13 特攻(2)
幹生が現在教えている二つのスポーツクラスの古文を、一年、二年と頃末が二年間教えていた。頃末は態度の悪い生徒は大声を出して叱りつけ、ゲンコツをはめた。それでも態度の改まらない生徒は職員室に呼び出し、正座させて、きつい言葉で怒鳴りつけた。どうにも手に負えない者はクラス担任に苦情を言い、あるいはその生徒が所属する部活の顧問に言いつけた。大概の生徒はこうして頃末の言うことを聞くようになるのだった。
頃末がスポーツクラスの担当を好むのは運動部のタテ社会的秩序が利用できるからだった。生徒を最終的には担任や部活顧問との上下関係でコントロールできるからだった。頃末は、「お前たちが言うべき言葉はハイだけだ、と私は生徒に言ってますよ」と自慢げに語るのだった。スポクラの担任は部活の顧問が殆どで、教員の中の最年長で学校の古株である頃末に逆らう者はいなかった。教科内に対しては手のかかるスポクラを専門に受け持つことで恩を売ってもいた。定年後も勤め続ける自分のメリットをそこでアピールしていた。
かつて国語科の教科主任だった八田が、定年で退職する時、同年齢の頃末に、一緒にやめようや、と何度か誘ったものだ。誘いながら八田は、「この人も結構意地が悪いからね。もうやめた方がいいよ」と隣席にいた幹生に(その時も幹生は頃末の隣だった)冗談めかして笑いかけた。八田には一目も二目も置いていた頃末だが、退職には断固として応じなかった。八田は嘱託教諭にもならず、あっさり定年退職してしまったが、頃末はそれを「気が知れない」と評した。スポクラさえ教えておけば、学校は頃末にとって老後の恰好の居場所だった。おまけにそこには弓道場という彼にとってのスポーツクラブさえ備わっていた。彼の人生設計に学校は定年後も固く組み込まれていたのだ。
頃末は毎日のように古典文法の小テストをした。生徒は間違えた箇所の正解を何度か書いて提出しなければならなかった。反復が彼の教授法の基本だった。頃末が二年間古文を教えたクラスを、三年になって幹生が受持ってみると、確かに助動詞の意味や活用を生徒達はよく覚えていた。
昨年度末のある日、幹生は教えているスポクラの生徒達と帰りの電車で一緒になった。その中の一人が幹生に話しかけてきた。「先生、頃末先生好きですか」とその生徒は幹生に訊いた。幹生はなぜそんな事を訊くのかと思いながら、自分の心の中を見透かされているようでドキリとした。「お前はどうだ」と幹生は訊き返した。「大嫌いです」と生徒は答えた。そうだろうな、と幹生は思った。「先生は好きなんですか」と生徒はまた訊いてきた。幹生は〈お前と同じだよ〉と答えて笑おうと一瞬思ったが、やはりまずいと思い直して、その言葉を呑みこんだ。そして、「普通だな」と答えた。「普通って? 」と生徒は問い返した。遠慮のない奴だと思いながら、その生徒の特徴的なギョロ目を見て、「好きでも嫌いでもないってことだ」と幹生は説明した。「ふーん、本当は嫌いでしょう、先生も」と生徒は切り込んできた。幹生は少し慌てて、「普通って言ってるだろう。それになぁ、こんなことはあまり口にすべきことじゃないんだよ」と応じた。「やっぱり嫌いなんだ」と生徒は言って頷いた。
「三年になったら古文は誰が教えるんですか。またあの先生は嫌だなあ。先生は古文教えないんですか」
生徒は話を変えた。それが言いたかったのか、と幹生は思った。
「来年度のことはわからんよ」
と幹生は答えた。
「先生、今の話は秘密にしてくださいよ。もし頃末先生にしゃべったら、僕も先生のことをばらしますよ」
と生徒は言った。幹生は内心舌を巻いたが、
「俺は何も悪いことは言ってないぞ」
と応じ、「話さんよ、馬鹿らしい」と吐き捨てるように答えた。
昨年度はそのクラスの現代文を幹生が担当し、古文は頃末が担当していた。その割り振りは今年度も変らなかった。生徒の願いは叶わなかったのだ。
おおっぴらに話を交わし、勝手に席を離れて動く生徒も出始めている教室に、幹生は苦慮していた。こんな状態を潮見のような教師が知れば問題にされる可能性は 大きかった。しかしそれは、幹生が実践を決意した時に予想していたことでもあった。教師の力による管理に慣らされている生徒達の中に幹生は「自由」を持ち込んだのだ。強制されて勉強することに慣らされ、勉強とは教師の強制によってなされるものという「考え方」が沁みこんでいる生徒にとって、幹生の授業は遊ぶ時間となった。そして幹生は生徒のそんな「考え方」を変えることができなかった。幹生は教科書も出さず、勝手にしゃべり、動き回る生徒が過半となった教室を眺めて悔いることもあった。以前のように「教科書を出して」と言い、机間巡視をしてチェックしてから授業を始めることくらいは、やはり続けるべきではなかったか、と。しかし、今さらそれを復活することはできなかった。
幹生は聞いている生徒が四、五人しかいない教室で声を張り上げて授業をしていた。週四時限、現代文だけを教えているクラスはまだよかった。そのクラスは一年時から教えており、生徒達にも馴染があった。週四時限という授業時数は少ないものではなかったが、それでものべつに顔を合わすという感じは持たずにすみ、生徒との間に緊張感を保てた。問題は週八時限の授業をしなければならないクラスだった。授業を聞こうとしない生徒が過半になっているクラス。そんな生徒達と週八時限も向き合わなければならないのだった。幹生は無力感を感じながら教壇に立ち続けた。彼が生徒達に語りかける材料としては教科書に載っている古文や現代文の文章しかなかった。そしてそれは生徒達の大部分が興味・関心を抱かないものだった。興味・関心のないものについての話を静かに聞かせるためには強制力が必要なのだった。頃末がするような強制が必要なのだった。そしてその結果は、勉強嫌いの、自主性のない生徒をつくることになるのだった。しかし学校ではそれが評価される教師だった。幹生は学校という場で行われる「教育」というものの虚しさを噛みしめながら教壇に立ち続けた。
幹生は自分の信念が間違っているとは思わなかった。しかし、不用意であったという思いはあった。この学校の中で「自由教育」を目指すにはもっと準備と工夫が必要だったという思い。しかし、それがどういうものなのか、幹生には今もわからなかった。準備不足は感じながら、逸る気持に駆り立てられるように幹生は実践に踏み切っていったのだ。いわば玉砕を覚悟して突っ込む特攻のように。
苦境の中でも幹生は生徒達に語りかける気持は失っていないつもりだった。しかし、自分の言葉を受けつけない生徒達に対して、次第に語りかける言葉を失い、生徒への嫌悪や怒りで心は次第に硬化していった。一握りの生徒しか聞く者のいない教室で、幹生は孤独に、事務的に、授業を進めていくようになった。こんな乾いた気持は切替えなければと思っても、今日、この後もう一回、このクラスの教壇に立たなければならないのだと思うと、気持が萎えてしまうのだった。初めて接する生徒達であり、彼らとの間の心の糸はいかにもか細く、そっぽを向いてしまえば互いにすぐ切れてしまうものだった。
幹生がスポクラの授業を担当することが教科内でここ数年定着してきたようだった。学習意欲の希薄な生徒が多いスポクラを担当することはどの教師にとっても負担であった。教科主任が担当クラスの配当を決めるのだが、幹生は所属学年ではない三年のスポクラの担当にされることが続いていた。それまで縁のなかった三年生にいきなり対面させられるのだった。幹生が負担する分だけ三年所属の国語科の教員は重荷を免れる。幹生は自分の生き方の然らしめるところとして基本的にそれを諒としていたが、授業の苦痛が高じると、定年に近い自分に負担を被せて、楽な思いをしている教科主任の室伏以下の、いずれも学校の主流派に属する若い教員たちに怒りを覚えることもあった。
週八時間授業をするクラスに、幹生の授業を毎時間熱心に受ける生徒がただ一人いた。この生徒は一学期の初めに、授業中周囲がうるさくて勉強ができないと苦情を言ってきた生徒だった。授業を真面目に受けている生徒だけにその訴えは重かった。神経質で、自分に不信感を抱いている生徒なのかなと幹生は警戒した。この種の生徒には対応を誤ると不満を担任や他の教師にまで言っていく者もいる。幹生は生徒達への注意を強めた。幸い一学期はまだ注意をすれば静かになったのでよかったのだが、それでも騒がしいことはあり、幹生は神経を使ったのだ。以後、生徒は苦情を言ってこなかった。二学期に入って授業中は騒がしくなったが、この生徒からの苦情はなかった。幹生が危惧したようなタイプの生徒ではなかったのだ。彼は二学期に入ってむしろ成績をあげてきた。最終的には古文、現代文ともに5の評定に当る成績を出した。騒がしい教室の中で、その生徒だけは特徴的な大きな団栗眼で幹生を見つめ、ノートを取り続けた。最後の時期には幹生はその生徒一人に対して授業をしているような状況となった。
幹生にとっての救いは三年の授業は二学期末で実質的に終ることだった。年明け後の三学期は、センター試験対策、二次試験対策の授業が特進クラスを主とする一部の生徒に対して行われるほかは通常授業はなくなるのだ。学年末考査が十一月末に行われ、それで三年生は成績が確定するのだった。
学年末考査が終って、十二月半ばの終業式まで二週間ほどの期間が残されていた。各教科の教師達がプリントを作ったり、ビデオを見せたりして授業時間の消化を図る期間だった。週八時間の授業のあるクラスは、考査が終ってから終業式まで、現代文と古文を合せて二十コマの授業が残されていた。幹生にはいっそいらないと思われる時間だった。これが最後の関門だった。幹生は、現代文は漢字や言葉の知識に関するプリントを、古文は教科書の中の短い文章を一つ読むことで消化することにした。
この残された二十コマは幹生に任されたと考えることもできる時間だった。学年末考査が終ったのだから次の定期試験はなく、試験のために他の教師と教材や進み具合を合せる必要はなかった。幹生が生徒の興味・関心に立脚した授業をやろうと思うなら、独自の授業ができる絶好の機会と言えた。しかし、既に打ちのめされ、気力の萎えていた彼は、そんな前向きな捉え方ができなかった。残された二十コマはなお自分に押しつけられる苦痛な時間としか捉えられなかった。適当にやり過ごそうという発想しか幹生は持ち得なかった。もちろん、たとえ幹生が生徒の興味・関心に立脚した授業を試みたとしても、生徒の側のやる気のなさや、幹生のそんな授業に対する経験や力量のなさのために挫折する可能性は大きかった。しかし失敗したとしても、それは次の実践のための蓄積にはなっただろう。
学年末考査が終ると生徒達の授業態度はいよいよ乱れてきた。中でも、幹生に手を焼かせる三人は、授業中に公然とトランプ遊びを始める始末だった。幹生は苦痛な授業を、あと何コマと、指折り数える思いで潰していった。
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