第6話 神の不在検証

一通板で正立法体を組み立てると、レアは水筒を取り出した。


「それも使うの?」


「うん、本当に密閉した空間になっているか確認しなきゃいけないから、中は液体で満たしておこうと思って」


「なるほど」


ちょっともったいない気もしたけれど、レアはいつもの紅茶を注ぎ込んでいく。


「あとは中に術式を入れるだけだよね。何の魔法にしよっか?」


「んー、起動が確認できれば何でも良いけど、せっかくなら冒涜の円環にしましょうよ。神の不在というコンセプトにぴったりだわ」


「じゃ、じゃあ、私がやるのね」


「うん、リアにお願いしたいな」


「わかったわ!」


内部に術式を展開してから、立方体に蓋をする。


「準備はいいかしら?」


「うん……うっ!」


術式を起動しようとした瞬間、胸に何かが突き刺さるような痛みを感じた。


「リアッ!?」


レアはよろめいた私の肩を押さえてくれた。すると少しずつ痛みが引いていく。


「だ、大丈夫……」


「本当に?」


「うん、もう平気! それより早くやってみよう!」


「そう? ならいいけど……」


ゆっくりと魔力を込めていく。


中の様子が見えないこともあって、この時ばかりはドキドキしてたまらなかった。


「お、終わったわ!」


「ありがとう。そしたら開けてみましょうか?」


「うん」


レアは蓋に触れると、ぴたりと手を止めた。


「どうしたの?」


何かまずいことでも起きたのかと心配になってくる。


「ほら、リアも持って?」


「えっ?」


「リアと一緒に開けたいの」


もう片方で私の手を握る。


「う、うん!」


私も蓋に手を置く。


「じゃあ、せーので開けましょう」


「うん」


「いくよ……せーの!」


蓋を開けると、中の液体が勢いよく飛び散っていった。


注いでいた紅茶には渦潮のように波が発生している。


「レア!」


「やったわね」


「成功ね!」


「うん、やっぱり奇跡に神様なんて必要なかった」


「そうね! これはすごい発見だわ!」


「ウフフッ、リアったらそんなにはしゃいじゃって……かわいい」


「レ、レアだって嬉しいそうじゃない!口元緩んでるわよ?」


「え、そうかしら?」


興奮してついテンションが上がってしまった。


しかし、喜んでいられたのと束の間で、廊下の方から突然、声をかけられる。


「おい、そこ! 何をやっている!」


先生の声だった。


さすがにこの状況はまずい。


一通板は勝手にくすねてきたものだし、おまけに展開している術式は、二度と使うなと厳命された冒涜の円環である。


バレたら確実に審問送りだ。


慌てている私とは対照的に、レアはいたって落ち着いていた。


状況を理解すると、微笑みながら私に小声で話しかけてくる。


「大丈夫よ。リアなら間に合うわ」


「えっ……」


レアは立ち上がると華麗に振り返った。


「ゼレン先生、ごきげんよう」


裾をつまみながら丁寧におじぎをする。


その気品にあふれた鷹揚おうような立ち振る舞いに、私は思わず息を呑んでしまった。


先生の視線も確実にレアの方へと吸い込まれていく。


レアが時間を稼いでいるうちに何とか隠蔽いんぺいしなくてはならない。


私は一通版を隠すと、全集中力をもってして術式を組み替えていった。


「なんだ。レアノールか。何をしている?」


「魔神様にお祈りを捧げておりました」


「こんなところでか?」


「ええ、ここは静かな場所ですので、声が届きやすいかと思いまして。それに魔神様がいらっしゃる北の空には学級ではここが一番近いのです」


「そうか。昼休みだというのに感心だな。さすがは最高司祭の娘といったところか」


「お褒めにあずかり光栄です」


「そこにいるのはフィリアか」


「は、はいっ!」


「君も一緒にお祈りを?」


「は、はい! レアノール様からお誘いいただきました」


「そうか、その術式はなんだ?」


「こ、これは……」


私が言葉に窮していると、レアがすかさず発言した。


「これは円環の術式です。永劫調和の神意を感じるのに最も良い術式ですから、お祈りの最中にフィリアさんに頼んで展開しておいてもらっていたのです。一人でもできるのですがそれだとどうしてもお祈りに集中できなくなってしまいますので」


「なるほど。それは良い心掛けだな」


先生は地面を覗きこむと、納得したように頷いた。


「では、私はこれにて失礼する。そろそろ授業がはじまるからな、お祈りも良いがくれぐれも遅刻せぬように」


「はい」


そのまま振り返るとコツコツと足音を立てながら戻っていった。


「はーっ! 死ぬかと思った!」


「ウフフッ、そうね。今のは結構やばかったわね」


「その割にレアは全然平気そうね?」


「まあこういうスリルには慣れているから。それにしてもすごいじゃない。あの短時間で術式から乱数を取り除くなんて」


「いや、でも本当、ギリギリだったわ。レアが時間をつくってくれなければアウトだった」


「でもちゃんとやってのけたじゃない。リアならできると思ってたわ」


「エヘヘッ、そ、そうかな」


レアに褒められるとやっぱり素直に嬉しい。


「でもレアこそすごいわ。よくあんなにスラスラと嘘が思いつくものね」


「それって私、褒められてる?」


「う、うん……そのつもりだった」


「目には目を、歯に歯を、そして嘘には嘘を」


「えっ?」


「色々と嘘をついてるのは大人達の方でしよう?嘘つきに嘘で返すのに、なんの躊躇ためらいもないわ」


「うん、確かにね。ちょっと気分良かったかも」


「フフフッ、リアも分かってきたわね?」


こんな調子で私はどんどんレアの共犯者へと仕立て上げられていくのである。


「さて、まずは一つ目の仮説が検証できたわね。やっぱり術式は天に魔力なんて送ってなかった。これで魔素は神だけでなく私たちにも操作できるということになる」


「うん、そしたら次の段階に進めそうね」


「そうね。自分の魔力で生成した魔素ではなく、自然界に存在する魔素を操作するには…… 術式から魔素を操作している部分を取り出して、新しい術式を再構築する必要がある」


「となるとやっぱり術式の読解からかしら?」


「ええ、まずは簡単な術式でやってみましょう。円環の術式にでもしましょうか」


「そうね」


「神に魔力を捧げているとされている関数は確かにブラックボックスになっているから、そこを中心に解析していきましょう。きっと中では教わってきたものとは別の処理が行われているはずだわ」


「レア……一応、言っておくけど、正規術式の分解は禁則事項だからね?」


「フフフッ、そうね。バレないようにしないと」


「全く……楽しそうね」


「ええ、楽しくて仕方ないわ……あっ、いいこと思いついた」


「いいこと?」


「もっと楽しくなること」


「何?」


「術式の読解、どっちが早くできるか勝負しましょうよ。それで、勝った方は負けた方になんでも一つ命令できるの」


「え、ま、まあいいけど、レアは何を命令するつもり?」


「ウフフッ、それは秘密」


「えー、なんか怖いなー」


「大丈夫よ。レアが困ることは言わないから」


「本当にー?」


「うん、本当本当。聖女の私が嘘をつくわけないじゃない」


レアは白々しい表情で笑った。


「そんなこと言って……さっきまで手際よく先生を騙していたのは誰かしら?」


「ウフフッ、さて誰かしらね? そんな悪いことする人は」


「もう、相変わらず調子いいんだから……」


「リアに嘘はつかないわ。だってリアはいつも私に正直でいてくれてるもの」


「ま、まあ、そうね」


「だから大丈夫。絶対、レアが困るようなことは言わないから。ね?」


「う、うん、それなら……分かったわ」


「やったー!」


「で、でも、私、負けないから!」


「フフフッ、私も……楽しくなりそうね」


「うん!」





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