第23話 魔術師鬱憤

『それだけとか、言いたいこと言ってくれるよなぁ……!』


 ネーツェは内心で文句の嵐を吐き散らしながら、必死に支持された範囲に術式を展開すべく、ぜいぜい息を荒げつつ呪文を唱える。当然ながら走りながらのことなので、息も声も乱れ、呪文も途切れがちで、下手をすれば足元もおぼつかなくなりそうなほどだ。そこに四方八方から触手やら、肉の種やらによる攻撃が飛んでくる――


 のだが、その攻撃はパーティの誰にも、傷ひとつ負わせることができなかった。その遠距離攻撃のことごとくを、タスレクの盾が、縦横無尽に駆け巡って防いでくれているからだ。


「ふっ、ふっ、ふっ!」


 短く息を吐きながら、軽い運動でもしているような顔で盾を動かしているくせに、タスレクの身軽さは常軌を逸していた。上下左右前後、ほぼ同時に繰り出される攻撃を、目にも止まらぬ速さで、のみならずちょっと人としておかしいんじゃないかという動きで盾を操り、防いでみせるのだ。


 後方から放たれた肉の種を一歩進んで受け止め、たかと思うや大きく飛び上がって、空を蹴りながらあちらこちらに飛び回り、上方から降り注ぐ小さく鋭い肉片を防ぎきり。そのまま自分たちのだいぶ前に進んで前方から放たれる黒い光線を防ぎつつ、体をねじり下方へと斧を巡らせ、こちらの足を取ろうとしてくる触手を弾き。


 空を自由に翔ける術式を自在に駆使できるらしいタスレクは、その利点を最大限に生かし全方位へと飛び回りつつ、金属鎧を身に着けているくせに異様な柔軟さで身体を捻じ曲げ、こちらとの間合いを的確に図りつつ攻撃をできる限り間遠で防いでくれる。身体で防ぎきれない時は防護術式や結界術式まで使う。


 敵に傷を一ソチェィルも負わせることができなくとも、攻撃を受け止め、弾くことはできる。その事実を防御の達人に全力で活用され、自分たちはほとんど足を止める必要すらなく全力で前へ進むことができた。


 そして、そうやって攻撃を防いで作った数瞬の間は、こちらの反撃が飛ぶには充分な余裕になりうるのだ。


「せっ!」


「うらぁっ!」


「〝祈浄風〟!」


 ヒュノが眼前にまで迫ってきた敵の本体――ほとんど生々しく蠢く肉の塊にしか見えないそれを一瞬で斬り倒し、カティフがその背後に迫ろうとする肉の触手(タスレクがカティフにも充分対応できるよう一度防御したもの)を斬り落とす。ジルディンは走りながらも幾度も風操術に浄化術を合わせた、浄化の大風を吹かせ、自分たちの周囲に迫る敵どもをまとめて薙ぎ払う。


 その中でも、頭抜けた撃墜数を誇っているのはヒュノだった。ヒュノの腕前がそれなりに優れているのはネーツェも知っていたが、これはちょっとそういうものとは次元が違う。


 速さ、正確さ、間合いと相手の攻撃の流れを読む眼力、勘、そういうものが達人はだしどころか、ほとんどかなりの達人とすら見えてしまうほどで、こいつが先頭に立って剣を振るってくれるから、自分たちが全速力で走ることができるのだと言っても過言ではないだろう。


 つまり、英雄たちにはヒュノがどれほどの腕を持っているか、正確に把握する眼力があった、ということだ。当たり前のことではあるが、面白くないのも確かで、ネーツェは内心こっそり嫉妬と怨念の呪詛を英雄たちに送った。




   *   *   *




「先頭に立つのは、ヒュノ。お前だ」


「俺? っすか?」


 きょとんと首を傾げるヒュノに、英雄たちは揃ってうなずく。


「はっきり言うが、お前の剣の腕は、こいつらの中じゃ頭抜けてる。俺たちから見ても、そこそこの腕はあると言えるぐらいにな」


「邪鬼の眷族……おそらくは、次に送り込んでくるのは、邪神から借り受けた少数精鋭の眷族だろうけど、そういう類の連中にもまず間違いなく一撃を与えることはできる、とあたしたちから見ても断言しちまえる。そのくらいの腕なのさ」


「はぁ……」


 ヒュノはぽかんとした顔でぽりぽり頭を掻く。おそらくは、自分よりはるかに強い人間が自分を認めているという事態に、困惑と混乱を抱かずにはいられなかったのだろう。ヒュノもあれで、他人に真正面から評価されるということには慣れていない。


「送り込んでこられる敵と戦っても、かなりの勝率をあげることができる、とは思う。けれど、今回の一件では、眷属の一体二体と相打ちになってもらうようじゃ困るからね。敵を皆殺しにしつつ、君本人も常に生き残る、そういう戦い方をしてもらわなけりゃならない」


「はぁ」


「つまり、私たちはあなたがやりやすいように、戦う環境を全力で整えることに専念する。攻撃は基本的にタクが全部捌くし、敵と距離がある場合も『獲れる』と判断したならば、グェラがあなたの近くまで誘導する。シリュは戦場の状況を俯瞰して、あなたたちに次にどう動くか、狙う敵はどれにすべきかということを指示する。もちろん、支援術式をありったけ使った上でね。向こうの加護のために、どんな攻撃も一撃必殺になる状況下で、ここまで私たちが全力で支援したならば、ほとんどの敵をさして手間取ることなく始末できる、と私たちは考えた」


「もちろん、敵の中に加護を与えてない奴を混ぜる、ぐらいの細工は向こうも施すだろうから、私たちもある程度……雑魚を消滅させられるくらいの攻撃は、適宜混ぜていくつもりだけどね」


「私は基本その役割を担うことになるわね。もちろん、精霊術による支援術式や、手が空いた時に防御や攻撃誘導の手伝い、くらいのことはするつもりだけど。あと、怪我の治療も任せてくれていいわ。そこらへんは精霊術という術法の、得意分野のひとつでもあるから」


「はぁ……いんすかね? 俺ら、そんな楽して」


「勘違いされては困るわね。『あなたたちに楽をさせるため』ではなく、『あなたたちの行動の負荷を極力減らして、一体でも多くの敵を、効率よく倒してもらうため』に、こういう作戦でいこうと言っているのよ。邪鬼・汪の加護が私たちにすら打ち破れないほどのものならば、本当に向こうの差し向ける敵のすべてを、あなたたちに倒してもらわなくてはならなくなるのだもの」


「あたしらのやれることが、あんたたちへの援護しかなくなる可能性が、今回はそれなりにあったからね。あたしらも相応の立ち回り方ぐらいは考える。まぁ、向こうの強さがどれくらいかにもよるけど……たとえ邪神の眷族や邪鬼そのものが攻めてこようと、少なくともそういう連中の『一般的』な程度の強さしか持ってないんなら、あたしらの援護も込みで考えれば、ヒュノ、あんたはまず間違いなく勝てる。そこまでの腕前の持ち主は、あんたたちの中じヒュノだけだ。だから否応なく、ヒュノを作戦の中核に据えないわけにはいかないのさ」


「お、おぉぅ……そっすか」


 真剣な顔の英雄たちに、戸惑い顔でヒュノは頬やら顎やら鼻やらを親指で掻く。ヒュノのこんな顔は初めて見るが、たぶん照れているのだろう、とネーツェは思った。子供でも名を知っているような英雄に、ここまで言われたのだから当然だ。同じパーティの連中には感じたことのなかった、腹の底にわだかまる焦げつくような熱が生まれたのを感じながらも、ネーツェは眼鏡を押し上げて問いかける。


「それはわかりましたが、僕たちが全員で突貫しなければならない理由は? 普通に考えて、後衛が前に出るというのは、死しか意味しないと思うのですが?」


「普通の、パーティ能力に相応ぐらいの戦闘ならね。ただ、今回はそうじゃない」


「向こうが次に送り込んでくる敵の強さがはっきりわかるわけじゃないけど、少なくとも後衛も巻き込んだ攻撃ができない、なんて程度の敵はまず出てこないはずだ。そして、後衛であるジルディンくんとネーツェくんの現在の耐久力では、私たちにとって一般的な程度の敵の攻撃は、一発でも死を招きかねない。すべてきっちり防ぐしかない。たとえタクでも、全員にそこまでの防御能力を発揮するとなると、防御対象の全員に一塊になっていてもらわないとやりにくいはずだ。だろう? タク」


「まぁな。五人全員がほとんど間を開けずに、密集して突撃するってぇんなら、俺より相当格上の敵の攻撃でも、きっちり防ぎきる自信はある。だがばらばらになられると、被弾率自体は減るとしても、護る側としてはやりにくい。俺たちは、お前ら全員に生き延びてもらわなけりゃ困るんだからな」


 そうでないと自分の経歴に傷がつくもんな、とネーツェの内心は吐き捨てたが、それでもタスレクたちの発言の正しさは理解できた。この大陸でも随一であろう防御の達人に護ってもらえる方が、全員の生存率は高くなるに違いない。


「……では、もうひとつ。ヒュノには一番前で敵を斬り払ってもらい、カティやロワはそれを援護するとしても、僕たち後衛には役割はあるんでしょうか? 走りながら術式を発動させるのは、僕たち程度の実力では不可能でしょうし……」


 ネーツェの、その単純かつ自明な事実(と、ネーツェには思われたもの)の指摘に、なぜか英雄たちは揃ってにやっ、と人の悪い笑みを浮かべた。思わず腰を引かせるネーツェに、目にも止まらぬ速さで歩み寄り、ぽんぽんと肩を叩いてくる。


「おいおい、なに言ってんだ魔術師崩れくん」


「移動しながら簡単な術式を発動させる技術なんて、数日の突貫訓練でもなんとか習得できるものなのよ?」


「正しい方法で修業しさえすれば、ね。心配はいらない、ちょっと死ぬ思いをする程度だとも」


「ちょっとくらいなら死んだとしても、あたしがちゃんと蘇生させてあげるからさ。安心しな」


 当然ながら安心などできるわけがなく、ネーツェもジルディンもロワも、揃って顔から血の気を引かせた。




   *   *   *




 ……確かに、英雄たちの言葉は事実ではあった。逃げながら術式で向こうの攻撃を打ち消さないと死ぬ、という型の修行を主として、技術的なコツの教授やら感覚をつかむための補助やら、今後仕掛けられる可能性のある罠や戦術といった状況の変化への対応策やら、みっちり入念な指導をしてくれた甲斐あって、自分たちは一応『移動しながら術式を発動させる』という技術の初歩ぐらいは身に着けた。


 天才型のジルディンはあっさり身に着けた上にさらに高度な技術も自分のものにしていたり、ロワがなかなか習得できずに憑依する形で身魂に常駐する術式補助機能を持つ使い魔をつけられたり、ネーツェ自身も使い魔はつけられなかったものの術式補助を受けないと安定した発動は難しかったり(なので今もシクセジリューアムに援護の片手間に補助を受けている)、といったぶれはあるが、一応全員習得はできた。


 ゆえに当然の帰結として、今現在敵と相対している真っ最中、ネーツェは全力でこき使われている。


「〝汝、四十二節の、雪白、人界の、環に乗り、循環して、爆ぜよ……〟」


「ネテ、遅い! あと三十秒で指定位置に撃て!」


『無茶言うなぁぁぁ!』


 心の中で全力で絶叫するものの、英雄さまたちのご指示に逆らえるはずもなく、ネーツェは長距離走行でぜひぜひ鳴る喉を必死に叱りつけ、早口で呪文の残りを唱える。これも当然走りながらだ。頭の中は『疲れた、辛い、休みたい』という思い一色で、教わった技術をまともに使えているか自信はなかったものの、シクセジリューアムの補助という霊験はあらたかで、ネーツェの指定通りに術式はきっちり発動する。


 フェデォンヴァトーラ大陸における術法の中で、魔術はほぼ唯一、術式を発動させるごとに距離・数・範囲・つぎ込む魔力量などを、きっちり指定しなくてはならないという特徴を持つ。これは魔術の起源がそもそも他の術法と異なり、神々より恩寵として与えられたものではないことによる。


 これは利点であると同時に問題点でもあり、魔術は術者の研究により新たな術式をいくらでも生み出せる上に(まぁ新術式の開発は専門家が何人も取り組んでやっと為せる大仕事なのだが)、その場その場で術式の簡易的な調整を行うことができるほぼ唯一の術法だが、基本的に神々が世界そのものに法則として刻み込んだ術法ではなく、学び得た世界の法則を研究した結果得られた裏道を利用した裏技なので、そもそもの発動成功率が他の術法と比べ、格段に低い。


 他の術法は『なんとなくの感覚』『結果の想像』『心象の構築』といった、心の持ちよう次第であっさり習得できてしまうし、使用できる(もちろん、それも一種の才能ではあり、それが不得意な人間はどれほどの労力をつぎ込んでもなかなかできない)。さらに言えば上達そのものも『なんとなくの心の持ちよう』で、できる人間はすさまじい早さで上達できてしまう(ジルディンのように)。神々そのものが、その術法の発動の後押しをしているのだから当然だ。


 だが、魔術は、術式を発動する一回一回ごとに、現在自分の認識できる情報を確認し、それに応じて展開する場所・数等々を定め、脳内にその結果を導き出すための構築式を展開し、それに必要十分なだけの適切な魔力量を注ぎ込み、術式の発動を制御する、という作業が必要になる。神に頼れない分を知識と知恵で補うしかないわけだ。当然、手間もかかるし発動率も低い。ネーツェもそれを補助するために、いくつもの補助術式を常時展開してはいるが、それでもこの状況で数瞬ごとにそんなことをやっているのだから、脳味噌が過熱して吹き飛びそうになるのも当たり前だ。


 しかしそれでも、このパーティで遠距離攻撃において、まともな火力を叩き出せる人間はネーツェしかいない。ちくしょうなんで僕がと何度も怨嗟の声を(心の中で)上げながら、必死に脳内で座標確認、指定、展開数決定、構築式展開、魔力注入、発動制御という手順を幾度も幾度も繰り返す。


「〝汝、二十一度の、表白……〟!」


「せっ! よっ! はっ!」


「ぐっ! こんな、くそっ! でりゃっ! このっ!」


「〝祈浄風〟……!」


 ネーツェが必死に息を荒げながら術式を発動している前で、ヒュノは軽い気合の声を漏らしつつ、襲いくる肉の塊や、防壁として立ちはだかろうとする文字通りの肉の壁を、次々鎧袖一触にしていく。カティフは自分たちの一番後ろに位置を変え、追ってくる敵の攻撃を必死に捌く態勢に入った。ジルディンは基本的に、浄化の風を常時自分たちの周りに展開する、という役目を負っているのだが(敵の撒き散らす瘴気を防ぐと同時に、邪神の系譜に連なるものに対する攻撃効果もあるのだ)、いかに天才肌のジルディンとはいえ、全力疾走しながら術式の常時展開などという真似をこなすのは難しいのだろう、何度も何度も術式を発動し直していた。


 そしてその中で、ロワだけは、一人なんら敵への対処に貢献することなく、走り始めてからずっと、同じ呪文を唱え続けていた。


「……〝祈る声は……魂は根に……ここに在ると知る……いと高き神階より……追憶され続けることを……伏して希い奉る……〟」


 英霊召喚術式。これまでにも自分たちを救ってくれた鬼札たりうる術式。その術式をロワは、戦いが始まってからずっと、何度も何度も失敗し続けていた。




   *   *   *




「ロワ。お前さんは戦いが始まったら、ひたすらえんえん英霊召喚術式を使えるよう試み続けろ。他のことは一切しなくていい」


「えっ……」


 きっぱり言い放ったタスレクに、ロワはぽかんと口を開けた。ネーツェも驚き思わず目をむいたが、他の仲間たちも驚かずにはいられなかったようで、ヒュノが眉を寄せ立ち上がり、わずかに身を乗り出して言い募る。


「いやなんでっすか。そりゃこいつ、普段戦闘中じゃろくに術式とか使えないっすけど、剣もそれなりに使えるっすよ? 大した腕前じゃねーっすけど」


「うぐっ」


「そーだよタスレクさんっ、ロワだって壁役の経験はそこそこあんだぜ? カティとかと比べるとへたくそだけどさ」


「ぐぐっ」


「いや、その、もちろんみなさんに逆らう気とかないですけどね? でも、その……こいつも一応ものの役には立つ、ぐらいの腕は持ってるんじゃないかなー、とか思ったり……いやまぁもちろんいっぱしのこと言えるほどの腕じゃないのはわかってるんですけどね!?」


「んぐぐっ」


 いやお前ら言い方! と怒鳴りたくはなったものの、さすがにこの状況で口には出せない。タスレクが、そして他の英雄たちが、揃って真剣な表情を揺らがすことすらしていないのだから、当たり前だ。


「あんたたちの言いたいことはよくわかるよ。仲間が役立たずとか、一芸しか取り柄がない、なんて他のパーティの奴に言われるなんて、我慢ならないのは当然だ」


「えっ……」


「や、別に、そういうわけじゃ……」


「いやホント、こいつが大した奴じゃないってことはわかってますし! いやまぁ俺もそんな大した腕前じゃないのも確かなんですけど……」


「うん、気持ちはわかる。でも、ここはあえて言わせてもらうよ。――彼は、たとえ経験を積んでも、君たちほどは強くはなれない」


『――――!』


「なぜかはわかるわね? 彼には、神の加護が与えられていない。経験を積んでも、普通の人間と同じようにしか、それを自分のものにすることができない。あなたたちのように、神の加護を得て間もない人間にはわかりにくいかもしれないけれど――これは本当に、致命的な差なの」


「普通の人間は、経験のことごとくを、自分の力にすることなんて絶対にできない。必ずどこか、というよりその大半を取りこぼす。これは人間という生物の構造上、当然のことなんだ。人間の身魂は、外界の刺激をすべて感得しうるほど繊細にも、自分の能力に変換しうるほど明敏にもできていない」


「だが、神の加護はその常識をひっくり返す。まぁ、与えられた加護の強弱にもよるけどな。だが、少なくともある程度の加護を得た奴なら、死に物狂いで経験を積み、生き残ることさえできれば、『爆発的な成長』ってやつをほぼ間違いなくなしうる。場合によっちゃヒュノ、お前さんが得たような、『戦いの中で爆発的に成長していく』ってやつをすることだって、決して珍しかぁないんだ」


「短期間の訓練であろうとも、一度きりの実戦であろうとも、密度の濃い経験をすれば、あなたたち――ロワ以外の人間は、邪鬼相手との戦いでも、充分戦力になりうる程度の成長をするでしょう。けれど、ロワにはそれは、絶対に不可能なことなの。身魂の感度そのものが、加護を与えられた人間とは違いすぎるのよ。『普通の人間』には、少しずつ、じわじわと、鍛錬を積み重ねて身魂の力を伸ばしていく、というやり方でしか成長はできないの」


「もちろん、なんらかの経験で勘所をつかむことができるようになる、ぐらいのことはあるさ。爆発的な成長をしたように見えることもある。だが、それは単にその人間が、もともと持っていた力をうまく使うことができなかったというだけのことなんだ。『普通の人間』には、そんなことも当たり前に起こる。だが、神の加護を得た人間は、自分の得た力を十全に使いこなせないということは、まず起きない。身魂が常に調子よく回転し、どんな時でも全身全霊を振り絞った力を出しうる。神々がそうあれかしと、神々の意思を正しく世界に伝えよと願っているからだ。それが〝神の加護〟というものなんだよ」


『…………』


「だから、ロワにはもちろん訓練は全力でやってもらうけれど、戦闘では基本、前線には立たせない。欠かせない役割を受け持たせたりもしない。邪鬼との戦いに完勝するためには、それはあまりに過分な負担だからね」


「幸い、と言っていいかわからんが、ロワには英霊召喚という、状況をひっくり返しうる術式がある。だからできる限り一緒に戦闘に参加し、その術式を試み続けてもらいたい、とは思う。発動できさえすれば、勝率が跳ね上がる鬼札だからな」


「けれど、それを当てにはしない。できない。発動がおぼつかない術式を頼みにする、その危険性はわかるね? 万一発動すれば儲けもの、その程度の心持ちでいてほしい」


「ロワにはむしろ、経験を積むほどの危険さえ冒させない、そういう気持ちで取り組んでもらいたいわね。幸運が巡れば状況を一気に好転させられるけれど、危険を冒させたところで戦力になりうる可能性はごく低い、そういう人員なんだもの。私たちはあなたたちを全員生還させることを前提として動くけれど、ロワには特に『実戦経験を積む』機会さえ与えないぐらいのつもりでいるわ。あなたたちも、それをしっかり理解してちょうだい」


『………………』




   *   *   *




 糞でも喰らえ、としか言いようのない話だ。契約でごり押しして、自分たちの意思をまるで無視し、邪鬼との戦いに送り込んだ冒険者ギルドの連中も、当然のような顔をして、こちらを正論で叩きのめす、この英雄どもも。


 そもそも自分は、好きで冒険者になったわけじゃないのに。成り行き上やむを得ず、生きるためにしかたなく選んだ職種でしかないのに。なんでそんな好きでやってることでもないことで、こうも酷使されて、ああだこうだ言われなくちゃならないんだ。冗談じゃない、ふざけるなくそったれ、と喚いてやりたくてしかたない。


 ――口には出せないが。


 いやだってあの四人本気になったら冗談じゃすまないくらいに怖いし、実力も桁違いに上だし、やることなすこと自分たちなんぞ比べ物にならないぐらいに的確だし。自分の言うことなんぞ、しょせん感情論で、為すべきこととかしなければならないこと、みたいなまっとうな論理と倫理にはまるで太刀打ちできない話なわけで。


 ――それでも、心の中で唱える呪詛の言葉は、止まらない。


 自分はずっとそうだった。現実に立ち向かえる勇気も根性もないくせに、言い訳ばかりうまくて文句をつけることばかり上手で。いざ人と向き合うとなれば虚勢ばかり張って、つまらない、現実味のない、まるで地に足のついていない言葉や行動しか吐き出すことができなくて。役に立ったとしても、本来だったら、自分以外のまともな人間だったら、もっとずっとうまくやれるだろう、というぐらいのことがせいぜいで。


 ――だけど、それでも、仲間ぐらいは、一緒にいる奴にぐらいは、嘘をつかずに向き合えるようにはなったと、思ったのに。


 自分はまた逃げている。ヒュノに嫉妬し、ロワと顔を合わせることすら避けている。怖いから、辛いから、面倒くさいから。そんな下衆な想いを必死に言い訳で糊塗しながら、見ないふりをしようとしている。


「〝汝、百十一閃の、白刃……〟!」


 ぜぇぜぇ、と荒い息をつきながら、よたつきながら呪文を唱えようとするけれど、すでに体力が限界に近い。術法を使う際に消費する力――魔力の源は魂。魂は人間の存在の根幹。それが疲労すれば、心身は少しでも長く生存するために、肉体の力を喰ってその存在を保とうとする。


 魔力を正しく心身と世界に循環させていれば起こりえないことで、ロヴァナケトゥルゥガのまともな魔術師ならばありえないほど恥ずべきことだ。だが、ネーツェは内心で『無理だ無理! もう限界! もうなにもかも知ったことか!』と絶叫していた。


 他のまともな、ちゃんとした、正当な魔術師だったら正しく振舞えたんだろうけれど、自分では無理だ。走りながら術式を発動させるだけでひぃひぃ言っているのに、それをこうも次々と、あちらこちらへ正確に飛ばし続けるなんぞ、自分なんぞには無茶な話なのだ。自分はしょせん学院を中退した半端ものにすぎない。英雄の指導に応えられるような、ギルドの期待を受け止められるような、大した存在じゃないのだ。


 ――それも全部言い訳だと、自分は知っている。


「〝……っ身魂の、導きに、従い……〟」


 呪文を必死に唱えながら、半泣きになる。本当に、自分はどうしてこうなんだろう。必死にやっているつもりで、いつもどこか逃げている。正しく振舞っているつもりで、いつも悪い方に間違えている。


 今もヒュノは敵を次々斬り倒しているのに。カティフとジルディンも自分の役目を果たしているのに。ロワの方をまともに見ることも、向き合うこともできないまま、やるべきことを為せずに、拗ねて、喚いて、逃げ出して。もう無理だと叫んだところで、襲いくる現実をどうにかすることはできないのに。


 本当に、自分はなんて、どうしようもなく、最低の。


『――知ってるよ』


 唐突に心の中に響いた声に、ネーツェは思わず固まった。この声は――はっきりとした声の形は成していない、ぼんやりとした心象しか与えてこない、声とも呼べない声だが、それでも、誰のものなのか、くらいはわかる。


『ネテが追いつめられると恐慌状態になってにっちもさっちもいかなくなるのも、いつも偉そうだし偉ぶれる機会は見逃さないくせに実際には自信の持ち合わせがないことも、どうしようもなく混乱するとすぐ自分を責める方向にいくことも、よく知ってる。これまで何度も見てきたからな』


『ロっ……おま、ロっ……』


 思わず呆然と頭が勝手に呟いて、反射的に声の主の様子をうかがおうと意識が動くも、声の主は――ロワは、声にならない声でそれを制した。明確に形を取らない心象と印象が先行して伝わり、受け取り手の中で自然と言葉となる、それは精神を深く同調させた心話の特徴だ。ネーツェの心の中に、みるみるうちに言葉が、思考が、流れ込んでくる。


『かけてあった同調術式がうまく『入り』すぎて、心話状態になっちゃったみたいなんだ、ごめん。こっちとしても突然のことでびっくりしたけど、とにかくお前の精神と波長を合わせようとしてたら、なんかお前がいきなり恐慌状態になって暴走しだすから……』


「っ……っ………」


 ネーツェは思わず悶絶しそうになるのを必死に堪えた。それが理由では、文句のつけようもない。ロワは『ネーツェと同調し』『ネーツェに英霊召喚の術式を発動させる』よう、英雄たちから命じられていたからだ。




   *   *   *




「英霊召喚の術式は、ネテにかけてもらう。理由はわかるね?」


 グェレーテに睨むように見つめられて、ロワは身をすくめたが、さして遅滞もなく素直に答えた。


「魔術師はそもそも応用力が高いから、その英霊を召喚出来たらこちらの状況対応力も段違いに向上する、ってこと……ですよね?」


「それに加えて、ネーツェくん自身の力量の向上を狙っている、ということもある。私たちにしてみれば実戦は君たちに経験を積ませ、力量を向上させる最大の機会なんだ。できる限り有効活用するつもりでいる」


「あなたが言ったのと同じ理由で、あなたたちパーティの中では、魔術師の彼の力量が向上するのが一番効果的だ、というわけね」


「それで、なんだがな。ロワ、お前、霊魂の同調術式は使えるか?」


 突然予想外の言葉を言われたせいだろう、ロワは少し目を瞬かせたが、すぐにこっくりとうなずいた。


「はい、一応。声の届きにくい霊と対話するには、必須の術式ですから」


「そうね、その通り。そのくらいは理解しておいてもらわないと困るものね。……私たちはね、その同調術式を、毎日、魔術師の彼にかけてほしい、と考えているの」


「え?」


「人の体に霊魂を招じる術式は、術者と霊との間に、深い同調がなされているほど成功率が高くなるのは、もちろん知ってるな? それと同じ理屈で、霊魂を降ろす人間と、術者の間においても、心身に深い同調がなされていることは成功率を上げる、ってのは知ってるか?」


「そ、そうなんですか? すいません、知りませんでした……」


「まぁ、あまり知られていない技法なのも確かだからね。実際、成功率を上げるといっても、呼ぶ霊魂との同調と比べると、成功率の上昇幅はごくささやかなんだ。実践においてはたっぷり時間に余裕をもって、無限に試行が許される、なんて状況はまずないから、ほとんどの流派では、この技法は重要視されていない。使える時間が限られているなら、霊魂との同調を優先するのが一般的、かつ真っ当なやり方だ」


「でも、今回みたいな状況なら、成功するまで何度やり直しても問題にはならないんだから、使える手は全部使うべきだろうしね。それに術式の目標が限定されているなら、その技法は的確に働く」


「毎日毎日ネーツェくんに何度も同調していれば、体の方が自然にネーツェくんの心身に馴染んでくる。自然と術式の成功率も上がるだろう、って考えなわけさ。まぁ、確実な成功なんて考えなくていい、時間的・魔力的な資源管理をさして考慮しなくていい状況だからこその一案で、それをやったところで、確実な成功が望めるか、というと全然そんなことはないんだけどね」


「それでもやらないよりはマシでしょうからね。できる限り何度も同調術式はかけ続けてもらうし、私たちも横から双方の身魂の乱れを整える、ぐらいのことはするから。場合によっては突然お互いの心の中が通じ合ってしまう、心話状態に陥るかもしれないけど、そうなってもうろたえないように」


「は、い……」


「ま、心配するこたねぇさ。同調っつっても男同士なんだから、身体感覚も精神の形もさして変わりゃしねぇんだ。心身がほぼ完全に同調しちまっても、さして問題はねぇだろうさ」


「個人的な絶対に隠すべき秘密、なんてものがあったらそりゃ困るだろうけどね。そうだとしても、なにがなんでもやってもらうよ。この一策が場合によっちゃ、どうしようもない状況をひっくり返すことになるかもしれないんだ。ゾヌの法に基づき、人権ってもんを無視させてもらうからね」


「は、はぁ……」




   *   *   *





 確かに、そう言われてはいた。言われてはいた、が。


『んなことこんな状況になるまで覚えてるわけないだろぉぉ! っていうか本気で心話状態になるとか誰が思う! 確実な成功は望めないだなんだってさんざん言ってたくせにっ!』


『いやそう言ってたのは英霊召喚の術式の方で……』


『この状況でんなとこに口挟むなぁぁ! 状況わかってないのかぁぁ!』


『あ、いや、その、ごめん……』


 当たり散らしながらも、ネーツェは今にも泣きそうなほどうろたえていた。だって、心の中を他人に、それも仲間に知られるなんて、誰が聞いたって最低の悪夢としか言いようがない。


 普段からことあるごとに偉ぶっている(他の仲間がことあるごとに頼ってくるからつい調子に乗っちゃって……)、どんな時もかしこぶった振る舞いを崩さない(なんのかんので学院に在籍していたという矜持はあるのでついその辺を主張したい気持ちを抑えきれず……)、そんな自分の情けなく、みっともない、見苦しい本音をさらけ出す羽目になるなんて、本当にもう人生が終わったとしか言いようがない衝撃で――


『いやだから、知ってたって、そんなの。他のみんなも全員そのくらいわかってると思うぞ』


 だからロワのその淡々とした言葉には、心底仰天した。身魂の力が削られていることも、体は今も息を荒げまくっていることも、つい頭から吹っ飛ばして心中で、食いつくように問いかける。


『なっ、なんでだ!? お前ならまだしも、こう言っちゃなんだけど、他の連中は僕のこと頼りまくってるし、僕が本当に賢い人間だと考えてるとしか思えないそぶりするし、わかられてる理由がそれこそまるでわからないんだが!?』


『いや、だって、そうとしか見えないっていうか。ネテが、余裕ある時は頭よさそうな顔してるし、頭よさそうなことしか言わないけど、切羽詰まってくるとすぐ恐慌状態になるのも……あと偉そうな顔はするけどまともな自信がないとこも、なんだかんだで責任感強いからすぐ抱え込んで、抱え込んだものぜんぶ処理できるほど優秀でもないからすぐ慌てふためいて、それで自分は駄目だなんでこんなに駄目なんだ、とか考え始めるところも、何度も何度も俺たちに見せてきただろ? 今回みたいに大きな仕事じゃないけど、俺たちがこれまで何度死ぬ思いしてきたと思ってるんだよ』


『うぐっ……』


 それは、正直、否定できる部分がどこにもない。自分たちは大したことのない(はずの)仕事で、毎回毎回、本当にまったく割に合わないくらい、何度も何度も死にかけてきた。


『だから、みんなもネテがそういう奴だってことは知ってるだろ。みんながネテを頼ってるのは、単にそれ以上に自分の頭に自信がないだけだよ』


『ぬぐっ……』


 それも、まるで否定できない。ヒュノもジルディンもカティフも、基本自分の頭で考える、という概念自体にまともに馴染んでいない脳筋体質で、『自分で考えたら絶対ろくなことにならないから他の人に考えてもらおう』と考える傾向があることは、ネーツェ自身、とっくのとうに知っていたのだ。……単に、そういうまともな判断ができなくなるくらい周章狼狽していただけで。


『だから別に、ネテが間違ったって、拗ねたって別にいまさら怒りも幻滅もしないよ。『自分たちはそれよりできない』って思ったからネテに頼っただけなんだから、すごい成功を収めなくったって別にどうとも思わないって。俺たちが大して優秀じゃないのなんて、これまでの一転刻ビジンで何度も思い知ってるんだから』


『…………』


 ネーツェは、思わずぽかん、としてしまった。


 そうだ、いまさらなにを勘違いしていたんだろう。自分たちはちょっと前まで、本当に最底辺の冒険者を続けていたというのに。女神の加護を得たからといって、いきなりそんな大層なことができるようになるわけもない。


 ヒュノだって、剣の腕は人より抜きん出たのかもしれないけど、ネーツェのような運動音痴の目から見れば、そんなの初めて会った時から変わらないし。脳筋体質も、あっさり他人に全部丸投げしてしまうところも――たぶん、『自分もさして優れた人間というわけでもないくせに、他者を責め立て咎める』なんてことをしないところも、変わっていないだろう。


 なのに自分は、勝手に抱え込んで。自分がなにか大層なものを背負っている気分に浸りきって。まるで自分がこの世の不幸を山ほど背負わされたような気分になって。実際には、英雄たちに課された仕事を、ひぃひぃ言いながらこなすことしかできていない半人前なのに。


『……馬鹿みたいだな、僕って』


 思わず心中に漏れた想いに、ロワはごくあっさりと、端的に答えた。


『知ってるよ。みんなそうだし』


 ――このやり取りが、実時間にしてみれば、刹那と呼ぶべき短い時間の間に終えられたということを、ネーツェはしばらく後になるまで気づかなかった。同調した状態での心話は、時間が加速されたかのように、ごくわずかな瞬間の連なりのうちに済んでしまうのだと、知ってはいたのだが。


 なので、ロワが『――あ。来た』と、ぽつんと呟いた時には、状況をすっかり忘れて長い話を終えた気分になって、なんとはなしに照れくさい心地は残っているものの、すっかり心が落ち着いた状態だったので、『なにが?』とぽかんと訊ねてしまったのだが――


 力は、理解より先に訪れた。


「…………!?」


 疲労しきった魂に、一瞬で力が満ちる。魂の上から、異なる魂が重なる。けれど上書きすることはせず、わずかにずれた位置から力を注ぎ、萎えた身魂の添え木となり、同時にその向かう先を導く杖ともなる。呆けた頭に明瞭な筋を通し、今の自分では及びもつかないような知識と技術と、その正しい使い方をこちらの心魂にすとん、と落としてくれる――


 ――以前にも体験した、英霊が降ろされた時の感覚だ。


「―――〝し〟」


 右手と同時に、持っていた杖が持ち上がる。と同時に不器用なネーツェではとてもできなかろう、というほど微細に杖先が動き、文字を描く。同時に発した一言の呪文の中に、数多の意と威が込められているのが今のネーツェにはわかった。


 とたん、見えている光景が切り替わる。襲いくる邪神の眷族と思しき連中が壁となり、目標となる肉塊はまともに視認することもできない状態だったのに、今の自分たちにはすべての眷族の位置と動きが見通せる。


 ――さっきよりさらに高空に転移した上で、『周囲すべての邪なる者』に〝しるし〟をつけたのだから当然だ。


「〝ゆ〟」


 再度の呪文。力が高まる。魔力が増幅される。同時に仲間たちと心が繋がり、共鳴して交響する。意思が伝わり、瞬時に応えが返ってくる。罵倒も議論も心話状態ならば一瞬だ。眷属たちが身構える、よりも早く、準備は整った。


「―――〝つ〟!」


「うおおぉぉおっ!」


「〝祈浄風〟っ!」


「どちくしょぉーっ!」


 加速。放出。連結。発動。魔術で創生した力の塊を加速して雨あられと降り注がせながら、仲間たちの『攻撃』も同時に加速して解き放つ。


 真っ先に空を蹴り目標に向けて飛び出したのはヒュノ、だがそれよりも先にカティフが敵陣に到達する。そちらにより加速力を傾注して配分したのだから当然だ。


 さらにそれより数瞬早く、ジルディンの風が戦場の隅々まで吹き荒れる。風と実体ならば、術式による力の流れにすぎない風の方が加速と拡大はたやすい。


 邪神の眷属たちの動きが鈍り、さして防御に集中していなかった遠距離の連中のいくぶんかは、風だけで身体を崩壊させ始める。同時に撃ち出した攻撃術式が着弾、駄目押しして打ち倒す。


 だが、それだけではこちらの攻撃を防ぐため、防御系の術式なり身体能力なりを駆使して、全力で壁となっていた連中は突き崩せない。だから――そこに、大質量の丈夫な弾を撃ち込む。


「こなくそぉぉ……」


 今のネーツェに発揮しうる魔力制御の、ぎりぎり限界、という段階まで魔力をつぎ込み加速させたカティフは、雄叫びを上げ――終わるよりも早く、壁となっていた敵眷属たちを貫き、まとめて撃破して地面に突き刺さる。


 はずだったところを、地面と激突する寸前に、シクセジリューアムによって加速力を取り除かれ、ふわりと足から着地した。カティフの周囲には(『弾』にするわけだから)、強固な壁を作っていたので、地面に激突しても大丈夫は大丈夫だろうとは思っていたが、内心ネーツェはほっとする。


 そして、そんな風に一瞬気を逸らした隙に、こちらの剣は目標に届いていた。


 高空から術式で加速されつつ撃ち下ろされ、普通ならまともに敵を見ることもできない状況で、一瞬刻ルテンにも満たない最善の機と間をちょうど合わせて、重力と加速で岩をも壊すほどの力の乗った剣を振るう。そんな普通の人間なら、方々からかかる力に翻弄され、空中で体勢を崩すなり剣を吹っ飛ばすなりしていただろう状況下での一撃で、ヒュノは見事に目標の肉塊を斬り捨てた。


 とたん、もはやほとんど撃滅されてはいたものの、残っていた邪神の眷族がざっ、と一瞬で塵と化す。要となる眷属に力を供給させ続けなければ動かせない代わりに、眷属の出力と能力を底上げしたのだろう、と自分に寄り憑いた魂の知識が判断する。


 つまりは、要するに。こちらの勝ちだ、ということだ。


 ふぅっと息を吐く、と同時に体の中の強烈な『力』が、存在ごと息に乗って抜け出ていく。英霊の魂がどこから来てどこに行くのかは知らないが、ともあれとりあえずの感謝を込めて短く祈る。


 四人の英雄たちの存在があった以上、『英霊の助けがなければどうにもならない』というところまではいかなかったろうが、その存在が大いに助けになったことは、疑いようのない事実なのだから。


 ……そして、正直、ネーツェとしてもかなり助かった。切羽詰まった感情を、溜まった鬱憤ごときれいにぶち撒けさせてくれたというのもあるが、それ以上に、今回の英霊は、おそらくは英霊自身が意識して、魔術の技術・知識の『使い方』の見本を体感させてくれたのだ。


 魔術師として、得難い体験をさせてもらったと思う。魔術には、日々の勉学で積み重ねた知識や技術も必須だが、実戦での運用の際には、『それらを積み重ねた上での術法使いとしての感覚』というのも非常に大事だ。ネーツェは、そんな一部の優秀な魔術師しか得られないような体験ができるなど、最初から考えたこともなかったが、今回の英霊召喚では、それらを心身の奥底までしっかり体感させてくれた。


 前回の英霊召喚では、使っていた技術やら知識やら感覚やらが、あまりに自分が持てるものとかけ離れすぎていて、ただひたすら圧倒されるばかりで、なにかの参考になんてできそうにもないと最初から思い込んでいたのだが、今回体験した『知識の運用方法』を知った上で振り返ってみると、得られるものはいろいろあるように思う。こういうのもなんだが、自分が魔術師として一段上に昇れそうな気がしてきた。我ながら現金だな、とは思うものの、心がそわそわするのを抑えられない。


 いやぁまいったな僕に世界が追いついてきてしまったか、とにやけそうになる口元を心持ち隠しながら、状況を確認すべく方々に散った仲間たちを見回し――


 ばたっ、という音が隣から聞こえてきて仰天した。もうやることも終わったことだし、と自分のすぐ隣にいるのに意識から外していたロワがぶっ倒れている。ルタジュレナのかけた術式が高度なものだったおかげで、空が床になったかのごとく空中で突っ伏しているが、普通の術式なら意識を失ったことで、地面に真っ逆さまになってもおかしくないところだ。


 慌ててジルディンが駆け寄り、ルタジュレナが呪文を唱え始める横で、ネーツェは思わず絶叫する。


「お前は術式使うごとに死にかけなきゃならない呪いにでもかかってんのかぁぁ!」


 ――ロワの生命力は、さっきまで普通に話していた人間とは思えないほど減衰していた。放つ生気も弱々しく力ないものに変わり、『その命はもはや風前の灯火』などと言いたくなるような瀕死の状態まで、一瞬のうちに落ち込んでいたのだ。

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