第17話 眼鏡なるもの

「初めまして。私の名はギュマゥネコーセ」


 そう水晶の窓の向こうでにっこり笑ってみせたのは、間違いなく以前エベクレナとお喋りしているところを垣間見た時と同じ、艶やかな黒髪を長く伸ばした、知的で謎めいた女性だった。


「長い名前で申し訳ないけれど、人の間では神や女神と呼ばれる存在の名前を略すことは、不敬であり為すべからず、という習わしになっているそうだから、いちいち長々と名を呼んでもらうことになるわけだけれど。かまわないかしら?」


「は、はい。元から、女神さまの名前を略して呼ぶとか、考えてもいませんでしたし」


「ふふ、そう? ありがとう」


 ロワに笑顔を向けながら、ギュマゥネコーセは、ちらりとエベクレナに視線を投げかける。エベクレナはそれに肩をすくめて返し、ロワに向けて議事進行の言葉を告げた。


「えーっと、ですね。まずお互いの認識をすり合わせるために、お互いに向けて質問をしましょう。まずは、その……ロワくん、からギュマっちゃんに、で、どうでしょう……かね?」


「あ、はい。じゃあまず……あの、すいません、エベクレナさま。なんでムッとした顔になるんです?」


「いえ別になんでもな……くはなく、初めて名前を呼んだのにしかもくんづけしたのにあっさりスルーされたことにちょっとムカついただけですすいません! ああもうこの謁見室の嘘のつけない仕様マジどうにかなんないですか!?」


「あ、と、す、すいません……」


「いやあなた……ろ、ロワくんは本当まったくまるで悪くないんですけどね!? むしろ悪いのは私ですよねなに勝手にムッとして勝手に恥かいて勝手に腹立ててんだって話ですよね本当すいません……」


「ふふ、難儀な話だこと。愛でている相手に心をまるで隠せないというのも、乙女にして神の眷族としては困ったものよね?」


 くすくす笑い声を立てながらそう言ってのけるギュマゥネコーセに、エベクレナはまたも明らかにムッとした顔になってぼそりと言い返す。


「そーいう風に余裕ぶってられるのも今のうちですからね」


「は?」


「ロワくん、なにかギュマっちゃんに聞きたかったこととかあります?」


「えっと、そうですね……まず、最初にお聞きしたいのは……この前、俺がネーツェに英霊を降ろそうとした時に、異常なくらい強力な魔術師が降りてきたんですけど。あれって、もしかして、ギュマゥネコーセさまがよこしてくださったんですか? 俺たちは、その、ギュマゥネコーセさまの眷族じゃないか、って話してたんですけど……」


「ええ、知っているわ。そして、あの時ネーツェ・ヤギョート・アミキスの心魂と同調した英霊が、私の眷族であるというのも間違ってはいない。だけど、直接的に私があの子を遣わしたわけでもないのよ」


「と、いうと……?」


「そうね……まず、『神の眷族』とあなたたちが呼ぶ、〝我々の眷族〟というのがどういうものか、という話からしなくてはならないわね。言ってしまうと、私たちが自らの〝眷族〟と呼ぶ者は、かつて私たちに加護を与えられながら、今は死して輪廻の中へ魂を返した存在の、写し身なの」


「う、写し身、ですか?」


「ええ。私はもう千転刻ビジン以上神の眷族として生きているけれど、その中で加護を与えた子はそれなりの数に及ぶわ。そして、私たち神の眷族に許された特権のひとつに、加護を与えた子が命を失い――死後の魂がこの世界の中で魂を巡らせるか、別の世界へと巡っていくかはその時の流れによるけれど、とにかく魂が輪廻の連なりの中へ帰る時、写し身――その子が死ぬ時の人格と能力をほぼ完全にトレースした分身を、眷族として所有できるの」


「しょ、所有……ですか」


「ええ。亡くなった子本人ではなく、あくまで写し取った幻にすぎず、そこから成長することも変化することもなく……年齢はある程度自由になるけれど。とにかく、基本的には定められた通りの反応を返すだけの、人形のような代物にすぎないの。命ある、魂ある一個の人格とは呼べない」


「…………」


「……けれど、それでも、加護を与えていた愛しい子を偲ぶよすがにはなるし、本当の感情と呼ぶべきものが存在していなかったとしても、かつて愛でていた相手と同じ姿と、同じ反応を返す相手ですもの。おろそかにしたくはないわ。だから、たいていの神の眷族は、そういった自身の眷族には、基本的に私たちに与えられた個人的な封鎖空間で人間の生活をなぞってもらって――その眷族の性格によっては、休眠状態になることを選ぶ場合もあるけれど――、加護を与えていた子を懐かしむ時だけ会いに行ったり呼び出したり、という扱い方をしているの」


「そう……なんですか」


「ええ。そしてね、そういうように神の眷族の所有する封鎖空間の中に存在する、かつての神に愛でられた子の写し身はね、英霊召喚の術式で呼び出すことが可能なのよ」


「えっ……そ、そうだったんですか!?」


「ええ。そもそも英霊召喚の術式というのは、いまだ輪廻の輪の中に回帰していない、中有や中陰と呼ばれる状態の中にある、いわば死にきれていない魂か、あるいは私たちの眷族――加護を与えていた子の写し身を呼び出すものなの。だから私の眷族が呼び出されたこと自体は、術式の働きから考えれば、なんの不思議もないわけ」


「で、でも、俺の実力であそこまでの英霊が呼び出せるというのは、いくらなんでも……」


「そうね、召霊術において呼び出すことができる霊の格は、術者の技量によって大きく左右されるわ。でも、あなた自身、予測していたことでもあるでしょう? 邪鬼と相対するために英霊の招来を請い願うのなら、邪鬼と戦った英雄の霊魂が応えてくれるのじゃないか、と」


「それは……はい。そうですけど……」


「召霊術においては、術者、そして霊が降りる先の身魂の、意志や感情と深く同調できる霊ほど呼ばれやすくなる。同調率の深さによる霊格の振れ幅は、技量より大きいと言っていい。かてて加えて、あの場所には三人もの、離れた場所にいるパーティメンバーも含めれば四人もの加護を受けた人間がいた。『神の眷族』の影響力の深さに惹かれて、その眷属が呼び出される確率は格段に上がったでしょう。私たちは、それにほんの少し、後押しをしただけにすぎないわ」


 つかみどころのない、ある種神秘的な微笑みを浮かべながらそう言うギュマゥネコーセにロワはハッとして、勢い込んで問うた。


「やっぱり、ギュマゥネコーセさまも、俺たちのために神音かねをつぎ込んでくれてたんですね!?」


「………えっ?」


 なぜか固まるギュマゥネコーセに、ロワはかねてよりの懸案事項だった事態の解明に、必死にぺこぺこと頭を下げる。


「本当にすいません! 俺たちとしても必死に行動した結果ではあるんですが、女神のみなさんにご迷惑をおかけするつもりはなかったんです! いえ、もちろん結果的にご迷惑をおかけするだろうことはわかってはいたんですが……さすがにあの状況では、流れを止めることはできなくて……」


「……いえ、あの……」


「ギュマゥネコーセさまには、たぶん英霊召喚の時に神音かねをつぎ込んでもらってるんだろうな、とは思ってたんです。ご厚意でやってくださってることに対してお詫びを言うのは、見当違いだと承知してはいますけど、俺たちの判断のせいで、女神の皆さんにより神音かねの負担をおかけしてしまったのは間違いないと思うので……そのことについてはきちんと詫びさせてください。本当に申し訳ありませんでした、そして助けてくださってありがとうございます! ギュマゥネコーセさまや、エベクレナさまが、本来ならご自身のために使うべき神音かねを俺たちのために使ってくださったから、俺たちはなんとか生き延びることができました……!」


「………、…………」


「これから皆さんが俺たちに与えてくださった加護をどうするかは、どうかご自身の思う通りに、なによりもご自身のことを優先しながら決めてもらいたいとは思ってますが、たとえ加護を与えてくださるのを取りやめられたとしても、俺たちはずっとずっと皆さんに感謝し続けることは間違いないです。くり返しになりますが、本当にありがとうございました!」


 深く、深く頭を下げ、少しでも自分たちの感謝が伝わるようにと礼を重ねる――と、ギュマゥネコーセは、ぼそり、と一言、呻くように言葉を漏らした。


「………無理」


「えっ?」


 顔を上げるロワの視線を避けるように、というより水晶の窓の向こうでほとんど身体を隠すようにしながら、ギュマゥネコーセは呻きを漏らし続ける。


「無理。え、なにこれ、無理。いやもうこれ無理。え、だって、なにこれ、え?」


「ね、無理でしょ!? なにこれ無理とか言いようがないでしょ!? 私の気持ち超わかってくれたでしょ!?」


 エベクレナが勢い込むと、ギュマゥネコーセは呻きながらも震える声で同意を返す。


「わかった……超わかった……いやもうこれ無理、絶対無理。いくら私の最推しじゃなかったとしても、その仲間で、相手候補の一人で、わいわいきゃいきゃいしてるとこ異様に可愛いだろ殺す気かって子の一人が、推し活に全力でお礼言ってくるとか……感動とか加神音かきぃんしてよかったとかいう気持ちも湧いてくるけど、それよりなにより圧倒的な申し訳なさで死ぬわこれ! 罪悪感と悶えと歓びが情緒ぶん殴ってきて、もはや正気度削られるレベルなんだけど!」


「でしょ!? そうですよね! 燃える勢いのままにやってた推し活に、推しから大真面目にお礼言われるとか、もうすいません申し訳ありません私が悪うございましたって土下座するしかない勢いですよね!」


「ほんとそれ……いやもうほんとなにこれとしか……ごめん舐めてたわエベっちゃん。なんだわりと普通にこっちに威圧されてくてる感じじゃん大げさに言ってこの女基本話盛りすぎだよねとか思ってごめんなさい、人次元にんじげんの推し相手との人間的な交流ってガチで精神力ガリガリ削れるのね……!」


「ですよね、そうですよね!? わかってくれました!? あとそれはそれとしてあとでじっくりお話ししましょうねぇ、校舎裏に朝一呼び出ししますから!」


「え、ええと……」


 いつもながら意味がさっぱりわからない、とロワが呆然としていると、騒いでいたエベクレナとギュマゥネコーセは、だんだんと我に返って落ち着いて、咳払いなどしつつこちらににっこり笑いかけてくる。


「お待たせしてしまってごめんなさい。話を続けてもよろしいかしら?」


「……あの、不調法は承知で言いますけど……その、そんなに無理して取り繕わなくてもいいですよ。というか、取り繕うのいくらなんでも無理すぎないですか? 俺としてもさっきみたいによくわからないことで騒がれたあとに、謎めいた上品な美人の演技をされても、無理しないでいいですからとしか言えないっていうか……」


「グハッ! ……ふふ、あなたの言いたいことはわかるけれど、ね」


 ロワの言葉に一度胸を押さえて倒れてみせてから、すぐに体を起こし、さっきまでと変わらぬ神の美貌に、やはり変わらぬ気品と神秘的な気配にあふれた笑顔を浮かべ、ギュマゥネコーセは優雅に指を組んでみせる……が、口にする内容は優雅とはちょっと言いがたいものがあった。


「正直キャラを取り繕わないと、こっぱずかしくてまともにお話とかできないのよ」


「えぇ……?」


「なんていうか、私のこのキャラ、女神的なムーブをする時にはいつも使ってるし、慣れもあるから。仮面をかぶるキャラとしてはやりやすいというか? きっぱり言うけれど、もう私の羞恥耐久力はゼロよ的な状況で、私の素で推しの一人とお話しするとか無理というかマジで勘弁というか? 女神ムーブでごまかさないとぶっちゃけ今すぐ逃げ出しちゃいそうというか?」


「は、はぁ……」


「でもこれ困ったことにお仕事の一環でね? 補助神音きぃんもらっちゃったから断りようがないし? 無理は承知でお願いするけど、さっきの暴走なかったことにして、謎のお姉さん的女神とお話しする気持ちで会談続けてもらえないかしら?」


「わ、わかりました……その、俺にこんなこと言われても困るとは思いますけど、なんていうか……大変ですね……」


「マジで泣けてくるから同情やめてくれるかしら?」


「は、はい、すいません……」


「うぅっ……わかる、わかりますよギュマっちゃん、わかっちゃダメな方のわかりみが深すぎて泣けてきます……!」


「え、ええと……それじゃあ、次は、そちらが俺の方に質問してくる……ってことで、いいんですよね?」


「えっ」


「あっ……そういえば、そういう話の進め方してましたね」


 おい、忘れてたのかよ、とさすがに内心で思わず突っ込んでしまうものの、最低限の礼儀として(あまり意味はないだろうけれど)口には出さず、「俺なんかに聞きたいことがおありでしたら、どうぞなんでも」と発言を促す。


 はっきり言って、こちらの心を簡単に読める女神さま相手に、『なんでも聞いて』などと言うのは不条理にもほどがある気もしたのだが、それでも会話の中での公平性を保つことを放棄するのはあまりに無礼だ。かえってうるさがられるかもしれないと思いつつも、せめて姿勢は誠実であろうと、できる限り正面からギュマゥネコーセの目を見つめる。


 が、ギュマゥネコーセの反応は、意外に激烈だった。目を見開き、こちらを見据え、「は?」と言ってから硬直して動かない。


「え、あの……」


「ギュマっちゃん! ギュマっちゃん! 答弁しましょう、これ一応仕事ですから! 気持ちはすさまじくわかりまくりますけど!」


「っ、そう、そうよね……これも仕事、これも仕事……え? マジで、ガチで? 本気でなんでも聞きたいこと聞いていいの、っていうか答えてくれるの? それが仕事になるとか、仕事としてやらないとダメとか、え? 心の中で歓喜と慟哭が同時にお祭り騒ぎしてるんだけど?」


「え……と、どうぞ、本当になんでも。お二人にとっては、わかりきったことしか言えないと思いますけど……」


 だってこっちの心を読めるんだから、と思いながら言うと、ギュマゥネコーセはエベクレナと鋭く視線を交わし、小さくぼそぼそと素早く囁き交わす。


「え、なに、これなに? 『わかりきったことしか言えない』とか、『俺たちの気持ちなんてもう全部ご存知なんでしょう』的なアレ? 推しご本人からの後押し的な?」


「気持ちとしては全力で同意したいんですけど、ここは正気に戻りましょうギュマっちゃん。私欲に走ったらあとで罰神音きぃんとかされるかもだし! 使える神音かねがダイレクトに推しの生存率に関わってくる以上、所持金はできる限り大事にするのは推し活の鉄則でしょ!?」


「うぅっ、そうか、仕事だもんね、仕事……ぅぅぅ、私欲に走って、出会った時から今に至るまでの心情の変遷やら、夜いたす時の頻度とかなにを材料にしてるとかまで聞きまくりたいっ……!」


「気持ちはめっちゃわかりますけど後半はダメです! 人としてダメです! 思春期少年にいい年こいた女がそんなこと聞くとかセクハラのレベルじゃないですから、展開によってはトラウマものですよ!?」


「わ、わかってるわかってる……落ち着かないとよね、ビークール、ビークール……私の最推しがいたしてるとことか見たことない? とかいう質問もダメ?」


「超ダメです! もーっ、ホントギュマっちゃんは普段クールな顔してるくせに、一度崩れると欲望やら感情やらに砂山のごとく流されまくりますね!」


「あの……?」


「ああごめんなさいねぇっ! それでは聞かせていただこうかしら!」


「は、はい……」


「ええと……んん、コホン。………んん………、…………」


 しばらくこちらを見つめたまま無言になったが(たぶんなんの質問をするか考えたのだろう)、やがてぎらり、と瞳を光らせてギュマゥネコーセは問うた。


「あなたにとって、仲間たちとは……特に、ネーツェ・ヤギョート・アミキスとは、どういう存在かしら?」


「え、どういう……存在か、ですか?」


「ええ。出会った時はどう思ったか、現在はどういう感情を抱いているか。それも含めて、自分の中でどういう存在として受け止めているか、それを聞かせてほしいの」


「はぁ……」


「ギュマっちゃん、ナイス質問です! 一般人的視点からでも別におかしくないけど、深読みしようとしたらいくらでもできるところを見事に衝きましたね!」


「ふふ、でしょう? なにせ私は眼鏡の神ですもの、知性キャラ的ムーブもきちんとこなせなくてはね?」


人次元にんじげんから自分がどう見られてるかってこと、もうちょっと大事にしましょう! ギュマっちゃん勉学と智恵の女神ですから、普通につかさどる範囲に入ってる行動ですから!」


 またなにやら小声で目を輝かせながら囁き交わしている女神たちに、『なに話してるんだろうな』と思いつつも、ロワは考え込んだ。仲間をどういう存在として受け止めているか。正直、なんと答えればいいのか、よくわからない質問だ。


 ロワにとって、仲間は仲間としか言いようがない。他のどんな言葉で、あいつらとの関係を言い表せばいいというのだろう。


「…………」


「…………」


 初めてネーツェと出会ったのは――というか、他の仲間たちも全員、出会いは一転刻ビジン前だ。パーティを募る冒険者はたいていそうであるように、冒険者ギルドのパーティメンバー募集で知り合った。


 正確に言うと、パーティメンバー募集の紙が貼ってある看板前で、だ。冒険者ギルドには、たいていの支部に、パーティメンバーを募集するギルド所属の冒険者が、募集の要項を書いた紙を張り出す看板がある。普通ギルドもそこに書かれている情報は管理しているので、窓口で訊ねれば教えてくれるし、相応の料金を払えば自分の希望、および能力に見合った冒険者パーティを紹介してもらうことも可能だ。


 だが、当然ながら自分たちにそんな金はなかったので、誰でも自由に閲覧可能な張り出した募集を見るために、毎日看板前に通い、少しでも条件のいいパーティを探して、なんとか加入させてもらうべく必死になっていた。


 そんな金もなく、コネもなく、能力に対する信用もない、三拍子そろった底辺新米冒険者である自分たちは、毎日朝早くから看板の前で顔を合わせるので、自然顔見知りになり、毎日のように顔を合わせるので全員が希望したパーティへの加入を断られ続けているのを察し、強めの共感と親近感を覚えつつも、特にきっかけもないのでお互い話しかけることもせず、出会っても軽く頭を下げる程度で黙って通り過ぎる、ということをくり返していた。


 そういう時間が二巡刻アユンほど続いて――ちょっとした依頼をきっかけに、自分たちは一時的なパーティを組むことになったのだ。


「…………」


「…………」


 その依頼自体はごくごくささいな、それこそちょっとしたお使いを頼まれた程度の依頼でしかなかったのだが、なんのかんので何体もの魔物とやり合う羽目になり、最終的には全員死に物狂いで力を振り絞って、なんとかかんとか生き延びる、という有様となり。それでも報酬は最初のお使い程度の代物と変わらなかった、という辺りに自分たちパーティの運命が象徴されている気がするが、ともあれ、その過程でお互いの実力のほどは知れた。


 そんな時に、ネーツェがやたらと胸を張って告げたのだ。


『僕たちで、正式にパーティを組まないか? パーティとしての能力的なつり合いも取れているし、実力のほども互いに相応のものを持っていることは知れただろう?』


 その時はそのむやみやたらと自信にあふれているように見える態度に、『とりあえず言うことを聞いてみてもいいかな』と思ったのだが、ネーツェがそういう態度を取る時は実際には、自信がないからこそやたらと尊大にそっくり返ってみせてしまうのだ、ということをのちのち呑み込んで、しょうがない奴だなという呆れと諦めを同時に受け容れた。その時には、もう自分たちとネーツェは、ちゃんとパーティになっていたからだ。


「…………」


「…………」


 それから一転刻ビジン。その間ずっと自分たちは食うや食わずの底辺冒険者をやっていたが、それでもなんとかかんとか大きな喧嘩もせずパーティをやっている。喧嘩というのは、すべてがそうとは言わないが、基本的にはお互いが、あるいは一方的に、相手に『もっと上を』と望むことから生まれるものだからだろう。


 もっと奉仕を、もっと褒美を、もっと愛情を、もっと、もっと、もっと。そういう類の感情は、自分たちにはあまり縁のないものだった。お互いに、自分のできること程度のことしか相手にはできないと、自分と同様相手にも大してできることはないのだと、知っていたからだ。自分たちが相手を『認識』することができたのは、パーティ人員募集の看板の前で見つけた顔が、いっこうに入れるパーティを見つけられずにため息をつく自分同様に、相当全力で辛気臭かったからなのだから。


「…………」


「…………」


 だから、自分たちにとって、お互いのことは仲間としか言いようがない。同じ穴の狢、同じように金に縁がなく、同じように社会の中で認められる力がない同輩。他に頼れる人間がいないから、互いに背中を預けている相手。――単に、一転刻ビジンという時間をかけて、その単純な信頼が降り積もっていっただけで。


 ネーツェも同じだ。同じように弱く、力のない、相見互いの仲間。一歳年上ではあるが、それをさして意識したことはない。頭を使う時や交渉時には進んで前面に出るので助けられてもいるが、かなり脇の甘い奴なのでちょこちょこ助けてもいる。


 しいて言うなら――ネーツェは、猫人だからというわけでもないが、すぐ調子に乗る割に相手に強く出られると耳が(文字通り)寝てしまうあたり、ネコっぽい奴だよなぁと想ってはいる。


「……………!」


「……………!?」


 だが、こんなしょうもない、ただの感想を言われても、女神さまたちも困るだろうし。なんとかせめて、形だけでもちゃんと整えて口にしなければならないが――


「いえ。いいわ。もう充分」


「え?」


 唐突に声をかけられ顔を上げ、なぜかやたらとつやつやした顔で満面の笑みを浮かべているギュマゥネコーセに、ああ心を読まれたのか、と納得する。だがちらりとエベクレナに視線を向け、思わずぎょっとした。なぜかエベクレナが、恨みがましいというか呪わしげというか、正確に言うならそういう感情の微量に入り混じった心底悔しげな、『おのれ今に見ておれ』と言いそうな顔でぐぎぎぎぎとギュマゥネコーセを睨みつけていたからだ。


「えーもう、なにもう、これもう公式? 公式が認めちゃった? いやぁ悪いわねもう! いやなんかもうサービスしてもらっちゃってる感満載で! 公式に推されてるって心強いわ本当!」


「はー!? まだ全然決まってないですし! 本人フツーに無意識に言ってますし! 全然そういう意識とか欠片もなく超健全に言ってるんだから微塵も問題も関係もないんですけど!?」


「そうは言うけど公式にああいう発言されるの羨ましいでしょ?」


「クッソ羨ましいです代わってください! ……まぁ公式にこっちに日和ってっていうか、こっちの受けを狙った発言されるのとかはけっこうイラッとくること多いですけどね、神が創られた魂ある人間の発言ですから、ガチで無意識だってのは実感できますし」


「わかるわー、わかりみしかないわ。そういう作者さまとかその背後の上層部の意図とか考えないで素直に発言に悶え転がれるとか、いい時代になったもんよねー」


「いやいい時代じゃなくていい世界でしょ異世界なんだから」


「ああそっかそっか悪い悪い」


 あっはっは、とエベクレナとギュマゥネコーセは笑い合う。さっきまでの険悪な空気はなんだったんだと思いつつも、女性同士はよくこんな風に、というかそういう反応をする人たちは男女だろうが男同士だろうがそうなるが、場の調子や雰囲気をすさまじい勢いで乱高下させることは知っていたので、まぁ喧嘩にならなくてよかったと胸を撫で下ろすことにした。


「さて、次はまたロワくんの番ですね。なにかギュマっちゃんに聞きたいことあります?」


「え、はい……ええと、そうですね……」


 これだけは聞いておかなければ、ということは一応聞けたので、なにを聞いてもいいといえばいいのだが。


「うーん……じゃあ……ギュマゥネコーセさま」


「なにかしら?」


「なんで眼鏡が好きなんですか?」


 びしっ、と音が聞こえてくる気がするほど一瞬で、見事なほど完全にギュマゥネコーセは硬直した。え、なんで、と驚いているところに、エベクレナがおずおずと聞いてくる。


「え~……と、あのですね……ロワくん、なんでそんなことを?」


「えっと、最初にお会いした……っていうのとは違うか、エベクレナさまとお喋りしてるところを覗き見ちゃった時、女神さまたちが話してましたよね。加護を与える相手を選んだ理由、みたいなことを……」


「えー……まぁ、大きく言えば、そう、なりますね……」


「正直、俺には難しくてよくわからない部分が多かったんですけど……ギュマゥネコーセさまがなんだかやたら眼鏡眼鏡って言ってたので、この方は眼鏡が好きなんだな、っていうのはわかったんです」


「あぁ……はい。それは間違いなく、そうですね……」


「それで、なんでかなって思って。だって、眼鏡をかけてるからその人間を好きになるってこと、普通はないですよね? だからなにか、女神さまたち特有の、特別な理由とかがあるんだろうなって思ったんで、ちょっと気になって……」


「あ~……まぁ……特別と言えば特別というか……えぇと、そのですね……」


「眼鏡とはッ!!!」


 だんっ、と大きな音を立てて、ギュマゥネコーセが立ち上がった。というか、ギュマゥネコーセを映している視界はどうやら定点から観測したものらしく、こちらからだとギュマゥネコーセの腹のあたりしか見えない(長衣らしき衣服をまとっているので、水晶の窓の向こうに見えるのはほぼ布だ)。


「眼鏡とはッ!! 物体にして物体にあらず! この世に存在する事物にして概念たるもの! ありとあらゆる人物の上位なるものとして、いついかなる時、場合にも存在しうるオーヴァーコンセプト! 属性にして属性にあらず、特徴にして特徴にあらず! それらを超えて存在しうる現存するもの!」


「え……」


「ギュ、ギュマっちゃん……」


 ロワがぽかんと口を開け、エベクレナも遠慮がちに声をかけるが、ギュマゥネコーセはまるで止まらない。


「ありとあらゆる属性を内包しつつも、その者の特性を引き締め、超越させるもの、それが眼鏡! 暴れん坊な俺様を一瞬で知性派に変え、わがまま坊主に一気に努力家の側面を付け加える! 装着時と装備解除時のギャップを愛でる者も、眼鏡は顔の一部にて断じて外すべからずとする原理派も、眼鏡はすべてを受容する……それが現存する属性の力なれば!」


「ギュ、ギュマっちゃん、落ち着いて……なんか口調怪しい人みたいになってますし……」


「……あの。もしかして、なんですが……」


 ロワは猛り狂うギュマゥネコーセに、遠慮がちに、だがきっぱりはっきり、自身の中に生まれた推測を投げかける。


「もしかして、眼鏡が好きって、眼鏡を着けた人の顔が好きなんですか?」


 ぴしっ、と空気にひびが入った気がした。そうはっきり感じられるくらい、場の空気が固まった。


 え、なんで、と驚き慌てつつも、ロワは口早に自分の思うところを告げる。


「いや、だって、装着時と装備解除時を愛でるとか、顔の一部で外しちゃダメとか、そういうところを聞いてると、要するに眼鏡を着けた人の見た目が好きなのかな、って……エベクレナさまも、最初に俺に加護を与えようとしてくれた理由って、『顔』の一言でしたし……」


「え、そこで私に話振ります!? っていうか別に私は顔だけであなたに加神音きぃんしようとしたわけじゃ……!」


「いや、でも究極的には、顔が好みだったからなんですよね?」


「う……そ、そうですけどぉ……」


「だから、ギュマゥネコーセさまも、眼鏡を着けた人の顔が好き、ってことなのかなって……あ、も、もしかして全然見当違いの話でした!? だったらごめんなさ」


「そうよ」


「え?」


「そうよぉぉっ! おっしゃる通り私は眼鏡フェチなの! ギャップも知性付加アイテムとしてもそれはそれで好きだけど、究極的には眼鏡装着フェイスが好きなの! 性癖なの! なんか文句ある!?」


「い、いえ別に文句なんてないですけど」


 ロワの言葉など耳に入った様子もなく(というか今度は床にくずおれてしまったらしくまるで姿が見えない)、ギュマゥネコーセは怒濤の勢いでまくし立てる。


「いいじゃない眼鏡が性癖だって誰にも迷惑かけてないでしょ性格よりも先に眼鏡気にするのとかおかしい!? 人としてダメ!? ふざけんじゃないわよあんたらに言われたくないわよあんたらの重視してる性格だの経済的安定性だのだってつまるところは属性的な記号でしかないでしょうが! あたしがあたしの好みを眼鏡って記号で決めてなにが悪いってのよぉぉぉ!」


「い、いや、別に本当に悪いとか思ってないですって」


「ギュマっちゃん、ギュマっちゃん、冷静に! 正気に戻って! このパターン私の経験からすると」


「眼鏡フェイスが好みだったからって理由で結婚決めて、浮気されて、別れて、眼鏡ホストに入れ揚げて悪いか! いいようにしゃぶられて二次元にハマってそこでもやっぱり眼鏡に貢いで悪いか! あたしの人生でしょうがあたしの好きに決めさせろ、眼鏡フォーエバーラブで文句あるかぁぁ!」


 その猛々しさすら感じる咆哮に、ロワは一撃で吹っ飛ばされた。


 エベクレナがこちらを慌てて振り向き「ロワくん!」と叫び手が伸ばされるよりも早く、ロワの意識は高速で後方へすっ飛び、見渡す限り続くきらきらしい雲海の上をはるか彼方までぶっ飛んで、なにか壁をぶち抜いたような衝撃と共に体も意識もすさまじい勢いで攪拌され――






 ぱちり、と目を開けたとたん、ルタジュレナと目が合った。顔貌から肌から髪からまつ毛の一本一本に至るまで、どこをとっても隙がないというか、『美しく整った』という印象を与える森精人の佳人は、にっこり笑って告げてくる。


「おはよう、少年その1」


「……おはよう、ございます……」


 上体を起こし一礼したのち、そろそろと周囲の様子をうかがう。目に入ってきたのは、寝入る前と同じ、休憩所で雑魚寝している自分の仲間たちだ。


 四人の英雄たちに『軽くもんで』もらったのち、疲労困憊しつつも休憩所に案内され、ギルドに準備してもらった旅の荷物(こちらが要求したのではなく勝手に準備してくれたのだ。準備に割く時間があるなら少しでも連携を仕上げろ、ということだろう)を点検したのち(ギルドが準備に手を抜くと思っているわけではないが、他人が準備した荷物だし、点検と確認は必要だ)、ネーツェの導眠の魔術によって爆睡したのだ。自然回復効率化の術式も同時にかけてもらったので、さんざんしごかれた翌朝ではあるが体は軽い。


 ともあれ、ここは男臭い雑魚寝部屋で、あまり女性が出入りするのはよろしくないんじゃないかな、ということをちらりと思うものの、そんなことをこの自分よりもはるかに目上、かつ比べ物にならないほどありとあらゆる分野の能力で勝られている相手に言えるはずもない。一応部屋の時計を確認して、まだ予定の時間には間があることを確認してから、「出発ですか」と問いかける。


 ルタジュレナは、笑顔のままで右眉を軽く吊り上げた。


「小賢しい」


「え、と、す、すいません」


「別に謝る必要もないわ。小癪な知恵も働かせられない小物よりはよほどマシよ。今現在小物である以上、その分際以上の振る舞いをしてみせたところで、大して意味はないわ」


「は、はい」


 頭を下げるのをやめて見上げたルタジュレナの顔には、実際怒りも嘲りも浮かんではいない。単純に引っかかる言い方が好きな人ってだけなのかな、と思いつつ、とにもかくにも立ち上がって身支度を整えようとするロワを、ルタジュレナは制した。


「集合は時間通りでかまわないわ。あなたたちの能力のほどはほぼ見抜けているから。あなたは身魂制御力がそれなりにあるようだから今の時間に起きれたとしても、他の子たちが完全に回復するまでにはもう少しかかるでしょう」


「は、はい……」


「なら、なんで今部屋に入ってきたんだ、と思った?」


 にっこり笑顔で訊ねられ、ロワは気圧されて身を引きながらも、「はい」とうなずいた。聞けることは聞けるときに聞いておかないと、いざという時に見限られる結果に繋がりかねない。


 ルタジュレナは、笑みの形に表情を崩してもまるで隙というものがない、徹頭徹尾完璧に整った面持ちで、可愛らしく唇に指を当ててみせた。少女のようなその仕草に、思わず背筋にぞくり、と悪寒のようなものが走る。


「簡単よ。神の気配がこの部屋から感じられたから。今まさに恩寵が与えられている時なのかもしれない、と思って観察のために寝床に侵入したわけ」


「か、みの気配、ですか」


「なんでそんなものが感じ取れるのか、って? 単純よ。私も神の加護を与えられている身だから」


「え……」


「長老級、英雄級と呼ばれる存在のほとんどがそうであるように、ね。私の他の三人も当然そう。――だから、私は正直不審に思っているの」


「ぇ……っ」


「あなたには神の加護など与えられていないはずなのに、なぜあなたから最も強く、神の気配が感じられるのか、ね」


 そう言って笑顔で、笑顔を導く感情のまるで感じられない眼差しでロワを見下ろしてから、ルタジュレナはこちらに背を向け、軽く手を振って部屋を出て行った。

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