと、冷えた声音。言葉の内容よりもその迫力に気圧されて、ロワは素直にうなずいた。
「……うん。ごめん」
ネーツェは深く息をつき――それから思いきり拳を振りかぶってロワに殴りかかる。
が、ロワが寝転がった体勢から上体を起こした姿勢でいた関係上、どうしても拳を振り下ろすような形にならざるをえず、位置からしてロワの頭頂部辺りに拳を叩きつけることになり、兜は外してあったものの、前衛職の端くれとして殴られ慣れている上にそこそこ鍛えた石頭であるロワにはまるでこたえず、逆にネーツェの方が「いっだぁ……!」と跳び上がる羽目になった。
「いや、なにやってんだお前」
「一応でも前衛やってる相手に、後衛が殴りかかってどうすんだよ……ロワだって鍛生術の基礎ぐらいギルドで教わってんだから、普通に跳ね返すに決まてんだろうが」
「そっ、そういう、問題じゃ、ないっ……!」
涙目になりながらも、ネーツェはきっとこちらを睨み、勢い込んで怒鳴りつけてくる。
「僕はな! お前が、僕のことを偉そうに慰めたお前がっ……『自分だけは簡単に命を投げ捨ててもいい』みたいに思ってることに、心底っ! 腹を立てて、るんだぞっ!」
「え……いや別に、そんなこと思ってないけど。生き残れるって確信……っていうか、それが一番全員が生き残る確率が高いと思ったからやっただけで……」
ネーツェの能力向上がなければ、邪鬼・汪との決戦の際に、こちらが勝つ可能性が大きく減退する。だからそのためにならば自分が命を張る価値は充分ある、という単純な理屈だ。死ぬ気もなければ、命を無駄遣いする気もない。そんなことが自分に許されているはずはないのだから。
が、ネーツェはそんなロワの答えに、ぶんぶん首を振って喚いた。
「お前はそんなつもりじゃなくても僕にはそう見えるっ! 人のことは当たり前みたいに……その、なんていうか……許す、とか、認める、っていうか……」
「え、なにを?」
「だからぁっ! その……許容する、っていうか、そこにいてもいいよ、みたいな感じっていうか……」
「いやお前なに言ってんのかぶっちゃけ意味わかんねぇぞ?」
「なに言いたいのかまとめてから喋れや」
「だ、からなぁっ! 僕はそこに重点を置きたかったんじゃなくて! ロワが、自分のことは棚に上げて、無茶な真似ばっかりしてるってことが言いたいんだよ!」
「あぁ~……そっか?」
「え、こいつそんなに無茶してるか? 命懸けだったのは全員同じなんじゃねーの?」
「そ、そうだけどっ! 命を大切にする気がないっていうか……」
「ほらあれだよ、ネテは自分が助けられた感じになってんのがムカつくんだよ! 基本人の上に立ってたい奴だから!」
『あぁ~……』
「そっ! ……んなことはないとは言いきれないが、そうじゃなくてなぁっ!」
「ネテ」
さすがに見かねて、どんどん逸れていく話を元に戻すべく、呼びかける。おそらくは反射的にこちらを振り向いたネーツェと視線を合わせて、できる限り真正面から正直な気持ちを告げた。
「ごめん。それと、ありがとう……心配してくれて。だけど、俺は本当に命を捨てる気はないんだ。いつだって、全員揃って生きて帰るっていうのを最低限の目標にしてる。だから、死にかけることは何度もあるかもしれないけど、俺は本当に、死ぬつもりで依頼果たしたりなんて、絶対しないよ」
――誰かが死ぬというのなら、犠牲が避けられないのならば、自分が死ぬのが一番因果的に『正しい』と、思ってはいるが。
死ぬつもりなんて本当にない。自分はそんなことを考えられるほど、偉い生き物ではないのだから。
「……っそこまで、言うなら、信じてやらなくも、ない、けど……っ」
「なーに照れてんだよっ、ぅらっ」
「だぁっ! ……膝裏に膝蹴りを入れるなぁっ! 前衛職の力でやられたら骨が折れるって言ってるだろういつもいつもっ!」
「えー、ネテだったら俺でも普通に折れそーだけどなー、膝」
「は!? 僕よりいつも先に行軍で音を上げる奴に言われたくないんだが!?」
「ま、体力のなさ加減はどっちもとんとんじゃねぇの? 三歳差でとんとんって辺りでもう駄目って話になると、反論できねぇとこはあるけどな」
「………っはぁっ!?」
わいのわいのといつも通りにぎやかに喚き騒ぐ仲間たち――その背後から、氷よりなお冷ややかな声がかかった。
「あなたたち。そろそろ、人間の話をしてもいいかしら」
『ひっ………』
「ル、タジュレナ、さん。すい、ません、ど、どうぞ」
仲間たちが揃って固まってしまったので、ロワ自身体を震わせるほどの寒気を感じながらも、できる限り丁重に頭を下げる。ルタジュレナはそれに眉すら動かさず、というより一瞬ぴくりと苛立たしげに眉を揺らめかせながら、冷たいままの声音で言い放った。
「ロワ。あなたさっき、『このやり方を続けるつもりだ』とかなんとか言っていたけれど」
「は、はい」
「あなたが『このやり方を続けよう』と考えたのは、突撃の最中のことよね?」
『へ?』
「ぐっ……」
「どんな言い訳をしようと、戦闘中にいきなり作戦にないことをやり始めるのは迷惑この上ないこと。あなたはそれがわからないほど馬鹿ではないし、私たちが『あてにしない』『作戦として考慮しない』と言いきっているにもかかわらず、英霊召喚術式をなんとしても発動させようと思うほど、私たちを軽んじてはいない。能力的にも、精神的にもね」
「あ、の……ですね」
「つまりあなたは、戦闘中に我を失って、勢いでやったのよね? 突撃しながらいきなり失神防止用ポーションなんて飲みだすから、なにを考えているのかと思ったけど。能力以上のことを要求されて、狼狽している魔術師の彼と深く同調したせいで、精神状態に影響されて、なんとかしなくちゃと慌てふためいて、勢いで」
「ぬぐっ……はい、その。……そう、です……」
『はぁぁ!?』
仲間たちは『おいお前ふざけんな』と言いたそうな顔になるが、ルタジュレナのような言い方で問い詰められると、ロワとしてはこう答えざるをえない。
深く同調してしまったネーツェの、追いつめられて陰鬱になっていく精神状態をなんとかしてやりたいなと思ってはいたものの、それを『なんとかしてやらなきゃ』『(たぶん)なんとかできる』と考えられたのは戦いが始まってからだし。そもそもタスレクがあそこまで完璧な防御力というか、自分たちを傷ひとつ負わせないほどにきっちり護りきれるなんて、戦いが始まるまでわかっていなかったし(自分たちに攻撃が当たらないという確信が持てたから(そして万一当たってもエベクレナの簡易的な加護で生き残れると知っていたから)、遠慮会釈なく生命力を削れたわけで)。
なので、できれば(生命力を削ってるなんて)知られたくないな、ごまかしたいなと思ってはいたものの、英雄たちの目をごまかせるような算段など最初からなく。『勢いで』『慌てふためいて』やったんだろう、と言われると、反論のしようがない感じで……
「おっまえふざけるなよ!? それならそれで見栄を張るな! 勢いでやったくせに『死ぬつもりで依頼果たしたりなんて絶対しないよ』とか偉そうに抜かすなバカ!」
「べっ、別に見栄を張ったわけじゃ……生き残れるって俺なりの目算があったからやったわけで……」
「けど前々から考えてたわけじゃなくて、その場の考えで勢い任せにやったんだよな?」
「うぐっ……そ、そうだけどぉ……」
「『だけどぉ』じゃねぇわこんのバカ! 感心して損した! てっきりきっちり考えてやったのかと思ったじゃねぇか!」
「か、考えたは考えたよ。戦闘中に、ではあるけど……」
「はぁ……ま、しょーがねっか。お前ってそういう奴だもんなー」
「うぐぅ……」
ヒュノに苦笑されながら、暗に『いつも場当たり的』『考えが足りない』的なことを言われ、反論ができずにうなだれる。ヒュノに言われると、なんというかもう、どうにもこうにも情けない気しかしない。
「……ま、最善の行動がなにか、なんてその場の状況次第でどんどん変わっていくもんだしな。結果としては、お前さんの行動で、最上の結末を引き寄せられたわけだし」
「戦闘中に『これはいける』って直感することだって、場当たり的と言われればその通りでしかないしね。勢い任せってのは場の勢いに乗っている、と言えなくもないわけだし。あんたの考えたこと、やったこと自体は悪いとは思わないよ。ただし」
「今回、君たちが私たちの指示で動いていた、ってことは忘れないでほしいね。我々には君たちへの保護責任と同時に、君たちをどう動かすか、それによってどう結果を得るか、ということについての作戦責任もある。君の行動は、我々の想定した中に収まる範囲ではあったし、戦闘中に勢いで決めたことを我々に伝達する、というのも難しかっただろうと思うけど。すべて我々の作戦指示に従う、という前提で行動している時に、その場の勢いで作戦にない行動をするというのは、驚くし負担になるし責任の取れない事態になる可能性も高まるし、つまるところ非常に迷惑であることも間違いない」
「はい……」
英雄たちに口々に諭すように言われ、ひたすら申し訳なく身を縮めるしかないロワに、ルタジュレナがとどめを刺すように言い放つ。
「つまり、あなたは私たちに、この私たちに、非常に迷惑をかけたということ。自分たちの方から、私たちの作戦にすべて従う、と言っておきながら、あっさりその前言を翻した、ということ。理解できているかしら?」
「は、はい………。申し訳ありません……」
ルタジュレナの鋭い視線に、正直なにを言われるんだとひやひやしながら、とにかく頭を下げられるだけ下げなければ、とほとんど叩頭する勢いで頭を下げる――や、唐突に、ぐいっと体を引き起こされた。ルタジュレナが、その白くほっそりとした指でロワの胸ぐらをつかみ、間近から鋭い――そして、おそらくは欲望に、らんらんと輝く瞳で今にもこちらに喰いついてきそうな、物欲しげというか狂おしげですらある視線を投げかけてくる。
「――わかっているなら、私たちにそれなりの代償を払ってくれてもいい、そう考えてくれるということよね?」
「え? へ、はい?」
一瞬なにが言いたいのかわからずぽかんとするロワの耳元に、ルタジュレナは口を寄せ囁いた。
「あなた、さっき、神と交信していたわね?」
「っ……」
「なにも答えなくていいわ。返事なんて必要ないもの。私はすでに確信しているのだから。――あなたが、神と相当な高頻度で交信しうる、驚異的な感度を持つ巫だとね」
「あ、のっ……」
いや俺は別にそんなたいそうな代物じゃなくただたまたま、と説明しようとするや、唇に指を当てて遮られる。
「返事なんて必要ない、と言ったでしょう? なにを言われたところで、その言葉に信が置けるほど、私はあなたを知らないもの」
「は、はぁ……いや、あの、そのですね」
「だから――これからたっぷりと、あなたを熟知させてもらうから」
「は、はい?」
ルタジュレナはほとんど抱きつかんばかりに身を寄せ、腕をロワの首に回しさえして、耳元で、抑えた歓喜に濡れた声で囁く。
「これから、請けた依頼が終わるまで。状況の許す限り、私はあなたと一緒にいさせてもらうから。いつも、どんな時も、一日中、起きている間も寝ている時も、鍛錬の時も食事している時も、あなたの隣で、あなたと同調し、あなたを観察し続けさせてもらうから。かまわないわよね? あなたは私に、代償を支払ってくれる、って言ったんですもの。ねぇ?」
「は、え、あの、えっと……」
いや代償を支払うと明言はしていないはず、と言いたくもなったが、今回は仲間たちよりも四人の英雄たちに迷惑をかけてしまったのは事実だ。それも四人が請けた依頼の一環ではあるにしろ、彼ら彼女らがいなければ、自分たちはあっさり死んでいただろうことも事実。
つまり自分はルタジュレナに(だけではなく四人全員に、だが)、簡単には返しきれないほどの恩があるのは間違いないし、今回作戦がそうなっていたからとはいえ、ネーツェと同調して、個人的な心の呟きを余すところなく知ることになってしまった自分が、私的情報の秘匿権をうんぬんできるほど偉いとも思えない。
と、なれば、自分の返せる答えとしては。
「……わかりました。どうぞ、お気のすむまでそばにいてください」
『!』
まぁ正直自分がルタジュレナの役に立つような情報をもたらすことができるか、というと相当大きな疑問符をつけざるをえないのだが、『神さまにお礼を言いたい』『そのためにできるだけの努力をしたい』という感情には共感ができるというか、その気持ちを損なうような真似をしたくない、とも思うのだ。
心の底からの願いに他所から水をかけられても、鬱陶しいだけで願う気持ちが減衰することはないだろう、とも思うし。ルタジュレナの心からの願いではあるだろう言葉に、あんまり逆らう気は起きなかった。
「ふふ、ふふふ、そう? そうなの? 心の底からそう言ってくれるのね? そう……ならば私も、私の全能力を駆使してあなたと同調し、いかなる時もいかなる状況でも、健やかな時も病める時も全身全霊をかけてあなたの心魂をのぞき込むことを」
「おい待て。ちょっと待て、ルタ。落ち着け。婚姻の誓いの言葉じゃねぇんだぞ、いやそんな婚姻の誓いされても嫌だが。なにろくでもねぇというか、普通に法に反することを、心の底から本気で言い出してんだよ」
「まぁ、君の人生を懸けた研究を成し遂げられるかどうかがかかっているかもしれない相手なんだから、そのくらい熱を上げるのはわからないでもないけれど……」
「それでもさすがに、まだ駆け出しの子供相手にそんなこと言い出すのは止めに入るよ。というかあんた、戦いの前に『これからはそれなりにあなたたちを尊重する』とかこの子たちに言ってたのはどうなったんだい」
「それとこれとは別よ! 私の人生がかかってるのよ!? これまでの千年を超える人生が結実することができるかどうかって時に、相手の同意を得ようとしている時点で褒めてほしいものだわ! これまでの研究対象とは桁が違うのよこの子は!」
「いやだから人間相手なんだから、それも俺らからしたらほんの小僧っ子なんだから、ちゃんと気遣いしてやれって言ってんだよ。それこそ『それとこれとは別』じゃねぇか」
「いやーっ! 一瞬でも目を逸らした瞬間に交信を始める可能性だってあるのよ!? 一瞬でも気を逸らしたくないっ、同調やってやってやりまくるのぉぉ!」
「あーっもう話が通じないねこの女っ、これだから研究命の術法使いはっ!」
「……いや、まぁ、確かに共感できるところはないでもないんだけど……それでもこの年でここまでわがままを通そうとするのは、あくまでルタの個人的な特性だからね?」
英雄たちがこちらを押し倒さんばかりの勢いで迫るルタをロワから引っぺがし、引き離して説教している間に、ロワの仲間たちもこぞってロワに詰め寄る、というか絡んでくる。
「おま、ふっざけんな! 本気でふっざけんなよ! 超美人で超有能なお姉さまに艶っぽく耳打ちされるとかてめ、俺の仲間の分際で許されると思ってんのか! っつーかあんだけ密着してたんだから、ど、どっか触っただろ! 体と体が触れ合ってんだろ、どこ触ったんだ白状しろぉぉ!」
「っつか、なんでロワあの人にここまで絡まれてんの? そこ聞いたことなかったよな」
「つまり、お前……なにか隠してることがあるな? あんな超達人にここまで特別扱いされるとか、どんな特殊技能身に着けたんだ、吐け、正直に!」
「まぁ隠してることいちいち聞きほじる気もねぇけど、ここまであからさまにされたら気になるよなー」
「……えーっ、とー………」
それぞれの表情で真正面から聞いてくる仲間たちに、どう答えるかロワは頭を悩ませた。エベクレナは『特に隠すことはない』と言っていたのだから、あますところなく正直に白状しても問題はないのだろうが――正直、エベクレナとの関係を、他の誰にも明かせない秘密にしておきたい気持ちも、今のロワにはちょっとあったので。
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