第3回 文章を考えてみよう(3)視点の基本篇その1
公募ガイドがインターネット上に出している「小説の取扱説明書」というPDFを参照しつつ進めます。もし気になるひとがいたら各自でダウンロードしてみてください。
人間を書くためにどうしたらいいでしょうか?
これは近代小説から端を発した問いです。それまでの小説は物語を書くもの、つまりは事柄を書くものでした。たとえば「竹取物語」や「イリアス」がそうですね。
問いに戻ると人間を書くということは人間の心を書くということです。これは前回の「文章を考えてみよう(2)」で書いたことですよね。刻一刻と変化する人の内面を、絶えず動いていく、変わっていくものを描くのが小説です。これは近代小説では二葉亭四迷の「浮雲」から始まったのです。
もうひとつ大事なのは、人間を描く小説がもてはやされるようになってある存在がクローズアップされます。誰でしょうか?
読者です。
これまでは勧善懲悪といった分かりやすい物語を一方的にうけとるのが普通でした。これが近代小説の起こりによって読者が参入できるようになりました。こうなると、小説というものは読者と作者で作られるものとして変化していきました。
視点のあり方も変わりました。
それまでの物語は全知視点というスタイルがふつうだったのです。誰の目線にも立てるし、入ってゆける、そんな書き方です。神話がまさにその書き方をしています。ある種の説明調ですね。これは童話ならOKですが、大人たちは納得しなかったのです。説明だけではなく、もっと会話をする、それでもだめです。所作を見るのです。その人の振る舞い、身振り手振りを見る、そうしたときにほんとうに人物のことが見えてくる、分かってくるのです。これを描写とします。
小説を書くときに描写が大事だというのは、そこなのです。
描写の手法の次なるターニングポイントは田山花袋の「蒲団」です。
田山は平面描写という手法を編み出します。平面描写は、たとえば各人物の描写を一様にフェアに書く書き方です。さきほど書いたように読者が作家とともに小説を作るとき、作者が人物の動き、所作、振る舞いをまんべんなく書いて、あとは読者に解釈を任せるように小説を書いたのです。ここから作者の書いた文章に読者が思った解釈の余地というものが出てきます。このようにして近代小説はスタートしました。
この田山のある種の反発として一元視点というものが出てきます。平面描写は一人ひとりの人物が薄っぺらく見えてしまうからです。
岩野泡鳴が一元視点を提唱します。岩野は田山と同じ自然主義の作家で、ありのまま書くのですが、一人の人物がカメラを持って、主観をもって、描写しました。平面描写では主観を排しますが、岩野泡鳴はひとりの人物の目にカメラを固定したときに、その人物の主観は大いに入ってよろしいとしたのです。
このあたりから極めて現代にも通じるような小説が生まれてくるのです。
人称の歴史的経緯の話を書きました。リアリティがあるなら視点の問題はむしろ堅苦しく考えないほうがいいですし、むしろ三人称一元視点なら自由になるべきだとも資料にはあります。ここでいう自由とは三人称的に話を進めて、とつぜん神の視点に立つような書き方です。ほかにもパターンはいろいろあると思うので研究してみると面白そうですね。こういうダイナミックな動きができるのは三人称ならではでしょうね。また三人称で進めていって「ここぞ」というところで一人称的になる文章もあります。一人称で書くことによって没入度を上げているのです。
人称のはなしは奥深く、作家仲間と話し込んでみたい内容ですね。
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