第21話 来るべくして来るもの

「……あのさ。悪かったな」


「え?」


 夜番を終えた早朝、仲間たちを起こすべく天幕に入ると、仲間たちはすでに起きており、車座になってロワを出迎え、真剣な顔でそんなことをロワに告げてきた。


「いや……なにが? なんか、俺、謝られるようなことされたっけ?」


「あー……いや、そー言われるだろーとは思ったんだけどよ」


「昨日……というか、夜番の時の、ルタジュレナさんの行動があっただろう? 俺たちも起きていたのに……というか、ヒュノとジルは、ルタジュレナさんに邪魔だからちょっとどいててくれと起こされたんだが、それに対して言い返すことも、邪魔することもできずに、唯々諾々と言われるままに従ってしまったというのが、悔しいのもあるが、その……お前に、申し訳なくて、だな……」


「ああ……」


 確かに、寝ている仲間をじろじろ観察するのに邪魔だから、と叩き出されそうになれば、ロワとしてもちょっと待てよと割って入りたくなるかもしれない。


「いや、でも、別に謝ることないだろ。あの人に『必要なことだから』ってごり押しされれば、こっちとしては言うこと聞くしかないわけだし……」


「いや……そのな、その『言うこと聞くしかない』ってところも、悪かったなーって俺ら反省したんだよ」


「? なにが?」


「だってさ、昨日は俺ら、ずーっと怖がりまくってろくに口利けてなかったじゃん……あの四人と話すの、全部ロワに任せっきりにしちゃってさ」


「ああ……いや、それはしょうがないだろ。あそこまで隔絶した実力のある相手に、へらへら接することができる奴なんて普通いないよ。単に俺はそういうのに慣れてただけで……」


「いや、それだって情けねぇってことにゃ変わりねぇだろ。俺さ、正直言っちまうと、今までの人生で『こいつにはかなわない』っつーか、死ぬ気になっても殺せない、どころか逃げることさえできないくらい俺より強い、って奴に会ったことなかったんだよなー。ガキの頃を除けばさ。あの四人の人たちは、全員揃ってそんくらい、っつか俺じゃ実力差もまともにわからないくらい俺より強い、ってわかっちまったからさ。世間狭い餓鬼っぽくてみっともねーけど、真面目に怖気づいちまって……」


「僕はそこまではっきり強さを感じ取れたわけじゃないが、それでもあの人たちの圧倒的な魔力制御力は感じ取れた。あの人たち、常時自分の周りにとんでもない密度と厚さの魔力障壁を展開してるんだぞ、信じられるか? しかもそれにまともに魔力を消費することさえなく、自然回復する分で十二分に消費をまかなえているようだった。そんなわずかな力で展開できるくらい、制御力が並外れてるんだ。この人たちがその気になれば、僕たちなんぞ一瞬で数十回は殺せるだろう。そう思うと、怯えでまともに声も出せなくなってしまってな……」


「っつぅかな、そんなとんでもない実力持ってんのに、周りの気配が静かっつーか、物騒な感じがまるでしねぇんだぜ? 俺はそこが一番怖ぇよ。力を意志で、どころか体の反射で制御できるくらい、完璧に身に染みつかせてんだ。どんだけ修行したらあんなことができんのか、ぞっとするぜ。中には美女だっているってのに、助平心出す余裕まるでねぇ。あんなとんでもない連中、そばにいられるだけで普通に怖ぇったらねぇよ」


「俺もだなぁ……なんていうか、すぐ隣ですんげぇ規模の攻撃術式準備されてる感じ? それが今んとここっちに向いてなくってもさぁ、やっぱこえーよ。話しかけられたりしたら、その術式がこっちに向けられたっ、って感じして固まっちゃうもん。返事しようとしても口が動かなくて、だからロワにずっと任せっきりになっちゃってさぁ……」


「だが、僕らとしても、対応をお前に任せっきりにしたのを、反省してないわけじゃないんだ。ルタジュレナさんの振る舞いを制止できなかったのも、正直悔しいしな。だから謝ってるんだ。今日からはもう、あんな情けない真似はしないようにしよう、という、まぁ意思表明というかなんというか……」


「いや、別にそれは、俺もそんなに負担になってたわけでもないし、いいんだけど……」


 ただ、昨日仲間たちが見せた態度が、仲間たち自身の矜持を傷つけたのだということは、よくわかった。


 自分たちのような底辺冒険者にも、底辺なりの矜持というものはある。自分たちが弱く愚かだということはいつも骨身にしみさせられているが、弱く愚かな底辺冒険者であろうとも、『一応できること』というのはあり、『できることをしない』というのは単純に、能力の不足ではなく怠惰――言い訳しようのない自分たちの過失なのだから。


「……まぁ、わかったよ。じゃあ、今日は俺は一歩引く感じの方がいいか?」


「いや、そんなことを意識しなくていい。というか、意識する余裕のない状況になると僕は思う」


「? ……なにをする気だ?」


「別にたいしたことをする気はないさ。単純に――」




   *   *   *




「……移動中に、訓練を?」


 ネーツェの言葉に、一番間近で声を受けたシクセジリューアムは眉を寄せた。


「なぜそんなことを? 私たちは、試算もせずに行動計画を立てたわけじゃない。私たちが有する訓練知識を考慮した上で、一番効率よく君たちを鍛えられる方法を考えて行動している。それを理解した上で、そんなことを言っているのかな?」


 他の三人もそれぞれに、顔をしかめたり訝しげな視線を向けたり、と反意を示している。ネーツェも一瞬気圧された顔をするも、退こうとはせずに真正面から言い返した。


「僕もみなさんの行動計画が間違っているとは思っていません。ただ、僕たちの能力については、僕たちの方が知っていると思います」


「相手の強さをまともに見抜くこともできないほど、我々の鑑定能力がなまっている、と?」


「能力を数値換算した情報としては、むしろみなさんの方が正確に把握されていることでしょう。ただ、僕たちの精神面については、さすがに完全に把握はできていないのではないですか?」


「ふむ。つまり、君の提案は、君たちの精神面において必要なことだ、と?」


 ネーツェは得たり、という顔をして深くうなずく。


「その通りです。はっきり言いますが、現状ではあまりに連携の前提となるもの――みなさんと僕たちの相互理解が足りない。戦場に臨む際、いつ誰がどう動くか、ということが理解できていない。それはひとつには、僕たちとみなさんの能力が隔絶していて、みなさんがどう動くか理解しきれないためでもあり、もうひとつには僕たちが、みなさんとの実力の格差に物怖じし、みなさんからすればごく程度の低いものとはいえ、普段の実力をまともに出せずにいるからです」


「………ふむ」


「それを克服するためには、訓練の数をこなして慣れるしかない。そうなると、毎日の行軍の後の一ユジン程度の訓練では、あまりに時間が足りなすぎる。もちろん練兵に必要なのは量より質ではありますが、今の僕たちに必要なのは、能力の向上より先にまず、あなた方に慣れること、です。あなた方と共に戦う際の有効な戦術がどうこうというのは、それができなければ始まらない、と僕は思いました」


「……ふむ?」


「もちろん、こんなことが言えるのは、みなさんが移動中の的確かつ有効な訓練を即座に考えつけるだけの知識と、邪鬼・汪の手の者が――僕たちに迫ってきた場合でも、他の都市に迫ってきた場合でも、既に構築した分の探査網を駆使して、即座に察知し、妥当な対処ができるほどの対応能力を有している、と確信できるから、ですが」


 四人の大英雄の視線を受けて、緊張のあまり目じりをぴくぴくさせながらも、ネーツェはきっぱりはっきり言いきった。ふふっ、と小さく笑声を漏らしたグェレーテが、拳を鳴らしながら言ってのける。


「びくびく怯えながら、きっちり真正面から言いきれたじゃないか。上等だ」


「まぁ、な。一日遅れとはいえ、及第点ってことで。いいよな、シリュ?」


「私としては、最初からこの子たちに厳しい点をつけるつもりはないよ。私よりもルタに聞くべきじゃないかな?」


「それもそうか。いいよな、ルタ? 実力についてはともかく、こうして自分から動こうとしたことについては評価するってことで」


「……私の研究の邪魔にならない程度には、ね。私にとっては、たとえこの子たちが私たちと同程度の能力を持っていようとも、研究対象から外すつもりはないのだから」


「ふぅん、まぁ、そこまで言うなら仕方ないか。少なくとも決められたことに、同意はするわけだしね。……ネーツェ・ヤギョート・アミキス。いや、これからはネテと呼ばせてもらうよ」


「は、はいっ?」


「他の子たちも、これからはヒュノにロワにジルにカティと呼ばせてもらうからね。一時的な、仮のものとはいえ、同じパーティになるわけだから。そっちも愛称で呼んでくれていい、呼びたいならね」


「は、はいっ!」


「ぅ、うぉお、マジかよ……この人たちに愛称で呼ばれるとか、普通にありえねー……」


「こちらとしても、君たちの言うようなやり方も考えてはいたんだ。ただ、体力的には相当に厳しくなるからね。本人たちのやる気がなければ始まらない、と最初は様子を見ることにしたわけさ」


「お前らのほとんどが思いきり腰が引けてたってぇのもあったしな。そんな状態でがっつり訓練しても、身に着くもんじゃねぇ」


「ただ、そっちから言い出したっていうんなら話は別さ。もちろん、いざ邪鬼・汪の一味と戦うってことになった時、疲れきって剣も振れない、なんてことのないように、こちらで調整はするけど……あんたたちにも、それなりに死ぬ気になってもらうよ。かまわないね?」


 グェレーテににやりと獰猛な野獣を思わせる笑みを浮かべられ、自分たちは揃って身震いしたが、いまさら否などと言えるはずもない。一瞬だけ顔を見合わせてから、「はい!」と声を揃えて返事をした。


 ――本当にそんなに過酷な訓練をしたいか正直に答えろ、と言われると間違いなく『否』なのだが、仕方ない。これは仕事の一環で、割り振られた役割で、自分で自分に課した最低限の義務のひとつだ。弱く愚かな自分は、自分なりに強くなれる機会を逃さずものにしていかなくては、生き延びることも――あの人たちに課された義務を果たすことも、できないのだから。




   *   *   *




 そんな話をしてから、だいたい今日で一巡刻アユン。その間中自分たちは、本気で四六時中、命の危機にさらされることになった。


 グェレーテたちが課した『移動中の訓練』というのは、グェレーテたち四人を二対二に分けて、片方に自分たち五人が加わり、定めた目的地にたどり着くまで全員が立っていた方が勝ち、とする模擬戦だったのだ。


 一応グェレーテたち四人は、周囲に被害を出したり、当たれば間違いなく死に至ったりするような、強烈な攻撃はしない、と言ってはいた。のだが、『ただまぁ、もののはずみっていうのはあるからね』と真面目な顔で言ってのけてもくれたのだ。当然ながら、ロワたちとしては、一瞬たりとも気を抜けるわけがない。


 必死に馬を駆りながら、四方八方から光弾やら炎弾やらが飛んできたり、目にも止まらぬ速さで馬上の自分たちに正確無比な遠当てがぶつけられてきたり、五人まとめて薙ぎ払いあばら骨を一度に十数本ぶち折るような大斧の斬撃をかまされたり、呪文を唱える気配すらないうちに唐突に全員意識を失わされたり致死性の毒を血液内に発生させられたり、そういう理不尽としか言いようのないほど強力な攻撃が次々放たれる中を、ロワたちの側についてくれる二人の能力を最大限駆使してもらって、少しでも長く、遠くまで生き延びなければならない。少しでも向こうの攻撃をいなせるようにならなくてはならない。


 移動中のみならず、休憩中や食事を摂っている時、寝ている時も油断はできない。向こうがその気になると、開始の合図もなにもなく、いつでも訓練開始とみなされるため(一応こっちからもいつでも仕掛けていいことになってはいるが、当然今のところこちらにそんな余裕はない)、不意討ちで攻撃を仕掛けられる可能性もそれなりに高いのだ(睡眠時間が短くなろうとも心身はきっちり回復する術式をかけてもらっていたので、疲労が後を引く心配はしなくてよかったが、その分向こうの攻撃には遠慮がない)。


 なので、いついかなる時も安全を確保できるように、気をゆるめず気配を探り、状況を読み取り、向こうが攻撃してくる端緒を見つければ即座に対応できるよう常に身構えていなくてはならないし、眠っている時に襲ってこられてもきっちり対処できるよう、罠を仕掛けるなり対抗術式を用意しておくなり、生存率を高められる手を打てるだけ打たなくてはならない。


 そういうあれこれが心身に堪えたのも確かだが、ロワとしてはそれよりも、ここまで能力が隔絶した相手との訓練とか身になるのかな、とだいぶ疑わしく思いながらの苦行だったのが辛かった。実際、自分たちがどれだけ必死になっても、草を刈るような勢いで次々向こうの相手に一撃で気絶させられては回復してもらう、という流れを(体の方が激痛・負傷→強制回復という強烈な負荷のかかる繰り返しに耐えきれずに、何度も胃の中の物を吐き戻しながら)、何度も何度もくり返そうとも、自分たちが相手に抗しうる、というわずかな気配すら感じ取れなかったのだ。


 が、意外なことに、そういう訓練を何日も繰り返していると、目と頭が次第にそれに慣れてきた。


 相手の攻撃を完全に見切ることはできずとも、だいたいこんな感じの攻撃がきて、次はこう追い込まれるだろうからこう避けなければ、という感じにある程度『対応』することができるようになってきた。もちろんそれには、訓練の後の反省会、というか自分たちの動きをどう改善すべきか、という対策会議の中で、四人の英雄たちがあれこれ口出しというか、助言をしてくれたことも大きいのだろうが。


 だが、それに加えて、ネーツェの尽力もある、とロワは思っていた。訓練後に反省会を開き、四英雄たちにあれこれ助言をもらうという流れを主導したのもネーツェだし、その反省会の中でも『次はこういう風に動いてみたらどうだろう』『向こうの動きはこういう理屈を考えた上でのものなんじゃないだろうか』『こういう考えのもとに相手の行動を待ち受けたら向こうの選択肢を狭められるんじゃないだろうか』などと、ちゃんとした理屈のもとにあれこれ考えを述べてくる。


 最初は自分たちもぴんときてはいなかったものの、とりあえずネーツェの言った通りにやってみたら、確かにそれまでより長く生き延びられるようにはなったし、ネーツェの言葉の理屈もある程度呑み込めてきた。今ではネーツェ以外の人間も、『次はこうやってみたらどうか』『あの時のこの動きはよかったけどあの動きはまずかったんじゃないか』『向こうのこの動きはこういう考えでやったものだろうから、こうしてみたら邪魔できるんじゃないか』などと、あれこれ口にできるようになっている。


 そういう議論の中で、助言をくれる英雄たちの、なにができてなにができないかという具体的な能力も、少しずつ把握できるようになってきた。


 ルタジュレナは精霊術に特化していて、攻撃・防御・回避・援護をすべて精霊術でまかなっている。その代わりどんな状態でも、それこそ猿ぐつわをされてがんじがらめに縛られても、術式を発動できるよう訓練しているし、精霊術の状況対応能力も相まって、いかなる状況でも隙はない。


 タスレクは防御役としての能力を堅実に、人外と呼ばれるほどにまで伸ばしてきた戦士だが、そんじょそこらの戦士では着けただけで動けなくなるほど重い鎧を軽々着こなし、大斧を片手で軽々振るう膂力は、攻撃に回せば雑魚掃除どころか、相当に強い魔物でも一撃で屠れるほどの破壊力があった。


 グェレーテは高い敏捷性を誇る格闘家で、二つ名の通り攻撃に回れば目にも止まらぬ速さの拳をくり出してみせるが、なによりの本領は練生術をはじめとした数多の術法を組み合わせた格闘技術で、技の多彩さと対応力は前衛とは思えない段階にある。


 シクセジリューアムは大陸一の名を冠されるのにふさわしい魔術師で、術式の強力さ、多彩さによる対応力も図抜けているが、専門は『力の流れを読み、変化させること』であり、肉体強化と擬似的な武術もその『専門』の範疇に入ってしまうため、四人の中でも随一の個人戦闘力の持ち主でもあるのだ。


 そんな四人のうち、その時味方に付いてくれている二人を、どう動かせばより長く生き延びられるか、どう動いてもらうのが最善かということが、ある程度ではあるものの呑み込めてきた。となれば当然、それに対応して自分たちがどう動くべきか、そのためにはどんな能力が必要か、ということも見えてくる。


 当然ながらそれは付け焼刃で、本物の連携には遠く及ばないものの、これから自分たちがなにに力を傾注すべきか、という筋道をつかむことができてきたのだ。


 ――当然、それがつかめたならつかめたで、英雄たちは以前にも増して負荷をかけてくるため、ロワたちのしんどさが軽くなることはなかったのだが。


 そんな日の夕暮れに、ぜいぜい息を荒げながら、野営と食事の準備をしている時に、ルタジュレナがぽろりと漏らした。


「あなたたちも、よくまぁ、頑張るものね」


「え……」


 ロワたちは揃って目を瞬かせる。ルタジュレナがなにを言っているのか、よくわからなかったからだ。


 ぽかんと顔を見合わせている自分たちに、ルタジュレナはなぜか忌々しげに舌打ちし、ややぶっきらぼうに告げてくる。


「これは客観的な意見だけれど。この一週間の訓練量は、単純に運動量としても、やや異常な度合いに入るわ。私たちが技術を尽くして、身魂の力を回復させていなければ、一日訓練をこなしただけでしばらく寝台から起き上がれないぐらいにね」


「えと……それは、もちろん、わかってますけど……?」


「あっ、もっとがっつり感謝しろってことですか? ひざまずいて靴の裏を舐めろ的な?」


「人を勝手に変態にしないでくれる、殺すわよ」


「すっすいませんでしたぁあっ!」


「あの、申し訳ありません、ルタジュレナさま、こいつ……カティも、決して悪い奴じゃないんです、頭が悪くて思ったことはなんでも口にする粗忽なところがあるだけで……」


「そーそー、ルタジュレナさまを尊敬してないとかそういうこと全然ねーから! この前も野営の時に目が合っただけで『ひッ殺されるッ』って怯えて、それからしばらくなんとかルタジュレナさまの機嫌を取る方法しつこく俺らに聞いてきたくらいで……」


「ジル、いいからお前ちょっと黙ってろ! ええとっ、ですからですねっ、俺たちは本当に皆さま方を崇め敬ってますんで、気に障るところがあったらすぐ直しますんで、やれとおっしゃるなら寒中水泳でも裸踊りでもなんでもやりますんでっ、なにとぞ、どうかご容赦を………!」


「……気に障るというなら、あなたのそういう態度が一番気に障るのだけど」


「ひッ!?」


「あーっと……じゃあ、その、なにが言いたかったんです?」


「……………………」


『?』


「………私がなぜ、神について――正確には、神の力と関わりのある人間について研究しているか、あなた方は知っていて?」


「え? それは……」


「もちろん、知りません、けど……」


 知らなければまずいことなのか、と土下座しているカティフ以外の仲間が顔を見合わせていると、ルタジュレナはふっ、と物憂げな息を吐いてから、端的に告げた。


「私はね。神に会いたい、と思っているの。できれば、私に、今この瞬間も加護と恩寵を与え続けてくださっている、円環と精霊の神エミヒャルマヒさまにね」


「えっ……」


 ロワは思わずあっけにとられた声を漏らしてしまってから、まずい、と慌てて口を閉じたが、ルタジュレナの言葉は自分以外の仲間にも十二分に衝撃だったらしく、全員が口々に驚きの声を上げ、幸いロワの声はその間にうまい具合にかき消えた。


「神に会う、って……俺たちが……人間の方からっ……です、か?」


「それはいくらなんでも! 神の都合を人間に合わせるというのは、その……僕は強い信仰を持っているわけではないですが、それでもあまりに不遜が過ぎるのでは、と思ってしまうん、ですが……」


「っていうか、神に会いたいって思った人間はこれまでに何人もいたけど、そういう人が神に会えたって話は、これまでに一例もない……んじゃ、ないん、でしたっけ?」


「その通り。世界でこれまで、ただの一人も成し遂げたことのない大偉業。だからこそ目指す価値がある、そうでしょう?」


「それは……」


「それに、私にはひとつ有利な点があるわ。私はかつて神からの恩寵を受ける際、神の世界に召喚され、エミヒャルマヒさまご本人への拝謁の栄に浴したことがある。あなたたちも恩寵を受けている神に拝謁したことがあるはずよ」


「それは……まぁ。けど、はっきり言って、俺たちまともに口利くこともできなかったっすよ?」


「なんてか、神さまの……迫力? 的なのに、圧倒されちゃって。てか、人間が神さまと会う時は、基本そういう感じ……なんじゃないでしたっけ?」


「そう。人間が持てる程度の魂の等級では、神々の有する圧倒的な神威にそばにいるだけで打ちのめされ、口を利くことも、なにかを考えることもろくにできなくなってしまう。私ももちろんそうだった。ただひたすらに平伏し、わけのわからないうちに加護を受け容れるしかできなかった。――でも、今もそれは変わらないのかしら?」


「え?」


「私は千年以上、必死に身魂を鍛え上げ、その力を上げてきた。今の私ならば、神に拝謁しても、神威に圧倒されるばかりではなく、真正面から神と語らうことができる可能性も、ないとは言えないと思わない?」


「そ、れは……そうかも、しれないですが」


「っていうか、ルタジュレナ……さまは、どうしてそんなに神さまとお話ししたい……んですか?」


「………………」


 ルタジュレナは口を閉じた。仲間たちはルタジュレナがなにを言いたいのかわからず戸惑っているが、他の英雄たちにとってはもう知っている話なのだろう。ニヤニヤと笑ったりやれやれと肩をすくめたりしつつ、手早く自分たちの分の野営や食事の用意を終え、焚火の周りに座り込みながらこちらを見守っている。


 そんな中、たっぷり半短刻ナキャンは間を取ってから、ルタジュレナはきっと虚空を睨みつけつつ口を開いた。


「矜持の問題よ」


「矜持……ですか」


「そう。これは自慢というより当然の自負として、私はこの世のほとんどの人間より、全力で自分の力を高めようとし、結果も残してきた人間だと思っているわ。ならば、昔やり残したことを、自身の未熟のために果たせなかった義務を、今からでも果たせる可能性がわずかでもあるなら、それに全身全霊で賭けてみるのはおかしなことでもないでしょう?」


「はぁ……で、そのやり残したことって?」


「……お礼が言いたいのよ」


「お礼……」


「え、お礼ですか!? 神さまに!?」


「そうよ。なにか問題でも? 親切にしてくれた方にお礼を言うのは、人として当然の行為ではなくて?」


「そ、そりゃそうかもしんないっすけど……か、神さま相手に? ですか?」


「ええ。神々にとっては私たちに加護を与えるのは、当然の責務なのかもしれないし業務の一環なのかもしれない。単なる気まぐれという意見にも反証を用意できないくらい、神々が人に加護を与える基準は読めないわ。神々の御心を量ろうとすること自体が不遜と言われればそうかもしれないけれど……私に加護を与えてくれた時の、エミヒャルマヒさまにははっきりした意志が感じられた。他の誰でもない、私に加護を与えよう、与えたいという想いを私は受けたと感じた」


「は、はぁ……」


「そのおかげで私はこの年まで生き延び、護るべきものを守り、打ち果たすべきものを倒すことができた。それなのに、お礼も言わないまま存在が消え失せるようなことになっては、私のこれまでの人生に申し訳が立たないというものよ」


「な、なるほど……?」


 戸惑いながら相槌を打つ仲間たちの中で、ロワは懸命に平静を装いながら、『わかる』と心の中でうなずきまくってしまった。


 自分の人生が失われるところに助けの手を差し伸べ、こちらの意思を尊重しながら手を尽くして力になろうとしてくれた人に、お礼を言えないなんて嫌に決まっている。向こうのつもりはどうあれ、自分はあの人の助けの手のおかげで命と心を救われたのだ。できるならなにかお礼をしたいと思うし、それができないなら自分なりに、その人に恥じない人生を送ることでお返ししたい。


 自分はうっかりどういう手違いか、あの人の素の部分を知ってしまい、あれこれ話を聞く機会ができたけれど。普通なら加護を与えられた人間であっても、神の声を聞けるのは一度きりだ。そしてその時に、心から想いを込めて礼を言う、なんて普通の人間にはできない。あの圧倒的な神威に打ちのめされて、平伏して返事をするぐらいが関の山だ。


 それを悔やみながら生きてきて、『普通の人間』じゃない自分に、英雄にまでたどり着いたのなら、その時の後悔をなんとかして取り返したいと思うのは、ごく当たり前の感情だろう。


「……だから、そのためになら、手段を選ぶつもりもあまりなかったし、他人に迷惑をかけても、その分を別のところで取り返せばいいと思っていたし……今の私なら、そのくらいたやすいのも事実なわけだけど。あなたたちが、思ったより死に物狂いで、この仕事に取り組んでいるようだから。そこまで必死に、反吐を吐きながら努力している人間に、『そんなことはどうでもいいから私の相手をしろ』なんて言うほど、私は人非人じゃないわ」


「え、それって……」


「そして、ものを知らないがために大口を叩く人間は嫌いだけれど、その大口相応の努力を実際にやってのけている人間を、仮のものという前提ではあるけれど、同じパーティの人間として認められないほど、私は偏狭でもない。だから、これから態度を改めるわ、と……そういう、単純な、報告よ」


「は、はぁ………」


 どう答えるべきか考えて、ロワはしばし仲間たちと顔を見合わせる。言いたいことはわかるが、だからといって偉そうな口を叩ける相手でないのは変わらないし、かといってここまで言わせておきながら、カティフとかにこれまで通り、びくびく接させたりするわけにもいかない。


 そんな数瞬刻ルテンの逡巡を終えるよりも早く――四人の英雄たちは一挙動で立ち上がりながら武器を構えた。


 半瞬刻ルテンほど思わずぽかんとするも、すぐに自分たちもあるいは剣を抜き、あるいは杖を掲げ、と身構える。まだ自分たちの警戒網には引っかかっていない、気配もまるで感じられない。だがこの険しい表情と、いつどんな方向から、いかなる攻撃を撃ち込まれても対処できるよう、全方位に幾重にも張り巡らされた魔力網――この本気さは他に考えようがない。


 敵襲だ。おそらくは、邪鬼・汪が自分たちを殺すために、満を持して配下を送り込んできたのだ。


「……東北東十五、上空二十!」


 グェレーテの叫びと同時に、視線がその位置に集中する。これまで馬を進ませてきた木立の、後方はるか上空に、なんの前触れもなく唐突に、ごちゃまぜにされた貝の中身のような、内臓の塊のような、赤褐色の肉の塊が出現した。


 その肉の塊は一瞬だけ大きく膨らむと、べほっべほっべほっと、あちらこちらに体内から似たような肉の塊を吐き出す。それよりも数瞬刻ルテン早く、グェレーテがその絶閃の遠当てを叩き込むものの、肉の塊はまるでこたえた様子もなかった。


 同時にシクセジリューアムとルタジュレナが、それぞれ瞬時に魔力を練り上げ、あるいは吐き出された肉の塊に、あるいは周囲数百ソネータすべての空間に、漏れた魔力の量だけでも目が見えなくなりそうなほど眩しく輝く、苛烈な攻撃術式を叩き込むが、肉を吐き出した肉の塊にも、そして感じ取った魔力の流れからすると、吐き出された方の肉の塊にも効果があった感じはまるでしない。


 ルタジュレナが小さく舌打ちをし、シクセジリューアムがやれやれと肩をすくめる。


「邪を祓う光精霊の全力の燃焼を数十億ぶつけても、まるで揺らぐ様子もないとはね」


「こちらも全自動邪術式解除を組み込んだ攻撃術式を、力の流れの結節点に機をずらしながら数十叩き込んだのにまるで効いていない。これはやはり、私たちであろうとも、邪鬼・汪の与える加護を貫く、ないし加護を解除するというのは、無理があると考えた方がよさそう、ということかな」


 そう言って、四人の英雄たちは、自分たちの方を振り向いた。この人たちと比べれば、いいやおそらく能力を絶対値に換算しても、まだまだまるで駆け出しでしかない、力のない五人の冒険者たちを。


「つまり、どうしたって私たちは、君たちに頼らざるをえない、ということだ」


「心配すんな、援護はしてやる。向こうの攻撃は絶対お前らに届かせない」


「だから全力でいきな。あたしたちが援護に徹しようってんだ、腰を引かせでもしたらぶん殴るよ」


「行動はあらかじめ考えておいた通りに。こちらも臨機応変に対処しつつ、できる限りどんな相手も計画通りの動きに乗せるわ。いいわね?」


 声だけでこちらを打ちのめしそうな圧力を含んだ言葉の槍に、自分たちはそれでも、必死に胸を張って言い返す。こういう時のために、自分たちはやれることをしてきたはずだと、自分に、震える手足に、びくつきそうになる頭と体に言い聞かせながら。


『―――はいっ!』


「上等だ。行くよ」


 グェレーテの声とともに、走り出す。自分たちなりに必死に考えた、最上の結論を手に入れるために。

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