11 夢のかけら

 もう五、六年も前のことになるが、自分が目指す教育を実践できるかもしれないという期待を幹生が抱いた時期があった。


 当時、教務部長だった蜂須賀が幹生に声をかけた。「小論文指導委員会」を設けるので、その責任者になってくれと言うのだ。蜂須賀が自分に声をかけてくるとはどういう風の吹き回しだ、と幹生は思った。漠然と感じたのは、自分を彼らの中に取り込もうとし始めたのではないか、ということだった。国語科の中でも孤立的であり、学校運営においても積極的な役割を果そうとしない幹生を、表舞台に引き出して、自分の指揮下に掌握しようという蜂須賀の意図を幹生は感じた。


 応接室で向き合うと、日頃話を交わすこともない二人の間には、ぎこちない雰囲気が漂った。蜂須賀はその雰囲気を打ち消すように、

「突然の申し出で、申しわけない」

 と言って、軽く頭を下げた。そして、

「早速ですが、先生は小論文についてはどのようにお考えですか」

 と切り出してきた。幹生は少し戸惑った。本当は少しも関心はなかった。流行している入試の一方式に過ぎなかった。幹生も小論文の作成を指導したことはあった。それは結局は手順をマニュアル化したテキストを用いたものとなった。つまり、テクニック的にポイントを教える通常の受験指導と変るところはなかった。しかし、この場で無関心を表明するのはまずいと幹生は思った。

「指導していかなければいけないでしょうね」

 と幹生は答えた。蜂須賀は頷いて、

「教務として考えているのは、進路指導と結合して、小論文指導を進めようという方向なんです。総合的な学習の時間も近々導入される模様ですから、その時間も使って、小論文指導を教科指導と並ぶ柱として取り組みたいということです」

 と述べた。そして数枚のプリントを綴じたものを幹生の前に置いた。表題は「小論文指導の基本的な考え方と取り組み」となっていた。幹生は一枚目のプリントに目を通した。


 「指導の理念」には、「『読み』『書き』『考える』という小論文指導を通して、『人間教育』を実践し、自学自習する生徒を育て、前途有為な社会人へと導く」という文言があった。「学ぶ態度の育成」という項目では、「生徒自身が調べ、生徒同士で学びあい、先生も一緒に学ぶという学習観の転換が必要」「生徒の主体的な姿勢をどう育むか」などの言葉が目に入った。更に「進路観の育成」という項目には、「自己理解をベースに興味ある学問や職業について調べる進路学習をすることと並行して、小論文学習を通じて社会認識を高める」「社会認識→自己理解→進路学習」「志望や生き方の確認としての小論文」「啓発的な体験学習で自己と社会の接点を見つめる」などの語句が並んでいた。


 それらは幹生の気持を惹きつける言葉だった。単なる受験指導ではないのかな、と幹生は思い、少し心が動いた。

「小論文指導は三年生になってからでは遅いので、一年生の時からしっかり組みこんでいきたいと思ってるんだけどね」

 と蜂須賀が補足した。

「人間教育ですか。いいですね」

 と幹生は応じた。蜂須賀が考えることだから、幹生が思うような生徒一人一人の興味や関心、主体性に立脚した、人間を育てる教育とは違っているだろうとは思ったが、文字面だけを見れば幹生が追求したいと思っている教育と似通った内容が述べられているのだった。


 この男は賢い男なのかなと幹生は蜂須賀のことを思った。自分の志向を察知していて、誘えば乗ってきそうな方針や考えを準備したのかなと思ったのだ。こういうことを蜂須賀が本当に考えているのなら、この男に対する評価を変えなければならないとも思った。話ができない相手ではないことになるのだった。

「教育は人間を育てるということにやはり主眼があると思うんですよ。生徒が自主的・主体的に社会や自己についての理解を深め、それを小論文にまとめていくというのは賛成ですよ」


 幹生の言葉は弾んでいた。「人間」を教育の主題としてとらえる趣旨の発言を学校の改まった場で初めて俺はしていると幹生は思った。これまでそのような議論を幹生は学校で展開したことはなかったが、聞くことももちろんなかった。学校では生徒の成長や発達はそれ自体が議論の対象として語られることはなく、大学合格や部活の優勝などが話題となる際の話のつまみに添えられる程度なのだ。

「生徒の成長・発達を小論文学習を通じて計るというのであればよいと思いますよ」

 幹生は賛同の言葉をくり返した。しかしそれは賛同の単なる表明ではなく、自分はそう理解したがそれでよいかという蜂須賀への確認の意味も含んでいた。幹生の目的はあくまでも生徒の成長だった。小論文の作成ではなかった。上手な小論文の作成による大学入試合格ではなかった。そのことをも幹生はこれらの言葉で蜂須賀に伝えようとしていた。幹生は本当は「小論文」などという条件は除きたかった。生徒の成長・発達をストレートに正面に据えたかった。しかし、それは学校の現状では望むべくもなかった。


 活動の節目に小論文を置き、そこで成果をまとめるというのであれば、認めてもよさそうだった。要は小論文をどう位置づけるかということだった。蜂須賀とそこで食い違いがあるような気がした。が、それを今、問題にする必要はない。それはやり方の問題なのではないか。幹生は乗り気になっていた。


 蜂須賀は幹生の言葉に頷いた。別に異論は述べなかった。二人はしばらく笑顔で話し合った。それは二人には初めての経験だった。

「できれば先生に小論文指導の中心になってもらえたらと思っているんですが」

 と蜂須賀は言った。

「そうですね」

 幹生は笑顔を浮かべて応じたが、決断はしかねていた。引きうけるのであれば、やはり自分の考えに従ってやりたかった。

「私の考えを文章にして先生にお見せしていいですか」

 幹生は一段落を置くことにした。

 蜂須賀は怪訝そうに首を傾げて、「そうですか」と答え、「じゃ、先生の考えを見せてもらいましょう。ただし、時間もあまりないので、どれくらいかかります?」と訊ねた。

「うん、まあ、ニ三日あればできますよ」

 幹生は快活に答えた。日頃考えていることであり、やりたいことでもあるので、そんなに手間はかからないと予測した。


 職員室に戻る廊下を歩きながら、幹生は心に高揚を覚えていた。もしかすると、自分は今、教員生活で初めて、自分の志す教育の実践へ踏み出そうとしているのかもしれないという思いがあった。その機会が今、ようやく訪れたのではないか、という弾む思いだった。いや、あまり期待しない方がいい。大したことにはならないはずだ、という抑制の念も一方にあった。よく吟味すれば負担感もどこかに感じていた。しなければならない仕事が増えることになるという意識。しかし、圧倒的に高揚した思いが幹生の気持を領していた。


 幹生は翌日までに「プロジェクト学習(仮称)の導入について」と題するB4サイズのプリントを仕上げた。その内容は次のようだった。



■ 趣旨


 教育の本来の目的は言うまでもなく児童・生徒の成長・発達を促進することである。ところが周知のように多くの高校において生徒の成長・発達に主眼を置くのではなく、卒業後の大学進学において、どの大学に、どれだけの生徒を合格させたかということに目的を設定した教育が行われてきた。それは教師による知識の詰め込みであり、思考や実験を省略した結論の押しつけであり、生徒の知的活動を受身の位置に置き、知的活動の領域を受験の範囲に限定するものだった。学校存続のための現実的対応という事情は理解できるとしても、このような教育では真に自主的・主体的に思考し、行動する生徒は育たない。東大大学院の佐藤学教授によれば、日本の小中学生の学力は十九世紀型の基礎学力において強く、二十一世紀型の創造的思考において弱い特徴を示すという。また、学年が上がるに従って勉強嫌いになり、勉強しなくなる「学びからの逃走」が深刻化しているという。氏は反復や暗記を中心とする「勉強」の時代は終り、対象・他者・自己と対話し続ける「学び」の時代が始まろうとしていると提言している。(岩波ブックレット『学力を問い直す』)価値観の多様化、個性の重視、生きがいの探求、生涯学習の提起、自分独自のライフスタイルの追求などに表れているように、時代の動向は益々自主的・主体的に思考し、行動する人間を必要とするようになっている。…(略)…


 人間の知的能力の発達のためには自分を取り巻く世界に対する正確な知識が必須である。自然や社会、他の人間に対する正しい認識を持つことによって、自分自身に対する理解も育まれる。生徒が自分を取り巻く外的世界に対して積極的な関心を抱き、自らの主体的な行動によって知識を獲得していく活動が必要である。それを生徒に促し、また援助する教育活動としてプロジェクト学習(仮称)を提起する。


■ 目的


  自己を取り巻く世界に対する積極的な関心を持ち、正確な知識の獲得を通じて自己理解を深め、自主的・主体的に思考し行動する生徒を育成する。(「勉強」から「学び」へ)


■ 活動の概要


・【個人的プロジェクト】

生徒個人が自分でテーマを設定し、それについて一定期間、調査研究したり、体験したりする。成果を小論文にまとめる。(一学期に1~3テーマ)

      ・【集団的プロジェクト】

グループ単位(3~10人程度)で、テーマを設定し、一定期間、調査研究したり、体験したり、或いは具体的な物を製作するために協同作業を行う。成果を小論文にまとめる。(一学期に1テーマ)


 ■ 検討事項


    (略)


 幹生は「趣旨」の箇所で、現在学校で行われている教育を、そこに籍を置く者として可能と思われる範囲で精一杯批判した。そして蜂須賀の示したプリントに「生徒自身が調べ、生徒同士で学びあい、先生も一緒に学ぶという学習観の転換が必要」という文句があったことを思い合わせて、佐藤教授の「勉強」から「学び」へという主張を援用した。その他にも幹生は蜂須賀のプリントに記されていた考え方や表現をできるだけ取り入れて文章を作った。それは自分の考えと蜂須賀の考えとにつながりを持たせようとしたためだった。そうすることで蜂須賀の承認を得ようとしたのだ。つまり、幹生は何とか蜂須賀の承認を得て、自分の企画の実現に踏み出したかったのだ。

蜂須賀は幹生のプリントを見て、「先生は物事を根源的に考えようとするんですね」と言っただけで、否定も肯定もしなかった。そして幹生に学年毎に「小論文委員会」のメンバーを決めること、業者が行っている小論文模試の中から学校で実施するのに適当なものを選び、その実施計画を作定することを提起してきた。「小論文指導研修会」の実施も告げられた。研修会の内容は業者が提供する小論文入試に関する種々のデーターから現状や取り組みの方向を把握し、さらに「演習問題」「答案例」を使って小論文添削指導の実際を教員が研修するというものだった。幹生の返事を待たずに計画は蜂須賀によって既に動き出していた。幹生は入試対策に偏向した実務が一挙に降りかかってくるように感じた。バラ色の夢は急速に褪せ、埃っぽく、無味乾燥な現実がそこに露呈してきた。


 幹生は蜂須賀のプリントを改めて見直した。幹生を惹きつけたのは一枚目のプリントだったが、二枚目を見ると、「大学の求める小論文力の養成」という項目があり、「具体的な目標の基本方針」として、「各国立大学のAO入試、各国公立大学の推薦入試、前期・後期日程の論文試験に合格できる力をつける」と書いてある。以下、推薦入試における過去の実績や小論文入試の現状を示すデータ、小論文問題の出題テーマ、出題傾向と形式、指導や評価のポイントなどが細かく書かれている。結局、六枚綴りのプリントのうち三枚はそうした小論文入試に関する方針やデータの記述に当てられていた。残りの二枚は指導における留意点、各学年での取組み、小論文委員会の組織などを述べたものだった。


 幹生はもちろん蜂須賀からプリントを渡されて一枚目だけを読んだわけではなかった。二枚目以降も見たし、そこに大学入試に関することが書かれてあることを知っていた。しかし、教務部長が作成するプリントなのだから、それは仕方のないことであり、それを除くことはできないだろうという受取り方をしていた。だが、蜂須賀から具体的に為すべきことを告げられて、改めてプリントを読み直すと、蜂須賀の意図しているのは小論文を通した「人間教育」ではなく、主眼はやはり小論文入試対策なのだという思いが強くなるのだった。


 もう一つ、幹生の意欲を削いだのは、小論文委員会のメンバーに本田を加えることを蜂須賀が指示してきたことだった。幹生は本田とはいわば絶交状態にあった。その上、広木からスタッフとしての本田がいかに足を引っ張る存在であるかを聞かされていた。広木は本田と同一教科であり、教科で決めた取組みに本田一人が異を唱え、協力しないことを幹生によくこぼした。本田は仕事において頭数には入っているが、実際は妨害の働きしかしないマイナスの存在なのだと広木は言っていた。そんな本田とうまくやっていくことは幹生には不可能と思われた。


 幹生は小論文委員会の件を吉広に相談した。広木は蜂須賀の意図について幹生と同じ見方をした。そして、「いろいろな仕事を押しつけられて大変なことになりますよ」と警告した。既に幹生に提起された事柄を考えても、それは確かに予想されることだった。一連の作業がこの後に続くことだろう。それを責任者としてこなしていく自分の姿を幹生は想像した。それは彼が距離を置いている学校の主流派の姿と重なるものだった。その道を歩いて行けば、幹生も運営委員会のメンバーになっていくのかもしれなかった。しかし、その営為の目指すものが大学入試合格であるということは、やはり幹生の意欲を挫くのだった。受験教育の推進役は自分の仕事ではないと彼は考えた。


 本田をスタッフに加えるようにという蜂須賀の指示は、幹生と同様に蜂須賀の掌握外にある本田を、これを機にコントロール下に置こうとする意図であると幹生は推測した。蜂須賀は幹生と本田の過去にあったつながりに目をつけたのだ。実現させる価値のある目的のためならともかく、受験教育のために傲慢な本田と関わって不快な思いをするのは真っ平だと幹生は思った。


 幹生は蜂須賀の申し出を断ることに決めた。


 幹生が蜂須賀に、「自分の考えている方向とは違うようなので」と言って断ると、蜂須賀は納得がいかないというように眉根を寄せ、頭を傾けたが、「そうですか。それは残念だな。わかりました」と頷いた。


 蜂須賀の前から歩き去りながら、やはりこの学校では自分の目指す教育は行い得ないのだという寂寞とした感慨が幹生の胸中に広がった。そこには同時にほっとしたような思いも混じっていた。


 こうして幹生をとらえた高揚と希望は、白昼の蜃気楼のように数日間ではかなくも消滅したのだった。


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