12 特攻(1)
幹生が教えているクラスはスポーツクラスと私立文系クラスだった。彼は特進クラスの担当からは常に外されていた。幹生が受験指導に熱意がないこともその理由の一つだが、学校の主流派の核のような国語科の中で、その雰囲気に馴染まないでいることもその理由と言えた。どの教科においても特進を担当することはその教員のステータスを示すことと捉えられていた。そんな位置をいわば教科の外れ者である幹生には与えないのだった。特進の一組を教えたことがないということは時に幹生の自尊心を刺激することもあったが、教育や人生に対する自分の考え方の然らしめるところとして彼は諒としていた。
スポーツクラスは運動部に所属している生徒を集めたクラスで、推薦入試で入学してきた生徒が殆どだった。通常は学年に一クラスなのに、幹生が所属するクラスには三クラスもあった。吉武と蜂須賀の「改革」時に、定員割れを防ぐために部活の顧問に無制限に生徒を推薦させ、推薦された生徒は無条件で入学させたからだった。入学してきた生徒の中には通知表の五段階評価が全教科2というような者も少なからず含まれていた。
幹生はスポーツクラスを二クラス教えていたが、その内の一クラスは週八時限の授業を担当していた。古文四時限と現代文四時限を教えるのだった。そのため、そのクラスは一日に二回授業をする日が週に三日あった。土曜日を除いて毎日、そのクラスの授業があった。そのクラスの担任が持っている授業数よりも多かった。幹生は教科主任に同一クラスの二科目を担当するような授業配当はやめてほしいと申し入れていた。それで本来は現代文だけ四時限を担当することになっていた。ところが今年度の始業式直前になって奈良井が退職した。奈良井がそのクラスの古文の四時限を担当することになっていた。それがだめになり、急遽、幹生に回されたのだった。緊急事態ということで幹生も受け入れざるをえなかった。
スポーツクラスの生徒は概して学習意欲に乏しかった。部活をするために入学したと意識している生徒が多かった。そんな生徒には勉強は添え物と捉えられていた。しかもスポーツクラスの生徒は進級が保証されていた。どんなに成績が悪くても落第がなかったのだ。これも勉学に対する生徒のモチベーションを低下させる作用をしていた。
「自由教育」の実践を決意した幹生は、勉学に対する生徒の自主性・自発性を引き出すことにその眼目を置いた。彼の実践は九月半ば頃から始まった。生徒の自主性・自発性の重視は以前から幹生の念頭にあることなので、その意味では相変らずの姿勢と言えた。ただ意気込みが違った。ニイルやIの著書を読んだことで、生徒を学ぶ主体として捉え、それを育むという方針の正しさへの確信は増していた。生徒が学習活動に対して主体的になるためには授業内容に興味を抱くことがその第一歩だった。
彼は授業開始時にいつも言っていた「教科書を出して」という言葉を言わなくなった。それは中学校の国語教育において「日本一」と言われた女教師の、「子どもに、ああしなさい、こうしなさいと言ってさせるのは素人なので、何も言わなくても子どもが自然に聞き入り、一生懸命になってしまうような授業をするのが専門職教師」という言葉が頭にあったからだ。この女教師の言葉はIも著書に引用していて、幹生の印象に残ったのだった。幹生は生徒を自分の授業に引き込みたいと思った。何も言わなくても生徒が自分の話に聞き入り、教科書を出してくるような展開を思い描いていた。しかしその実現のためには、それに値する授業が為されていなければならないのだった。そのためには教師の側の様々な工夫や努力の蓄積、培われた力量などが必要だった。何の用意もないと言っていい幹生が、「日本一」の先生の努力の結果だけを真似ようとしていたのは滑稽だった。
教科書忘れのチェックも彼はしなくなった。教科書を出せ、と言って机間を巡視し、忘れたと言う者は記録簿に記す。その回数によって学期末に試験の素点から減点する。一学期はそうしていた。しかしそんなことが幹生にはとてもくだらないことに思われた。
大切なことは生徒が興味・関心を抱いて授業に臨むことだった。そのためにIは質問中心の授業を展開していたのだ。幹生にはIのように「何でもいいから質問しろ」というような呼びかけはできなかった。彼にはそんな用意はなかった。幹生は教える教材の内容を、生徒が興味を抱くようにいかに語るかに心を配った。生徒が関心を持ちそうな話題に絡ませて語ったり、生徒の耳に入りやすい語彙を使って語ったりした。また、社会事象など、教科を離れた事柄についても、思いつけば取りあげ、それについて自分の考えを述べ、生徒の考えを質したりした。学習意欲の薄い生徒達に対して、なぜ勉強しなければならないのかという問いを発して、話合いを試みたりした。これらは生徒の「考え方」に揺さぶりをかけるというIのやり方に倣ったものだった。「反省とは意識を変えること」であり、「反省が処分である教育」とは生徒に意識の変革を迫る教育だった。「考え方」が変らない限り、いくら「処分」を重ねても生徒の行動は変らない。生徒の「考え方」を変えるには、一つの問題をめぐって、教師と生徒が真剣に、本音で話し合わなければならないのだ。Iは生徒達とそんな話合いを展開していた。幹生の場合はうまくいかなかった。幹生の問いかけに生徒は答えず、考えようとする雰囲気も希薄だった。もの言わぬ生徒に、幹生が自分の考えを一方的に述べることになり、結局自問自答という形になってしまうことが多かった。それには問いかける幹生の側にも問題があった。その問いが生徒にとってどれだけの重みを持つものなのか、前もって吟味されてはいなかった。また、関連して、その問いに対する真剣に考えた答えを幹生は用意していなかった。いわば思いつきの発問に、お座なりの答を対応させていたのだ。幹生はIの実践を皮相的に模倣していたに過ぎなかった。
生徒から時折質問が出ることがあったが、それは幹生個人に関することに限られていた。年齢や経歴、家族、趣味など。時には答えにくい、あるいはふざけたような質問もあったが、生徒が自分達の前に立つ教師について先ず知りたいと思うのも当然と幹生は考えて、できるだけ正直に、誠意をもって答えようと努めた。
幹生は生徒に抑圧感を与えないようにも配慮した。思いつけば照れ臭さを押し切って冗談を言った。それで生徒達とは何回か一緒に笑い合うことができた。ニイルの「権威を捨てよ」という言葉が幹生の頭にあった。示威的な物言いは控えた。怒声を発しないように戒めていた。
注意も少なくなった。私語をする生徒、居眠りをする生徒に対して幹生は注意を控えるようになった。自発的な、自主的な学習こそ意味があるので、強いられた学習は無意味だった。そう考えると、私語や居眠りをする生徒への対応は、「静かにしろ」とか「起きろ」などという注意ではなかった。私語や居眠りはその生徒が授業に興味・関心がないことを示しているのだった。だから正確な対応はその生徒の心に授業に対する興味・関心を喚起することだった。
しかし、それは困難だった。非常に困難だった。先ず、授業内容が生徒の選択したものではなかった。教師が教科書に並ぶ文章の中から勝手に選んで押しつけたものだった。その上、古文などは千年も前の宮中での出来事を述べたものが多く、生徒の日常とはかけ離れた世界だった。生徒としても、自分の意思が少しも反映していない教材に興味を持つことは困難であるに違いなかった。自由学校ならば学ぶ内容を生徒自らが選択決定できるのだ。それは学習に対する生徒の主体性を確立する上で決定的な違いだった。教材の選択については教師も似たような事情にあった。どの文章を選ぶかは教師間の話合いで決まるので、担当教師の自由にはならなかった。
しかし、そうであればなおさら、普通の学校では、生徒を授業に引き込んでいく特別な準備や工夫が必要となるはずだった。総じて、普通の学校で「自由教育」を実践するには幹生の側にあまりに用意が足りなかった。生徒の自主性・自発性をお題目のように唱えるだけで、彼にはそのためにどうすればよいのかという具体的な方法の探究もなく、工夫もなかった。生徒を引きつけて動かす教師としての力量も備わっていなかった。
一方、生徒にとって幹生の授業時間がより自由に過ごせる時間になったのは間違いなかった。幹生という教師の
幹生が週八時間の授業を受け持っているクラスには全く学習意欲を示さない三人の生徒がいた。そのうちの一人のMは、幹生の問いかけに「古文には全く興味がない。頃末から二年間教えられて嫌になった」と答えた。「黒板に読めない字をグチャグチャ書いて、それを写せと言うんだ」と続けた。生徒は日頃教師を呼び捨てにしている。幹生も自分が呼び捨てにされるのを耳にしたことがある。一学期の彼なら、教師に面と向かって他の教師を呼び捨てにする生徒の物言いを咎めたかもしれないしかし、今の幹生にはそんな気持は起きなかった。教師に権威は不要なのだ。サマーヒル学園では教員と生徒はお互いをファースト‐ネームで呼び合っている。確かに幹生は頃末を嫌っている。頃末が生徒に呼び捨てにされるのを聞くのは感情的にはむしろ快い。しかし、たとえ彼が好意を持っている教師が呼び捨てにされたとしても、今の彼ならそれを咎めようとする自分の気持を抑えるはずだった。
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