第二章 一千万都市防衛戦
第8話 ねぐらに戻るその前に
ゾシュキーヌレフは、ゾシュキア神聖語――神殿が各々の神に応じて創る暗号文的な人造言語で、『ゾシュキアの影を追うもの』という意味の名を有する都市国家だ。フェデォンヴァトーラ大陸を東西に割る中心線にほど近い、南側の海原に面した三角州に築かれた街で、海運においても陸運(周囲の魔物の強さと多さから、海運の活発さとは比べ物にならないものの)においても、交通の要衝と言っていい。
当然、商業における重要拠点でもあり、大陸東部と西部の産物が集積する、軍事的な戦略拠点と言っていい街でもある。人口も数百万、どころか一千万を軽く越しているとすら言われていて、そういった都市の一般的な在り様に違わず、金と物の集まる中央部の外縁にはいくつもの巨大な難民街がひっついており、日々大量の悪漢とチンピラを生み出し、治安の悪化に貢献していた。
ただ、大陸極東部からこの街まで、半ば以上を奴隷として流れてきたロワの目から見ると、この街は、そういう大都市の中では格段に、治安がいい部類に入るだろう。この街を、ひいてはゾシュキーヌレフという国を創ったのは、軍事力に優れた覇王でも、尊貴の血を引く貴族でもなく、四百
その魔術師が、当時は人も住んでいないし街道も通っていない、それどころか凶悪な魔物で溢れた前人未到の地であったこの場所に居を構えたのは、純粋に研究的な利点――この地の気候や水質、海流に生息する水棲動物等が、海作の研究に適していたからだったらしい。だが研究が進み、人手が必要になると、魔術師は転移術式を用いて、貧しく治安の悪い土地で購入した奴隷を連れてきて、作業に従事させるようになる。
人が増えれば必要なものも多くなる。そこに商機を見出す商人も出てくる。そして、この土地が(いまだ数えきれないほど生息していた魔物たちという外患を除けば)、商業都市として実に理想的な要素だらけの場所であることを理解する者も現れる。
彼らが寄り集まって談合した結果、その中でも特に熱意のある者たちが、魔術師のしもべとなって働くことを魔術師に申し入れた。作られた農作物の販売や資金の管理運用等に従事する代わりに、魔物たちの闊歩する中での安全を確保してもらい、この地に商業都市を築くという一生をかけた一大計画に従事するようになったのだ。
その計画は順調に進み、ざっと五十
そんなわけで、ゾシュキーヌレフは、現在大陸のそこかしこにそこそこ存在する、主に商人たちによる、『金で神殿から権威を買って創られた自治商業都市』に分類されるわけなのだが、十把一絡げのそういった都市国家と違うところは、現在に至るまでゾシュキーヌレフ近辺以外での農産はほとんど成功していない、『海作』による大規模な食糧生産国家でもある、というところなのだ。ここ数百
海作によって生産できる農産物は、種々雑多にして多種多様、作付面積に対する収穫物の割合も非常に高く、少なくともゾシュキーヌレフの都市内では、常に幾多の食料品が流通していて、飢えに苦しむような人間はほぼ生まれようがない。動物性たんぱく質は圧倒的に魚が多くなるが、少なくとも安い金で大量に買える部類のものでも、新鮮な分それなりにおいしく食えるし、塩は近在に塩田をいくつも有しているし、香辛料も大陸有数の商業都市であるのだから当然豊かだ。『食』に関しては、この都市には圧倒的なまでの、『飢えるなんて考えたこともない』というほどの安心感があると言っていい。
なので移民難民も非常に多いのだが、それら全てを呑み込んでなお成立するほどの許容量を、この都市国家は有している。金と物に関しては、大陸有数、むしろ随一とすら言えるくらい、それこそ溢れるほどに有していると断言できる。
だが、当然ながら、問題がないわけではない。
まずひとつは、商人たちがめいめいの利益のために集まって興した自治都市なので、政治基盤が非常に脆弱なこと。国府は存在するし、法も国軍もあるにはあるのだが、これほどの規模の都市を治めるにしては非常に頼りなく、金で物事が動かされてしまうことが多い。市民の間で、問題解決の際に頼りにされるのは、衛兵よりもむしろ自分で金を払って雇った冒険者であるのが普通なほどだ。
次いで、教育の偏りから生まれる人材不足も無視できない。人で溢れる街でありながらおかしな話だが、この街においては、主に役人や軍人といった職種において、有為な人材が少なすぎるのだ。
国府が脆弱とはいえ、『商業都市としての体裁を保ち続けるためには、新しい商人を絶えず生み出して、市場を刺激し続けなければならない』という考えのもと、教育に関しては金を惜しまずつぎ込んでいるため、この街の教育機関そのものは非常に充実している。学ぶ者の経済水準に応じた学院・学校が数多く存在し、『教育を受けられない』という人間など基本的にいない、と言っていいほどだ。
ただ、その利潤追求優先の教育方針から、受けられる教育は商人としてのものか、海作の農業従事者をはじめとした技術者関係のものに偏りがちで、国家の安定に寄与する役人、軍人に対する教育は水準が低く、そういった職種に就きたがる人間も少ない。なので、人口に比して人材(特に、有事の際に頼りになる類の)には、常に不安を抱えている。
さらに言えば、難民問題も決して無視できない。他の街と比べればマシとはいえ、難民街の治安がいいわけはなく、犯罪に手を染める人間も多い。商売に関しては、ほぼ完全な自由を国是として掲げているため、密貿易の類はむしろ少ないのだが(顧客の桁が違うので、まともに商売をした方が普通に儲かるのだ)、盗みに手を染める人間は数知れない。
しかも難民街全体がそういった犯罪者をかばうように働くため、一般市民との関係は悪化の一途をたどるし、集団で窃盗強盗を働く犯罪者のギルドも多々生まれる。そしてそれを摘発できるほど国府も警察組織も力がない、とくれば、現在の治安状態が維持できているのは、相当危うい平衡の上に成り立つ幸運のたまものであることは自明だろう。
そして、そういった種々の問題に、対処する人材として便利に使われるのが、この国の冒険者というわけだ。
なのでギルドの支部は多いし、あちらこちらに顔も利く。仕事も多いし、得られる報酬も割りがいい。それを求めて方々から集まってくる冒険者も多いので、人材としても水準は決して低くない。
ただ、基本どこまでも、金持ちに使われる便利屋としての宿命からは逃れられないので、ゾシュキーヌレフの冒険者を『飼い犬』だの『室内犬』だのと蔑む者たちもいるのだと聞く。ロワたちは、そんな他人からの評価なぞ、気にしていられるほど懐具合は暖かくなかったが。
ともあれ、そんな自分たちの本拠地に、今ロワたちは戻ろうとしていたのだが――
「あー、こりゃやっぱ、今日中には着けねぇな。こいつらの足じゃどう頑張ったって街にたどり着く前に日が暮れる」
「馬の足っていうか、俺たちの馬術の問題も大きいけどな……」
「街がもう見えてんのになぁ、街が見えてからたどり着くまでが遠いってのも理不尽だよなぁ」
「ゾヌは三角州に建つ街だからな。遠くからでも視認しやすいのはまぁ、当然だし……それよりなにより大きさが異常なんだ、そういう理不尽なことも起こりえるだろうさ」
「日が暮れても走らせられるくらい馬術の腕があったらなー! 松明使ってでも駆け戻って、報酬ぶんどってたっかい部屋とってうまい飯食ってやんのに」
「皮算用するなよ。それにだ……別に明日になっても、もらえる報酬は変わらないだろう?」
「へへぇ、まーそーだけどさっ」
益体もない会話の中で、ネーツェがにやりと笑って言った言葉に、仲間たち全員の顔がゆるむ。ロワ自身の顔も、たぶんゆるんでいるだろうことは自覚していた。
実際、また依頼不成功になりかねない、どころか予想外の強敵が出現したせいで全滅しかねなかった状況で、『ゴブリンの排除』という依頼をきっちりこなすことができたのだから、顔もゆるむというものだろう。ヒュノが女神エベクレナの加護を受けたという事実も、これから依頼を請ける上で追い風になるだろうことは間違いないのだし。
ムィベキュツノクを倒したのち、自分たちは、リジ村を精査して回り、ゴブリンがもう一匹も残っていないことを確認した。そののち逃がした馬を追ってなんとかすべて手元に捕え、ジルディンが村に浄化結界――瘴気を浄化することで、不死者の発生や魔物の侵入を防ぐ結界を張った上で、帰路についたのだ。
馬を捕らえるのにそれなりの時間はかかってしまったので、今日でゾシュキーヌレフを出てから五
そんなうきうきした空気の中、自分たちは手早く野営の準備をして保存食を摂り、夜番を立てて休む。基本的にロワたちの夜番は、五
毛布で自分の身体を包み、身を寄せ合いながら地べたに寝転がる。硬い地面に少し体が軋むが、そんなことなど気にならないほど幸福な気分だった。
いろいろあったが――この先自分たちが苦労しまくることが確定してしまうくらいいろいろあったが、それでも無事依頼を達成して本拠地まで戻ってくることができたとなると、心は自然軽くなる。あれから夢にエベクレナが出てくるようなこともないし、自分がヒュノの見張り役をしていなければならない気持ちでいたが、そこまで気に病む必要はなかったのかな、と心身に解放感まで満ちてきた。
もちろんこれからいろいろ大変ではあるだろうけど、もうすぐがっつり報酬がもらえることが確定しているのだから、それまでの間は、ちょっとくらい『高額報酬がもらえる』という状況に酔っていてもいいだろう。おいしいものを腹いっぱい食べる喜びなんて、久しく味わっていなかったのだから。
そんなことを考えながら目を閉じ、ロワはあっさり眠りに落ちた。
―――そして気がつくと、神の世界にいた。
「……えぇー……?」
光に満たされた世界。見渡す限り続く壮麗な神殿の聖堂に、陽の光から眩しさを取り払ったような適度に明るい真白の光がどこからともなく降り注ぎ、空気を静謐、というより荘厳な気配で満たしている。
その中に一人、椅子に座って、こちらに背中を見せている女性の後姿は、眩しく輝く金髪もぞくりとするほどしなやかな背中も、いつものように華々しく美しく、見惚れるほど麗しかった。その背中が、軽く深呼吸をしたようで、ロワの視線の先で小さく揺れる。それから、その女性――女神エベクレナは真摯、というか明らかに緊張した声を上げた。
「………で。どう、ですか」
どうってなにが? と思ってから、この問いは自分以外の存在に向けられたものなのだと気づく。実際、椅子に座っているエベクレナの向こうには、いくつかの水晶で作られたと思しき鏡――なのかなんなのかわからないが、人の姿を映す窓のようなものが浮かんでおり、その鏡一個に一人ずつ、計三人の女性の姿が浮かんでいたのだ。
そして、その女性たちは、美しかった。そこに存在するだけで圧倒されて、背筋が震え、息が苦しくなるほどの〝力〟に満ちていた。女神なのだ、と考えるより先に理解が及ぶ。そんな存在何人もに認識されると思うと、胃の腑がねじくれるような緊張を覚えたが、それでも思考ではなく冒険者としての生で染みついた反射によって、気配を殺しつつその女性たちの様子をうかがった。
「………ふむ」
そう唇に指を当て呟いたのは、艶やかな黒髪を長く伸ばした女性だった。年の頃はベルクレナと同様、何歳ともわからないし何歳でもありえそうな気配。濡れ濡れとした黒の瞳もベルクレナ同様に身が震えるほど美しい。
ただ明確に違うのは、どちらかというと(あんなにあちこち隙がある女性なのに)凛々しい雰囲気のベルクレナと違い、この女性は明らかな智能を瞳に宿しながら、どこか謎めいた空気を身にまとっていることだろう。
「なるほどねぇ」
にやっと笑って言ったのは、碧緑色という珍しい色の髪を一つ結びにした、翠色の瞳の女性だ。この
それは身長よりも、どちらかというと稚気にあふれた振る舞いや表情のせいだろう。この
「ふふ……」
だが、圧倒されるといえば、最後の一人である女性ほど圧倒される相手はいなかっただろう。濃茶の髪を複雑な形に編んで結い上げ、肘をつき掌の上に顎を乗せて、紅茶色の瞳で流し目めいた視線を向けるその女性の肌は、他の女性より明らかに色の濃い褐色で、唇も体も全体的にぼってりとしていた。胸元も組んだ足もむっちりと肉付きがよく、それでいてたるんだ感じがない。
要するに、視線から体から表情から、どこもかしこも色気まみれだったのだ。顔立ちや気配の美しさは言うまでもなく絶世と呼ぶべき麗しさで、傾城や傾国と言った言葉ですら、彼女を表すには足りないほど。正直まともに認識されれば思うがままに転がされる予感しかせず、ロワは必死に気配を殺して認識されないよう尽力した。
そんな三人の女性は、ベルクレナの言葉に一度顔を見合わせてから、それぞれ笑顔で(おのおのの笑顔の趣きは大いに異なっていたが)うなずいて、答える。
「いいじゃない」
「うん、これは推せるわ」
「ね~、推したくなるのわかるわ~。っつか自分が死にそうになってるの無視して援護魔法唱えるとことか、真面目にキた」
(……………)
またこれか。
そもそも『これ』というのがなにを指しているかロワ自身よくわかっていないのだが、そう呼んで一緒くたにしたくなるような、なんとも言いがたい珍妙な話の気配に、思わずげっそりするロワをよそに、エベクレナは心底ほっとした顔で胸を撫で下ろす。
「あー、よかったー! ほっとしたー! 正直『これはないわ』とか言われたらどうしようってドキドキしてたんですよー!」
「いやさすがにこれを『これはないわ』とかは言えんでしょ。まぁあたしら守備範囲けっこうズレてるから、心配する気持ちもわかるけども」
「全力で推してる相手にそーいう反応されたらへこむもんねぇ。っつか人の好きなもんにあれこれ口出しする奴は普通に滅びろって思うけど、あたし」
「そうそう、好みが人によって違うのなんて当たり前なんだから、そこにいちいちツッコミ入れてくる奴とか超不毛だってことくらいはわかってしかるべきよね。好みが違う相手は黙ってスルー、基本の鉄則でしょうに」
「いやまぁ、それはそうなんですけども。仲間内でぐらいは全力で推してる子の話とか、フツーに話しても引かれたくないなーとか思うじゃないですかー。自分同様に全力で推せとか勘違いしたことは言いませんけど、普通程度には好感持ってくれた方が嬉しいなーって」
「まーそれはわかるけどねぇ。いやでも、あたしこれはちょっと本気で推す気になってきたわ。過去ログとか見せてくれる? もーちょいがっつり知りたいかも」
「お! マジですか!」
「あたしも見たいー。あたし前の推しが天寿全うしちゃったからさー、しばらくこっちの活動とか積極的にしてなかったんだけど、久々に子宮にクるものがあったっていうか。推し活の楽しさの気配、久々に感じちゃった的な? まぁまだドハマりするとこまで行くかはわかんないけど、もーちょいちゃんと見たい」
「お! マジですかマジですか、ありますよ過去ログどっさりと! まぁこれまでのシーンではあんまり話が動いてないっていうか、みんなわりと不遇な感じなんですけど、そこもまた現在との対比がヨくてー……てか子宮ってあなた」
「推し活、女の部分でやる人は大変ね……と言いつつ正直気持ちはわからないでもないけど。私にも過去ログちょうだい。ぶっちゃけ第一印象からクるものはあったのよー」
「おっほ! マジですかー、いいですよどんどん送りますよー、予想外の好感触に何気にウキウキドッキドキしてます私!」
「あー気持ちわかるわー、布教する時って喜びとか緊張とか不安とかいろいろ入り混じるよねー……あ、てかさ、エベっちゃん的にはやっぱハイパイは剣士×召霊戦士でいいの?」
「もちろん。私の嗜好的にガチの鉄板すぎる二人です。むしろ神が私の脳内覗いて私のために創ってくれた二人なんじゃ、と思ってしまうレベル」
「あー、だよねー、わかりやすっ。正直見てて『この二人エベっちゃん好きそうだなー』って思ってたわー」
「……えっと、じゃあ、ですね。みんなの、とりあえずの第一印象での、推しとハイパイは……?」
もじもじしながらちらちら横目で様子をうかがってみえるエベクレナに、窓の向こうの三人の女性は、輝かしい笑顔できっぱり告げた。
「黒髪猫耳眼鏡推しの、眼鏡総盾」(黒髪の謎めいた女性)
「翼人少年推しの、翼人少年総剣」(碧緑髪の元気な女性)
「筋肉兄貴推しの、兄貴少年前提のモブ兄貴凌辱、触手もつけて」(濃茶髪の色っぽい女性)
「………趣味が合わないッ!! いつものことだけどっ!!」
そう叫んで頭を抱えるエベクレナに、女性たちは笑いながら口々に言う。
「いやまぁしょうがないでしょ。ツボが人によって異なるなんて当たり前だし、友達だからってそこらへんがまったく同じになる方が珍しいでしょうに」
「そうですけどぉっ! できたら同じツボの相手とリアルで語り合いたいとか思うじゃないですか!」
「しゃーないしゃーない、そこらへんは。そういう幸運とか、このご時世じゃフツーないから。人口が増えた分推しになる対象も増えたし、嗜好の細かい分はフツーにずれるよ」
「まぁいつものごとく、壁に向かって呟きなよ。万一それが誰かの目に留まったら、推してくれる人も増えるかもしれないよ?」
「う……でも正直、まだハマりたてなので……みんなに愛してほしいとかよりは、もーちょい独り占めしたいな、って気持ちの方が大きいかも……」
「おいこら。まー気持ちはわかるけども」
「みんな最初はそうだよねぇ、この広い世界でただ一人、自分が真っ先に見つけた推しだもん、普通ちょっとくらいは独り占め期間を味わいたいわ」
「そーいう意味じゃ、今回はすごい珍しいケースだよねぇ。いきなり自室に推し出現、なんてことになったんだから当然っちゃ当然だけど」
突然自分に関係する話が出たので、ロワは思わず耳をそばだてた。背後に自分がいるとも知らず、ベルクレナは大きくうなずいて身振り手振りも交え、女性たちに愚痴をこぼす。
「そうなんですよー、あの時はマジでビビりました。そんなことある!? 的な。まぁおかげで推し活に補助
「あたしらも協力して推せば補助
「まー、真面目にシステム障害を疑わなきゃいけないような状況だから、大ごとになるのは当たり前っちゃ当たり前なのかもね。実際見てみて推したい欲が昂るような子たちだったし、あたしら的には全然問題ないけど」
「それならよかったですー。気持ちの入らない推し活とか言語道断ですからねー。……趣味は合わなくとも。合わなくとも」
「はいはい拗ねない拗ねない」
「好みは人によって違うの当たり前でしょー?」
「そうなんですけどー、わかってるんですけどー、あの神展開であの二人に落ちないのとか正直ちょっと予想外で……まぁ第一印象でのことだからこれから変わるかもですけど、みなさん的にはその推しとハイパイにした理由とか、なにかあるんですか?」
その問いに、黒髪の謎めいた女性はにっこりと笑い、しっかりはっきりわけのわからない言葉を告げた。
「当然でしょう? 私はどんな相手であろうとも、なにはなくとも眼鏡だからよ」
その言葉に、ベルクレナは頭を抱え、他の二人は爆笑する。
「あはははは! いやまぁそうだよね、ギュマっちゃんはそうだよねー!」
「どんな状況でもハイパイでも、まず眼鏡優先するもんね。そのフェチっぷりはけっこうガチで感服するわ」
「失礼ね、フェチじゃないわよ。ただ単に心から眼鏡を愛しているだけよ。腹黒眼鏡万歳。黒髪ならなおよし。猫耳眼鏡もたまらん。黒髪猫耳眼鏡とか、これもう愛でて推して総盾にしないわけにはいかない対象でしょ?」
「いやその前に、対象の心の繋がりとか、気持ちがどこを向いてるかとか、そこらへん気にしません……?」
「気にしてるわよ。そういうのがなければ推す心は震えないし。ただ、それはそれとして眼鏡がいれば最優先で眼鏡なだけ。推しは眼鏡のたまもの、眼鏡から生まれ眼鏡に帰る。ならば私が眼鏡を推さずして誰を推すというの」
「もー、ギュマっちゃんはほんとに、もー……じゃあゾっさんは? ゾっさんが第一印象から推しとハイパイ決まってるのって、何気に珍しくないですか?」
問いかけられた碧緑色の髪の女性は、小首を傾げて答えた。
「あたし? あたしはまぁ……みんなも知っての通り、基本雑食なんよね」
「それはよーく知ってます」
「地雷ってもんがないもんね。どんな展開も状況も楽しめて推し心に換算できる、その逞しさはいつもある意味尊敬してるし」
「うん、でさ、今回はパーティ内にあたしの信者がいたじゃん? そういうのって普通気になるでしょ?」
えっ、とロワは思わず絶句する。信者って。推定女神にとって、信者と呼べるほどの相手って。つまり、この女性は。ゾっさんとか言ってたし、どう考えても。そんなことを考えて仰天しているロワをよそに、女性たちは話を転がしていく。
「あー、まぁ、それはねー」
「しかも恩寵与えた相手ですもんね。仕事的にとはいえ、以前に関わった子と推しのフィールドでまた出会うとなれば、ちょっと運命的なもの感じて普通に目ぇ行きますよね」
「そうそう。でね、その子がっちり見てみて、心の動きとかも追ってみて、思ったわけよ。この子は、現在パーティ内で一番立場が低いっていうか、子供扱いされてるなーって。実際、腕前はそこそこだけど、頭とか働かせるの得意じゃないっぽいしさ。今んところは指揮官に言われた通りにはいはいって言うこと聞くのが役目、的な?」
「あー……まぁ、そういうところはありますかねぇ」
「そういう子って、剣にしたくなんない?」
『えぇー……?』
碧緑色の髪をした女性――おそらくは風の女神ゾシュキアと思われる女性の、力を込めた問いかけに、他の面々ははかばかしくない反応を返した。それにかまわず、推定ゾシュキアは力強く言葉を続ける。
「パーティ最底辺の男の子なわけよ? それってこれから成長する伸びしろが一番あるってことでしょ? ちっちゃな男の子がどんどん成長していって、最終的にはパーティ一のイケメンになって、仲間たち全員敷くとか、燃え上がるものがない?」
「えぇ……いやまぁ言ってることはわからなくもないですけど……」
「年下剣っていう範疇からも、ショタ剣の範疇からも微妙にずれてるよね、それ」
「なんていうか、ある意味少年ものの王道的、とは言えるかも? 少年の成長は普遍的なテーマではあるし……だけど普遍的な王道って、推し活ではむしろ少数派だったりするのよね」
「いいじゃん少数派、むしろ燃えるじゃん! あたしは全力で翼人少年推していく所存だから! 最終的にはパーティ最強にしてみせるし!」
「ぬっ……言っときますけど、私も全力で剣役の子加護してきますからね。推しを護ってくれる親友とか! 相棒とか! こういう発想今までなんでなかったんだろうってくらいに好物なんで、全力で最強にしてみせますし!」
『ぐぬぬぬ』
「はいはい、喧嘩しない。アジュさんは? なにか第一印象で決めた、理由とかあるの?」
最後に残された濃茶の髪の色っぽい女性は、黒髪の女性の問いに、ふっと笑って、きっぱり告げた。
「決まってんじゃない。みんなも知ってるでしょ? あたしは筋肉の十八禁が好きなんだもん」
その答えに、エベクレナは再び頭を抱え、ゾシュキアは爆笑し、黒髪の女性はやれやれと苦笑する。
「十八禁肉ね……あの筋肉兄貴くんは、そのお眼鏡にかなったの?」
「いやー、筋肉的に言うとまだまだなんだけどね。でもパーティの中で一番年上なのに他の面々に指示される場面が多いとか、微妙にヘタレだったり情けなかったりするシーンが多いとか、可愛いじゃんって思うとこはけっこうあったわけよ。なんつーか、この子育てて最強筋肉にしたい! っていう要求がムラムラと湧いてきたというか」
「あっはっは! で、最強筋肉に育てたあとに?」
「そう、最強筋肉に育てたあとにむっちゃくちゃに凌辱されてほしいわけよ! 自分に自信が持てて、自分で自分のことをいい男だって思えるようになってからね! もう本当に男としてのプライドとかそういうのぐっちゃぐちゃになるくらいひっどい凌辱されてズッタボロになってほしいの! 筋肉は全員全力で凌辱されるべき!」
ぽかんとするロワをよそに力強く言い放った女性の言葉に、エベクレナとゾシュキアは再び頭を抱え、ないし爆笑し、黒髪の女性は大きく天を仰ぐ。
「もぉー! やだー! この女やだー! この人いっつもこれなんですもん!」
「そういう性癖なんだからしょうがなくない? あんたが同級生の友情的交流に燃え上がるように、あたしは強い筋肉が全力で凌辱されるのに燃えるのよ!」
「あははははは!」
「それに、基本的には、最終的には幸せになってほしいって思うわけだから、別に問題なくない? 傷ついてズタボロになった心と体を、愛する相手に優しく慰めてもらってほしいなって思うもん!」
「いやぁ……そこでズタボロになったまま絶望の中で死ね、とかになったら邪神行きだからね? 気をつけなさいよ、真面目に」
「それは大丈夫でしょ。あたし、本当に推しには、最終的にはちゃんと幸せになってほしいなって思うもん。愛する人の幸福心から願いまくってるし。ただそれはそれとして、筋肉である以上ちゃんと凌辱されてほしいなって思うだけで」
「もぉー……! この人ほんっとに、もぉー……!」
にぎやかに喋りまくり、こちらのことなどまるで気がついた様子のない女性たちに、ロワはふぅっと息をついて、こてんとその場に寝転がった。
この人たちの話がいつ終わるのかとかさっぱりわからないし、話の内容もさっぱり意味がわからないし、とりあえず寝てよう。無作法なのは承知だが、話の最中に割って入るのも悪いし、以前のように布団の中に潜り込んで出てきてくれないのも困るし、なんか意味のわからない話ばっかり聞いて、正直頭が疲れた。休みたい。
見咎められて怒られたとしてもそれはそれでいいや、という気持ちで目を閉じると、あっという間にすぅっと意識が遠ざかり――
「っ!」
『お?』
ばっと身を起こしたロワに、何人もの視線が集中する。起き抜けのぼぅっとした頭で、四人の仲間たち全員が火の周りに顔をそろえて、こちらに顔を向けているのに気づき、ぼんやりした口調で問う。
「……なんで、みんな起きてるの? まだ、夜だよね?」
「いや空見りゃわかるだろ。まだ夜中だよ」
「っつか、ちょうど見張り代わろうとしてたとこなんだよ。ネテに熟睡用の術式かけてもらう前に、報酬の使い道とかちょっと話してたら、お前がいきなり飛び起きたからさ」
「あぁ………」
ロワはのろのろと働き始めた頭で、状況を理解する。魔術においては、短時間で良質の睡眠がとれるようにする術式はごく一般的なものだ。野営の時には、術式が効きすぎて、魔物やなにかが襲撃してきた時も熟睡している、ということが万が一にもないように、と普段は使うことを控えているのだが、これだけ街に近くなればまず魔物は出ないし、興奮した頭のせいで眠れずに、ぼけっとした頭で達成した依頼の詳しい報告をする、なんてことも避けたかったのだろう。
「えっと……じゃあ、俺、まだ寝てていいの?」
「おう、寝てろ寝てろ。おやすみ」
「うん、おやすみ……」
言ってさっき同様毛布にくるまる。仲間たちはまだ小声で話を続けているようだった。なんとなく、ちょっとだけ仲間外れにされたような気分になって、会話が途切れた時にぼそぼそっと、寝ぼけた声で話しかける。
「……あのさぁー」
「あん? なんだよ」
「……黒髪猫耳眼鏡って、どういう意味だかわかる?」
『はぁ?』
仲間たちは揃ってきょとんとした声を上げたが、ネーツェはロワの語意を正確に理解して、冷静かつ平静ながらもなにを言ってるんだお前は、と言いたげな声音で答えてくれた。
「……人間の特徴の羅列だろう。僕だって、黒髪だし、耳は猫科だし、眼鏡をかけている」
「そうだよねー……翼人少年っていうのは、ジルのことっぽいよね?」
「まぁ……ジルみたいに翼を持っている人種をひとしなみに翼人って呼ぶのは、通俗的な分類では普通だからな。それが?」
「……カティって、筋肉、人よりあるよね?」
「は? そりゃ、まぁ……子供の頃から鍛えてたし、俺の母方のひい婆ちゃんは巨人種だったから、人より筋肉つきやすいだろうからな。だからなんなんだよ?」
「筋肉兄貴って……カティのことなのかな……?」
「は? だからなに言って……」
「すーっ……」
「あ、寝た」
「こいつ、寝ぼけてる時けっこうすっとんきょうなこと言うよなー」
「召霊術の基礎練習は半覚醒状態での霊との交感だそうだから、そういう時に重要な話をしてたりする時もあるのが便利でもあり厄介でもあるけどな……」
ロワが眠りに落ちる時考えたのは、結局、エベクレナと窓越しに向き合っていた三柱の女神らしき女性たちは、エベクレナといったいなにを話すために、窓越しの会話なんて手間のかかりそうなことをしていたんだろう、ということだった。
女神さまの考えを推し量るなんてこと自体が、人間風情にはそもそも難しいだろう、という考えも、同時に頭の中に浮かんできたが。
* * *
――なので、その疑問が翌朝に、あっさりすっぱり解決されてしまうなんて、思ってもいなかった。
「………えっと、ごめん。悪いんだけど、もう一回言ってくれるか?」
「もうはっきり言っただろう。しかたないな」
全然しかたなくなさそう、というかあからさまに自慢したげに、猫科らしくぴんと立った耳をぴくぴくさせながら、ネーツェは自分を親指で指し示し宣言する。
「僕は、昨晩、勉学と智恵の女神、ギュマゥネコーセから加護を受けた」
「俺はゾシュキアさまから!」
ジルディンが翼を大きく広げて得意満面に言うと、カティフもその逞しい胸を大きく張って嬉しげに告げた。
「俺はアーケイジュミンさまからだ。……正直、これまでまるで崇めてこなかった、性愛なんてものを司ってる女神さまじゃあるが、こりゃもう毎日祈りを捧げるしかねぇよなぁ」
「えー、なにカティ、そんなに童貞卒業したいのかよ?」
「当然だろうが! 俺の性的魅力を増してくれるかもなんだぞ、そりゃ祈って祈って祈りまくるわ!」
「お、おう……」
「女神から加護を受けた、なんていう奇跡ともいえる状況で、重視するのがそこっていうのは、いくらなんでも問題だと思うぞ」
楽しげに、嬉しげに笑いさざめく仲間たちに、ロワは内心頭を抱えて突っ伏していた。つまり、こういうことか。これのために、女神エベクレナは、友達らしき三柱の女神と話をしていたのか。
ありがたい、と思うべきなのだろうが……なぜだろう、女神たちの話がちゃんと理解できたわけではないのに、すごく納得できない、と主張している自分がいる。
ロワのそんな思いをよそに、ゾシュキーヌレフの街は今日も眩しい日差しに照らされ、きらきらしく輝いていた。大陸東西の富が集まるゾシュキーヌレフは、南国の眩しい日差しに映えるよう、建築物に光物を多用する習いがある。その街並みの美しさは、それを見るためだけにこの街にやってくる人もいるほどだ。
――だからというわけではないだろうが、その眩しい街並みから、異常なほどの速さで遠ざかる、いくつかの黒い影――術法による偵察用の使い魔の存在には、この時のロワはまるで気づいていなかった。
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