第2話 女神の加護

 ロワは思わずぱかっと口を開けて、頭の中で女神の言葉を繰り返してしまった。


『私があなたを加護を与える対象として選んだのには、様々な理由がありますが、最も大きく、そして重大な理由は……』


『――顔です』


 いや……え? なに? いや……なに言ってんの女神さま? え、聞き間違い?


 などと理性が勝手に現実逃避している間にも、女神エベクレナは重々しく、力を込めて、しかもどんどんと早口になりながら説明してくる。


「先程も言いましたが、様々な理由があるというのも事実なのは確かなのです。あなたは不幸な生い立ちを与えられ、周りの人間に好き放題にいろんなものを奪われ、それでいながら拗ねずに真面目に生きているっていうだけでもなかなかクるものがあるというのに、その環境に天然で耐えられてるわけじゃなくて、子供の頃の教えを胸に涙目になりながら必死に空を見上げて泣くのを堪えるとかもう本当これちょっといい子すぎませんかって感じですし」


「え……あの……?」


「現在も進行形で単に巡り合わせが悪いっていうだけで仕事がうまくいかずずっと貧乏生活してるのに、それを誰のせいにするでもなく懸命に仲間と励まし合いながら日々鍛錬を続けているとかもうね。これもう推すしかなくないですか? こんな可哀想で可愛い子を誰か幸せにしてあげてくださいよ! って思っちゃうでしょう普通に! そして私たち神次元しんじげんの者が人次元にんじげんの存在にしてあげられることがあるとすれば、頑張って働いて貯めた神音かねで加護するしかないんですよ!」


「いや……あの、ですね、ちょっと待……」


「そしてね! 頑張って働いて貯めた自分の神音かねを費やして加護するんですからね! 心から自然に全力で推すエナジーがね、湧いてくる子じゃないと駄目なんですよ! してあげたんだから、みたいな傲慢な気持ちが微塵も湧いてこないような、日々推させてくださってありがとうございますと平伏したくなるような、私の神音かねで送った加護が少しでもその子の人生の栄養になれているならそれだけで日々神に感謝して働く気力が湧いてくるような、そういう子だからこそ推せるッ! って心底思っちゃうわけですよ!」


「いやあの、だから……」


「そしてねっ! そういう推し心にはやっぱり第一印象超重要ですし、日々惚れ直すほどにこちらを萌え上がらせてくれるにはやっぱり見ているだけで嬉しくなっちゃうほれぼれしちゃうっていうところデカいですし、つまりは顔がいいっていうか好みの顔してるっていうのはそれだけこっちの心を堕としてくれる可能性が高くなるわけですよ! 『ああ~今日も推しの顔がいい~』と拝むことのできるこの喜びっ! もちろんそういうのすっ飛ばして惚れ込んじゃうこともあるわけですが、それでもやっぱり顔がいいに越したことないですからねっ!」


「…………」


 ロワはなんと言うべきかとっさには思いつけず、しばし沈黙した。頭の中では『え? いや……なに、これ?』『えぇー……いや、これ……え?』などという言葉がリフレインしている。


 だが、数瞬で最初に言いたいことは決まった。なによりもまず、この女神に自分が言いたいのは。


「……あの。顔って、俺、別に顔がいいわけじゃ全然ないって思うんですけど」


 生まれてこの方、他人に顔がいいと言われたことはないし、女の子や女性に好かれたこともない。もちろん自分が貧乏でなかったことがないというのが一番女の人に相手にされない理由ではあるのだろうが、それでも『顔がいい』と言われるほど立派なご面相をしていたら、もう少し意識はされるだろう。少なくともこれまでの人生で、自分は女の人たちに徹頭徹尾『背景の一部』ぐらいにしか扱われてこなかったのだから。


 が、女神エベクレナは眉根を寄せながら「あ~、あ~」と、『よくあるよね~そういうこと』とでも言いたげな顔でうなずいてみせた。


「最近はね~、顔変え体変えの術式がすっごいメジャーになっちゃいましたからね~。それなりの都市ならそれなりのお金出せば誰でも絶世の美女やら超イケメンやらになれちゃいますし」


「は、はぁ……」


 なんでこの女神さまそんなことに詳しいんだろう? と困惑するロワをよそに、エベクレナは一人うんうんと納得しながら話し続ける。


「でもねー、やっぱり私ってわりと感性的に古風っていうか、古式ゆかしい感覚の方がどっちかっていうと身に馴染むタイプなんで。あ、いえ別に年取ってるってわけじゃないんですけどね、そもそも一応神の眷属ですから人次元にんじげんのレベルでは不老ですし、女神系の生物の中ではどっちかっていうと若い部類じゃないかなーって、いやそれはどうでもよくてですね、とにかくなんというか、基本的には自然の造形に勝るものなしって思っちゃうわけですよ、私なんかは」


「はぁ……」


「やっぱり眷属的には、神の創られたこの世界がなによりもまず崇拝対象ですからね。線の一本一本まで『ああ……美しい!』と崇められちゃう、まさにどこもかしこも神の造形というか。そんな美しすぎる世界で繰り広げられるストーリーだから、よけいに私たち眷属の胸を打つんですよ。つまり要するに、作られた美形って、作り手の腕の限界とかもあって、どうにも心を掴んでくれないんですよねー」


「そう……なんですか」


「それにですね! いまさらながら推しにこんなぶっちゃけ話するの恥ずかしくなってきたというか、パニックと勢いに任せてこんなこと言ってる自分処すべきなんじゃ? とか思い始めてきてますが、それでもここまで言っちゃったからもう言っちゃいますけど! 私的にはあなたの顔、マジベストオブベストなんですよ!」


「え……」


「地味カワ系というか、誰も彼もにモテる顔じゃないのは確かだとしても、そこが逆にクるというか? 全体的な印象がわりとやぼったくて、子供っぽくて、整っていると言うにはちょっとあちこち隙がある辺りがもうたまらんというか? 微妙に背景に埋もれちゃいそうで、でもちゃんと見ると素直に『あ、ちょっと可愛い』と思えちゃうくらいには可愛さ力のあるそういう造形がもうツボツボツボなんですよマジに!」


「そ、そう、ですか………」


 こちらを圧倒するほどの神々しい雰囲気と壮麗な美貌を有する女神が自分のことをそんな風に言うなど、ロワとしては考えたこともなかったというか信じられない言葉だったが(ちょいちょい微妙にけなされてはいるにしろ)、女神エベクレナはその艶やかな頬を赤らめて、微妙に目を潤ませて、本気で恥ずかしくて恥ずかしくてしょうがない、という表情で、それでも必死に言い募る。


 だからといって別にロワが偉くなったわけでもなんでもないのだが、それでもなんというか、これは、照れる。


「あ、あの、ですね」


「はっ、はい」


 声を上げると、エベクレナはあからさまにどぎまぎして姿勢を正す。うおぉなんだこれ絶世とか鼻で笑えちゃうレベルの美女にこんな反応されるとか、と内心焦りながらも、懸命に外面を作って問いかける。


「それはその、つまり、ですね。………異性として、俺が、あなたにとって魅力的とか、そういう………?」


「え?」


 女神エベクレナはきょとんとした顔になり、ごくあっさりと手を振った。


「いや、それはないですけど全然」


「え……………」


「いやだって神次元しんじげんに生きてる奴が人次元にんじげんを異性としてどうこうって、それはねぇ、ちょっとまずいというか。やばい方向にイタいというか。友達に本気でそう言ってる子がいたらとりあえず落ち着くように言ってから精神科医探しちゃうレベルですよ」


「……………」


「いやまぁ、究極的には恋愛なんてエゴそのものなんですから一形態としてはありえるのかもしれませんけどね? でも次元が違う相手にそういうこと本気で考えちゃうタイプって、思い込みが激しくて暴走しやすいことが多いんですよねー。自分の感情以外完無視で、リビドーのままに突っ走っちゃうとねー、普通の恋愛でも通報案件になる場合多いですから」


「………はぁ………」


「そんで結局自分が愛した相手の属する世界とそれを創った神そのものに迷惑をかけまくるんですよ! それマジ許せなくありません!? 神の被造物を愛しながら神に迷惑をかけるとか本気で処すべきだと思うんですけど私! 曲がりなりにも神の信徒を名乗るっていうか神の創られたものを愛するんなら、愛する者を創り出してくれた神と世界に感謝する心を忘れるなってんですよ! そーいう心得違いの眷属がいるから私たちみたいな推しに加護する眷属まで白い目で見られることさえあるってのに、っていうかそもそも今時そんなふっるい石頭の連中もいちいち相手にするだけエネルギーの無駄だって思いますけどね私としても! でも少なくともそーいう心得違いの信徒とは一緒にされたくないですマジに!」


「はぁ……………」


 雪崩のような勢いで熱弁を振るった女神エベクレナは、そこまで言ってようやくはっと我に返り、顔を赤くしながら「ん、っん」と咳払いをしてみせる。それからおずおずと、ちらりちらりとこちらに視線を投げかけながら(視線が合うとどぎまぎわたわたしながら慌てて視線を外してしまう)、緊張と不安に震える声で、そっとロワに問うてきた。


「えっと、それで、ですね」


「はぁ」


「つまりその、最初の話に、戻るわけですけどね」


「はい」


「あの……つまり、その。………加護させていただいても、よろしいでしょうか………?」


 鮮麗にして燦たる、『絶世の』をいくつつけても足りないような圧倒的な美女が、顔を真っ赤にして、わずかにうつむきながら、それでもちらちらと堪えきれないという様子でこちらに視線を向け、恥じらいとときめきに満ちた仕草でおずおずと、ありったけの懸命さと想いを詰めたような声で問われた言葉に。


「いや、申し訳ないですけど、謹んでお断りさせていただきます」


 ロワはごくごく平坦な心持ちで、すっぱりあっさり断りの言葉を述べた。


「え゛え゛え゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛………!!!?」


 驚愕と絶望と衝撃に満ちまくった声で悲鳴を上げたエベクレナは、必死の形相で高台から喚き叫ぶ。


「な、な、な、なんでですかぁっ!? これマジ本気で言いますけど、デメリットとか全然ないですよ!? こっちの方からそちらに求めることとか全然ないですし! いやあなたが頑張って生きてるところを舐め回すように見たいなーとは思ってますけど! それに私の加護って冒険者として生きていくのにガチで助けになりますよ!? 生き延びるどころか一流冒険者への最短距離示されてるみたいなもんですし!」


「えっと……まぁ、そういう、これまでほとんど拝んだことのない女神さまから、簡単に人生変えるような加護いただいちゃうのが申し訳ないっていうか、ズルしてるみたいで嫌っていう気持ちもちょっとはありますけど……」


「いやいや、これズルとかじゃなくて正当な世界のエネルギー循環方策の一環ですから! あなたと神に私が感謝を表すことで私の神音かねが世界に流れて世界がより活性化するという……」


「いや、そういうのはホント、ちょっとやましいなってぐらいの気持ちで。決定的なものじゃなくてですね。なんというか……」


 あれこれ言葉を探しながら、ロワはできる限り正直に自分の心中を口にする。


「だってその……あなたのその、神音かねって、あなたが女神として、働いて貯めたものなんでしょう? っていうか神々の労働が歩合制っていうのからして、俺としてはけっこう衝撃ではあるんですけど」


「いや神っていうか私たちは正確に言うと神の眷属でしかなくて、自分で女神とか言ってるのは慣習というか現状の人次元にんじげんの情勢を鑑みてのことで、実際に神と呼ばれる資格があるのは世界を形作っている方だけなんですけどね……」


「いやそれはともかく、あなたが俺に加護を与えるために使う神音かねは、あなたがご自分で、頑張って働いて貯めたものなんですよね?」


「あ、ええ、はい。そうですけど」


「だったら、その神音かねは、あなた自身のために使うべきだと思うんですよ。あなたが汗水垂らして一生懸命稼いだ労力の結晶なんですから。自分が幸せになるために、稼いだものは使わなくちゃ。その……人次元にんじげん、ですか? の、俺なんかに使うべきじゃないです。……俺なんかに神音かねを使っても、俺は、あなたに返せるものがなにもないんですから」


 最後の方は情けなさに微妙にうつむき加減になってしまったが、正直な気持ちだった。自分は冒険者として取り立てて優れているわけでもないし、才能があるわけでもない。日々の暮らしに汲々としている、糊口をしのぐことすらろくにできない三流以下冒険者だ。


 そんな人間に加護を与えたところで、ろくに活かせるとは思えない。汗水垂らして働いて貯めたものは、もっと有効に使うべきだ。


 ………それに、自分は、彼女――エベクレナにとって、異性として魅力的なわけでもなんでもないのだから。そんな相手をただ見るだけで、なにかの愉しみになるとは思えない。


 そんな自分でも卑屈だなと思う気持ちの混じった、けれど正直な言葉を告げてしばらく、エベクレナからは反応が返ってこなかった。え、どうかしたのか、と顔を上げて様子を窺いぎょっとする。


 エベクレナは、天を仰ぎ、瞳の端から一筋美しい涙をこぼしながら、片手で顔を覆っていた。


「え、ちょ、あの、大丈夫ですか!?」


「………せる」


「え?」


「………推せる………」


 意味がわからずぽかんとするロワをよそに、エベクレナはしばしほたほたと涙をこぼし、きっとロワに向き直って膝と額がくっつくほどの勢いで頭を下げる。


「え!? ちょ、なに……」


「推させてくださいお願いします」


「………はい?」


「いやそうじゃない、加護させてくださいお願いします。マジでどうかお願いします、なんでもしますから! 女神の本音聞いていろいろ微妙とかあれこれ思うことはあるでしょうけど、ここはひとつ! 広いお心で!」


「いやそういう気持ちもなくはないですけど、別にそれが断った理由っていうわけじゃないですし……頼まれても困るというか」


「加護させてくださいよお願いしますよこの感動を与えてくれた神と世界とあなたが存在してくれていることへの感謝は、神次元しんじげんにいる私たちには神音かねを支払うことでしか表せないんですよッ! 自分たちが頑張って働いて貯めた神音かね人次元にんじげんの推しと神の創りし世界の助けになることが私たち神の眷属にとってはまさに生きる潤いなんですッ! っていうか私たちなんぞの神音かねで加護するのが推しと神の助けになるっていうんなら神音かねの全貯蓄払ってもマジで悔いないですからッ!」


「いやだからですね、そういうわけにはいかないんですって、ご自分で働いて稼いだ神音かねなんですからまず自分のために……」


「うぅぅっ、遠慮深い! 慎み深すぎる! これがガチの本音とかマジ罪深い、健気さの塊! こっちが神音かね払うのをこっちを気遣って断る人次元にんじげんの存在とか新機軸もいいとこすぎて泣けすぎますよもう……! もう、ね、もう……これ神音かねで加護するしかないじゃないですか……!」


「いやだから自分で稼いだ神音かねを俺なんかに使っちゃだめだと」


「お願いしますよなんでもしますから!」


「だからそういうなんでもとか軽く言っちゃ駄目ですよ自分をちゃんと大切に」


「そこをなんとかなんでもしますから」


「だからそういうことを言っちゃだめだと」


 ひたすら頭を下げ、高台の上で土下座した格好になりながら加護させてくれと願うエベクレナに、ロワは懸命に似たような言葉で抗弁を繰り返す。何度も何度も言い合って、いい加減くたびれてきたのに、エベクレナの押す勢いが全く衰えないので、勘弁してくれないかなーと疲労感を感じながらも、ロワも必死に翻意させようという気持ちを奮い立たせて怒鳴る。


「ですからね! 俺なんかに神音かねを使ってもらってもなにも返せないですから! 神音かねで加護を与えるっていうんなら、もっと有効に活用できる人に与えないとでしょ!」


 その言葉のなにを気に留めたのか、エベクレナは唐突にばっと顔を上げて、真剣な面持ち――そういう表情をすると、彼女の纏うまさに神のごとき気配と美貌が十二分に発揮され、ロワとしては圧倒されてしまうのだが――で問うてきた。


「有効に活用できる人になら、与えていいんですね?」


「え……あ、はい。それは、まぁ。女神さまのお仕事というか、やることのひとつだと思うので、あなたと加護を受ける側の両方が、いいと思うなら……」


「っし!」


 拳を握り締めて気合いをかけるエベクレナに、なにか不穏なものを感じ慌てて言い添える。


「いやでもあの、まずはご自分の生活というか、人生……って言うのも変か、えっと……命? を、大切にしてくださいよ? 加護のために神音かね使って自分がちゃんと生活できなくなっちゃうとか、絶対駄目ですからね?」


「はいはいはいわかってますよぉ、世界のためになるよう対象を厳選して、私と相手双方が納得の上で、だったら加護していいってことですよね?」


「はぁ………まぁ。あ、いや、そもそも俺なんかが女神さまの神音かねの使い方にどうこう口出しできる立場なわけないんですけど、ただ俺なんかに神音かねを使うのは、その、もったいないだろうって思っただけで……」


 もにょもにょと言い淀むロワに、女神エベクレナはにっこりと、その壮麗にして燦爛たる美貌に見るも輝かしい笑顔を浮かべて答えた。


「大丈夫、心配しないでください。あなたの望みは、私が叶えますから」






 ―――そして、ロワは馬小屋の干し草の中で、パーティの仲間及び馬たちと雑魚寝している状態で、目が醒めた。


 馬小屋の中にはすでにさんさんと朝の光が差し込んできていて、正直眩しいくらいだ。すぐ隣で身を伏せている馬の、ブルルといういななきと獣臭、そして馬糞の匂いが否応なしに自分を現実に引き戻す。


 春とはいえまだ肌寒い早朝の空気に、小さく身を震わせながら、ロワはさっきまで見ていた自分の夢を考える。


 女神エベクレナ。ロワもよく知っている女神の一柱が、自分に加護をくれる、と言っていた。


 単にロワの自意識過剰な夢だったんじゃないかなー、とロワの客観的に自分を見据える部分は考えてしまうものの、曲がりなりにも召霊術を操る者の端くれとして、あの女性が発していた圧倒的な神威が、ただの夢だったとは思いがたい。


 人を騙し誘い込む邪霊程度の手管では、なにをどう頑張っても、たとえ本人の認知でどうとでも歪みうる夢の中の話だろうと、あそこまでの神威を感じさせることは難しい。神にしろ魔にしろ、相応の力を持つ者が見せた夢である、とロワの術者としての部分は断言してしまうのだ。


 だからといって本物の女神エベクレナかどうか、というと『いろんな意味で疑わしい』と思ってしまうものの(言ってることの半分くらいはよくわからなかったし)、本物にせよその名を騙った偽物にせよ、自分はその申し出を断ったのだ。気にする必要はないし、気にしたところでどうにもならない。


 そう結論付けて、心の底にどうしても沈殿してしまう『本物の女神さまが加護をくれるって言っていたんだったら断っちゃったのもったいなさすぎないだろうか』という未練をできるだけ押し流し、うん、と伸びをして干し草の山から滑り降りた。うまい具合に朝早く目が醒めたのだから、仲間たちをとっとと叩き起こし、仕事がなくなる前に職業紹介所に向かわねばならない。


 と、馬小屋の中に、土をざすざすと踏みしめながら人が入ってきた。馬丁の人かな、とちらりと視線を向けて、仰天する。


 上から下まで正式な受付嬢の制服に身を包んだ、あまりに正式すぎてかっちりしすぎた印象を与える、ロワとさして年は変わらないのに迫力と威厳では十歳以上の差があるように見えるその女性。ロワたちの所属する冒険者ギルドの支部の中でも、冷淡さでは随一というので有名な受付嬢である彼女は、名をエリュケテウレ・コェツオと言った。


 エリュケテウレはざすざす土を踏みしめながらロワの前に立ち、冷厳とこちらを見下ろしながら(干し草の山から滑り降りて地面に尻をついたところだったので、ロワの方が視線が低かった)頭を下げる。


「おはようございます」


「お……おはようございます」


 慌ててこちらも立ち上がり頭を下げるも、エリュケテウレはまるでこちらを気にした風もなく告げた。


「ゾシュキーヌレフ冒険者ギルド北大路地区第七支部所属、ロワさん」


「は、はい」


「あなた方のパーティに、ギルドから指名依頼がございます」


「………は!?」


「できるだけお早く、できますれば私とこのまま、当ギルド支部へお越しいただけませんでしょうか」


 慇懃この上ない口調で、しとやかに礼をされながら、氷よりも冷たい視線で見下ろされ、ロワは仰天しつつも慌てて仲間たちを叩き起こし始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る