第3話 相談事
あれから10日。
康行はすっかりいつもの日常に戻っていた。
学校に行き、バイトに励み、推しの曲を聞き、推しが出る番組や動画をチェックしたり、SNSでファン同士で交流したり。そんな今までと変わらない毎日。
結局あの後は何の音沙汰もなく、先日、白崎真希の家であったことは、夢か幻だったのかもしれない。
そんな風に思いつつあったある日の夕方、グループから緊急重大発表がされた。
「う、うそだろ……っ!?」
自分の部屋で事前にシャワーで身を清め、正装に身を包み正座待機していた康行は、思わず身を乗り出しモニターの画面を掴む。
そこに踊っている『1周年武道館開催決定!』の文字。
にわかに信じられなかった。
武道館ライブといえば1万人を動員出来て、1周年とはいえまだまだ発展途上のグループでは異例のこと、だが今売れに売れているグループとのコラボということで妙に催す説得力が出てくる。
このイベントの成否はグループの今後を左右するといって過言じゃない。
すぐさまSNSやスレッドを覗けば、そのことで持ち切りだ。
いたるうところで、
「ある意味博打だぜ」
「成功すればトップグループ確定」
「でも失敗すればそのままフェードアウトもありえる」
といった議論が活発に交わされている。まさに彼らの言う通りだった。
「絶対成功させなければ……前売り券は!? どうせならいい席で……!? うわっ、軍資金が心もとない、もうちょっとバイトを増やして……んっ!」
モニターに映る推しがいつもとはどこか違うようなわずかな違和感を覚える。
なんだろ? と考えてみれば、その表情が、先日ジャージ姿で対面したようなおろおろした時と重なって見えた。
「き、気のせいだよな……」
☆☆☆
そんなことがあり、バイトの日数を増やしさらに精を出す。
この日も学校終わりに意気揚々と仕事に出かけたら、珍しいことにご指名だと言われた。
首を傾げる康行。この仕事にそういった制度はあるにはあるが先輩たちでも実際に指名されているのを見たことがない。働き始めて僅かな自分にいったい誰がと思う。
だが現場に駆け付けるとその疑問は氷解すると共に、頬を引き攣らせる。
「……夢じゃなかったんだ」
そこは康行の推し、白崎真希の家だった。
「……」
「……」
そして無言で出迎えた彼女に招き入れられ、沈痛な空気の中、今にも泣きそうな彼女と向き合っていた。
一大イベントを控えているにもかかわらず何か落ち込んでるように見える。
あの違和感はやっぱり気のせいではなかったのか。
一体何があったのだろうか?
かれこれ10分はこうして無言でテーブルの上のお茶を眺めている。
そわそわしながらぱっと周囲を見回してみるも、前回康行が徹底的に掃除をした時から特に変わりはない。家事代行として呼んだというわけじゃないのだろう。
よくわからない状態だった。とにかく落ち着かない。
真希は以前訪れた時と違い、ジャージ姿でなく完璧にピシッときめたアイドルの姿そのものだから、なおさら。
やがて何か話の取っ掛かりが無いかと思っていると、机の上のあるものに気付く。
「……あれ、この万年筆は!? こ、これ……」
見覚えがあったこともあり、信じられず思わず大きな声になる。
「ち、違うんです! と、盗ったわけではないんです!」
やはり彼女の推し、岡島宏美の私物のようだ。
デビュー当時から、愛用していることもあってファンの間では有名で、姉からの贈り物とインタビューなどでもたびたび答えていたのを康行も知っていた。
「い、いや、別に盗んだなんて思ってないよ。でも、なんでここに……?」
「……その、この間、楽屋のすぐ近くに落ちていて、拾ったんですが……」
「そ、それで……?」
「返そう、返そうと思っていて、でも周りに誰かいたりして、なかなかその機会がなくて……」
「ま、まあそういうのってその場じゃないと、なかなか返しづらくなるのは俺も経験あるよ……」
「で、ですよね……」
ようやくと話が始まったかと思ったら、なんだか
1ファンの自分にはただ聞くことしか出来ない。
弱ったなと腕を組む。
それでも話すことで推しである彼女の気が晴れるならまあいいかと、康行は頭を掻いた。
「それで、返せずに今に至っているわけか……」
「はい……そ、その、それだけならまだいいんですが……」
「他にも何か?」
「いつの間にか窃盗騒動になってしまってて……」
「っ! ま、まあ、大事なもんだしな……でも、それは随分とややこしくなったな……」
顔面蒼白になりながらも、両手を握りしめ、状況を途切れ途切れに彼女は伝える。
なかなか返せないでいると、宏実の方も失くしたというより、取られたと思ったのか、周りが騒ぎ出したのか、詳細なところははっきりしないが、騒ぎになったということらしい。
厄介なことだなとため息をつきそうになる。
「犯人探しみたいな言葉も飛び出して、宏実さんも落ち込んじゃって、グループ内の雰囲気も悪くなってしまって、練習にも影響が出ちゃって……このままじゃ来月の1周年のライブも上手くいかな……」
その言葉を聞いて、それまで相槌や話の先を促すだけだった康行だが、瞬間的に眉を顰め、勢いよく立ち上がる。
「っ!? それは一大事じゃないか!」
「はい、ですから……」
「武道館でのライブだぞ。しかも君たちよりも人気があるグループとのコラボライブ。周年とはいえ、人気を考えれば会場のファンの数は劣勢だろう。おまけとしか見られてもないかもしれない。それでも、大勢の人の前で、存在会を示すいい機会じゃないか。トップアイドルへ駆け上れるかもしれないのに、そんな小さな揉め事みたいなものでチャンスを棒に振るのかよ……ダメだ、ダメだ、そんなの絶対にダメだ」
「で、でも、私じゃどうしたらいいか……」
「君が1人で抱えることはない。落とし物を拾った。ただそれだけのことだ」
「あ、あの……た、助けてください!」
「任せろ! 俺が絶対に何とかする!」
「し、師匠!」
少しほっとして背負っていたものが軽くなったのか、彼女は僅かに表情を緩める。
それと同時に康行も冷静さを取り戻していく。
あれ、またやってしまった……と、康行は頭を叩いた。
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