第4話 私的情報拡散問題
全員絶句したまま、エリュケテウレの言葉を反芻する。『あなた方は――』って、その後なんて言ったんだこの人。いやまさかね、俺たちよりもちょっと年上とはいえ女の子が、あんな冷静な顔で、いやないない妄想か幻聴の類だろそれ以外ないし。
「質問がご理解いただけていないようなので再度お聞きしますが。あなた方は童貞ですか?」
「軽い念押しくらいのノリでとどめ刺してくんなよおいっ!」
必死に誤魔化そうとする内心の努力をまるっと無視されて放たれた問いかけに、堪えきれずカティフが怒鳴るが、エリュケテウレはまったく動じた様子もなく繰り返す。
「質問にお答え願いたいのですが。あなた方は童貞ですか?」
「ぬぐっ……いや、その前にいろいろ言うべきことがあるでしょうが! なんであなたに僕たちが私的な情報を告白しなきゃいけないんです!?」
ネーツェがなんとか態勢を立て直そうと、必死に胸を張りながら言い返すが、エリュケテウレはその冷静な表情に、むしろわずかに驚きの色を乗せて首を傾げてみせた。
「その理由は、これまですでにお話ししてきたと思うのですが。お分かりではなかった、と?」
「ぐ……むむ……え?」
言われて改めてエリュケテウレの告げた言葉を思い返したようで、ネーツェがしばし眉間に皺を寄せる――が、時計の針が半周するよりも早く、思い当たることを見つけたようで、愕然とした表情になった。
「え……いや、待ってくださいよ。じゃああの、それってつまり……」
「ご理解いただけたようですね。そう、今回の邪鬼が配下たち、そしておそらくは自身に対しても邪神から賜ったであろう恩寵は、『性行為の未経験者以外には傷つけられない』というものなのです。リジ村をはじめとした邪鬼の眷属と思しきゴブリンとの遭遇記録で、大人の村人たちでは傷ひとつつけられなかったゴブリンが、子供の投石の一撃で死んだ、というような情報をいくつも集めた上で精査して、そう結論付けました」
『……………』
「どうやら、今回の邪鬼が施す恩寵は、『条件を満たしていない相手にはまさに鉄壁の防御力を誇る代わりに、条件を満たした相手にはごくたやすく倒されるようになる』という、呪いのような側面を持つもののようなのです。『童貞か処女でなければ倒せない』『童貞か処女なら簡単に倒せる』ゴブリン――その相手として最適な冒険者は、ゾシュキーヌレフに集う全冒険者の中ではあなたたちであろう、とギルドは先ほど結論付けました」
『……………』
「改めて、うかがいますが。あなた方は童貞ですか?」
絶句し、衝撃を受け、絶望し――そんな、希望を断ち割られたがゆえのもろもろの感情が、脳裏を奔り抜ける。だが、最終的にはロワは渋々ながらも納得し、のろのろと手を挙げた。
まぁどうせなんらかの裏事情があるとは思っていたし、それがこんな情けないものだというのも、自分の腕前やギルドの評価のほどを思うと納得ができてしまう。ただの反感でギルドに逆らうほど、ロワは愚かでも世間知らずでもない。
なので、『死にたい死にたい死にたい死にたい』と泣き喚きべそをかく心の中の自分に蹴りを入れて、できる限り真正面からエリュケテウレを見返して答えた。
「はい。童貞です」
「ちょ、おま……」
「おいやめろ、無理すんな。いっくら相手がギルドだからって、そんな私的なことまで公開しなきゃいけないって法はないだろうが!」
怒鳴るカティフに向き直り、ロワは『その気持ちはわかりすぎる』と内心でうなずきまくりながらも、諄々と説いて聞かせる。
「いや……みんな、考えてみろよ。この依頼じゃ、童貞か否かってのは、依頼の成功率のみならず、俺たちの命にもかかわってくるんだぞ?」
「ぬぐっ……それは」
「いっくら私的な話でも、ギルドが確認を取りたいと思うのは当たり前だし……こんな条件に当てはまる冒険者たちなんて、確かに俺たち以外そうそういないだろうし」
なにせ命懸けの仕事だ、たいていの冒険者は冒険に出る前に、『思い残すことのないように』ということで、その手の店で初体験を済ませるし、金がなければ先輩冒険者たちが、ご祝儀という形で金を出し合ってくれるのが一般的だ。騎士や兵士でもそれは変わらない。戦場で命のやり取りをする男は、さっさと初体験を済ませ、性欲の制御の術を身に着けるのは一般的な作法ですらある。
自分たちのように、先輩と呼べるほど親しい冒険者もいないまま、貧乏人同士でパーティを組んでしまったせいで、そんなことに使う金なんぞどこをひっくり返しても出てこない、という奴らでもなければ。
「それに……しょせんゴブリン退治だからたかが知れてる額ではあるだろうけど、指名料が入るんだぞ? 普通の依頼より割増料金が払われることが確定してるんだぞ? 今の俺たちみたいに、今日の宿代もないような奴らでなくたって、請けなきゃ嘘ってぐらいの依頼だと思う」
「ぬ、ぬっ……けどな!」
「参考までに申し上げるならば、本件の依頼料は、基本料が一人五万ルベト。そこからギルドの手数料、往復分の保存食代、かつ本件は急ぎであることを鑑みたことによる貸し馬料金の必要経費超過分、それに税金等を差っ引きまして、手取りで22750ルベトとなります」
「う……」
いつものことながら、自分たちの受けられる依頼では基本料金がそもそも安いうえに、そこからあれこれ差っ引かれるので、自分たちの手元に残る金は、命懸けで戦ったことの代償としては考えられないくらい安い。しかもそこから武具や装備の手入れに必要になる金や使ったポーション類の補充代金やらを引く必要があるので、自分たちの使える金は切り詰めに切り詰めた上で一月ギリギリ暮らしていけるかどうか、ぐらいしかない。
「そこに指名料が加わりますので、最終的な報酬額はざっと十五万ルベト。正確には147825ルベトです」
「えっ……」
「え、え、え、マジ!? 指名料ってそこまで高ぇの!?」
「『その冒険者でなければ達成できない』依頼に対して払われる額ですので、これくらいは。むしろ指名料としては一番安い部類ですね」
「ぅぐっ、そっか……やっぱそう簡単に金は貯まらねぇよなぁ……」
「……ですが、場合によっては、この依頼料が二倍、三倍と向上し、場合によっては数十倍になることもありえます。とりあえず、今回の邪鬼の一件が片付くまで貞操を守ると契約してくださるならば、一人百万ルベト程度の契約金はお支払いできるかと」
「………ひゃ?」
「くまん……ルベトぉっ!?」
「はい。そして、これはあくまでも、契約そのものに払われる額です。あなた方が契約を遵守し、邪鬼の征伐が無事終わるまで、ゴブリン等々の邪鬼の眷属、及びそれに類する者の掃討に全力を尽くしてくれた、とギルドが判断したならば、最終的な報奨金は一千万ルベトを超えるでしょう」
「いっせ……!」
仲間たちと揃って絶句する。いや、それは、もはやもう、一生遊んで暮らせるとまではいかなくとも、老後の資金の蓄えぐらいは余裕でできてしまう額ではないか?
「はいはいっ! 俺も童貞でっす!」
「あー……うん。俺も童貞っす」
「ジル、ヒュノ……! てめぇらっ、日和ってんじゃねぇぞおい!?」
「いや、だってこれ恥捨てるとこだろマジで! 一千万だぜ一千万! 俺らがフツーに一回の依頼で稼げる額の、えっと、四百倍だぜ!」
「まぁ、なんつーか、だいぶ恥ぃけど、一千万は捨てられねぇだろ……一生に関わる額だぜガチで。それだけあれば引退考えられるってぐらいじゃん、まぁ俺は士官希望だから冒険やめらんねーけど」
「いや、だけどなぁ……!」
「……お聞きしたいんですが。僕たちの……その、貞操の有無なんて情報を、いったいどこから仕入れたんです」
ネーツェが眼鏡をくいっと押し上げつつ、微妙に目を伏せながらエリュケテウレに問う。あ、それは俺も気になる、と仲間たちの視線が集中する中、エリュケテウレは微塵も動揺を見せず淡々と答えた。
「冒険者ギルドには、ほとんどの支部ごとに一人は探査術式の使い手がいます」
「探査術式、ですか。世界そのものに直接接続し情報を引き出す類の術式ならば、そんな私的な情報を探り当てるのもたやすいでしょうが……ギルドに所属する冒険者とはいえ、個人の情報を探査術式で抜き出すのは、法で禁止されているはずでは? 貞操の有無などという私的な情報を、公的な活動に利用するなどというのも、もってのほかであるはずですが」
毅然とした態度でネーツェはそう言ってのけ(ながら眼鏡をくいっと押し上げ)たが、頬が微妙に赤い。ネーツェは何気に見栄っ張りで照れ屋なので、こんな自分と仲間たちの貞操がどうのこうのという話は、恥ずかしくて仕方ないのだろう。
だが、エリュケテウレはそんな反応に微塵も感情を揺らがせた様子もないまま、すっぱりきっぱり言ってのける。
「それは通常営業時においては、の話ですね。第四段階以上の非常事態においては、ギルド構成員の私的情報秘匿権は認められていません」
「ぐ……ですが、この依頼に関する情報が入ったのは、昨晩から今朝にかけて、ですよね? 昨日はギルド内に、非常事態が起きたと思しき気配なんて、まるでなかったんですから。なのに、ここまで迅速に僕たちに指名依頼を出すと決めることができたということは、あらかじめ僕たちの……その、経験の……あるなしという情報を、あらかじめ調べていた、ということになるでしょう。本人の同意なくそんな情報を調べるなんて、それ自体がすでに犯罪では?」
喋っているうちに確信が持ててきたようで、堂々と胸を張りながら問い詰めるネーツェに、エリュケテウレは珍しくも眉根を寄せ(というか、彼女がそんな顔をするところなんて初めて見たかもしれない)、それでも堂々とした態度は崩さないまま言い訳する。
「確かに、そうですね。それについては返す言葉はありません。ですが、現在は非常事態等級の中でも第五段階に相当します。現状況下において、犯罪行為によって集めた有為な情報の提供者を告発するのは、国法によって禁じられており、無理にもそれを行おうとした者は犯罪者として扱われかねません」
「現状を脱したあとならば、遡及して告発することが可能なはずですよね?」
「それは、そうですが。……個人的には、やめておくことをお勧めします。おそらく、裁判で勝てませんから」
「ほう? よほどお抱えの法務官に自信がおありのようですね」
「いえ、どちらかというと判例的な問題です。……本来なら秘しておくべきところを、あえてお教えしますが。あなた方の貞操の情報をギルドにもたらしたのは、愛と豊穣の女神アーケイジュミンの信者なのですよ」
「げっ……」
ネーツェが絶句する。ロワも思わず頭に手を当てて唸った。
愛と豊穣の女神アーケイジュミンは、広く信仰されている土地はゾシュキーヌレフ近辺からはだいぶずれているものの、その特徴的な教義と信者たちの習慣から、この辺りでも貧民層にすら名を知られている。
愛と豊穣を司る女神というのは、あちらこちらの地方に複数存在する、重要だからこそ一般的、というか数の多い存在なのだが、その中でアーケイジュミンが群を抜いて特徴的なのは、愛は愛でも『性愛』を司ると教義に明記された女神であるからだ。
アーケイジュミンの信者にとって、性行為は神に捧げる祈りであり、礼拝だ(ということになっている)。信者たちは性に奔放な人間がほとんどで、いついかなる時も隙あらば性的な結合を行うことをよしとしている(それを教義が宗教的に是認している)。
アーケイジュミンから授けられる性法術の内容も、性的な結合になだれ込むための助けとなるものがほとんどで、その中に『視界内の存在の性的な経験の有無を鑑定する』という効果の術式もあったはずだ。それはもちろん、本来なら『私的な情報の一方的な奪取』として法で禁じられた行為、ではあるのだが。
神々の加護が非常に身近で、信仰を深めることが直接的な利益(恩寵を与えられたり、加護を与えられたり)に繋がりうるこのフェデォンヴァトーラでは、『宗教的行為』を法で規制するのは非常に難しいのだ。なにせそもそも国家そのものがいずれかの神の、加護という名の宗教的な後ろ盾を得た上で建国されることがほとんどなのだから(ゆえにたいていの国家名には神の御名が含まれている)、神の教義を国法で規制することは、国家の繁栄の否定に繋がりかねない。
裁判で是非を争うことになれば、どんな法務官も思いきり及び腰になるのは確実。自分の意に反した行為をやらかされたというならともかく、私的ではあるもののそこまで重要ではない(と一般的には思われるだろう)情報を、国家そのものが揺らがされかねない非常事態において、内密に提供した――というぐらいの問題ならば、そもそもたいていの人は事を荒立てないように、と勧めるだろう。
予想だにしなかった話なのだろう、ネーツェはしばし頭を抱え、はぁぁぁ、と深々とため息をついてから、うなだれたまま片手を上げた。
「はい、僕も童貞です……」
「おいぃっ!」
「いやだってもうこの状況でああだこうだ言ったってしょうがないだろ……アーケイジュミンの信者のやったことだぞ? まず問題視されないってわかってるんだから、どんな奴だって口が軽くなりまくるだろ。もうギルド中に僕たちの貞操の現状が知れ渡ってるのは確実なんだから、もう素直に依頼請けて、少しでもこうむった損害を取り返すしかないじゃないか……」
「金と! 恥は! 違う! どんだけ金もらったところで、俺の貞操情報が知れ渡るクソ恥ずかしさの穴埋めになるわきゃねぇだろぉぉぉ!」
カティフはがりがり頭を掻き、手足をばたつかせて全身で抵抗の意を示す。が、そこにエリュケテウレが一言告げた。
「つまり、あなたは童貞であると、そう明言したと判断してよろしいのですね」
「んがっ……」
自身のうっかりで情報を漏らしたことに愕然として、カティフは指の先まで硬直する。そんな仲間に、仲間たちが慰め(になっているかどうか疑問な)声をかけた。
「まー、そんな気にすんなよ。ってか、童貞ってそんな恥ずかしいことか? 別に悪いことしてるわけじゃねーんだし」
「てめぇらの年で童貞なのと俺の年で童貞だっつー事実の重みが一緒なわけねぇだろがぁぁぁ! ギルドに所属する前に済ましとくのが普通な連中の中で、二十歳すぎまでそうだと知れるとか死ぬしかねぇわぁっ!」
「や……まぁ、気持ちはわかるけどさ。っつか、そこまで恥ずかしがってんのに、なんで済ましとかなかったんだ?」
「金もねぇしそういうところでどういう顔してりゃいいか教えてくれる先輩もいねぇしっ……その……まぁ、つまり……」
「つまり?」
「は……恥ずか、しくて……」
顔を赤らめ視線を逸らしながら言うカティフに、ネーツェは呆れの籠ったため息をついて肩をすくめる。
「気持ちはわからないでもない、が……二十歳すぎの男がそれを言っても誰も喜んでくれないぞ。きっぱり言うが、僕たちには今日の宿代もないんだからな。恥ずかしさで死にたくなろうが、ばらした相手を殺したくなろうが、こんな依頼請ける以外の選択肢はない」
「うぅ……うぐぅぅ……うぬぐぅぅぅ……!」
ばりばり頭を掻くカティフをよそに、ネーツェはエリュケテウレに向き直って宣言した。
「そういうわけなので、僕たちは依頼を請けます」
「ありがとうございます。それではさっそく出立をお願いしたいのですが、なにか問題はありますか?」
「あー……問題はないですが、そのリジという村の見取り図や、一報が入った時の住人の配置、あとゴブリンの数や居場所なんかの情報があればいただきたいですね。あと、保存食や水なんかの必需品も、もらえるなら……」
「そういった情報に関してはこちらに。必需品に関しては一階の三番受付で受け取ってください。その際に指名料も含めた、報酬の三割は前金として支払われますので、他に必要なものがあればギルドの購買部門で購入していただければ」
てきぱきと必要な書類をまとめて渡してくるエリュケテウレに、ロワと仲間たちは(まだ頭を抱えて呻いているカティフを除き)揃って顔をしかめる。
「つまり、大急ぎで出発して、そのリジって村のゴブリンをぶっ殺せ、ってこったな」
「そうですね、被害が拡大しないうちに至急群れを叩いてもらいたい、とは思っています。ただ、リジの村の住人の避難はすでに完了しているので、まずは指名理由等の正しい情報をお伝えすることを優先したわけですが」
言いながら立ち上がるエリュケテウレに続いて、ロワたちも立ち上がる。カティフはまだうんうん唸っていたが、ヒュノがなだめつつ引っ張って立たせた。
「それでは皆様、無事のご帰還をお待ちしています。ご武運を」
部屋の外に出て、そう言って深々と頭を下げられて、仲間たちが少しばかり照れながら「おう」「任せとけって!」などと言いつつ胸を張る。指名された理由はともかく、こんな風に真面目に無事を祈られるなんてことは、これまでなかったのだから無理もない。
まぁ、無事を祈られてるのは本当だろうしな、邪鬼の眷属から民人を護る役目はどうしたって必要なのだろうし、などと思いつつ一階に降り、思わず一瞬固まってしまう。おそらく、もう一般的な起床時間も過ぎたせいだろう。一階はいつものごとく、割のいい依頼を求めて朝早くからギルドを訪れたと思われる、邪鬼に対抗するほど『精鋭』ではないのだろう冒険者たちがひしめき合っていた。
正直、『普通の』冒険者たちには、思考回路がチンピラに近い奴らも多い。ロワ同様、仲間たちも、『指名理由を知られたくない指名依頼』なんて代物を抱えながらこんな奴らに会いたくない、と思ったのだろう、嫌そうな顔で階下を眺めている。
そんなロワたちを、騒がしく喋っていた冒険者たちの一人が見咎めた、かと思うと仲間たちをつついてこちらを指さし、にやり、と嫌な笑みを浮かべてきた。脳裏を走る嫌な予感に違わず、その笑みは波紋のように冒険者たちに広がっていき、そいつらの中の顔見知りの一人が、さも楽しげに声を上げる。
「おう、毎度毎度依頼を完遂できねぇで依頼料を値切られてる哀れなガキどもじゃねぇか! 指名依頼を請けたんだってなぁ、知ってるぜ、よかったなぁ! その指名理由はともかくよ、ぷぷぷっ」
『げっ……』
なんで知ってるんだ、と揃って嫌そうな声を上げてしまう。自分たちはそのくらいですんだが、カティフなどは顔からざーっと音が立つのが聞こえてきそうな勢いで血の気を引かせた。
「うんうん、めでてぇこっちゃねぇか、お前らポーションを買う金もねぇとか前に言ってたもんなあ! まぁ俺だったらそんな理由で指名されるくれぇだったら腹ぁ切るかもしんねぇけどよ、くくっ」
「まぁまぁ、そう言ってやるなって、こいつらはまだ若ぇんだ、未経験でもそこまで恥ずかしかぁねぇよ! まぁ、邪鬼征伐が長引けば、普通に考えて恥ずかしい年まで未経験っつーことになるかもしれねぇけどよ、がははっ」
「うっせークソジジイども、人のことに首突っ込む前にてめぇのケツの拭き方覚えやがれ!」
ジルディンが『クソ野郎どもめ』という怒りの仕草込みでそう怒鳴るが、冒険者たちは心底楽しげに笑いながらからかってくる。
「おーおー、言うねぇクソガキちゃんよぉ、てめぇは自分の得物の突っ込み方も知らねぇくせしてよぉ」
「手入れの仕方はよーく知ってるくせにな。自分で磨いてばっかじゃ、最後にゃ一人上手でしか満足できなくなっちまうぞぉ?」
『ぎゃはははっ!』
「ったく、散れっおっさんども! 俺らはこれから仕事なんだよっ」
ヒュノが冒険者たちに怒鳴りつつ、先頭に立って人込みを割って進む。ロワはその後ろで、がっくりとうなだれて泣き崩れ、一歩も動かなくなったカティフを「とりあえず歩こう」「仕事はしよう、ちゃんと」「大丈夫だから、みんな面白がってるだけだから」などと懸命になだめながら引っ張っていく。
ネーツェとジルディンもそのあとに続き、一緒にエリュケテウレの指示通り保存食やら前金やらを受け取って、ポーションやらなにやらも買って、といつも同様仕事の下準備をしていったが、全員その顔は赤かった。からかいの声はさすがにずっとは続かなかったものの、一階を埋め尽くす冒険者たちからは始終、ニヤニヤとおちょくる気まんまんの視線と笑顔が投げかけられているのだから、無理もない。
たぶん、ロワの顔も赤いだろうことを自覚しながら、ほぼ無言のうちにさっさと準備を済ませて、足早にギルドを出る――が、その間中、というか貸し馬を受け取ってとっとと街を出ても、そんなはずはないとわかっているのに、すれ違う人がみなこちらをからかいの視線で見ているような気がして、正直カティフのように、泣きたくなるほどいたたまれなかった。
* * *
「あーっ、とにもう腹立つっ! なんなんだよくそー! ギルドの奴ら、秘密とか内緒とかっつー言葉知らねぇんじゃねぇの!? なんっで職員だけじゃなくて、一般冒険者にも俺らがヤったことねーってことバレまくってんだよっ!」
地面に寝っ転がり、手足をばたつかせて喚くジルディンに、ロワはため息とともに答える。
「秘密っていうのは、喋りたくなるもんだからな……こんな話、たいていの人は、他人事なら面白がる気しかしない話だろうし。おまけに話の大元はアーケイジュミン信者っていう、咎められにくいことこの上ない相手だって判明してるわけだし。そんな状況で秘密守れる人は、そんなにいないだろ」
「ぬぐーっ!」
じたばたごろごろと地面を転がり、懸命に鬱屈を発散させるジルディン。恥ずかしいことではないと自分で言っていたものの、ギルドの冒険者全員にこぞってからかいの声をかけられたのがだいぶ堪えているらしい。
カティフは街を出てから今まで、ずっとうつむいたままでまともな反応を返そうとはせず(時々呻き声を上げて頭を抱える)、ネーツェはそこまでひどくはないが明らかに普段より落ち込んだ様子で、夕食(干し肉と乾パンぐらいのものだが)もまともに口に入れていない。
どうしたもんかな、と思わずため息をつくと、隣に座っていたヒュノがぽんと肩を叩き、目配せをしてきた。思わず目をぱちくりとさせていると、ヒュノはいつもと同じ、軽いというか自然体な声でぽんぽんと仲間たちに声をかける。
「まーあれだよ、とりあえず落ち込んだ時は飯食ってとっとと寝ろ。最初の見張りは俺がやってやるからさ」
「うぅ……」
「ほら、カティもネテも食える分くらいはとっとと食え。そんで寝ろ。ジルはそこそこ元気なんだから房楊枝くらいは使っとけよ」
「えー、めんどくせ……ヒュノって時々おばさんみてーなこと言うよなー」
「身体を健康に保っとくのも冒険者の仕事だろーが。とにかく明日には目的地に着く予定なんだから、全員ちったぁ元気になっとけ。今日は見逃してやっから落ち込むのは今晩で終わりな、今晩は好きなだけ泣き喚いて落ち込んでいーから」
「うぅぅう……」
「……別に、僕は落ち込んでるわけじゃ……」
「はいはいいーから食って寝ろ」
ヒュノの言葉に押されて、仲間たちは言われるままに食事を終えて、毛布にくるまり焚火から少し離れた地べたに寝転がる。まだ季節は早春、どうしても野宿では体力を奪われるので、貸し与えられた馬で暖を取れないかとも思ったが、だいぶ薄れてきている遊牧民の記憶に、『馬の近くで寝ると馬が寝返りを打った時に潰される』と警告されたので、馬たちは少し離れた場所で杭に繋ぎ、立ったまま眠ってもらうことにした。
宣言通りに最初の見張り番を引き受けてくれるつもりのようで、毛布にくるまって呻いたりむせび泣いたりしている仲間たちをよそに、焚火の前で火の番をしてくれているヒュノに、ロワは毛布にくるまったまま少し近寄り、小声で囁く。
「悪い。あと、ありがとう」
「や、俺もあのままじゃ困ったしな」
ヒュノも苦笑しながら小声で囁き返してくれたので、少しほっとする。他の仲間たちを励ましているヒュノ本人が不満を溜め込んでいたりはしないかと思ったのだが、漂わせている霊気の感じからも、そこまで切羽詰まってはいないらしい。
「じゃ、次の見張り番は俺で」
「あいよ」
小さく囁き交わしたのち、ロワもごろりと横になる。予定では明日の朝、村に到着し、ゴブリンたちと戦うことになる。もう何度も戦ってきている連中だが、自分たちの運の悪さからして、またなにか厄介なおまけがついているかもしれない。それに一応、語義的に正しい意味で邪鬼の眷属であるらしいし。
少しでも体力を回復しよう、と目をつぶって深呼吸をしているうちに、いつも通り、ことっと眠りに落ちた。
―――そして気がつくと、神の世界にいた。
「………え………?」
光に満たされた世界。見渡す限り続く純白のシーツを足下に、陽の光から眩しさを取り払ったような適度に明るい真白の光がどこからともなく降り注ぎ、空気を静謐というか安穏さで満たしている。
その中に響く鼻歌は微妙に音階がずれており、それだというのに華々しいだの美しいだのといった印象をこちらに全力で与えてくる。鼻歌の発生源と思しき、シーツの海つまりはベッドのど真ん中に、一人の女性がこちらに背を向けて寝転んでいた。
「……………」
見た瞬間に、理解した。鼻歌を歌いながら、なにやらぺらぺら本らしきものをめくり、ときおり近くの小皿から菓子らしきものをつまむ、要するに全力でごろごろだらだらしているこの女性は。
「……なにやってるんですか。女神、エベクレナさま」
「え゛っ」
ばっと上体を跳ね起こし、こちらを振り向いて、硬直し――そんな動作ののちに、女神エベクレナは、ロワに腹の底からの絶叫をぶつけた。
「――い゛や゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛!!!!」
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