第18話 邪鬼探索

 精霊術、と呼ばれる術法は、共感によって磨かれ、強化されると聞いている。


 ロワの召霊術のように、精霊と呼ばれる存在――世界を構成する〝力〟が、人や獣や神との想いの共鳴により、多くは不完全な形ではあるものの、意志と感情を得たもの――を召喚して使役するということもできる。


 だが、どちらかといえば得手なのは多種多様な精霊を同時に励起させ、その力の流れを誘導して、強烈な精霊力(精霊という意志と感情を通して、術法で動かしやすく変換された、自然現象をはじめとした世界を動かす〝力〟)を創り出し、世界を変革するという法式だと、ネーツェから前に聞いた。


 なので、精霊術師がもっとも得意とするのは、大規模破壊。強大な精霊を数多従えて力を絞り出させ、それこそ天変地異と見紛うような効果の、広範囲攻撃術式を連発するのが精霊術師のお家芸なのだそうだ。おそらく、この仕事で彼女に求められている役割はその辺り――広範囲術式による大規模火力なのだろう。


 似たような術法――攻撃術式を得意とする術法は他にもいくつかあるが、それらと精霊術の違いは、状況対応力の幅広さなのだとか。それはとにかく、精霊術というのは、精霊と同調し、その精神と共感し、自分の意志に共感させるという方法で術式を発動させる。初心者ならばロワ同様発動までにかなり時間を喰うが、達人ならば一瞬で数千、数万という精霊と同調・共感してみせるという。


 つまり、『超達人』に分類されるだろう彼女――ルタジュレナは、その並外れた共感能力をもって、エベクレナたちの気配に感づいた――ということなのだろうか。精霊は神の思念との共鳴によっても生まれるのだから、神の思念と共感するだけの能力があってもおかしくない。


 そもそも、彼女たち四人は全員神の加護を受けている、のみならずその恩恵を長老級にまで達するほどの時間与えられ続けているのだから、神の気配を感じとる術を会得することができていたとしても、当然といえば当然だ。


 が、わからないのは、彼女の意識というか、態度だった。なんというか、あからさまに自分を警戒しているというか、圧力をかけられたようにしか思えない。なんであそこまでの超達人が、自分なんぞにあそこまで警戒心をあらわにすることがあるのだろう。意味がわからない、というのが正直なところだった。


 まぁ、自分なんぞがあれこれルタジュレナがなにを考えているか勘ぐったところで、意味があるとも思えないのだが――


「そこ」


「はいっ!」


 声をかけられて、ロワは慌てて馬の上で背筋を伸ばし、固まる。反射的に上体のみ直立不動の姿勢を取ってしまったわけだが、今かけられた声――魔術師〝天地一人〟のシクセジリューアムの声には、さして大きくも険しくもないのに、向けられた相手をそれほどかしこまらせるだけの威圧感があった。


「集中しなさい。移動中とはいえ、いつ邪鬼が眷族を転移させてくるか、知れたものじゃないんだよ」


「はいっ!」


 静かにそれだけ告げると、シクセジリューアムはもうこちらを気に留める風もなく視線を前に戻す。ロワは思わず深く息をついてしまったが、すぐに慌てて気を張り直し、周囲の様子をうかがう。


 普段なら「なにやってんだよ」くらいのことを言ってくるだろう仲間たちも、ロワに目を向ける余裕もない様子で、馬上から周囲に目を光らせている。その前後左右に、四人の超達人が分かれて馬を歩かせていた。


 前方にタスレク、右方にルタジュレナ、左方にシクセジリューアム、後方にグェレーテ。仲間たちの中では一番右側で馬を歩かせていたロワの視界には、ちらちらルタジュレナが入ってくるので、ついつい今朝のことを考えてしまったわけだが。


 確かに実際、気を抜けるほど気安い道行きでないのは確かなのだ。自分たちは今、邪鬼・汪に、『いつ手を出してもかまわない』と全力で主張している真っ最中でもあるのだから。




   *   *   *




「邪鬼・汪は、有する恩寵もさることながら、おそらく一番厄介なのは、大規模転移能力だ」


 そう行動方針を決める会議の際に告げたのは、シクセジリューアムだった。


「君たちも知っての通り、転移術をはじめとした一瞬で、あるいは超高速で超長距離を移動する術法に類する能力は、総じて移動可能な質量・体積は小規模になるものだ。いかなる達人だろうともパーティ単位、持ち運べる荷物は収納術で格納可能な範囲にとどまる。だからこそ、大規模な交易についてはどうしても、隊商や船団を組んでの移動に頼らざるをえず、ゾヌのような交通の要衝が、自然栄えることになるわけだ」


「は、はい……」


「だが、邪鬼・汪の転移能力は、どう考えてもその範囲にはない。十万という大群を、一瞬で超長距離まで移動させられるわけだからね。術法の常識からいえば、そこまでの能力を振るうためには、相当に重い代償が必要になるが、邪鬼ともなれば、常識を覆すほどの能力を有することは、決して珍しいことではない」


「あ、あの、すいません」


「なにかな?」


 一応確認しておこうと手を挙げると、エリュケテウレと四人の英雄の視線が一気に押し寄せてくる。正直気圧されたが、緊張で声を裏返らせながらも、聞くべきことはきちんと聞いた。


「えっと、邪鬼・汪がゾヌの近在に本拠地を持っているっていうのは、絶対にありえないことなんでしょうか? 主要都市部分と周囲の農村辺りはおおむね平地ですけど、そこから外れれば、邪鬼の眷族がいくらでもひそめそうな、深い森やら山やらがありますし……平地にも、邪鬼の眷族以外の魔物は十二分に生息してるわけですし。地下に本拠地があるって可能性も、ないことはないように思えちゃうんですけど……」


「それはない、と私たちは踏んでいる。それもほぼ確実、と言えるくらいにね。私はこちらに転移してきた際、まず真っ先に周辺の状況を魔術探査した。私は調査・探査にまつわる術式については、それなりに重視して修めている。それに加え、こちらのルタジュレナ女史にも、精霊の大規模励起による広域探査を行ってもらった。少なくとも周囲数百ソネィオに、邪鬼が存在する反応も、過去数年に存在した気配もなかった」


「もちろん私たちの術式を上回るだけの、隠蔽・隠匿能力を有する可能性についても考えたけれどね。そうなると、当初このギルドの、『冒険者たちが探り当てた』と考えられていた、『邪鬼の本拠地についての推測』がおかしなことになるわけよ」


「え……」


 最初なにを言っているのかわからなかったが、数瞬遅れて気付く。そういえば、確かエリュケテウレは、最初に自分たちにリジ村を占拠したゴブリンたちの排除依頼をする時、『邪鬼の本拠地についてはもうほぼ探り当てられている』とか言っていたような。


「推測の根拠は、ゴブリンたちの移動した痕跡。かつ、浄化術を習得した冒険者たちが、強力な邪気の反応を検知したこと。それに加えて、相当な大きさの、悪性領域化した洞窟の入り口をいくつも見つけたこと。つまり、その洞窟に邪鬼がいるに違いない、と考えられるだけの条件が揃っていたわけ」


 悪性領域。世界の歪みが創り出した、通常の空間に非ざる領域。


 この大陸は基本的に、いかなる場所も空中に舞う粒子のひとつひとつに至るまで、神の力によって支配されているのだという。神が力を振るうことによって、風と水は正しく流転し、生命は正しく鼓動を刻み、死したのちの魂も転生する。世界を運行するために、神は世界を(それぞれ地域を分担しながら。だからこそどんな場所でも神の恩寵は与えられうるのに、主な信仰勢力圏というものが存在するわけだ)力によって満たしているのだと。


 ただ、まれに、その運行が歪む時がある。神の力とて無限ではない。力の浸透に不具合が生じ、世界の運行に障害が生じ、結果世界が歪み、奇妙な領域が形作られてしまうことがある。


 それが悪性領域と呼ばれる、常ならざる世界だ。この領域は、転移術の類で出入りすることができない。それどころか、一度領域内に入ると、領域が解除されるまで、特定の法則に従った儀式や、特定地点の物品の破壊、特定対象の殺害といった、悪性領域それぞれによって異なる、『鍵となる行為』を実行しなければ、外部に出られないことも珍しくない。


 その上領域内は、世界の法則すら歪められており、広さや地形、気候などは本来のものとどれだけ違っていてもおかしくない、どころか通常の世界の在りようでは存在しえない環境(洞窟だった場所が高高度の空に浮く島になっているのに気候は南国、というように)になっていることも多く、しばしば大量の魔物が出る。


 領域の解除方法はひとつ。歪みの核、神の力の不具合の元を消滅させること。この核というのは、中空の点として独立した形で存在することもあるものの、生物に縁り憑いたり、無生物と合体することも多い。ただ、縁り憑いたものから引き剥がす方法はいくつもあるので、核となった者を殺す必要はない。


 その核も一つとは限らず、わかりやすい目に見える形で存在するとも限らないため、実際に消滅させるのは厄介この上ないそうなのだが、なんにせよ、悪性領域は神々からすれば、自分たちの不始末にほかならず(神々の幾人かを見知った今では『そういう不始末が起きるのも当然だろうな』と思えてしまう)、積極的に解消しようとする。自分たちの信者や加護を与えた者に神託を下し、領域を解除させることに尽力させる。そして、無事領域が解除できれば、協力者も含めて、尽力した者たちになんらかの恩寵を与えるのだ。


 つまりこれは、冒険者の仕事である『報酬を約束されて依頼を遂行する』というやり方そのものだ。依頼者が神さまとくれば、その信頼度は問答無用に十全だし、与えられる恩寵についても、これまでの類例から、誰からも文句の出ないほどのものが与えられることはわかっている。


 さらに言えば、悪性領域は古代遺跡同様、罠やうろつく魔物たちを捌きながら最奥の核へたどり着く必要があるため、大軍をもって攻め入るのには向かず、冒険者のパーティが一番効率よく目的を達成できる。なので、冒険者ギルドの設立後は、悪性領域への対処は実質、冒険者ギルドの専有案件となっていた。


 そして、これもこれまでの類例で言うと、邪鬼は悪性領域に本拠を置くことが多かった。核を支配することさえできれば、悪性領域の幾多の障害を制御するのが可能であることは、人間の知識の範囲でも、実験で証立てられている(神々が積極的に解消を推し進めているので、悪性領域を利用してどうこうしようなどという発想は普通は出てこないが)。ならば、悪性領域が邪鬼にとって便利この上ない要塞となるのは自明のことではあった。


 なので、邪鬼の眷族が何匹も漏れ出てきた悪性領域があるのなら、そこが邪鬼に支配されているのは疑いようもないし、そこ以外に本拠地がある、などという発想も普通は出てこないだろう。調査に携わった冒険者たちや、ギルドの上層部の判断は、ごくまっとうなものだ、とロワも思う。


 だが、今回は、その常識的な判断では対処しきれない、尋常ならざる事態だったというわけで。


「邪鬼の眷族たるゴブリンたちが、何匹も悪性領域から出てきたというのは間違いのない事実。となれば、その悪性領域は邪鬼に支配されているのも、疑いようのない事実。けれど、私たちがその悪性領域を攻略した際に、邪鬼・汪の眷族と思われる連中は一体もいなかった。痕跡もほとんど残っていなかった。これはもちろん、いくつもの術式で領域内を精査した上での話よ」


「それなのに、邪気の反応を検知した冒険者たちは、『疑いようがない』『断言できる』と口を揃えて言うほどはっきりと、悪性領域内に邪気の源があることを感じ取っていた。これがどういうことか、理解できるかな?」


「……邪鬼・汪が、その悪性領域を、自分に狙いをつけて襲ってくる人間たちを、効率よく捕らえるか、殺すための罠として設置していた……って、こと、ですか? あとは、前線基地として使ってたけど、ゾヌの上層部にはっきり狙いをつけられたことを悟って、撤退した……とか」


 この人たち一日刻ジァンで悪性領域をあっさり攻略したのか、まぁこの人たちならできて当たり前なんだろうけど、などと思いつつ、考え考え答えるロワに、シクセジリューアムはにっこり笑んでうなずいてみせた。


「その通り。どちらの思考も真である、と我々は考えている。それに加えて、君たちの存在――自分を殺しうる、女神の加護を与えられた冒険者たちがいることを感知し、万が一にも不覚を取ることがないように、とも考えたのだろうとね。ともあれ、その事実に加えて、十万という大群を、ゾヌの冒険者たちの探知網にまるで引っかからせることなく、あっという間に送り込んできた手際から考えても、邪鬼・汪は桁外れの転移能力を有している、と考えた方が理屈にかなっているわけだよ」


「………はい」


 自分たちの存在が邪鬼の撤退を促した、なんぞというのはさすがに無理があるだろうと思うものの、述べられた内容にはおおむねうなずけたので、ロワは素直に首肯する。


「では、私たちはいかにして邪鬼・汪の所在を突き止めるべきか? 君の意見はどうかな?」


「え? っと……」


 どうやら自分に対して言っているようなので、ロワはおずおずと意見を述べた。


「囮になって邪鬼・汪の手下にわざと襲撃させて、転移の痕跡をたどったり、逃げ帰る手下を追尾したり……とか、ですか?」


「ふむ、まず真っ当なやり方だね。だが、今回は無意味だ」


 すっぱり切り捨てられて、内心ぐっさり刺さるものがないこともなかったが、この人たちにとっては自分が比べようもないほど無能なことは事実だろうとも思ったので、「はぁ……」と相槌を打ちつつご意見を拝聴する。


「邪鬼・汪の知能の高さがどれほどか、まだ私たちは正確に見知っているわけではない。さらに言うならば、狙うところ、欲するところがどこにあるのかもわからない。まぁ、少なくとも、最初にゴブリンたちを斥候として出しつつ邪神の眷族を同行させたということは、『ゾヌを我が物とする』という目的にはそれなりに重きを置いている、と思うけどね」


「はい……」


「おそらくは邪鬼・汪の配下の中でも秘蔵に値する代物だったであろう、邪神の眷族を倒されたことに対する反応として、十万という大群を遣わし街ごと撃滅せんとしたことは、まず間違いないとしていいと思う。ただ、今後ゾヌに対しどれだけの戦力をつぎ込んでくるかは、まるでわかっていないんだ」


「はい」


「ことによると、十万という大群があっさり殲滅させられたことを警戒し、他の地域、あるいは地方を手当たり次第に襲撃して邪神ウィグへの生贄に捧げ、戦力の拡充を目指すかもしれない。『桁外れの転移能力』という、数少ない明らかになっている邪鬼・汪の能力をもってすれば、それはごくたやすいことだからね」


「あ……」


 そうか、そう繋がってくるわけか、と納得してロワは内心ぽんと手を打った。それはロワたちとしては、そしておそらくゾシュキーヌレフという国家にとっても、極めてありがたくない事態だろう。


「そんなことをされてはこちらも困る。邪鬼討伐の依頼を請けておきながら、まるで見当違いの場所を警戒していて結果的に邪鬼の跳梁を許した、なんて悪名を背負いたくはない。我々の依頼主であるゾヌからも、『他に被害を出すことなく邪鬼・汪の活動を停止させることができれば、今後あちらこちらに大きな顔をしやすくなる』という理由から、ゾヌのみならず他の国家に被害を出さずに、この案件の決着をつけるのが望ましい、と言い渡されているしね


「……はい」


 その『理由』はさすがに意訳だろうが、ゾシュキーヌレフ国府の上層部の席を占めるお役人たちが言いそうな台詞ではあった。


「なので、我々としては、できれば速やかに決着をつけることを目指したい。『向こうの出方をうかがう』ような無難な手段を取っている暇はない。では、どうすればいいと思うかな?」


 正直そんな厳しい条件を満たす案をほいほい思いつけるほど自分の頭はよくない、が。


「え……っと、俺の知識ではちょっと思いつかないですけど……皆さんには、こういう時にも問題なく対処できるような、手づる……っていうか、技術やら知識やらがあるん、ですよね?」


 そういうことを言いたいとしか思えなかったので正直なところを申し述べると、得たりとシクセジリューアムはうなずいた。


「その通り」


 言うやぱちり、と指を鳴らし、目の前の空間に、掲示板よりも大きい半透明の大陸地図を浮かび上がらせる。またぱちり、と指を鳴らすと、ポンポンポンポン、と軽やかな音を立てて大陸地図のあちらこちらに赤色の丸い点が書き込まれた。


「転移には転移だ。我々も伊達に長く生きているわけじゃないからね、大陸全土の要点には、ほぼすべて行ったことがあると言っていい。当然転移術式を用いれば、この程度の人数ならば瞬間的に移動することもたやすい。そうやって大陸中を回りながら、波導式探査術式を撒く」


「はどうしき……」


「簡単に言えば、周囲に魔力の波を継続的に発する使い魔を置くんだ。おかしな反応があればすぐに私に伝わる。そういう地点を大陸中にいくつもいくつも、波が届かない場所がないくらいにたくさん作って、邪鬼の逃げ場所を少しずつ狭めていく」


「つ、まり……大陸全土に精度の高い探査術式を放てる、ってこと、ですよね?」


 言いたいだろうことを要約して言葉にすると、シクセジリューアムは苦笑しながらもうなずいた。


「そう簡単にまとめられると、それなりに高度な魔術技法と技術知識を駆使した甲斐がなく聞こえるが、まぁその通り。向こうはどこにでも襲いかかることができ、危うくなればどこにでも逃げられるのだから、まずはその機動力に圧力をかけていく」


「もう既にいくつかは設置している、と聞いたが?」


 ふいに口を挟んできたタスレクに、シクセジリューアムは落ち着き払って答える。 


「手続きやらなにやらで無駄な時間ができた時にも、ちょっと転移して使い魔を設置する、ぐらいのことはできるしね。どこか別の場所を襲撃するにしても、最初に要所に使い魔を配置すれば、察知しやすいし助けやすいし。依頼を請けておきながら、むざむざ邪鬼の犠牲になる街や国を出すつもりもないのでね」


「助かるぜ。やっぱり高位の魔術師が一人いると、できることの幅が桁違いに広がるな」


 タスレクがにやっと笑みを浮かべてそう言うと、シクセジリューアムは目を瞬かせてから肩をすくめてみせた。


「お褒めいただき光栄の至り。まぁ、ゾヌと国交のある……大陸一の商業国である以上、広い意味でいうなら大陸のだいたいの国とは国交があるうちに入るだろうが……その中でも親交の深い、引いては有力な国とはおおむね連絡網を敷いているだろうから、そこが襲われればこっちにも連絡が入るだろうがね」


「はい」


 なんにしても、自分たちのできることなんてなさそうな話だな、と思いつつロワは相槌を打つ――や、そこにグェレーテがにやりと不敵な笑みを浮かべて宣告する。


「なに他人事みたいな顔してるんだい? あんたらも一緒に大陸中を回るのに同行するんだよ?」


「え……それは、はい。そのつもりでしたけど……?」


「本当にわかってるのかねぇ。言っとくが、大陸中を回ってる時に邪鬼の眷族やら邪神の眷族やらが出てくる可能性はそれなりに高いが、そんな時も最終的に相手をするのは、あんたたちになるんだからね」


『えっ……』


「当たり前だろう? 今回の邪鬼の恩寵に対抗できるまともな戦力は、あんたたちだけなんだから」


「邪鬼・汪の恩寵がどれほどのものかについては、邪鬼や邪神の気配の残滓を探って、ある程度理解はできているわ。そして、少なくとも現段階では、それを根本的に打ち消すのは不可能だろう、と全員の意見が一致したの」


「邪神の権能とこの上なく相性のいい効果。そして邪鬼としての性能の高さ。加えて、保有する邪神の恩寵の、桁外れと称してもいいほどの容量と純度。それらが揃った恩寵を解除するのは正直、私たちにもちょっと骨なんだ。専用の対抗術式を組むにしても、年単位での研究が必要になる。その間にどれだけ被害が拡大するかは、わかるよね? ……まぁ、いよいよ追い詰められれば奥の手はいくつかあるが……」


「だが、少なくとも現段階では、お前らが邪鬼を討滅するという筋書きが、一番わかりやすく、効率がいい」


「お……俺たちが、ですか」


「そう。まだまだ駆け出しでしかないあなたたちに、なんとか邪鬼を倒してもらうのが、一番他に被害の出ない上に成功率の高い、最上の手段であると私たちは判断したわけね」


「だから、お前さんたちには、邪鬼とやり合う前に、少しでも経験を積んで強くなってもらわなきゃならん。幸いパーティ五人のうち四人が女神の加護を与えられてるんだ、全力で経験を積ませた上で俺たちが援護すれば、邪鬼程度ならばなんとか勝てる可能性が出てくる」


「そのために、あんたたちには私たちに同行してもらう。邪鬼・汪の偵察能力は、これまでの行動を見る限り、そう高くはないだろう、が……転移能力持ちには、転移した痕跡はわかりやすいらしいからね。特に魔術による転移は目立ちやすいそうだし。道中で襲われる可能性は、相当高いとあたしたちは見ているよ」


 鋭い視線で自分たちを眺めまわしてそう告げたグェレーテは、なぜかロワに視線を固定して、にやっと、鋭く、獰猛な、どんな鈍感な奴でもいつ襲いかかられてもおかしくないと思うような、物騒な気配を存分に漂わせた笑みを浮かべる。


「あんたたちが、この依頼にどれだけ積極的に取り組むか。どれほど死ぬ気で経験を積もうとしてくれるか。それが、あたしらの生存率にも直結するわけだからね。駆け出しの坊やたちに悪いとは思うが……全力で、やらせてもらうよ?」




   *   *   *




 言葉通り、四人の英雄たちは、自分たちに対してもまだ見ぬ邪鬼・汪に対しても、全力で仕事をしている、ように見えた。


 会議の後の『軽い』訓練でも、自分たちパーティの連携力を強化するための対パーティ戦や、眷族たちに襲撃された時のための英雄たちとの連携強化などの際に、こちらが『死力を振り絞ればなんとかなる』程度に負荷をかけてくる。わずか一ユジンの訓練で自分たちは気息奄々となってしまったが、それでも疲れが後を引くようなことはなかった。計算してやっているのだとしたら、とんでもない精度の見切りと訓練知識が必要になる。


 眷族たちが襲ってくることはまだないが、それでも自分たちの緊張感がほとんど衰えないのは、自分たちの周囲、どころかロワの感覚が正しければ相当な遠距離にまで、英雄たちが気配を察し動きを察する、近接戦闘における制空権、つまり英雄たちの『間合い』に呑み込まれているのが感じられるからだ。さっきもルタジュレナが背中側に落ち葉が落ちてきた時、視線すら向けずに掴み取って脇に落とす、なんてことをやっていたが、よくよく見れば英雄たちは、その類のことを数えきれないほど、まるで負担に感じていない顔でやってのけているのだ。


 単純な行為のみを取り上げてみれば、シクセジリューアムの術式で転移門を開いて馬ごと転移し、その先のあちらこちらに(個々の配置場所はけっこう距離が離れているので、移動時間の短縮に馬が必要になるのだ)使い魔を置く(シクセジリューアムもルタジュレナも違うやり方で使い魔を配置しているようだった)だけなのだが、その際の警戒度、注意力だけをとっても英雄たちがどれほど気合を入れて仕事をしているかわかる。


 ともあれ、そんなことを何度も繰り返し、ゾシュキーヌレフでは春先なのに、夏じみて暑い気候や防寒着が必要になるほど寒い気候(新雪が残っていた)など、多様な気候と地形を有する地点から地点へと転移しているうちに、空が暗くなってきた。完全に陽が沈む前に野営の準備をするのは英雄となっても変わらないようで、九人で一緒に野営に取り掛かる。


 分割行動禁止ということで、普通野営の時に必要になる、水場の探索や薪拾いという作業は禁止され、そこらへんをおおむね術法で補う、費用対効果の著しく低い真似をすることになった。ただルタジュレナの精霊術はその辺りはまさに得意中の得意で、魔力の消費もほとんど負担にならない程度だそうなので、複数の鍋をそれぞれが囲むという効率の悪い(一応、毒や食中毒対策のためらしい)真似をしても、不都合らしい不都合は感じずにすんだ。


 それからまたしばらくこちらが息も絶え絶えになる程度の訓練をやったのち、ロワたちパーティと、英雄たち四人、それぞれに夜番を立てて天幕に潜り込む(自分たちのものはギルドで準備してくれた荷物に入っていたやつだ)。天幕は夜襲の際に飛び出すのが遅れるという短所があるそうだが(これまで天幕を買う金がなかったので実感したことはない)、とりあえず天幕がどれほど安眠の助けになるかもわからないので、一度普通に寝てみることに決めた。


 自分たちはいつも通りの順番なので、ロワは一番最後まで起きなくていい。心身に緊張感がたっぷりと残留しているのはわかっていたが、とにかく毛布をかぶって目を閉じる。


 が、当然、そうそう眠気はやってこない。自分の隣で寝ているカティフとネーツェも同様のようだった。


 火の前にはヒュノとジルディンと並んでグェレーテが腰かけており、英雄たち一人につき一つ、計四つも立ち並んでいる小さな天幕の中には他の英雄たちが眠っている。そして今も絶えず(眠っている人たちも含め)、周囲の気配と物の動きを探っている――そういうことが感じ取れてしまうのだから、当然と言えば当然だろう。食事中もまともに喋ることもできなかったせいか、胃がしくしく痛んできた気さえする。


 やむを得ず、数度深く呼吸をする。体全体に空気を取り込み、循環させる。体内の気を外の気とできるだけ近しくさせて、小さく呪文を唱えた。


「〝大地に祈りを、風に願いを、心魂を空に、体を狭間に、在るべきものを在るべき場所に配すべし。我天地に、万象に希う。今陽は沈み、空は暗き帳を降ろしたり。我が身魂がそれに沿い、心は夢に、体は休息に、魂は此岸に、遊ばせたまわんことを……〟」


 ネーツェがよく使ってくれる、導眠の術式の召霊術版だ。ただし召霊術の場合、基本的には夢占いをはじめとした、夢の中で霊魂と交霊するために使う術式なので、使うとほとんどの場合、夢見が死ぬほど悪くなる。


 ただこの状況下ならば起きる時死ぬほど辛くともそこまで危険はないし、そもそも自分は女神の加護を受けているわけではないのだから、ちょっと経験を積んだ程度で戦力にはなるまい。最終的に戦力として見込めない駒の調子を重視するよりは、万が一にも未来の状況を見知ることができる可能性が生じる方がいいはずだ。


 うまく夢占いができればよし、失敗しても失うものはさしてない。問題はないと判断して、ロワは呪文を唱え終え、息をついた。






 ―――そして気がつくと、神の世界にいた。


「げっ……」


 光に満たされた世界。見渡す限り続く細緻な刺繍を施した絨毯を足下に、陽の光から眩しさを取り払ったような適度に明るい真白の光がどこからともなく降り注いでいる。なのに、そこを満たす空気は、静謐というより緊迫、ないし緊張感に満ちていると呼ばれるべきものだった。


 その中に響く音は小さな舌打ちと、忌々しげにぶつぶつと呟かれる独り言。それだというのにやはり受ける印象は、華々しい、美しいとしか言いようがないもの。水晶の窓の前で、こちらに背を向けてなにやらごそごそとやっている音の発生源――女神エベクレナは、やはり今日も麗しかった。


「……げぇ、これ関数使わないと絶対無理じゃん……関数表関数表……あーもー、せっかく異世界召喚されたってのに、権限としては神さま的でも、本人の能力自体は別に上がらないとかどうなん!? 異世界召喚として! せめて何度も使ってる関数ぐらいは表見ないで使えるようになりたいわ切実に! 現代人の記憶力なんて基本クソなんだからね!? いやクソなのはお前自身だろって言われたら反論できないけどねあっはっはー、ってやかましいわ!」


 言ってることは、意味がよくわからないながらも情けなさ感が溢れまくっている代物だが。エベクレナがこんな風に、気を抜きまくって一人で愚痴を言っている、というか敬語を使っていないところなんて初めて見た。


 正直放置した方が親切ってもんじゃないかなと一瞬思ってしまったものの、一度約束してしまった以上仕方がない。覚悟を決めて、おずおずと声をかけた。


「……すいません。女神、エベクレナさま。俺、またこちらに来ちゃったんですが」


「え゛っ」


 ばっと上体を跳ね起こし、こちらを振り向いて、硬直し――そんな動作ののちに、女神エベクレナは、ロワに(また)腹の底からの絶叫をぶつけた。


「――い゛や゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛!!!!」

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