番外編 パンツァー
パンツァーとは勘を頼りに書くことを言います。
これは英語圏のイディオムから来ているとされます。対義語としてはプロッターでしょうね。よくパンツァーのことを行き当たりばったりだと表現しますが、それは一般的にプロットを書くことが執筆前の基本スタイルだという立場から見た偏見だと思います。創作本のABCでもプロットをかならず書くことを要求されます。
ほんとうにパンツァーはつかえないのか? 今回はそれを検討してみたいと思います。じっさい問題としてパンツァーはいないのか。これには疑問符がつきます。
いるにはいる。たぶんその程度だろうとは思います。勘が身についている上級者がやることでしょうか? たぶんそれはちがいます。自分のなかで「小説」があるひとはどんどんパンツァーになるべきだろうと私は思います。
小説の基本要素は描写・説明・場面からできています。
ざっくりと説明しているというよりかはこれが小説を腑分けするとこの要素しかないということなのです。なので有限個の三要素の組み合わせですべての小説は説明できますよね。ここから言えるのは自分が書き出したときにこの三要素のどれかを書き出しているときには、自分はだいたい小説を理解できていると認識すべきだということですね。
小説がどんなにめちゃくちゃな内容であろうと書けているなら問題はないです。それは単に批評すべき内容ではないという別の側面のはなしです。なのでみんな気軽に小説を書いたらいいんじゃない? って思います。時間を取って表現するのは誰でもできますから。
そういう原初的な状態の人間はだいたいパンツァーです。なので、パンツァーを怖がるな、勘を頼りにするのを怖がるなと言ってもいいです。
パンツァーでいったいどれくらいの枚数を書けるのでしょうか。わたしは最大で原稿用紙一〇〇枚を書いたことがあります。なので、気軽に書き始めてみて止まらなければ、終わりにしなければだいたい終わらないです。
畳もうとすればするほど畳めますし、それは最短の小説を書く訓練にはなるよ、とは思います。短い小説を書くことによって得られる学びは構成面でしょうね。どういう小説を書きたいかが如実に出てしまうのが短い小説です。
では長い小説はどうでしょうか。
思うにまずは空間描写、心理描写を使ってまず埋めてみるのがいいと思います。そこから肉付けをどうしていくか。説明がいるのか、会話文を使った場面がいるのかなどを考えながら書くのです。それで充分、パンツァーでもやっていけるでしょう。考えるということはいままで見てきた小説を学習して書くということでもあります。学ぶという言葉は真似るという言葉から来ていると一説には言われています。
AIの大規模言語モデルがもたらした福音は学習とは真似から来ているということを一般的に証明してしまったということだと思います。インターネット上のウェブページから言葉を真似て、学習したと言い張って、ユーザーの前で発表しているわけですから。
考えて書きましょう。それは勘を頼りに直観的に書くことと同義だということをどうして小学校では教えてくれないんでしょうね。
さてここまではパンツァーで書いてみました。構造を持つような小説や論文ではパンツァーではやっていけないとも言われています。しかし、短いものから始めて徐々に長くしていけばパンツァーでも可能性が見えてくると思います。それは腕を上げていくことです。書けることに自在になりましょう。きっと流浪の文章もどこかにたどり着けると願いをこめて今日はおわります。
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