第4話 推しの推し
真希に相談を受けてから数日が経過し祝日を迎えていた。
ここまで色んな万年筆返却作戦を考え試してきたがどれも失敗に終わっている。
鞄の中にこっそり返そう作戦は、返す前に中身の推しグッズの山に目がくらみ断念。
家に訪問して返してしまおう作戦は、家に向かう途中で自分が推しの家に行くのは恐れ多いと狼狽えこれまた断念。
何事もなかったように手っ取り早く返してしまおう作戦では、喋りかけることすら出来ずに……。
そんなこんなあり、真希に泣きつかれた格好で返すことを直接手伝うことになった康行は一般でも入れるという収録スタジオへとやって来ていた。
「ここ、だよな……」
オフィス街に立つそこは、モダンな外壁でなんだか大人な雰囲気を醸し出していている。普段通いなれているコンビニやアニメショップ、書店に入るのとはわけが違い、その入り口に足を踏み入れるのすら気後れする。
真希に許可されているとはいえ本当にいいのだろうかと挙動不審になりながらも無事に受付を済ませて来場者カードを下げて中へと通された。
「ママ、ママ、お姉ちゃんいる。いつもよりなんか綺麗」
「メイクしてるからよ。ほら、いい子だからこっちに座ってなさい」
「もう受付もしたし、ここに居てもいいのよね……」
場違いとも思ったが、収録ブースが見える隣室には同じようにあたふたしている人も見受けられちょっと安心する。
関係者の身内の人だろうか、年配の人や小さな子も兄弟姉妹で来ていてグループが幅広い年齢層に支持されているのがわかり、康行はなんだか嬉しくなって笑顔になった。
まずは新規のPV撮影から行われる。
メロディが流れ始めれば辺りから歓声と拍手が聞こえ、康行も真希の姿を視界に捉えると自ずと一緒に盛り上がる。
「うわっ、あの子凄い目立つ」
「彼女がいることでこのグループの華やかさが増すよね」
「綺麗……」
そんな中で見学者の視線を多く集め、話題に上がるのが康行の目的の相手である岡島宏実だった。
白い肌に、ゆるふわのセミロングの黒髪、モデルのようにどこにいても人目を引くほどの容姿。
ファッション雑誌にも顔を出すほどに華があり、歌も上手く常にセンターを務めているのが彼女。
「っ……んっ……っっ!!」
ここまで順調にスケジュールをこなしてきているのをみて、自力で乗り越えたのかとほっとしかけていたら、新曲の収録となった途端に宏実はどういうわけか急に言葉に詰まり何度もリテイクを繰り返していた。
「それじゃあ最初からもう一度」
「す、すいません……」
そんな様子を間近で見ていた子供たちは、
「なんかあのお姉ちゃん、いつもと違うよ……」
「なっ! いつもは失敗したりしないのに……」
心配しているような声が上がり、
「またあの子のとこ……」
「いつもはこんなことないのにね、どうしたのかな?」
「センターの子でしょ、しっかりしてもらわないと……」
見学者の大人たちからは不満が滲む言葉が聞こえてきていた。
失敗するごとに宏実を見る真希以外のメンバーの視線もきつくなっていく。
やがて指折り出来ないくらいのやり直しをむかえ――
「~♪♪ ~~♪ こほっ、ごほっ……っ」
「だ、大丈夫!?」
メンバーの一人が歌いすぎたのか咳き込み喉元を押さえうずくまる。
心配そうに駆け寄った宏実が手を差し伸べたが、その手は冷たく払いのけられた。
その場の空気が凍り付く。
広実はぐっと唇を噛み、手を払いのけた彼女はため息交じりに頭を掻く。
それを皮切りに周囲の温度は冷え込んだまま、宏実に向く視線があんたのせいだとも言っているほどにきついものになっていく。
そこからさらに失敗を繰り返せば、もう我慢ができないと不満は表へと爆発し漏れ出てきた。
「ちょっと宏実、いい加減にして! 何回やり直しさせるの」
「そうだよ。あなたがいつも言ってるんじゃない。誰かの失敗はそのまんまグループに迷惑がかかるって。ソロでやってるんじゃないのよ……」
「そりゃああなたは潰しが効くから、いいかもしれないけど……グループにとって今が一番大事な時でしょ。しっかりしてよ!」
「ご、ごめんなさい……」
周りから攻められている宏実はただ謝り悲痛な顔で唇を噛んだ。
この空気を作り出してしまったのは彼女で、自分だけならいざ知らず、周りに迷惑を掛けていることが浮き彫りになり、その悔しさは表情へと表れていた。
真希はといえば、そんな彼女を見て涼し気な表情は変わらなかったが、彼女以上に心を痛めているように俯いて両手をぎゅっと握りしめていた。
(これ以上みていられねえなぁ)
康行はディレクターらしき人に近づき声をかける。
「あ、あのっ」
「んっ?」
「いったん休憩挟んだ方がよくないですか? このまんまじゃ大きな失敗に……仕切り直せば彼女も切り替えられるかも」
「そうだな」
プロの現場でただの一般市民の自分がいっちょ前に意見を言うことは躊躇われたがこれ以上推しの辛そうな顔は見たくない。
「みんな熱くなりすぎだよ。いったん休憩にしよう」
その声を聞いて、宏実は飛び出していく。
返すなら今しかないかと思い、真希に指で合図して他のメンバーが話し合いをしている背後で宏美の春用のコートのポケットに万年筆を返す。
「ふぅ~、もうこれで大丈夫だろ」
「はい、でも、その……」
真希の目は走り去って行った宏美の姿を見つめていた。
「任せろって言ったろ。彼女の様子は俺が見てくる。君はこの雰囲気の悪さをちょっとでも改善してくれ」
「はいっ!」
探し始めて数分、自動販売機の前の休憩所のような場所で彼女を見つけた。
周りには誰もおらず、1人ソファに座り俯いている様は明らかに落ち込んでいる様子で、なんとなく声を掛けずらい。弱ったなと頭を掻く。
岡島宏美。
ここまで想像も出来ないくらいの努力で駆け上ってきたことは、インタビュー記事などに目を通せば一目瞭然。
何と言っても推しの真希が推すくらいの人物。
「……」
そんな彼女をもってしてもここまで……。
それは宏実にとって、あの万年筆がそれほど大切なものだということ。
今ここで手元に戻ったと言うべきだろうか。
だが追求されたら、真相を話してみても真希の立場が危うくなるかもしれない。
どうするべきかと、考えが頭の中でぐるぐる回ってその場に佇んでいると、
「お、お姉ちゃん、ここ、さっきも通った……もしかして迷った?」
「そうだったかな……だ、大丈夫だから」
あたふたし、道に迷っているような小さな姉妹が休憩所の傍を通る。
その二人の声に彼女は顔を上げたかと思ったら、どういうわけかさっきまでの表情とは一変していた。
目を見開いて、不安で今にも泣きだしそうな姉妹に駆け寄ったかと思ったら、
「大丈夫? 道わからなくなっちゃったの?」
「は、はい……う、うっ」
「な、泣かなくても大丈夫。お姉さんが助けるから……~♪♪ ~♪♪」
励ましながら微笑み、子供たちが誰でも知っている歌を美声で披露する。
それは、さっきまで声が出なかったのが嘘のような、心に響く声だった。
妹の方は途端に泣き止んで笑顔を作る。
周りにいた人は宏実の豹変に目を釘付けにしていた。
(ど、どうして……?)
困った人が居れば放っておけないのか、姉妹ということに何か意味があるのか、子供好きなのかはわからない。
だが、瞬間的にアイドルの顔になって周りの空気を一変させたのは確かだ。
「お姉さん、お歌も踊りも歌い人だ」
「そっか。2人も見学してたんだ……外に出たいの?」
「うん。お母さん近くのデパートで買い物してて、もうちょっと見ていきたいから……」
「デパート……えっとね……あ、あの?」
「……どうかしたの?」
すっかり元気になった姉妹は道を教えてもらえると喜んでいたのだが、自信満々だった彼女の表情はみるみる曇り、その様子を見ていた康行に助けを求めるような視線を向けた。
「私も方向音痴で……。この子たちが行きたい場所わかったりする……?」
「…………」
「あの?」
「えっと、わかると思う。案内は俺がするから。大丈夫なら君は戻っていなよ」
「うん、君……どこかで私と会ってない?」
「お、俺は白崎真希の連れだから」
「真希ちゃんの……そうなんだ……またね。お姉さんを、妹さんを大切に、仲良くするんだよ」
姉妹にそう告げると彼女はスタジオへと踵を返す。
その後ろ姿を見送りながら、裏表がないというか、なんとなくファンが多いのもその容姿以外のところで納得する康行だった。
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