第三章 英雄、資すべし
第16話 英雄集結
「無事治療が完了したそうですね。まずは、お喜び申し上げます」
「は、はぁ………」
「まぁ、治療っつっても傷はほとんど戦場で塞いでもらってたんだけどな、俺」
「俺らも死なないぐらいには生命力与えてもらってたし、あとはひたすら寝て生命力が回復するの待つぐらいしかやることなかったしなー」
「っつぅか、生命力っつぅんならまず俺に美女をよこせ、っつぅごく真っ当な主張を聞いてくれるような相手すら一度も来なかったしな……」
「……カティ、お前、言っておくがその主張が真っ当と言えるのは論理的な効率、という一面だけであって、倫理的道義的にはどこに行っても微塵も真っ当とは扱われないからな?」
こそこそ小声で話していた仲間たちは、エリュケテウレに鋭く冷ややかな視線を向けられ、びくりとして口を閉じる。いつものことながら、この人の冷たい視線は、こちらの精神力を削ってくる。
十万の邪鬼の眷族たちをなんとか殲滅した翌々日、自分たちがあてがわれた病室(ネーツェもここに押し込まれた。問題がないか経過を見るとかで。一度も医師らしい人が来たことはないのだが)で朝食を取っていた時に(食事は持ってきてくれる人がいる。その代わり、できるだけ部屋から出ないようにと釘を刺されるし、会談前には見張りらしき人までいる)、エリュケテウレは突然やってくるや、この調子で話し出したのだ。
「さっそく用件を申し述べさせていただきます。――新たな依頼の発令です」
「はぁ……」
「依頼……ですか」
「でも、なんの?」
ジルディンが首を傾げるや、いつもの零下の一睨みと、峻厳な声が飛んできた。
「冗談でおっしゃっているのなら、ご自身の感性の再検証をなさることをお勧めします。この状況下で、邪鬼・汪への対応策の一環でない依頼が、あなた方に下されるとお思いですか?」
「だっ、だって俺らずーっとほっぽっとかれたじゃん! なんかもうそっちの方カタついちゃったのかなーとか思うじゃん!」
「………放っておくという形を取らせていただいたのは、そちらの方があなた方がくつろげると考えてのことです。特に処置を施す必要はない、というより処置を施せば回復が遅れるという状況で、施術者を出入りさせる必要はないでしょう」
「え、そーなの?」
「加えて申し上げれば、あなた方の心身の状況については常に専門の術者が遠距離から精査していました。なんらかの異常が検出されれば、すぐに対応されたはずです」
「……僕は気づいてたからな、言っとくが」
「俺も……確かめたわけじゃなかったから、そんな気がするかも、程度だったけど」
「え、じゃあわかんなかった術法使いって俺だけ!?」
叫んでベッドの上で飛び起きかけるジルディンに、再度冷たい視線が投げかけられる。
「依頼の発令、という私の言葉をご記憶いただけていますか。一般的な冒険者に対する依頼は、ほとんどの場合『可及的速やかに』依頼が達成されることを前提とされていることを、まさかご存じないと?」
「え、そーなの……むぐ」
「お前いいからちょっと黙ってろ! はいもちろん承知してますです、依頼の話を進めましょう!」
大慌てでジルディンの口を塞いだカティフがへこへこ頭を下げながら言うと、エリュケテウレは冷厳とした面持ちのままうなずいた。
「了解いたしました。――あなた方には、今回……ギルドといたしましては、一回の探索行で依頼が達成されるとは考えておらず、二度三度と帰還しては出発するのを繰り返すことも想定した上で、少なくとも目的を果たすまでを『今回』の依頼とさせていただきますが……邪鬼・汪の居場所を突き止めることを依頼したく存じます」
「………居場所?」
「はい。邪鬼・汪について、我々が入手出来ている情報は、ほぼ皆無と言ってよいでしょう。その出現の端緒をつかむことができてから、まだ十
「え!? 邪鬼って、俺たちのためにあの十万の眷族よこしてきたわけ!?」
「まだ推測の段階でしかありませんが、その可能性はそれなりに高い、と我々は結論付けました。邪鬼・汪の活動範囲がゾヌの近辺である可能性は極めて高いにしろ、小村をひとつふたつ眷族に襲わせる程度の活動しかしていなかった十
「ええぇぇ……」
「うおー、すげぇな。あの十万俺たちなんぞのために差し向けてきたのか。ならよけいに巻き添え出さずに撃退できてよかったよな、迷惑はよそにもかけちゃったけどよ」
「そ、それは、確かに……そういう段階の問題でもないとは思うが」
「………たとえそうだとしても、邪鬼・汪がその程度の理由で十万という大群を動かすことができる、そのこと自体が大きな問題です。早急に対処しなくてはならない存在であることには、変わりはありません。そこで、我々は、邪鬼・汪の行動原理を探るためにも、あなた方にゾヌの外で、積極的に邪鬼・汪の居場所、根城についての手がかりを探っていただきたいと考えたのです」
「え? それって……」
「つまり……我々に、邪鬼・汪に襲われるための囮になれと?」
「あー、囮作戦か! ……え、いやあの、それって、街を離れた場所でまたその十万の大群に襲われでもしたら、今度こそ俺たち死ぬのでは………?」
「……我々が、あなた方を、邪鬼・汪への対応策における切り札として考えていることは、現段階でも変わっておりません。なので、あなた方の安全対策については、なしうる限りの処置を取らせていただくことにいたしました」
「え……ど、どーいう意味?」
戸惑い気味のジルディンの問いに、エリュケテウレはきっ、と苛烈な眼差しを返し、きっぱりはっきり、殺気すら感じられる声音で断言した。
「金で大陸各地から最高の護衛を雇い、あなた方にあてがいます」
* * *
「……身も蓋もねーよなー」
「俺ら冒険者なのにな。普通は護衛する方をやるよな、いくら俺らが底辺冒険者でもな」
「底辺冒険者だからこそそんな状況にゃ普通縁なんぞねぇよ。なんつぅか、本末転倒感がすげぇよな……」
呆れたり、困惑したり、それぞれの表情で『どうかと思う』と告げるジルディンとヒュノとカティフに対し、ネーツェは「僕は妥当な作戦だと思うぞ」と肯定的だった。
「僕たちの実力がこの依頼に不足しているのは間違いない。だが、それでも邪鬼・汪に対する鬼札となりうる存在なのは、これまでの二度の依頼で証立てられたわけだ。それならできる限り強力な護衛をつけて戦力の底上げをしよう、と考えるのは戦術的に真っ当な思考だろう。ゾヌの持つ『豊富な資金力』という強みを、存分に活かせる方法でもある」
「そんなもんかねぇ……ロワはどう思うよ?」
「えっと、俺は……その護衛っていう人たち次第かなぁ、と思うけど」
「え? なに、どーいう意味?」
「だってさ、あの十万の眷族が襲ってきてから、まだ二
「それは……」
「まぁ、確かに……」
「普通に考えて、とりあえず連絡のつく、転移術ですぐに人を集められる範囲から、たまたまその場にいた人間を集めたってことになるから、護衛の質だってそれなりぐらいってことになるだろう? それならまぁ、一緒に仕事をするってことでいいんじゃないかって俺は思うけど。そんなに構えることもないかな、って」
「うーん……ま、それもそっか! ていうか、会ってみる前にあれこれ考えてもしかたねーよな!」
「それもそーだなー。まぁそれなりぐらいっつっても、冒険者としての格は俺たちより上だろうけどよ」
「というか俺たちより格下の冒険者ってどこにいんだよ、って感じだしな……」
などと話しつつ、目的の会議室にたどりついたので、ネーツェが進み出て軽くノックをする。エリュケテウレから出立前にこの部屋で打ち合わせをすると言われたので、与えられた寝巻から慌てていつもの擦り切れた服に着替え、武器防具を身に着けてやってきたわけだ。
中から「どうぞ、お入りください」とエリュケテウレの淡々とした声が返ってきたので、ネーツェが扉を開けながら入室の声をかける。
「しつれ……」
そしてその声は、途中で凍りついた。中にいる人々――扉の外からはまるで気配の感じ取れなかった人々から、圧倒的な圧力が押し寄せてきたのだ。
中にいる人間は、エリュケテウレをのぞき全部で四人だった。男が二人、女性が二人。全員視線を交わさず瞑目していたこととお互いに向ける意識の気配からして、おそらくパーティを組んではいない。
女性の一人は森精人。座りながらも自然の枝を削って作ったと思しき、幾重にも呪文や呪紋を彫り込んだ長杖を離していないことから、おそらくは精霊術使い。その長杖からも本人からも、側にいるだけで圧倒されるほどの異常に強烈な魔力が放射されてくる。
もう一人の女性は虎人。座った体勢でも驚くほど背が高いのが見て取れる、明らかな前衛職だ。武器は持たず、意匠化された獣が彫り込まれた手甲と足甲、それもおそらくは神聖金属製のものを身に着けていることから、普通に考えて格闘家だろうとわかる。こちらは魔力ではなく、練り込まれた気力――ほとんど物理的な圧力さえ感じる殺気に似たものを、静かに、けれど鋭く周囲に振りまいていた。
男性の一人は鬼人。その巨躯にも余るほど巨大な大斧を背負い、総身を板金鎧で包んでいる。それらもたぶん神聖金属製。兜を着けているので顔は見えないが、周囲にぶつけてくる気迫は異常の一言。敵意や殺意を感じはしないが、その姿を見ているだけで息ができなくなりそうだ。
男性のもう一人は元人。金属の杖、魔法陣の折り込まれた長衣と、見るからに魔術師という姿。一見したところごく普通の中年男性という顔つきだし、周囲になにかを投げかけていたりもしない。だが、その気配は明らかに異常だった。見るだけで、そばにいるだけで、ありとあらゆる力が『吸われる』と感じてしまう気配。存在を感じるだけで活力が失われる気配。人ではなく吸精鬼であったとしても、こうも思考も想いも根こそぎにされそうな気にはなるまい。なにもかもを呑み込まれてしまう気にさせる異様な気配に、立ち上がれないほど打ちのめされた気分になる。
そんな四人の中で、エリュケテウレはまったくいつもと変わらない冷たい無表情でこちらを眺めやり、「どうぞお入りください、と申し上げたはずですが」と言ってのけた。その異常な胆力、あるいは生命力に、思わず尊敬の念を覚えると同時に気圧されそうになるが、この状況で逆らうことなどできるはずもない。揃って硬直している仲間たちを肘で打ち、あるいは無理やりひっぱって、部屋の中に入る。
扉を閉じたのちも、用意された椅子に座ることもできず突っ立っている自分たちに、エリュケテウレはやはりいつもと変わらない無表情で、「どうぞ、おかけください」と言ってきた。正直この四人と同じ卓を囲むと考えただけで震えがきたが、やはり逆らうことはできないので、まだ固まっている仲間たちを無理やりひっぱって一人一人椅子に座らせる。
四人の異常なほどの達人は、それでもこちらを見もせず無言を貫く。仲間たちをちらりと見やり、いまだ硬直したまままともな反応ができていないのを見て取って、嫌々ながらびくびくしつつも、おそるおそる問いかける。
「あ、の……打ち合わせ、ということ、でしたけど……具体的には、どういう、ことを、打ち合わせるんでしょうか?」
「………ほう」
鬼人の戦士が、低い唸り声を上げつつ、ゆっくりとこちらに向き直った。虎人も元人も森精人も、ロワに視線を集中させてくる。うわぁなんだなんだなんでこうも見られてるんだ、とうろたえ慌てつつ、必死に平静を装って言葉を続けた。
「あの、とりあえずの目的地をどこに定めるか、っていうことでしたら、俺たちの方には特に意見するに値する話はないので……これまで手に入れた情報はすべてギルドの方々にお話ししましたし、少なくともその中には目的地を定められるような情報はなかった、と思いますし。それとも、それって、俺たちの勘違いだったりするんでしょうか?」
「………ほう」
鬼人が再度唸り声を上げ、元人の魔術師がじっとこちらを注視し、森精人の精霊術師がこちらに意識を向けながら目を閉じる。そして虎人の格闘家は、その纏う殺気に似た気配をロワに叩きつけながら、ゆっくりと口を開いた。
「小僧。お前、女神の加護を受けているな?」
「えっ……い、いえ。受けてませんけど」
「なに?」
虎人はぎっ、と心臓に刃を突き立てられたような気分になるほど鋭い視線でロワを睨みつけてから、ちらりとエリュケテウレの方を見る。エリュケテウレは、軽くうなずいて、いつもとまるで変わりのない、淡々とした声音で無言の問いかけに答えた。
「事実です。彼――精霊騎士のロワ殿は、女神の加護を受けてはいません。これは消耗した彼を診察する際に、何人もの人間が探査術式によって確かめた、ほぼ間違いないと言っていい情報です」
「……なんだ。本当に加護を受けてないのか」
空気にそぐわない、ちょっときょとんとした声で虎人が呟く――や、それまで息もできなくなるほど部屋の中に満ちていた種々の圧力が、一瞬で霧散した。
「………えっ?」
「いや悪い悪い! 十万の大群を撃退した女神の加護を受けた若い冒険者、っていうんでどれくらいやるのか確かめようってことになったんだよ。さっきみたいに軽く威圧した時の反応次第で、いざって時にどれだけ動けるかはわかるからさ。でもまさか女神の加護を受けてない子に威圧を集中させちまってたとは思わなかった。すまないね」
朗らかな笑顔で軽く頭まで下げてくる虎人の女性に、さっきまでの圧力の気配はない。鬼人もその兜を脱ぎ、傷だらけのごつい顔に意外と人好きのする笑顔を浮かべて笑いかけてくる。
「まぁ、護衛対象とはいえ、今回の依頼は特別だしな。いざって時には一緒に戦ってもらわなきゃならねぇとなると、もうほとんど一緒に仕事をするって言っちまっても差し支えねぇだろ。そういう相手の勝負度胸を確かめるのは、それなりの腕になってからはもう習い性になっちまってるもんでな。別にお前さんたちを脅すつもりはなかったんだ」
そこに森精人の女性がからかうような笑みを浮かべて言ってくる。関係ないが、この人、上から下まで余すところなく、ケチをつけるところがない感じの美人だ。
「あら、私は脅すつもりだったけど? 曲がりなりにも邪鬼を倒そうって時に、この程度の圧力で動けなくなるようじゃ足手まといにしかならないもの。たとえ相手に有効打を与えられる、得難い能力を持っていてもね」
元人の魔術師が、そこに穏やかな笑顔を浮かべながら気軽な調子で問う。さっきの命を吸われるような異様な気配は、あっさり雲散霧消していた。
「それなら、君としては彼らは、共に旅をするに足らず、仲間失格、ってことになるのかな? 正直心ならずもこの企てに参加した身としては、罪悪感を感じてしまうんだが」
その言葉に、他の三人がいっせいに吹き出す。
「あんたがそれを言うかい!」
「あそこまで異様な気配を振りまいていたのはどこのどなた? あれじゃ、たいていの神官には、邪神の眷族って判断されてしまうわよ」
「どう見ても心底乗り気だったとしか思えねぇぞ!」
「いやいや、間違いなく心ならずもだったとも。私は曲がりなりにも教授職にある者だからね、若者をいじめるのはそれほど好きではないんだ」
「それほどとか抜かしてる時点でうさんくせぇし疑わしいっつーの!」
それぞれの表情で笑い合う四人を呆然と眺めながら、ロワは半ば無意識に問いかけてしまった。
「あの……仲間、だったんですか、みなさん……?」
最初見た限りでは、『仲間同士』という印象は受けなかった。もちろん、圧力をかける演技に完全に騙されていた自分の言えた台詞ではないとわかってはいるが、ロワの習った召霊術では、〝縁〟の相を観ることも霊を喚ぶ者の役目のひとつだったので、そういった気配を読み解くことにはそこそこ自信があったのだ。
そんな悔しさから反射的に問いを漏らしてしまっ(てから慌て)たが、四人の達人はこだわりなく、互いの笑顔を見合わせてみせる。
「仲間ってほどの関係じゃないけど。ただ、顔見知りではあるわね」
「私たちくらいの腕の人間は、大陸でも少ないからねぇ。どうしてもこういう時には担ぎ出されるし、自然お互いの顔と名前も覚えるものさ」
「戦場で協力して敵を倒したことはある、ぐらいの関係だな。巡り合わせのせいで、こんな風に、まともにゆっくり顔を合わせて話をしたのは初めてだが」
「私たちに回されてくるような仕事は、どうにもならなくなった事態に対する救援がほとんどだからねぇ。長くかかる仕事なんて、このぐらいの年になってからはしたことないし。まぁ、私たちをそれほどの長時間拘束できるだけの報酬をぽんと払える、ゾシュキーヌレフの資金力がどれだけ図抜けているかって話だねぇ」
「どうぞ、ゾヌとお呼びください。報酬を支払う側の立場ではありますが、我々は皆さまに伏して請い願いお越しいただいた立場である、ということは末端の職員にまで周知させておりますので」
「そうかい? それはどうも、お心遣いありがとう」
「商人の国らしい言い草だこと。まぁ、そういう立ち回りで貯めたお金を、たっぷり搾り取れる私たちからすれば、『私たちのために必死に働いてくれてありがとう』と言うべきなのかもしれないけど。研究資金が助かったのも確かだしね」
「ひっでぇ言い草だな。まぁ助かったのは俺もだが。旅先で行き会った村を助けたりしてると、とんでもねぇ額の金が一気に吹っ飛んでくからなぁ」
「おいおい……まったく、そんな真似をしてるから、〝無尽〟なんて二つ名をつけられちまうんだろ? どんな弱い奴だろうと、自分の面倒は自分で見させなよ。あとあと厄介事を呼ぶことくらい、わかるだろうに」
「なぁに、俺は自分の好きなようにしてるだけさ。ここまで長生きしたんだ、好きな時にしたいように振る舞えねぇで、生きてる甲斐なんてねぇってもんだろう?」
「はは、まぁ正直気持ちはわかるけどねぇ」
「………〝無尽〟のタスレク?」
ぽつん、とネーツェが、おそらくは無意識に漏らした言葉に、呆然としていた仲間たちはどよめいた。
「む……〝無尽〟のタスレクって、まさかあの、大陸でも有数って言われてる、戦士の? フェデォンヴァトーラで最強の戦士を決めようって時には必ず名前が出てくる? 今から数えて、えっと……二十七代前の邪鬼の軍勢の襲撃から、三日三晩コンケィザオス王国首都を護りきった、あの? え……本気で?」
「え、ホントかよ、嘘だろ、本気の話かそれ? 俺だって名前もやったことも知ってるぐらいの人だぜ?」
「それだけじゃない……〝無尽〟のタスレクに並び立つ虎人の格闘家といえば――」
「〝絶閃拳〟のグェレーテ」
虎人の女性――グェレーテがさらっと告げた言葉に、仲間たちは再度どよめく。ロワ自身、予想はできないでもなかったが、あまりの高名さに言葉を失った。
「別に自分から言うほど好きな二つ名ってわけじゃないが、二つ名なんてものを、ああだこうだと探られるのも好きじゃないもんでね」
「そうね、それは確かに。……では、私も告げておきましょう。私の名は〝森羅精生〟のルタジュレナ。ルタジュレナ・フォエトム。他にいくつかある二つ名の中では、〝ヌーベィコソンの神女〟というのが一番気に入っているわ」
「それじゃあ私も。〝天地一人〟のシクセジリューアム。魔術師の子には、流波導学部学部長、という役職名の方が通りがいいかな?」
『………!』
「ちょ……誰も彼も、本気で長老級、英雄級の人じゃん! 俺でも名前とやったこと一致するよ!」
フェデォンヴァトーラにおいて、その人間の寿命を決めるのは人種でも特殊能力でもない。その人間が磨いた、心身の、そして魂の制御能力だ。
体を鍛え、精神を錬磨し、魂を高次の段階へと押し上げる。技術を磨きながらそれを振るう身魂を鍛え上げるのは、自身の腕一本で食べていこうとする人間なら誰でも多かれ少なかれやっていることではある。
だが、寿命を伸ばす――数
要するに、厳しい鍛錬を積みながら、冒険者として全力で活動するような真似を、命も魂も賭け金に乗せた上で、全身全霊を懸けて、何十
すなわち、極度の長生きは、その人間がなんらかの分野の達人であることと同義であり、多くの場合大英雄であることも包含する。そして、この四人は、そういった達人にして大英雄たる、人間という種の長老格――千
それが、実力も名声も世界最高位の人々が、自分たちの護衛をする? あまりにおかしすぎる話だ。意味がわからない。そんなことをゾシュキーヌレフの冒険者ギルドは、ゾシュキーヌレフの国府首脳陣は、本気でやらせるつもりだ、と?
「……ゾヌの国府は、こちらの方々に、一人につき一兆ルベトを前金としてお支払いしました」
『――――!!』
「ちょ……兆!? 国家予算から払うにしても、いくらなんだって……! そんな国家予算としても大金すぎるほどの大金、護衛の報酬として支払うっていうんですか!?」
「国家の安全保障のため、必要な経費であると判断されました」
「経費って……!」
「考え違いをされてはいらっしゃらないですか、皆さま。数
「っ………」
「どんな人間であれ、そのような状況を防ぐためならば、できる限りのことをしようと考えるのはごく当たり前のことではないかと存じます。こちらの方々をはじめとした、大英雄の方々に仕事を依頼するに足るだけの金を集めるために、寄付金を募るのも、その寄付金にできる限りの金を払うのも、〝当たり前〟の範疇ではないかと。そして、この街は、この国は商人の街です。『できる限り』の資金をはたいて寄付をした人々が多ければ多いほど、集められた資金が天井知らずに高くなるのは、至極当然のことではないかと思われるのですが」
「…………」
理解していた。しているつもりでいた。だが、なんというか、甘く見ていたのは否めない。
自分たちは当事者の一人だから、今回の一件の重大さについてはよくわかっているつもりでいた。ただ、どこかで、『自分たちでなんとかなる範囲の仕事だった』という意識があった。自分たちのような底辺冒険者でもなんとかなったのだから、街が、国が亡びる瀬戸際とかなんとかいっても、そこまで切羽詰まった話ではなかったのだろう、などと――要するに、『なめて』いたのだ。
だが、エリュケテウレをはじめとしたギルドや、ゾシュキーヌレフの国府上層部の人たちにとっては、のみならずゾシュキーヌレフ一千万の人口のほとんどにとっても、本当に人生そのものが危うく無に帰すところだった、と認識せざるをえない大事件だったのだ、というのが、今のエリュケテウレの言葉でようやくはっきり認識できた。
その状況をひっくり返したのが、まだまだ駆け出しでしかない一冒険者、というのも不安をそそったのだろう。二度とそんなことのないように、一駆け出し冒険者の幸運にすがらなくとも、命と生活を守れるように、自分のできることをしようというのは、当然の話だ。
そのために持てる金――自分たちの人生が積み上げてきた強みをはたこうとするのは、当然というか、冒険者にとっては死活問題にかかわりうる、重要にして一般的な思考だ。そういう人々がいなくては冒険者の生活は成り立たない。その人たちの代わりに命を懸けることで、自分たちは生きるための糧を得る金を得ているのだ。
そして、この四人の大英雄の雇用というのが、そういった思考に基づき、お偉方が全力を尽くした結果なのだろう。二
――つまり、自分たちの振る舞いには、旅の中の一挙手一投足には、それ相応の責任が伴う、というわけだ。
思わずずーんと気を重くするロワにかまいもせず、エリュケテウレはきっぱりはっきり、鋭利な刃のような声で言い放つ。
「出発は明日。それまでに、あなた方にはこちらの方々と、できる限り連携を取れるようにしていただく思います。英雄級の方々であろうとも、傷つけることのできない相手。それを効率よく、安全に狩れる方法を、あらゆる手段を考慮に入れた上で模索してください。少なくとも、現段階では、敵を害することができるのはあなた方だけです。英雄級の方々に護られるのではなく、英雄級の方々を使うという心構えで臨んでいただきたい、と我々は考えております」
「っ―――」
「えっ……いや……本気で?」
「俺らに、この人たちを、使え……って?」
四人の英雄たちはからかうように笑みながら、自分たちを見つめてくる。それを堂々と従えながら、エリュケテウレは告げた。
「はい。それが、私たちからあなた方への、今回の依頼です」
―――そして気がつくと、神の世界にいた。
「……………」
光に満たされた世界。見渡す限り続く輝く雲海を足下に、陽の光よりも眩しい黄金色の光がどこからともなく降り注ぎ、空気そのものすら娟麗に煌めかせている。
なびく瑞雲は一筋はきらきらしい五色、もう一筋は輝かしい空間を典雅に引き締める紫色。その二筋の雲に挟まれた、雲が高台を形作っている場所に、一人の女性が立っている。
女神と呼ぶにふさわしい美貌に引きつった笑みを浮かべ、ぎこちなく手を振るその仕草は、ほとんど叱られた子供じみていたが、それでもその壮麗なかんばせにはなんの翳りも見えなかった。
「ど、どうも~………」
「……どうも……」
どういう反応をすればいいのかわからず、ぺこりと頭を下げるエベクレナに、こちらもぎこちなく言葉を返す。我ながらみっともないと思いもしたが、エベクレナの方も反応に迷っている感が満載で、気にはされていないようだった。
「えっと……ですね。その……たびたび呼び出しちゃって、すいません本当……というか、何度も何度も呼び出したあげくに勝手にぷっつんして強制退去させるって、扱いひどすぎますよね……その、本当に申し訳ありません……」
「い、いえ、その、それは別に……こちらの言い分もずいぶん身勝手だったな、って後から考えると思いますし……」
「は!? どこがですか!?」
「えっ」
エベクレナがきっとこちらを睨みつけてくる、と同時にいつもの調子でずだだだだと言葉を投げかけてくる。勢いも潤んだ目も口を挟む間もない早口も、まったくいつも通りの反応に困る、(見た目は本当に文句のつけようがないほどに)美しき奇行だった。
「誰がどう見ても神対応としか言いようがなかったじゃないですかあの台詞! 勝手にどーしよーもない自分語り始めた夢主に、怒らず嫌がらず心から受け入れて、その上あの対応とか! 華麗なまでの攻略ムーブに、正直あとで何度も思い出してのたうち回りましたよ!」
「え……」
「ええはい正直これ自分で言っててドン引きですけどね! でもここじゃどうやったって嘘つけませんし! もうついでだから言っちゃいますと夢主変換アプリであの状況再現したイラストとか作って、もう何度も奇声あげながら悶絶したりもしました! 正直そのあと死にたくなったりもしましたけどね!」
「え、いやあのだって、あの時『無理』とか言ってましたよね……? 俺の言い方が気に障られたのかな、と……」
「いやそのそういうわけじゃなくてですね、だってどうあがいたところで私は夢主というわけではなく
「はい……?」
「だからその、私が存在として邪魔だっただけで、対応としてはまさに神としか言いようがなかったですよあれ! 当たり前じゃないですかありがとうございます! ああいうことを真面目に真摯に女子に言ってのけちゃう一面もまた推せる……! 地味カワなのにいざという時には完璧紳士&主人公とか鉄板すぎないですかってレベルです! まぁ男友達というか仲間には口調からして粗雑というか、気のおけない対応してるとこが尊みしか覚えなくもあるんですが!」
「……はぁ……?」
いつもながらなにを言っているのかよくわからないが、とりあえずエベクレナが口を閉じたので、話を先に進めようとロワは周囲を見回した。
「えっと……今も、神々の機構をつかさどる方々は、俺たちを監視してるわけですよね?」
「え、あ、はい。その話覚えててくださったんですね。はい、今回あなたをお呼び立てしたのも、前にお話しした、異常を見つけ出すための検査の一環というやつでして……これからしばらくは、毎晩夢の中でこんな風に呼び出してしまうことになると思います……すいません」
「いえ、それは。俺もどうしてあんなことが起きたのか、調べてもらった方が助かりますし」
「そう言っていただけると、ありがたいんですけど。……ええと、ですね。それで、その。調査の一環、というやつでですね……」
「? はい」
「あの、新しい、というか……私以外の神の眷族を、ここに呼び出したい、ってことなんですけど。なにか、あなた的には、不都合な点とか、ありますでしょうか?」
「新しい……?」
ロワはわずかに眉を寄せて首を傾げる。とたんなぜかエベクレナは、ばっと顔を覆い目を伏せた。
「え、あの、大丈夫ですか……?」
「大丈夫です、問題ありません。単に今日も推しの顔がよくて眩しさに耐えきれなかっただけですので。つやつやぷりぷりのお肌に皺が寄るとこの線と質感が圧倒的すぎるとか、首傾げの角度の男子っぽさ辛抱たまらんとか思ってるだけですので」
「は、はぁ……」
早口で告げられた言葉はやはりよく意味がわからなかったが、とにかく話を先に進めるべく、ロワは考え考えエベクレナに問いかけた。
「えっと……その理由は、前に言われてた、『実験的にあれこれやってみ』るってことで、いいんですよね? 検査の一環ってやつで」
「はい」
「ここに新しく神の一柱を呼ぶってこと、できるんですか?」
「技術的には特に問題ないそうなんですけど、今回は検査なので……同意を得た眷族だけを、最初はウィンドウ越しに、何人か相手を変えつつ呼び出してみて、複数同時に呼び出すとかもやって、直接呼び出すのは最後の段階になるそうです。それまでにはなんとか原因を特定したいってことでしたけど」
「そんなに何度も呼び出される眷族の方も、けっこうな手間ですよね」
「まぁ、基本的には私たち神の眷族って、行けることが許されている場所になら、どこへでも瞬間移動的なことできますから、さして時間のロスないですし。それにちょっとですけど補助
「あ、お知り合いなんですか?」
「あー……はい。前にお話しした……というか、話すところを見られていた友人の一人で、あなたの仲間に『女神の加護』を与えている一人で……」
「あ……」
「勉学と智恵の女神、ギュマゥネコーセって人間には呼ばれてる人です。友達の間ではギュマっちゃん、で通ってますけど」
それはつまり、ネーツェに加護を与えてくれている――邪鬼の眷族の大群を打ち払う際に、ネーツェに降ろす英霊に眷族を差し向けてくれたのではないか、と話していた女神だ。
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