第5話 イベントステージ

 新曲収録を終え、1週間が過ぎた週末。

 今日は武道館ライブのPRを兼ねた他グループとの合同イベントが都内の某ショッピングモールのイベント広場で行われる。

 用意された100を超える席にはすでに空きはなく、立ち見も多く、二階や三階の吹き抜け部分から見ている人も居て、まだまだその人数は増えるばかり。   


 スタッフの話では今日は開店前から大勢の人が並んでいたらしくここまで盛況なのは珍しいと話してくれた。


 真希がステージ袖から客席を見渡せば、ペンライトを持ち意中の推しのうちわやタオルを身に着けているのが目につく。

 聴こえてくる会話はグループや推しについてともなれば徐々に広場の熱が高まっているのが窺える。


 その想像以上の人の多さと熱量に圧倒させられっぱなしだ。


「っ!」

「へえ、すごい集まってくれてる。みんなにも見せたかったなあ」

「そ、そうね……」


 今回はPRイベントということで少数精鋭で都内と横浜に別れてのもの。

 こちらの会場は宏実と真希の担当だった。


「あっ、いたいた。なかなか準備で忙しなくなっちゃって話せなかったけど、今日はお互い頑張ろうね……」

「ええ、こっちこそバタバタしちゃっててすいません」


 ステージ裏に戻り、本番の準備していると他グループの人がギターを下げながら真希たちを見つけ駆け寄ってきた。


「ふふっ、ばっちりお客さんを温めておくので火傷しないでね」

「あはは、ならこっちはさらにみんなの熱を高めるように歌わなくっちゃ」

「言うねぇ……じゃあ先行ってくるね」


 宏美は心のままに言葉を噤み、口元に自身に満ちた笑みを浮かべる。


「……」


 康行に万年筆を返してもらって以降は、それまでよりも彼女はなんだか輝いてみえだ。


 ♪♪♪〜


 始まるイベント。

 他グループのレベルの高いギターの生演奏と歌を聴くと心臓の鼓動がさらに増す。

 ちらっと宏美の方を見れば、彼女は闘志を掻き立てられているかのようにその口元はますます緩み本番を心待ちにしているのが窺えた。


「向こうもやるなぁ……でも、ライブが終わるころには私たちのファンにも絶対なってもらうから!」

「……え、ええ」


 そんな彼女の姿を魅せられれば、嫌が応にも足を引っ張っちゃいけないという想いが強くなり、ついに体が震えだしてしまう。


(お、おかしい……)


 自分は人見知りで宏美の前では特に緊張しやすいが、アイドルのクールな仮面を付けている間はそれも緩和される。それなのに、どういうわけか今日はそれが上手く行かない。


 大きなイベントを控えているから、推しと二人だからか、大勢の人を前に怖気づいてしまったのかはわからない…。


「あっ、真希ちゃん向こうはもう終わったって……すごい盛り上がりで上手く行ったってさ」

「そ、そう」


 そんな中でメンバーからの成功メッセージを聞けば、さらにさらに緊張は高ぶってしまう。


 なんとか落ち着こうと演奏と間に挟まれる軽快なトークを聞きながらも、ステージの袖をうろうろとさまよってみたりしたものの全くいつも通りにはならず……。


「そろそろ出番です」


 そのままに、出番の時がきてしまう。

 もうジタバタなどできない、なんとか深呼吸してステージに飛び出していく。

 そこに立てば、観客がより近くなり、そして有言実行のように暖められた空気を肌で感じる。


 なんだか視界がいつもよりも狭く、体が強張ってしまってマイクだけは落とさないよう咄嗟に強く握った。


「……」

「ほら、真希ちゃんいつものやつ」

「えっ、あっ……し、静かにしなさいよね」

「「「おおっ」」」


 そんなだからお約束事さえも頭の中から飛んでしまっていた。

 ざわざわとしていた会場の空気は一瞬で静寂に包まれる。いつもならこの瞬間に落ち着くことができるのに……。


「さすがの真希ちゃんも緊張してるね」

「……」

「今日は新曲とライブのPRベントということで2人だけですがこんなにたくさんの人を前にして……嬉しいです」

「……」


 宏実は新曲の紹介と武道館に向けての決意表明、ファンへの感謝の気持ちをすらすらと心のままに言葉にして紡いでスムーズに進行していく。

 待ったなしで新曲の音楽が流れだした。


「~♪♪♪」


 彼女の歌いだしは完璧。いや、いつもよりもさらに心に響き見ている人の心を掴む。

 対する真希はといえば唇が震え、体が重く感じて難しくない振り付けでさえやっとの状態。そんな中来てしまう自分の歌いだし。


「……」


 何度も何度も自然と出るように、推しの足を引っ張るわけには行かないと練習してきたにもかかわらず本番で初めて歌詞を間違えて2番の歌詞から口にしてしまう。


「~♪♪」

「っ!」


 それにすぐに気づいた宏実は2番の歌詞からアレンジして何事もなかったかのようにサビへとつなぐ。


 こういう状況を一番危惧し、そうならないようにレッスンを積んできたのに自分への不甲斐なさで視界はさらに狭くなり歓声も静かになってしまう。

 ミスは続く。

 なんでもない動きの中でも足をもたつかせていると、大丈夫というように宏実が手を掴んで、まるで演出とでもいうようにフォローし立て直してくれる。


 いつもこうして他のメンバーのミスも1人でカバーしてくれていたのかと思えば、さすが推しと心が燃えてそれがパフォーマンスへと変わるのに今日はそれも出来ない。


「「っ!」」


 こんなんじゃ駄目だと自分を責めながらもどんどん声は小さく、動きも縮こまった物になっていく。

 そんな中、もう止めろとでも言うように突然スピーカーから流れる曲が消えた。


「なになに、どうしたの……?」

「いいとこなのに…」

「機材トラブルか……」


 客席がざわつきそんな声が聞こえてくる。


 すぐ直るだろうと思ったが簡単ではないようで、数分が経過しても曲は再開されない。


「もうちょっと、も、もう少しだけ待ってください」


 宏実が必死に場を繋いでいるが、その表情はさきほどまでとは違い不安そうな表情がのぞく。


(私のせい……)


 これはミスばかりする自分への罰かもしれない。

 顔が真っ青になっているのを自覚しながら、そんな後ろ向きな考えまで浮かんできてしまう。


「……」


 この場にいるのすら怖くなる。

 逃げ出したいと後退りそうになるのを必死に堪える。こんな気持ちは初めてだった。

 その時だ。ざわつきた会場の中で客席からの声が響く。


「~ならなくて大丈夫~♪♪」

「「っ!」」


 それは、いつまで経っても再開されない不満の声を打ち消すかのように、最前列から二人を励ますかのように包み込む。


 聞き覚えのある声。いったい誰が……。


 そこにはペンライトを振りながら顔を真っ赤にして一生懸命に歌詞を紡ごうとしている康行がいた。


 真希から見える1番目立つところに彼がいた。

 いつから居たのだろう、最初から観てくれてた、康行に気づかないほど自分は……。


 彼の声に、そのアカペラに呼応するかのように、周りのファンが一人、また一人と歌いだす。


 その光景にどうしようもないくらい励まされ、奮い立たされ、そして勇気づけられる。


(……あ、ありがとうございます!)

 

 気がつけば自然とファンに頭を下げていた。

 なんだか体も軽くなり、いつのまにか視界が広がっていて、遠くまで見渡せる。


「あの人この前の……すごいことするなぁ……真希ちゃん、このハーモーニーに合わせて行こう、行ける?」

「もちろん」


 宏実の小さな声に大きく頷いてみせた。


 先程までは違いお腹のそこから声が出る。

 ファンのハーモニーに宏美と共に声を被せればそれだけで会場が1つになりつつあるのを感じた。


 でもまだ何か足りない、今ならまだ何か出来るような気がしてならない。

 宏美と動きをシンクロさせ、歌いながら康行をみれば、力強いペンライト捌きで周りを先導していた。はっとして、彼の言葉を思い出す。

 ステージ上にいても推し活を、それを実行する時だった。

 このファンの人たちを自分が先導する。


 真希はついてきてと言わんばかりに左手を大きく上げながら形作ってくれた雰囲気に歌詞に気持ちを込めさらに応えていく。


 ♪♪♪〜っ!?


「うおお、なんかすごいっ!」

「これ、やばっ!」

「こんなこと出来んのかよ!」

「♪♪♪~」


 ファンと一体になってステージを形成していったところで音楽も再開された。

 一段落ついたところで感謝の気持ちをこめて、遠慮がちに客席に拍手すれば、途端に歓声と拍手が木霊する。


 今日1番の大盛りあがり。


 その後も前半の失敗を取り戻すかのように真希は躍動しファンの心を満たし、この日のステージは大きな話題となりイベントは大成功で幕を閉じた。

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