第一章 女神、襲来
第1話 とある貧乏冒険者
「………1028ルベト。何度数えても、これがうちのパーティの現在の総資金だよ」
ロワが沈んだ口調でそう言うと、同じ卓についているパーティメンバーたち四人ももともと暗かった顔をさらにずっしりと沈み込ませた。
「1028ルベト……1028ルベトかー……。今日の宿代、足りっかな?」
普段は自然体を崩さないパーティの特攻隊長である剣士ヒュノが暗い顔でそう嘆息し、ロワたちとさして年が変わらないのに魔術師であるという理由でパーティの頭脳役をやっているネーツェが重々しく首を振る。
「馬小屋を借りるにしても、食事代で吹っ飛ぶ。野宿しないなら、一皿を全員で分け合う覚悟が必要だな」
「あー………やだなぁぁぁ……また他の連中に『この貧乏人が』みたいな顔で見られんのかぁぁ……」
パーティ最年少の(緩い戒律で有名な)風の女神ゾシュキアの神官ジルディンが卓の上で頭を抱えると、パーティ最年長の戦士カティフが耐えかねたように顔を覆いながら決定的な言葉を告げる。
「仕方ねぇだろ……春だからまだ楽じゃあるだろうが、街中で野宿したら物乞いたちと縄張り争いすることになるし。盗賊ギルドに睨まれるし。……日雇い仕事は、ちょっとでも飯食って、体調整えて行かないとキツいし……」
『日雇い仕事かぁ………』
うっかり声を揃えてしまい、それが自分たちの避けえない結末を暗示しているような気がして、揃って全員沈み込む。実際現状ではそれ以外に選択肢はないのだが、自分たちがまた一歩どうしようもない未来へ近づいてしまったことを再認識し、暗い気分にならざるをえない。
ロワたち五人は、冒険者だ。全員冒険者ギルドに登録した、国家公認冒険者の端くれで、ここ商業で財を成している巨大都市国家ゾシュキーヌレフのみならず、冒険者ギルドに加盟しているどの国でも、古代遺跡や悪性領域を探索する資格を持つ。
が、端くれというのは謙遜でも過言でもなく、本気の本気で端くれでしかないのだ。冒険者としての仕事だけでは食っていけず、冒険に出るための資金を稼ぐこともできず、たびたび職業紹介場のお世話になり、日雇い仕事で口を糊することが多い。
冒険者として有する技術やパーティの連携としては、そう悪くもないと思うのだ(むろん、まだまだ駆け出しとされる範疇の中での話ではあるが)。
旅の武芸者だった父に手ずから教わったというヒュノの剣技は相当なものだし、騎士団の従者の子として生きてきたカティフの戦技はそれを補佐しながら後衛をしっかり守ってくれる。かつては魔術王国ロヴァナケトゥルゥガの智の学院で学んでいたネーツェの魔術も知識もそんじょそこらの冒険者には引けを取らないものだし、ジルディンの神より与えられた浄化術の腕前は育てられたゾシュキア神殿内でも有数だったという主張に恥じない。ロワの精霊騎士(別に貴族だとかその血を引いているとかではなく、ロワの故郷と違いこの辺りの国では霊を操る術と剣の技両方を身に着けた者をそう呼ぶ習わしがあるというだけだ)としての力も、遊撃役としてそれなりの役には立っているだろう。
それなのにこうも困窮しているというのは、本当にただ、どうしようもなく、巡り合わせが悪いだけなのだ。
依頼運がないというかなんというか、とにかく基本、冒険者として受ける依頼受ける依頼が、ギルドの判じたものよりいつも数段難易度が高い。それなのに全力を尽くせば無理というほどではなく、依頼を放棄して逃げることが致命的な結果(村が全滅するとか自分たちが全滅するとか)を招く可能性が高いから、ありったけのポーションだの使い捨ての魔道具だのを駆使してなんとかかんとか達成してしまう。
結果、一応依頼を達成できはするものの、腕前と比して難易度が高いがゆえに完璧に依頼を達成するとまではいかず、報酬を差っ引かれることが多い上に、かかった費用がいつも想定を上回ってしまうので、次の依頼まで食いつなぐことが難しいほどの金しか手元には残らない。否応なく日雇い仕事で金を稼がざるをえず、冒険者界隈のみならず人足連中からも顰蹙を買う。
結果回ってくる依頼がどんどん割の悪いものになり、資金繰りも当然どんどん悪化していく悪循環が成立してしまった、というわけなのだ。
「俺さぁー……冒険者になったのって、金稼ぎたいからなんだよなぁー……いくら浄化術の腕前がよくたって、基本神殿で出世するのに必要なのはコネ作りだしさぁー……腕一本で金持ちになれる仕事なんて、冒険者しかねーからさぁー……」
「知ってる。みんなそうだ」
カティフがそっけなく言う通り、自分たちパーティは全員冒険者としての目的はなによりもまず『金を稼ぐため』だ。ヒュノのように、依頼をこなして名を上げて仕官して~ということを考えている奴だって、基本なによりまず生活のために金を儲けたい。
ヒュノは父親が病死して天涯孤独だし、カティフも父親が属していた騎士団が解散させられたために一人で生きていかなくてはならない身だ。元は大地主の息子だったというネーツェも実家はとうに没落して一家離散しているし、ジルディンは孤児院育ちで頼れる相手などいない。
ロワだって、もともと遊牧民だったのに土地を帝国を名乗る国に征服されて、しかもあっという間にその帝国が滅ぼされてしまったので、故郷ではもうなにをどうしようと食っていけず、流れ流れてこの国にやって来たのだ。
自分の食い扶持を腕一本で、しかも達人というほどの腕前ではないのに稼げる仕事なんて、冒険者ぐらいしかないと流浪の旅の中で否応なく熟知させられたから、必死に勉強もし、訓練もして、冒険者ギルドの採用試験に合格した。
「だってのにさぁー……なんなんだよこの困窮っぷり。ぶっちゃけ孤児院にいた頃よりもひもじい暮らししてるよ俺ら。それなのに孤児院行ったらもう一人立ちして稼いでるんだから飯食いたいんなら院にお金入れろ、みたいなこと言われてさぁー……俺らの方がまず生活支援してほしいっつーの! 三食まともに食うこともできない上に家の中で泊まれない暮らしだって世の中にはあんだぞくそー!」
「だったらお前、まずそういう時に見栄を張って残りの全財産差し出す、みたいな真似からやめたらどうだ。そのせいで飯代僕らから借金することになったの、もう忘れたんじゃないだろうな」
「ハァァ!? 訪ねてきてくれた親戚の人に『僕は一人でやっていけるから……』なんて見栄張って援助断った奴に言われたくねーっつの! あのあっからさまに金持ってそうなおじさんだったらいっくら金引っ張っても平気そーだったのに!」
「なっ……バッ……だ、だってだな! 少なくとも健康で若い僕よりもまず父や母に援助をしてほしいと、僕はそういう気持ちでだな……!」
「……このままじゃその『健康』って取り柄も失われそうだけどな。そして『若い』ってぇ取り柄も、無駄に使ってたらあっという間にすり減ってくもんだ」
「ぬぐ……」
「ま、まーまー、あれだよ、落ち着けよジルもネテもカティも。喧嘩しても仕方ねーしさ、ほら……ここはあれだ、なんつーか……」
「う、うん、そうだよ! 和やかにいこう! ……喧嘩に体力使ってたら、その分日雇い仕事で次の冒険の資金稼ぐのに、時間がかかるし……」
『…………』
ロワの言葉に、ジルディンやネーツェやカティフのみならず、ヒュノも言った本人であるロワもずっしり落ち込んで肩を落とす。日雇い仕事で冒険の資金を稼ぐというのがそもそも泥縄の極みなのだが、実際現状で金を手に入れられる当てが自分たちには日雇い仕事以外にはないし、ある程度の資金を稼いで、いざという時のためにポーションやらなんやらを大量に購入しておかないと、自分たちの仕事運では本気で冒険の機会が即、死を招くことにもなりかねない。
明日から、しんどい上に賃金も少ない日雇い仕事を(そういう仕事でないと労働者たちの縄張り荒らしになってあちらこちらから睨まれる)、資金が生活費でがりがり削られる中、最低一本一万ルベトはするポーションを十本以上、安全幅を取るならニ十本以上、加えて最低数万ルベトはする魔道具をいくつか買えるほどに溜まるまで続けなくてはならないという無限にも思える戦いを思い。
加えて曲がりなりにも冒険者の資格を(必死に勉強した末に)取ったのに、冒険に出ている時より日雇い労働をしている方が長いというどうしようもない現実を再認識し、パーティメンバーは揃ってこっそり目頭を押さえた。
* * *
宿(冒険者ギルドと提携していて、冒険者には割引したりちょっとした優遇措置を取ってくれたりする冒険者ギルドの勢力圏にはよくある宿だ)の主人に掛け合って、大部屋の三割引きで馬小屋に泊まることを許してもらい、全員で日課の訓練をこなした後、干し草の中で早々に床に着く。
馬糞臭いし獣臭もきついが、一応遊牧民として育ったロワはもともとそこまで気にならない。どちらかというとお坊ちゃま育ちのネーツェはかなり長い間辛そうだったが、今はさすがにもう慣れたようだった。……お坊ちゃま育ちの人間が、否応なく馬小屋で寝ることに慣れざるをえないほど長い時間、こういう生活を続けているのだということに思い至ると、ロワですら気持ちが(さらに)沈むが。
なにがいけないんだろうなぁ、と目を閉じながら嘆息する。冒険者として生きるために、できることはなんでもやったし身に着けられる知識はできる限り身に着けたつもりだ。
少しでも腕を上げるために、毎日全員で訓練したり、連携の精度を上げるために敵を想定して戦術判断を磨く演習をしてみたり、冒険者の先輩に酒代食事代と引き換えに助言をもらってみたり。
それでも、どうにも、うまくいかない。金を稼げない、仕事を完璧に終えられない、真っ当に生活できない。なにをどうやってもまともに生きられる明日が見えない。
落ち込むしへこむし辛いししんどい。誰か助けてと子供のように喚きたくなる。
(……でも、こういうことを考えてる奴は、世界中に山ほどいるんだろうしな……)
そんな中で自分たちだけを選んで助けてくれる偉い人と出会えるなんて、そりゃあ思い上がりというものだろう。『いくらでもいる』ものに価値を認めないのが世の中というものだ。助けられるだけの価値のあることを自分たちが為せない以上、自分たちでなんとか自分たちを助けるしかない。
(助けられるかどうか、っていうと、ぶっちゃけ心もとないんだけどな………)
けれど、それならそれで、結局なにも為せずに終わったとしてもしかたのないことなのだろう。そういう人はこれまでいくらでもいた。自分たちがその一員になったとしても、おかしくもなんともないし、理不尽でもなんでもない。
いつかの誰かと同じように、志半ばどころか、志を抱くところまですら至れずに消えていく。それは自分たちにとってはごく近い未来のひとつで、至ったとしてもごく当たり前のこととして誰もに無視されるありふれた可能性でもあるのだろう。
そう思うと、嫌だ嫌だと子供のように手足をばたつかせて喚いて、必死に拒絶したくもなるけれど――
(……だからって、どうにかなるわけじゃないしな……)
誰も自分たちを助けてはくれないのだから、自分たちで自分たちを助けられるよう、自分たちにできることを積み重ねていくしかない。その結果なにも為せずに消えていくことになるとしても、それはもうどうしようもない、と諦めるしかないことなのだ。
いつか自分が故郷を追われたように。誰のせいにすることもできないまま、すべてが壊された時と同じように。
そんな毎夜頭の中を巡ってしまう想いを目を閉じながらせいぜい鎮めているうちに、ロワはいつものように眠りに落ちた。
―――そして気がつくと、神の世界にいた。
「え………」
光に満たされた世界。見渡す限り続く輝く雲海を足下に、陽の光よりも眩しい黄金色の光がどこからともなく降り注ぎ、空気そのものすら娟麗に煌めかせている。
なびく瑞雲は一筋はきらきらしい五色、もう一筋は輝かしい空間を典雅に引き締める紫色。その二筋の雲に挟まれた、雲が高台を形作っている場所に、一人の女性が立っている。
「…………っ!」
見た瞬間に、理解した。この女性は、女神だ。
纏う雰囲気が違う、顔貌の美しさが違う、周囲に迸らせる力が違う、人を惹きつける眩さが違う。存在の階梯そのものが圧倒的に違いすぎる。人ではない、人の抗しうる存在ではありえない、ただひたすらに平伏し、その託宣を絶対的に受け入れることしか人には許されていない。そんな人とはあらゆる意味で桁の違う存在が、高みから自分を見下ろしている。
体が震える。心が圧される。頭でどうこう言葉を繰るより先に、心身の方が先にへし折れて、平伏しそうになる。
「――――っ!」
それでも、自然と折れそうになる足を叩き、必死に腹に力を入れ、深呼吸してきっと顔を上げ、真正面から女神を見つめる。神々に――運命を操る方々に、ただひたすらに平伏してそれでよし、とするような人生を自分は送ってこなかった。
そう精一杯意地を張るロワに、女神と思われる女性は、黄金の髪を揺らし、翠玉の瞳を少しだけ細め、そのどれだけの美辞麗句を積み重ねようと表現できないだろう圧倒的な美貌をわずかに微笑ませて、ロワを見下ろしながら告げた。
「ウィノジョゥンカの民、チュシンとコヒアの息子、ロワよ。私は剣と戦の女神、エベクレナ」
「っ……」
知っている。ロワにとっても馴染み深い女神だ。エベクレナは剣の技と積み重ねた鍛錬、戦士の誓いと戦いの勇気を司る神。――それはかつてロワの故郷を滅ぼした、もはや名も覚えられていない帝国にも主神のひとつとして崇められていた神なのだから。
戦によって勢力を拡大しようとする国がエベクレナを主神の一柱として奉るのは、ごく当たり前のことではあるが、それでもやはり、よけいに退くわけにはいかない。
全身全霊を振り絞って顔を上げ、できる限り毅然と女神と向き合うロワに、エベクレナは今度はくすりと小さく笑い声を立て、告げた。
「私はあなたに、自らの
「………へっ?」
「私が与える加護は、戦の加護。戦いに際して、怖気ず、挫けず、しかして退くことを恐れもせず。友と鍛錬を積み重ね、誇りを育て、技を磨き、いくつもの誓いの果てに真なる剣をその手に掴み取る、その助けとなる加護です。あなたはこの加護を受け容れますか、それとも拒みますか?」
「え……あ、えぇ? ちょ、あの……」
思ってもみなかった展開に、ロワは女神の前だというのにわたわたと周章狼狽する。加護。女神の加護。それは知っている、存在だけは。神々はこれぞと思った者に加護を与え、世界をより良き方向に導く一助とするという。
その加護の源は、神々に捧げられた祈りを神の扱う恩寵へと変えた
だが、しかし。
「あの……女神、エベクレナ」
「はい」
「なぜ、その……加護を、私に与えようと、お思いになったのですか。私は、取り立てて剣の才能があるわけでも、高い志を持つわけでもない、自分の口を糊することに汲々としている、ただの冒険者にすぎません。それなのに、なぜ、私を……」
正直な気持ちだった。それはもちろん、女神の加護をいただくというのは誉れだし、自尊心をくすぐる話だ。だが、実際にロワは自分自身のことを、どこにでもいるというか平均より低い程度の格の持ち主でしかないと考えている。
女神の加護をもらえる理由がまるでわからないし、はっきり言うと分不相応にすら感じてしまう。そして分不相応な事態というのは、たいていの場合借金のごとく、後からそれ相応の代償を要求してくるものだ。
つまり、ロワは怖気づいた。だいぶ全力で(一応間違った考え方ではないと思っているから女神に直接問いかけられたわけではあるのだが)。
――そんな小心者丸出しのロワの問いに、女神エベクレナは数瞬笑顔のまま沈黙した。ロワがえっなにもしかして俺なんかまずいこと言ったの、とまた周章狼狽しだす頃に、静々と口を開く。
「この場所――我々神の眷属が託宣を下すために使う空間ですが、ここでは、心を偽ることができません」
「は、は、い……」
「いかに口のうまい詐欺師であろうとも、詐術を司る神であろうとも、ここでは心にもない言葉は決して言えません。嘘をつくことは絶対にできないのです。ここは神と人が、心を真正面からぶつけ合う場所であるがゆえに。託宣というのは、加護を与えるというのは、神の眷属にとってもそれだけの重大事であるということ。なればこそ、私はあなたの問いに、心の底からの正直な想いでもって応えましょう」
「は、い………」
「私があなたを加護を与える対象として選んだのには、様々な理由がありますが、最も大きく、そして強烈な理由は……」
いったん言葉を切り、目を閉じ、小さく深呼吸をし――そんな動作ののちに、女神エベクレナは、ロワに真正面から渾身の力を込めて言い切った。
「――顔です」
「………はい?」
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