第10話 襲来するものたちと契約交渉
「……なる、ほど、な」
「話はわかった。少なくとも、諸君の主張する話は、な」
リジ村にたどり着いた時から、この街に戻ってきて女神の加護を自分以外のパーティ面子が授かった時まで、簡潔かつ詳細に(聞きたがられた部分を詳しく解説する形で)告げたネーツェの話を聞き、ほとんどの幹部たちは険しい顔で黙り込んだ。
そんな中、エリュケテウレだけはいつも通りの冷厳とした顔で、淡々と業務連絡を行う。
「無事依頼を終えられたようで、なによりです。あなた方のご報告が真実であることが証立てられましたので、依頼は正しく達成させられたものと判断します。証明書類を発行しますので、それを五番窓口にて提出し、報酬をお受け取りください」
「お……おう」
「了解しました」
言いながらエリュケテウレはてきぱきと手元の書類にさらさらとあれこれ書き込んでいく。どうやら所定の書類をあらかじめ準備しておいたらしい。なんでこの状況下でそんな、というかそもそもこの人はなんでここにいるんだろう、もしかして見た目より相当年をくっていて実は幹部の一人だったりするんだろうか、などと考えながらその様子を見やっていると、エリュケテウレはさらさらと書類にあれこれ書き込みながら、すぱっと告げる。
「さて、それでは、新たな契約についてお話してもよろしいでしょうか。前回はとりあえず、一刻も早い依頼の達成を優先させていただきましたが、改めて聞かせていただきたいのですが」
「へ?」
「それは、つまり……」
「はい。仮称邪鬼・汪の一件が解決するまで、パーティの皆さまの貞潔を守り、邪鬼の討伐に全力で力を貸していただけるか否かを、お聞かせ願えませんでしょうか」
『…………』
思わずこっそり視線を交わす自分たちに、幹部たちの大半は重々しくうなずいて、じっとこちらを見つめてくる。圧力と迫力と威圧感に、下半身が震えだしそうな気分になったが、これはエリュケテウレの仕事だからなのか、口出しをしてこようとはしない。
エリュケテウレは、いつもの冷静な、淡々とした声音で、ただしその中に明らかな熱意というか、迫力というか、威圧感を感じさせながら掻き口説いてくる。
「申し訳ありません、ことがことですので――この街が滅びる可能性もそれなりにある案件にまつわる話ですので、このような形で契約締結を迫ることをお許しください。ですが、どうかご理解いただきたいのです。五日前、皆さまにご依頼申し上げた時には、邪鬼の恩寵についてはそこまで重要視されておりませんでした。ここゾシュキーヌレフはゾシュキア信仰の重要拠点の一つ、高位のゾシュキア神官も数多く存在し、達人と呼べるほどの浄化術の腕前を有する方々も少なくありません。その方々の御力をもってすれば、邪鬼の恩寵を浄化・無効化し、邪鬼の眷属たちを無力化することは難しくない、と考えられていたのです」
『あぁ~……』
なるほどとうなずく自分たちに(自分たちのパーティでは、今回の邪鬼の恩寵は弱体化と同義だったので、解除する方法をあれこれ考えようなんてまるでしてこなかった)、エリュケテウレはずいっとこちらに身を乗り出して、さらにこちらを圧迫しながら言い放つ。
「ですが、ここ数日で、ゾヌ近辺に斥候らしき邪鬼の眷属が送り出されてきているのを付近の哨戒の依頼を請けた冒険者が発見し、捕獲して連れ帰ってきたことで、邪鬼・汪の恩寵について詳しく調査する機会が生まれました。その結果――今回の邪鬼・汪によると思われる恩寵は、『解除することができない』ことが判明したのです」
『……へっ?』
思わずぽかんとしてしまう自分たちに、エリュケテウレはうなずき、身を乗り出す勢いをますます増して続ける。
「皆さまが驚かれるのももっともです。これまでの対邪鬼戦で集積されてきた資料においても、高位の神官の浄化術によってすら恩寵が無効化できない、という事例はほぼありません。なにゆえこんな事態が起きたのか、現在国府と図り、国外の研究機関に調査を要請中ですが、現在のところははかばかしい結果は得られていません。むしろ、研究員の個人的所感という当てにはできない情報ではありますが、『無効化できないのは、単純に恩寵を与えた邪鬼の能力が、こちらの術者とあまりに隔絶して優れているからではないか』――つまり、単純に、邪鬼・汪が強すぎるから恩寵を解除できないのではないか、という意見すら出てきています」
『え、えぇええ……』
いやそれってもしかしてすさまじくまずい状況では、と必死に事態を理解すべく視線を飛び交わすロワたちに、エリュケテウレはさらにずずいっと迫って宣告してきた。
「つまり、現状で、邪鬼・汪の眷属に対し、有効な攻撃力を有する冒険者パーティは、事実上皆さまのみ、ということになるのです。それゆえ、我々邪鬼・汪案件対策本部は、皆さまのお帰りをお待ちいたしておりました」
「そ、そっすか……」
「皆さまが持ち帰ってくださった情報は大変に重要なものです。吟味はもちろん必要でしょうが、皆様方が邪鬼・汪の恩寵を与えられた眷属たちを圧倒しうること、さらに邪神の眷属すら相手取り勝利された実績、どちらも我々にしてみれば、本案件初の希望が持てる情報に他なりません」
「お、ぉおぅ……いや、その、はい……」
「しかも、その状況でみなさんに、神々の加護が与えられた。これは、皆さまのことを、神々が邪鬼・汪に対抗するため人界に遣わせた希望であると、邪鬼・汪を滅すための決定的な切り札であると、そう考えるのも当然の帰結ではないかと。むしろそう考えない方が、不自然であり不合理であると思われます。その事実について、まずはご理解いただけますでしょうか」
「え……え、えぇ?」
「いや、あの、そ、そっすか……」
仰天しうろたえながら、間抜けな返事を返す。確かに言われてみればそうなのかも、と思うのだが、これまで自分たちにそんな発想はまるで存在しなかった。
なにせ一週間前には本気で、今夜のねぐらを得るための宿代にすら事欠いていた自分たちなのだ。冒険者としても底辺と言っていい階層にいた自分たちが、いきなり大事件の切り札になるとか、邪鬼を倒す希望になるとか、そんな発想があるわけがない。むしろそれは、自分たちにとっては、妄想夢想の類と扱うべきものだった。
だが、自分たちに感慨にふける暇も状況を冷静に考える暇も与えず、エリュケテウレはずずいっと近づいて口説いてくる。
「それで、皆さまとしては、どうお考えでしょうか? もちろん選択については皆さまの自由意思を尊重いたしますが、こちらといたしましては、契約をご決断いただけましたなら、条件に関してはできる限り、お望みに沿えるよう尽力させていただきたいと考えているのですが」
「お、お望み?」
「依頼時にお話しした段階では、報酬金額は契約を履行していただければ一千万、というところだったと思いますが……現状を鑑みて判断いたしますならば、一人一億までならば問題なくお支払いできるかと存じます」
ぶっ。
仲間たち(ロワも含む)が、揃って噴き出す。一億。一億? え、一億? え、それ本気で俺たちに払われる額なの? と仰天して狼狽しまくりながらあわただしく視線を交わす。
が、エリュケテウレはそんなこちらの様子など、まるで斟酌せず言葉を続けた。
「それ以外にも、士官の口をはじめとした就職に関する助力、通常は手に入らない文物等の譲渡、冒険の際に使用するポーションをはじめとした消耗品の無料支給等、一般的な段階の要求にはおおむねお応えできると思います」
「え、士官の口? 本気でか?」
「無料支給……」
「バカ、落ち着けお前ら!」
「それ以上をお望みということでしたら、改めて交渉から始めることになるとは思いますが、こちらとしましてはできる限り、ご要望には誠実に対応させていただく所存です。どうでしょう? 契約を結んでいただけますでしょうか?」
じっ、と涼やかな瞳で見つめられ、ロワたちは思わず一歩退く。いやもちろんエリュケテウレの言葉は、ロワたちにしてみれば、法外な報酬としか言いようがなく、喜び勇んで仕事を請けてもおかしくない、というより請けるのが当たり前というくらいの代物ではある。
だがそれはそれとしてエリュケテウレの醸し出す威圧感には腰が引けるし、そもそもそこまで法外な報酬を提示されるなんて、なにかとんでもないことをされそうな要求される気しかしない。
それにこれまでギルドとの口約束というか、『向こうもそんなに無体なことはしないだろう』という暗黙の了解のもと、契約関係についてはさして深く考えてもいないまま、ゆるい覚悟でやってきた自分たちとしては、こうもがっちり契約を結ぼうとされると、どうしてもびくつかざるをえない。商業の街に居座っている関係上、契約でひどい目に遭った者の話はいくらでも聞くし経験もしているのだ。またそんな目に遭ったらと思うと、どうしても二の足を踏んでしまう。
たぶんパーティ全員がそんな感情を抱いているだろうことを、視線で確認し合い、誰が答えを告げるかをしばし、やはり視線で押しつけ合って、最終的には最年長のカティフが、渋々ながらも前に進み出てくれた。エリュケテウレの温度の低い眼差しを受けてびくつきながらも、おずおずと答えを口にする。
「ええっと、ですね。あのですね、いやもちろんそれで決定ってわけじゃないんですが、その、俺たちとしてもですね、その、突然のことなので、できればその、決めるのは後日改めてってことにしちゃ――」
「ご報告しまぁす!!」
だかだかだかっと音が響くほどの駆け足で、ギルド職員の制服を着た男が部屋の中に飛び込んできた。こちらに鋭い眼差しを向けていたギルド幹部たちの間に一瞬ざわめきが走った、かと思うとぎっと視線をその男に集中させて鋭い問いかけを唱和させる。
『何事だ!』
「はっ、はいっ……襲撃です! 哨戒警備隊からの報告です!」
「なに……?」
「どの方面だ!」
「第二部隊……東北東方面からです! ゴブリンの大群が……オークやオーガ、プレータ、ハッグ、アエーシュマ、デックアールヴといった他の邪鬼の眷属も交えた恐ろしい数の群れが、都市部に向けて進攻中! 数にして……概算とのことですが、最低でも十万は越える、と!」
――その言葉に、会議室は一瞬、針の落ちる音すら聞こえるだろうほどに静まり返ったのち、驚愕と混乱と衝撃と恐怖からなる、狂騒で満たされた。
『十万……!』
「ゾヌの常備兵はせいぜいが一万強だぞ……!」
「距離は!」
「ここから約六十
「……その群れどもは、すべて邪鬼・汪に連なる眷属ということで間違いないのだな?」
「はいっ、数体を捕獲して実験済みだそうです。実験後は強制的に仮死状態にする術式を付与したため、都市部と会敵するまでは、情報が洩れることもないはず、と」
「見事な手際で大変結構、引き続き斥候役を頼む、と伝えてくれ。……となりゃ、常備兵の士気と兵の質じゃ、万一最上の状態で不意を衝けたとしても時間稼ぎにもならねぇだろうな。おい、国軍への連絡は?」
「はいっ、第一報はすでに。詳細はこちらに伝達してからと……幸い、こちらにはゾヌ内の冒険者ギルドの全地区トップの支部長様方がいらしてますし……」
「なら敵勢の詳しい位置情報も含めて、書面にして連絡だ。国府に同じ書簡を渡せ。国軍じゃどうにも立ち向かいようがねぇっつー情報の理由も含めた詳細と、国軍には都市部の防壁造り……これはたぶん今からじゃ間に合わねぇだろうが、少しでも時間稼ぎするためだ……と、市民の避難誘導に従事させるしかないだろう、っつーギルドとしての意見は特に強調しろよ。……全員、いいな?」
鬼人種の筋肉親父がぐるりと周囲を見回し、幹部たちは揃ってさっきよりもさらに険しい顔でうなずく。
「同意します。……というか、国府にはそう動いてもらうしかないでしょう。国府が即座に動かせる人材では、他にどうともしようがない」
「はいっ、了解しましたっ!」
「急げよ! それとギルド中に緊急警報だ! 市民に情報が洩れる恐れはあるが、冒険者連中にはとんでもねぇ事態だってことを自覚してもらわにゃどうにもならん!」
「逃げようとする奴は好きに逃がしておやり。どうせ戦力にはならないからねぇ。残る意思のある連中にはとりあえず、こっちから依頼を発令するまで、いくつかの部屋に分けて待機してもらいな。言うまでもないけど、そいつら全員の名簿を作成して、能力その他の情報をまとめておくんだよ」
「了解しましたっ!」
「それから神殿にも報告ねぇ。すでに協力体制にあるから報告は行っているだろうけど、国府への報告書と一緒に作成して持っていってちょうだい。向こうにも書面で現状を確認できるようにしてもらわないとだし。向こうから相談を求めてくるかもしれないけど、とりあえずゾヌ内の神殿連合で要求と吐き出せる労力をまとめてもらうよう要請、それまでは神殿窓口の担当員が対応! 通達よろしくねぇ?」
「わかりましたっ!」
慌ただしくギルド職員たちが会議室の外へと駆け出し、あるいは駆け込んでくる。激しく行き来しながら情報と指示が忙しなく行き交う。そんな緊急事態感が漂いまくっている空気に圧倒され、呆然とするしかないロワたちの前で、一人のギルド幹部が(それなりに筋肉はついているが落ち着いた紳士的な風貌の、おそらくは森精人の術法使い上がり)重々しく呟いた。
「十万の大群。そのすべてに、報告通りの邪鬼の恩寵が施されているのだとすれば、これはもう普通の軍隊ではどうあがいても防ぎようがないな。冒険者を総動員しても、時間稼ぎをするのがせいぜいだ。十万の大群すべてに強力な恩寵を施すなど、いかに邪鬼とはいえありえない力だが、これまでの報告から推定される邪鬼・汪の能力からして、絵空事とも思えない。このままでは、状況を変える手段はなにひとつなく、邪鬼の軍勢に攻め滅ぼされるしか道はない……」
「と、なると、だ……」
ギルド幹部のお歴々が、揃ってすうっと視線をロワたちに向ける。ロワたちは反射的にびくついて身を退いたが、それを気にも留めずにずいっと身を乗り出すようにしながら宣告された。
「申し訳ないですが、諸君にきちんと契約を結んで、気持ちよく仕事をこなしてもらうのを待つわけにはいかなくなりました」
「この状況下では、悪いが君たちに協力を強要しないわけにはいかん」
「な、ちょっ……ま、待ってくださいよっ、ギルドが構成員守らねぇで無理やり矢面に立たせるんですか!?」
「こちらとしても、街がなくなるかどうかの瀬戸際なんでねぇ。現在のところ、邪鬼・汪の恩寵を無効化できるほぼ唯一の人材であるあんたらには、矢面に立ってもらわないわけにはいかないだろう?」
「当然ながら、できる限りの支援は行う。君たちに死なれては本末転倒だしな。現在街に残っている最精鋭の冒険者パーティをありったけつけて、向こうの攻撃を防ぎながら少しずつでも数を削るしかない。縦深防御をやるには頼りなすぎる戦力なのは承知しているが、君たちの他に、敵に対抗できうる者はいない」
「その間に、国府に金とコネを総動員して援軍を要請してもらうしかないでしょうね。……正直、まとまった数の、その、効果的な兵員を編成するのは難しいと思いますが、その分転移術で輸送してもらうのはやりやすくなるでしょう」
「それしかないだろうな。……君たちには、できれば、自ら進んで、この作戦に協力してほしいのだが……どうかね」
厳しい面持ちの幹部たちに迫られて、ロワたちは思わずたじたじになって思わず身を退く。や、別方向からエリュケテウレが、さっきと変わらぬ冷淡な瞳で、ずずいっと身を乗り出して誘いをかけてくる。
「今からでも、契約締結いたしますか? こちらとしてはそれでもかまいませんが。皆さまにおかれましては、そちらの方がはるかに利得することが多いと、一職員の立場からにはなりますが、断言させていただくほどの好条件です。ぜひご一考いただきたいのですが」
『うっ……』
「エリュ! この状況で考えさせることを増やすんじゃない!」
「契約していただければ、私としても存分に、今回の案件に介入することができます。いくらでもご相談に乗れますし、ギルドへの報告や金銭関係などの書類作成を代行したり、細かな会計作業をお手伝いしたりと、労力を融通することもできます。契約締結前ではどうしても、ギルドの規約で、そういった実務の対応については、外部の専門家に、高額の代金を支払って委託するしか方法がありません」
『ううっ……』
「エリュ!」
「ギルドの一職員として、将来有望な冒険者が、そういった雑務や、手練手管を使って皆さまを支配下に置こうとする有力者の対応などに謀殺されて、潰されるてしまうところは見たくありません。皆さま、どうか……契約を、結んでいただけないでしょうか」
しずしずと、深々と、真情を伝えるような丁寧な仕草で頭を下げてくる。そしてそのまま頭を上げようとしない。戸惑い、うろたえ、仲間たちは忙しなく視線を交錯させたが、その中でヒュノが一人ぽりぽりと頭を掻きつつ、ひょいと手を上げ、軽い口調で宣言した。
「わかった。俺、契約するわ」
「えっ……」
「ばっ……てめっ! おっ、俺も契約しますよエリュさんっ!」
「えぇ……」
「あっ、じゃあ俺もっ!」
「し、仕方ない、か……非常時だからと不本意な契約を結ばされるくらいなら、その前に提示された条件の契約を結んでおいた方が、得ではあるだろうからな……」
「えぇぇ……」
エリュケテウレは頭を上げようとしないが、最後の一人であるロワが返事するのを待っているのは、向けられる気迫で否応なくわかった。それに気づいているのかいないのか、仲間たちはロワを小突きながら「おい早く返事した方がいいんじゃないのか」「この状況で女の子泣かすつもりかお前」「将来有望とか言ってんだし、お願い聞いてやろうぜ」とか囁いてくる。
ロワははぁっ、と思わずため息をついて、うなずいた。確かに、この状況で、自分一人、契約から逃れても仕方がない。
「わかりました……俺もしますよ、契約」
とたんエリュケテウレは、頭を下げたまま『うおっしゃあぁっ!』とばかりに力強く拳を引いて勝利の仕草を取った。背後の幹部たちからも歓声が上がり、「よしっ!」「よくやったエリュ!」などと拍手と共に賞賛の言葉がかけられる。
ぽかんとする仲間たちに、ロワはため息をつきながら説明した。
「さっきの、普通に考えて、情に訴える女の人の手管だろ……真剣にこちらのことを案じていますよ、って顔でお願いしますって頼んで言うこと聞かせるっていう。それに、背後の幹部の人たちが圧力かけてきたのも、威圧感でこっちの判断力奪って契約させる流れを作るためだったと思うし……」
「あっ……そ、そうかっ、いくらギルド幹部たちが無理やりにでも言うこと聞いてもらうって言い張っても、ギルドと冒険者は建前としては平等だから、法的には仕事を強制させるなんてできないんだったっ!」
『え゛っ!?』
「もちろんそれは事実ではありますが、実質的には、これほど緊急かつ重大事である依頼を断られた場合、皆さまがギルドから悪感情を抱かれるのも間違いない事実です。この街で冒険者としての仕事がやりづらくなるのも確かですし、私としては誠意をもって、皆さまが最大限の利得を得られる方法をお勧めしたつもりですが」
「えっ……そ、そうなの?」
いや嘘だ。それは嘘だ。曲がりなりにも霊気を見る訓練を積んできたロワの目には、普段平板なエリュケテウレの気配が、こちらを貫かんばかりの強烈な気迫となって自分たちに向けられているのが感じられた。あれはこれまでの経験からしても理屈から考えても、『なにがなんでもこいつらに契約を結ばせてやる』という気遣い皆無の強固な意志からくるものとしか思えない。
「い、いやでも、ちょっと待てよ、じゃあもしかして、さっき幹部の人たちがすげぇこっち威圧してきたのも、エリュさんを止めたのも、フリ!? 演技だったわけか!?」
「演技というほどのものでは……威圧されて言うことを聞いてくれるなら、それでもかまわなかったわけだし。曲がりなりにもギルド幹部なら、冒険者に契約を結ばせたい時の振る舞い方の準備くらい、少なくとも七つや八つは蓄えておくものさ」
『うげぇっ……』
「こちらとしても、諸君とはなんとしても、今回の邪鬼討伐が終わるまでのきちんとした契約を結んでおきたかったのでね」
「あらかじめ、いくつか状況に応じた作戦を周知してあったから、全員でそれに合わせたってだけさ。罠に嵌めるってほど手間暇かけたわけじゃない」
「そちらが一番腕を高く売れるのも、最終的な利得率で考えれば、この時機でしたでしょうしね。あくまで双方が最も効率よく利得を得られるよう、我々で考えた結果です」
「だ、だからって……」
「諸君らの思うところはともかくとして、だ。契約を結んでくれた以上、我々の依頼に応じて、十万の邪鬼の眷属と相対する以外、選択肢がないというのは理解できるね?」
『うっ……』
「参考までに申し上げさせていただきますと、きちんと契約を交わして依頼を請けておきながらそれから逃亡した場合、冒険者ギルドの要注意人物一覧に名前が載り、大陸中のギルドに回覧されます。冒険者としての仕事を続けるのは、ほぼ不可能となるでしょう。冒険者としての仕事をしていなくとも、違約金の支払い義務は当然発生しますので、これほどの金額の契約となりますと、一般的な職業で稼げる金銭では、一生借金漬けになってもまったく足りないであろうことも付け加えさせていただきます」
淡々とした口調ながらも、『とうとうとまくし立てる』とはこういうことか、と思ってしまうような勢いでエリュケテウレが『説明』してくる。仲間たちが思わずげんなりした顔になったのを確認し、その面持ちから伝わってくる感情を、ロワが代表して嘆息しながら言葉にした。
「あの、エリュさん。そんなにムキにならなくても、俺たちちゃんと依頼されたことはやりますから。達成できるかどうかはともかくとして」
「……は?」
「っていうか……そんなに無理やり契約させようとしなくても、この状況下で『俺たちには関係ない』みたいに、逃げ出したりしないですから。いくらなんでも。そっちがやたら鼻息荒く契約させようとしてくるから……あと、依頼を絶対に達成できるっていう自信もないから、契約したくなかっただけで」
「っ……」
一瞬絶句したエリュケテウレに、今度はカティフが勢いづいて鼻息を荒くする。
「あ、でも! 契約結んだからにはアレですよね、俺たちの望みはできる限り叶えてくれるんですよね!」
「……そうですね。『常識的な範囲内』であれば、できる限り誠実に対応させていただきたいと思っております」
「じゃ、じゃああれですか、その、あれですよ、仮に、仮にですけどね、俺がどうしてもってお願いしたら――」
「当然、たとえば女性の心身にまつわる私的占有権につきましては、『常識的な範囲』外であるものと判断させていただきますが」
「……え、っ? あ、はい……」
「カティ、エリュさんが今言ったことをわかりやすく言い換えるとな、『女子との色恋沙汰は契約範囲外』ってことだぞ」
「……はぁっ!? 俺別にんなこと考えてねぇっつの! そんくらい常識としてわかるわ、俺をどんな人間だと思ってんだ!」
「え、そーなの? 俺そーいうこと考えてる以外の発想浮かばなかったけどな」
「ジル、いいからお前ちょっと黙ってろ。俺がお願いしたかったのはもっと別のっ」
「……大変失礼いたしました。ですが、現在は火急の時です。ご要望に関しましては日を改めて、できる限りお応えできるよう努めますので、今は敵勢への対処についての話し合いを、進めさせていただいてもかまいませんでしょうか」
「あ゛っ」
「そうだな。とにかくゴブリンとかの大群をなんとかしねぇと」
うなずいてヒュノが幹部たちの方へと向き直ると、なにやら険しい顔で話し合っていた幹部たちは、揃って視線をこちらに向けた。
「……ああ、そちらの話し合いは終わったのかね?」
「す、すいません、こんな時に……」
「いや、かまわねぇよ。契約に納得がいくよう、パーティ内で話し合うくらいの時間はあるさ。ゾヌの都市部に敵が到達するにはまだ一
「ほ、本当にすいません……」
「それでは、さっそく出発してもらえるかな。君たちが話している間に、都市部に残っていた精鋭冒険者には全員招集をかけた。じき到着するはずだ、玄関前で待機していてくれ、そちらに馬を回す。馬は、たっぷり休養を取らせているものの中から適当に選んだものに替えてもらうことになるが、かまわんね?」
「は、はい……」
「――いや、ちょっと待ってもらえますか」
ふいにネーツェがきりりとした声を発し、くいっと眼鏡を押し上げてみせる。幹部やエリュケテウレたちのみならず、パーティ面子からも視線が集中する中、ネーツェはいつもの『得意満面という表情をできるだけ隠そうとしている』顔で宣言してみせた。
「僕たちパーティの、全員が行く必要はありません。むしろ全員が行く方がまずい。少なくとも、僕とジルの二人は残るべきでしょう」
「それって……」
「ほう、どういうこった。詳しく説明してもらえるんだろうな?」
「当然です。――先ほどお話ししました通り、今回の邪鬼の恩寵を施された眷属たちは、想定対象者の攻撃にはめっぽう強くとも、僕たちのような想定外の存在にはほぼ無力です。子供の投石でも殺せるほどだ、剣ならば当たるを幸い薙ぎ払うことなどたやすいですし、術法ならば攻撃術式どころか、物理的な方向性を持つ術式をぶつけただけで、致命傷を与えることが可能です」
「――つまり?」
「簡単なことですよ。術式の範囲を拡大する儀式魔術を用いればいい。一日ほども時間があるなら問題なくできるはずです。儀式魔術の中では難易度の低い術式ですしね。普通の攻撃術式では、十万という数を撃退するほどにまで拡大するのは困難ですが、このゾシュキア神官――ジルを使えば話は変わる」
「えっ、俺!? なんでなんで!?」
「……このように、喋ることはだいぶガキっぽい奴ですが、魔力制御にかけては、こいつは天才の部類に入ります。素の力量ですら、ゾシュキアの風操術ならば数百
「え、マジで? ホントに? 俺すげくね?」
「いかがですか。この提案に、なにか問題はおありですか?」
そう言ってくいっと眼鏡を押し上げるネーツェ。ネーツェとしては、実際に、この提案に心底自信があるからこそこの場で発言できたのだろう。
『……いや、それは無理だろう(でしょう)』
なので、幹部たちにも、エリュケテウレにも、ついでに伝令の人や他のギルド職員たちにも揃って首を振られ、心底衝撃を受けた顔で絶句した。
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