第12話 剣士出陣

 斥候役の人に先導されて馬を走らせること数短刻ナキャン。大通りのあたりはそこそこ人が出て騒ぎになり始めているというのに、先導のおかげで人通りのまるでない道を駆け足で走らせることができたので、街の外に出るまではあっという間だった。第七支部に詰めていた精鋭という、いかにもな古強者の気配を発散させている冒険者たちが言うには、その街の外に出てすぐという辺りが、他の支部の冒険者たちとの合流地点らしい。


「じゃ、とりあえず、ここで待機ってことっすかね?」


 ヒュノが馬上からそう口に出して問うと、精鋭さんたちは次々に馬から降りて手綱を繋ぎながら、くるりとこちらを向いて告げた。


「ああ。ギルドからの話じゃ、他の連中と合流までにはもうちっとかかりそうでな」


「お前を見定める時間くらいは、十分作れそうだぜ」


「へっ?」


 きょとんとするヒュノにも表情を変えず、精鋭さんたちはヒュノに馬から降りるよう促しつつ、慣れた仕草で武器を抜き、構える。その仕草からも、ヒュノにはこの精鋭さんたちの腕前のほどがよくわかった。


「俺たちが請けた仕事は、お前さんの護衛と援護だ。だから当然、お前さんがどれほどの腕を持ってるかについて、詳しく知ってなきゃどうにもならん」


「お前さんも、こっちの腕前を知っといて損はねぇだろう。力を使い尽くさねぇ程度の勢いでいい。御託より先に――かかってきな」


 その言葉に、ヒュノは一度目を瞬かせて――それからにかっ、と笑みを浮かべた。勢いよく馬から滑り降り、元気よく背中の剣を抜き放って叫ぶ。


「おうっ! よろしくお願いしまーっす!」




   *   *   *




 ヒュノ・ウクレオは、物心ついた時には、父と二人で旅の空の下にいた。


 なんで父が自分と二人だけで旅に出たのかとか、自分を産んだ母親はどうしたのかとか、そういうことを父に訊ねたことはない。わざわざ聞くのが気恥ずかしくもあったし、それ以上に、なんというか、『そんなことに気を回すのは〝余計〟だ』という意識があったのだ。


 父が、後から考えると今時よくまぁそんなことをしてのけたものだとも思うが、剣の道を極めんと、修行にひたすら打ち込んでいることをヒュノは物心つく頃には理解していたし、それでも剣の修行の片手間だけれども、自分を男手一つで育ててきてくれたこともわかっていた。


 なのでヒュノは、『自分は父親にとって邪魔者なのだろう』という意識を、なんとなく最初から持っていた。だから自分から父に、あるいは行き会った他人に、強いて何かを求めようという気はあまり起こらなかった。自分は生きているだけで、まともに飯を食わせてもらっているだけで恵まれているのだから、それ以上を望むのはひどいわがままのように思えたのだ。


 それは旅の中で、飢えに苦しむ人々を数えきれないほど見てきたせいかもしれないし、父がそんな人々からも、剣の腕を売る代わりにがっつり報酬を取り立て、自身とヒュノの食い扶持を確保するところを眺めてきたせいかもしれない。


 どちらにせよ、ヒュノは今現在与えられているもの以上のものを求めようとする意識が乏しい、放っておいてもずっと一人で遊んでいる、そして放っておかれたことに文句なんて言おうとも思わない子供だった。


 それが少し変わったのは、ヒュノが四歳になったある日のことだった。山籠もりしながらの修行をしていた父が、一人遊びをしていたヒュノに、ヒュノでも振り回せる程度の大きさの木剣を、ぽいと放って告げたのだ。


「かかってこい。稽古をつけてやる」


 ヒュノはぽかんとして、父さんはなにを言っているんだろうと戸惑った。これまで自分にほとんど話しかけもしなかった人が、どういう風の吹きまわしでそんなことを言い出したのか。父にとってなにより重要なものであるはずの剣を、ほんの子供でしかない、とても父の相手にはならないだろう自分に関わらせるつもりになったのか、ヒュノは驚くというより訝ったのだ。


 だが父に逆らうなんてことも、その頃のヒュノには思いつきもしなかったので、ヒュノは言われるままに木剣を取り、父に飛びかかった。


 ――そして、殺されかけた。


 父は剣を抜きもせず、鞘を振り回しもせず、素手でヒュノの木剣と対峙したが、それ以外に手加減はしなかった。厳しい修行で鍛え上げた剣士の力で、四歳児を全力で殴りつけたわけだ。そりゃあ死にかけて当たり前、むしろ本当に死なないだけ運がよかった、と今にしてみれば思う。


 だが、当時身も心も四歳の子供でしかなかったヒュノは、半死半生になって山のふもとの村に担ぎ込まれ、村の人々に看病されながらも、強い衝撃と恐怖を覚えた。『父さんは俺を殺すつもりなのかもしれない』と感じたのだ。これまで父と共に旅をしながらも父になにかを求めることもなく、なにを感じることも特になく、一人きりでぼんやりと生きてきたヒュノにとって、初めての強烈な恐怖であり、感情だった。


『死にたくない』と、ヒュノは思った。『父さんに殺されるなんて絶対にごめんだ』と思った。だが、ここが我がことながらよくわからないことなのだが、『父さんから逃げよう』とはこれっぽっちも思わなかった。


 むしろ逆というか、『父さんに殺されないように、生き延びられるように、強くならなければ』というように、当時のヒュノは考えたのだ。今から思うとその理屈はおかしい気もするのだが、四歳だったヒュノなりに、大真面目に、そして必死に、生きるための方法を考え抜いて達した結論だった。


 ヒュノが起き上がれるようになり、おおむね元通りの元気を取り戻した頃、父は山から下りてきてヒュノの前に現れた。無言ではるか上から自分を見下ろす父に、ヒュノは真っ先に言った。


「父さん、おれに剣をおしえて。どんなことでもやるから、おれをつよくして」


 その言葉に、父はわずかに目を見開いてから、小さくうなずいた。――そしてそれから、地獄のような特訓の日々が始まったのだ。




   *   *   *




「――はっ!」


 ヒュノの振るった剣は、一撃で相対する精鋭さんの剣を弾き飛ばす。こちらの構えに応じて相手が構える瞬間の、意識の陥穽、気のゆるみを衝く、どんな剣士でも知っている先の先を取る技のひとつだが、今回はだいぶきれいに決まった。


 どよっ、と精鋭さんたちの間に声にならないざわめきが走り、表情が変わった。新米のお手並みを拝見してやるか、というくらいの雰囲気だったのが、一気に『鬼気迫る』という感じの気配に変わる。


 ま、それもそうか、とヒュノは構えながらこっそり肩をすくめる。自分が年齢的には若造でしかないことは知っている。そんな奴が立ち合いで明らかに年も腕も上に見える相手にあっさり勝てば、相手方はムキになるのが当たり前だ。


 実のところ、ヒュノは人――父ではない人間と剣を交える時には、『相手より強い』ということがほとんどだったので、そういう状況には慣れている。自分で言うのもなんだが、ヒュノのように環境にも才能にも師と自分双方のやる気にも恵まれ、長い修行の時間を与えられた剣士なんぞそうそういないのだから、当たり前と言えば当たり前の話だ。


「次は俺だ」


 いかにも荒々しげな風貌の、おそらくパーティの特攻役なのだろう二十代後半くらいの男が、精鋭さんたちの中から飛び出して槍をしごいてみせた。ヒュノはにかっと笑って、「おう!」と答え、剣を構えて向き合う――が早いか、今回の精鋭さんは一気に踏み込んで、ヒュノの胴体めがけて槍を突き込んでくる。


 その動きが、ヒュノにはしっかり見えた。踏み込み、視線、筋肉の力の入る場所、技の入り、その他もろもろががっつりと。


 なので、対処はたやすい。こちらも相手の突きに合わせて踏み込みながら、剣を滑らせて受け流し、相手の突きの方向を変える。そのまま懐に飛び込み、足を軽く踏みつけて動きを封じ、喉元に鍔元を押し当てるぎりぎりでぴたりと止める。相手の気を揺らし、先に攻撃させて捌いて殺す、後の先の型通りにうまく決まった。


「っ……」


「勝負あった、で、いっすかね?」


 小さく囁くと、特攻系精鋭さんは思いきり顔をしかめて「くそっ」と忌々しげに吐き捨ててから、「俺の負けだ!」と叫んで両手を上げた。ヒュノはその両腕の動きがこちらに向けられないことを確認し終えてから、軽くうなずいて飛び退り中段に構え直す。


 次の相手もどこからでもどうぞ、と態度で示すヒュノに、精鋭さんたちは悔しげに顔を見合わせる。その中から、ずいっ、と矮躯にみっしりと鍛えられた筋肉を詰めたような体型の、やたら長くてごわごわした髭を生やしたおっさんが進み出た。ヒュノから五歩ほどの間を開けて、無言のまま両手で持った戦槌を悠然と構えてみせ、ヒュノを鋭い目で睨みつけてくる。


 お、こりゃなかなか強いな、となんとなく感じ取り、ヒュノもゆったりした動きで剣を構え直す。たぶん、この精鋭さんたちの中では一番強い戦士なのだろう。


 ただ(そういうことを思った通りに言うとうぬぼれてると思われるぞ、とロワに言われたので口には出さないのだが)、あんまり負ける気はしなかった。ヒュノのこれまでの人生の中で、誰より多く立ち合ってきた相手は、たぶんこの相手よりもはるかに強かったからだ。




   *   *   *




 ヒュノが物心ついた頃から、十転刻ビジン弱。その間中ずっと、ヒュノは、父と一緒に大陸のあちらこちらを巡り、修行に明け暮れた。


 まだ体が出来上がる前から、毎日毎晩木剣を振るい、型をさらった。そして一日刻ジァンに一度は父と立ち合い、そのたびに殺されかけた。


 最初は父と立ち合うたびに死にかけて数日刻ジァン寝込み、宿の人に余分に金を払って面倒を看てもらうということを繰り返していたのだが、そのうちに父も手加減、というか『一撃でこちらを打ち負かしかつ後を引く怪我をさせない攻撃』というもののやり方を覚えてしまったらしく、毎日毎日半死半生にされるという、普通に考えていじめのような目に遭わされる羽目になった。


 のみならず、父はどこに行くにしても自分を連れ歩く、というか供をさせるようになった。弟子扱いするようになったわけだ。


 父は山籠もりのみならず、方々の武芸者と尋常の立ち合いをしたり、教えを請うたり、道場破りしたり、同じ道場で一緒に修行したりしたし、他にも魔物退治やら山賊退治やらで実戦経験を積み重ねたり、術法使いと気のぶつけ合いをしたりしたが、そのすべてに自分は同道し、同じことをしたりすぐそばで父のやることを見取ったりした。


 なんで父がそこまでしたのか――ヒュノとしては、子供への愛情うんぬんという話ではなく、それこそ人生を懸けて剣の道に打ち込んでいた父が、時間と金と手間をかけてまで、ガキでしかなかった自分に剣を教え込んだのか、という意味合いで――は、正直、ヒュノにもさっぱりわからない。


『自分の剣を受け継がせたい』なんてのは、父なら『まだ剣を極めてもいない自分が受け継がせることを考えるなど不遜の極み』というように考えるだろうから違うと思うし。『自分のいつでも使える稽古相手がほしい』というのも、まともな稽古相手になるまで十転刻ビジン単位で時間がかかるようなガキ相手になにを言ってるんだ、って話だし。


 ただなんにしても、自分は命懸けで剣の道を極めようとする父の側で、否応なく命懸けで、父と同じくらいには剣を極めなくてはならない環境で育ったのは確かだ。


 そしてその生活は、一転刻ビジンと少し前、唐突に終わった。父が尋常の立ち合いを申し込んだ相手に、あっさりと殺されて。


 その勝負には罠もごまかしもなく、ごくごく真っ当な剣による果し合いでしかなかった。単純に父よりも相手の方が腕が立ち、かつ運がよかっただけ。そんな当然すぎる理由で、父は負けて、殺された。


 ヒュノの父は、ヒュノになにか言葉を残すこともなく、死を予感していた様子もまるでなかったのに、唐突にあっさりと簡単に、死んだのだ。




   *   *   *




 それから一転刻ビジン経って、今自分はこうして冒険者をやっている。


 そんな自分の現状は、実のところ半ば以上成り行きに任せたもので、それまでの人生がこれこれの影響を与えているせいでこうなったのだー、という気はあんまりしないのだが、『仕官する』という自分の現在の目標は、父のごくあっさりとした、そして武芸者としては尋常で当たり前な死に、拒否感を覚えたからというのはあるかもしれない。


 それまでの人生を父に付き合って、父に殺されないように修行に費やしてきた自分だが、父がいなくなった後も同様に修行に費やす気にはなれなかった。いやちょっとやってみようとはしたのだが、あまり身は入らなかった。


 どうせならこれまでに身に着けた剣の腕を使って、気楽に安楽に暮らす方がマシに思えて、仕官を目的に冒険者になったのだ。……その結果、ちょっとばかり剣の腕があったところで、ほいほい安楽に暮らせるようになったりはしない、ということを思い知らされたわけだが。


 そんなこんなもあったので、ヒュノは、自分でも考えが浅いなーとか、俺ってバカだよなーとか、ちょくちょく思うことがある。それくらい、自分は人生経験の浅い、未熟者だと自覚していた。


 そのため、父と旅をしているさなかはいつもそうだったように、基本いつも下っ端根性を全開にしているというか、どんな相手に対しても、自分が目下の相手だと思われるようにふるまうことが多い。そういう扱いが自分には相応だと思ってもいる。


 なので、めったに気づかれることはないのだが――たぶん自分は、たいていの剣士よりも強い。


「っ――」


「ふっ!」


 ムキムキ矮躯の精鋭さんが、構えた戦槌を動かそうとした瞬間に、ヒュノは相手の懐に飛び込み突きを放つ。先々の先、相手の攻撃の起こりを捉えて放つ技法だ。


 これは基本的に格下相手に使う技で、格上や同格の相手に使うと、たいていはあっさり打ち負ける。相手はもう攻撃態勢に入っているのだから、相手の気勢を呑み込み、間隙を見極めて打ち据えられるだけの力の差がなければ、打ち込む隙を相手に晒すだけになってしまうのだ。


 ヒュノの技量は、そこまでこの精鋭さんと隔絶しているわけではない、とヒュノ自身理解している――が、それでもヒュノは『できる』と思った。


 根拠は勘でしかなかったが、ヒュノのこれまでの人生で、『これはできる』という確信にも似た勘に任せて取った行動はたいてい図に当たる。今回もその例に漏れなかった。


「ぬおおぉっ!」


 精鋭さんはヒュノの一撃に合わせ、雄叫びを上げながら戦槌を振り回す。その軌道は的確にヒュノの脳を狙っており、かつこちらの攻撃を妨害する線を描いていた。自分の周囲の空間を制圧して敵の行動を制限する、一対一の立ち合いでは基本と言える技術だったが、数多の経験で錬磨されていることがはっきりわかる、美しささえ感じる一撃だ。


 だが、それも今のヒュノには、見えるし、辿れる。


「―――っ!」


 最初の突きの呼気そのままに、体を滑らせ流れを導く。相手の気を察知し、受け容れ、受け流し、呑み込む。


 精鋭さんの攻撃の軌道の隙間めがけ、相手の意識が向けられていない方向から、攻撃のしようがない間合いを見極めて、全力で突きを繰り出す。数えきれないほど繰り返してきた、鍛錬として積み重ねてきた動きだ。だからといっていつもいつも完璧にできるわけではまったくないのだが、この時は戸惑いなく、躊躇なく、乱れなく、できた。


「っ………、わしの負けだ」


 喉元に剣先を突きつけられて、精鋭さんは戦槌を地面に下ろし、両手を上げる。ヒュノはにかっと笑んで、軽く間合いを開けてから剣を鞘に納め、他の精鋭さんたちの方を振り返った。


「とりあえず、俺の腕前はこんな感じっすけど、わかってもらえたっすかね?」


 精鋭さんたちは、顔を苦々しげにしかめている人もいたし、驚き困惑している人もいたし、感嘆の表情をしている人もいたけど、全員揃ってうなずいてくれた。


「ああ……こりゃ、嫌でも認めねぇわけにゃいかねぇだろう」


「まだ若造ってより、小僧っ子って年頃の奴に、ここまでやられちゃあな……悔しいが、大した腕だ、小僧」


「どーも」


 にっかり笑って敬礼してみせると、精鋭さんたちはあるいはがりがり頭を掻き、あるいは苦笑して、肩をすくめてみせる。


「そんな腕前で、なんで駆け出し冒険者って扱いされてたんだ。意味がわからねぇな」


「それとも、女神の加護を授かったからそんな腕にまで成長したのか?」


「あ~~……」


 ヒュノはこりこり頭を掻きながら、ちょっと考えた。自分の腕の基礎になっているのは、間違いなく父との十転刻ビジンの修行の日々によるものだったが、女神の加護を授かって――というより、神雷しんらいと英霊憑依を経験して、腕の格が上がった気がしているのも確かだった。


 神雷しんらいという圧倒的な力を受け容れ、受け止め、受け流す経験も、英霊の心技体と心身を合一させ、圧倒されるほどの剣の腕を我が物として振るった経験も、この上なく身に沁みた。これまで見るだけ、想うだけだった剣の筋道に、腕を追いつかせることができるようになってきたのだ。ここ数日の稽古で、それを悟った。


 そこまで経験を身に沁みさせることができたのは、女神エベクレナさまのご加護に違いないとは思うものの、どこからどこまでがエベクレナさまのご加護なのかヒュノにはいまいちよくわからなかったので。


「ま、いろいろっす」


 とだけ言って、へらりと笑ってごまかした。実際、『よくわからない』としか言いようがなかったのだ。


 あの時、邪神の眷属と向き合った時、自分の剣にこの上なく強固な筋を通してくれたのは、エベクレナさまに捧げた、あの誓いだったことは間違いない。のだが、それをすべてエベクレナさまのおかげにしてしまうのは、なんとなく、エベクレナさま自身、あんまり喜ばない気がしたので。




   *   *   *




「……もうここまで来てやがるのか」


 同道した精鋭さんの一人が、呻くように漏らす。その言葉には絶望が色濃く漂っていて、依頼の成功失敗はともかくとしても、自分の力では現状をどうしたって変えられない、とその人が感じていることがわかった。


 まぁ、それもしょーがねぇよな、とヒュノは一人納得する。目の前の光景と、ギルドから渡された情報からすれば、絶望を抱かない方がおかしいというものだ。


 ゾヌの都市部分の外、いまだ都市化していない部分の領土は、数十ソネィオに渡りおおむね平たい土地が続く。地形的な理由に加え、造船や建築のために手近な場所の木材は使えるだけ使ったせいだそうだが、自分たちはゾヌを出てから二長刻クヤンほど馬を走らせ、その先の、豊かな森が広がり始める地点――他国との国境線の少し前、街道が通っているなら少し歩けば関所に出くわすだろうあたりの地域までたどり着いていた。


 そして、自分たちの目標である、『約十万のゴブリンたちの群れ』と遭遇した。見渡す限り、地の果てまで埋め尽くしているのではないかと思うほど、黒々と広がる邪鬼の眷属たちの大群と。


 相対距離はおおむね数十ソネータ程度。自分たちが森の際までやって来たちょうどその時に、この大群は森から浸み出してきた。それなのに、こいつらはこちらに目もくれず、一心不乱にゾヌへの最短距離を行進している。


「おそらくは、邪鬼・汪の命令をそのまま実行しているのでしょうね……さすがに邪鬼といえど、この大群と常時精神的に連結するような真似はできないのでしょう」


「眷属どもの衝動を抑え、状況を無視して、問答無用で命令に従えさせてる時点で、充分以上にとんでもねぇ相手だがな……」


「それよりなにより、この数だ。最初に話を聞いた時点で理解してるつもりじゃあったが、目の前にしてみると、圧巻の一言だな……」


「……しかも、こいつらはおそらく全員、普通の戦士にゃ傷ひとつつけられねぇ」


 重々しく呟き合う精鋭さんたちに、確かになぁとヒュノもうなずいた。


 はっきり言って、人間だってここまで大人数で集まっているのを見たことなんてない。しかも群れの大半はゴブリンやらオークやらだが、その中にちょびちょびオーガだのハッグだの、戦闘力の高い連中が混ざっている。こんな奴ら、よほどの軍事大国だって相手するのはまず不可能だろう。数と実力、双方において敗北を喫し、国ごと叩き潰されてしまうはずだ。


 だが、ヒュノはぐるぐる肩を回して、あっけらかんと言い放った。


「んじゃま、とりあえず端っこからちまちま削ってみますか! 一回俺だけで突っ込んでみますんで、おっ死んだりしないよーに、状況見計らっててもらえます?」


 精鋭さんたちの間に、小さなどよめきが走った。ムキムキ矮躯の精鋭さんが、重々しく、そしていぶかしげに聞いてくる。


「ヒュノ。お前、まるで動揺してねぇようだが」


「え? あー、まー、はい」


「そこまで自分の腕に自信があるのか? この大群に突っ込んでも、自分の腕なら生き残れると?」


「や、そりゃなんも考えねーで突っ込んだら死ぬと思いますけど、もともと俺ら、無理しないで生き残れる戦い方をするってのが前提じゃないっすか。進行を遅らせられたら最高だけど、ちょっと数を削れるだけでも御の字って感じの依頼でしょ?」


「それは、そうだが」


「しかもこいつら、邪鬼の命令だかなんだかわかんないすけど、基本よそ見しないでまっすぐゾヌに向かうのに必死って感じですし。なら横からちょっかいかけるくらいなら、雪崩を打ってこっちに向かってくるって可能性もそこまではないかなって思いますし。そーなったらなったで、必死に馬使って逃げて群れの進みを遅らせることはできるかなって思いますけど。こいつらの邪鬼の恩寵も、童貞の俺からすると、敵が基本砂よりもろくなるっつーおいしい状況にしてくれてるだけですし」


「……お前、童貞ってことに微塵も引け目がねぇんだな」


「もともと別に恥じゃないじゃないっすか。や、本当ならさすがに恥ずかしくはあったんすけど、もう慣れました」


「そ、そうか……」


「そんで、この大群も、俺の仲間の策がうまくいけば全滅させられるんだから、気楽じゃないっすか。やれるだけやったら逃げていいって、それでも全然問題ないってことなんすから。命懸けなのは確かでしょうけど、そんなのどの冒険でも一緒でしょ?」


 軽く言うと、精鋭さんたちは軽く目をみはって自分を見た。中でもムキムキ矮躯精鋭さんは、思いきり顔をしかめ、自分を睨むように見据えてくる。


「簡単に言うがな。オークだのオーガだのに、周り中から一斉に襲われても、貴様は死なんと言い切れるのか」


「まぁ、そんくらいなら。ホント、この邪鬼の恩寵を与えられた相手って、俺にとっちゃすんげぇ殺しやすいんすよ。邪神の眷属って武器使わないことの方が多いから、こっちの攻撃受けたり止めたりするのにも体使いますけど、普通なら分厚い皮膚やら筋肉やらで防がれてるとこでも、こっちは腕ごとあっさりぶった切れちゃうっすからね。もちろん俺よりずっと強い奴相手だとどーにもなんないんすけど、そこらへんは皆さんに横から助けてもらおっかな、って」


「……術式を大量にぶつけられたらどうする。簡単な攻撃術式でも、これほどの大群が放てば竜をも殺しかねんぞ」


「あー、確かに、そりゃヤバいっすね……けどまぁ、基本術法使いは先に殺しますし、ガタイのデカい敵とか使って、できるだけそいつらの視線切って戦いますし……それにいっくら大群だからって、術法使いがそこまで多いとも思えないですし。見た感じでもそうですし。万一大量に攻撃術式ぶちかまされたりしたら……まぁ、どーかできるだけ防いでくださいって、みなさんにお願いするしかないっすね」


「肝心なところはこちらに頼りきり、か……ふん、まったく大物なのか阿呆なのか」


 ムキムキ矮躯精鋭さんは、ふんと鼻を鳴らし、仲間の精鋭さんたちを見回した。


「仕方ない。こっちとしても一度受けた依頼だ。せいぜい死なないように、やれるだけのことをやるしかなかろう」


『……おうっ!』


 精鋭さんたちが低く声を揃えて武器を構えるのに、ヒュノはにかっと笑みを浮かべる。やっぱり精鋭って言われるだけのことはある、こんな大群を相手にしても物怖じしてない。それだけ冒険者としての矜持があるってことだろう。


 ヒュノ自身はどうか、と言われてみると、冒険者としての矜持というのはあんまりないかもしれない。というか、たぶんヒュノには矜持とか、誇りとかいう類のものはあんまりない。


 剣の修行に打ち込んだのは生き延びるためだし、冒険者として依頼を頑張るのは金のためだ。生きる道にこだわりがあるわけでもあんまりないし、成り行き次第では『踏み越えてはならない一線』もあっさり踏み越えるかもしれない、というくらい自分にはいい加減なところがある、とヒュノは自分を省みて思ってしまう。


 ――ただ、自分には、恩がある連中がいる。


 飢えに苦しんでいる時に、自分自身腹ぺこのくせに飯を分けてくれた奴がいる。この先どう生きればいいかわからない時に、道を示してくれた奴がいる。言いがかりをつけられて困っている時に、かばってくれた奴がいる。命の危機に、自分自身命を懸けて助けてくれた奴がいる。


 そういう奴らが仲間でいる以上、そいつらに恥じることはしちゃならないし、したくない。『あいつらに合わせる顔がない』なんて台詞、自分は死んでも言いたくないのだ。


「……いまさらあいつらと顔合わせたりしなくなるとか、つまんねぇもんな」


「? なにか言ったか?」


「いーえ、なんでも」


 ヒュノはにやり、と不敵に笑んで、剣を振り上げる。当たればほぼ確実に殺せる以上、とにかく攻撃範囲の広い、全身を使った薙ぎ払いが、大量の雑魚相手には最適解だ。


「んじゃ、行ってきまっす。生きて帰ってくるんで、援護よろしく!」


「おうっ」


「行ってこいっ!」


 精鋭さんたちから激励の言葉が返ってくるより先に、ヒュノは飛び出していた。見渡す限り敵、敵、敵という状況の中、怯えも惑いもなく、ただ自分がやるべきことのみを見据え。

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