10 後戻り

 それは夏休みのある日だった。後期の課外授業が始まろうとする頃だった。幹生は自宅の書斎の椅子に座り、ぼんやりと室内を眺めていた。何気なく目を向けた書棚にある二冊の本が彼の目を引いた。幹生がニイルの研究会に入っていた頃購入した本だ。二冊とも同じ著者の本だった。夏休みに開かれた会の宿泊研修会、幹生が参加したその集いに著者のIも参加していた。研修会の日程にはIの講演が入っていた。Iは講師として参加していたのだ。幹生はIと話を交わした。そして、その場で売られていた彼の著書二冊を買った。幹生は一冊を書棚から取り出した。表紙を開けると次の余白に、「不利を有利に変えていく人生を!」というIの手書きの言葉と署名があった。幹生が求めたものか、Iが自発的に書いたのかもう記憶は曖昧になっていた。

しかし、幹生はこの二冊のうちの一冊を、しかもその始めの部分を読んだだけで、読むのをやめた。それは幹生がその途中で、自由教育への意欲を失ったからだった。そして十年の間、この二冊の本は書棚に放置されていた。


 幹生は読みさしていた一冊を手に取った。題名は『反省が処分である教育』。読み始めた幹生はグイグイ引き込まれていった。その内容は幹生が予想していたものとは異なっていた。ニイルの所説に関する論考のようなものと思っていたのだが、ある私立女子高校におけるI自身の教育実践が述べられているのだった。Iは幹生と同じ私立高校の教諭だった。それも幹生には改めて身近に感じられた。


 生徒を学習の主体としてとらえるIの考え方は幹生と同一だった。Iは生徒の思考にゆさぶりをかける。「なぜ勉強するのか」「なぜ売春はいけないのか」「人生の目的は何か」など生徒に質問を発し、「何でも質問しろ」と生徒にも質問を促す。質問が出ればそれがどんなものでも丁寧に答える。知らなかったことを知り、知的好奇心を刺激された生徒は更なる探究心を抱く。こうした過程で、生徒は「学ぶ」ことに対して主体的になっていくのだ。Iは日本史の授業を担当する社会科の教師だったが、年号や人物の暗記を求めるテストはしなかった。その代りに「論文」を書かせた。歴史について生徒に考えさせる。あくまでも生徒を「考える主体」として育てようとする姿勢がそこに示されていた。教科以外の事柄についても、Iはごまかさず本音で生徒に対応し、また生徒にも本音を出させて話し合うのだ。


 Iの勤める学校は自由学校でも何でもない。私鉄資本を母体とする学校法人が経営する普通の私立高校だ。そこでは幹生が勤める学校と同様に管理主義と受験教育が支配し、Iはそれに抵抗する者として、法人側から様々な圧迫を受けていた。そんな中での実践だった。身近な環境におけるものだけに、Iの実践は幹生の興味を惹きつけた。


 しかもIの主張は幹生の問題意識の核心を突くものだった。幹生は「個人原理」に到達していた。一人一人の人間が大切なのであり、問題なのだった。Iの教育論もそこに立脚していた。Iは著書の中で「集団主義教育」を批判していた。幹生がかって「民主教育」として実践していたものだった。Iによれば、それは「民主的管理教育」に過ぎなかった。表面的には生徒が動いているので「民主的」に見えるが、実際は教師が生徒を操作しており、「集団」の圧力で管理を押し付けているに過ぎないというのがIの批判だった。幹生には思い当たることがあった。前の学校で生徒に班活動をさせていた時、「これは押し付けだな」と感じたことが何度かあった。生徒が自分の思うように動いた時、嬉しさと同時に、「操作している」という意識が頭を掠めることもあったのだ。もちろんそんな思いはすぐに打ち消されたのだったが。しかしIはそのことを正面から批判していた。また、幹生が当時のことで思い起こすのは、班活動に消極的な、あるいは批判的な生徒の存在だった。幹生はこれらの「笛吹けど踊らぬ」生徒に内心深い困惑を覚えていた。なぜだろうとその理由を考えるより、その存在を認めることを恐れ、嫌忌し、無視しようとしていた。今考えれば、それらの生徒こそ幹生に「集団」ではない「個」を示していたのだ。当時の幹生はそこに自分が把握できない、統御できない何ものかがあることは感じながらも、それに触れることを恐れていたのだ。当時の自分の欠落部分が現在の幹生にはよく見えた。


 Iの教育論は学ぶ主体としての個人と、その人権に立脚していた。幹生の思想的到達点に照らして、その正当性は明白だった。


 幹生はIから手紙をもらっていたことを思い出した。その手紙に「生徒が自分の頭で考え始め、人権に目覚めた時、それまでとは全く異なった行動が現出することに驚くばかりです」というような文言があったことを思い起した。彼はその手紙を捜したが見つからなかった。自由教育に疑義を抱いていた幹生は、その文言にも冷笑で応じたのだった。しかし、Iの実践記録を読めば、そこに現実から遊離した部分はなく、幹生が日々向き合っている学校の状況と大差ない環境の中で展開されているのだった。それは現実に根ざした強い説得力を持っていた。


 Iの著書の中では、「自由」は人が主体的に、あるいは人間的に生きるために必須なものとして捉えられていた。それはまさに人権なのであった。幹生は読みながら人間が人間らしく育っていく過程において、その環境として「自由」が必須であることを理解し直していた。自由教育への疑義はそのなかで解消していった。


 Iの著書を読むことは幹生にとって怡楽となった。そこには彼が教育について正しいと考えてきたことが、実践を踏まえてきっぱりと述べられていた。幹生は、ウン、ウンと頷きながら読んでいった。九月に入り、二学期が始まっていた。不快な思いをすることが多く、喜びの少ない学校で過ごす時間の中で、その本を読んでいる間は彼の精神はリフレッシュされ、鼓舞されるのだった。それは渇いた喉が清水を飲むような時間だった。幹生はIの著書を二冊とも読了した。


 幹生は遅ればせながら実践してみようかと思った。残り少ない教員生活だった。最後の数年間を自分の信じる教育の実践にあててもいいのではないか。長い間、不本意な教育を強いられてきたが、教師になった以上、最後は自分の良しと信じる教育を行いたい。これは至極当然な望みではなかろうか。確かにこの学校にはそんな教育を行う条件はない。むしろ悪条件が揃っている。しかし、それはIも同じだったのだ。それは冒険であることには違いない。場合によっては教師としてこの学校に居れなくなるかもしれなかった。しかし、幹生の気持は実践する方に傾いていた。学校を去るような事態になったとしてもそれは仕方がないと思った。むしろ本望ではないか。それに定年が近づき、生計として学校に執着する気持も薄れてきていた。


 幹生はニイルの著作をもう一度読み直そうと思った。読みながら実践への志向を確かめたいという思いもあった。著作集の中の数冊を読んだが、全部は読んでいないという記憶があった。彼は著作集を捜した。部屋の書棚はもちろん、家の物置の隅に置いてあるスチール製の書棚の中まで捜したが見つからなかった。購入したと思っていたが図書館から借りて読んだのかもしれないと思い直した。十年前の記憶は朧になっていた。結局、図書館から借りることにした。図書館には新訳による全五巻の著作集があった。


 読み進めていくと、ニイルの人柄や思想が初めて読んだときよりも鮮明に伝わってくるようだった。「理性より感情」という言葉は初めて読んだ時にも印象の強い言葉だったが、そのニイルの教育論における意味もより深く理解された。人間は感情に支配される存在だから、先ず以って感情的に安定していなければならない。子供の感情を安定させるためには心理的な抑圧を取り去ることが必要だ。子供の心理に抑圧的に作用するものとして、ニイルは性的・宗教的・道徳的禁忌を挙げる。彼は「問題の子供」と個別に対応して、フロイトの無意識の心理学を援用しながら、それらの抑圧を取り去ろうとする。しかし、長年の実践を経て、子供を癒し、立ち直らせるものは、心理学的なあれこれの手法ではなく、基本的には「自由」と「愛」であると結論している。


 ニイルが感情面を重視し、子供の心の中の抑圧を取り去ろうとするのは、それが子供の本来持つ創造性・能動性の発動を抑止するからだ。人間は自分のしたいことを思う存分やっている時こそが幸福なのだ。心理的な抑圧から解放された子供は、右顧左眄することなく、自分のしたい事に全身で没入してゆく。その中に子供の幸福があり、成長があるのだ。ニイルの著書を読んで幹生が改めて感じることは、教育の目的が人間の幸福、人生の幸福に置かれているということだった。

自分のしたい事は自分で見つけなければならない。子供の人生は子供自身が決めなければならない。子供は自分の人生を生きなければならない。教師や大人はその援助をする存在なのだ。この自己決定・自己選択の要請こそ「自由」を必須にするものだ。自由教育の真諦がそこにある。


 ニイルは学科目の教授はさほど重視しなかった。彼はシェークスピアを読むよりは自ら劇を書くこと、黒板の計算式を解くより、木や金属で何かを製作する際に必要となる計算をすることを重視した。創造こそが真の教育活動だった。教育とは新しい人間を創る営為だとも言っている。新しい人間が新しい時代を創るのだ。既成のものの受容と把持、つまり暗記を強要する学科試験は、老人が若者を支配する手段であり、若者を体制の枠にはめ込む道具だとも言った。

ニイルは労働者階級の側に立って資本主義を否定し、社会主義に期待をかけた。彼はその意味でソ連に期待した。そこにおける革命と変革に熱い思いを寄せたが、失望することになった。彼はそのために政治への関心を失った。幹生はニイルのこんな面にも親近を覚えた。


 ニイルが教育に託していた人生の幸福や社会進歩を考えると、幹生は目先の大学合格者数の増大や外形的な躾けを目指す「教育」の無意味さを思わざるを得なかった。しかしそれが彼がその中に取り込まれ、日々明け暮れている「教育」だった。「いちばん悲劇的な教師というのは、何の価値もない仕事に全力を注いでいるのだとはっきり感じている教師、つまり何の尊敬の念も抱いていない旗のもとで戦っているにすぎないと思い知らされている教師である」というニイルの言葉が、正に自分のことをいったものとして幹生の心に突き刺さった。いつまでも「悲劇的な教師」に甘んじているわけにもいくまいと幹生は思った。


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